1/26JBプレス 姫田小夏『中国「住宅が余りすぎだから農民に買わせてしまえ」 バブルのツケを農民に押し付ける見当違いの収拾策』について

中国人の考えそうな話です。農民に売れない土地を売ろうと言う発想はなかなか出てきません。貧しい農民には買えるはずはありません。金を持っていれば「民工」(=昔は「農民工」と言われていました)のように出稼ぎに出る必要もありません。問題は本記事にもありますように農村戸籍と都市戸籍です。档案と並ぶ基本的人権の侵害です。日本のように「法の下の平等」が保証されていないという事です。共産主義国は結果の平等を目指したはずですがそれすらできず、差別と格差社会になっているのが実態です。こんな国を理想としている朝日新聞を始めとした日本のメデイアは狂っているとしか思えません。朝日新聞もOBへの新聞の無料配布のストップや報酬減額のリストラに踏み切るようですが、まだまだ手を緩めることはせず、不買に協力して貰う人を増やしましょう。中国・北朝鮮の手先になって日本を貶め続けてきたわけですから。

分譲住宅の在庫が6億9637万平米とすると、1戸70㎡とすると1000万戸になりますがこんなものでないでしょう。日本の空き家が820万戸です。

http://www.stat.go.jp/data/jyutaku/2013/10_1.htm

中国は数字を誤魔化しています。大前研一氏は2、3年前に8000万戸と言ってましたから。大体人口が10倍ですから8000万戸くらいはあるでしょう。日本ほど豊かではありませんし。

農民に住宅ローンを組んでも焦げ付くだけです。農民に損失の「飛ばし」をやろうとして銀行の不良債権を増やすだけです。しかし、苛斂誅求の典型です。「生かさず殺さず」をイメージしてしまいます。国家とは何のために存在するのか、経世済民こそがその目的では。そこから一番遠いのが共産中国です。

話しは変わって、宜野湾市長選では自公の推す現職が勝って良かったです。琉球新報と沖縄タイムスは朝日より左で、中国の手先となって沖縄を中国のものにするような報道をしています。村田春樹氏の「三島由紀夫が生きた時代」のP.212~213には(1971年(昭和46年)12月30日)には

「私が奴らと論争したのはいくつもあるテントの中の司令部のテントだった。このテントの中になんと人民解放軍の将校が軍服を着て胡坐をかいてニコニコと座っていた。日本語が分からないようでほとんど反応しなかった。彼がこの部落の全共闘の指導者だった。彼の後ろには毛沢東と林彪の大きな写真が飾ってあったので、私が最後に、「林彪は失脚したのにどうして飾っているのだ」

と指摘したら、通訳されても意に介さず、嘘は信じないというようなことを言っていた。林彪失脚はその時点では一部の外電しか報じていなかったので、中共の在外の工作員には知らされていなかったのであろう。

復帰前で日本の統治権がないとは言え、沖綿で人民解放軍の将校が日本人の全共闘に軍事訓練を実施していた!私はこの目で見て当時はさほど驚かなかったが、今思えば驚天動地の出来事である。あの人民解放軍の将校は五ヶ月後の復帰後どうしたのだろうか。あの時テント村にいた多くの全共闘は今、年老いて今度は辺野古のテント村にいるのだろうか。ちなみに私は平成ニ十五年ニ十六年と二回辺野古のテント村に抗議に行ったが、昭和四十六年末の奥のテント村の方が遙かに巨大で人数も十倍くらいいたように記憶している。

そのあと奥にある旅館の人にご馳走して貰い、名護着。公民館に泊めてもらったらお茶お葉子はおろか、酒(泡盛)から野菜炒めまで出てきて大歓迎。その上、翌朝はお茶……と冲縛の人の人情 に感激した。実に感激した。」とあ.りました。その当時から中国は日本へ革命の輸出、侵略を考えていたということです。今でも辺野古のテント村には中国人・朝鮮人が多いと言われていますので、人民解放軍や朝鮮人民軍が入っているのでは。沖縄県警はキチンと逮捕・排除してほしい。翁長の宜野湾市長選での個別訪問でも同じく。

記事

The farm in China

中国の農村。不動産バブルのツケが農民に?(資料写真)

 経済の失速に歯止めがかからない中国で、2016年の最大の課題となりそうなのが住宅在庫の処理だ。

 1級都市を中心とする沿海部のいくつかの大都市では活発な住宅需要が見られるが、規模の小さい3~4級都市ではすっかり停滞している。

 積み上がる住宅在庫は国家統計局の数字を見ても明らかだ。昨年(2015年)11月末、分譲住宅の在庫は6億9637(万?)平米に達した。2014年同期における分譲住宅の在庫は5億9695万平米だったから、この1年で在庫は約1億平米も増えたことになる。昨年9月末からの1カ月間には2122万平米が増え、過去最高の増加数を記録した。

 こうした状況に対し、中央政府は強い危機感を抱いている。昨年末に翌年の経済政策の方向性を決める「中央経済工作会議」が開かれたが、この会議で初めて住宅の在庫問題が取り上げられた。

 政府は、どのようにして在庫処理を進めるのか? 会議で出た“妙案”というのが、「農民に買わせる」というものだ。

 会議に先立つ11月に、李克強首相は「『戸籍制度』の改革こそが住宅需要を喚起する」と述べた。

 中国の都市部には常住人口が7.5億人いると言われるが、その3分の1にあたる2.5億人が、都市戸籍を持たない農村出身者だ。彼らは「民工」として都市部に集まり、都市部の発展を支えた貴重な働き手である。だが、中国には「戸籍制度」が存在するため、都市戸籍保持者と同様の教育や医療といった公共サービスを受けられない。都市部で住宅を購入することもできなかった。

 そこで中央政府は、農村出身者も都市部で住宅を購入できるようにすれば在庫を処理できると考えたのである。

農民も住宅を持て余している

 しかし、その施策への批判が高まっている。まず、中央政府は「農民がまだ住宅を持っていない」「都市部の住宅に憧れている」と見ているが、見当違いの可能性がある。

 農民は住宅を持っていないわけではない。確かにぎりぎりの生活をしている“貧農”もいるが、その一方で、農村では多くの農民が2~3階建ての戸建てに居住している。農村の住民は自分たちの手で住宅を建てる習慣があり、都心部の集合住宅よりはるかに広い家に住むケースも珍しくはない。

 不動産ブームが中国全土を席巻すると、地方政府と不動産業者が結託し、農民を立ち退かせて農地をどんどん宅地に転用させた。その際、それまで住んでいた家を手放して近代的な集合住宅に移転した農民も少なくない。全国的な宅地化の結果、農民もそれなりの家に住むようになったのである。

 中には家を持て余している農民も存在する。筆者は、湖南省出身の中国人女性に話を聞く機会を得た。この女性は次のように語る。

「私の両親は数年前、湖南省のある町に分譲マンションを買いました。高齢の祖父を農村から呼び寄せ、家族で都市の郊外に居住しようと計画したのです。ところが今、その部屋には誰も住んでいません」

 時間が経つにつれ、家族の誰にとっても必要ではないことが分かってきたのだという。女性はこう続ける。

「祖父は生まれ育った農村での生活を望んでいます。両親は商売のために省都に近い郊外で生活しています。私と弟も海外での生活に憧れており、そんな中途半端な町には住みたくありません。だから誰も住まないのです」

 購入した部屋は、打ち放しのコンクリーが剥き出しのまま、内装も施されず放置されているという。「この住宅を借りたいという人もいません。価格は下がる一方ですが、売るにも売れない。まったく無駄な買い物だったというわけです」

 同様の話は中国各地で枚挙にいとまがない。中国紙「経済視察報」は、こんな記事を掲載した。ある地権者が農地再開発に際して6戸の住宅を手に入れた。1戸目は自宅に使い、2戸目を犬小屋に使い、3戸目はハトの養殖に使っている。残りの3戸は空き家のままだ――。

 また、そもそも農民に経済的な余力があるのかという問題が立ちふさがる。前出の中国人女性は、「農民に不動産を買わせるなら、価格を下げなければ無理だ」と訴える。不動産バブルによって、地方都市でも住宅価格が吊り上がった。農民の平均的な年収は1万元(約18万円)と言われている。その年収で都市部の住宅を購入できるのかという根本的な問いは避けて通れない。

 現実的には政府が補助金を支給し、農地を売り払わせ、住宅ローンを組ませることになるのだろう。だが、当然こんな反発が沸き起こる。「農民はようやく『小康(まずまずの暮らし向きの意)』になった。その農民に新たに住宅を買わせれば、再び貧困に逆戻りだ」

 こんな状況の中で農民が都市部の住宅を欲しがるとは、とても思えないのである。

解決には価格を下げるしかない

「農民による在庫処理」をたくらむ中央政府だが、それ以前に着手すべきことがある。例えば、住宅の保有に関する課税の見直しや、住宅価格の正常化などだ。

 中国の不動産事情に詳しい日系企業の経営者はこう述べる。「中国では依然として住宅需要はありますが、価格があまりに高いので誰も買いません。市場を正常に戻すには、不動産業者が損を覚悟で価格を下げるしかないでしょう」

 中国の「証券時報」も、「農民に含み損を抱えさせていいのか」「(不動産市場を正常化させる)唯一の方法は価格を下げることだ。不動産業者が損失を被るのは当たり前だ」と訴える。

 「住宅を建てることが経済発展」という地方政府の勘違いで、中国の住宅バブルは膨れ上がった。今度は中央政府の見当違いで、バブルのツケが農民に回されようとしている。結局、農民に「トランプのババを引かせればいい」ということなのだろうか。