3/2日経ビジネスオンライン 倉都康行『中国経済に吹く怪しげな風 社債、外貨準備そして地方都市の「変」』記事について

中国経済の数字は本当に信用できません。国も企業もですが。全人代で李克強は「製造業は中国が強みとする産業」「高付加価値型産業への移行を促す」と言ってますが、日本のように技術の蓄積もなく、強い中小企業がある訳でもありません。一朝一夕にできるものではありません。またインフラ投資で経済の数字を稼ごうとするのでは。固定資産投資がGDPの半分を占めていて実需がないというのに。

FTMデイリー(Follow the Money)に次の記事があります。「中国は2008年の債務が15.4兆$だったのに今は24兆$に増え、毎年借金が30%ずつ増えている。これは世界の歴史の中で、前例のない規模。また本記事は記者に報道させず、金利はいずれ暴騰するだろう。また熱銭(=外資)はキャピタルフライトしていて、監視強化かTARP(Troubled Asset Relief Program)が採られるだろうが、中国と世界は無傷ではいられない」という内容です。

http://ftmdaily.com/daily-briefing/011014/

それを裏付ける記事が2/2宮崎正弘氏メルマガ記事にありますので紹介します。

『「李嘉誠の「脱香入欧」(香港を捨てて欧州へ投資)が本格化   今度は英国通信大手「02」社買収へ動く」

香港最大財閥(世界富豪ランキングでも14位)の李嘉誠は旗艦の長江実業と和記を統合し、本社をケイマンへ移籍することは既報の通りだが、とりわけ英国ロンドンへの投資が勢いを増し、中核の不動産開発ビジネスから、つぎは移動通信事業への本格進出を果たそうとしている。

150億米ドル(邦貨換算1兆8000億円)を投下して、通信王手の「02」に買収をかけた。「02」社は英国最大の通信網を誇り、2006年にスペイン企業が買収した。その後、現金フローが悪く、有利子負債がかさんで経営状態が思わしくなくなり、身売り話が持ち上がっていた。現在ロンドンの当該管轄機構(日本で言う公正取引委員会)が審査を開始し、この買収が適当かどうかの判断を下す。

李嘉誠グループはすでに英国で「英国電力網洛」(英国で30%の電力供給)、「THREE電信」(顧客800万台)、「ノースアンブライン」(下水処理企業)などを買収しており、今回の「02」は移動通信企業として2400万台を抱える大手だ。

このように李嘉誠は、江沢民と親しかった政治的条件を利用して香港ばかりか、中国大陸で幅広くビジネスを展開してきたが、新しい梁震英・香港行政長官と折り合いが悪く、同時に江沢民の影響力低下にともなって大陸でのビジネスに見切りをつけた。

大陸内に保有してきた物件をほぼ売りはらい、もてあますキャッシュをカナダと英国の企業買収ならびにロンドンでの不動産開発プロジェクトに投資してきた。』

金や銀、土地等の裏付けもなく札を刷り、信用膨張させる仕組みが持続可能かどうかです。どういう幕切れになるのか?

記事

年初来、ウクライナ東部を巡る政府軍と親露派の戦闘激化や、ギリシアの新政権に拠る支援条件修正闘争など、ソブリン危機を想起させるニュースが市場の懸念材料とされてきた。昨年から引き摺る原油安も、ベネズエラをはじめとする産油国の財政や米国の新興エネルギー開発企業の資金繰りに重くのしかかっている。

 但し、株式市場では日経平均やナスダックが「今世紀最高の水準」を更新するなど、明るい兆しが見えている。懸案であった米国の利上げも、1月FOMC議事録では多くの委員が慎重な姿勢を示すなど先送りの可能性が囁かれ始めており、日欧が量的緩和を続ける中で、金融相場の継続を期待する向きも増えているようだ。

 だが、世界経済の成長ペースはいま一つ冴えない状況だ。加えて、独り勝ちと言われてきた米国経済にも利上げを躊躇させる状況が見えてきたとなれば、投資にも慎重さが要求されるのは当然だろう。高値圏で推移する株だけでなく、高利回りの債券にもデフォルト・リスクへの注意が必要な時期が近づいている。

 高利回り債券といえば、ジャンク債や新興国債が代表例だ。ジャンク債の隆盛は、金融緩和に加えて規制強化で銀行の融資姿勢が慎重になったという環境が支えてきた。また新興国債への資金流入は、ゴールドマンが掲げた「BRICs」という金看板と金融危機後の先進各国の中銀による量的緩和が、それぞれ投資家の背中を押したものである。

 こうした「高金利債券」への資金流入ペースを一層加速させているのが、先進国の債券市場における超低金利だ。欧州では約2兆ドルの国債がマイナス金利となり、スイスフランに至っては社債の世界にまでマイナス金利が押し寄せている。昨秋の日銀による追加緩和に続き、本年早々にはECBも遂に量的緩和に踏み込んだことで、世界中の投資家による「金利探しバブル」の勢いは強まる一方である。

 原油価格急落を受けて、エネルギー関連企業の発行残高が全体の17%を占める米国のジャンク債市場では、一部銘柄に売りが殺到しているが、超低金利が蔓延(はびこ)る債券市場では「高利回り商品人気」はまだ衰える気配がない。

 だが成長鈍化が企業業績を圧迫して経営破綻するケースが出て来れば、高利回り債券にも「調整局面」がやってくる可能性はある。特に新興国のドル建て社債は、ドル高という逆風にも揺さぶられて、リスクが表面化することも想定される。

社債大国中国が発した警戒シグナル

 OECDに拠れば、2013年における新興国企業の社債発行額は、2000年比約15倍4670億ドルに上った、という。2014年は恐らく2013年を上回る発行量があったものと思われ、BNPパリバはドルやユーロなどの非自国通貨建ての新興国社債発行残高は既に2兆ドルを超えている、と推計している。

 新興国の中でも大多数を占めるのが中国、ロシア、ブラジル、インドそしてメキシコの5カ国の新興国である。特にその半分近くのシェアを持つ中国企業の発行額は、2010年の236億ドルから2014年には1171億ドルと約5倍に急増するなど、その増加ペースには目を見張るものがある。

投資家が競うように新興国社債を購入してきた背景は、「新興国企業への高い評価」というよりも、前述したように低金利に喘ぎながらの「消去法としての投資」というニュアンスが強い。つまり、慎重な信用分析に基づいて健全なペースで社債発行が増えた結果とは言い難い。

 超低金利下に置かれた投資家は、いまやリスクに見合わぬリターンでも受容せねばならなくなっている。新興国社債投資の昨年のリターンは約5%とまずまずの水準を維持したが、実体経済を見れば成長率はペースダウンが鮮明であり、原油相場急落や地政学リスクそしてデフォルト率の増加懸念といった逆風が吹いていることを考えれば、合理的な投資水準としては10%前後の期待リターンが求められて然るべきだろう。

 だがそうしたレベルは超低金利下ではもはや現実的ではなく、割高だと思いながらもやむなく新興国社債を購入することになり、それが「新たな資産バブル」を生んでしまう。怖いのは、非合理的な水準に目が慣れて、潜在リスクへの感覚が鈍ってしまうことである(この点では、日本国債にも似たようなところがある)。

 そんな新興国社債に最初の警戒シグナルを発したのは、いまや社債大国ともいうべき中国市場であった。年初に、中国の不動産企業である佳兆業集団(Kaisa Group)が債務返済不能に陥ったと報じられたのである。

 銀行融資の返済と社債の利払いの双方で遅延を起こした同社は、事後的に100億ドル以上の債務を抱えていたことが判明したが、そのバランスシートの詳細は不明瞭でライバル企業への身売り案もまだ最終的に固まっていない。不動産業界が習主席の腐敗撲滅運動のターゲットになっていることも、市場不安を強めている。

 こうした企業のデフォルト懸念は、中国リスクの氷山の一角に過ぎない。また、為替がドル高に動けば、不動産業界でなくても外貨建て債務の返済に苦しむ企業が増えることは容易に想像できる。それは後述するように、人民銀行の「通貨政策」に微妙な影響を与えている。

超ハイペースで増加する中国の企業債務

 とはいえ、中国の金融システムに改善の兆候が見えるのも事実である。一昨年来、中国経済の時限爆弾とまで言われた「シャドー・バンキング」において、2014年の新規融資は前年比6%減少し、無節操な拡大にブレーキが掛かっているのはその表れだろう。こうした努力は評価されて良い。

 問題視されてきた理財商品の代替商品として、銀行の優良債権を組み入れたCLO(証券化商品)が急増していることも、金融健全化の証左とも言える。現時点では、鉄道などインフラ向け融資や優良企業向け貸出を原資産とする証券化商品として、健全な市場育成が図られているようだ。

 だが、金融商品開発には常に魔性が伴うことも忘れてはなるまい。投資家の強い需要を背景に、銀行のバランスシートに積み上がった危険な融資が証券化商品にこっそりと紛れ込むことを防げるかどうか、定かではない。

 特に現時点では、中国の銀行のバランスシートに「表面上は優良債権だが実質的には破綻債権」といった貸出が積み上がっているのは公然の秘密である。高格付けのCLOにそうした債権が入り込むこともあるかもしれない。

また、銀行融資であれ社債発行であれ、企業債務が超ハイペースで増え続けている構図に変わりはない。ゴールドマンに拠れば、同国債務残高の対GDP比は2008年の150%から2014年には250%と6年間で100%増となったが、その殆どが企業債務の増加によるものだ、という。

 日本のバブル期における負債増加も壮絶であったが、その企業債務の対GDP比は1980年の100%から10年後の1990年に130%まで上昇したに過ぎない。中国の企業債務増ペースは、半端ではない。

 中国政府は銀行の不良資産増を埋めるだけの体力は備えている、というのが中国専門家らのコンセンサスのようだが、ここ数年間に激増した社債の潜在的デフォルトのマグニチュードをどれほど織り込んでいるのか、判然としない。

国際資本も中国離れ

 中国経済のリスクを眺めれば、不動産や社債、銀行などの市場以外にも幾つかの点で怪しげな風が吹いていることが判る。同国への資本流入の急速なペースダウンはその一つであろう。それは、外貨準備の推移である程度推量することが出来る。

 急激な増加傾向にあった同国外貨準備高は、2013年末時点では3兆8800億ドルまで膨らんでいた。だが2014年には完全に伸びが止まり、昨年12月末時点では3兆8400億ドルと前年比僅かながら減少している。中国の米国債保有残高も、昨年末時点で1兆2443億ドルと前年末比で258億ドルの減少となっている。

 それは市場の人民元買い圧力が減少したことの表れであるが、その背景にあるのは輸出と投機資金流入の双方における鈍化であろう。特に後者に関しては、中国経済の先行き不安と密接な関係がありそうだ。

 2014年の公式統計では中国のGDP成長率は7.4%と発表されているが、機関投資家は殆どその水準を信用していない。7.7%成長であった2013年に7.5%の伸びを示していた全国電力消費量は、2014年には3.8%の増加に止まっている。それで7.4%の成長という数字はどう見ても整合性に欠ける。

 また昨年1-11月の国内鉄道貨物輸送量は前年同期比3.2%減少、鉄鋼生産量も2009年以来の低水準に止まっており、7%台の成長は明らかに「誇大広告」と言えそうだ。HSBCの製造業PMIも直近は2カ月連続で50を割り込んでおり、本年の成長率も実態的には5%程度との見方が増えつつある。

 日本企業が人件費上昇や日中関係の悪化などの影響から中国撤退を進めているのは周知の通りだが、国際資本も同様に中国離れを起こし始めている。中国もまた「新興国経済の失速」という点で例外ではない、との見方が大勢になってきたからだろう。

 それは、従来の「人民元先高観」という景色をすっかり変えてしまった。中国がドルペッグを撤廃した2005年以降、昨年1月までに対ドルで約37%上昇した人民元の相場は、そのピークであった対ドル6.0から現在は6.25前後まで減価しているのである。

 米財務省は「中国は昨年7月以来人民元安誘導の介入を止めている」との認識を示しつつ、逆に人民元の買い支えを行い始めた可能性を示唆している。昨今の奇妙な日中の値動きは、確かに逆介入の可能性を示しているように見える。人民元安の加速で企業の対外債務返済が苦境に陥ることを、人民銀行も警戒しているはずだ。

 中国には、急速な通貨安が資本流出加速を招くという警戒感もあるかもしれない。昨今のドル高や低金利の状況は、これまで積み上げ過ぎたドルと米国債を処分する良い機会ではあろうが、中国が「成長失速・企業破綻・資本流出」という最大の政治経済リスクに直面し始めたことは事実だろう。

歳入減の中で歳出を増やす地方政府

 そして、地方経済にも奇妙な風が吹き始めている。地方自治体は従来のGDP拡大一辺倒の方針転換を余儀なくされており、上海市のように、実際に成長率目標の提示を取り止めたところもある。

 だが地方政府は不動産市況の低迷で税収の激減に見舞われ、地方経済は不動産開発プロジェクトが行き詰まって、ともに苦境に陥っている。中央政府が謳う「投資から消費への成長モデル転換」など、すぐに達成できるはずもない。

 FT紙に拠れば、湖南省、河北省、陝西省の三省が今年の固定資産投資を2兆元超の規模に設定することを発表した、という。その金額は、河南省で前年比18%増、河北省は同19%増、陝西省では同20%と、いずれも前年の伸び率を上回っている。歳入減の状況が続く中で歳出は増加し、既に膨れ上がったその債務はさらに拡大方向へと向かいかねない。

 中央政府は昨年、地方自治体による借金増の隠れ蓑となっている融資平台(LGFV)への規制導入に動いたが、全面禁止になった訳ではなく一定の猶予期間が与えられている、と言われる。地方政府に「今のうちに出来るだけ借金しておこう」という動機が働いているのかもしれない。

 依然として投資がGDPの50%以上を占める中国経済において、さらに投資に依存する傾向が強まり、リターンを生まない負債額が膨張することになれば、7%成長という「張子の虎」の脆弱性は、益々顕になるだけである。

「実状が見えにくい社債」に警戒を

 もっとも、新興国問題は中国だけではない。ウクライナ停戦合意はもはや風前の灯であり、戦闘泥沼化に伴う同国の経済危機は目前に迫っている。欧米諸国が対露制裁の強化に向かえば、ロシア経済の困窮化にも拍車が掛かるだろう。また事実上の経済破綻国であるベネズエラがデフォルトする可能性は高い。当面のハードルをクリアしたギリシアも、国内での政治的不安が再燃するおそれがある。

 だがマグニチュードの大きさを考えれば、中国で危機が発生した時のインパクトほど深刻なものはないだろう。特に「情報が乏しく実状が見えにくい社債」は、これまで中国経済への懸念材料とされてきた「成長ペース失速」「不動産バブル崩壊」「銀行不良債権増加」「シャドー・バンキング不安」「地方財政赤字増大」といったキーワードと並べておく必要がありそうだ。

 社債問題が一国の経済を揺さぶるというのはピンとこないかもしれない。中国金融のレバレッジが飛びぬけて高い訳でもない。だが2005-6年頃、米国のサブプライム・ローンの証券化商品に懸念する声を殆どの人々が無視していたことを思えば、その教訓として中国の社債問題に一定の警戒感を抱いておくことは、決して無駄ではないだろう。

3/2産経ニュース 野口裕之氏『来日目的が観光から「敢行」に変わる日』記事について

一党独裁の共産中国の恐ろしさを書いた記事です。「観光客がたくさん来てくれて嬉しい」なんて思っていると痛い目に遭いますよということです。国防動員法はそれだけパンチがあります。大陸に残した家族を人質に取られるなら、刷り込まれている憎っくき日本人をやっつけた方が良いと思うのは道理です。中国にいる日本人もスパイ容疑で拘引されるでしょう。

日本人は人が良いので他人の悪巧みを想像できません。国際化の時代にあって、大きな欠点と思います。それと、主張すべきは即座に主張する姿勢が大事です。「和」の精神が通用するのは日本人の間だけ。言わなければ相手の言い分を認めたことになります。でも小生が2005年に中国から帰って来た時に、中国の実態を話した時のリアクションとは隔世の感があります。「人種差別主義者」「国粋主義者」とか言われましたが、今小生が中国について話しても誰もそういうことを言わないでしょう。10年かかりましたが、確実に日本人も変わりました。中国人の本質が理解できてきているからです。

敵の思惑を挫く予防措置と抑止力こそが大切です。敵国を持ち上げる日本のマスメデイア、親中・親韓の政治家に打撃を与えないと。マスメデイアは不買・受信料不払い、親中・親韓の政治家は落選させることです。

記事

2月24日までの1週間、中国の旧正月休み・春節を利用して雲霞のごとき中国人観光客が来日した。カジュアルな服装で札ビラを切る中国人が、小欄には肩章や襟章を付けた中国人民解放軍将兵と二重写しになった。

観光客には、休暇中の現役兵や予備役、民兵らが間違いなく存在しようが、わが国の法律と治安を守る限り入国を拒む理由はない。ただ「観光」目的が一転「敢行」目的に豹変するのなら、断固排除しなくてはなるまい。

国防動員法の恐ろしさ

殺到した中国人を目の当たりにして、2010年7月に施行された《中国・国防動員法》の条文を改めて点検した。法の上位に君臨する中国共産党の凶暴性が憑依したつもりで、法文・法理も「共産党好み」にウラ読みしなければ、国防動員法の恐ろしさは実感できない。

法律は、情勢次第で、観光客も、留学生も、研修生も、永住者も、日本を含め海外にいる中国人は騒擾・内乱を起こす侵略の先兵となれと、本国が発する司令を事実上担保する。

中国は平和の祭典・北京五輪を前に、長野市での聖火リレーで、チベット人大虐殺に対する世界の人々の抗議を嫌い、留学生ら3000~5000人(1万人説アリ)を大動員。「聖火護衛」と抗議ムードを薄め歓迎ムードを盛り上げる「サクラ」に仕立てた。国防動員法施行前の08年でこの動員力。日本に住む中国人は70万人、観光客は昨年240万人に達した。

中国人が善良であろうとなかろうと、動員は施行後、強制・義務となり、従わねば罰せられる。中国には親・兄弟が「人質」に捕らえられてもいる。春節期間中、世界の中華街で鳴り響いた爆竹を爆弾に替えられる法律。それが国防動員法が持つ裏の顔である。

法律の目的は《国防建設を強化し、国防動員制度を完全にし、動員業務の順調な進行を保障し、国家の主権、統一、領土の完全性や安全を守るため=第1条》。ということは、台湾が《統一》に反して独立を目指すのなら、法律の発動要件となる。台湾有事は日本に死活的影響をもたらすが、尖閣諸島(沖縄県石垣市)はじめ日本に対する直接侵攻もにらんでいる。

《国防勤務を担わなければならない》公民は《満18歳~満60歳までの男性/満18歳~満55歳までの女性=第49条》だが、後段が有る。

《次に該当する公民は国防勤務を免除する》として(1)託児所/幼稚園/孤児院/老人ホーム/障害者リハビリ施設など社会福祉機関に従事(2)義務教育課程の学校に従事(3)妊娠・授乳期間中の女性(4)勤務が遂行できぬ罹患者(5)労働能力喪失(6)国連など国際機関に勤務(7)県レベル以上の政府が免除-を列記する。

随分と“人道的”な条項で気味が悪い。日本の安全標語が《気をつけよう、甘い言葉と暗い道》と警告するように、中国が《甘い言葉》を発信しているときは「秘匿すべき“何か”」を埋め込んでいる。

「潜在力」に化ける観光客

国防動員法施行の4カ月前、6000強の無人島に網をかぶせた《海島保護法》を、中国が施行した背景も胡乱であった。表看板は島嶼の乱開発制限=生態系保護を掲げる“環境反故国”にしては珍種に属する法律。確かに開発で樹木が乱伐され、無謀な採石で「中国らしい」島が急増している。

ところが実態は、国連教育科学文化機関(ユネスコ)に生物圏保存地域=エコパーク登録された島にさえ軍事基地を造成。複数の国々が領有権を主張している島嶼も“保護下”に取り込み→海洋行政警察当局の警戒海域に指定→領域拡張=資源確保が強化された。

では、国防動員法における「秘匿すべき“何か”」とは何か。前述した海外に居る中国人に関する免除規定が《国際機関勤務》者以外、見当たらない点が気に掛かる。

半面、法律は第16・19・42条で《国防動員潜在力》の掌握・準備・維持を訴える。観光客/留学生/研修生/永住者の一部は《潜在力》へと化けるのではないか。

しかも《動員実施決定後、予備役要員は許可なく登録地を離れてはならない》が《既に離れている者は、兵役機関からの通知後(直ちに戻れぬなら)指定場所に出頭しなければならない=第32条》とある。

条文にハッとした。2013年11月、駐日中国大使館は在日中国人に「重大な緊急事態」に備えて連絡先を登録する旨通達した。法律のいう《指定場所》には大使館も含まれる…。大使館は海外における《潜在》戦力の掌握と、イザというとき、本国の命に基づき動員命令を発布する司令塔だと、小欄は観る。

ありえぬ「リマ症候群」

冒頭で触れた尖閣諸島はじめ南西諸島への侵攻緒戦では《潜在》戦力を動員。九州や沖縄本島での情報収集や騒擾、通信・金融・交通・医療インフラ破壊を狙うサイバー攻撃を仕掛ける戦法は効果的だ。

もっとも、大動員ではないだろう。専門性を伴う局地的隠密行動の上、敵地での専門家の非常呼集には限りが有る。実際、第49条は《特殊専門技術者は年齢制限を受けない》と徴用枠を広げている。第8条も《領土の完全性や安全が脅かされれば全国総動員》に加え《部分動員を決定する》と、別立てでわざわざ断る。

しかし、中国が法の施行主体であるから不気味なのであって、危機に備える安全保障体制自体が欠落するわが国は学習の必要があろう。例えば、国防動員法はヒト・モノ・カネを統制・徴用。《交通・運輸/郵政/電信/医薬・衛生/食品・食糧供給/建設/エネルギー・化学工学/水利/民生用原子力/メディア/国防用の研究・生産などの関連組織は、国防勤務を担わなければならない=第51条》とある。一党独裁の強制力とはいえ、羨ましい限り。

一方、この条文と前述の免除規定と併せ読むと、中国内の日本人も適用範囲に入る。人民解放軍高官は「国防動員法が発令されれば、外資や合弁会社にも適用される」と言い切っている。従わなければ、中国人同様に罰則を科せられるはずだ。

日本人はそれでも、中国市場にしがみつく。誘拐・監禁事件で、犯人と長時間過ごした被害者が犯人に次第に魅せられていく《ストックホルム症候群》を発症したかのように。逆に、監禁者が被監禁者に親近感を持ち、攻撃的姿勢を和らげるパターンを《リマ症候群》と呼ぶ。

言っておくが、中国はリマ症候群を患うほどヤワではない。

3/4日経 『米高官発言、韓国で波紋 「旧敵国中傷は停滞もたらす」』について

アメリカも韓国に手を焼いている様子がありありです。これで米軍相手の元慰安婦が米国で訴訟を起こせば面白いのに。どうしてアメリカでの日本軍の“いわゆる従軍慰安婦”だけ訴えるのか、理由が分からんと言うか、取りやすい所から取るという下種な考えからでしょう。法が予定している「正義の実現」には程遠い。それはそうでしょう。朝日新聞ですら誤報を認めたことに対してでも訴訟を起こすというのですから。事実認定の段階でアウトです。政府はキチンと否定する談話を出さないとダメです。それにしても福島みずほは何故米軍慰安婦をアメリカで訴訟するよう指導しないのですかね?戸塚悦朗、高木健一弁護士はどうして動かない?朴大統領の父の承認の下、国家管理で売春させたものです。これこそ、従軍慰安婦と言ってよい。韓国は小中華と言われるだけあって中国とやり方は同じ。自分がやってきたことを他人に押し付けます。

アメリカもいい加減見切ったらどうですか。アチソンのように朝鮮半島は防衛ラインでないと思った方がいいでしょう。韓国の米中二股外交、蝙蝠外交について国防総省は相当頭に来ているはず。普通の頭を持っていれば分かるはずなのに韓国の指導者にはそれが見えないようです。アメリカが手を引けば北朝鮮は待ってましたとばかりに南に侵攻するでしょう。同じ民族同士でやりあってほしい。他国を巻き込まないでほしい。

朝鮮人というのは集団でしつこく圧力をかけるのが得意です。中国の朝鮮族とつきあってそれが分かりました。組合のストが長期化するのもそのせいです。ヤクザとやり方は同じ。Blackmailです。圧力に屈してはなりません。時事通信OBの杉浦氏のシャーマン発言の解説がありましたのでそれも併せて掲載します。

リッパート駐韓米国大使の刃傷事件は間違いなくテロです。警察も黙認してやらせたのでしょう。シャーマン発言への意趣返しでしょう。安重根というテロリストが英雄になる国ですから。アメリカもよくよく考えた方が良いでしょう。こういう国と付き合うと碌なことがないと。

杉浦正章氏解説 『洞ヶ峠に厳しいけん制球』

慰安婦像を米国内にいくら建てようと、米外交までは左右できないというのが、米国務次官シャーマン発言によって証明された。韓国政府やマスコミに大きな衝撃を与えている発言は、中央日報が「米国の公式な立場と断定するには無理がある」と期待感を込めた分析をしているが、筆者の判断ではシャーマンの発言は韓国で言う「決心発言」、日本語では「確信的発言」だ。背景には、オバマ以下日韓関係改善に腐心をしてきた米国が、依然慰安婦問題など歴史認識を盾に日韓首脳会談に応じない大統領・朴槿恵にしびれを切らした事があるのだろう。中国台頭へのリバランス(再均衡)政策を展開する米国にとって、過去より極東の現実を重視することの方が格段に優先順位が高いのである。家康が洞ヶ峠を決め込む小早川秀秋に向けて発砲を命じて寝返らせたのと同じように、米国は慰安婦一点張りの朴に対するきついけん制球を投げたのだ。

 2月27日、国務省序列3位の次官・ウェンディ・シャーマンはカーネギー財団で戦後70年をテーマに講演した。そのポイントは「愛国的な感情が政治的に利用されている。政治家たちにとって、かつての敵をあしざまに言うことで、国民の歓心を買うことは簡単だが、そうした挑発は機能停止を招くだけだ」という点。次いで沖縄県・尖閣諸島を巡る日中間の緊張や日中韓の歴史認識に関する問題などについては「理解できるが、もどかしくもある」と述べた2点だ。まず発言にある「政治家」とは誰に当たるかだが、シャーマンは複数形で述べており、朴槿恵と中国国家主席・習近平を指すことは間違いない。しかし発言の流れを分析すればより朴に対する発言である比重が大きいことが分かる。「もどかしい」は、もういいかげんにせよといういら立ちの表現だ。韓国政界やマスコミもまるで驚天動地の反応だ。2日の国会外交統一委員会では野党議員が「大変驚いた。多くの国民が憤慨している。政府に適切な措置を求める」と発言。韓国最大手紙の朝鮮日報は3日付で「看過できない米国務次官の韓中日共同責任論」と題する社説を掲載。「米国の同盟国の指導者に対する無礼であり、中国に対する挑発だ」と怒りまくっている。

 傑作なのは中央日報だ。「発言のあちこちから『日本はそれなりに努力しているのに韓国・中国が国内の政治的理由でこれを受け入れない』という形の日本側論理が見られる」と強調。これだけは正鵠(せいこく)を得ている。揚げ句の果てに「日本はワシントンに韓米関係に溝を開けることを専門担当とする外交官がいるほどだという」と噴飯物の分析をしている。シャーマン次官発言が確信的である証拠は、きわめてセンシティブな問題に繊細な言葉遣いをしていることであろう。例えば慰安婦を「いわゆる慰安婦(so called comfort women)」と発言してクリントンの「性奴隷(sex slaver)」発言の表現をとるのを控えた。さらにシャーマンは「歴史教科書の内容をめぐってもお互いに意見の相違(disagreement)がある」と表現した。これは明らかに日韓の主張の相違を客観的に述べただけで日本に対する外交的配慮が見られる。従ってシャーマン発言は練りに練ったものであり、その基本は日韓関係悪化の主因は韓国側にあるという判断がある。

 米国にしてみれば、集団的自衛権の行使や日米ガイドラインの改正など安倍政権の日米同盟重視の姿勢は、オバマのリバランスにとって何物にも代えがたいものであろう。そのオバマが昨年斡旋して日米韓3か国首脳会談に持ち込んだ。米国としてはこれを契機に両国関係が改善すると期待したのであろう。しかし、朴の偏執狂的なまでに執拗な慰安婦問題執着で、日韓関係は進展しない。最新鋭の迎撃システムである「高高度防衛ミサイル(THAAD、サード)」の韓国配備も、朴は習近平のけん制を受けて態度が決まらない。アジア全体を見回せば、安倍の活発な外交で、中国包囲網が形成されつつある。簡単に言えば日本と韓国のどっちをとるかと言えば、極東の要は日本なのである。脆弱な半島国家より島国で「不沈空母」(中曽根康弘)を確保するのが米戦略のイロハのイなのだ。おまけに国家の力量から言っても経済力、軍事力ともに比較にならない。この認識がシャーマン発言の根底にあるのだ。

 韓国は外務省がホームページから「我が国と、自由と民主主義、市場経済等の基本的価値を共有する」との表現を削除したことについて4日、「日本政府が説明しなければならない」とのコメントを出したが、日本の韓国大使館は一体何をしていたのだろうか。この部分は安倍の施政方針演説で、とっくに外しているのであり、これを見逃して今頃クレームを入れても遅いのだ。産経のソウル支局長が在宅起訴されたいきさつを見れば、言論の自由を重視する民主主義国家としての韓国の有り様が疑われても仕方がない。従って価値観を共有できないのだ。「重要な隣国」が残っているだけでも有り難いと思わなければなるまい。そもそも朴の外交姿勢自体が見直されるべき時だ。朴は就任早々訪米してオバマの歓待、米議会での演説、クリントンの「性奴隷」発言、オバマの「ぞっとする人権侵害」発言などで、米国が自分を全面支持してくれているような錯覚をしてしまったのだ。今こそ外交の現実に目を向けるべきであろう。前大統領李明博も「歴代の韓国の大統領は任期後半になると、『反日』を使いながら支持率を上げようとする繰り返しだった。私はそういうことはしたくない」と述べておきながら、レイムダック化すると竹島上陸だ。朴にいたっては就任早々から「反日」を、シャーマンの言う「国民の歓心を買うこと」に使っているが、国民は馬鹿ではない。支持率は一時20%台まで落ち込んだ。

シャーマン発言を頂門の一針と心得、そろそろ自らが置かれた状況に気付くべきだ。

記事

【ワシントン=吉野直也、ソウル=小倉健太郎】シャーマン米国務次官がアジアの政治指導者らに対し、「旧敵国」を安易に中傷すべきでないという考えを示したことが波紋を広げている。韓国側が「日本への肩入れだ」と反発する一方、米側はその反応に「驚く」といった応酬が続いている。一連のやり取りは米韓両国の微妙な関係を映し出しているともいえる。

 「特定の国や指導者に向けられたものではなく、少々驚いている」。米国務省のハーフ副報道官は2日の記者会見で、シャーマン氏の発言を巡る韓国側の批判に反論した。さらに「日韓の建設的関係が地域の平和と繁栄に役立つ。歴史問題などを巡る米政府の立場に変化はない」と強調した。

 シャーマン氏は2月27日、戦後70年をテーマにしたワシントン市内での講演で「政治指導者が旧敵国をけなすことで安っぽい称賛を得るのは簡単だが、そのような挑発は前進ではなく停滞をもたらす」と述べた。

 このシャーマン氏の発言に韓国側は騒然となった。歴史問題において「日本の肩を持つ」(聯合ニュース)内容だと受け止められたからだ。2日の国会外交統一委員会では野党議員が「大変驚いた。多くの国民が憤慨している」と、政府に「適切な措置」を要求した。

 韓国外務省の趙太庸(チョ・テヨン)第1次官は「厳重な姿勢で対処する。(日韓の歴史問題に対する)米国の立場に変化がないことは確認済みだが、より具体的な説明を求めた」として一両日中にも米側から回答が来るとの見通しを示した。

 韓国最大手紙の朝鮮日報は3日付で「米国務次官の誤った歴史発言、このまま放置はできない」という社説を掲載。同盟国である韓国に「無礼」であり、中国には「挑発」になると主張した。米国に「公式の立場を明らかにする必要がある」と求めると同時に、米韓関係は韓国政府の言うような最上の関係ではないとも指摘した。その上で韓国政府に対応を促した。

 シャーマン氏の発言は米側の韓国側への不満を代弁しているとの見方が一般的だ。対北朝鮮や対中国を見据え、米側は日韓を含めた3カ国の連携を基軸に置いている。それにもかかわらず韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領は安倍晋三首相の首脳会談の呼びかけに応じていないからだ。首脳会談そのものを駆け引きの材料にする韓国側の姿勢にはかねて批判的だ。

 安倍首相が4月下旬に米国を訪問し、その際に米議会で演説をする構想に反対する韓国系米国人らが米議会関係者に見直しを働きかけていることも米側は快く思っていない。シャーマン氏の発言を巡り韓国側が米側への非難をさらに強めれば、微妙な米韓関係が一段と揺らぐ可能性もある。

3/2産経ニュース 櫻井よしこ氏の『「日本の歴史的蛮行」は中国自身の伝統的行動であることを世界に発信せよ』記事について

昨日の藤岡氏の記事の基になった櫻井氏の記事です。中国が如何に歴史を改竄・捏造してきたかです。中国の歴史は易姓革命の連続ですから「前王朝が如何に悪かったか」を記述しないといけない。そうなると嘘で塗り固める必要も出てきます。元々歴史と言う言葉は日本語から中国に伝わったという説もあります。勿論、「歴」と「史」という言葉は中国発ですが。漢和辞典で調べると「歴」は「順序良く次々と足で歩いて通る事」、「史」は「記録を記した竹札を筒に入れて立てている記録役の姿」とあります。日本発、中国発いずれにせよ中国の歴史に対する感覚は日本のように実証主義でなく政治闘争の道具と言うことです。それを日本人は良く理解しないと。

中国人の言う嘘に日本は断固として反撃に転じなければ、名誉は末代まで汚されたままです。戦後のいい加減な左翼リベラルの言に惑わされたツケが回っています。敵は十数か国語でないことないこと報道しています。貧しい国に寄付してCCTVの報道を見せつけ、日本の悪口を吹きまくっています。日本の地道な援助だけでは追いつきません。外務省から広報部門を切り離し、国際報道をする部署=広報省(NHKを傘下に置くのはダメです。左翼が多すぎ)を置いたらどうでしょう。当面は英・西・独・仏・露・中・亜の7カ国語で良いのでは。

しかし、村山や河野等のインチキ政治家のなした罪は大きい。売国奴です。罪万死に値するものです。両人ともその自覚がない所が恐ろしい。でも選んだのは国民です。彼らを否定する政治家を選んで日本の名誉回復を果たしましょう。

記事

戦後70年、中国が対日世論戦を激化させている。日本をファシスト国家と決めつけ歴史問題で攻勢をかける。

日本の最善の対処は中国の歴史を古代から現代に至るまでしっかりたどり、中国が直接間接に糾弾する「日本の歴史的蛮行」の数々が中国自身の伝統的行動に他ならないことを世界に発信することだ。

慰安婦問題に関して国際社会が日本非難の土台としている文書のひとつに、国連人権委員会特別報告者のクマラスワミ氏の報告書がある。

1996年2月に同委員会に提出された報告書には数々の「日本軍の蛮行」が列挙されている。実はそれらこそ中国人の所業であることを中国の歴史書が教えてくれる。

クマラスワミ氏が95年7月に朝鮮半島の慰安婦16人から聞いたという被害証言の中に北朝鮮のチョン・オクスン氏のものもある。チョン氏の証言は北朝鮮側から受け取った記録であり、クマラスワミ氏はチョン氏に会っていない。つまり、伝聞なのだが、その背景に、色濃い中国の影が見てとれる。チョン氏は次のように語っている。

 (1)反抗的な態度をとった慰安婦の少女を日本兵が裸にして手足を縛り、くぎの突き出た板の上で転がして血だらけにし、最後に首を切り落とした。その遺体を煮て、泣き叫んでいた他の慰安婦に食べさせると言った。

 (2)池を掘って水を張り、蛇でいっぱいにして慰安婦40人を裸にして突き落とし、蛇にかませて死なせ、最後に池を埋めた。こうして部隊にいた少女の半数以上が殺された。

氏は一連の証言を基に慰安婦問題はジェノサイド(大虐殺)と見なすべきだとの見解を打ち出している。

日本人は誰しも、これらは絶対に日本人の行為ではないと即座に断定するだろう。ここに描かれているのは私たちの文明には全くそぐわない。

一方、政敵や民衆に対してこのような苛酷な罰をいつも与えていたのが中国だったことが中国の歴史書、資治通鑑に書かれている。

前述の(1)くぎの板による無残な罰は、五代十国時代の閩の国の軍使、薛文傑が考え出した刑罰から始まっていた。罪人をくぎの突き出た狭い箱に入れて揺らして死にいたらしめる刑である。また人肉食、罪人も幼子も殺して食べる事例は数限りなくといえるほど、資治通鑑に記されている。

(2)の蛇の池の罰も五代十国時代の南漢という国の帝が考案した罰で、「水獄」と呼ばれていた。

慰安婦問題で日本批判の戦略戦術を立てているのは、実は、中国なのである。一方で、中国の実態は、現在習近平主席が挑戦する想像を絶する不正蓄財も、実は何千年来の中国の悪しき伝統であることが、資治通鑑によって明らかである。

クマラスワミ氏が報告した人間らしからぬ悪魔的所業は日本人の行為ではなく、中国人の伝統的手法だと、国際社会に証明するにはここに引用した資治通鑑をはじめ、中国の歴史書を忠実に英訳し、世界に紹介していくのがよい。敵を知り、その実態を広く知らせることが、私たちが直面させられている歴史戦に対処する基本である。

実は私はこの資治通鑑の内容を麻生川静男氏の『本当に残酷な中国史 大著「資治通鑑」を読み解く』(角川SSC新書)で学んだ。資治通鑑は司馬光が編んだ中国の史書で、紀元前5世紀から紀元1000年までの約1500年間の中国史を、全294巻1万ページで描いた大著である。毛沢東が17回読み返したという同史書の随所にクマラスワミ報告の世界が広がっている。

クマラスワミ報告の中の蛮行は、中国人の伝統であるのみならず、冊封国家として中国に従属し中華文明の影響を受けた朝鮮民族の行動様式でもあろうか。

私たちはさらに中国政府がチベット人、ウイグル人、モンゴル人をどのように痛めつけ虐殺しているかについても、そこから思いを致すことができる。

日本人はクマラスワミ報告をどのようにして読むのだろうか。外務省の和訳は公表されていない。そこで何人かは、村山富市氏が理事長を務めた「女性のためのアジア平和国民基金」の訳を見ているのではないかと思う。

だがその訳から、「蛇の池」の事例がスッポリ抜け落ちている。同基金は、2007年3月に活動を停止しており、省略理由を問うことはできなかった。

以下は私自身の推測だが、「蛇の池」は日本人にとってあまりにも荒唐無稽で、こんな話を入れればクマラスワミ報告への信頼が失われてしまいかねないと、彼ら(彼女ら)は恐れたのではないか。

アジア女性平和国民基金をはじめ、慰安婦問題で日本を糾弾する人々にとってさえ、報告書はそれほど信頼できないものだということか。

それにしても外務省はなぜ当時、反論しなかったのか。雑誌『正論』が昨年の6~7月号で掲載した外務省の反論書は立派にスジが通っている。それを、一旦、 人権委員会に配布した後、取り下げた。

村山富市首相がその前年に戦後50年の談話を 出しており、時の政権の意向が働いたにしても、外交官の誰一人、立ち上がって反論しなかったのは限りなく情けない。

首相も状況も変わったいま、私たちは中国研究を進め、中国文明の巨悪と、その対極にあるに違いない善なる側面も、見ていきたいものだ。中国研究を介し て「敵」をよりよく知り、日本の不名誉を晴らす大目的を実現するときである。

3/2藤岡信勝氏Facebookの『慰安婦関連』記事について

藤岡氏のFacebookの記事ですが、転載許可は取っていません。でも拡散することによって、一人でも多くの国民が国及び国民の名誉を守ることに覚醒して戴けたらと思い掲載します。

相も変わらず中国のプロパガンダはひどいものです。南京虐殺なんて日本の伝統・文化にはないのに、自分たちが犯した罪を他人に擦り付けるのが得意な人達です。基本的価値観は「騙す人が賢く、騙される人が馬鹿」ですので。岡田英弘氏の著作には確か中国の歴史を回顧すると人口が極端に減った時代が何度も出てくるとあったと思います。虐殺しなければそんなに人口が減るはずもない。日本がキチンと反論していかないと世界から「非倫理的」な民族の烙印を押されてしまいます。

韓国は民主選挙があっても、政府を批判できる言論の自由はないし、親日を表現できる自由も社会的になく、親日派の財産没収をしている事後法が当たり前の非法治国家です。基本的価値観が違うので、福沢諭吉の言ったように中韓とは付き合わないことです。

アメリカは原爆投下の原罪を糊塗するために、日本を悪者にしておきたいという意思が働くのでしょう。朝鮮人を残したのも災いの種を撒いて日本の弱体化を図ったのではないかとの説もあります。

記事

3月に入って、慰安婦関係の重要な記事・情報のリリースが群発しています。目についた主なものを、列挙します。

 ①2日付けの産経新聞に、櫻井よしこさんが、クマラスワミ報告の有名な残酷話2件は、中国の歴史書『資治通鑑』に出てくることを書いています。麻生川静男『本当に残酷な中国史 大著「資治通鑑」を読み解く』(角川SSC新書)に学んだとされています。そして、これからは中国史を調べて、その話の出典はこれこれだという形で残虐話に反論していくべきだと問題提起しています。

 実は私も全く同じことを考えていて、関連書も集めていたところです。通州事件の記録を読むと、日本人の想像を絶する鬼畜の蛮行が行われたことがわかります。日本人はそういう情報を公にすることをタブーにして出版しないのですが、通州事件と同じことが、チベットやウイグルの人々に対して今も行われているという観点から問題を捉える必要があります。日本人にとっては、苦痛極まりないことですが、目を背けずに調べる必要があるのです。

 ②2日発売の『週刊ポスト』(3月13日号)に、韓国の裁判所が「強制連行はなかった」と書いた韓国人の女性の研究者の著書に34箇所の削除命令を下し、事実上の発禁処分にしたことについて記事が載っています。その書物は、世宗大学・朴裕河(パクユハ)教授の『帝国の慰安婦』で、朝日新聞出版から昨年の11月に日本語の翻訳書が出ています。この記事も必読です。

 ③2日朝刊各紙は、3月1日に行われた朴槿恵大統領の「3・1独立記念式典」における演説で、慰安婦問題の解決を日本に求めたことを報道しています。「夕刊フジ」から電話取材があり、「日本はやるべきことはすべてやっている。これ以上やることは何もない。大統領も、具体的に聞かれると困るのではないか」とコメントしておきました。今日(2日)午後発売の同紙に載ります。

 ④1日付けの毎日新聞によれば、米国や韓国に住む元慰安婦が、3月中旬にも、カリフォルニア州のサンフランシスコ連邦地裁に、1人当たり2億4000万円の賠償を請求することを計画しているとのことです。注目されるのは、「当時の統帥権者として責任は免れない」という理由で、皇室を訴訟対象に含めることを検討していることです。

 ⑤1日発行の『ジャーナリズム』という雑誌に、秦郁彦先生の、朝日新聞第三者委員会のヒアリングを受けた体験記が掲載されます。私はこれから現物を探すので未見ですが、そうとう面白いらしい。この出版社が、皮肉にも朝日新聞社。言論弾圧と言われるので、文章には圧力を加えられなかったそうです。

 ⑥少し前のことになりますが、朝日新聞の2月21日と28日に、「布施広の地球議」という連載コラムが掲載されており、その中で、コネティカット大学のアレクシス・ダデン教授(女性)の言説が紹介されています。内容は、日本がパックマンのように周囲を侵略しているというお話。ダデンは例の19人の歴史学者の、マグロウヒル社教科書の慰安婦記述を擁護する声明のまとめ役と目されており、この声明に対しては近く日本側からリアクションが起こる模様です。

岡山典弘著『三島由紀夫外伝』を読んで

2/27三島由紀夫研究会があり、著者が講師でしたが、小生の不動産投資セミナー講師の仕事とバッテイングしましたので欠席しました。その代りと言っては何ですが、本を読むことにしました。麗澤大学の中国語(台湾女性が先生)の公開講座に通っていますので、大学図書館にあったものを借りて読みました。「正伝」ではなく「外伝」であり、武道の話や女性の話が中心で、面白く読み終えました。三島の別の面が見えて良かったです。

三島が今の時代、生きていたら何と言うでしょうか?「価値紊乱の時代」でしょうか?親殺し、子供殺しが平気で行われる時代です。善悪の判断を親がキチンと教えて来なかったからでしょう。外国文化や考え方を採り入れることに躍起となり、日本の伝統的な価値観を蔑ろにしてきたツケが回っています。

しかし、中共の女スパイに籠絡された橋龍は人間的にもダメな奴ですね。ペルー人質事件の時には、職員にアンパンを配るだけで、「アンパン宰相」と揶揄されていました。彼の秘書官をしていたという維新の江田憲司も推して知るべしです。

内容

私は笹森順造先生の審判の下で、作家の三島由紀夫と試合を組まされたことがありました。笹森先生の「始め!」の声で二人は立ち上がり、しばし睨み合い、そして盛んに打ち合いとなりました。結局試合は一本一本の勝負から引き面を取られて、私は三島さんに敗れたのですが、 どんなに叩いても、旗が上がらず納得がいかなかった私は、試合のあとで笹森先生にその理由をお伺いしました。笹森先生は、「お二人とも、まだまだ修行が足りません」とだけ言われました。(橋本龍太郎『燃える剣』)

笹森順造は、青山学院院長、衆議院議員、復員庁総裁、賠償庁長官などの公職につくとともに、剣では小野派一刀流の宗家であった。

橋本の回想は石原の記述ほど酷くはないが、“スタイリスト橋龍”特有の格好づけや、過去を美化しようとする.心理が働いているように思われる。信頼できるのは、二人の対戦を実際に見た第三者の証言であろう。

サンケイ新聞政治部記者の加地富久は、剣道六段、居合道四段であった。渋谷警察署の道場で吉川から三島を紹介された加地は、以後、三島と一緒に道場で汗をながした。

四十一年の春、参院議員会館の道場で三島グループと国会議員グループとの親善剣道大会が開催された。これは、三島氏が「代議士と一度お手合わせをしてみたい」というので、私が園田直代議士に呼びかけて開いたものである。このとき三島氏は橋本龍太郎四段と試合をした。

笹森順造範士(一刀流宗家)の立ち合いで「拝見」の形式で十分間ほど手合わせをした。

すべり出しは橋本代議士がいきなりコテを取って優勢だったが、時間がたつにつれてしだいに三島氏が橋本氏を圧倒し、最後は真っ向唐竹割りに橋本氏のメンを打ちすえて、「それまで」 となった。 (加地富久「三島氏の気魄の剣」)

この試合の写真は、雑誌「20世紀」(一九七一年二月)に掲載された。確かに白い剣道着姿の三島には全身に気魂がみなぎって、橋本を圧倒している。

加地によれば、道場での三島は礼儀正しく、風格ある剣士だったという。白の袴と白の胴衣を着用した三島の姿は、ひときわ颯爽としていたという。稽古の前は、いつもきちんと正座して防具をつけしばし瞑想するのが常だったという。三島の剣を一言でいえば、“気魄の剣”であったともいう。

自衛隊の河面博士二曹は、三島が富士学校に体験入隊をしたときに助教をつとめたが、五番勝負の手合わせで三島に敗れている。「話の特集」の編集長•矢崎泰久は、三島に原稿依頼に行ったところ剣道場に連れ出され、面を強烈に打たれて悶絶した。

三島と立原正秋との剣の対決は、ついに幻に終わった。実現していれば、どうなったか。立原の剣は虚仮威しに過ぎない。一方、三島の剣は命を賭した“気魄の剣”である。両者、しばし睨み合い。詰まる間合い。裂帛の気合。竹刀が一閃!刹那、三島の剣が、立原の面上をしたたか打ち据えたであろう。

昭和三十四年(一九五九)三十四歳

四 美智子様の御成婚を祝するカンタータ

皇后陛下の美貌と才知は、学生時代から際だっていた。

三島は、聖心女子大学時代の美智子様を見て心を奪われた、という説がある。そして、二人は歌舞伎座で見合をしたともいう。

「と言ってもね、正式な見合ではなかった。まとまらなくても、どちらにも疵がつかないよう、 歌舞伎座で双方とも家族同伴で芝居を見て、食堂で一緒に食事をした。それだけでした」

(徳岡孝夫『五衰の人』)

「先生、見合い、したんですよね」

「正式のものではない。歌舞伎座で偶然隣合せになる形だ」

(村上建夫『「楯の会」で見た三島由紀夫』)

「三島さんと美智子さまはウチの二階でお見合いしたんだよ」と、かつて本誌(週刊新潮)に語っていたのは、銀座六丁目の割烹「井上」の女将.故井上つる江さんだった。銀座の路地裏の小さな割烹の一室で未来のお妃と将来の大作家が、互いに向かい合っていたのである。ちなみに「井上」は国鉄のキャリア官僚たちに愛された店である。

(「美智子さまと三島由紀夫のお見合は小料理屋で行われた」)

昭和三十四年四月十日は、皇太子殿下と美智子様の御成婚の日であった。

「祝婚歌カンター夕」は、三島が作詞をして、黛敏郎が作曲した。管弦楽NHK交響楽団、指揮はウィルへルム・シユヒター、合唱は東京放送合唱団•東京混声合唱団•二期会合唱団で、黛がオンド・マルトノを演奏した。同日の夜七時三十分からNHKホールで演奏され、テレビで放映された。 昭和二十七年に皇太子殿下が成人を迎えられたとき、三島は「最高の偽善者として——皇太子殿下への手紙」と題する公開書簡をおくっている。

殿下の結婚問題についても世間でとやかく云はれてゐるが、われわれには自由恋愛や自由結婚が流行してゐるのに、殿下にその御自由がないのは、王制の必要悪であって致し方がない。 王制はお伽噺の保存であるから、王子は姫君と結婚しなければお話が成立たないのだ。

(三島由紀夫「最高の偽善者として——皇太子殿下への手紙」)

昭和四十六年(一九七一)没後

二十九 森秋子の全裸の『サロメ』

三島の半生は、魅力的な女性で彩られていた。

『仮面の告白』に登場する園孑のモデルで、初恋の人•三谷邦子。『鏡子の家』の主宰者・湯浅あつ子、その妹の板谷諒子。秘めた恋の全貌が岩下尚史の『ヒタメン』で明らかにされた後藤貞子。旅行ジャーナリストとして大成した兼高かおる(ローズ)。鹿島建設の経営者の令嬢・鹿島三技子。川端康成の養女•政子。林房雄の二番目の妻の連れ子・京子。岸田國士の娘で女優の岸田今日子。三島の手紙をマスコミに公関した政治家の紀平悌子。三島との接吻や旅行の思い出を評伝で明らかにした実業家の松田妙子。三島の戯曲『燈台』に主演した女優の関弘子。松竹社長秘書の長島ひさ子、堂上華族の家柄で、レストランを経営した東久世壽々子。加賀百万石・前田侯爵家出身のエッセイスト酒井美意子。シャンソンの女王・越路吹雪……。

余り上手くない字を、ペン習字で猛練習して、すぐに臣三島由紀夫拝、などと書いたラブレターを、相手かまわずせっせと書きつづけていた。

この手のラブレターを、大手建設会社の令嬢、ミスM・K、そして代議士令嬢で、母がドイツ人のハーフ、ミスH • K (在アメリカ)に送り、さらに後には紀平悌子女史にまで名乗りをあげられ、選挙運動などと世間ではおっしやっていたようだが、あの彼の筆まめさから考えあわせれば、嘘とは思えない。 (湯浅あつ子『ロイと鏡子』)

独身時代の三島は、銀幕の高峰秀子を好ましく思った。秀子の方では、ブリリアントな才人が好きだった。昭和二十九年に二人の「希望対談」が実現する。

高峰:みんな自分で稼いだ。だから、今さら亭主に頼っちゃおうという気持はないわよ。誠実な人で、人間としてピカッとしたものを持っていればいいと思うね。

三島:僕は、ちよっと悪い奴が好きだな。そうでないと、退屈しちゃうよ。

高峰:でも、くたびれるわ。三島さんは、どんな人を選ぶの?奥さんに。

三島:僕なんか、姉さん女房で、何でも世話をやいてくれないと困る。年が必ずしも上でなくても、性格的にね。

高峰:私はよく世話をするわよ。献身的よ。好きな人と結婚したらね。いまの仕事だって、好きな夫が「やめなさい」って言えば、はい、と言ってやめちゃうな・・・。食っちゃえ。

(高峰さん、腕を伸ばして、三島先生のお膳に残されているほうれん草を食べる)

(三島由紀夫VS高峰秀子「映画•結婚を語る」)

秀子の積極的なアプローチには驚く。

「食っちゃえ」と三島の膳の上のほうれん草をとって食べるに至っては、“求愛”行動以外の何ものでもない。秀子の鋭い太刀筋に、三島は「合わせ面」を打つこともならず受け太刀一辺倒である。業を煮やした高峰は、三島を「あんた」呼ばわりする。「じゃあんたは、どうして結婚しないのよ」「必要がないもの」三島らしからぬ答である。これは大女優の迫力に気押されただけでなく、すでに後藤貞子という理想の恋人を手に入れていたからに違いあるまい。

決して三島は、美女が嫌いではなかった。いや、むしろ佳人•麗人が好きだった。 「僕は不感症の女の人を直したことがあるんだよ」

『沈める滝』『音楽』の作者である三島は、編集者の小島千加子にこんな自慢をした。 「英子、僕は君が欲しい。僕のそばにいなさい」

『喜びの琴』をめぐる脱退騒動の際、三島は村松英子に告げた。この言葉は、劇作家.演出家が女優にかける言葉ではなく、男の情感がこめられているように思われる。『班女』『鹿鳴館』『朱雀家の滅亡』『サド侯爵夫人』『癩王のテラス」『薔薇と海賊』など、三島戯曲のヒロインを、英子は次々と演じた。

そして森秋子は、三島が生涯の最後に選んだ女性である

山口昌子著『フランス人の不思議な頭の中』を読んで

1/31「士気の集い」で山口昌子氏の講演時に買った本です。会計をしていて殆ど話が聞けませんでしたので。フランスと言えばフランス革命、「自由・平等・博愛」、アラン・ドロンくらいしか思い出せませんが、国歌が中国と同じ血腥いものであるとは知りませんでした。因みに中国の国歌は

起来!不愿做奴隶的人们!(起て!奴隷となることを望まぬ人びとよ!) 把我们的血肉,筑成我们新的长城!(我らが血肉で築こう新たな長城を!) 中华民族到了最危险的时候,(中華民族に最大の危機せまる、) 毎个人被迫着发出最后的吼声。(一人ひとりが最後の雄叫びをあげる時だ。) 起来!起来!起来!(起て!起て!起て!) 我们万众一心、(我々すべてが心を一つにして、) 冒着敌人的炮火,前进!(の砲火をついて進め!) 冒着敌人的炮火,前进!(の砲火をついて進め!) 前进!前进!进!(進め!進め!進め!)

日本の「君が代」のトーンとは全然違いますね。日本のリベラルなマスメデイアはすぐ「平和」「平和」と言いますが、中国の国歌を知っているのでしょうか。共産中国に対抗できる軍事力を持たせないように足を引っ張る意図でしょう。彼らこそが戦争を起こしやすくしているとも言えるでしょう。バランスオブパワーの考えでないと、強い方が弱い方に戦争を仕掛けます。

この本を読めば、フランスも戦勝国とは思えませんね。ドイツ人にしてみれば信じられなかったでしょう。それと同じ意味で中国が戦勝国と言うのも日本人には信じられなかったと思います。首都南京まで陥落させ、蒋介石は奥地に逃げ、毛の共産軍は長征で逃げ回っていただけです。日本は軍事ではアメリカに負けただけです。

国連の改革案でP5以外の国には「拒否権」を与えないのであれば意味がないでしょう。そもそも国連の存在が必要あるのかどうかから議論すべきです。戦勝国クラブと言われるように70年前のことで既得権益を持ち続けるのでは。ましてや「敵国条項」があるのに、負担金だけは多く払わされている。こんな馬鹿げたことはない。基本的価値観を同じくする国と同盟の輪を広げ、中国を封じ込めるのが良い。

記事

国歌「ラ・マルセイエーズ」は軍歌 国歌はフランスの存在理由

フランス人の枕詞には「エレガント」「粋でシック」「気障」、あるいは「老獪」などがよく使われるが、「好戦的」という枕詞はあまり使われていないようだ。ところが、実際は極めて「好戦的」な国民である。モードやグルメなど文化面でのイメージが強く、どちらかというと軟弱な印象を与える「おフランス」の国民だと勘違いして接すると、ショックを受けること請け合いだ。フランスの国歌「ラ・マルセイエーズ」はその証左だ。フランス流血革命中に生まれた軍歌とあって、歌詞の隅々までが好戦性に満ち溢れている。

♪いざ祖国の子らよ 栄光の日は来たれり

われらに向かって圧政の血塗られし軍旗は掲げられたり・・・・・      

聞こえるか、戦場で、あの獰猛な兵士どもが唸るのを?

奴らは我らの腕の中にまで君らの息子を、妻を、殺しに来る♪

好戦的で挑発的な歌詞の後には、以下のリフレィンが続く。

♪武器を取れ、市民諸君!隊伍を整えよ、進もう!進もう!

不浄なる血が我らの田畑に吸われんことを♪

「ラ・マルセイエーズ」は七番まであるが、該当の部分を引用すると、

♪フランス人よ、われらがため、ああ!何という屈辱!

いかほどの激情を搔き立てることか!♪

♪何と!外国の軍勢が、

我らの故郷で我が物顔に振る舞うとは!♪

♪手を鎖でつながれ、くび木をつけられし我らの首が屈すると!

卑劣な暴君どもが

我らの運命の支配者になりおおせると!♪

♪我らの旗のもと勝利の女神が

御身の雄雄しい歌声を聴き駆けつけんことを!

瀕死の敵どもが

おん身の勝利と我らの栄光を見んことを!♪

仏独は政略結婚

ドイツは第二次世界大戦の負い目を戦後、あらゆる面で背負い、農業大国フランスがかなりの恩恵を受けている共通農業政策では黙って加盟各国最大の負担金を支払ってきたが、戦後生まれのシユレーダー首相は一九九八年に就任した時、たまりかねたのか、「もう戦後半世紀を過ぎたのでフランスに借りはない」と言って、フランス人から総攻撃を受けたことがある。

ドイツ人が心の奥底のどこかで第二次世界大戦で早々にナチ•ドイツに敗北したフランスが戦勝国であることに釈然としていないことは次の逸話からも窺える。一九九〇年九月に東西ドイツの最終合意文書が東西両ドイツと戦勝四ヶ国(米英仏ソ)による六ヶ国外相会議で調印された時、当時の西独首相ヘルムート・コールは声明文で、戦勝国側のフランスの名を書き忘れ、「コールよ、お前もか!」とフランス人を嘆かせた。

この逸話には前例があるからだ。一九四五年五月八日、ドイツが第二次世界大戦の降伏文書に調印するために着席した時、ドイツ代表カイテル元帥は戦勝国側の席に、フランス代表のラトル•ドタニシー将軍が座っているのを見て、「なんだ、フランスもか!」と叫んだ。元帥としては皮肉ではなく、心底、ドイツが四年間も占領していたフランスが戦勝国とは信じ難かったのだ。コールとミッテランは右派、左派の党派を超えて仏独中軸を自負して欧州統合の牽引力の役割を果たし、個人的にも親密な関係だった。二人が一九八四年に第一次世界大戦の激戦地ヴェルダンの記念碑に手を取り合って深紅のバラを献花し、永遠の友好関係を誓ったシーンも記憶に新しかった。ミッテランの外交上の最大の外交失点と指摘されているのはべルリンの壁崩壊直後に当時はまだソ連だったキエフに飛んで、ソ連大統領ゴルバチヨフと会談したことだ。東西ドイツ統一により「強国ドイツ」の復活を恐れ、フランスは本心では統一に反対だったのではないか、との疑念をドイツはもとより世界中に与えたからだ。仏独協力条約(エリゼ宮条約、一九六三年)を無効にしかねない浅はかな行動とフランスのメデイアからも批判された。

仏独関係がいまもって「恋愛結婚」ではなく「政略結婚」と言われるゆえんだ。

 

「ノルマンディー上陸作戦」を敢行したのは米英らの連合軍だが、ドゴールはレジスタンスの自由フランス軍とともに最終部隊として六月十四日に上陸した。その後の約一ヶ月は上陸直前に樹立した臨時政府を米英など各国政府に承認させるために各国を回って外交戦略を展開して帰国。八月ニ十五日にはパリ市庁舎のバルコニーから有名な「パリ解放」の演説を行ない、《フランス軍の協力の下に……戦闘するフランスの……支援と協力の下に解放された》と述べ、自由解放 にフランス軍が参加していたことを指摘し、「戦勝国」入りの準備をした。そのうえで、ドゴールは「共和制の復活」を宣言するものと考えていたが、ドゴールは「共和制は続いている。ヴィシーは無効」と言い放った。つまり、フランス共和国はドゴールが率いるレジスタンスとともに存続中との認識を示した。フランスの勝利国としての正統性とフランスが戦勝国の仲間であることを強調した。

ドゴールが「戦勝国フランス」を強調したのは一九四五年当時のアメリカのカナリー上院外交委員長が、国連安保理の構成問題が取り上げられた準備委員会で米英ソ中の四ヶ国の常任理事国を主張し、「四ヶ国は世界の残存のために血を流したが、フランスは今度の大戦で小国の役割しか果たさなかった」と指摘してフランスの常任理事国入りに反対したように、フランスを「勝利国」とみなす認識が一般的に薄かった。ドゴールの政治力がなかったら、フランスが果たして無事に「戦勝国」入りして常任理事国の地位を獲得できたかどうか——。 一九八九年のベルリンの壁崩壊後、国連改革の主要議題は、「東西統一をなしたドイツや経済大国の日本らを常任理事国に加えるべし」とする常任理事国拡大論だ。ところが五ヶ国内では新規常任理事国は「拒否権」は伴わない、というのが暗黙の条件となっている。五常任理事国の「拒否権」が、いかに国際社会で重みをもつかの実例は枚挙にいとまがない。冷戦時代にソ連が連発したことは記憶にまだ新しい。最近ではロシアや中国が、民間人への殺戮が続くシリア独裁政権の反体制派への武器支援や場合によっては軍事介入を含めた制裁決議に反対して、国際社会をやきもきさせた。

暗殺未遂三十一回

実はドゴールはフランス国内でも、軍人をはじめ政治家、経済界、知識階級などのいわゆる支配階級からは生前、特に戦争直後は嫌われていた。軍人がドゴールを嫌ったのは、「特権を奪われた」(歴史家の才デイル•リユデル)と感じたからだ。ドゴール自身も軍人でありながら、実は軍人を嫌っていた。二つの大戦を通じて凡庸で愚鈍だった軍人に失望していたからだ。レジスタンスのフランス国民解放委員会の共同委員長で米国に気に入られていた五つ星将軍のアンリ•ジローから「貴殿は政治の話ばかりしている」となじられた時、「戦争とは政治です」 と即答し、ジローの政治音痴ぶりを軽蔑している。

一方、政治家はドイツの占領に加え、ヴイシー政府の対独協力という同胞同士の「裏切り」で非難され、精神的に深く傷ついていたので、ドゴールに頭が上がらず、それゆえに嫌った。

経済界もドゴールの産業復活のための国営化政策で打撃を受けたうえ、既成の政治家との人脈が役立たなくなったことでドゴールを恨んだ。

知識階級は「軍人は愚か者」と思って蔑視していたが、第二次世界大戦に至る過程ではヒトラーの野望を許したミユンへン会議(英仏独伊がミュンへンでナチ・ドイツのチエコスロバキア・ズデーデン併合を巡る会議で最終的に併合を決めた)が代表する宥和政策に反対しないどころか同調し、レジスタンスにも大半が参加しなかったという負い目からドゴールを嫌った。ドゴールを「小ヒトラー」と呼んだ知識人の代表ジャン・ポール・サルトルもその一人だ。「ドゴールがフランスの伝統的知識人であるばかりか彼らよりずっと頭脳明晰だったことへの嫉妬から」 (哲学者のアンドレ・グリュックスマン)というわけだ。日本のいわゆる知識人にドゴール嫌いが多いのは、彼らにとっての神・サルトルの影響がありそうだ。しかも、気まぐれなフランス人は「喉元過ぎれば熱さ忘れる」で「救国の士」の恩恵をたちまち忘れた。一方で、戦争レジスタンスに参加したのは「国民の一パーセントにも満たない」(ジャーナリストのフランソワーズ・ジルー)少数派で大多数は「一キロのバ夕―のためにさっさと対独協力に走った」 が、戦後は誰もがレジスタンスに参加したような顏をし、レジスタンスものの映画などが現在に至るまで大人気だ。

ドゴールはこうした四面楚歌の中で一九四六年にレジョン・ドヌール章に関する些事で、ヴイシー政府の残党から批判されたことに嫌気がさして、第四共和制の首相の座をさっさと辞任した。政界に復帰したのはアルジェリア戦争の真っ最中の一九五八年だ。アルジエリアは一八三○年以来、フランスの植民地だったので、一般のフランス人にとってはフランスの一地方ぐらいの認識しかなかった。当時、アルジェリアには一千万人のアルジエリア人と仏軍五十万、 約百万人のフランス人が生活しており、大半のフランス人にとってアルジェリアの独立は想定外だった。その結果、アルジェリアの民族解放戦線(FLN)と仏軍の戦闘は四年目を迎え、泥沼化の一途をたどっていた。時の左派系の第四共和制の政府には解決する能力がなかった。

アルジェリア戰争で再登場

当時の大統領ルネ・コティが一九五八年六月に「フランスで最も揮かしい人物」としてドゴールに首相就任を要請し、ドゴールは国民議会で大差の信任を得て、首相に就任した。同四日 にはアルジェリア総督府のバルコニーから総督府前の広場を埋め尽くした大群衆を前に演説し、「諸君のことは理解した!」と叫んだ。この言葉はアルジエリア独立反対の「フランスのアルジェリア」派と、アルジエリアの独立を支持する「アルジェリアのアルジェリア」派の双方から、「自分たちが理解された」と手前味噌的に解釈された。その結果、双方がドゴールに裏切られたと考えたが、特に軍人を中心にした独立反対派からはドゴールが軍人であるだけに、 「裏切られた」との思いが強かった。中にはレジスタンスに参加した軍人もいた。その結果、ドゴールは仏軍残党の極右勢力で構成された「秘密軍事組織(OAS)」から三十|回も暗殺の対象となった。

2/26大礒正美メルマガ『アベ包囲網を招いた外交無反省』について

外務省は国を売ってきた連中と言うことでしょう。エリートと言われる人達が如何に安逸に身を委ねてきたことか。そこから堕落が始まってきたのでしょう。大礒氏のようにアメリカ全体が日本封じ込めに動いているとは思えません。勿論、中韓の工作があるので、反論は続けていくべきと思いますが。何もしないで過ごすことは日本にとって悪いことという価値観を日本人全体が持たないと。「寝た子を起こすな」という議論は得てして日本を攻撃する側に有利に働きます。何故か?国際社会では反論する機会があるのに何もしなければ追認したとみなされる暗黙と言うか明示のルールがあります。日本が不利になるだけです。日本社会が全体として戦う社会にならないと難しいですが。皆で戦いましょう。

記事

 安倍晋三首相は2月12日の施政方針演説で、「戦後以来の大改革」「農政改革」など、「改革」を36回、列挙して話題となった。 その意欲は分かるが、いちばん肝心な「外交の改革」に触れていないのは、どうにも解せない。

 戦後70年にして、日本の外交が失敗続きであることは、ほとんどの国民にも理解されつつある。今夏に予定されている安倍談話に、同盟国のアメリカが、中国、韓国とほとんど同じ牽制と圧力をかけていることが、その失敗がいかに大きなものかを物語っている。

 外務省や外交官個人の能力に、すべての責任を負わせることはできないが、今日の外交敗北の遠因を探ると、1941年12月、日米開戦の通告を指定時刻に米政府に手渡すことができなかった時点に遡るべきだろう。

 これでルーズベルト大統領は、米国民に対して「卑劣な奇襲を忘れるな」と刷り込むことに成功した。もし、駐米日本

大使館がハワイ奇襲までに開戦通告を果たしていたならば、その後の戦況も、戦後の対日関係も大きく変わっていただろう。

 この「卑劣な日本人」という刷り込みが、現在の安倍首相に対する「歴史修正主義者」というレッテル貼りに、ダイレクトに結びついていると考えられる。日米同盟関係の深化を謳いながら、実は東京裁判を否定し、米国製の秩序を覆そうとしているのではないかと、本気で疑っているのである。

 ナイ、アーミテージを始めとする対日専門家(ジャパン・ハンドラー)のほとんどが、突然のように変心し、韓国の代弁者として日本に当たり始めたのは、まさに日本外交の失敗以外の何ものでもない。

 今や知らない日本人も多くなったが、真珠湾攻撃の最中に、まだぽつんぽつんとタイプを打っていた大使館員は、のちに処分されるどころか、2人が外務官僚トップの事務次官に栄進している。反論もあるが責任を取った館員はひとりもいない。

 戦後の外交失敗で最悪なのは、92年2月に中国が領海法を制定し、日本の尖閣諸島を名指しで中国の領土と明記したのに、日本は数ヵ月後に天皇訪中を強行したことである。

  これで、日本は暗黙裏に中国領海法を認めたばかりか歴史上初めて天皇が膝を屈して中国を訪問したと、相手ば

かりか客観的にも、判断されてしまう愚を犯してしまった。

 これは小和田事務次官のシゴトだったが、これとセットになるのが、第1次安倍政権の発足直後に、首相が米国を差し

置いて、まず中国に飛んでいったことである。

 中国はしめたとばかりに、国家主席ではなく、党内序列4位の温家宝首相が日本に乗り込み、安倍政権への「冊封使」としてふるまって見せた。国家元首なみに国会での演説を要求し、天皇陛下に北京オリンピックに来るようにと直に伝えた。

 こういう反応になるとは、首相も外務省も、夢にも思わなかっただろう。室町時代に幕府トップの足利義満が、明国から「日本国王」に封じられた記録が残っているが、自ら冊封してくれるよう頼みに行った宰相(行政トップ)は、明らかに歴史上初めてである。中国の正史にそう書き込まれるだろう。

 その後、09年に民主党が政権を取ったとき、飛ぶ鳥を落とす勢いの小沢一郎幹事長は、6百数十人の大規模な朝貢団を率いて訪中し、そのうち143人の国会議員がひとりずつ胡錦濤国家主席にツーショット写真をお願いした。

 いま、彼らの多くは落選して行方も分からず、小沢氏の落魄ぶりは言うに及ばない。

 それなのに、自民党の重鎮である二階俊博総務会長は何も学ばず、今月、韓国に1千4百人を連れていき、朴クネ大統領に会って慰安婦問題を持ち出されると、「全くその通りです」と同調した。

 二階総務会長は続けて5月に、こんどは3千人規模の訪中団を計画しているという。

 外務省に有力政治家の国辱外交を止める力はないのかもしれないが、首相を通じて間接的に牽制するぐらいの矜持とテクニックがあってしかるべきだろう。

  安倍首相は国会で、米国の公立高校向けの世界史教科書が、慰安婦について書いている嘘八百の内容に、「本当に愕然とした」と述べた。 しかし、この問題についても、南京事件についても、日本の外交は「反論したら余計刺激になる」という理由で、まともに反論してこなかったのである。

 その結果、米国では議会の決議や議会調査局の公式な文書で、韓国のウソ宣伝がすでに事実として確定してしまっている。安倍総理自身が何を言っても、やっぱり「歴史修正主義者」だという逆の証明に使われてしまうことになる。

 それほどの事態だということに、総理はやっと気づき始めたのかもしれない。

 直近の自称「イスラム国」による日本人拉致殺害も、総理の認識を覚醒させた可能性がある。国会答弁などでは決して認めないが、1月の中東訪問でマズイことをしたという自覚がなかったらおかしい。

 日本人2人が人質になっているから総理の言動に制約がかかるかどうか、ということではない。 専門家として見る限り、イスラエルの国旗の前で「イスラエルとの友好」を宣言したことと、ナチス犠牲者慰霊のホロコースト記念館で、ユダヤ教

の丸い帽子キッパをかぶって礼拝したことの2つが、外交上の大失敗だった。

 これではアラブの側から見れば、穏健派・過激派の区別なく、「日本はイスラエルの側についたな」という印象を受けてしまうだろう。

 それほど、決定的な演出だったと言える。外務省が推奨したのか、はたまた逆に、止めたのに総理が押し切ったのか。

 日本にとって外交上重要なのは、米国を動かすユダヤ系指導層である。必ずしもイスラエルの政治的利害と一致するものではない。 安倍総理は、やらずもがなの過剰パフォーマンスをやってしまったと後悔しているだろう。

 以上に指摘した失敗は、ほんの一部である。ほかにも多年多額のODAを供与した相手国の大半が、日本の国連常任理事国入りを支持しなかったなど、重要な失敗例があるが、いわゆる総括はおろか反省の弁も聞いたことがない。

 わずかに、本省の訓令に背いてユダヤ人6千人を救った「日本のシンドラー」、杉原千畝氏が戦後55年を経た2000年になって、ようやく「公式」に名誉回復となった例があるのみだ。

 オバマ米政権は、5月訪米を打診していた安倍総理を国賓として招待すると発表した。が、喜んではいられない。並列して中国の習近平国家主席を同じく国賓で、さらに韓国とインドネシアの大統領にも年内の訪米を要請した。

 なんのことはない、これは安倍包囲網の構築と読むべきであろう。米国の立場に立ってみれば、戦後70周年の今年、安倍首相が過去の村山談話・河野談話の枠からはみ出し、中韓との摩擦が熱くなることを、何よりも恐れるのは理解できる。

 したがって5月の日米首脳会談で、がっちりと枠にはめてしまうのが肝心だと考えるだろう。もしここで逸脱すれば、記者会見と議会演説の場で「炎上」させるぞという脅しが効いている。

 さらに加えて、日中を同格に据え、韓国とインドネシアを準地域大国と位置づけることで、日本だけが特別な同盟国なのではない、という意思表示をしているのである。

 つまり、日本国民としては認めたくないが、今や東アジア・太平洋の安定を壊すリスク要因は、中国の習ではなくニッポンのアベだ、という認識がオバマ外交の基本になっているのである。

 農政改革が反省の上に立って断行されるように、外交の大改革も当然、大反省が前提とならなければ始まらない。