中国・河南省・開封市・通許県の毛沢東の金像が撤去されました。造る方も造る方ですが、撤去する方も撤去する方です。中国には表現の自由がないことが、この1件で、1発で分かるでしょう。世界中の人がこのニュースを聞いてどう思うかです。中国には立派な法律は沢山できていますが、そのとおり運用された試しはありません。賄賂が物を言う世界ですので。PM2.5があれだけひどい状況になっても打つ手がないのは、法律を作っても誰も守らないからです。
確かに、毛沢東は大躍進時代、少なくとも2000万人の中国人を餓死させました。その後の文革でも知識人を迫害・粛清し、中国の発展に大きくマイナスとなることをしてきました。TVで「金像はネットで中国人からの大躍進・文革のことを批判されたから撤去」とか言っていましたが、嘘でしょう。そんな意見はすぐ削除されるハズです。でなければ天安門に掲げる毛沢東の肖像画も外すべきです。所詮、権力闘争の一部です。
でも柯隆氏のように日本にいる中国人は、自由な日本の中で、いろいろ調べた方が良いと思います。如何に中共が歴史を自分の都合よく、嘘で糊塗しているかが分かるはずです。ユネスコの南京虐殺の記憶遺産登録もロクに調べず1委員が認めたとのこと。多分買収したのでしょうけど。
http://www.sankei.com/politics/news/160110/plt1601100006-n1.html
因みに柯隆氏は南京生まれで大学も金陵科技学院です。金陵は南京の意味です。彼が南京虐殺に対してどういう立場を取っているかというと中国側の立場ですが。日本人だってひどいことをしたと思っている人の方が多いので仕方ありません。しかし、中国の出している資料は悉く東中野修道氏によって否定されています。挙証責任は中国にあり、証明されなければ日本は無罪で、中国はここでも歴史を改竄・捏造していることになります。中韓北と本当に碌でもありません。
http://www.fujitsu.com/jp/group/fri/column/opinion/201401/2014-1-4.html
ただ自由のない中国では、大陸に残した家族が人質になります。だから、なかなか本音は言えません。我が身だけでなく、家族の身も危うくしますので。毛の「百花斉放、百家争鳴」は見せかけで、後に反右派闘争の手段として使われます。それで身に染みて能力ある人間は文系の大学に行かず、理系で政治から遠去かっていました。90年代後半、小生が北京大の物理の教授と話した時も、大分話題に気を使いながら話していたのを覚えています。柯隆氏もこのような論文を発表すると、朱建栄のように中国大陸に拘留されるのではと心配になります。でも真実は真実、日本人が言うより、多くの中国人が言った方が、中国人は真剣に聞いてくれるでしょう。石平さん然り。古くは汪兆銘だっていた訳ですから。蒋介石が大陸を自分のものにしたかったから、汪兆銘と袂を分かち、英米に媚びた訳です。でも最終はスターリン、米国に裏切られ哀れな末路を辿りました。台湾国民にとっていい迷惑でしたが。
記事
中国・北京の毛沢東の肖像画(資料写真)
中国の旧暦では、まだ2016年になっていない。春節(旧正月)を迎えてはじめて新年になるのだ。
中国人にとって2016年はどのような年になるのだろうか。この設問に答える前に、まず自分にとっての2015年を振り返っておきたい。
これまでの1年間、筆者が集中的に読んだ本は、経済学の本に加えて中国の近現代史の本である。なぜなら、筆者が中国で受けた教育では、本当の歴史がまるで空白のようになっているからだ。
大学受験の勉強では歴史的事件の背景や意義ばかり暗記させられ、歴史上の事実の多くは教わっていない。歴史とは国、民族と文化の歩みであり、学者による意義づけよりも事実そのもののほうが重要だと考えている。
2016年は中国にとって、毛沢東(1893~1976年)が文化大革命(1966~76年)を発動してから50年目の節目の年にあたる。同時に、文革が終わってから40年になる重要な年である。今年はすべての中国人にとって、文革を検証し反省する年となる。そして、その後の鄧小平による「改革・開放」政策(1978年~)の始まりを記念すべき大事な年だといえよう。
2000万人以上を餓死させ中国文化を破壊した毛沢東
中国では「国父」といえば毛沢東ではなく孫文(1866~1925年)である。しかし、毛沢東はそれ以上の存在感を放っている。今でも中国では、毛沢東は公式に批判できない存在だ。
鄧小平が復権してから、共産党はいちど公式文献のなかで文革を否定する総括をしたが、その後、公の場で文革を発動した毛沢東の責任を追及することはタブーとなった。
皮肉なことに鄧小平自身も文革の被害者である。北京大学に在学していた鄧小平の長男は、文革の最中に迫害を受けて学生寮の上層階から飛び降り、命こそ助かったが下半身不随となった。
歴史的な事実を検証すると、毛沢東が犯したのは単なる過ちではなく、間違いなく犯罪であった。
まず、反右派闘争(反体制狩り)において数百万人もの知識人と共産党幹部が迫害された。革命時に共に戦った同士の多くも迫害され、殺害された。自殺に追い込まれたものも少なくない。
そして1950年代半ば、「英米に追いつき追い越す」ために毛沢東の鶴の一声で「大躍進」運動が繰り広げられた。農民が鉄鋼生産に動員された結果、農産物が収穫されず、59年から61年までの3年間、中国は大飢饉に見舞われた。公式の統計でもこの3年間において少なくとも2000万人が餓死したとされている。大飢饉で餓死した人数はもっと多いという人口学者や歴史学者もいる。
中国共産党の公式文章では、この3年間の大飢饉は自然災害によるものとなっている。しかし気象記録によれば、この3年間に中国で大飢饉をもたらすほどの自然災害は起きていない。自然災害ではなく人災が大飢饉をもたらしたのである。
大飢饉を招いた張本人は紛れもなく毛沢東本人である。しかし、毛は責任を負おうとはしなかった。党内で沸き起こった毛沢東への批判を封じ込めるため、文化大革命を発動した。
その直接な狙いは一番の政敵だった劉少奇である。政治には権力闘争がつきものである。通常、権力闘争は権力者同士の争いである。しかし毛沢東は全国民を巻き込んだ権力闘争を繰り広げた。その結果、劉少奇と直接関係のない学校の先生や共産党幹部も多数迫害された。
振り返ってみれば、文革のときに知識人や共産党幹部を迫害し、中国の歴史的な文化財を破壊し尽くした紅衛兵自身も実は被害者であった。彼らは貴重な青春時代を失い、若くして農村に下放された。元紅衛兵たちは、今、中国各界のリーダーとなっている。
歴史の逆戻りは許されない
1つの民族や国にとって歴史は木の年輪のようなものである。年輪の形を変えることはできない。しかし中国の近現代史は政治的な必要性から大きく書き変えられている。
歴代の中国指導者は「いかなる者も歴史を直視しなければならない」と訴えてきたが、なぜか学校教育のなかで教わる歴史は大きく歪んだものになっている。
文革の始まりと終わりの節目となる重要な年に際して今の中国を観察すると、危機はまだ去っていないことが分かる。というのも、毛沢東が残した負の遺産が中国を不安定化させているからである。
中国各界のリーダーの多くが元紅衛兵という現実から事態の深刻さが分かるはずだ。文革のときに青春期を過ごした者はまともな学校教育を受けておらず、まっとうな人格形成もなされていない。彼らは政治的必要性が認められれば、平気で人権など無視してしまう。
文革の世代は法律を無視する世代でもあった。習近平国家主席は就任してから、法治の強化を繰り返して強調している。しかし中国では司法の強化が遅れている。法律が強化されても、法律が順守されていないのである。
法の秩序が乱れる一番の原因は特権階級の存在にある。特権階級は法の訴追を免れることが多い。これは毛沢東時代から始まったものだ。逆に正規の裁判を経ずに政敵や“政治犯”などを投獄してしまうことも多い。
2016年は習近平政権にとって、1期目の政権を安定させて2期目の政権構築の準備を行う過渡期にあたる。しかし、「毛沢東と文革」の負の遺産をきちんと清算しなければ、法による統治は強化されず、社会は安定しない。習近平国家主席がどれだけ汚職幹部の撲滅に取り組んでも徒労に終わるだけだ。
近年、中国社会では、毛沢東の時代を評価し賛美する保守左派の動きが台頭している。これは中国社会の病根だといえよう。毛沢東を完全に否定しなければ政治改革は行われない。中国社会の不安定性は当面続くものと思われる。
柯 隆:富士通総研 経済研究所主席研究員。中国南京市生まれ。1986年南京金陵科技大学卒業。92年愛知大学法経学部卒業、94年名古屋大学大学院経済学研究科修士課程修了。長銀総合研究所を経て富士通総研経済研究所の主任研究員に。主な著書に『中国の不良債権問題』など。