昨日アイヌ問題についてのパネルの話を聞きに行きました。日本はここまで他国、左翼の侵略を受けているのかと言った感想です。関西の同和問題、沖縄の基地問題、そして今回のアイヌ問題全部繋がっています。国から金をせびるためにないことないこと理屈をつけては(というか理屈にもなっていない。アイヌの定義すらなくて金を行政でないアイヌ協会に給付させるのを行政が認めるといった倒錯が罷り通るのですから)金を税金から収奪するやり方です。同和(=旧社会党の解同)がやり方を教えているそうで、相変わらず左翼と言うものの汚さを感じます。沖縄の反基地運動とも連動している様子。アイヌの名目で(=税金)ワンコリアンフェステバルとかチュチエ(主体)運動の勉強会を開いているそうで何をか況やです。裏には中国とコリアの影もあるそうで、アイヌ(so called Ainu)の人を中国に何度も接待したそうです。小生が思いますに、中国が仕掛けているのは歴史戦です。間違いありません。世界に日本は道徳的に劣った民族と言うのを印象付けようとしています。アイヌを絶滅させたのは日本人だという構図を作ろうとしているという事です。北海道に部落出身の特権階級の人達や在日の人達が入植しているそうです。このままでは南京虐殺、従軍慰安婦と同じパターンを辿ります。昨年アイヌ問題のおかしさを追求した金子札幌市議が市議会で全会一致の辞職勧告決議案を食らいました。これこそ倒錯以外の何物でもありません。小生も2005年に8年にも及ぶ中国勤務を終え、日本に帰って来て中国の実態を話した時に「人種差別主義者」「国粋主義者」の罵声を浴びせられました。似たような経験です。まともなことを言うと糾弾される社会では中国・韓国を笑っていられないでしょう。国民の無関心・「見て見ぬ振り」の態度が彼らを好き勝手やらせる元です。いい加減国民も気づかないと中国の魔の手にしてやられます。日本は民主主義で政治家を選びます。政策を実行するのに時間がかかりますが、中国は一党独裁・専制政治です。反対意見は権力者が粛清すればよいので簡単です。チエックする仕組みもない。もっと日本国民は危機感を持たないとダメです。
春運と言われる春節期間中の移動人口はiTunesのPodcastの「Learn Chinese & Culture 」では20億人と言っていました。英語ではなく中国語・普通話です。音だけですので正確かどうか分かりませんが。でも13億人の人口が大移動を何回もする訳です。治安も悪くなり、昔は帰省のバスで強盗や殺人もありましたが、今はどうでしょうか?また、以前は深圳から黒竜江省の実家まで列車で4日かけて帰り、また4日かけて工場へ帰ってくるとかやっていました。勿論飛行機で利用は出来ましたが高いので列車利用です。今は?でもこれだけの人が移動するとなると、交通機関の予約が大変だと思います。まだまだ日本のサービスレベルまでは行ってないでしょうから。
確かに石氏の言う「宗族」の問題は根深いものがあります。「清官三代」と言う言葉が表すように、役人になると廉潔であっても賄賂で子子孫孫三代まで栄えさせることができるという事です。日本人だとこれで廉潔と言うかと言う感じですが、中国ではこれが当たり前。
中国は西欧基準の近代国家は目指していないのでしょう。日本のように換骨奪胎して良いものを取り込み、進化させるという発想がありません。易姓革命の歴史を持った国なので。それで自己中心の中華思想になる訳です。自己中心でなければ生き延びられず、敵に簡単に殺されるからです。利他精神=自己抹殺です。こういう民族が世界の指導者足り得ますか?世界の歴史を見ますと、白人はトリデシャリス条約による世界分割、植民地主義、人種差別・黒人奴隷、先住民大虐殺等やってきましたが、人類の普遍的価値である、自由や民主主義、人権、法治、三権分立等を広めてきました。偉大なことです。それに引き換え中国人は世界のリーダーを目指すなら軍事力でなく確固たる人類のための理念を示すべきと思います。
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2月19日から約1週間、中国は伝統の「春節=旧正月」を迎えた。期間中、全国で延べ約28億人が移動する計算となったが、その大半は家族と会うための帰省である。とにかく春節となると、どんなことがあっても家族の元へ帰っていくのが中国人の不動の習性である。「年に1度の民族大移動」とも呼ばれるこの奇観は、中国人にとって「家族」がどれほど大事なものであるかを物語っている。家族は、中国人の心と生活のよりどころなのである。
血縁による家族的つながりは昔から、中国伝統社会の統合原理でもある。近代以前、地域社会では同じ祖先と名字を持つ多くの家族が集結して「宗族」をなすのが普通だった。この宗族こそが人々の社会生活の中軸であった。何百、何千世帯からなる宗族は強い同族意識と連帯感の下で自分たちの閉鎖した社会を作って共通ルールを守り、互いに助け合って生きてきた。長い歴史の中で、戦乱があっても王朝の交代があっても、宗族だけが生き残る。
中国人特有の「家族中心主義」もそこから生まれるのである。この国では古来、社会生活の中心はあくまでも宗族あるいは家族であって、宗族を超えた「公」の意識が非常に希薄であった。人々は常に自分たちの家族や宗族を中心に物事を考えて行動する。その際、「家族のために」「一族のために」というなら、「公」の利益を損なうことや他人に迷惑をかけることも平気でやってしまう。
たとえば、官僚の腐敗汚職は中国史上の「不治の通病」といわれる。昔は1人が官僚にでもなれば、一族全員を富ませて繁栄させる重大な「責務」をおのずと背負うことになるから、賄賂に手を出さずにはいられない。「一族あって公無し」は中国人の昔からの行動原理である。毛沢東時代になると、それこそが社会主義国家建設の障害だ、と考えた彼は、人民公社運動を進めて伝統の宗族を破壊し、人々を社会主義の「公」に再統合しようとした。
しかし、その試みは見事に失敗に終わった。無理矢理に人民公社に入れられた中国の農民たちは、誰もが「公社」のために働こうとはせず、自分たちの家族に残された「自家保留耕地」の耕作に精を出すばかりであった。その結果、「公」の社会主義経済は沈没の一途をたどる。
この状況を徹底的に変えたのがトウ小平氏であった。その変え方は実に簡単である。人民公社を解体して耕地を各家族の「責任田」に戻すだけで、人々は再び汗水を流して働き始めた。これで中国は、食うや食わずの毛沢東時代から飽食のトウ小平時代へと変わったのである。
結局、カリスマ指導者の毛沢東氏にしても、中国人の「家族中心主義」の壁を破ることができなかったし、トウ小平氏の成功は結局、中国流の家族意識に配慮した結果にすぎなかった。その半面、トウ小平時代からの「家族中心主義」の復活はまた、官僚の腐敗の蔓延(まんえん)や「公」の秩序と倫理の崩壊をもたらした。一族のために収賄に励む共産党幹部が続出する一方、家族や一族の中で「良い人」で通している普通の庶民も、公の社会に出れば、いきなり豹変(ひょうへん)して嘘をついて人をだましたり、「有毒食品」を作って、もうけたりして平然と悪事を働くのである。
このような現象の蔓延は逆に人々の社会に対する不信感を増幅させ、「家族がすべて」との風潮をよりいっそう広がらせる結果となる。
そういう意味では、「公」を食い物にしたあしき「家族中心主義」こそが中国社会の最大の病巣の一つといえるのだが、それを治す「薬」はなかなか見つからない。このままでかの国は果たして本物の近代国家になれるのか、甚だ疑問なのである。