10/27「三島由紀夫と神格天皇について」講演について

三島由紀夫研究会主催の標記講演会に出席しました。講師は藤野博氏でした。内容の一部を下記に紹介します。講演でも触れられましたが、今の日本は似非平和主義、経済至上主義、利己主義に固まっていると思います。先人たちが目指した「高邁な理想」「潔さ」「自己犠牲の精神」が、戦後置き去りにされてきたと感じます。アメリカ、中国、韓国の汚い部分をマネて、損得勘定を先に立てるようにしてきたからだと考えています。三島の自決の数か月前に残した言葉、「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このままいったら『日本』はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機質な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、ある経済大国が極東の一角に残るであろう。それでもいいと思っている人達と、わたしは口をきく気にもなれなくなっているのである(産経新聞、昭和45年7月7日付け)」というのは今の日本をうまく言い当てていると感じます。それだけではなく、差し迫った危機にも動こうとしない駝鳥の平和を求めている人が多いと感じます。覚醒せねば。

『はじめに

1.三島由紀夫と向き合う際の私の心構え

(1)正確に読み解く

(2)厳密に解釈する

(3)自分の問題として受けとめる

2.論考の出発点を、自決当日の主張の核心を成す檄文とする

◊檄文のポイント

(1)国の大本を忘れ、国民精神を失った、戦後の日本の精神状況を告発

(2)自衛隊の違憲を喝破し、道義の退廃の根本原因とみなす

(3)建軍の本義とは「天皇を中心とする日本の歴史•文化•伝統を守る」ことである

(4)[生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか」——生命至上主義を指弾

生命以上の価値とは、「われわれの愛する歴史と伝統の国、日本」である——戦後 の日本人に蔓延している個人至上主義(個人本位主義)を批判

檄文の訴えの根柢には〈日本国家〉とその中心にいる〈天皇〉がある。したがって、 テ一マを〈天皇〉に絞って考察し、その上で「切腹」の動機とその意味を探る。

<割愛>

Ⅱ.三島由紀夫の天皇観の特質

(6)三島由紀夫の天皇観の特質を総合的に捉える

三島の天皇思想は二重構造を成している。すなわち、明治以降の近代的天皇に潜む 問題、昭和天皇批判、憲法改正の主張などは、歴史上の、現実の天皇を論じている。 ところが、歴史的•現実的天皇に対する心情や理論構築の根底には、理想とする天 皇、すなわち「神としての天皇」「超歴史的天皇」、「超現実的天皇」が厳然として存 在している。この理想の天皇を基軸として現実の天皇を裁断している。この「神」と しての「超歴史的•超現実的天皇」が、みずからの命を賭けるほどの絶対的な究極の 価値であり、「三島由紀夫の天皇」と言える。

一人の人間としての三島由紀夫はニ面性を所有している、稀代の傑出した文学者が 「仮面•衣裳」であり、〈天皇〉と、国家、歴史、文化、宗教、戦争、倫理などとの 関わりを深く思索し格闘した行動者が「素顔•裸体」である。

三島の精神構造の特徴は二元論的思考にある。ニーチェの、アポロン(知性)とデ イオニュソス(激情)という対極的思考に強く影響された。理性と感情、認識と行為、 精神と肉体、絶対と相対、神と人問、歴史と超歴史、近代と反近代、個人と国家、世界性と民族性、西洋と日本、伝統と革新、政治と精神、文と武など、あらゆる二元論 の宝庫である。これらの二元的要素を共存させ拮抗させながら、極限まで思考を深め、 自己超克の果てに自刃を敢行した。

天皇は、三島由紀夫という存在そのものを支えていた根幹。

天皇は、三島由紀夫にとって「血肉化した存在」。

○結びの言葉

(1)三島由紀夫の訴えをどう受けとめるか

•人間を超越した存在としての「神」を認めるか——天皇(人間神)と超越的絶対神との関係。神道的な多神教と、キリスト教な一神教という、宗教の根本問題を内包

・「生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか」——生命至上主義と対極にある「永遠の生命」の希求

•〈生命以上の価値〉とは(歴史と伝統の国、日本〉——天皇を中心とする日本国家と日本文化の価値の再生

三島の、死を賭した訴えによって、自国の歴史と文化に対する認識の欠落を痛感 し、天皇と日本文化の特質に対する眼を開かされた。

(2)三島由紀夫の鎮魂を祈願する

《科学技術や産業•経済は、時代とともに変わる「流行」であるが、歴史・文化・伝統を重んじる精神、倫理、神、生命、魂という精神的なものは、時代が変わっても 変化しない「不易」である。三島の精神に秘められているのは、「不易」すなわち精神の「普遍性]と「永遠性jである》

《文学者.三島由紀夫は「言霊」の発信者である。行動者・三島由紀夫は「言葉」の 奧底に潜む「精神」「魂」の発現者である》 《私が最も心をゆさぶられるのは、三島由紀夫というひとりの「裸の人間」の最奥で 響いている「魂」である》』

下は三島由紀夫20歳時の遺言状

三島由紀夫20歳時遺言状