1/18日経ビジネスオンライン 福島香織『台湾総統選“圧勝”蔡英文の「真の敵」 大陸の圧力と誘惑と空の国庫と、いかに戦うか』、白壁・安藤『台湾総統選、民進党の「未来像」なき圧勝』、武田安恵『進化する台湾人、蔡英文の実力 新台湾総統の素顔に迫る』について

1/15石平氏Twitter 「フォロワーの皆様にお願いします。中国大使館が在日中国人たち全員に登録を求めた一件、場合によって日本の国防上に重大な意味を持つ動きであるかもしれませんが、マスメデイアはいっさい報じていません。是非皆様のお力でこの情報の拡散をお願いします。」

日本への戦争準備か?テロ防止につき、ゆめ怠りなく。在日中国人に対する監視を強め、心理的圧迫を加えるつもりなのでしょうけど。

1/16渡邉哲也Twitter「民進党過半数 国民党単独3分の1割れで、馬総統弾劾の可能性が出ています。中国寄りの親民党がキーマンに」とありました。今般の立法委選挙は任期満了解散なので本年2/1に交替すると思います。

Wiki「・正副総統罷免案提案権(憲法増修条文2条9項):立法委員総数4分の1以上の発議、同3分の2以上で可決したときは、罷免案の国民投票を実施できる。

・正副総統弾劾案議決権(憲法増修条文4条7項、2条10項):立法委員総数2分の1以上の発議、同3分の2以上で可決したときは、司法院大法官(憲法裁判所の大法廷に相当)に弾劾審理を要請できる。」とあります。(民進党68+時代力量党5)/113議席=64.46%、そこに親民党の3議席を入れると67.25%。弾劾審理が可能となります。総統就任は5/20でその間、中共と国民党は悪さをするやも知れませんので牽制のために弾劾の動きをした方が良いのでは。

今般の総統選+立法委員選で「周子瑜」(韓国のアイドルグループ”twice”のメンバー、福島氏の言うツゥイ)の与えた影響はそれ程大きくはなかったのでは。やはり、馬英九の中国擦り寄りのマイナス効果が大きかったのでは。「我是台湾人、不是中国人」と思うようにさせたのは馬英九効果でしょう。国民としての自覚を与えたという意味では彼もそれなりの役割を果たしたと言うことです。

でもまだ3割の人が「我是台湾人、還是中国人(台湾人でもあり、中国人でもある)」と思っているので。国民党の刷り込みが効いているのでしょう。日本も平和ボケの人数を減らしていかなければなりません。1/18日経に池上彰が「日本では民主主義は戦後に米国から与えられた部分がある。民主主義を勝ち取ったとは言い切れない部分が影響しているのかも」とありました。流石に元NHKです。非常に違和感があります。帝国憲法公布、帝国議会、大正デモクラシーの歴史的事実を全否定するものです。このようなリベラルの言動が日本を悪くします。騙されないように。

Opinion poll about Taiwanese

 

 

 

 

 

(12/17NHK番組『台湾総統選まで1か月~強まる「台湾人意識」、若者の選択は~』より)

本記事にありますように「感情だけで飯は食えない」です。一時の勝利の興奮から醒めたときこそが勝負です。親日国台湾をサポートするのは日本の安全保障上から考えても大事なことです。蔡英文の言う「産業同盟」をしっかりしたものにするため、日本の経済界も中国の顔色を窺うことなく手を差し伸べてほしい。でないと中国から金かハニーで籠絡されていると思われますよ。

福島記事

ちょうど台北にいるので、台湾の総統選について報告しよう。

華人国家において、初の女性総統が登場した。民進党候補の蔡英文が689万4744票を得て、国民党候補・朱立倫381万3365票をダブルスコアで制した。

 300万票という台湾史上最大票差での大勝の背景は、現馬英九国民党政権の失政、ひまわり学運で再燃した「台湾アイデンティティ」の盛り上がり、朱立倫国民党候補のやる気のなさ、そして中国側が本格的な妨害工作をしなかったことなどがある。

 さらに言えば、投票日に問題になった韓国アイドルグループTWICEの台湾出身メンバー、ツゥイこと周子瑜の公開謝罪ビデオ事件が、決定的な追い風となった。ひょっとして韓国の芸能事務所は、ひそかに台湾民進党を応援していたか、と疑うほどの絶妙なタイミングだった。

 立法院(国会)選挙については民進党単独過半数は難しいのではないか、という下馬評だったが蓋をあけてみると、民進党は113議席中、68議席、国民党35議席とあわやこちらもダブルスコアになりそうな勢いで緑(民進党カラー)が圧勝。しかも、ひまわり学運の参加者らが結成した新党「時代力量」が5議席獲得、親中派政党で宋楚瑜総統候補率いる「親民党」の3議席を抑えて、第3党に躍り出た。建党30年足らずの圧倒的多数の与党に、昨年結党したばかりの生まれたて政党の第3党躍進と、台湾国会の様相が大きく変わった。

蔡英文とはどういう人物か

 この民進党を圧勝に導いた蔡英文とはどういう人物なのか。私が彼女の姿を最初に生で見たのは2001年、大陸委員会主任委員(閣僚)時代の記者会見に出席したときだと思う。流暢な英語を話す女性エリート官僚然としたクールな印象を持った。

 1956年8月、台湾屏東県の客家の名家の血筋に生まれる。出生地は台北市中山区だ。祖母はパイワン族の末裔という。彼女の生まれたころは、まだ台湾の大金持ちは一夫多妻(側室)の風習が残り、兄弟姉妹は11人。うち兄の1人は日本国籍を取得し日本で暮らすとか。末っ子の蔡英文は、お嬢様として大事に育てられ、台湾大学法律学部生時代はマイカーで通学していた2人の学生のうち1人だったという。1980年に米国コーネル大学ロースクールで学位を取り、続いて英国ロンドン政治経済学院に留学し、「不平等貿易の実践とセーフガード」をテーマに研究。1984年に博士学位を取り、米国の弁護士資格と中華民国の弁護士資格を取った。

 大学教授時代を経て、李登輝政権時代、請われて行政啓三国際経済組織の主席法律顧問となったのが政界に足を踏み入れるきっかけとなった。GATTとWTOの台湾加入交渉に関わったほか、李登輝とともに台湾と中国が特殊な国と国の関係であるとする「一辺一国論」の起草にも関わる。

 陳水扁政権1期目の2000年から2004年は行政院大陸委員会主任委員となり、この時の世論調査では最も満足度の高い閣僚として評価された。この時「小三通」と呼ばれる、中国台湾間の春節時期の直行便を含む中台直接交流が大きく進んだ。

 陳水扁政権2期目の2004年から民進党に入党し、立法委員(国会議員)に比例6位で当選。2006年から行政院副院長(副首相)となり、この時の仕事ぶりも世論調査で高い評価を得た。

敗北から4年、生真面目に「団結」

 2008年の総統選で代理党主席の謝長廷候補が惨敗すると、世論の評価の高い蔡英文が台湾初の女性党主席となる。だが、党員歴の短い若き女性党主席は台湾特有の儒教的女性蔑視、年少者蔑視もあって、長らく党内分裂状態に悩まされる。

 それでも2012年の総統選では初の女性総統候補として健闘。80万票差で現職・馬英九総統に惜敗する。この時の敗因は、中国の後方援護と米国の投票日直前になっての馬英九政権支持表明が大きかったと言われている。事前の世論調査での支持率はずっと民進党がリードしていただけに、国民党の底力を見せつけた格好だった。蔡英文は敗戦の責任をとって、党主席を辞任した。

 この敗北から4年、蔡英文にとっては、空中分解しかけていた党内団結に腐心する日々であったという。

 こうした来歴から見ると、彼女は非常に頭脳明晰な学者肌に近い官僚肌の実務向き人物である。また、バランス感覚もよい。だが政治家に求められる”オーラ”に欠けるとも言われてきた。また、あまりにクリーンで生真面目なため、台湾政界を渡っていくためにある程度必要な腹黒さや駆け引き、米国への媚の売り方が足りないとも言われていた。2012年の総統選は明らかに、米国に気にいられなかったことが重要敗因の1つだと分析されてきた。だが、この敗戦後の4年間、彼女はやはり生真面目に、対米関係を研究し、党内の年上の政治家たちにも気を使い、演説テクニックも目をみはるほど向上している。

 2014年になって馬英九政権に対する失望、反感が若者を中心にますます広がっていった。3月18日から24日間にわたって立法院を学生たちが占拠したひまわり学運が、台湾政治の潮目を決定的に変えた。このひまわり学運が求める台湾の方向性とは、中台急速接近の阻止、国会の機能回復、そして何より「台湾アイデンティティ」の再度の盛り上がりだろう。

「ツゥイ公開謝罪」と台湾アイデンティティ

 この頃から党内でも、「一辺一国論」起草者の蔡英文しかいない、という待望論が盛り上がってきた。5月の民進党主席選挙で93%以上の圧倒的な得票率で蔡英文は党主席に返り咲き、総統候補となった。

 台湾アイデンティティとは「私は台湾人であって中国人ではない」という意識であり、台湾の核心的価値は民主である、という意識である。

 投票日に明らかになった、ツゥイの公開謝罪問題は、まさしくこの台湾人アイデンティティ問題にからむ。ツゥイは韓国美少女アイドルグループTWICEのメンバーだが、韓国のテレビ番組で、彼女が台湾出身をアピールするため中華民国旗(青天白日旗)を持ったシーンが、大陸のファンからものすごい反発を買った。大陸ネットユーザーを中心にTWICE不買運動、中国テレビ出演反対が呼びかけられ、所属事務所の株が急落、65億ウォン相当が蒸発した、と報道された。そして事務所の判断か、中国当局の圧力かは分からないが、選挙投票日当日、この騒動の責任をとる形でツゥイの公開謝罪ビデオが流された。

 ビデオでツゥイは憔悴した表情で「中国はただ1つだけです。(台湾)海峡の両岸は一体です。わたしは終始、自分が中国人であることに誇りを感じています。1人の中国人として外国で活動しているとき、行いの間違いによって、両岸のネットユーザーの感情を傷つけました。とってもとっても申し訳ないと感じています。そして恥じ、やましさを感じています。私は中国での一切の活動を休止することを決めました。真剣に反省しています。もう一度、もう一度みなさんに謝ります。ごめんなさい」と頭を下げたのだった。

 このビデオは投票日当日、何度も台湾のテレビで流され続け、投票者に「中国の脅威」と「台湾アイデンティティ」を再認識させた。そして「青天白日旗」は国民党徽章の入った中華民国旗であるが、なぜか票は緑の民進党に流れた。それは馬英九国民党政権があまりに親中的だったからだ。

 このことからも分かるのは、民進党が本当のライバルとして戦っていたのは国民党ではなく、中国であったということだろう。蔡英文は当選後の勝利演説でもこの事件に触れて「私が総統になった日には、誰一人として自分のアイデンティティを理由に謝罪をする必要がないようにします」と訴えていた。「台湾を団結した国家にする責任がある!」という宣言に表現されるように、彼女が目指し、台湾有権者が望むのは、政党や派閥による内政のいざこざではなく、国家としての団結であり、それは中国に対する危機感から発するという見立ては間違ってはいない。

 ひまわり学運から発した時代力量が5議席を取り第3党に踊り出たことも注目する必要があるだろう。日本でも人気のあるヘビィメタルミュージシャン、フレディ・リムが創設に関わったことでも知られるが、フレディ自身はかなりはっきりした独立派である。ただ、時代力量は独立という言葉ではなく建国と言う言葉を好んで使う。それは、台湾は一度も中国の属国になった覚えはない、という理論武装らしい。党主席の黄國昌、フレディら5人も国会に送り込まれたということが、今の台湾の若者の気持ちを反映しているといえるだろう。

習近平の強権と空の国庫、どう対処?

 そういう意味で、これから総統となった蔡英文が戦わねばならない敵は非常に強大ということになる。有権者としては、中国の経済的政治的影響から脱出してほしいという希望がある一方で、すでに台湾経済で圧倒的存在感を誇る中国の影響力から台湾が距離をとろうとすることは口で言うほど簡単ではない。しかも、習近平政権は胡錦濤政権ほど甘くない。胡錦濤政権は台湾統一という言葉を発せず、ただひたすら中台経済関係強化に努めた。だが、習近平政権は台湾総統府にそっくりな建物を攻略する軍事訓練を堂々と行う。今後、どのような圧力(あるいは誘惑)を台湾にしかけ、それに蔡英文政権はどう対応するか。

 さらに言えば、馬英九政権時代にすでに台湾財政は破綻寸前で、国庫は空の状態で政権を引き渡されると言われている。中国経済もクラッシュ寸前なので、台湾に流れた大量の中国マネーが一気に引き揚げられると、台湾バブルも崩壊する。世界同時不況と言われる中で蔡英文が台湾経済を軟着陸させることができるかどうか。

 経済が悪化し、有権者の生活が明らかに苦しくなれば、次の選挙では今回の選挙の裏返しのような形で惨敗しかねない。

 日本にとっては、地政学的にも、台湾に国家としてのアイデンティティを持ち続けてもらえれば、アジアにおける中国覇権の野望にブレーキをかけるという意味で、韓国よりもよいパートナーになれるだろう。蔡英文政権の台湾ならば、日本が経済関係と外交関係を強化していく選択に迷う必要はないと思うのだが、どうだろうか。

白壁・安藤記事

President Cai

今後について冷静に語る民進党の蔡英文主席(右)

 1月16日、台湾総統選挙の投票が締め切られた午後4時。最大野党の民主進歩党(民進党)の本部近くに設営された野外の大規模集会場では、用意された席は既に支持者らで埋め尽くされて会場外の道路にまで人があふれていた。

 巨大なモニターには開票状況が映し出され、事前の予想を超える勢いで民進党の候補者である蔡英文主席がリードするもようが伝えられている。

私は台湾人」というメッセージをことあるごとに全員で叫ぶ

 総統選は与党・国民党の朱立倫主席との事実上の一騎打ち。その朱氏に、ダブルスコアの差をつけて蔡氏の獲得票数が伸びていく。100万票、200万票、300万票――。票数が大台に乗るたびに会場は盛り上がる。そして会場中の人々が大型モニターに映し出された言葉を叫ぶ。

I'm a Taiwanese

 「我是台湾人(私は台湾人だ)!!」

 

 

 

 

 

 

 

The supporter of DPP

 

当選確実の報を見て喜ぶ民進党支持者

 8年ぶりの政権交代。加えて民進党は、初めて立法院(日本の国会に相当)でも過半数(定数108に対して68の議席を獲得)を獲得した。その支持層が最も力を入れて叫ぶ言葉が「我是台湾人」の五文字だったことは、この選挙戦が、「中国」との関係にまつわるアイデンティティの闘争だったことをよく物語っている。

 会場で中国系のメディアを見つけると一斉にブーイング。そして親中派の与党候補であった朱氏が敗北を宣言し、頭を下げる姿がモニターに映し出されると、「どうだ!」と言わんばかりに中国系メディアの記者に対して中指を立てる。

 新政権の描いた未来像に沸くというよりも、前政権が進めた親中路線に「NO」を突きつけ、対中融和の流れを食い止めたことに沸いているような印象を受けた。肯定よりも、否定の歓喜に見えた。

「感情だけでは飯は食えない」

 前政権の政策に対する否定という「過去」はいいとして、民進党圧勝の先に、どんな「未来」が待っているのか。ボランティアとして民進党の選挙戦をサポートした大学生は不安を打ち明けた。

 「はっきり言って、(勝利を)素直には喜べない。台湾人として『ここは中国ではない』ということを示したに過ぎない。この選択が経済環境を良くするきっかけになるんだろうか。このままでは自分の働き口すら見つからないかもしれない。感情だけでは飯は食えないから」

 台湾の民意は、国民党政権が進めた親中路線に歯止めをかけた。だが、問題はこれからの台湾をどう創っていくかだろう。

 中国は台湾にとって最大の輸出国だ。輸出額の4分の1は中国が占め、香港を入れると4割近くに相当する。

The child's  message for Cai

蔡氏へのメッセージを掲げる子供

 現職の馬英九総統は2008年に民進党から国民党へ政権を奪還して以降、経済成長著しい中国の「恩恵」に預かるべく、対中融和路線を進めてきた。低迷する台湾経済の浮揚がその狙いだった。

 だが、拙速な対中接近は反発も招いた。2013年、中国と台湾で金融や通信、医療、旅行などのサービス関連市場を相互に開放する中台サービス貿易協定を締結。立法院での審議を「時間切れ」として一方的に中断し、強引に批准作業を進めるなどの姿勢に台湾の人々は反発し、「ひまわり運動」と呼ばれる学生の議会占拠にまで問題は発展した。

 

The Independence of Taiwan Party

台湾独立を訴える政党も

 それでも馬氏は昨年11月、中国の習近平国家主席と1949年の中台分断後、初のトップ会談を強行するなど、親中路線を突き進んだ。

 中国への輸出額は馬氏の就任時に比べて1.3倍にまで膨らんだ。

民進党に投票した中小企業経営者の声

 新北市で金属加工業を営む50代の男性は、かつて馬氏を支持して国民党に投票した一人だ。

 「中国向けでもっと仕事が増えると思ったけれど、全然増えない。俺たちの仕事が増えるわけではない。むしろ、減っているのが現状だ。馬(氏)は中国に魂を売ったにもかかわらず、何も得られなかったんだよ」

 彼は今回、民進党に票を投じた。

 馬氏は台湾の人々の感情を逆なでしただけでなく、経済環境も改善も実現できなかった。2015年の実質GDP(国内総生産)成長率は、7~9月期に6年ぶりにマイナス成長(マイナス1.01%)を記録するなど輸出の不振が続いている。2015年通期で同成長率が1%にも満たないのではないかとの見方も出ている。さらに、馬政権が公約に掲げた「失業率3%未満」も達成できなかった。

 対中接近したにも関わらず、経済が好転しない。であればなぜ、政治・経済のシステムや国家観が大きく異なる中国と融和しなければならないのか。こうした反発が民進党の躍進を後押しした。

選挙期間中は思いのほか静か

 投票前に台湾へ入り、政権交代の熱気に沸く街を想像していたが、どうも記者の期待は大きすぎたのか、やや盛り上がりには欠けているように見えた。選挙期間中、街を歩くと台湾ならではの光景が目に留まる。太鼓を叩くトラックが先導し、その後に候補者の名前や政党名を掲げたトラックが続く。太鼓の音で街行く人に自らの存在を知らせるのだ。

campaign car

太鼓を叩いて選挙カーの到来を告げる、台湾ならではの選挙の光景

 早朝や深夜でも爆竹を鳴らすなど、過度な演出もあると聞いたが、今回は申し訳ない程度の音の太鼓を叩く車列にいくつか遭遇しただけだ。投票前夜の集会には雨天にもかかわらず多くの支持者が駆けつけるなど盛り上がりを見せたが、街中の人々に話を聞くと、民進党を支持する人からも、未来に向けて新たな希望が誕生するような躍動する感情はあまり伝わってこなかった。

 

 

 

Cai's novelty

蔡氏のグッズを売る露店も登場

 選挙前から野党・民進党の優勢は伝えられており、政権交代が確実視されていたからかもしれない。ただ最大の要因は、今回の選挙そのものが、新たな台湾を築くという前向きなものというよりも、急速に距離が縮まりつつある中台関係に待ったをかけるというのが第一にあったからではないか。対中融和策を改めたとしても、経済的に中国に頼らざるを得ない部分がある「現実問題」も理解している。政権交代を実現しても、今の台湾は、独自で大国を相手にできるほどの経済的、政治的な力を持ち合わせていない。そう考える人が台湾でも多数を占めるだろう。

 

 

 

 

Cai's Dharma doll

蔡氏向けに日本から送られた必勝祈願のダルマも飾られていた

 2000年に総統選挙で勝利した前後は、民進党は台湾「独立」の志向を鮮明に打ち出していた。だが、民進党は2008年に支持を失って下野。蔡英文主席は、急進的な独立論を抑え、対中関係は「独立を求めないが、拙速な融和も進めない」という「現状維持」を打ち出して、急進的な独立派以外の支持を集めた。同じ民進党による政権奪還だが、まだ中台の力が拮抗していた2000年前後に「独立」の未来に熱狂したのと、今回、中国が台頭する中で、かろうじて対中融和の速度を抑える選択をしたのとでは、盛り上がりが異なるのは当然と言えるかもしれない。

 中国は今後も、台湾との距離を縮めてくるだろう。台湾と海を隔てた先にある中国の福建省で長く官僚を務めた経験のある習近平国家主席は、「1つの中国」に向けた道筋を自らの任期中に作りたい野望があるとされる。昨年の中台トップ会談もその布石だろう。

 にじり寄る中国をいかにしてけん制し、経済を立て直すか。選挙期間、蔡氏は「経済的にも強い台湾を再興し、中国と対等に渡り合って妥協点を見いだしたい」と演説したが、その具体策は見えてこない。

経済再生のサポート役は日本か

Taiwanese hope

蔡氏は台湾の人々の期待に応えられるだろうか

 アジアでは昨年末に東南アジア諸国連合(ASEAN)が域内での人・モノ・カネの動きを自由化させるアセアン経済共同体(AEC)を発足させた。米国主導のTPP(環太平洋経済連携協定)といった枠組みも固まりつつあり、中国主導の国際金融機関であるアジアインフラ 投資銀行(AIIB)も誕生した。周囲の国々が様々な枠組みに参加して自国の競争力を培う中で、台湾は取り残される危機にある。蔡氏はTPPへの参加も前向きに検討中だ。

 選挙後の会見で蔡氏は、経済再生の実現に向けて必要なサポート役として「日本」の名前を複数回挙げている。選挙集会では、記者が日本人と分かると、「日本の助けが必要だ」と手を握って話しかけてきた台湾人男性もいた。

 日本政府・与党は台湾総統選での民進党の蔡氏の勝利を歓迎している。中国に接近して歴史認識や沖縄県尖閣諸島などを巡って中台で対日共闘を強めていた馬英九総統とは異なり、蔡氏が日本との関係を重視しているためだ。

 東シナ海や南シナ海への海洋進出を図り、経済的影響力を強める中国をにらみ、台湾との関係を重視する安倍晋三首相は自民党の野党時代に台湾で蔡氏と会談。昨年10月には来日した蔡氏と密かに都内のホテルで接触するなど布石を打ってきた。TPPに関しても台湾の交渉参加を後押しする検討を進めており、台湾経済の中国への傾斜にくさびを打ち込む考えだ。

 果たして、台湾は蔡氏の下で経済再生を果たすことができるだろうか。

 感情では飯を食えない――。

 前出の学生の本音が、台湾の人々の不安の根底にある。蔡氏はその不安に応える未来を描けるか。初の女性総統の手腕が問われる。

武田記事

「捲土重来」。1月16日に実施された台湾総統選挙を一言で表した時、これほどしっくり来る言葉はほかにないのではないだろうか。4年前の2012年1月14日、同じ総統選挙で蔡英文率いる民主進歩党(民進党)は、国民党が支持する馬英九に敗れた。降りしきる雨の中、大勢の支持者は顔を流れる雫が涙なのか雨なのか分からない状態で、蔡英文の演説――敗北宣言を聞いたのだった。

 当時、支持者に対して「可以哭泣,不要放棄」(泣いてもいい、しかし諦めてはいけない)と励ましながら、「有一天我們會再回來」(いつの日か、我々は再び戻ってくる)と呼びかけた蔡英文は、見事に約束を果たした。

 前回の総統選挙は馬英九が689万1139票、蔡英文が609万3578票と約80万票の差だった。今回は16日午後10時時点の集計では蔡英文689万票、国民党候補の朱立倫381万票と300万の差をつけた。

 多くの台湾人が、中国と台湾にある政治的な隔たりを、「経済交流」という形で埋めようと試みた馬英九のこれまでの政策に「NO」を突きつけた。その民衆の不満をすくい上げるかのように成長してきたのが蔡英文だ。この4年間、庶民の暮らしを理解しようと台湾各地を演説して回った。その泥臭さ、地味さに親近感を覚え、今まで民進党支持者でなかった層のファンを増やしたとも言われている。

「私は政治家向きではない」と漏らした過去

 「私は政治家向きではない」蔡英文は周囲にこう漏らしたことがあるという。かつての彼女は台湾語で言うところの「口才」(トークのうまさ)もないし、情に訴えるようなことを言う性格でもなかった。

 彼女の経歴を見てもそれは明らかだ。実業家の父のもと、裕福な家庭の上に生まれた。11人兄弟のうち「誰も法律を学んでいないから」と父に勧められ、台湾大学で法律を学ぶ。その後米国コーネル大学で修士、英国ロンドン大政経学院で法学博士を取得、29歳の時に台湾に戻り、大学教授の職に就く。「私は父の期待通りの人生を歩んでいたわ」。メディアの取材に対し、蔡英文はこう答えている。

 「象牙の塔」にいた彼女がなぜ政治家になったのだろうか。

 転機は李登輝政権下の1990年代だった。大学教授の職をこなしながら、台湾政府経済部の顧問として貿易交渉のテーブルに着いた。当時台湾は、米国から輸入される農作物や肉類などの関税を引き下げることによって受ける台湾域内の産業のダメージを最小限に抑えるべく、米国との間で交渉を続けていた。蔡英文はこの時、最初は通訳などを務めていたが、その才能を見込まれ一気に国際経済組織首席法律顧問へと上り詰めた。彼女の活躍に、当時総統だった李登輝も一目置いていたという。

 貿易交渉での経験は、彼女にとって、台湾が置かれている国際的な状況を深く知る機会になったと言われている。その後、経済部貿易調査委員会委員、対中関係を管轄する行政院大陸委員会委員などを務めた。1999年に李登輝が発表した中台関係の新定義、二国論(特殊な国と国との関係)の起草にも大きく関わったと言われている。

 この経歴が買われ、民進党が政権を取った2000年、当時の陳水扁総統のもとで大陸委員会主任委員(閣僚)に抜擢された。彼女はここで初めて「政治」というものを経験することになる。立法院(日本の国会に相当)の委員会答弁の場に初めて出ることになるわけだが、民進党の一挙一動に揚げ足を取り、批判してくる国民党議員の猛攻撃に最初は顔を固くして、何も答えることができなかった。

 当時、初めて政権を取った民進党はそのブレーンにと多くの学者や専門家を起用していたが、彼らの多くは論理や平静さをとはかけ離れた台湾立法院の壮絶な論戦、批判の応酬に耐え切れず、立法院を去っていた。しかし蔡英文はそこで多くを学び、論戦に耐えられるだけの話術と度胸を身につけたのだった。この経験は、政治家になった後も彼女を支え続けている。

民進党を立て直すために民衆に近づいた

 「故郷に戻り、親の面倒を見たいと思っています」。大陸委員会の任期が満了を迎えた際、蔡英文はメディアの取材に対しこう答えている。蔡英文の父親は、彼女がこれ以上政治の道を歩むことを望んでいなかったし、彼女自身もそれは避けたいと考えていた。

 しかし、長年、野党として国民党との闘争に明け暮れることに終始していた熱情的で喧嘩っ早い民進党の議員とは対照的に、常に冷静で論理的、理知的な蔡英文は弱冠40代でありながら「民進党には数少ないバランス感覚を持った人」として、必要不可欠な存在になっていた。

 「運命のいたずらとでもいうのでしょうか。周りが蔡英文を必要としていたのです。時代が蔡英文を『政治家』にしたのです」。蔡英文を良く知る評論家で元台湾総統府国策顧問の金美齢はこう語る。

 2004年に民進党に入党した蔡英文は、行政院副院長(副首相)などを務めわずか4年後の2008年には史上最年少で民進党主席になっていた。当時の民進党は、馬英九はじめとする国民党に政権を奪還された上、陳水扁およびその周辺が起こした汚職事件の騒動の渦中にあり、立て直しを迫られていた。自分より年上の党員が多い中、若い彼女が民進党をまとめられるのかと疑問視する党員も少なくなく、「最も党首に似合わない軟弱な人」と、同じ民進党の議員から揶揄されることもあった。

 汚職事件による混乱で結束力を失った民進党を再び一枚岩にするために蔡英文がしたことは、「自分が最も民進党の人間らしくふるまう」ことだった。

 民進党は今、病人のような状態になっている。病人が外に出て太陽の光を浴びて療養するのと同じように、自分も積極的に外に出て、民進党の姿を人々に知ってもらうことが、立て直しの一番の近道である。そのためには、事務所にこもって考えるのではなく、民衆に近づき、訴えなければならない。彼女はこう考えたのだ。

 この頃から彼女は、立法院の論戦で培った話術に磨きをかけ、民衆に訴えかけるために台湾各地の市場や繁華街を回って自分の顔を露出することに務めた。自分が民進党の「顔」であることを皆に知らしめるための戦略だった。この行為自体が、党内における自分の立場を強めることにもつながることを、彼女は知っていたのである。「台湾は主権国家である」「一辺一国」など、これまでの民進党の急進的な主張を引っ込め、現実的なそれを打ち出すようになったのもこの頃からだ。

 「党の事務所は冷房が効きすぎていてね。外にいるほうが楽よ」。各地を行脚する蔡英文にメディアが「慣れない仕事で大変ですね」と皮肉を投げかけた際、彼女はこう言い返している。ウィットに富んだ切り返しもできるようになっていた。

「現状維持」だけで不満は解消されない

 「学者」「官僚」としてのこれまでの自分を脱ぎ捨て、恐ろしいほどの順応力を持って党内立て直しをはかった蔡英文だったが、2012年の総統選では僅差で敗れた。それは冒頭で述べた通りだ。だが彼女が地道にやってきた「民衆に耳を傾ける」運動が決して間違いではなかったことを今回の選挙は証明した。

 勝利の女神は彼女にチャンスを与えた。馬英九は2008年から不調に陥っている台湾経済を「中台接近」という形で打開しようとしたが、失敗に終わった。足元の台湾の失業率は3.9%。2008年当時より高まっている。人々の本当の不満は「中台接近」ではなく「中台接近によって強まった経済悪化」である。これ以上の中台接近を阻止し、いくら現状維持を貫いたとしても、悪化する経済や雇用情勢を解決できなければ意味がない。

 台湾市民が抱えている根本的な不満に対し、どこまで蔡英文が近づけられるのか、その腕力が問われている。 

 2000年に「象牙の塔」から降り立ち、2004年に政治家に転身してからわずか10年余り。蔡英文のめまぐるしく変わる人生は、台湾で初めて総統直接選挙を実施し「台湾民主化の父」とも言われる李登輝とも似ている。彼もまた、台湾大学で教鞭を取る傍ら、農政問題をきっかけに政治に関わり始めた身であった。誰がこの時、彼が総統になると考えただろうか。

 台湾の将来は、蔡英文の「無限の可能性」にかかっていると言ってよいだろう。