11/18日経「造船支える中国人材 川重やツネイシ、技術蓄積」に「 国で造船所を展開する日本企業が中国人材の活用の幅を広げている。川崎重工業の中国合弁は、製造現場の技能者を団塊世代の大量退職で人材不足感が強まる日本の拠点に派遣。ツネイシホールディングス(広島県福山市)の中国子会社は設計力を高め、コスト競争力に磨きをかける。両社はいずれも10年以上前に中国に進出しており、現地の技術力は着実に向上している。受注環境に陰りが見えるなか、中国人材の活用で「荒波」に挑む。
中国の大河、長江沿岸。飛び散る火花をものともせず、中国人従業員が溶接作業に没頭する。川重と中国国有海運大手、中国遠洋運輸(COSCO)グループの造船合弁、南通中遠川崎船舶工程(NACKS、江蘇省)。2014年度にばら積み船など18隻を送り出した。川重の日本の主力拠点、坂出工場(香川県坂出市)の2隻を大きく上回る。
1995年の設立以来、建造した船は100隻以上。ものづくりのノウハウは蓄積され、「溶接や曲げ加工などは日本よりも優れているだろう」とNACKSの水野雅方総経理は自信を見せる。坂出工場にかねて技能実習生として年20~30人を派遣してきたが、現在は約70人に増えた。世代交代で熟練工が抜けて人材が不足しがちな坂出工場の貴重な戦力だ。
NACKSは07年に同社がCOSCOグループと出資する形で設立した大連中遠川崎船舶工程(DACKS、遼寧省)の立ち上げも支援した。「かつて日本で研修を受けた中国人が今度は指導する立場になった」とDACKSの杉崎公俊常務副総経理は話す。今も30~40人を派遣しており、半分は部長以上の幹部として力を発揮する。
常石集団(舟山)造船(TZS、浙江省)を03年に設立したツネイシホールディングス。TZSはばら積み船など100隻以上を建造するツネイシの主力拠点に育ったが、もう1社、頼れる会社がある。上海に拠点を置き、約240人が働く設計子会社だ。同社が開発した設計の自動化ソフトは日本の拠点でも採用、グループの設計効率化に一役買う。
川重の中国合弁、NACKSでは生え抜きの技能者が育つ(江蘇省)
これまで日本で手掛けてきた設計の基礎となる「基本設計」の一部も、中国側で始めた。日本の設計部門の「下請け」を脱し、自ら顧客と向き合って設計した船を現地で建造する。そんな一貫体制が構築できれば、コスト競争力は一段と増す。
両社が中国に拠点を置く狙いは日本の3分の2程度の人件費の安さにある。川重の15年4~9月期の船舶海洋部門の営業損益は31億円の赤字だったが、川重の船舶海洋カンパニートップの村上彰男常務は「NACKSには業績面で非常に助けてもらっている」と話す。
好不況の波が押し寄せるのが常の新造船市場だが、この2年ほどは環境規制の強化などを受けて需要が堅調だった。しかし、中国景気の減速で、ばら積み船の運賃が下落するなど、海運市況は低迷。船舶を保有する船主の発注意欲も減退してきた。
56年から99年まで40年あまり、建造量で世界一を誇ってきた日本勢も今や中国勢や韓国勢と激しい受注競争を繰り広げる。大手でも三菱重工業が10月1日に祖業の長崎造船所(長崎市)から商船部門を切り離すなど、抜本的なコスト構造改革に踏み出す企業も出てきた。
そうしたなかで、中国拠点に活路を求める川重とツネイシ。人件費の上昇が続く中国ではいずれ「安さ」だけでは勝負ができなくなる。日本政策投資銀行で造船市場を分析する大久保康三氏は「今後は中国の船主のニーズを現地で拾えることが長期的な強みになる」と見る。その強みを最大限引き出すにはこれからも現地人材を育て、生かす取り組みが欠かせない。(東京=高城裕太)」という記事です。
上田氏が相手の力を利用して内部崩壊を導くと言っている「借刀殺人」そのものの記事です。昨日は中国から撤退した企業の例を挙げました。ZAKZAKは産経新聞なので撤退を勧めていると思います。対して日経はまだ中国に未練があると言うか、中国だけでなく外務省とか財務省の意向を受けて書いているのかも知れません。
川重は本当に愚かです。新幹線技術を移転して何が起きたか分かっているはずなのに、凝りない企業です。造船でもブーメランは起きるし、中国の産業スパイを国内で養成しているという自覚がないのでどうしようもない。中国は世界の需給を無視して生産します。あらゆる産業でです。これが国内の過剰在庫となり、世界にダンピング輸出します。中国以外の国の企業はそれで倒産するようになります。中国は賄賂社会だけでなく、弱肉強食社会です。国内でも「自分だけが儲かればよい」という発想で、需給を無視して作り、競合が対抗できないまで赤字でも売り続けます。それで、相手が諦めた市場をごっそり戴くというやり方を取ります。
盧溝橋事件は間違いなく、スターリンの指示で、国民党と日本軍を戦わせて、中国共産党が漁夫の利を得ようとしたものです。中共軍の「戦士政治課本」の中で、劉少奇やったとはっきり書いてあります。まあ、石原莞爾と違い、武藤章が中国大陸に野心を持っていたことは確かですが。満州大陸は漢族のものではありません。
偽書の田中上奏文とは違い、『日本解放第二期工作要綱』は偽書とは言えないでしょう。1972年当時、日本には偽書を作ってまで中国と関係を悪くしたいという動機はなかったし、中国に贖罪意識を持っていて角栄が日中共同声明を結んだ年でもありました。当時の日本の反対派かアメリカが書いたという事も考えらないと思っています。
沖縄独立は、今の沖縄県民は嫌中派が90%で (http://cache.yahoofs.jp/search/cache?c=osYxbLB1a4EJ&p=%E6%B2%96%E7%B8%84%E7%9C%8C%E6%B0%91%E3%81%AE%E5%AB%8C%E4%B8%AD+%EF%BC%85&u=jacklog.doorblog.jp%2Farchives%2F27765418.html )
実現しないでしょうけど、中国の策謀は『China 2049』にありますように、100年もの長い時間をかけてでも、実現させようとするでしょう。中国が国際機関を使って、琉球やアイヌの独立を画策するのであれば、日本はチベット、ウイグル、南モンゴルの独立を主張すべきです。でも国民が領土や世界情勢に無関心或は愚かであればそれらは奪われる運命にあります。
記事
▼相手の力を利用して内部崩壊を導く
「借刀殺人」は「刀を借りて人を殺す」と読む。この計は文字どおり人の“刀”を利用して相手を倒すことである。人の刀、すなわち“人の力”を利用するには二つの側面がある。一つは自分の力を
使わないで第三者の力を利用することで、もう一つは相手の力を利用して内部崩壊を導くことである。もちろん後者の方がより巧妙な策略となる。
春秋時代(BC770~BC403)に遡る。当時、栄華を誇った斉の君主は、歴戦の勇士である三人の武将を大いに評価していた。しかしその一方で、君主は彼らの権力が肥大化することを懸念し、三人の武将を処刑することにした。そこで君主は策略をめぐらし、送り主の名前を伏せて三人の武将に箱を届けた。箱の中には桃が入っていた。そして「今まで最も偉大な功績を残した者のみが、この桃を口にすることができる」との親書を添えた。
最初の二人の武将は「自分こそが偉大な功績を残した」と考え、桃を口にした。三人目の武将は、空っぽとなった箱をみて、二人の武将に向かって「和を乱した」と罵り、ついには二人の武将を殺害してしまった。一人残された武将は冷静になった時、自らの嫉妬心から最愛の仲間を殺害したことを悔やみ、やがて罪悪感にかられ自害した。
こうして君主は自らの手をいっさい汚すことなく、三人の武将を処刑することに成功したのである。
▼中国共産党は「借刀殺人」で勝利した!
1937年7月7日の「盧溝橋事件」の発生を契機に、わが国は泥沼の日中戦争に突入した。同事件をめぐっては「国民革命軍第29軍の偶発的発砲(秦邦彦氏の見解)」、「日本軍による謀略説」、「中国共産党による謀略説」の諸説があるが、今となっては、いずれが真実であったかを断定することは困難であろう。
ただし、当時の日本にとって日中戦争は「望まない戦争」であった。他方、国民党に対して劣勢であり、“虫の息”であった中国共産党は、日本軍と国民党軍を互いに戦わせ、“漁夫の利”をえることを画策していた。こうした状況に鑑みれば、「中国共産党の指令を受けた劉少奇(のちの国家主席)が指揮する決死隊が盧溝橋事件を演出した」との「中国陰謀説」にも一定の説得力がある。
結果的に、日本はその後8年間、中国大陸を舞台に泥沼の戦争へと突入する。やがて国力が疲弊し、米国との太平洋戦争へと引きずられる。一方の?介石率いる国民党軍も、日本軍との戦いで疲弊し、ついには敗北した。
これに対して中国共産党は当初、日本軍との戦いを回避し、国民党軍との最終決戦に備えて戦力を温存した。つまり、中国共産党は、「国民党軍の刀」と「日本軍の刀」という“二本の刀”を利用することで、「抗日戦争」に勝利し、わが国敗戦後は国民党軍の内部崩壊により、中国内戦に終止符をうった。ここに「借刀殺人」によって、日本軍と国民党軍との二つの戦いで勝利した、中国共産党の巧妙な策略をよみとることができる。
▼「借刀殺人」の真髄は「間接侵略」にある!
「借刀殺人」の最大の巧妙さは、敵国に対し内部紛争を惹起させ、自らが軍事力を使わずに敵国を自壊に追い込むことにある。そのためには、敵国内部に「内敵」を組織し、それを指導・育成し、機をみて「内敵」により武装蜂起を起こさせ、国家体制の破壊を試みる方法がとられる。すなわち、「借刀殺人」の真髄は「間接侵略」によって敵国を滅ぼすことにあるといえる。
1960年代から70年代にかけて、中国共産党はわが国に対する暴力革命工作を指令していた。これに関する当時の工作指令書として話題になったのが『日本解放第二期工作要綱』である。
同工作指令書では、当時の中国共産党による日本に対する群集心理工作、マスコミ工作、極右・極左団体工作などの間接侵略の戦略・戦術が詳細に描かれている。
この工作指令書から注目点を抜粋し、簡単に整理しておこう。
1)日本の平和解放は、わが国との国交正常化、民主連合政府の形成、日本人民民主共和国の樹立─これら三段階をへて達成する。
2)田中内閣成立以降の解放任務は民主連合政府を形成する準備を完成することにある。
3)群集心理工作では大学への中国語教師の派遣申し入れが戦術となる。
4)マスコミ工作では「10人の記者よりは1人の編集責任者を獲得せよ」の原則
を掲げ、編集責任者の獲得により民主連合政府樹立の世論を形成する。
5)政党工作では議員の個別調査と選別による獲得工作や自民党の分裂工作
などを通じ、民主連合政府に向けた工作基盤を形成する。
この工作指令書は1972年、西内雅氏(にしうちただし、1903~1999年、中央学院大学教授)が香港滞在中に偶然発見し、日本に持ち帰ったというものであるが、実は中国共産党のものかどうかをめぐる「真贋論争」の決着がついていない。一つには、中国の対日赤化工作に対応するために日本側が同工作指令書を発表したという説もある。
「真贋論争」はさておき、工作指令書の記述内容と、現在のわが国の状況には、以下のような類似点があることに筆者は注目している。
1)田中角栄元総理の流れを受ける小沢一郎元自民党幹事長が1993年に自民党を分裂させ、新生党を創設した。そこを起点に2009年に民主党政権が樹立され、同政権下では元総理などによる親中発言が繰り返された。
2)2005年以降、大学内に「孔子学院」が設立され、そこには中国人講師が派遣され、青少年に対する中国語教育を介しての心理工作が進展しているという。
3)朝日新聞などによる『吉田証言』報道(※)と「慰安婦報道」に代表される「自虐史観」の扶植などは、あたかも編集責任者の獲得工作が行なわれたかのような疑念もある。
こうした状況に鑑みれば、決着が困難な「真贋論争」に拘泥するよりも、同工作指令書をとりあえず真実のものと推定し、その記述内容に基づいて中国の対日戦略をいま一度検証すべきではなかろうか。
※吉田清治氏が1980年代に、「太平洋戦争時に、軍令で朝鮮人女性を強制連行した」と告白し、これを朝日新聞や共同通信が1983年以降、長らく真実として取り上げたことにより「慰安婦問題」が国際問題化した。
1992年頃より、『吉田証言』の信憑性に疑問が呈されたが、その後も
朝日新聞による報道訂正は行なわれなかった(朝日新聞が2014年8月、
虚偽報道であったことを認めた)。
▼中国による“刀”は鋭利になっている!
今日の中国による対日工作は、1960年代から70年代にかけてのあからさまな「暴力革命」の影こそみえなくなったが、長期的レンジでより広範かつ巧妙なものへと進化しているようだ。
米国におけるロビイスト活動を通じて日中歴史問題を題材に「対ファシズムをともに戦った」との連携を謳い、わが国の親中派の政治家やメディアを使って親中、反日宣伝を展開するなど、“あの手この手”を駆使した対日工作を展開している。
その成果により、米国では抗日戦顕彰館が設置(2015年8月15日)、「南京大虐殺では日本兵の銃剣で40万人の中国人が命を失った」と記述する教科書を米国の公立学校が採用する(2015年1月8日『産経新聞』ほか)などという状況も生起している。
わが国では、メディアの誤った報道により「自虐史観」が蔓延したほか、民主政権時代には元総理の尖閣関連発言が政府見解とはまったく異なるものということもあった。
このように中国の一方的な歴史観が世界に喧伝され、わが国の教育界やメディア界に“クモの巣”のように浸透し、日本の伝統的な文化や精神活動を破壊することに、すでに一定の成果を遂げているのである。
これらの状況をみるに、中国による「借刀殺人」の計は、わが国政権における内部分裂と、日米離間の工作を粛々と進展させているといえ、それはやがて「間接侵略」として結実する危険性があるのである。
▼「沖縄独立論」を放置してはならない!
2014年11月、翁長雄志(おながたけし)氏が、「オール沖縄」などを支持基盤に新知事に当選した。翁長知事は仲井真前知事が承認した「辺野古埋め立て」を撤回し、さらにはジュネーブでの国連人権理事会の演説(9月21日)で「沖縄の人々は自己決定権や人権をないがしろにされている」などと演説した。
かつて翁長氏は自民党沖縄県連の幹事長を務め、辺野古移設の旗振り役であった。そのような翁長知事の今日の言動の真意については推量しえないが、評論家筋の情報では翁長知事が沖縄市長や県知事に擁立される過程において水面下での中国による支援工作があったという。
一方、同国連人権会議では名護市在住の我那覇真子氏(がなはまさこ、26歳)が22日、「翁長知事の発言は真実ではない。日本とその地域への安全保障に対する脅威である中国が選挙で選ばれた公人やその支援者に『自分たちは先住少数民族である』と述べさせて沖縄の独立運動を扇動している。・・・どうかプロパガンを信じないでください」と述べた(我那覇氏の『Face book』)。
「沖縄で展開されている『辺野古反対』は、“沖縄県民の声”ではなく県外からの一部反対者による扇動である」「翁長知事擁立の背後には中国による情報工作があった」との見方に全面的に与(くみ)するわけにはいかないが、沖縄県民のなかには“中国による独立工作”に脅威に感じている者が少なからずいるということであろう。
他方、毛沢東はかつて沖縄(琉球)を中国の属国として扱っていた。さらに軍事力を増大した中国が「中華民族の偉大なる復興」を目標として掲げ、東シナ海への進出を強化し、DF-16(射程約1000km)などの沖縄を射程にとらえる新型ミサイルや、2000kmの射程を持つ巡航ミサイル(DH-10)を装備するH-6K戦略爆撃機を増加配備し、軍用機を軍事訓練と称して南西諸島上空越えに西太平洋進出まで進出させている、ことも事実である。
これらは、中国が将来的に沖縄などの要域確保と西太平洋を支配するための準備行動の可能性があり、「中華民族の偉大なる復興」のためには戦略的要衝となる沖縄の支配を欲しているということなのである。
日米同盟を堅持するわが国に対し、中国が軍事力をもって「力による現状変更」を試みることは、現段階では困難であろう。よって、中国は非軍事的手段である「三戦(輿論戦、法律戦、宣伝戦)」を広範囲に展開するなど(別の機会に言及)して対日優位の戦略環境を構築し、さらには情報工作などを駆使してわが国の一画に「間接侵略」を仕掛けているとみなければなるまい。すなわち、“沖縄”という刀を利用してわが国を切る「借刀殺人」を仕掛ようとしてしている可能性がある。
現在のところ、「沖縄独立論」を唱える沖縄県民は少数だと伝えられるが、中国にとって沖縄は“垂涎の的”である。中央と沖縄を離間させ、経済力などを背景とする各種の働きかけにより、「沖縄独立論」を煽る可能性は否定できない。こうした状況に屈しないためには、われわれは中国の
さまざまな動向を多角的に注視し、「沖縄独立論」などの“煽情論”に対しては、「国益堅守」の観点と沖縄県民の目線に立ち、理性と誠意をもって対処していくことが必要なのであろう。
(第四計「以逸待労」に続く)
(うえだ・あつもり)
【著者紹介】
上田篤盛(うえだ・あつもり)
1960年広島県生まれ。元防衛省情報分析官。防衛大学校(国際関係論)卒業後、1984年に陸上自衛隊に入隊。87年に陸上自衛隊調査学校の語学課程に入校以降、情報関係職に従事。92年から95年にかけて在バングラデシュ日本国大使館において警備官として勤務し、危機管理、邦人安全対策などを担当。帰国後、調査学校教官をへて戦略情報課程および総合情報課程を履修。その後、約15年以上にわたり、防衛省情報本部および陸上自衛隊小平学校において、情報分析官と情報教官として勤務。2015年に小平学校教官を最後に定年退官。共著に『中国軍事用語辞典』(蒼蒼社、2006年11月)、『中国の軍事力 2020年の将来予測』(蒼蒼社、2008年9月)など。近刊に『戦略的インテリジェンス入門』を予定。