11/25日経ビジネスオンライン 福島香織『習近平「胡耀邦・生誕100周年」大絶賛の狙い 「天安門」再評価なく、改革イメージのみ拝借か』について

11/2産経 『中国さらに逆風 仲裁裁判所、中国の主張退ける フィリピンの要求 本格審理入り』

http://www.sankei.com/world/news/151030/wor1510300052-n1.html

11/11産経『中国提訴も辞さず インドネシア調整相が表明、国際司法機関に 中国主張「九段線」書き換え求める』

http://www.sankei.com/world/news/151111/wor1511110037-n1.html

南シナ海の領有権問題についてフィリピンは国際司法裁判所に提訴、受理されました。二国間争いは二国間が受けてはじめて調停に望む必要がありますが、今回の受理については中国にとってラッセン派遣に次いで逆風となりました。「常設仲裁裁判所は管轄権を持つと判断。フィリピンが訴えた15項目中、中国が埋め立てた岩礁を「領海」の起点とすることの合法性や、フィリピン漁民への妨害行為など7項目。一方、中国が南シナ海のほとんどで主張する「歴史的な主権」を審理するか否かについては、決定を留保した。中国側は反発。「フィリピン側が提出した南シナ海の仲裁案を受け入れないし、参与しない。決定は無効で中国に対して何の拘束力も持たない」と。

日本も国際法に則って、ドンドン裁判を起こしていけば良いと考えます。国際社会では黙っていることは「反論権を行使しない=相手の言い分を認める」というように理解されます。南京や従軍慰安婦についても材料を中韓に出させ、日本が反論していくように国際社会に働きかけていくべきです。この20年間外務省が何も反論してこなかったせいで、国際社会でさもあったように理解されたのは残念ですが、今からでも遅くありません。官民挙げて武器なき戦争を戦ってほしい。また国内にあっても放送法違反等今まで左翼が嫌がらせで使ってきた手法を保守派も真似て彼らの悪を糾弾していくべきだと思います。

トルコのロシア機撃墜、2012年3月30日パラオが違法操業していた中国船への銃撃(一人射殺)等、実力行使して国益を守りました。口先だけでは野蛮な国に国際法(領土・領海・領空侵犯せず)を守らせることはできません。「話せば分かる」なんていうのは高い文明国同士の間だけです。(高い文明国と言うのは日本以外ないでしょうけど)。ミクロネシア連邦の自由連合離脱は中国にとってカモになる可能性があります。日本が支援しないとミクロネシアも中国の海になる可能性が高いです。アメリカの傲慢さが原因でしょうけど。次はFacebookからの記事の引用です。11/24稲村公望氏の記事より

「南太平洋で大変なことが起きている。日本は米国の疲弊の肩代わりをすべきだ。陸封の勢力に太平洋の安全保障の侵入を許してはならない。

号外 ミクロネシア連邦議会米国との自由連合破棄を決議 [2015年11月24日(Tue)]

2015年11月19日の、ミクロネシア議会で、現在米国と締結されている自由連合協定を2018年までに破棄することが決議され、大統領の了承待ちとなった。

決議内容は下記の通り。

自由連合は米国のミクロネシア連邦に対するチャリティではない。米国は安全保障で多くの利益をミクロネシアから受けている。にも拘らず米国の態度は一方的である。例えば事前の協議なくミクロネシア短期大学の予算をカットした。さらに、米国への入国が以前より厳しくなった。

よって自由連合協定の協定破棄条項に従ってミクロネシア政府は米国との自由連合を破棄する。

NINETEENTH CONGRESS OF THE FEDERATED STATES OF MICRONESIA

THIRD SPECIAL SESSION, 2015

C.R. NO. 19-155

A RESOLUTION

Requesting the President of the Federated States of Micronesia to terminate the Amended Compact of Free Association with the United States of America, pursuant to section 441 of the Amended Compact, such termination to take effect no later than 2018.

WHEREAS, the Amended Compact of Free Association was entered into by the Federated States of Micronesia and the United States of America with the intent of maintaining a close and mutually beneficial relationship between our two nations; and

WHEREAS, the United States derives many benefits from the Amended Compact, not least of which is its exclusive control over the military use of the Federated States of Micronesia’s extensive territorial waters and airspace; and

WHEREAS, the recent words and deeds of United States policymakers suggest they view the Amended Compact as an act of charity by the United States rather than a treaty between two

sovereign nations; and

WHEREAS, the United States has abused its majority on the US-FSM Joint Economic Management Committee (JEMCO) to force through resolutions contrary to the interests of the Federated States of Micronesia; and

WHEREAS, most recently, the United States members of JEMCO have unilaterally made drastic cuts to the funding of the CRL 19-165

A RESOLUTION

Requesting the President of the Federated States of Micronesia to terminate the Amended Compact of Free Association with the United States of America, pursuant to section 441 of the Amended Compact, such termination to take effect no later than 2018.

C.R. NO. 19-155

1 College of Micronesia-FSM without prior discussion or

2 consultation with leaders of the Federated States of

3 Micronesia; and

4 WHEREAS, the United States Senate Committee on

5 Appropriations has recently recommended that the United States

6 Department of Homeland Security consider establishing a pre-

7 screening process and requiring advanced permission for

8 prospective travelers from the Federated States of Micronesia

9 and other Freely Associated States to enter the United States;

10 now, therefore,

11 BE IT RESOLVED that the Nineteenth Congress of the

12 Federated States of Micronesia, Third Special Session, 2015,

13 requests that the President of the Federated States of

14 Micronesia terminate the Amended Compact of Free Association

15 with the United States of America, pursuant to section 441 of

16 the Amended Compact, such termination to take effect no later

17 than 2018; and

BE IT FURTHER RESOLVED that certified copies of this resolution be transmitted to the President of the Federated States of Micronesia.

Date: 11/19/15

Introduced by: /s/ Isaac V. Figir

Isaac V. Figir

/s/ Bonsiano F. Nethon

Bonsiano F. Nethon

/s/ Robson U. Romolow

Robson U. Romolow

南太平洋の専門家は次のようにコメントしている。

2023年に予定されていたのは協定支援金の中止であり、自由連合ではない。自由連合の中止となればこの地域の安全保障の枠組みが一機に崩れる。現在のクリスチャン大統領は、数年前、議員だった時に同様な提案をしているので本決議を承認する可能性が大きいのではないか?また今決議されても2018年までの3年間で某かの妥協案が出て来る可能性がある。

当方は、ミクロネシア連邦だけでなく、パラオマーシャル諸島も含め、日本と米国が共同で自由連合を締結するのがよいと思う。経済では日本との関係の方が近い。」とありました。

さて、本記事です。戦前・戦中でも日本の大東亜共栄圏を理解し、実現しようとした中国人もいました。汪兆銘達です。でも蒋介石一派は自分達の利益しか考えず、欧米を味方に付けて日本を打倒しようとしていましたが、結局スターリンの掌の上で踊らされたようなものです。金に転ぶものは因果応報となります。結局、中国共産党に大陸を奪われ台湾に亡命しましたが、今や国民党は風前の灯。来年の総統選・立法議員選挙では惨敗するでしょう。台湾で中国人の亡霊が追い払われることを意味します。

中曽根康弘は胡耀邦のために靖国参拝を取りやめたと言っていますが、中国人のことを知らなさ過ぎです。外交のイロハを知らないのでは。誠実さが通用するのは日本人同士だけです。何でも利用し、裏切るのが中国人の本性です。胡耀邦は汪兆銘のような人物だったかも知れませんが、奸智に長けた鄧小平に付け入る隙を見せたという事でしょう。今や鄧一族の利権もないという状況で栄枯盛衰は世の習いと言ったところ。政治家は結果責任と言うのであれば、中国に付けいられるような言動を取った中曽根は二流の政治家と言えるでしょう。習近平は鄧一族の没落を見て、胡耀邦の名前を利用し、嵩にかかって攻めているのかも知れません。

記事

11月20日は初代中国共産党中央総書記の胡耀邦の生誕100周年であった。共産党中央は北京の人民大会堂で格別盛大な紀念座談会を開き、現総書記として習近平は重要講話を行った。胡耀邦については、説明するまでもなくその死が1989年の天安門事件のきっかけをつくった人物であるが、2005年に胡錦濤政権下で生誕90周年が開かれた段階で、その名はタブーではなくなっている。ただ、2005年のときは記念演説を行ったのは曾慶紅・国家副主席であり、胡錦濤自身は胡耀邦と深いつながりがあるにもかかわらず座談会への出席は控えた。それに比べると政治局常務委員7人が全員出席し、習近平総書記自らが重要講話を発表した今回は破格の顕彰ぶりである。それはなぜか。まさか習近平の念頭に天安門事件の再評価問題があるのか。今回はそれを少し考えてみたい。

習近平の絶賛と最高級の顕彰

 新華社報道によれば、紀念座談会は11月20日午前、中共中央は人民大会堂で行われた。司会は劉雲山。習近平、李克強、張徳江、兪正声、王岐山、張高麗の政治局常務委員全員が出席した。この席で習近平は重要講話を行い、胡耀邦を褒めまくった。

 曰く「胡耀邦同志は時代の試練を経た共産主義戦士であり、偉大なる無産階級革命家であり、政治家であり、わが軍の傑出した政治工作者であり、長期に党の重要指導任務を担った卓越した指導者であり、中華民族の独立と解放のため、社会主義革命と建設のため、中国の特色ある社会主義の探索と創建のため色あせることのない功勲をあげた」「胡耀邦同志は己の一生を党と人民に捧げた。彼の一生は光輝く一生であり、戦闘の一生であった」「党と人民の事業のためにたゆまぬ奮闘の中にあり、公務に明け暮れ、心血を注ぎ、全力を尽くして、死して後やむほどの勢いで、共産党員の称号に恥じない人生を記してきた」「我々は胡耀邦同志を紀念し、彼の堅固な信仰を学び、理想に献身する高尚な品格に学ばなければならない。胡耀邦同志は、我らこの国家と民族の非常に重要な精神的支柱であり、我らが最高の理想の共産主義者である。基本原則、基本精神を語り、その最終目標を見失わないように」…。

 習近平の胡耀邦絶賛ぶりにちょっとびっくりするだろう。座談会のほかに胡耀邦生誕100周年に合わせて「胡耀邦文選」や「胡耀邦画集」が出版され、長編ドキュメンタリーフィルム「胡耀邦」がCCTVで放送されるなど、過去最大規模の胡耀邦顕彰も行われた。胡耀邦の若き日を描いた映画「青春激蕩の年代」も24日から上映される。これはいったいどういうわけか。習近平はそれほど胡耀邦に思い入れがあるのだろうか。それとも習近平が実は隠れ改革派だという噂は本当で、ひそかに天安門事件の再評価計画を進めているそのシグナルだというのだろうか。

今さらだが胡耀邦を知らない人のために簡単に説明しておこう。

 胡耀邦は1980年、最初の中国共産党総書記という名の職位についた中国の政治家である。それまで党の最高実権は毛沢東の肩書の「党主席」にあり、四人組を逮捕して文革を終了させた華国鋒は、この党主席の職位をついだ。文化大革命中は実権派として失脚し、文革後期に、鄧小平の復活とともに復活、鄧小平の部下として働くも、鄧小平が第一次天安門事件(1976年 四五運動)で三度失脚すると一緒に失脚。1977年に鄧小平が復活すると一緒に復活、とずっと鄧小平の右腕として苦難を共にしてきた。

「改革開放」に、大衆の支持と保守派の攻撃

 毛沢東の権威を利用して政治を行おうとする華国鋒に対し鄧小平が権力闘争を仕掛けたときも鄧小平を援護、華国鋒を失脚させ、胡耀邦が党主席の座を継ぐ。その後、実権を握った鄧小平を中心に、胡耀邦、趙紫陽が権力基盤を固めるトロイカ体制が築かれる。肩書は鄧小平が党中央軍事委主席、胡耀邦が1982年に廃止された党主席の代わりに新たに作られた総書記の任につき、趙紫陽が首相となった。

 胡耀邦は共産党若手エリート育成組織の共産主義青年団の第一書記を務めたこともあり、のちに改革派としての派閥を形成する。いわゆる団派である。胡錦濤はその流れを受け継ぐ団派である。胡錦濤は青年時代、胡耀邦の息子の胡徳平と中央党校で同級であったことから個人的にも深い付き合いがあったと言われている。その思想は現実的で開明的であり、そして人情家であった。

 1980年5月29日にチベット視察をして、その惨状に涙を落とし、チベット政策の失敗について共産党に責任があることを認めて謝罪し、チベット政策の転換を打ち出した。また、改革開放路線とともに自由化路線を推進。1986年に「百家争鳴、百花斉放」を再び提唱し、言論の自由を推進した。

 だが言論の自由が進むと、当然のことながら鄧小平の独裁性を批判する声も出てくる。このことがやがて鄧小平の不興を買うことになった。また対日外交を積極的にやり、日中間の青年交流事業を行った。胡耀邦は歴代中国指導者屈指の親日家といわれた。しかし、このことも保守派からの批判の理由になった。チベット政策緩和も当然保守派からの攻撃理由となった。

 一方で胡耀邦の大衆人気はうなぎのぼり、学生や知識人の間で胡耀邦を支持し民主化を求める声が高まり各地でデモが起こり始めた。この責任を問われる形で胡耀邦は1987年、総書記を解任される。1989年4月、失脚した胡耀邦が心筋梗塞で倒れ死去したことで、胡耀邦追悼と称した学生デモが激化していった。これが結局、1989年の天安門事件、鄧小平の命令による学生デモの武力鎮圧事件につながるのである。趙紫陽は、この時、学生擁護に立ったため失脚し2005年1月17日に死去するまで自宅軟禁された。

 こういったいきさつがあるので、胡耀邦の名前は、天安門事件を思い出すものとして長らくタブーであった。このタブーを破って胡耀邦の名誉回復に動いたのは、胡耀邦を父のように慕っていた胡錦濤であったが、胡錦濤は鄧小平に対しても忠誠心があったので、彼自身が紀念座談会に出席することはできなかった。胡耀邦を持ち上げれば、彼を失脚させた鄧小平を非難することになる。実際に、胡耀邦失脚の背景に、鄧小平に彼の実権拡大や大衆人気を恐れ妬む気持ちがなかったとは客観的にも言いきれない。

顕彰も「天安門と趙紫陽」は消去のうえで

 では、こういう中国の敏感な政治史に関わる胡耀邦という政治家を、習近平がここまで声高に絶賛する理由は何なのか。習近平の父の習仲勲はやはり開明派で改革派の政治家であり、胡耀邦と同盟関係にあった。胡耀邦が総書記を解任される間際まで彼を擁護し続けた人物ではある。だが、私が習近平を直接知る人に聞く限り、習近平の思想に父親からの薫陶を受けたものはなく、習近平は根っからの“毛沢東チルドレン”の保守派であるという評価が多い。

 実際に、今の習近平路線は、胡耀邦が目指した自由化路線と真逆の方向に行っている。ましてや、天安門事件を再評価する兆しなど今のところない。その証拠に、趙紫陽の名誉はまだ回復されておらず、この座談会に趙紫陽の親族が出席することも許されなかった。また胡耀邦報道は、国内メディアが勝手に行ってはならないという通達も出たし、民間の自発的な紀念活動は許可されていない。胡耀邦文選にも、胡耀邦画集にも、胡耀邦ドキュメンタリーにも、天安門事件についてはおろか、趙紫陽の名前も姿も綺麗に消されている。もし天安門事件を再評価する気持ちが少しでもあるならば、趙紫陽に触れても問題ないだろう。

 この習近平の胡耀邦絶賛理由について、いくつか興味深い説があるので、簡単に紹介しよう。

鄧小平を間接的に貶める?

【1】胡耀邦の政治遺産を利用したいから。

 胡耀邦は「改革猛将」と言われたほど、改革のイメージが強い。習近平も一応「全面的な改革の深化」をスローガンにあげている。習近平の改革と胡耀邦の改革は質的に全く異なるが、胡耀邦を持ち上げることで、胡耀邦の改革のイメージを利用し、いまも大衆、知識人層、そして海外に根強く残る胡耀邦人気を自分に取り込みたいからではないか。もっとも、これは保守派・習近平にとってはかなりの博打であるだろう。在米評論家の陳破空は「中南海は胡耀邦を消費している」と語り、元北京大学助教授のメディア評論家の焦国標は「胡耀邦紀念は、民意、特に知識階級に一種の安心感を与える。大衆の党への信頼を厚くする効果がある」と語っている。

【2】胡耀邦を持ち上げることで、鄧小平の改革開放の成果を矮小化する。

 以前、官僚の噂として聞いたのだが、習近平は実は鄧小平が嫌いらしい。習近平の前で鄧小平を褒め過ぎると機嫌が悪くなるらしい。また、習近平は海外メディアから自分が「新鄧小平」と呼ばれていることをかなり意識している。親習近平の政治学者から、「習近平の“改革”は鄧小平の“南巡講話”を超える」といった評価を聞いたことからも、習近平は鄧小平をライバル視しているフシがある。

 改革開放路線を一番に設計し推進したのは胡耀邦であり、鄧小平は二番目であると言わんばかりの胡耀邦礼賛によって、鄧小平のスケールを小さく見せたいのではないか。胡耀邦の失脚理由について、今回の紀念行事では敢えて触れないが、鄧小平が右腕としていた有能な胡耀邦を、半ば“男の嫉妬”から失脚させたことは周知の事実。胡耀邦を持ち上げることは鄧小平の小ささ、失策を思い起こさせることになる。

【3】権力闘争に利用するためである。

 胡耀邦の名誉回復を決断したのは胡錦濤であった。胡耀邦と胡錦濤の絆は深く、胡耀邦こそ共青団派の改革派イメージを作っている。胡耀邦の性格の良さとともに中国人民および国際社会に今なお残る「共産党のもっともすぐれた政治家イメージ」の恩恵を受けているのは胡錦濤ら共青団派であった。この胡耀邦イメージを共青団派から奪い、習近平政権のイメージとして定着させるために、習近平自らが重要講話を行い、自分こそ胡耀邦の後継者的改革者であるというアピールをしたのではないか。また胡耀邦を紀念することは、江沢民利権グループに対する圧力になる。華字ネットニュースサイトの多維は天安門事件の再評価への可能性あり、と報じているが、それは天安門事件後に利権と権力基盤を打ち立てた江沢民、曾慶紅グループを潰すための権力闘争の道具として使うためであり、中国の政治改革(民主化)を進めるためではない。

こうした見方は、中国の微博やブログで散見したり、知人に聞いたものをまとめたものだ。習近平が胡耀邦の志を受け継いで本当は中国の民主化、自由化を進めるつもりだという意見はほとんどなかった。胡耀邦の本当の功績は民主化・自由化の推進であり、失脚理由は「ブルジョワ自由化に寛容すぎる」であったが、胡耀邦の自由化推進について習近平がどう考えているかはついぞ明らかにならなかった。

結局、権力強化に利用するだけか

 はっきり言えるのは、習近平政権は中国で目覚め始めた公民権運動を完膚なきまでに叩き潰し、人権派弁護士狩り、知識人狩りを行い、メディアコントロールを強化し、チベットやウイグルの人権を武力を含む力づくで抑え込み、日本などに対して国際社会に対して覇権の意志を隠さない強硬外交を展開している。習近平が胡耀邦の挑もうとしたことに理解を示さず、ただその人気をただ自分の権力強化に利用するだけであれば、彼はきっと草葉の陰で落涙していることだろう。

11/25日経ビジネスオンライン 小平和良『中国から「夜逃げ」した日本企業 「世界の工場」の終わりはバブル崩壊の始まりか』について

中国にしたら「日本よ、おまえもか」という所でしょう。中国に進出した韓国系企業は苦しくなればすぐに夜逃げするので、日系企業駐在員の賃貸ホテルもデポジットを(2004年or2005年)とられるようになりました。日系企業の擁護をすれば、市場の変化に対応できなかっただけでなく、取引先企業(中国企業)が支払不能・遅延があったり、中国企業でも経営不振になれば夜逃げが当たり前です。また帳簿を改竄するのも当たり前です。LIXILが660億円も損を出したジョウユウが典型でしょう。「郷に入れば郷に随う」と言えばそうなってしまいます。「朱に交われば赤くなる」のですから悪徳国家とは付き合わないことです。精神が穢れます。人口の多さに幻惑され、中国進出したのが間違い。韓国同様、忘恩の徒、敵国です。日本はこういう国に資金や技術供与をしてきたのですから愚かとしか言いようがありません。日本人一人ひとりが彼らは敵国と思うことによって初めて、政府の政策チエンジも可能となります。「友好」なんて敵が便利に使って、日本から資金や技術を盗もうというもの。騙されてはいけません。「友好」を言う政治家は腐敗していると思った方が良い。学者は単なる馬鹿でしょう。官僚は小心者で老後が安泰になるように願う保身の輩です。彼らを駆逐するには政治家を変えなければなりません。予算と人事で締め上げる必要があります。売国奴は要りません。

赤字のまま中国に入ったら「収監」は間違いないでしょう。大学の中国語の授業の時、先生から話があり「某大学で中国が好きな日本人の先生が北京に旅行に行ったときに、イミグレで引っかかり、「このまま帰りの飛行機に乗るか収監されるかどちらを選ぶか」と聞かれたそうです。勿論、帰る方を選びましたが。理由はその人の論文にウイグル族について書かれたのが1行あったそうで、そのためのようです。真面な神経を持っている人だったら怖くて入れないでしょう。旅行に行ったら其の儘人質として収監されることもあり得ます。逮捕状なしで逮捕なんてよくある事。(人民法院は共産党の行政の下部組織ですから、後でいくらでも発行できるでしょうけど)。中国には旅行に行かないことです。駐在員も家族を含め、早く帰すべきです。

昨日(11/26)の日経によれば、昨年衆院選の「1票の格差」について最高裁判決が「違憲状態」と出したのを受け、大島理森衆院議長は「次期通常国会」での改正に意欲を示したとのこと。やはり、来年は衆参同日選が濃厚では。どうせなら消費税増税をまた延期して財務省の言いなりにならない内閣と言うのを示してほしい。そうすれば選挙にも勝てるし、元々安倍内閣の一番の使命は憲法改正です。最初から9条は無理としても96条改正は実現してほしいと思っていますので。ケントギルバートの言うように軍を持たない国はありません。それに反対する人たちは中国に隷従する道を歩ませようとしている売国奴です。中国に住んだことのない人には分からないかもしれませんが「異様」な国です。日本人とはまともに付き合えません。賄賂・不正が当たり前、貞操観念も違う国です。共産主義は人権抑圧をする政治体制です(中国は歴史的に人権何て考えない王朝ばかりですが)。ソ連・北朝鮮を見ていれば分かるでしょう。敬して遠ざけるべき。

記事

Iris fled by night

「夜逃げ」したアイリスの以前の社屋の前には、野菜などを売る露店が並んでいた(写真:町川 秀人)

10月中旬。広東省広州市のホテルの会議室で、あるセミナーが開かれた。タイトルは「中国現法『人員スリム化』のノウハウ」。つまり中国でいかにスムーズに人員削減を行うかを学ぶためのセミナーである。中国やアジアに進出している企業向けに法務や会計、労務などの助言・実務を行うキャストコンサルティングが開催した。

 この日は10人ほどの受講者が集まり、約4時間かけて退職時に従業員に支払う経済補償金の仕組みやトラブルを起こさないための方策などを学んだ。受講者はいずれも日系企業の中国法人で人事や財務などを担当している日本人だ。「すぐにリストラを予定しているわけではないが、学んでおく必要があると思った」。このセミナーに参加した日系メーカーの幹部は受講した理由をこう話す。

「中国での事業のたたみ方を知らない人が多い」

 同社は10月から11月にかけて、広州だけでなく北京や上海のほか、東京や大阪、名古屋でも同様のセミナーを開いた。背景にあるのは、中国経済の大きな変化だ。今年6月中旬以降の中国株式相場の急落をきっかけに、中国の経済成長への疑念が膨らんでいる。工業生産や貿易、不動産価格などの指標が悪化し、一部では「中国バブルの崩壊が始まった」との見方も出ている。

 「バブル崩壊」と単純に言い切れないことは日経ビジネス11月23日号の特集でも触れた通りだ。ただ、中国の経済構造が大きく転換していることは事実で、それに伴ってこれまでの高度成長下での成功モデルが通用しなくなっているのも確かだ。また中国で成功している企業であっても、中国の急速な変化に合わせて事業を臨機応変に組み替える必要が出てきている。リストラをスムーズに行うことは以前にも増して重要になってきていると言える。

 しかし、キャストコンサルティング(上海)の社長を務め、上記のセミナーの講師も務めた前川晃廣氏は「事業のたたみ方を知らない人が多い」と話す。リストラを進めるにあたり、中国人従業員との間でトラブルになるケースも少なくない。今年2月には広州市にあるシチズンホールディングスのグループ会社が工場閉鎖を決めた際、従業員による抗議デモが起きている。

 中でも特に多いのが、会社都合で辞めてもらう人に支払わなければならない経済補償金を巡るトラブルだ。中国で会社の都合で従業員に辞めてもらう場合、「平均月収×勤続年数」を経済補償金として支払わなければならない。ただ、これはあくまでも法定の補償金で、通常は法定分にいくらか上乗せして支払うことが一般的だ。この補償金をいくらにするかで従業員ともめ、時には大幅な上乗せを余儀なくされることもあるという。

 中国からの撤退を考える企業にとっては、この経済補償金が大きな重荷となる。中国では通常、従業員を解雇した後でなければ会社の清算ができない。中国で事業がうまく行かず撤退したいが、従業員に支払う補償金の原資がない。そんな事態に陥ることもあり得る。そのため「会社清算のためだけに、日本の本社から増資してもらったり、資金を借り入れたりするケースもある」(前川氏)。

 このような事態に陥った際、韓国企業や台湾企業は経済補償金を支払わず、夜逃げしてしまうケースもあるという。一方、真面目な日本企業が夜逃げをすることはほとんどないと言われてきた。

覆された「日本企業は逃げない」

 だが今年9月、ある日本企業がこの定説を覆した。

 女性用下着を製造するアイリス(徳島県美馬市)は10月16日、徳島地裁美馬支部から破産手続きの開始決定を受けた。その約1カ月前、日本での営業を停止するのに合わせ、同社は中国から「夜逃げ」した。

Notice of Iris's bankrupt

昨年移転したアイリスの新しい拠点には「日本の本社が破産申請した」との張り紙が張られていた

 従業員の解雇や会社の清算などの手続きを行わないまま、日本人幹部は中国を去った。事情を知らないまま突然、職を失う形になった中国人従業員240人は途方に暮れている。アイリスの佐々木喜庸史社長も「夜逃げのような形になってしまった」と認める。

 同社はグンゼやワコールホールディングスなど大手下着メーカーのOEM(相手先ブランドによる生産)業者として、日本向けの商品を中国で製造していた。古くから中国でのビジネスに携わっている日本人にとっては、早い時期に中国に進出し、成功を収めた中小企業として知られた存在だった。

 アイリスは1991年に中国・上海に進出した。工場を置いたのは上海市東部の浦東地区。現在は高さ632メートルの上海タワーを中心に高層ビルが立ち並んでいるが、アイリスが進出した当時はまだ開発が進んでおらず、田畑ばかりだったという。アイリスは同地区初の独資の外国企業だった。

 その後、アイリスは中国が「世界の工場」として急速に発展していくのに合わせて成長していく。日本やその他のアジアの国での製造を縮小して、中国に事業を集約。さらにタクシー業や牧畜業、不動産業なども手がけるようになった。

 「8年ほど前までは好調だった」とアイリスの幹部は振り返る。だが、中国の成長とともに年々上昇してきた人件費は、ボディブローのようにアイリスの経営を蝕んだ。アイリスの取引先であるグンゼやワコールは中国国内に自社工場を持っている。「取引先が当社に委託してくる製品は、取引先の自社工場で作れないものだった」(アイリス幹部)。

 この幹部は一例として、グンゼがイオンのPB(プライベートブランド)向けに生産を請け負っていたジュニア用下着を挙げた。「売れるかどうか分からないニッチな商品。実際、この商品の生産がなくなって、一気に経営が厳しくなった」。日本向けがほとんどのアイリスにとって、アベノミクスによる円安も打撃になったが、値上げはかなわなかった。

日本企業の夜逃げが示す中国の大転換

 アイリスは1990年代前半に中国に進出しているため、古参の従業員も多く、「9割は勤続20年以上の従業員だった」(佐々木社長)。そのため、補償金の金額もかさみ、未払いの給料と合わせた総額は約3億円に上った。「この金額は払えないと経営陣が判断し、逃げるようなことになった」とアイリス幹部は打ち明ける。

 進出から24年が経過した今年10月。上海・浦東地区にいち早く進出した企業として視察が相次いでいたというアイリスの社屋は廃墟のようになり、門の前の路上には果物や野菜、衣類を売る露店が並んでいた。元従業員の1人は「何が起きているのか分からない。せめて退職時の補償金だけでも払ってほしいけれど」と訴える。一方のアイリス幹部は「今は中国がどのような状況になっているか分からない。うかつに中国に行けば戻ってこられない可能性もある」と話す。

 真面目とされてきた日本企業の夜逃げに、現地の中国人も驚きを隠さない。「日本企業は制度の変更などにもすぐに対応してくれるし、こういうことはないと思っていた。実際、今回のようなケースは初めてだ。今後は日本企業との付き合い方を考え直さなければならないかもしれない」。アイリスにも従業員を派遣してきた国有人材派遣会社の幹部はこうまくし立てた。

 アイリスは中国の高度成長を信じていち早く進出し、「世界の工場」として発展するのに合わせて成功を収めた。そして経済成長率が7%を割り込み、世界が中国の成長鈍化に向き合うことになった2015年に消え去った。同社の「夜逃げ」は中国が直面している大転換の一端を示していると言えるだろう。

11/25「憂国忌」、「国際三島シンポ2015」、11/22産経ニュース 『三島由紀夫事件 没後45年 現代へのメッセージ (上)決起した元会員、貫く沈黙 肩の刀傷…今も悔いなく 取り残された会員「無念」』11/23『(中)狙撃覚悟「建軍の本義」問う 元会員「森田さんがもちかけた」 文学ではなく行動に託す 』11/24『(下)三島に斬られ瀕死の元自衛官「潮吹くように血が噴き出した」』について

2015yuukokuki-1

 

昨日は三島が陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決して45年になった日です。昨日、青陵会館で開催された「憂国忌」に出席しました。多くのファンが詰めかけていました。1階は満席でした。このセレモニーは保守派が主催したもの。写真はケントギルバート氏のスピーチのものです。

印象に残ったのは西尾幹二氏の「30周年(2000年)の時話した時以降起きた特筆すべき点は、文明の没落(欧州)と野蛮(中国)の台頭」と言ったところと、ケントギルバート氏(米ロースクール時代、バイトで日本語を教えていたし、法律より三島の『豊饒の海』を日本語で辞書を引き引き読んで勉強していたとのこと)の「日本は対米依存症にかかっている。憲法9条を早く改正してほしい。元首の記載のない憲法は憲法でないし、軍のない国は国家でない。私は日本人が大好きだ。誠実で、嘘を言わない、綺麗好きだし。でもそれを外交でやると失敗するからやめてほしい」と言ったのは正しく小生がずっと言ってきました「日本人は外国人との交渉と日本人との付き合いの時でスイッチを切り替えなければ」と符合します。グローバル人材とはそういう人を言います。「英語を話す猿」で白人・中韓の言いなりになって、国を貶める論調に味方するのはグローバル人材とは言いません。企業人も良く自覚してほしい。

11/14・15・22には国際三島由紀夫シンポジュウム2015が東大駒場と青山学院大学で開かれました。15日は残念ながら法事で出ていませんが。こちらはアカデミックというかリベラルな考えの人が多いのかと感じました。でもドナルド・キーンが「ノーベル文学賞の候補に三島でなく川端を挙げた。またNYでの三島の公演がかかるのではと思って彼はNYまでいったがダメで残念がっていた」という話や、ドイツ人の女性教授のトーマス・マンの「ベニスに死す」と三島の「禁色」の比較、三輪太郎の「ユーゴ紛争で三島を愛読していたカラジッチ(精神科医・セルビア元大統領)が国際戦犯になったのはセルビア国民がEUに入り、豊かになるため、スケープゴートとしてカラジッチを差し出したもの。どこかの国と似ている。(多分、日本が極東裁判で東條以下の戦犯を出し、国民はそれを忘れ呆けて、経済発展のみに精力を傾けているのを揶揄したのでは)、宮本亜門の演出論も三島の影響を受けているとのこと。11/22は猪瀬直樹も来ていました。国際シンポは1回目がフランス、2回目がドイツ、3回目が今回、次はメキシコとか言っていました。5~10年毎に開かれるそうです。

下の写真は11/14・15・22国際三島由紀夫シンポジュウム(22日開催の青山学院大学アスタジオにて)

International MIshima Sympo 2015

三島の死については多くの人がいろいろ論じていますが、正解は本人に聞かないと分かりません。多くの顔を持つ天才三島ですので、死についていろんな解釈があっても然るべきと思います。20年くらい前か新聞のドナルド・キーンのインタビュー記事で、彼が三島を評して曰く、「三島は小説より戯曲の方が優れている。自分が何か書いてくれと頼んだら、直ぐにスラスラ書き始め、文字を修正することもなかった。モーツアルトと同じく天才である。」というのを読んだ記憶があります。(大分前なので正確かどうか?)

でも、三島・森田の死を犬死にしない為に、日本人はもっと考え、行動すべきと感じます。本記事で紹介されていますように「このまま行ったら日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が極東の一角に残るのであろう」というのを三島は45年前に遺していますが、今もその当時と同じく経済的利益の追求のみ、享楽にふけり、精神性を持たない日本人が多いと感じています。

あの当時とまた国際環境も変わってきました。中国の台頭を如何に封じ込めるかが、日本の未来に大きく関わっていくことになります。彼らの遺言を活かして行くためには、国民一人ひとりが国防をもっと真剣に考え、選挙で売国議員、利権政治家を落とすようにしなければ。

記事

 日本を代表する作家、三島由紀夫=当時(45)=が、自ら結成した民間防衛組織「楯の会」の会員4人と陸上自衛隊市ケ谷駐屯地に乗り込み、会員1人と自決した事件から、25日で45年になる。何が三島らを暴挙とも思える行為に駆り立てたのか。憲法改正問題などが注目されるようになった今、三島と寝食を共にした楯の会の元会員の証言などから、改めて事件の背景と現代日本へのメッセージを考える。(編集委員 宮本雅史)

 無意識のうちに身体に染みついてしまったのだろうか。その男性は話題が事件に触れようとする度、何かを確認するように右肩に手をそえた。理由を問うと、一瞬、驚いた表情をしたが、何も答えず、すぐに笑顔に戻った。古賀(現荒地)浩靖(68)。三島と共に決起、自決した三島と森田必勝(まさかつ)=当時(25)=を介錯した。

 関係者から、陸上自衛隊市ケ谷駐屯地内の東部方面総監室で自衛隊員ともみあった際、三島の日本刀が右肩に当たり、5針を縫う傷を負ったと聞いていた。古賀にとって刀傷は身体に刻みこまれた三島の形見なのかもしれない-。ふと、そんな思いが頭をよぎった。

「思想の混迷の中で、個人的享楽、利己的な考えが先に立ち、民主主義の美名で日本人の精神をむしばんでいる。日本の文化、伝統、歴史を守るために、今度の行動に出た」

 古賀は裁判で詳細を語っているが、事件後は公の場から姿を消し、一切、口を閉ざしてきた。この日も、「自衛隊には誇りと栄誉を与えないといけない」「憲法は変えないといけない」と語っただけで、沈黙を通した。

 穏やかな表情を崩さないため真意を読み取るのは難しいが、裁判での証言内容を考え合わせると、今も決起したことに悔いは感じられない。むしろ、自衛隊の敷地内で非合法的な行為を犯したのだから、自衛隊員の手で射殺されることを覚悟していたのではないか、射殺されることで自衛隊を目覚めさせようと考えたのではないか、とさえ感じた。ただ今も、ケガを負った自衛隊員への呵責は強く感じているようだ。心の内を明かさないため、確認できないが、沈黙を貫いているのは、その呵責と、思いを示すには行動以外になかった以上、それを言葉で表現しようにも表現できないのではないか。そんな印象を持った。

口を閉ざしているのは、小賀正義(67)と小川正洋(同)も同じだ。

 小賀は「公判で話した以上のことは話せない」と呪文のように繰り返した。ただ、事件の6日前、学生長の森田が、新宿の工事現場で段ボールに入った書類を燃やしているのを見たという。当時、森田は自決し、小賀は生き残ることが決まっていた。目の前で人生の総決算をする森田の姿に、小賀は何を感じたのか。何も語らないが、想像するだけで心が痛んだ。

 小川も詳細については、楯の会の関係者にさえ、口をつぐんでいるという。

 三島由紀夫は死の4カ月前の昭和45年7月7日、産経新聞に寄稿したテーマ随想「私の中の25年」の中で、「このまま行ったら日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が極東の一角に残るのであろう」と日本の将来を憂えている。

 元会員は「われわれは伝統や文化という精神世界よりも経済価値が優先される社会に憤りを感じ、道義の腐敗の根源は憲法にあると考えていた。刺し違えてでも現憲法を改正するんだと、行動を共にしてきた」と話す。

 三島は事件直前の最後の打ち合わせの席でこう言っている。「今、この日本に何かが起こらなければ、日本は日本として立ち上がることができないだろう。われわれが作る亀裂は小さいかもしれないが、やがて大きくなるだろう」

 三島ら5人の決起に一番ショックを受けたのは楯の会の会員たちだった。決起は参画した会員以外には知らされていなかったからだ。

 楯の会創設にかかわった伊藤好雄(69)は三島と森田必勝の自決を自宅のテレビニュースで知った。「びっくりした、の一言」だった。任意で警察の調べを受けたが、それ以降のことは何も覚えていないという。取り残されたという思いが強く、三島と森田に対し負い目を感じた。早稲田大卒業後も「自分に使命が下りてきたとき、迷わず行ける態勢を作っておこうと、就職せず、女性とも付き合わなかった」という。

 伊藤は45年春、三島から呼び出されたことが今でも忘れられない。「信用できるのはだれだと思うか」。三島の問いに答えは出てこなかった。裁判でこの時期、構想を練る三島と森田が小賀正義と小川正洋に声を掛けていたこと、4番目の男が決まっていなかったことを知り、三島の問いが改めて重くのしかかった。

 伊藤と親しい1期生の篠原裕(ゆたか)(68)は、月1回の定例会が行われる予定だった市ケ谷会館で異変を知った。「何も知らずに例会があると思っていた。不明を恥じるほかなかった。事件以降、楯の会の会員だったと胸を張って言えなくなった」

 勝又武校(たけとし)(68)は自宅で事件を知る。「恥ずかしいから話したくない」としながらも「バルコニーでヤジられている先生の顔は今でも忘れない。悔しく、無念だったと思う。その無念さは私自身の無念だ。(一緒に)行きたかった」と語る。

 死が脳裏をかすめた元会員もいる。倉持(現本多)清(68)は「二・二六事件を取り上げた『憂国』では、新婚を理由に決起から外された中尉が腹を切っている。私も結婚を控えていたから腹を切るべきだったのか、と考えた」と打ち明ける。

 一方、口をつぐみ続ける小賀ら3人の心中も複雑だ。

 元会員の田村司(65)が、会員の思いを監修した「火群(ほむら)のゆくへ」の中で、初代学生長の持丸博(故人)が「嵐の只(ただ)中にいた人はもちろん、同心円から少し離れた人も皆、十字架を背負っています。だから、なかなか話せないんです。みんなそれぞれ悩んで今まで生きてきた。毎日悩んでいるわけじゃないけど、なんかの拍子にずっしり重くのしかかってくる」と語っている。

 三島が学生と接触を持つようになったのは41年暮れからだ。文芸評論家の林房雄の紹介だった。

 当時日本は、東京五輪開催などを受け、高度経済成長の真っただ中にあった。同時に、中国の文化大革命の影響で、左翼思想が蔓延し学園紛争が拡大、学生らはそれぞれの組織でこうした勢力に対抗していた。

 倉持は「学生は必ずしも考え方が一枚岩ではなかったが、天皇を敬う心情と共産主義に対する嫌悪感は共通していた」と振り返る。

 三島はその後、楯の会の前身となる「祖国防衛隊」の結成を計画。43年3月、20人の学生と陸上自衛隊富士学校滝ケ原駐屯地で体験入隊を行うが、この体験入隊を機に三島と学生との距離は急速に縮まる。

 小賀は裁判で「三島先生と同じ釜の飯を食ってみて、ともに起き、野を駆け、汗をかいてみたら(中略)心強かったし、先生の真心が感じられた。本当に信頼できる人だと思った」と証言している。

伊藤は「先生は『作家・三島由紀夫に興味のある者は楯の会に必要ない』といつも言っていた。身近な存在で、男女の恋愛ではないが、糸でつながったような気がして、先生というリーダーを得て目標が見えた」と話す。

 楯の会は、何事にも率先垂範し、カリスマ性と吸引力を持つ三島を頂点に、強い信頼関係に支えられた強靱な組織に成長する。それだけに、最後まで会にとどまった会員が「自分はなぜ、選ばれなかったのか」という気持ちにさいなまれたのは当然のことだった。

 三島はこうした会員の思いを見越したかのように会員に課題を与えた。

 遺書では「諸君の未来に、この少数者の理想が少しでも結実してゆくことを信ぜずして、どうしてこのやうな行動がとれたであらうか? そこをよく考へてほしい」と述べ、小賀ら3人には「森田必勝の自刃は、自ら進んで楯の会全会員および現下日本の憂国の志を抱く青年層を代表して、身自ら範を垂れて青年の心意気を示さんとする鬼神を哭かしむる凛烈の行為である。三島はともあれ森田の精神を後世に向かって恢弘せよ」と命じている。

元会員の多くは「命令書は今も生きている」と口をそろえるが、勝又は「自分がだらしないだけの話だが、やることをやっていないので、先生と森田さんに申し訳ない」と言う。三島らの思いは今も、日本人の喉元に刃を突きつけている。 (敬称略)

 昭和45年11月25日、秋晴れに包まれた陸上自衛隊市ケ谷駐屯地。

 「自衛隊にとって建軍の本義とは何だ。日本を守ること。日本を守るとは、天皇を中心とする歴史と文化の伝統を守ることである」

 バルコニーからこぶしをかざして声を振り絞る三島由紀夫=当時(45)。だが、自衛隊員の罵声と上空を舞う報道各社のヘリコプターの爆音に、その声はかき消される。

 「お前ら聞けぇ。静かにせい。男一匹が命を賭けて諸君に訴えているんだぞ。今、日本人がだ、自衛隊が立ち上がらなきゃ、憲法改正ってものはないんだよ。諸君は武士だろう。武士ならばだ、自分を否定する憲法を、どうして守るんだ」

 「諸君の中に1人でも俺と一緒に起つやつはいないのか」

 三島の右後ろには、「七生報国」の鉢巻きをした楯の会学生長の森田必勝=同(25)=がすさまじい形相で仁王立ちしている。

 「一人もいないんだな。それでも武士かぁ。憲法改正のために立ち上がらないと見極めがついた。これで、俺の自衛隊に対する夢はなくなったんだ」

 この間、わずか10分。演説を断念して最後に「天皇陛下万歳」を三唱、総監室に戻った三島は「こうするより仕方なかったんだ」と漏らすと、森田と割腹自決した。

 楯の会の元会員はこう推測する。「バルコニーに立った三島先生と森田さんは、その場で自衛隊員に狙撃されることを覚悟、否、それを望んでいたかもしれない。決起は森田さんの意向が強かったと思う。森田さんは情熱的な人で、森田さんがいなければ決起していないだろう。森田さんがもちかけたとも考えられる」

 三島がその森田と初めて会ったのは、43年3月の陸上自衛隊富士学校滝ケ原駐屯地での体験入隊だ。当時、早稲田大2年生で、民族派学生組織「日本学生同盟」(日学同)に所属していた森田は、スキーで右足を骨折していたにもかかわらず、1週間遅れで参加した。骨折した足をかばいながら訓練を続ける姿に三島はまず、感激したという。 三島は後日、離隊の際、涙を流す学生の姿に「戦後初めて『男の涙を見た』」と述べているが、森田も涙を流した一人だ。体験入隊に参加した1期生の篠原裕(68)は「離隊の時、森田さんが、『ちくしょう、なんでこんなに涙が出るんだ』と泣きじゃくっていたのを覚えている」と振り返る。

 森田と日学同時代に同志だった評論家、宮崎正弘は著書「楯の会以後」の中で、体験入隊が終わった直後、森田が宮崎の目の前で「先生のためには、いつでも自分は命を捨てます」と礼状を書き、速達で送ったと述べている。三島も感激したのだろう。宮崎はその後、「どんな美辞麗句を並べたお礼よりも、この一言に参った」と三島から言われたと、森田が話していたと記している。

 三島は民族派学生による論争ジャーナルに寄稿した「青年について」で、「覚悟のない私に覚悟を固めさせ、勇気のない私に勇気を与えるものがあれば、それは多分、私に対する青年の側からの教育の力であろう」と述べている。森田は三島が言う「青年」の一人だった。森田と三島が同志として結束が強まるのに時間はかからなかった。

 三島がいずれ何かをするのでは、と感じていた5期生の村田春樹(64)は、45年6月1日、森田に会い、「腹を切る勇気がない」と退会を申し出ている。村田によると、森田は「俺だっていざとなったら小便ちびって逃げるかもしれない。人間なんていざとなったら弱いもんだ。だから、君ももうちょっと会にいてみろ」と答えたという。村田は森田の言葉に脱会を撤回したが、この時点で既に決起と森田の自決は決まっていた。村田は「あのとき、森田さんは『村田よ、安心してもう少し会にいてみろ。お前の代わりに俺が行くから』と言いたかったのではないかと思う」と振り返った。

 作家の三島由紀夫が政治的色合いの濃い評論や随筆を書き始めたのは「英霊の声」を「文藝」に発表した昭和41年6月ごろからだ。

 二・二六事件の決起将校と特攻隊員の霊が盲目の少年の口を借りて、「などてすめろぎは人間(ひと)となりたまいし」を呪文のように繰り返し、二・二六事件での天皇の対応と、終戦後の人間宣言に疑問を投げかけている。

 ところが、三島は事件の際には「天皇陛下万歳」を叫んで自決した。一見すると、その言動に矛盾を感じるが、三島は43年4月、文芸評論家の秋山駿との対談で、「危険な言説を吐いたら、これから責任をとらなければならないでしょう。(中略)なにか自分にも責任がとれるような気がしたのです。だからあんなことを書いたのです。そういう見極めがつかなければあんなもの書けないですね」などと吐露している。

 事件後、三島文学に興味を持ったという篠原裕はこう話す。「陛下には他の人が抱けない強い思いを寄せていた先生が、なぜ『人間となりたまいし』とまで言わなければならなかったのか。なぜ天皇陛下万歳と言って腹を切らなければならなかったのか。先生の天皇に対する思いは一貫しているのです。だが、言ってはいけないことを言ったから責任はとりますと。英霊の声を書いた時点から死んで責任を取るという覚悟はできていたと思う」

「英霊の声」の発表後、学生との交流を持ち、祖国防衛隊構想実現に向けて行動を開始した三島は43年7月、中央公論に発表した「文化防衛論」で、天皇は日本人の歴史的連続性、文化的統一性、民族的同一性の象徴であるとし、政治概念によって天皇が利用されることを防ぐためにも、「天皇と軍隊を栄誉の絆でつないでおくことが急務なのであり、又、そのほかに確実な防止策はない」と指摘している。

 三島は「論争ジャーナル」に寄稿した「青年について」で、学生との出会いについて、「はじめて妙な虫が動いてきた。青年の内面に感動することなどありえようのない私が、いつのまにか感動していたのである」と述べている。学生が三島と出会い、具体的な目標を持ったように、三島も学生と出会い、「行動」に向けて舵を切り始めたのだろう。

 政治的発言を活発化させる三島は、祖国防衛隊に代わる楯の会を結成した。

 ある元会員は言う。「先生の純粋さとわれわれの思いが融合した。先生の人生はわれわれと会って、現実の世界へと全てが変わったのではないか。われわれに会っていなければ一作家で終わっていたかもしれない」

三島は季刊雑誌「批評」に連載された「太陽と鉄」の中で「すでに謎はなく、謎は死だけにあった」と心の内を明かし、事件の1週間前の文芸評論家、古林尚との対談では「軍医の誤診で兵隊から即日帰郷でかえされてきて、そのときに遺書を書きました。天皇陛下バンザイというその遺書の主旨は、いつまでもぼくの内部に生きているんです。(中略)ぼくは、あれから逃げられない」と述べ、「戦後は余生」とまで言い切っている。さらに「いまにわかりますよ。ぼくは、いまの時点であなたにはっきり言っておきます。いまに見ていてください。ぼくがどういうことをやるか」と事件を示唆する発言をしている。

 作家として、思想家としての言動は並行して進む。

 憲法を改正して自衛隊を国軍とする道を模索する三島らは、44年10月21日の国際反戦デーに、自衛隊が治安出動し楯の会はその手助けをして、自衛隊を国軍と認定するよう憲法を改正させる計画を立てる。だが、警察力が反対勢力を鎮圧、自衛隊の治安出動が発動されなかったため、三島と森田必勝は「自衛隊は期待できない。われわれだけで実行しなければならないだろう」(検察側冒頭陳述)と、独自の決起に向けて計画を練り始める。

.  三島はバルコニーから演説する際にまいた檄文で、戦後民主主義体制の欺瞞をもっとも象徴しているものとして自衛隊を挙げ、国防という国家の基本にかかわる権利を戦後政治体制が曖昧にしてきたため、文化や伝統まで崩壊し、民族の歴史的基盤まで変化している、と危機感を訴えている。

 篠原はこう述懐する。「自分の人生についての葛藤、『英霊の声』に対する責任、憲法問題に自衛隊問題…。決起の理由はたくさんあるが、先生は背後にある近代合理主義に抗議するため、日本文化そのものに警鐘を促すために、刃を突きつけ、腹を切った。先生は文学者の世界ではなく、行動という目に見える形で託したのが楯の会だったと思う」=敬称略

11月中旬のある日、清冽な青空のなか、東京・市谷の防衛省内の急坂を上る元自衛官の姿があった。寺尾克美(86)。

 「あの日も秋晴れだったなあ」。短躯だが、がっちりとした厚い胸を張り、青空を見上げた。

 45年前のあの日、陸上自衛隊市ケ谷駐屯地の東部方面総監室で益田兼利総監の身柄を拘束した三島由紀夫=当時(45)=ら5人と自衛官との間で格闘になり9人が負傷、うち6人が入院した。寺尾もその一人だ。三島に銘刀「関の孫六」で腕を一太刀、背中を三太刀斬られ、瀕死の重傷を負った。

 事件現場となった総監室は今、「市ケ谷記念館」として残されている。

 その総監室のドアに今も残る刀傷を指さしながら、「最初に踏み込んだ自衛官が斬られたときのものだ。総監の机がこのあたりにあった。窓の外のバルコニーで三島さんが演説した」。寺尾は当時の凄惨な記憶が蘇ってくるように話した。

■  ■

寺尾は当時、会計課予算班長の3佐で41歳。総監室近くの会議室で9人の幹部自衛官と次年度予算の編成中だった。「総監が拘束されている」。急変を告げる声に、全員が「なぜ!」と飛び出した。体当たりして総監室ドアのバリケードを破った。縛られた総監の胸元に短刀を押しつける森田必勝=当時(25)=の姿が目に飛び込んできた。

 「鍛えた体で目が鋭く光っていた」。隙を見て飛びかかり、押さえ込んで短刀を踏み付けると、すかさず三島が刀を構えて迫ってきた。「木刀だと思っていたから、かっこいいなと思う余裕がまだあった」 

 背中を斬られた。「『出ないと殺すぞ』と脅す程度で傷も浅かった。でも出ようとしなかったから、三島さんもだんだん力が入って…」。四太刀目の傷は背骨に平行して23センチ、5センチの幅に達した。短刀を奪い、医務室へ向かう途中、背中から「クジラが潮を吹くように血が吹き出した」という。

 搬送先の自衛隊中央病院で、三島と森田が割腹自決したことを知らされた。

 「組み合ったとき、間近で見た森田君の顔は今も忘れない。まだ、あどけなさが残っていた。後にテレビ番組に出演した森田君のお兄さんが『信奉する三島由紀夫と最後まで行動を共にしたのだから、本望、立派だったと思いたい』とおっしゃっていたが、まさにそれが全てだと思う」

森田を懐かしむように話すと、こう続けた。

 「三島さんの邪魔をしたという思いがあるが、三島さんには私を殺す意思はなかったと思った。ただ、負傷したぼくらを隊員たちは見ている。そんな状況で演説したって、聞いてもらえるはずがなかった」

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 陸将補で定年を迎えた寺尾は現在、講演活動を行っている。

 寺尾は平成23年5月3日には愛媛県で「独立国にふさわしい憲法の制定を!三島由紀夫義挙に立ち会った者として」の演題で講演。講演会では「日本国にとり、最も重要なことは平和ボケから目覚めて独立国としての憲法を制定すること。それが三島由紀夫氏と森田必勝氏の『魂の叫び』でもある!」と書かれた文章を配布した。

 総監が捕縛された上、寺尾自身も斬りつけられて瀕死の重傷を負っただけに思いは複雑だ。だが、「三島さんは戦後憲法によって日本人から大和魂が失われ、平和ボケ、経済大国ボケして、このままだと潰れてしまうと予言したが、まさに、20年後にバブルが崩壊し、心の荒廃は今も進んでいる。私は事件に立ち会った一人として、命を引き換えにした三島さんらの魂の叫びを伝えたい」と話す。そして「憲法改正が成立したとき、やっと無念が晴れて成仏できる。それまで三島さんは生きてますよ。安保法制で憲法への関心が高まっている今こそ、檄文を多くの国民に読んでほしい」と続けた。

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 世界的な作家と学生の割腹自決という衝撃的な事件は国内外で大きな波紋を呼んだ。ただ、その衝撃の大きさだけが先行し、三島由紀夫や森田必勝の思いがどこまで、国民に理解されたかは疑問だが、寺尾克美のように、三島らが決起の対象として選んだ自衛隊員には大きな影響を与えた。

 元会員、村田春樹(64)の著書「三島由紀夫が生きた時代」によると、決起後、自衛隊が1千人の隊員に無差別抽出でアンケートを取ったところ、7割以上の隊員が檄文に共鳴すると答えたという。自衛隊員の思いを象徴するように、三島らが体験入隊した滝ケ原駐屯地内には、三島の揮毫を彫り込んだ歌碑が建っている。

 〈深き夜に 暁告ぐる くたかけの 若きを率てぞ 越ゆる峯々  公威〉

 「くたかけ」は暁を告げる鶏の雅語。「公威」は三島の本名、平岡公威だ。

 元自衛官の佐藤和夫(69)によると、三島の自決後、三島が楯の会の会員と体験入隊した際に残した和歌を彫りつけたものだという。

 村田の著書によると、篤志自衛官が建立したもので、陸上自衛隊幹部だった楯の会の元会員は、三島が再三再四体験入隊し、その人格識見、自衛隊を愛する心を多くの隊員が知っていたからではないか、と建立理由を分析している。

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佐藤も三島らの決起に影響を受けた一人だ。慶大法学部を卒業し、商社に勤務していた佐藤は当時24歳。就職して2年目だった。

 事件当日は激務が原因で肺炎にかかり入院していた。「頭をガーンと殴られたような衝撃を受けた。それまで『おもちゃの兵隊』と揶揄されていた楯の会を冷めた目で見ていたが、三島さんらに武士道と男の生きざまを見て、オレも何かせねばと目覚めた。檄文も全くその通りだと思った」

 その後、商社を辞め翌春、2等陸士として自衛隊に入隊する。三島らの決起に触発され、国防に燃えて入隊してきた若者は何人もいたという。最初の配属先は、滝ケ原駐屯地だった。何かの縁を感じた。

 「先輩方から40歳を過ぎている三島さんが、最後尾であえぎながら走っていたと聞き、あの高名な作家がみじめな姿をあえてさらして、と感銘を受けた」

 昭和47年4月、幹部候補生学校に入校し、同年9月に会計担当として北海道南恵庭駐屯地に赴任。北部方面会計隊長となっていた寺尾に出会う。「ここでも三島さんの縁を感じました」

 30代でイラン・イラク戦争が勃発。緊張感を求めて邦人保護にあたる警備官に志願し、アラブ首長国連邦へ。「国を支える喜びを実感できた」。1佐で定年退職するまで三島を批判する隊員には出会わなかった。

■  ■

事件から45年がたち、この間、三島と森田の思いを後世に伝えようと活動している組織がある。

 三島森田事務所(東京都足立区)だ。楯の会2期生で初代事務局長の堀田典郷(70)は「楯の会の解散に反対だったが、解散は先生の命令だったから同意した。でも、事件を風化させないために、三島先生のために何かをしたいという気持ちから、連絡網として事務所を立ち上げた」と話す。

 2代目事務局長の原田強士(56)は三島とも森田とも面識はない。事件が起きたのは小学生の時だった。20代で楯の会1期生の阿部勉(故人)と知り合い、三島の御霊のそばで、考え方を学びたいと考えるようになったという。三島森田事務所と関わって12年、事務局長になって10年になる。20年余り、三島の月命日には、三島が眠る多磨霊園の墓前で掃除を続けている。「最近、月命日にお参りに来る20代、30代の若者が少しずつ増えている。多いときで、15、16人。タバコを1本ささげる人もいる」

 「恢弘せよ、という命令は永遠に続くと思う」といい、毎年11月25日には、三島の墓前で慰霊祭を行っている。

事件後に生まれた自営業、折本龍則(31)にとって、三島と森田は「もはや歴史上の人物」だ。檄文は「全くその通りだと思うし、三島先生や森田さんの考えには共感している」というが、「その通りのことが70年以上も続いて、既成事実化してしまっているのも事実で、受け入れざるを得なくなっている」と話す。その一方で「三島先生や森田さんのように、自分で納得できる生き方をしたい」という。

 高校時代に三島の文章と行動力に魅せられたという女性会社員(32)は「今、楯の会があればぜひ入りたい。先生は日本の真の姿の実現を目指していた。自決は自衛隊の決起を喚起しただけではない。もちろん、あきらめの境地でもない。メッセージだ。自分たちが口火を切ることに意味があった。それだけの影響力があると分かっていた」と話した。

 少しずつではあるが、三島や森田の思いが広がりつつある。        =敬称略

(重松明子、編集委員 宮本雅史)

11/23日経『対中国、「甘い幻想」捨てよ 米国防総省顧問 マイケル・ピルズベリー氏』について

昨日掲載しました高島康司氏ブログがやはり違っているというのを裏付けるような記事がありました。中国の内部情報が漏れることは少ないと思われますが、このような偽情報を出すメリットは中国にはないと思いますので信用して良いと考えます。

11/23宮崎正弘メルマガに「中国外交チームの内部資料が暴露  習近平訪米は鄧小平以来、最大の外交失敗だった、と。博訊新聞網が伝えている(2015年11月22日)。

 九月の習近平訪米は「鄧小平以来最大の外交失敗だった」と外事工作領導小組が内部報告文書で印していることが分かった。

 失敗と総括される理由は三つあり、第一にNY地裁南区裁判所が、訪米直前に在米中国人が訴えていた人権侵害の起訴状を受理したこと。これは在米の鳥永田、孫天鵬らが「中国国内における取り調べの残酷さ、人権活動家の弾圧」などを事由として習近平を告訴したもの。

 第二に弁護士、ジャーナリストら二百名をこえる人権活動家の拘束にオバマ大統領が抗議したこと。

 第三はハッカー攻撃について、習近平はいささかの反省もなく米国を怒らせてしまったこと。

 習訪米は外交部を中心に一年前から準備し、各方面に前準備を奔走してきただけに、駐米大使の崔天凱は疲労困憊で吐血したほどだったという。

また訪米前に楊潔チ、孟建柱らを派遣し、訪米成果の下工作に当たったが、すべては無駄に終わった。」とありました。

ピルズベリーは気づくのが遅かったですが、better late than neverです。アメリカの歴史でキッシンジャーは売国奴として扱われるでしょう。どうせ中国のことですから賄賂か、ハニートラップを仕掛けているでしょう。他のパンダハガーも同じようにしていると思います。米国の中国通は「中国も豊かになれば民主化する」と幻想を抱いていましたが、民主化するはずがありません。長い歴史の中で民主化(人民民主でなく、議会制民主主義)したことはありません。日本は1890年選挙を経て帝国議会が開設されましたが。中国では今後も共産党統治が続く限りあり得ません。米国の政策決定者がピルズベリーの言い分を信じていないのは愚かです。オバマのことと思われますが、宥和主義こそ戦争の原因になることを肝に銘ずべきでしょう。ラッセンだけでなく他の艦船も、頻度も多く南シナ海を航行すべきです。軍事基地化は経済制裁の対象になると明言すべきです。 

記事

1972年にニクソン大統領が訪中して以来、米国はあらゆる支援を通じ、中国が強くなるのを手伝ってきた。

 中国が強大で豊かになれば、ジーンズやロック音楽を好む中間所得層が生まれ、米国のような国になっていく。やがて民主化も進み、中国は米国の同盟国になるにちがいない。中国を助けたのは、こんな前提を信じたからだ。

 70年代には米国のライバルは日本であり、貧しく、遅れていた中国は決して米国に挑むことはない、とみられていた。つき合うべき友人は中国であって、日本ではない。こうした見方を初めにキッシンジャー元国務長官らが唱え、しだいに米国内に広がっていったのだ。

 いまから振り返れば、その考えは誤りだった。ところがワシントンではいまだに、中国が協力相手になるとの希望的な観測が幅をきかせ、支援が続けられている。オバマ政権は、中国のイノベーションを促す会議を発足させ、最もすぐれた科学者や起業家がノウハウを手ほどきした。

 米国が中国への幻想を捨てられないのは72年以来、両国がさまざまな秘密協力によって結ばれてきた実績があるからだ。私はそれらにかかわり、近著「China 2049」で内幕を書いた。たとえば、中国は当初、敵対していたソ連軍の師団やミサイル基地がどこにあり、何発の核ミサイルを持っているのかすら、知らなかった。そこで、米国は偵察衛星などでつかんだ機密情報を教えた。

 アフガニスタンにソ連が侵攻した後には、米国は中国から約20億ドル分の兵器を買い上げ、アフガンの反ソ武装勢力に流した。80年代には、カンボジアからベトナム勢力を追い出すため、米中がタイやシンガポール、マレーシアと組み、秘密工作も展開した。

 こうした実績があるため、米国の政策決定者の多くは、今後も中国と協力できると思っている。(南シナ海の人工島などの)問題は一時的なものにすぎないと考えているようだ。中国側も米国に対抗する戦略など存在しないと力説する。

 しかし、私の見方が正しければ、中国の言っていることは真実ではない。彼らは(建国100周年の49年までに米国を抜き、世界覇権をにぎるという)マラソン戦略を着々と進めている。対抗するには、中国が崩壊するという言説に惑わされず、米国の競争力を強めることが大切だ。

 米国は米中秘密協力について、日本には一切、教えてこなかった。日本は憲法の制約上、他国には軍事支援できないうえ、秘密工作を担う機関もないので、知らせる必要はないと考えられてきたのだ。米中間でどのような協力が進んでいるのか、日本は今からでも米政府に情報の提供を求めるべきだろう。

(談)

Michael Pillsbury 米コロンビア大学大学院で博士号。長年、米国防総省などで対中戦略に携わる。ハドソン研究所にも在籍。70歳。

11/19money voice 高島康司『米・中に踊らされる日本。複数のシンクタンクが見抜いたAIIBの真実』について

普通に考えて、今米国が持っている既得権である世界覇権をそんなに簡単に他国に渡すものでしょうか?覇権を奪うには、長い時間と戦争での人命の犠牲が必要です。ロシアですら地域覇権しか持てない状況です。それを踏まえないで書かれています本記事は日米の離間工作、デイスインフォメーションの気がしてなりません。ま、中国の賄賂・ハニートラップで汚染されている要人は日米ともに多数いる気はしますが。下のZAKZAKの記事にもありますように、外形上も米中の関係がうまく行ってるようには見えませんが。米国は中国の保持する債権(=借金)は返さなくても良いと思っていると聞いたことがあります。そのときは「それでは米中で戦争になるのでは」と思いましたが。米国はいざとなれば中国の借金を踏み倒す気でいるのでしょう。逆に南シナ海の件で戦闘になれば、踏み倒しの名目が立つのかも知れません。国際政治は複雑怪奇ですから何が起きても不思議ではないのですが。

確かに軍同士の訓練はあるでしょうが、相手に自軍の凄さを見せて、戦争の抑止とすることは良くやっていること。観戦武官受入もそうでしょう。

中国は南シナ海の人工島建設は止めないし、軍事基地化も進めて行くでしょう。東アジア首脳会議で「軍事基地化はしない」という各国の要請を李克強は追認したと11/23日経記事はありましたが、更に「域外の国はこの地域の緊張を引き起こすな」とも言っています。表では国際法に従うフリ(人工島を作るのが国際法遵守とも思えませんが)をして、裏では二国間交渉で既成事実を作ろうとしています。アメ(経済支援)とムチ(軍事力)で恫喝していると思います。アメリカが宥和政策に陥らないことがキーとなります。

11/20ZAKZAKでは「『世界銀行の中国人幹部退任へ 習政権との近すぎる関係に米不満 主要ポスト失う』

アジア太平洋経済協力会議(APEC)でも自国主導の経済圏構想を打ち出した中国に大逆風の事態だ。途上国向けに投融資や開発支援を行う世界銀行で中国人幹部の退任が決まり、中国は主要ポストを失うことになる。幹部と習近平政権との近すぎる関係に、米国など加盟国から不満がくすぶっていたとの報道もある。

 世界銀行は国際通貨基金(IMF)とともに1945年に設立、途上国に幅広い援助を行っている。日本も戦後、東海道新幹線、東名高速道路などのインフラ建設で世銀の融資を受けた。国際復興開発銀行(IBRD)や国際開発協会(IDA)など複数の機関で構成され、いずれも米国が出資比率トップで、日本が2位となっている。

 退任人事が話題になったのは、世銀グループで民間向けの投融資を行う国際金融公社(IFC)の長官を務める蔡金勇氏。中国籍の蔡氏は、ゴールドマン・サックスなどを経て2012年10月に現職に就いたが、IFCは今月11日、世銀前元総裁でフランス出身のフィリップ・ウエルー氏が次期長官に就任すると正式発表した。

 蔡氏が4年間の任期を1年近く残して退任する背景について、英フィナンシャル・タイムズ紙は、「北京(中国政府)との距離が近すぎ、あまりに多くの中国企業とのプロジェクトを推進したことで、加盟国から不満が出ていた」と報じた。

 同紙によると、6月に中国国営の中国郵政儲蓄(ちょちく)銀行への3億ドル(約370億円)の出資を決めた際には、25人の理事のうち9人が抗議の意味を込めて棄権した。米国は最近のIFCによる中国企業向け投融資の案件では常に評決を棄権することで不快感を示しているという。

中国との関連では、世銀の最高財務責任者(CFO)でフランス出身のベルトランド・バドレ氏も来年3月に退任すると報じられた。米ウォールストリート・ジャーナル紙によると、中国が国際的な存在感を高めるためにIDAに10億ドル(約1230億円)の融資と1億7900万ドル(約220億円)の助成金を出したことをめぐり、世銀の内部調査を受けていた。

 この案件でバドレ氏は蔡氏と一緒に働いており、AFP通信は、2人は韓国系米国人のジム・ヨン・キム総裁の側近だったとしている。

 米国や日本主導の世銀でも、中国案件が組織を揺さぶる事態となったが、この先、中国主導で発足を目指すアジアインフラ投資銀行(AIIB)はどうなるのか。

 週刊東洋経済元編集長の勝又壽良氏は「中国政府の意向を強く受け、採算度外視の融資を行ったあげく、焦げ付きが発生する危険性が常に付きまとう」と警鐘を鳴らしている。」とありました。

記事

今回は中国の主導する「AIIB(アジアインフラ投資銀行)」に関して、日本ではまったく報道されていない内容を書く。「米中は対立関係になく、そもそもAIIB設立を中国に持ちかけたのは米国である」というシンクタンクの分析だ。

これが真実だとすれば、中国の南シナ海への進出が問題となる中で、日本の安倍政権の現状認識は根本から間違っていることになる。(未来を見る! 『ヤスの備忘録』連動メルマガ・高島康司)

「米中に対立関係なし。AIIB設立を持ちかけたのは米国」最新分析

従来、AIIBはどのように受け止められていたか

中国が中央アジアを鉄道網で結び、貿易のための海路を整備する「一帯一路」とともに、そのための資金確保のための「AIIB(アジアインフラ投資銀行)」の設立を発表したことは記憶に新しい。

当初は「AIIB」には参加しないようにとのアメリカからの圧力があったにもかかわらず、イギリスをはじめ57カ国が参加を表明して世界を驚かせた。欧米にかわる、中国主導の本格的な経済秩序の構築が始まったと考えられた。

一方日本は、中国からの参加要請にもかかわらずアメリカとともに参加を辞退した。この方針の妥当性を巡って国内で大きな議論にもなっていた。

アメリカは世銀を通じて中国を監視すると見られていたが

他方、これに対して一時は強い不快感を表明していたアメリカだったが、「世界銀行」が「AIIB」と積極的に協力することを表明した。中国主導の経済秩序にアメリカは参加はしないものの、「AIIB」が中国の国益を最優先して暴走しないように監視役を買って出たのではないかとも言われていた。

このような状況だったが、中国が「AIIB」の参加を締め切った6月末からは、「AIIB」に関しても、また中国がこれを設立する背景になった「一帯一路」構想についてもほとんど報道されることはなくなった。

直近の報道では、10月22日にアメリカが主導する「世界銀行」のジム・ヨン・キム総裁が次のように発言し、「AIIB」と「世界銀行」との協力関係がさらに強化されていることを明らかにしたくらいだ。

「AIIBと世界銀行、アジア開発銀行などは互いに競い合う関係ではない。AIIB発足の重要な要因は既存の多国間開発機関がアジア諸国のインフラ整備の需要を満たせていないからだ。現在、AIIBと世界銀行やアジア開発銀行との協力は非常に順調である。AIIBはこれらの金融機関が現在行っている自身の改革が進むよう期待している」

次第に明らかになりつつある「AIIB」の真実

このような状況なので、一時はあれほど騒がれた「AIIB」だったが、いまはあまり注目していない読者も多いに違いない。筆者もそうであった。

しかしながら、CIA系シンクタンク『ストラトフォー』の有料レポート、またトロント大学のシンクタンク『グローバルリサーチ』や、ロシアの政府系シンクタンク『ストラテジックリサーチ研究所』など多くの研究機関が配信する記事から、「AIIB」や「一帯一路」構想の真実と実態が、いまになって次第に明らかになってきたのである。

「AIIB」の設立を持ちかけたのはアメリカ

これらの複数のレポートや記事が暗示しているのは、実は「AIIB」も「一帯一路」構想も中国に持ちかけたのはアメリカのオバマ政権であったという事実だ。

オバマ政権は、「AIIB」のような国際機関を立ち上げ、これを運営するためのノウハウの提供を中国に約束し、「AIIB」を設立するように迫ったというのが実態だとしている。

さらにオバマ政権は、アメリカは表向きには参加しないものの、ロンドンのシティを通して設立に必要な資金を中国に提供し、「AIIB」の設立に資金面から現実的に関わったとしている。

いまではアメリカ政府のこうした直接的な支援ではなく、「世界銀行」が窓口となり「AIIB」を資金面からバックアップしているという。

中国とアメリカは対立関係にはまったくない

日本では、政府をはじめ国民も、「AIIB」や「一帯一路」構想、そして南シナ海の進出など、中国が主導している活動をアメリカは押さえ込み、中国をアメリカ主導の既存の国際秩序の枠組みに埋め込むことを目標にしていると強く信じられている。

この方針に積極的に協力し、日本、アメリカ、オーストラリア、インドなどの同盟国が連帯し中国を封じ込める「安全保障のダイアモンド構想」を機軸にしているのが現在の安倍政権だ。

これはまさに、アメリカと中国が覇権を巡って鋭く対立しているとする見方である。

このような対立の図式が深く信じられている日本では、「AIIB」や「一帯一路」構想がむしろアメリカからの提案にしたがって出てきたものであるという事実は、おそらく安倍政権の外交政策を揺さぶるくらいの衝撃となるに違いない。南シナ海における米中の対立の状況を見ると、これは信じられないとの拒否反応を抱く人もいるのではないだろうか?

しかし、こうした複数の専門的な研究所やシンクタンクの記事やレポートが明確に述べていることは、アメリカと中国は敵対関係にあるどころか、いち早くアメリカは中国との覇権を分け合う決定をしており、政治的・経済的覇権の棲み分けによる協力関係の形成を水面下で加速させているという事実だ。

協調関係を公にできないアメリカ

またこうした記事では、中国との覇権を分け合う決定をし、すでに中国とは協調関係にあることをアメリカは公にすることは到底できないとしている。

その理由は、中国との深刻な対立を抱える同盟国が存在するからだ。中国との対立は、日本、フィリピン、マレーシアなどのアジアの同盟国がアメリカとの関係を強化するための前提条件として機能している。

そのようなとき、もしアメリカがアジアにおける中国の一部覇権を容認するような姿勢を明確にしてしまうと、こうした同盟国はアメリカから離反し、それがアメリカの国益を損ねる可能性が出てくる。

したがってアメリカはいまのところ、「中国の一部覇権容認」を公にすることはできないというわけだ。

日本の手前、中国との“対立関係”を演出しているアメリカ

アメリカのこの原則がもっともよく当てはまる国は日本だとされている。

特に現在の安倍政権は、中国を仮想敵国と想定し、中国脅威論を煽ることで国内のナショナリズムを鼓舞している。この愛国主義的な雰囲気をうまく利用して支持率を上げ、憲法改正で可能になる戦前型の国家体制を実現させようとしているのがいまの安倍政権だ。

この方向性を追求するためには、アメリカとの同盟関係を強化して中国を封じ込めるという対立図式は不可欠になる。

これは、アメリカにとっても間違いなく好都合な図式だ。安倍政権が中国との対立を喧伝し、アメリカとの同盟関係を強化する方向にあるとき、安倍政権はアメリカの希望のほとんどを丸呑みし、実現してくれる。

明らかに主権国家の権限に制限を加えるTPPの加盟や、ジャパンハンドラーのジョセフ・ナイとリチャード・アーミテージが2012年の報告書で要求していた「秘密保護法」や「集団的自衛権」の可決は、中国脅威論が存在し、アメリカとの同盟関係の強化が図られていたからこそ可能になった。

これらの処置を通して、日本の自衛隊は後方支援部隊としてアメリカ軍に組み込まれ、世界の紛争地域への展開が可能な体制が構築されている。予算削減のため展開できる兵力の縮小を余儀無くされているアメリカにとって、これは大変なメリットである。

したがってもし、アメリカが中国の覇権容認を公にしてしまうと、中国の脅威に対抗するためにアメリカとの同盟関係に依存するという図式は成り立たなくなり、日本はアメリカから自立した独自の外交政策を追求せざるを得なくなる。おそらく日本は、中国とのバランスを取るためにロシアとの関係強化を模索する可能性が高い。

これは、ロシアの進出を本格的な脅威として認識しているアメリカにとってはあってはならないことだ。

このような状況のため、アメリカは特に日本の手前、中国との敵対関係を演出せざるを得ない状況にある。

緊張感のまったくない南シナ海の状況

アメリカが中国と実際には敵対していないことは、いま大きな問題になっている南シナ海の状況を見るとよく分かる。

周知のように、10月27日、アメリカはイージス艦の「ラッセン」を派遣し、中国が領有権を主張している人工島の12カイリ内を航行させた。日本ではこれは、アメリカが中国の領有権の主張をくじき、公海における自由航行権の違反は許されないことを中国にはっきりと主張した明白な行動だと報道されている。

だがアメリカによる「ラッセン」の派遣は、中国による人工島の施設建設が完成が近づいてから実施された遅きに失した行動であり、なおかつベトナムとマレーシアが領有権を主張する島々の12カイリをも通過して、こうした国々にも注意を促すというかなり穏健なものであった。

もしアメリカが、南シナ海における中国の海洋進出を本気で阻止するのであれば、攻撃力のない「イージス艦」ではなく、攻撃能力のある空母部隊を派遣していたことであろう。少なくとも多くのシンクタンク系の記事はそのように指摘している。

しかし実際にはアメリカは、中国と対立関係になる意志がまったくないことを示す事実のほうが多い。11月7日には、アメリカと中国の海軍は、米フロリダ州沖の大西洋で合同演習を実施している。この演習には、アメリカを友好訪問した中国海軍のサイル駆逐艦や補給艦などが参加した。アメリカ海軍では、ミサイル駆逐艦や巡洋艦が参加している。合同演習の目的は、海上での通信、編隊航行、救難などの訓練の実施であった。

さらに、中国軍部は、各国の国防相や軍高官を招いた多国間の安全保障対話「香山フォーラム」を北京で行っている。中国の常万全国防相は、このフォーラムに参加するベトナムやフィリピンなど東南アジア諸国連合(ASEAN)の国防相らと非公式会談を開き、2016年に南シナ海で衝突回避の訓練と海難救助の合同演習を提案した。

アメリカ、イギリス、ドイツ、日本など14カ国の政府関係者ら計約500人が参加している。アメリカも参加していることから、このフォーラムはアメリカ政府の容認で開催されていることは間違いない。

これは明らかに中国情勢を巡る緊張が緩和されていることを表している。さらにこの動きには、オーストラリアも関与している。オーストラリア政府は、オーストラリア海軍のフリゲート艦2隻を中国広東省湛江の基地に派遣し、中国海軍との合同演習に参加させている。

「AIIB」設立の見返りとしての南シナ海

このように見ると、アメリカと中国をはじめ多くの関係国は、緊張緩和に向けた動きを加速させ、むしろ中国との協調関係の形成に向かっているようだ。中国との対立と緊張が高まる方向ではない。

ところで、欧米でも報じられない事実の報道で定評のあるのがロシアのシンクタンクである。特にロシアの政府系シンクタンク『ロシア戦略研究所』のような機関からは、驚くような内容の情報が手に入る。今回、そのような政府系シンクタンクの記事として、南シナ海の動きと「AIIB」の設立が実はリンクしていることを示唆したものが複数ある。

これらの記事によると、オバマ政権は中国に「AIIB」の設立を提案し、中国がそれを引き受ける見返りとして、南シナ海における中国の行動の自由を保証した可能性が高いというのだ。

これはアメリカが、南シナ海におけるシーレーンを中国のコントロール下におくことを容認したということだ。

もちろん、日本のようなアメリカの同盟国が中国脅威論を採用し、中国と緊張関係にあることがアメリカの国益になる状況が存在する限り、オバマ政権がこの事実を公表することは絶対にない。

アメリカは中国の同意を得た上で、南シナ海における見かけ上の緊張関係を演出することだろう。

現実性のない構想~安倍政権は嵌められたのか

さて、もしこのような状況が事実だとするなら、日本の安倍政権の現状認識は根本から間違っていることになる。

何度も書いたように、安倍政権の基本的な外交政策になっているのは、仮想敵国である中国の脅威論、ならびにこの脅威に対処するために、中国を日本とアメリカ、オーストラリア、インドなどの同盟国で封じ込める「安全保障のダイアモンド」構想である。

だが、もしアメリカが中国の一部覇権を容認し、南シナ海の南沙諸島の管理権を中国に本当に委ねたとしたのなら、この構想はまったく現実性のないものになることは間違いない。反対に、こうした新しい情勢に適応するためには、中国脅威論とそれに基づく中国封じ込め構想をいち早く破棄し、中国との協調関係の構築へとシフトすることが迫られるはずだ。

中国との合同演習を実施しているアメリカやオーストラリア、そして南沙諸島の中国の進出に対して抑制的に対応したASEAN諸国などを見ると、すでにこの新しい現実を受け入れているかのような印象を抱かせる。

だが、安倍政権下の日本は、このような現実的な対応をすることはできないと見た方がよい。なぜなら安倍政権は、中国の脅威を最大限に煽ることで国内のナショナリズムを鼓舞し、それを支持の基盤にしている政権だからだ。

このナショナリズムの高まりを利用して憲法を改正し、戦後の平和国家の枠組みを破棄して戦前型の天皇制国家を復権させることが安倍政権の最終的な狙いである。

そのような安倍政権なので、新しい状況に適応するために、中国脅威論を引っ込めることはまずできないはずだ。それは、政権の支持を固め、戦前型国家の復興という目標を実現するためのツールであるナショナリズムを実質的に放棄することになる。

ということは、情勢がどのように変化しようとも、安倍政権は中国脅威論を強く主張し、そうしたイメージを国内で広く喧伝し続けるはずだ。

幻想に閉じこもる安倍政権と日本国民

もし安倍政権がこうしたイメージを自ら信じ込み、これに基づき政策の判断を行うようになると、大変に危険な状態になる。これは戦前と同じようなメンタリティーではないだろうか?

1941年12月、アメリカのGDPが日本の20倍であるにもかかわらず、日本は真珠湾攻撃を行った。これは、アメリカに大きな一撃を与えるとアメリカが戦意をなくすので、きっと有利な終戦の講和に持ち込めるはずだという、何の根拠もない希望的な観測に基づいていたことはよく知られている。

実際はこのまったく反対であった。真珠湾攻撃は、「日本をたたきつぶす!」というアメリカ国民の強い戦意を刺激した結果になった。

これは、とてつもない判断ミスである。このようなミスが犯された原因は、判断が客観的な現状認識ではなく、希望的な観測といういわば自らが作り出した幻想に基づいていたことにある。

自分が信じ込みたい都合のよい現実を最優先し、これに合わない客観的な事実をあえて無視するというメンタリティーだ。

いま憲法改正や秘密保護法など安倍政権の戦前回帰的な方向性が問題にされているが、実はもっとも危険なのは、都合のよい現実に閉じこもり、客観的な事実を無視するというメンタリティーではないだろうか。

そして安倍政権は、彼らにとって都合のよい現実認識を国民が共有するようにマスメディアに介入し、事実とは異なった報道をするように誘導している。

これは大変に危険な方向だ。将来、とてつもないミスを犯す危険性があると言わねばならない。これがどういうことなのか、次回にはさらに突っ込んで書くことにする。

高島 康司(たかしま・やすし)北海道札幌市生まれ。早稲田大学卒業後、大手語学学校で教材、コース開発、講師研修、企業研修等を担当。現在は独立し、企業の語学研修、IT関連研修、企業関連セミナー、コンサルティング等をおこなっている。主な著作は、『1週間で実践 論理的会話トレーニング』、『知的論理トレーニング』『英文社内メール すぐに使える例文集』(以上ベレ出版)、『きちんと伝える英語』(DHC)ほか多数。

11/19産経ニュース 石平『中国の目先の利益に乗るな』について

石平氏が「合従連衡」の故事を引いて、ASEANの団結を訴えています。南シナ海を中国の内海にしないためにはASEANの合従策が大切で、中国の各個撃破策である連衡策には乗るなという事です。中国は経済支援をすることにより、各国が「目先の利益」に走ることを狙っています。将来を見渡せば、中国の属国・隷従の道となるのが見えてくるでしょう。今の利益で、将来は搾取・人権弾圧・民族浄化が行われることは、今の中国人民、チベット・ウイグル・モンゴルを見れば分かることです。

ASEANでは中国の情報が少ないのかもしれません。日本が正しい情報を与えて、各国が正しい判断をするようにすれば良いと思います。ベトナムやフィリピンだけでなく、他の国も中国の侵略・膨張主義に反対していかないと。東南アジアが中国の最初の橋頭保にならないことが、明るい世界が築けるかどうかの分岐点となります。どの企業でも営業拠点を一個・一個作っていこうとするでしょう。国も同じで自分の陣地を一個・一個作っていこうとします。日本も他国のことと思っていると、中国がここを制圧したら、次に東シナ海に出て来ることは必定です。一国平和主義というのは中国を有利にさせるだけです。如何に日本のメデイア・大学・民主・共産は腐っているかです。同盟・準同盟で中国の拡張主義を抑止しないと。日米・豪・印・露+ASEANで中国包囲網を完成しなければ。

記事

今月に入って中国は、アジア太平洋地域において一連の慌ただしい近隣外交を展開してきた。

1日、韓国のソウルで李克強首相は3年半ぶりの日中韓首脳会談に参加し、日本の安倍晋三首相との初の公式首脳会談を行った。5日には、今度は習近平国家主席が就任後初めてベトナムを訪問し「関係の改善」を図った。

10日、王毅外相はマニラを訪れてフィリピンの大統領、外相と相次いで会談した。

この一連の外交活動の対象となった3カ国が抱えている共通問題といえば、やはり南シナ海だ。

同海での中国の拡張戦略に対し、当事者として激しく反発しているのはベトナムとフィリピンの両国である。一方の日本もまた、自国のシーレーンとなる南シナ海の「航海の自由」を守るべく、中国の戦略に強く反対する立場を取っている。

こうした中で中国がこの3カ国に急接近してきた意図がはっきりと見えてくる。

10月末の米海軍による南シナ海哨戒活動の展開によって米中対立が一気に高まった中、中国政府は南シナ海問題の当事者諸国との緊張を緩和させることによって、中国批判を強める米国を牽制(けんせい)するつもりであろう。当事者同士が話し合いで問題解決に向かうのなら「部外者」のアメリカは口出しが難しくなる計算である。

さらにAPECの前に、関係諸国を取り込んだ上でアメリカの攻勢を封じ込めておくのが一連の中国外交の狙いだったろう。

要するに、アメリカを中心とした「有志連合」が中国の拡張戦略に立ち向かおうとするとき、「有志連合」の参加国と個別に関係改善を図ることによって「連合」の無力化を図る策略なのだ。

それは中国で古来使われてきた伝統的得意技である。

中国では紀元前8世紀から同3世紀まで戦国という時代があった。秦国をはじめとする「戦国七雄」の7カ国が国の存亡をかけて戦った時代だったが、7カ国の中で一番問題となったのが軍事強国で侵略国家の秦であった。

いかにして秦国の拡張戦略を食い止めるかは当然他の6カ国の共通した関心事であったが、その際、対策として採用されたのが、6カ国が連合して「秦国包囲網」を作るという「合従策」である。

6カ国が一致団結して「合従」を固めておけば、秦国の勢いが大きくそがれることになるが、一方の秦国が6カ国の「合従」を破るために進めたのが「連衡策」である。6カ国の一部の国々と個別的に良い関係をつくることによって「合従連衡」を離反させ、各個撃破する戦略だ。

この策で秦国は敵対する国々を次から次へと滅ぼしていったが、最終的には当然、秦国との「連衡」に応じたはずの「友好国」をも容赦なく滅ぼしてしまった。秦国の連衡策は完全な勝利を収めたわけである。

それから二千数百年がたった今、アジア太平洋地域もまさに「戦国時代」さながらの様相を呈している。中国の拡張戦略を封じ込めるために米国や日本を中心にした現代版の「合従連衡」が出来上がりつつある一方、それに対し、中国の方はかつての秦国の「連衡策」に学ぶべく、「対中国合従連衡」の諸参加国を個別的に取り込もうとする戦略に打って出たのである。

その際、日本もベトナムもフィリピンも、目先の「経済利益」に惑わされて中国の策に簡単に乗ってしまってはダメだ。あるいは、中国と良い関係さえ作っておけば自分たちの国だけが安泰であるとの幻想を抱いてもいけない。

秦国によって滅ぼされた戦国6カ国の悲惨な運命は、まさにアジア諸国にとっての「前車の轍(てつ)」となるのではないか

11/18産経ニュース 古田博司『韓国が企てる統一への反日戦略』、11/21日経『「戦わずに勝つ」朴氏の戦略 慰安婦問題、日本との攻防ヤマ場 首脳会談の笑顔「妥結」呼ぶか』について

日経記者も、外務省か官邸の話に乗せられて、韓国が望むような決着を図ろうと世論を誘導しようとしていると見えます。愚かです。中韓は暴力団国家です。暴力団が「金ずる」を手放すと思いますか?払うまでは嫌がらせを続けることは間違いありません。3億円で解決することはありません。ムービングゴールポストになることは間違いありません。日韓基本条約、アジア女性基金等何度やっても蒸し返してきた歴史があるではないですか。大統領が変わればまた別な要求をしてくるのは必定です。そもそも中韓は世界に「日本は道徳的に劣った民族」の烙印を押したいがために、日本政府の謝罪と賠償金(=国が関与した責任を認めた形)が必要と思っています。悪巧みに長けた民族です。エリートと言われるキャリア官僚もそんなことが読めないのでは学力が高いだけで無能としか言いようがありません。下の「正義の味方」のブログの青山繁晴氏の発言をお読みください。安倍首相の強いリーダーシップで国益が守られていることが分かります。民主や共産、マスメデイアが反安倍を唱え、早く下ろして中韓に有利になる政治を望んでいるのが分かります。売国奴です。国民は左翼新聞・TVを読まない・見ない・買わない(3ない)ことです。

また古田氏の記事では、朝鮮半島は歴史的に事大・搪塞・遷延をやって来たという事です。米国も韓国は信頼に足る国ではないと思いだしていますから、韓国離れしていくでしょうし、中国も本記事によれば「中国は韓国と北朝鮮を手玉に取っているわけではない。できるだけ深く関わらないようにし、絶えず微調整しているのである。南北問わず朝鮮民族の「卑劣」に付き合うのは、日本も中国もロシアも苦手である。」とあります。世界の問題児です。こういう国とまともに付き合うのは馬鹿でしょう。韓国の日本大使館前の慰安婦像はウイーン条約違反だから国際司法裁判所に提訴、TPPにも日本が反対すれば韓国は入れませんのでそうすべきです。日本の名誉を貶めようとする国には報いを与えなければなりません。朝鮮半島の統一も見据え、日本は米国とのニュークリア・シエアリング、核保有を視野に入れていかねば。

11/20ブログ「正義の味方」より

「安倍総理、日韓首脳会談で慰安婦像の撤去を求めていた。

今月2日ソウルで行われた日韓首脳会談で安倍総理がソウルの日本大使館前に設置された慰安婦像の撤去を 要求していたことが、日本政府関係者によって明らかになりました。

また安倍総理は米国にある慰安婦像についても撤去を要求したとのことです。

これが、今になってリークされるというのは…

青山繁晴氏

「これ、言う予定じゃなかったんだけど、全部は言わないけど、恐るべき事実を一部ですけど、お話します。 ネット上で、安倍総理は本当は韓国側に3億円払って慰安婦問題を解決するつもりじゃないかという書き込みが 山のように流れているのを知っていますか?飯田こうちゃんは知らない?

僕の読者、視聴者の方からたくさんメールもいただいているのですが、 まずこれは韓国側の要求なんですよ。安倍さん、蹴りました。

慰安婦問題についてパククネさんが、懇願するかのように、安倍さんにいろいろお願いしてきた事実があって、 日韓首脳会談の1時間20分、言い合いになったのも事実なんですね。

その中に慰安婦像の問題もあるけれど、慰安婦像ももちろん深刻な大きな問題ですけれど、 もっと大きなのは、アジア女性基金です。あれを思い出していただくと、アジア女性基金を私達国民の税金で拠出していたら、 それは韓国が一方的に言ってきた、事実とは反する強制連行したという事実を認めたことになる。

私は、韓国の男性にずっと言ってきたのだけれど、それは韓国の男性の名誉を貶めていますよと。

おねえちゃんや妹や恋人や奥さんが強制連行されたら、家族を大事にする韓国男性が黙っているとは思えない。

家族の女性を連れて行かれるときに、黙って見ていたとしたら、韓国男性が一切抵抗しなかったことになるから。

強制連行については、そのような例は一度も無かった。なのに強制連行されたというのは韓国男性は黙って見ていたんですか。

本当に朝鮮民族の名誉にかかわりますよ。と言いいい続けてきたのです。

この村山政権が作ってしまったアジア女性基金に国の税金を使ったら、 韓国側の事実とは反する主張を認めたことになるから、民間からの寄付とした。

韓国側はアジア女性基金を復活させて、そこに政府のお金を少しだけ出してくれというのです。

金額はちょっとでいいんです。たった3億円ですよ。日本の予算規模から比べたら小さな額でしょ。

ちょっとでいいから、出してくださいと。実はここに日本の外務省も乗っかってて、全部とは言わないけど一部が乗っかってて、 もっとショックなのは、官邸の中で同調した高官がいるのです。官邸の中に。

第一次安倍政権と今の安倍が違うのは、官邸のチームワークが素晴らしいところにあるのです。

しかし、ここにも韓国が食い込んできたのです。韓国の工作が。

もう一度言います。外務省の一部ですよ。一部だけど乗っかった者がいて、たった3億円政府から拠出するだけで、 このややこしい問題が解決すると主張して、安倍さんをそこに招きいれようとしたのが、 韓国だけではなくて、外務省の一部と官邸の中にもいて、安倍さんをそこに持っていこうとしたのが、ずっとあって、 さあ、これでもういけそうだという時に、安倍さんが自分の判断で蹴った。

これが安倍下ろしにつながっている。さっきの消費増税の問題ともからめて、安倍は困ったもんだろうという話になっている。

一切表に出ていない。なぜ出ていないかというと、メディアが把握出来ていない。大テレビも大新聞も事実把握できていません。

この3億円の話を韓国側は新聞等を使って一生懸命流している。

飯田「しかし、そんなものを飲んだら、日本政府が関与を認めたというふうにやるに決まっている。」

青山繁晴「おしまいです。おしまい。安倍さんの判断は尊いのですけれど、孤立無援じゃないですよ。 官邸のチームワークは素晴らしいし、外務省にも良心派は山のようにいる。これは皆さん分かってくださいね。

これは安倍さんが好きとか嫌いとかではなくて、安倍さんがということではなくて、これは私達の名誉の問題であり、 私達の子供達、子々孫々の名誉にかかわることですから、日本民族の根源にかかわることだから、

今までの利害の立場を乗り越えるべきだと僕は思いますよ。安倍政権の内部でこういうことが起きているのですよ。

【青山繁晴】ザ・ボイス そこまで言うか!H27/11/19 47分30秒頃から~」

古田博司記事

今から25年前、盧泰愚大統領時に韓国の歴史教育の過度に反日的な側面を批判したところ、学者たちはこう答えた。「韓国は負けてばかりの歴史です。今は少しだけ勇気を出せという歴史教育をしている。その過程で反日的な側面が出てくるのです。分かってください」と。その低姿勢に同情

し、われわれは矛を収めたものである。

ところがその後、金泳三大統領の「歴史の立て直し」政策が始まり、自尊史観と反日の暴走が始まった。韓国は「歴史に学ぼう」と唱えるだけあって、李朝の「搪塞(とうそく)」(ごまかし・逃げ口上)の歴史を民族の行動パターンとして濃厚に引き継いでいる。

 ≪同情は次の攻勢の準備段階≫

満洲族の清が馬をよこせといえば、分割払いにしてもらい、総頭数をごまかしたり、婚姻するから良家の子女を送れといわれれば、こっそり酒場女を集めて送ったりした。シナにやられてばかりの歴史ではないのだ。

李朝は国内では民族差別の朱子学で理論武装し、満州族の清を「禽獣(きんじゅう)以下の夷狄(いてき)」(獣以下の野蛮人)だと徹底侮蔑する教育をし、清からの文明流入を悉(ことごと)く防遏(ぼうあつ)した。同情を買うのは次の攻勢の準備段階である。

最近の報道によれば、日韓の国際会議で日本側が韓国の中国傾斜を指摘すると「事実ではないのでその言葉は使わないでほしい」といい、中国に苦汁をなめさせられた歴史からくる警戒や恐怖心を日本人に喚起するという。

また、外務省の元高官が「韓国人には中国から家畜のようにひどい扱いをされた屈辱感がある」と話すそうである。当然心優しい市民派新聞の記者たちは同情し、韓国の中国傾斜論はよそうという記事を書く。

だが、これを放置すればやがて、「韓国を中国に追いやったのは日本のせいだ」という論に成長することは、当然予測されるところである。これを欧米中に広める。朝鮮民族は日本人が考えるような甘い民族ではない。

 ≪否定できない中国傾斜論≫

朝鮮はシナの子分で、シナが朝鮮を操る歴史だと思っている人が多いがそうではない。ごまかしや逃げ口上でいつの間にか攻勢に出てくるので、どう扱ってよいのかよく分からないというのが中国の本音なのだ。

今の中国は韓国と北朝鮮を手玉に取っているわけではない。できるだけ深く関わらないようにし、絶えず微調整しているのである。南北問わず朝鮮民族の「卑劣」に付き合うのは、日本も中国もロシアも苦手である。

韓国の中国傾斜論は、今日否定しようのない事実である。アメリカの促す高高度防衛ミサイル(THAAD)の設置を引き延ばす。これを李朝時代では「遷延(せんえん)」策といった。大国が難題を持ちかけるたびに臣下たちは「王様、遷延でよろしく」と願い出たものである。引き延ばして状況

が変わり、相手が諦めるのを待つのである。

中国の南シナ海進出への批判も巧妙に避けている。韓民求国防相に東南アジア諸国連合(ASEAN)拡大国防相会議で航行の自由の保障を明言させたが、政府は何も言っていない。中国主導のアジアインフラ投資銀行(AIIB)に積極参加し、朴槿恵大統領は中国の抗日記念行事に出席し、軍事パレードの雛(ひな)壇で席次2位だったことを朝貢国のように喜んだ。

アメリカよりも中国の影響下の方が、南北で取引ができ統一がしやすいという思惑があるのだ。ただそれを日本に追いやられたからという形に持っていき、アメリカの非難を自国に向けないようにしたいのである。実はこのような面倒なことをしなくとも、南北には統一の機が熟している。

 ≪2度と朝鮮戦争は起きない≫

哨戒(しょうかい)艦「天安」沈没事件(2010年3月)のときも、延坪島(ヨンピョンド)砲撃事件(同年11月)のときも、緊張が高まると必ず韓国が折れる。北朝鮮が謝罪したような折衷案を作ってくれと、韓国が非公開会議において金銭で懇請したと、11年6月1日には北朝鮮の国防委員会に

暴露されたこともあった。

今年8月に韓国と北朝鮮の軍事境界線で起きた地雷爆発事件では、北朝鮮が「準戦時状態」を宣言し、南北高官による会談が開かれたが、韓国側の代表2人は北朝鮮シンパだった。加えて協議の映像が青瓦台に中継された。

国家安保戦略研究院の劉性玉院長は朝鮮日報8月24日付で、事件のたびにケーブルテレビによるボス交渉が行われていたことを暴露し、10月には盧武鉉時代の国家情報院の院長だった金万福氏が北との直通電話があったと発言した。

すなわち北朝鮮の核保有と歩調を合わせるように、韓国側が譲歩を重ねていったことが分かるのである。結論として、2度と朝鮮戦争は起きないであろう。

ならば、なぜすぐに南北統一へと向かわないのか。理由は、弱者の方の韓国が統一を主導したいからである。第2に、急に動けばアメリカ軍が撤退の速度を早め、韓国の主導が崩れるからである。第3に、今の生活を手放したくないという、気概のない民族性が統一の意志を妨げているからである。

11/21日経記事

安倍晋三首相と韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領が就任以来、初めて2人で向き合った2日の日韓首脳会談。笑顔を絶やさず安倍首相を迎え入れる朴氏の姿が目を引いた。歴史認識をめぐり約2年9カ月繰り広げられた「朴氏の兵法」と安倍流外交の攻防はクライマックスに向かう。

 朴氏には教訓がある。2005年11月、韓国・釜山でのアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議での日韓首脳会談だ。当時の小泉純一郎首相と盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領は小泉氏の靖国神社参拝などをめぐり激しく感情をぶつけ合い、会談は30分足らずで打ち切られた。対立が決定的となり「首脳会談に失敗なし」の例外として語り草になっている。

 「戦わずして勝つ」。朴氏は孫子の兵法こそが外交の力だと自著に記す。13年2月の大統領就任後、安倍政権の歴史認識を米国や中国の力も利用して外圧でただそうとした。にもかかわらず、中国が日本との修復に動き、米国からは逆に日韓和解への努力を迫られる。訪韓した日本の要人を通じた訴えも首相官邸に響かないまま、安倍首相をソウルに迎えた。

 1日訪韓した安倍首相の宿泊ホテルに、花器に豪華に生けられたピンク色のバラが届いた。朴大統領名のカードが添えられていた。会談で朴氏は旧日本軍による従軍慰安婦問題への自らの思いを粛々と伝え、最後に「緊密に首脳会談をしあえるような雰囲気づくりを心がけましょう」と告げた。

 15日、トルコでの20カ国・地域(G20)首脳会議で再会した。安倍首相は昼食会で隣に座った朴氏に「日本国内の雰囲気もだいぶ良くなってきています」と声をかけた。首脳会談での言葉を覚えていたのだろう。朴氏は「そのような話が聞けてうれしい」と応じた。

 韓国側は安倍首相のサプライズに期待する。06年に最初の政権に就くなり、小泉前政権で関係が傷ついた中韓を最初の外遊先に選んだ。今年6月の国交正常化50年記念式典への出席は土壇場で決めた。韓国内を悲観論が覆っていた今回の首脳会談も終わってみれば「一歩前進」と評価を得た。

 朴氏自身、決裂した「釜山会談」から間もない06年3月に当時の安倍官房長官らと日本で会談し、「歴史問題さえ除けば、経済、外交、韓日交流など各分野での考えを一致させられた」という。

 両首脳が合意した早期の「妥結」には「利害関係で対立している者が折れ合って話をまとめる」(大辞林)との意味がある。「両首脳は国内を説得しなければならない。問題は韓国側だ」と青瓦台(大統領府)に近い専門家は話す。

 ソウル中心部の日本大使館前には慰安婦を象徴する少女像が置かれている。日本は外交関係に関するウィーン条約違反だと撤去を求めている。さらに交渉妥結後に問題を蒸し返さないと韓国政府が保証する措置でも朴氏の指導力が欠かせない。

大幅譲歩難しく

 外交だけに専念できる余裕はない。6日、朴氏は赤いジャケット姿で青瓦台の会議に現れた。安倍首相や与野党代表との会談には緑色で臨んだ。赤色は経済活性化のイメージだ。輸出低迷や雇用難を克服するため、技術革新を妨げる規制改革を関係閣僚に指示した。

 韓国政界は年明けから春に向けて総選挙一色に染まる。与党内でも「親朴派」と「非朴派」の主導権争いが激しさを増す。朴氏にとって決断のハードルは高くなる。首脳会談後も韓国政府が年内の決着を求める背景だ。

 信頼を寄せる李丙琪(イ・ビョンギ)青瓦台秘書室長を今後の対日交渉や世論対策のキーマンに据えるとみられる。朴氏の外交・安保政策のブレーンを務め、13~14年に駐日大使を務めた知日派。安倍首相が8月に発表した戦後70年談話に、韓国政府が抑制した反応を示した背後にも李氏の意向があったとされる。

 青瓦台関係者は「大統領が決断すればそれが最終決定だ。反対論は抑えられる」と朴氏の覚悟を説き、安倍首相の決断を促す。原理原則を重んじる朴氏の下で「日本側に変化がなければ交渉に見切りをつけ『日本が悪い』と世界中に広める」とのシナリオも韓国政権内から漏れてくる。日韓の未来がかかる大一番だ。(ソウル支局長 峯岸博)

11/18日経電子版 『中台会談、80秒握手の深謀 習氏の任期延長への布石  編集委員 中沢克二』について

11/18日経夕刊には「日台、租税協定を締結へ 二重課税防ぎ投資促す」とありました。

「【台北=山下和成】日本と台湾が二重課税などを防止し、ヒトの往来や投資を促進するための租税協定を結ぶことが18日分かった。現地子会社からの配当の送金に対する税の減免や、出張者への二重課税の解消などが柱となる。台湾としてはこの協定を契機に、将来は日本との実質的な自由貿易協定(FTA)の締結など包括的な経済連携につなげたい考えだ。

Japanese investment for Taiwan

 日本と台湾は正式な外交関係がないため、租税協定は双方の交流窓口機関が締結する。25~26日に東京で開く「日台貿易経済会議」でトップ同士が覚書を交わし、早期に発効する見通しだ。

 台湾は英国やインドなど29カ国・地域と租税協定を結んでいる。今年8月には中国との協定締結も実現した。

 租税協定を結んでいない場合、本来は減免される税金などが発生し、企業・個人の負担となる。例えば現在、日本企業の台湾子会社が配当を日本の親会社に送金する際、金額の20%を源泉徴収されているが、協定があればこれが減免される。台湾企業の日本子会社にも同じ仕組みが適用され、子会社の事業拡大がしやすくなる。

 また、日本企業の社員が台湾に出張した場合、91日以上滞在すると課税対象になって二重課税が生じる。租税協定があれば182日までなら課税対象とみなされず長期出張などがしやすくなる。

 台湾の経済部(経済省)によると、日本の2014年の対台湾投資額は前年比34%増の5億5千万ドル(約680億円)。ピークの06年は15億9千万ドルだったが製造業の進出減少で最近は低迷気味だ。台湾は主力のIT(情報技術)産業などが韓国や中国との競争にさらされている。租税協定で日本の先端産業などを誘致し、産業構造の高度化につなげる。

 一方、台湾の14年の対日投資は前年比4倍の6億8千万ドル。12年の鴻海(ホンハイ)精密工業によるシャープの旧・堺工場への出資などで近年は伸びが著しい。

 台湾の馬英九総統は08年の就任以降、対中融和政策を進める一方、日本との経済関係も重視してきた。11年には投資協定や航空自由化(オープンスカイ)協定も結んだ。」とありました。

台湾で発表された明年1月の総統選の直近の世論調査によると、各候補者の支持率は、

 蔡英文(民進党)  46・2%

 朱立倫(国民党)  20・4

 宋楚諭(親民党)  10・4

 態度未定      13・3

 棄権する       9・7

(11/18宮崎正弘メルマガより)

でした。蔡英文の優位は揺るがないでしょう。問題は立法議員選挙で民進党が勝てるかどうかです。10/6キャピタルホテル東急で蔡英文は日本と「産業同盟」を結びたいと言っています。馬英久時代に中国と経済的に近づきすぎたのを軌道修正しようとするものです。上述の日経記事もその流れの一つでしょう。10/8安倍・蔡会談では「軍事サポート」についても話し合われた可能性もあります。米国の台湾関係法発動時に日米同盟の中での日本の役割についてです。

中沢氏の記事で言う習近平の任期延長はないと思います。習は国内の権力闘争を勝ち抜くために、無理をし過ぎて、外国に敵を作りすぎました。金で総てが解決できると思ったら大間違いです。「金」の恩恵は受けたとしても「隷従」の道を歩もうと思う国は、韓国以外はないでしょう。ロシアもISのテロを受けて、欧米との協調に転じました。それが中国包囲網になっていくことを望んでいます。

国内でも、経済がダメになっていけば上海派と団派の反撃を受けると思います。また、イージス艦ラッセンの南シナ海航行でネット民は政府・軍が何もできないことに不満を述べています。「米国に核爆弾を落とせ」とか過激な意見も出ています。共産党統治で自由な意見が許されない中で、こういう意見が出て来るのはガス抜きか習に対する軍の面当てなのかは分かりませんが。閉ざされた情報空間に生きる国民の意思をコントロールしていくのは益々難しくなると思います。

 

また台湾への武力侵攻は日本の集団安保法成立、米国の11/18「米中経済安保委員会が警告的な報告書を議会に提出」記事(11/20宮崎正弘メルマガ)等見ると、中国に味方する国は出てきません。台・米・日を相手に軍事的には絶対勝てません。

日本は蔡時代に入れば、馬の敷いた反日路線、抗日記念館の別転用等お願いしていくべきです。

記事

笑顔の中国国家主席、習近平が台湾総統の馬英九に先に右手を差し出す。1949年の中台分断後、初のトップ同士の握手は80秒間続いた。11月7日のこの瞬間、習は胸中で何を思っていたのか。

 「あの国共合作(国民党と共産党の協力)をにおわせる長い握手は、習(共産党)総書記の任期延長への布石になるかもしれない」

 「習大大(習おじさんの意味)が公約した『中華民族の偉大な復興』に台湾統一は不可欠だ。その実現を名目にすれば、党トップ3選さえあり得る」

 中国の内政に通じる関係者らの声に、ハッとした。これは2年後に迫る2017年共産党大会の最高指導部人事の話ではない。7年後の22年党大会でのトップ交代の有無を左右する一大事件だという。

 国を代表する国家主席の任期は1期5年で、続投は1回のみ。憲法は3選を禁じる。つまり最長で2期10年だ。13年に国家主席に就いた習は、憲法を修正しない限り23年には退く。だが共産党を代表する総書記には続投回数の制限規定がない。最近は総書記が国家主席を兼ねるため、双方とも最長10年で退く慣例があるだけだ。

 習が絶対的な権力を握ったなら、名目さえあれば10年を超す続投は可能だ。その際、台湾統一は極めて良い口実になりうる。これを念頭に先の中台首脳会談を思い返すと面白い事実に気付く。

■対等ではなかったトップ会談

 「中国共産党と習にとっては大きな得点だが、台湾側は与党・国民党、野党・民進党、一般民衆とも明確な利益がない。『対等な会談』は名目だけ。実際は習が台湾を威圧した。唯一、馬だけは元国民党主席の連戦に代わる中国とのパイプとして政治生命を保てる。得をした」

 中台双方と一定の距離を置く外国籍の華人学者の分析である。対等ではないのは、まず会談場所となったシンガポール入りまでの動きだ。習は5日からベトナムとシンガポールを国事訪問。シンガポールでは首相のリー・シェンロンとの会談のほか国立大学での演説もこなした。

 習が2つの国事訪問の合間に少しだけ時間をつくり、「台湾当局」トップに会ってやった、という形になった。会談当日の中国国営中央テレビのニュースでも中台会談はトップではなく、習のシンガポール国事訪問の関連ニュースの後、ようやく登場した。

 一方、台湾の馬は、習に会うためだけに7日、シンガポール入りし、すぐに台湾に戻った。“拝謁”に見える。その象徴が、習と馬の握手の構図だ。一般に外交儀典上のホストを意味する向かって右に陣取ったのが習。左が馬。習は馬を客として迎えた形になった。

本番の会談でも先に発言したのは習だった。ここでも事実上のホストの立場が確認できる。中国語で「先生」は、日本語の「さん」の意味だ。2人は互いを「馬先生」「習先生」と呼び合ったが、この場面は、中国側のニュース映像、報道からカットされた。そればかりか馬の発言自体も音声付きでは放映されなかった。習の格上感を演出する共産党宣伝部による報道統制である。

 習は、1920、30年代の2度にわたる国共合作に次ぐ、第3の合作によって台湾統一に道筋を付けたい。これを成し遂げれば、鄧小平はおろか、毛沢東にも迫る大指導者として歴史に名を残せる。

 習が総書記に就いた2012年の第18回党大会では「『二つの百年』の奮闘目標」が打ち出された。中国共産党創立百年の2021年と、新中国成立100年の2049年に向けて「中華民族の偉大な復興」という夢を実現する時間表を意味している。

 表向きは、全国民が一定の生活水準に達するという経済的目標が強調されている。だが、政治的な意味は、軍事、経済両面で米国を抜き去り、世界ナンバー1の中国を実現することだ。

 共産党がうたう「中国の夢」は当然、台湾統一を含む。「21年と49年は台湾統一への時間表、工程表でもある」。党幹部が語る。

■抗日記念館も台湾シフト

 台湾統一をにらむ7日の中台首脳会談への布石は、既に中国国内で打たれていた。会談のわずか2週間前、首都・北京の郊外で大規模な展示会が始まった。場所は日中戦争の端緒となった盧溝橋にある抗日戦争記念館だ。

anti-Japnese memorial of Taiwan

中台首脳会談の直前に大々的に始まった「台湾の抗日」の展示(北京・盧溝橋の抗日戦争記念館で)

 10月23日に幕を開けた「台湾同胞抗日史実」と銘打った展示は、日本支配下の台湾での抗日活動を大々的に宣伝していた。館内の大きなスペースを割いており、共産党の力の入れようが見て取れる。その脇では、7月に一新された反ファシズム、抗日戦争勝利70年を記念する展示が続く。

 外国人がここを参観すれば違和感を感じさるをえない。70年前、第2次世界大戦で日本に勝利したのは、後に台湾に移った蒋介石の国民党政権であって、共産党政権ではない。共産党軍を抗日戦争の立役者として描く展示には誇張がある。当然、台湾側は共産党の宣伝に抗議してきた。

 中国側はここに来て軟化している。大陸各地の抗日戦争の展示に、従来はタブーだった蒋介石の大きな写真を登場させ、国営書店にも蒋介石の功績も扱った本が並ぶ。台湾の国民党への秋波である。

 さらに今、盧溝橋の記念館で「抗日戦争勝利70年」と「台湾の抗日」を合わせて展示することで、中台会談を契機にした新たな国共合作を狙う。抗日戦争記念館は台湾を標的にした「統一戦線工作」の道具でもある。共産党の提示する「歴史」は常に時の政権の政治目標を踏まえている。

 中台首脳会談の提起に当たり、習は「馬は、任期切れを前に策がない。必ず誘いに乗る」と読んだ。果たして馬は応じた。会談の際の馬のネクタイの色は青。国民党の青天白日旗の青だ。習の方は、共産党の紅旗の紅。交錯した青と紅のネクタイは国共合作を象徴していた。

 実際、習は会談でも「抗日歴史書」の共同執筆を持ちかけた。馬は「民間で」としつつも前向きな意向を示した。「抗日戦争は中華民国が主導した」との台湾の主張に関して馬は触れていない。

 台湾も領有権を主張する尖閣諸島についても話題に出た。習の思惑通りである。世界が注目した中台会談は、南シナ海問題で苦しい習にとって大きな援軍になった。

■馬が習3選の援軍に

 総統を退いた後の馬の役割も興味深い。中国とのパイプ役になるなら、台湾問題を利用して権力を固め、総書記3選まで視野に入れる習を完全に助けることになる。

 とはいえ、台湾が既に民主化している以上、共産党の独裁政権による統一は極めて難しい。だが、習にとっては難しいほうが都合がよい。

 「難題を解決できるのは、台湾問題に精通する習総書記だけだ。是非、続けてほしい」。22年の党大会前に共産党内でこんな声を盛り上げればよいのだ。前年の21年は共産党創立百年。一定の生活水準の達成という第1目標をクリアした余勢を駆って、49年に向けて走り出す年でもある。

 2年後の17年党大会の最高指導部人事では、7人の内、習と首相の李克強以外の5人が年齢問題で入れ替わるはずだ。もし習に3選の野心があるなら若手の抜てきの際、自分の後継者を特定されないような人事にする選択肢もある。

 習は、高級幹部の子弟らを指す「太子党」「紅二代」を代表する。ライバルである共産主義青年団の人脈に属する人物は「いくら習総書記でも3選は無理だ。鄧小平が敷いた路線は覆せない」と顔をしかめる。しかし「反腐敗」で力を付けた習は、既に過去の慣習を次々、破っている。

 来年1月の台湾総統選では、独立志向が強い民進党の蔡英文が有利とされる。習と馬の会談を経た今も情勢はあまり変わらない。今後の台湾問題と、17年、22年の共産党最高指導部人事を注視したい。(敬称略)

11/18日経ビジネスオンライン 福島香織『政治利用され続ける中国“元慰安婦”たち 誰も救われない現状をいかに越えるか』について

福島氏も中国滞在が長かったので、中国の人権状況は分かっていると思いますが、ストレートに書くとバッシングを受けるので、柔らかく書いているのだと思います。70年以上も前の「慰安婦」について中国が日本を糾弾するのであるなら、庶民相手の床屋での売春についてはどう考えるのか聞いてみたい。床屋の前を通ると必ず呼び込みがあります。また人民解放軍基地は警察の治外法権となっており、売春は当然行われています。

中国でも韓国同様銃剣を突き付けてレイプしたというのは考えにくい。綱紀厳正な日本軍と平気で嘘をつく中国人のどちらを信用するかです。金になると思えば嘘をついてでも主張するし、証拠も捏造します。これは中国駐在の8年間で4回裁判等経験したことからの判断です。況してや強権・共産党の命令であれば、逆らうことは考えられません。命を奪われますので。

戦後米軍も青木富貴子著『GHQと戦った女 沢田美喜』を読みますと、米兵士が如何に日本女性と楽しんだ後、混血児をそのままにして帰国、孤児を三菱・岩崎家の娘だった沢田が引き取って育てたという話です。韓国軍もベトナムのライダイハンや、自国での米軍相手の基地村の問題があって他国を非難できる立場にはありません。戦後の政治家や外務省が反論してこなかったからです。

何時も言っていますように、中国は「日本を道徳的に劣った民族」と世界に烙印を押し、日本に味方する国を少なくして、乗っ取ろうと言うのが彼らの狙いです。世界制覇の野望を持っているのに、太平洋に出るのに邪魔になるのが台湾と日本です。中国側から地図を見れば明らかです。日本人一人ひとりが彼らの野望を認識し、中韓の味方をする政治家を選挙で落とさないといけません。また、中韓に味方する役人・学者の類も政治家を動かして活動を封じ込めないと。

記事

11月12日、山西省陽泉市盂県の西煙村で一人の老女が亡くなった。中国メディアはこれを一斉に手厚く報じた。彼女の名前は張先兎。山西省の”元慰安婦”として90年代後半から2007年にかけて日本の東京地裁、最高裁で行われた中国戦時性暴力被害対日損害賠償訴訟原告の16人の”元慰安婦”の一人であり、最後の生存者だったからだ。折しも、その数日前、東京大学駒場キャンパスで上映された中国人”元慰安婦”たちの証言と人生を記録したドキュメンタリー映画「太陽がほしい」(班忠義監督)を見たばかりなので、なおさらこのニュースが心に刺さった。先の日中韓首脳会談で、中韓が日本を牽制する切り札として持ち出した”慰安婦問題”について改めて考えてみたい。

中国元慰安婦対日損害賠償訴訟原告、最後の一人

 中央ラジオなどによれば、11月12日午前9時15分ごろ、張先兎は西煙村の自宅で亡くなった。長らく病の床にあった。享年89歳。彼女は90年代から2000年代に東京で三度にわたって行われた中国元慰安婦対日損害賠償訴訟の原告16人の一人でもあった。

 彼女が日本軍に連行されたのは1942年の旧正月二日で当時16歳。新婚4日目で、夫は13歳だった。その朝、銃剣を持った日本兵がやってきて彼女を連行したという。夫が日本兵の腕にすがって、連れていかないでくれ、と訴えると、日本兵は夫を銃剣で刺さそうとした。彼女も顔を何度もビンタされた。そして山の上のトーチカにつれていかれ、約20日にわたって監禁され何度も強姦されたという。

 20日後、夫が金を用意して彼女を”買い戻した”。まだ少年ともいえる夫は、この時の恐怖でPTSD(心的外傷後ストレス障害)になったようで、一生、腕や顔の震えが止まらず、仕事も勉強もままならなかったという。彼女も心と体に傷を負い、ほぼ一生貧しい山村から外に出ることもなかった。

 だが、1992年、中国で最初に旧日本軍から受けた性暴力被害を公に証言した元共産党少女幹部、万愛花が山西省盂県の小学校教師・張双兵や日本の人権派、リベラリストらの支援を受けて活動を開始、彼女も1995年、山西省の他の”元慰安婦”たち15人とともに日中民間の支援を受けて日本政府に謝罪賠償を請求する訴訟を起こすことを決意した。1998年に提訴、2007年の最高裁の判決は請求棄却であったが、彼女らが戦時性暴力の被害者である事実は認められた。

 この16人の山西省の”元慰安婦”たちはこれですべてこの世から去った。張先兎は亡くなる40日ほど前から病が重篤化。最後の瞬間まで、日本政府に謝罪と賠償を求め続けていたが、ついに、彼女の求めていた一言は聞けなかった、と多くの中国メディアは結んでいる。

 中国には、張先兎のような農村女性は数多くいた。そうした”元慰安婦”ら約80人の生活や証言を記録してきたドキュメンタリストの班忠義は、この夏、その記録フィルムを一本のドキュメンタリー映画に仕上げた。「太陽がほしい」というタイトルは、その中に出てくる”元慰安婦”の一人、劉面換が、真っ暗なヤオトンに監禁され強姦される日々を回想し、「外に出たかった、太陽の光がほしかった」と訴えた言葉から引いている。

 山西省の”慰安婦”の存在について、班忠義はドキュメンタリー映画「ガイサンシー(蓋山西=山西一の美人)とその姉妹たち」(2007年)を発表しているが、その最初の取材が始まった1995年から2015年まで何度も現地に足を運び、日本で寄付金を募り、その資金で貧困や性暴力の後遺症に苦しむ”元慰安婦”たちを病院に連れていくなどの支援活動の傍ら、記録を撮り続けていた。

 劉面換は2012年4月12日に病で亡くなった。最初に日本軍による性暴力を告発した万愛花も2013年9月5日に83歳で死亡。彼女は山西省盂県羊泉村に童養媳(農村の幼嫁)として売られ、11歳で共産党に入党、抗日戦線に身を投じ15歳で少女幹部になった革命少女だった。1943年に三回日本軍に捕まり、強姦と拷問を経験したという。班忠義が取材した80人の”元慰安婦”たちは、10人ほどを残して、もうほとんどこの世にいない。

戦争、日本軍、中国政府、中国人

 厳密にいえば、張先兎、万愛花、劉面換らを”慰安婦”というのは違う。山西省から国民党軍が撤退したのち、日本軍が村々に駐屯すると、兵士たちは女性を”現地調達”した。それは軍令違反であるが、混乱の戦時下、誰がそれを気に留めよう。比較的裕福な家の娘が狙われたという。トーチカがしばしば”強姦所”となった。村人も村の一時的平和とわが身の安全を守るために、彼女らの監禁に手を貸した。

 中国人慰安婦もいた。「太陽がほしい」には、元慰安婦・遠竹林が登場している。15歳で結婚し出産するも、夫は日中戦争の混乱期に失踪。幼子と老父の生活のために「旅館の雑務の仕事」を引き受けるが、行ってみると慰安所であった。彼女を騙したのは同じ中国人女性である。彼女は監禁状態で、まさこという”日本名”で体を売らされ、その間に幼い娘と老父は餓死してしまう。望まぬ妊娠をし、堕胎薬の副作用で一生子供の産めない体にもなった。

 その後、とある戦場から逃亡した日本人兵士と相愛になり、慰安所を脱出することに成功するが、終戦とともに兵士は帰国し、彼女は「敵と寝た女」というレッテルを張られて戦後、差別と迫害に苦しめられ続けた。映画の中で、彼女は中国政府への恨みを何度も口にしていた。彼女の人生を狂わせたのは戦争であり、日本軍だが、戦後になっても彼女を苦しめ続けたのは中国政府であり同胞であるはずの中国人であった。袁竹林は、PTSDに苦しめ続けられながら、2006年に脳溢血で亡くなった。

 こうした”慰安婦”たちに旧日本軍や日本政府が公式に関与していたかというと、これは異論がある人もあるだろうし、実際に慰安所を運営していたのは傀儡政権下の中国人商人であろう。だが、そこに旧日本軍に道義的な責任がなかったわけではない。そう考えると、”慰安婦”ら戦時性暴力被害者に日本人として無関心ではいられはしない。

 ただそれは個人としての、人間としての心情であり、外交問題となるとまた様相が変わって来る。外交上は、日本の”戦争犯罪”は国際軍事法廷で裁かれ、その責任を負った戦犯約1000人が死刑判決(後日の減刑を含む)を受けた。戦後賠償問題も各国との間で交わされた条約・協定で国際法規上、決着している。中国への戦時賠償は日中共同声明で、中国側から放棄すると言明している。

タブーから、煙のない戦争のカードへ

 それを今なお、歴史認識問題として蒸し返され、謝罪要求が繰り返されているのは、この歴史が外交カードとして利用されているからに他ならない。戦争は外交の一種の手法(禁じ手ではあるが)だが、外交もまた煙のない戦争だ。いずれも戦いであり、負ければ国益を損ない、国民が貧困や社会不安に陥る。相手国が明らかに政治として慰安婦問題を持ち出してくるのならば、こちらも政治として対処するほかない。

 そもそも、中国において慰安婦問題は90年代、タブーであった。

 「太陽がほしい」の中で中国民間対日賠償請求連合会会長の童増がそう語っている。「92年、二つのタブーがあった。慰安婦問題と三峡ダム問題だ」。

 戦後、中国は”元慰安婦”の存在を無視し、彼女たちも、同じ中国人からの差別と迫害の対象になることに耐えられず、ひっそりと息を潜めていた。そういう時勢の中で、山西省の農村小学校教師の張双兵は1982年に蓋山西と呼ばれる伝説的元慰安婦・侯冬娥と知り合い、元慰安婦支援活動と調査を開始した。92年に万愛花に日本政府へ損害賠償請求訴訟を行うよう勧め、支援したのも彼だ。山西の農村の一介の教師であった張双兵は、地元紙で対日戦時損害賠償請求を訴える童増の署名記事を見て、連絡を取り、”元慰安婦”の対日賠償訴訟が実現に向かうのだった。

だが、この時、中国政府はこの民間の動きを弾圧した。天安門事件の学生鎮圧で国際社会が中国の敵となったとき、経済制裁をいち早く解除し苦境にあった中国に手を差し伸べてくれた日本との関係を損なってはならないという政治的理由からである。”元慰安婦”支援活動に関わったことで童増も張双兵も公職を失った。この中国政府が抑え込もうとした”元慰安婦”の賠償訴訟を支援したのは、日本の民間人だった。日本の人権派弁護士、研究者、フェミニストらが現地に赴き、戦時性暴力被害の聞き取り調査を行い、提訴に必要なだけの資料・証言を揃え、民間からの寄付によって彼女らを東京に招いて証言させた。

 最終的に敗訴で終わったが、日本の最高裁で、彼女らが受けた性暴力の実態は事実と認められたことは、長らくその存在すら抹殺され、その苦しみを口にすることすら許されなかった彼女らの環境を大きく変えた。

 今の中国は”慰安婦問題”を韓国と共闘で日本を牽制する外交カードとして積極的に利用するようになっている。日本が良心の呵責も感じないでいる非道な国家だというイメージを国際的に喧伝し、日本の発言力、影響力を削ごうということだ。

中国政府にとってのパンドラの箱

 ”元慰安婦”たちに、日本政府は謝罪をしていない、謝罪が欲しい、と訴えさせているが、日本は村山富市内閣の時、日本国民から集めた「償い金」と首相の「おわびの手紙」を世界の元慰安婦に届けた。中国の”元慰安婦”たちに、この金と手紙が届けられなかったのは、中国政府が「元慰安婦」の存在を認定せず、断ったからだ。

 なぜか。班忠義は「金さえ出せばよいという日本政府の上から目線が気に入らなかった」と説明するが、私が日中関係者から私的雑談の場で聞いた話では、「そんなものを受け取るとパンドラの箱を開けることになる」という趣旨の言葉を聞いた。

 戦時性暴力の加害者は旧日本軍だけではない。国民党軍も慰安所は利用しており、兵士が村々で暴力的に軍糧や女性を調達した。共産党軍内にも性暴力はあり、誰も公言は出来ないが、党のため、革命のためという理由で、性をささげることを強要された女性同志も少なくなかった。それは一見、女性たちの自発的奉仕に見えて、その実、性搾取である。旧日本軍から性暴力を受けた女性だけに償い金があると、収拾がつかなくなると考えたのかもしれない。いずれにしろ、それは中国の政治判断であった。

日中共同宣言で中国は戦時賠償を放棄したが、その暗黙の代償として日本は巨額の対中ODAを続けて来た。それが中国の経済発展に貢献したのなら、それで豊かになった中国は、国家として自国の戦時性暴力被害者を救済すべきであった。中国が政治判断で彼女らへの賠償金ではなく、日本からの開発援助を選んだのなら、中国にも彼女らの救済の義務が生じるだろう。だが、中国はそれをしない。

傷つけられた女性たちの心に寄り添う

 班忠義は言う。「中国政府と民間は断絶している。この映画も、中国ではこのまま上映できない。元慰安婦支援の活動も今は政府が認めても、大きな市民運動になれば圧力をかけてくるだろう。…日本人と協力して日本政府に賠償と謝罪を要求する方が(結果を)期待できる」

 戦争という外交に痛めつけられ、外交と言う戦争に翻弄され続けている女性たちの苦しみを思うと胸が張り裂けそうになる。もし、彼女らを前にして、その心を少しでも慰めることができるのなら100万回でも「対不起(私が悪かった)」と言いたい。それは一国の首相でも私人としての感情ならば同じだろう。だが、そうしても、おそらく外交として、政治としてこの問題が利用されている限り、誰も救われはしない。謝罪すれば、口先だけだといわれ、さらなる要求が重ねられる。政治である以上、駆け引きであり、下手な妥協はできないのだ。だから、政治と無縁の個人として、張先兎はじめ亡くなった女性たちとその家族に哀悼をささげ、”慰安婦問題”を振り返りたい。

 8月の安倍内閣が発表した歴史談話の中の一節「私たちは、二十世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい」という思いは、政治家であれ民間人であれ、ほとんどの日本人の嘘偽りのない本心であることを繰り返したい。

11/17メルマガ軍事情報 元防衛省情報分析官・上田篤盛『兵法三十六計(3) 第二計 借刀殺人(しゃくとうさつじん)─間接侵略と「沖縄独立論」─』について

11/18日経「造船支える中国人材 川重やツネイシ、技術蓄積」に「 国で造船所を展開する日本企業が中国人材の活用の幅を広げている。川崎重工業の中国合弁は、製造現場の技能者を団塊世代の大量退職で人材不足感が強まる日本の拠点に派遣。ツネイシホールディングス(広島県福山市)の中国子会社は設計力を高め、コスト競争力に磨きをかける。両社はいずれも10年以上前に中国に進出しており、現地の技術力は着実に向上している。受注環境に陰りが見えるなか、中国人材の活用で「荒波」に挑む。

 中国の大河、長江沿岸。飛び散る火花をものともせず、中国人従業員が溶接作業に没頭する。川重と中国国有海運大手、中国遠洋運輸(COSCO)グループの造船合弁、南通中遠川崎船舶工程(NACKS、江蘇省)。2014年度にばら積み船など18隻を送り出した。川重の日本の主力拠点、坂出工場(香川県坂出市)の2隻を大きく上回る。

 1995年の設立以来、建造した船は100隻以上。ものづくりのノウハウは蓄積され、「溶接や曲げ加工などは日本よりも優れているだろう」とNACKSの水野雅方総経理は自信を見せる。坂出工場にかねて技能実習生として年20~30人を派遣してきたが、現在は約70人に増えた。世代交代で熟練工が抜けて人材が不足しがちな坂出工場の貴重な戦力だ。

 NACKSは07年に同社がCOSCOグループと出資する形で設立した大連中遠川崎船舶工程(DACKS、遼寧省)の立ち上げも支援した。「かつて日本で研修を受けた中国人が今度は指導する立場になった」とDACKSの杉崎公俊常務副総経理は話す。今も30~40人を派遣しており、半分は部長以上の幹部として力を発揮する。

 常石集団(舟山)造船(TZS、浙江省)を03年に設立したツネイシホールディングス。TZSはばら積み船など100隻以上を建造するツネイシの主力拠点に育ったが、もう1社、頼れる会社がある。上海に拠点を置き、約240人が働く設計子会社だ。同社が開発した設計の自動化ソフトは日本の拠点でも採用、グループの設計効率化に一役買う。

川重の中国合弁、NACKSでは生え抜きの技能者が育つ(江蘇省)

 これまで日本で手掛けてきた設計の基礎となる「基本設計」の一部も、中国側で始めた。日本の設計部門の「下請け」を脱し、自ら顧客と向き合って設計した船を現地で建造する。そんな一貫体制が構築できれば、コスト競争力は一段と増す。

 両社が中国に拠点を置く狙いは日本の3分の2程度の人件費の安さにある。川重の15年4~9月期の船舶海洋部門の営業損益は31億円の赤字だったが、川重の船舶海洋カンパニートップの村上彰男常務は「NACKSには業績面で非常に助けてもらっている」と話す。

 好不況の波が押し寄せるのが常の新造船市場だが、この2年ほどは環境規制の強化などを受けて需要が堅調だった。しかし、中国景気の減速で、ばら積み船の運賃が下落するなど、海運市況は低迷。船舶を保有する船主の発注意欲も減退してきた。

 56年から99年まで40年あまり、建造量で世界一を誇ってきた日本勢も今や中国勢や韓国勢と激しい受注競争を繰り広げる。大手でも三菱重工業が10月1日に祖業の長崎造船所(長崎市)から商船部門を切り離すなど、抜本的なコスト構造改革に踏み出す企業も出てきた。

 そうしたなかで、中国拠点に活路を求める川重とツネイシ。人件費の上昇が続く中国ではいずれ「安さ」だけでは勝負ができなくなる。日本政策投資銀行で造船市場を分析する大久保康三氏は「今後は中国の船主のニーズを現地で拾えることが長期的な強みになる」と見る。その強みを最大限引き出すにはこれからも現地人材を育て、生かす取り組みが欠かせない。(東京=高城裕太)」という記事です。

上田氏が相手の力を利用して内部崩壊を導くと言っている「借刀殺人」そのものの記事です。昨日は中国から撤退した企業の例を挙げました。ZAKZAKは産経新聞なので撤退を勧めていると思います。対して日経はまだ中国に未練があると言うか、中国だけでなく外務省とか財務省の意向を受けて書いているのかも知れません。

川重は本当に愚かです。新幹線技術を移転して何が起きたか分かっているはずなのに、凝りない企業です。造船でもブーメランは起きるし、中国の産業スパイを国内で養成しているという自覚がないのでどうしようもない。中国は世界の需給を無視して生産します。あらゆる産業でです。これが国内の過剰在庫となり、世界にダンピング輸出します。中国以外の国の企業はそれで倒産するようになります。中国は賄賂社会だけでなく、弱肉強食社会です。国内でも「自分だけが儲かればよい」という発想で、需給を無視して作り、競合が対抗できないまで赤字でも売り続けます。それで、相手が諦めた市場をごっそり戴くというやり方を取ります。

盧溝橋事件は間違いなく、スターリンの指示で、国民党と日本軍を戦わせて、中国共産党が漁夫の利を得ようとしたものです。中共軍の「戦士政治課本」の中で、劉少奇やったとはっきり書いてあります。まあ、石原莞爾と違い、武藤章が中国大陸に野心を持っていたことは確かですが。満州大陸は漢族のものではありません。

偽書の田中上奏文とは違い、『日本解放第二期工作要綱』は偽書とは言えないでしょう。1972年当時、日本には偽書を作ってまで中国と関係を悪くしたいという動機はなかったし、中国に贖罪意識を持っていて角栄が日中共同声明を結んだ年でもありました。当時の日本の反対派かアメリカが書いたという事も考えらないと思っています。

沖縄独立は、今の沖縄県民は嫌中派が90%で (http://cache.yahoofs.jp/search/cache?c=osYxbLB1a4EJ&p=%E6%B2%96%E7%B8%84%E7%9C%8C%E6%B0%91%E3%81%AE%E5%AB%8C%E4%B8%AD+%EF%BC%85&u=jacklog.doorblog.jp%2Farchives%2F27765418.html 

実現しないでしょうけど、中国の策謀は『China 2049』にありますように、100年もの長い時間をかけてでも、実現させようとするでしょう。中国が国際機関を使って、琉球やアイヌの独立を画策するのであれば、日本はチベット、ウイグル、南モンゴルの独立を主張すべきです。でも国民が領土や世界情勢に無関心或は愚かであればそれらは奪われる運命にあります。

記事

▼相手の力を利用して内部崩壊を導く

「借刀殺人」は「刀を借りて人を殺す」と読む。この計は文字どおり人の“刀”を利用して相手を倒すことである。人の刀、すなわち“人の力”を利用するには二つの側面がある。一つは自分の力を

使わないで第三者の力を利用することで、もう一つは相手の力を利用して内部崩壊を導くことである。もちろん後者の方がより巧妙な策略となる。

 春秋時代(BC770~BC403)に遡る。当時、栄華を誇った斉の君主は、歴戦の勇士である三人の武将を大いに評価していた。しかしその一方で、君主は彼らの権力が肥大化することを懸念し、三人の武将を処刑することにした。そこで君主は策略をめぐらし、送り主の名前を伏せて三人の武将に箱を届けた。箱の中には桃が入っていた。そして「今まで最も偉大な功績を残した者のみが、この桃を口にすることができる」との親書を添えた。

 最初の二人の武将は「自分こそが偉大な功績を残した」と考え、桃を口にした。三人目の武将は、空っぽとなった箱をみて、二人の武将に向かって「和を乱した」と罵り、ついには二人の武将を殺害してしまった。一人残された武将は冷静になった時、自らの嫉妬心から最愛の仲間を殺害したことを悔やみ、やがて罪悪感にかられ自害した。

 こうして君主は自らの手をいっさい汚すことなく、三人の武将を処刑することに成功したのである。

▼中国共産党は「借刀殺人」で勝利した!

 1937年7月7日の「盧溝橋事件」の発生を契機に、わが国は泥沼の日中戦争に突入した。同事件をめぐっては「国民革命軍第29軍の偶発的発砲(秦邦彦氏の見解)」、「日本軍による謀略説」、「中国共産党による謀略説」の諸説があるが、今となっては、いずれが真実であったかを断定することは困難であろう。

 ただし、当時の日本にとって日中戦争は「望まない戦争」であった。他方、国民党に対して劣勢であり、“虫の息”であった中国共産党は、日本軍と国民党軍を互いに戦わせ、“漁夫の利”をえることを画策していた。こうした状況に鑑みれば、「中国共産党の指令を受けた劉少奇(のちの国家主席)が指揮する決死隊が盧溝橋事件を演出した」との「中国陰謀説」にも一定の説得力がある。

 結果的に、日本はその後8年間、中国大陸を舞台に泥沼の戦争へと突入する。やがて国力が疲弊し、米国との太平洋戦争へと引きずられる。一方の?介石率いる国民党軍も、日本軍との戦いで疲弊し、ついには敗北した。

 これに対して中国共産党は当初、日本軍との戦いを回避し、国民党軍との最終決戦に備えて戦力を温存した。つまり、中国共産党は、「国民党軍の刀」と「日本軍の刀」という“二本の刀”を利用することで、「抗日戦争」に勝利し、わが国敗戦後は国民党軍の内部崩壊により、中国内戦に終止符をうった。ここに「借刀殺人」によって、日本軍と国民党軍との二つの戦いで勝利した、中国共産党の巧妙な策略をよみとることができる。

▼「借刀殺人」の真髄は「間接侵略」にある!

「借刀殺人」の最大の巧妙さは、敵国に対し内部紛争を惹起させ、自らが軍事力を使わずに敵国を自壊に追い込むことにある。そのためには、敵国内部に「内敵」を組織し、それを指導・育成し、機をみて「内敵」により武装蜂起を起こさせ、国家体制の破壊を試みる方法がとられる。すなわち、「借刀殺人」の真髄は「間接侵略」によって敵国を滅ぼすことにあるといえる。

 1960年代から70年代にかけて、中国共産党はわが国に対する暴力革命工作を指令していた。これに関する当時の工作指令書として話題になったのが『日本解放第二期工作要綱』である。

 同工作指令書では、当時の中国共産党による日本に対する群集心理工作、マスコミ工作、極右・極左団体工作などの間接侵略の戦略・戦術が詳細に描かれている。

 この工作指令書から注目点を抜粋し、簡単に整理しておこう。

1)日本の平和解放は、わが国との国交正常化、民主連合政府の形成、日本人民民主共和国の樹立─これら三段階をへて達成する。

2)田中内閣成立以降の解放任務は民主連合政府を形成する準備を完成することにある。

3)群集心理工作では大学への中国語教師の派遣申し入れが戦術となる。

4)マスコミ工作では「10人の記者よりは1人の編集責任者を獲得せよ」の原則

を掲げ、編集責任者の獲得により民主連合政府樹立の世論を形成する。

5)政党工作では議員の個別調査と選別による獲得工作や自民党の分裂工作

などを通じ、民主連合政府に向けた工作基盤を形成する。

 この工作指令書は1972年、西内雅氏(にしうちただし、1903~1999年、中央学院大学教授)が香港滞在中に偶然発見し、日本に持ち帰ったというものであるが、実は中国共産党のものかどうかをめぐる「真贋論争」の決着がついていない。一つには、中国の対日赤化工作に対応するために日本側が同工作指令書を発表したという説もある。

  「真贋論争」はさておき、工作指令書の記述内容と、現在のわが国の状況には、以下のような類似点があることに筆者は注目している。

1)田中角栄元総理の流れを受ける小沢一郎元自民党幹事長が1993年に自民党を分裂させ、新生党を創設した。そこを起点に2009年に民主党政権が樹立され、同政権下では元総理などによる親中発言が繰り返された。

2)2005年以降、大学内に「孔子学院」が設立され、そこには中国人講師が派遣され、青少年に対する中国語教育を介しての心理工作が進展しているという。

3)朝日新聞などによる『吉田証言』報道(※)と「慰安婦報道」に代表される「自虐史観」の扶植などは、あたかも編集責任者の獲得工作が行なわれたかのような疑念もある。

 こうした状況に鑑みれば、決着が困難な「真贋論争」に拘泥するよりも、同工作指令書をとりあえず真実のものと推定し、その記述内容に基づいて中国の対日戦略をいま一度検証すべきではなかろうか。

※吉田清治氏が1980年代に、「太平洋戦争時に、軍令で朝鮮人女性を強制連行した」と告白し、これを朝日新聞や共同通信が1983年以降、長らく真実として取り上げたことにより「慰安婦問題」が国際問題化した。

1992年頃より、『吉田証言』の信憑性に疑問が呈されたが、その後も

朝日新聞による報道訂正は行なわれなかった(朝日新聞が2014年8月、

虚偽報道であったことを認めた)。

▼中国による“刀”は鋭利になっている!

 今日の中国による対日工作は、1960年代から70年代にかけてのあからさまな「暴力革命」の影こそみえなくなったが、長期的レンジでより広範かつ巧妙なものへと進化しているようだ。

 米国におけるロビイスト活動を通じて日中歴史問題を題材に「対ファシズムをともに戦った」との連携を謳い、わが国の親中派の政治家やメディアを使って親中、反日宣伝を展開するなど、“あの手この手”を駆使した対日工作を展開している。

 その成果により、米国では抗日戦顕彰館が設置(2015年8月15日)、「南京大虐殺では日本兵の銃剣で40万人の中国人が命を失った」と記述する教科書を米国の公立学校が採用する(2015年1月8日『産経新聞』ほか)などという状況も生起している。

 わが国では、メディアの誤った報道により「自虐史観」が蔓延したほか、民主政権時代には元総理の尖閣関連発言が政府見解とはまったく異なるものということもあった。

 このように中国の一方的な歴史観が世界に喧伝され、わが国の教育界やメディア界に“クモの巣”のように浸透し、日本の伝統的な文化や精神活動を破壊することに、すでに一定の成果を遂げているのである。

 これらの状況をみるに、中国による「借刀殺人」の計は、わが国政権における内部分裂と、日米離間の工作を粛々と進展させているといえ、それはやがて「間接侵略」として結実する危険性があるのである。

▼「沖縄独立論」を放置してはならない!

 2014年11月、翁長雄志(おながたけし)氏が、「オール沖縄」などを支持基盤に新知事に当選した。翁長知事は仲井真前知事が承認した「辺野古埋め立て」を撤回し、さらにはジュネーブでの国連人権理事会の演説(9月21日)で「沖縄の人々は自己決定権や人権をないがしろにされている」などと演説した。

 かつて翁長氏は自民党沖縄県連の幹事長を務め、辺野古移設の旗振り役であった。そのような翁長知事の今日の言動の真意については推量しえないが、評論家筋の情報では翁長知事が沖縄市長や県知事に擁立される過程において水面下での中国による支援工作があったという。

 一方、同国連人権会議では名護市在住の我那覇真子氏(がなはまさこ、26歳)が22日、「翁長知事の発言は真実ではない。日本とその地域への安全保障に対する脅威である中国が選挙で選ばれた公人やその支援者に『自分たちは先住少数民族である』と述べさせて沖縄の独立運動を扇動している。・・・どうかプロパガンを信じないでください」と述べた(我那覇氏の『Face book』)。

「沖縄で展開されている『辺野古反対』は、“沖縄県民の声”ではなく県外からの一部反対者による扇動である」「翁長知事擁立の背後には中国による情報工作があった」との見方に全面的に与(くみ)するわけにはいかないが、沖縄県民のなかには“中国による独立工作”に脅威に感じている者が少なからずいるということであろう。

 他方、毛沢東はかつて沖縄(琉球)を中国の属国として扱っていた。さらに軍事力を増大した中国が「中華民族の偉大なる復興」を目標として掲げ、東シナ海への進出を強化し、DF-16(射程約1000km)などの沖縄を射程にとらえる新型ミサイルや、2000kmの射程を持つ巡航ミサイル(DH-10)を装備するH-6K戦略爆撃機を増加配備し、軍用機を軍事訓練と称して南西諸島上空越えに西太平洋進出まで進出させている、ことも事実である。

  これらは、中国が将来的に沖縄などの要域確保と西太平洋を支配するための準備行動の可能性があり、「中華民族の偉大なる復興」のためには戦略的要衝となる沖縄の支配を欲しているということなのである。

 日米同盟を堅持するわが国に対し、中国が軍事力をもって「力による現状変更」を試みることは、現段階では困難であろう。よって、中国は非軍事的手段である「三戦(輿論戦、法律戦、宣伝戦)」を広範囲に展開するなど(別の機会に言及)して対日優位の戦略環境を構築し、さらには情報工作などを駆使してわが国の一画に「間接侵略」を仕掛けているとみなければなるまい。すなわち、“沖縄”という刀を利用してわが国を切る「借刀殺人」を仕掛ようとしてしている可能性がある。

 現在のところ、「沖縄独立論」を唱える沖縄県民は少数だと伝えられるが、中国にとって沖縄は“垂涎の的”である。中央と沖縄を離間させ、経済力などを背景とする各種の働きかけにより、「沖縄独立論」を煽る可能性は否定できない。こうした状況に屈しないためには、われわれは中国の

さまざまな動向を多角的に注視し、「沖縄独立論」などの“煽情論”に対しては、「国益堅守」の観点と沖縄県民の目線に立ち、理性と誠意をもって対処していくことが必要なのであろう。

(第四計「以逸待労」に続く)

(うえだ・あつもり)

【著者紹介】

上田篤盛(うえだ・あつもり)

1960年広島県生まれ。元防衛省情報分析官。防衛大学校(国際関係論)卒業後、1984年に陸上自衛隊に入隊。87年に陸上自衛隊調査学校の語学課程に入校以降、情報関係職に従事。92年から95年にかけて在バングラデシュ日本国大使館において警備官として勤務し、危機管理、邦人安全対策などを担当。帰国後、調査学校教官をへて戦略情報課程および総合情報課程を履修。その後、約15年以上にわたり、防衛省情報本部および陸上自衛隊小平学校において、情報分析官と情報教官として勤務。2015年に小平学校教官を最後に定年退官。共著に『中国軍事用語辞典』(蒼蒼社、2006年11月)、『中国の軍事力 2020年の将来予測』(蒼蒼社、2008年9月)など。近刊に『戦略的インテリジェンス入門』を予定。