矢野久美子著『ハンナ・アーレント』を読んで

ユダヤ陰謀論を聞くことがあり、「世界はユダヤの思い通りに動いている」のが本当であれば何故ヒットラーのユダヤ人虐殺が起こり、シフが高橋是清に金を貸してまで日露戦争に支援したのか分かりませんでした。それで表題本を読んでみようと思いました。アーレントはユダヤ人をパーリア(賤民)と位置づけています。それにイスラエルが建国されるまではデラシネ(根なし草)と同じと感じていたのでは。姜尚中がよくデラシネとか言っていますが、彼には帰るべき国があるにも帰らず、デラシネを気取っているだけという気がします。韓国人に言わせれば在日はハンチョッパリと差別され、朝鮮人には出身成分の「核心階層」「動揺階層」「敵対階層」の内「敵対階層」に入るので、母国に行けば日本以上に差別されるため帰国しないのだと思います。ハンナ・アーレントのような信念を持って生きていません(ユダヤ人にとって不利なことも発言したので多くの友人を失った)。日本の税金でドイツ留学までさせて貰っても日本に対する愛情がないのは民族性か?でも呉善花やシンシアリーのようにまともな人もいることはいるのですが、朝鮮半島では社会的に抹殺されてしまうでしょう。国民国家が成立して以降、国こそが生存を保証する機関となっていると思います。勿論国民の義務(徴兵・納税)を果たさなければなりませんが。佐伯啓思によれば「国家は人々の生命・財産を守るというが、どのようにして守るのか。国家の主権者が王であれば、王が自らの軍隊を率いてそれを守る。しかし近代国家とは国民主権である。とすれば、国民の生命・財産を守るのは国民自身ということになる。だからこそ、社会契約においてルソーは、何よりも国防のために国家に命をささげることを市民の義務として強く要求したのであった。これは近代国家の基本構造である。そこには確かに矛盾がある。人々の生命・財産を守るために人々は命を捨てることを要求されるからだ。」と書いてあったと思います。ハンナ・アーレントも同じことを考えていたと思います。ユダヤの金融資本はユダヤ人を見捨て、また生きるために同じユダヤ人がナチに協力したことも書かれています。帰属する国家がないことの悲劇かもしれません。イスラエルが生き延びるためには世界を相手にしても戦うというのはこういう所から来ているのかも知れません。イギリスの二枚舌(バルフォア宣言とフサイン・マクマホン協定)で中東は争いが絶えません。Divide and ruleです。「大量射殺は時間もかかり、殺害実行者の負担も大きい」とあり、南京大虐殺30万人というのが如何に現実離れしているかです。

本の紹介をします。

P53~54

アーレントは、「農業と手工業」から「青年アリヤー」へと移る間の時期に、フランスの富豪ユダヤ人であるロトシルト(ロスチャイルド)男爵夫人の慈善事業を補佐する個人的秘書として雇われ、パリのユダヤ人上流階級の世界を垣間見たことがあった。彼らが中心となっていた「長老会議」は、フランスのユダヤ人社会をとりしきり、フランス政府からユダヤ人対策を求められることもあった。また、慈善団体をいくつももっていたが、 慈善事業として資金援助はしても政治的に行動することを忌避し、反ユダヤ主義から避難してきたユダヤ人たちを同胞としては見なさなかった。彼らは、早い時期の知識人亡命者たちのことも「博士様、たかり屋様」と呼ぴ、嫌悪感を隠さなかったが、激增するユダヤ人難民にたいしては、自分たちが同化してきた社会の反ユダヤ主義を高めるとして、厄介払いするような雰囲気もあったのである。

P.85~87

たとえばアーレントは、「人は攻撃されているものとしてのみ自分を守ることができる」 と書くことがあった。ユダヤ人として攻撃されるならば、イギリス人やフランス人としては 自分を守ることはできない。ヒトラーによって攻撃対象とされ無国籍者となった多くのユダヤ人たちが、将来帰化する先を求めて、つまり、イギリスやフランスの国籍を求めて、外人部隊やレジスタンスに身を預けて戦っていた。しかし他方で、イギリス政府は一九三八年に パレスティナへのユダヤ人移住を制限する方針を打ち出し(当時パレスティナはイギリス委任統治下にあった)、大量のユダヤ人難民を乗せた船が沈没するという事件が各地で起きた。彼らに、安全のためにさしあたって自国での下船を認める国はほとんどなかった。アメリカ合衆国議会でも、ユダヤ人難民の受け入れ法案が次々と否決されていた。アーレントはこうした状況が無国籍という法的地位(のなさ)に起因して降りかかっていると指摘し、ユダヤ人はそうした地位を強いられた最初の民族にすぎない、と述べる。彼女は、ユダヤ人と してユダヤの隊列でヨーロッパ民族の一つとして反ヒトラー闘争に参加することこそが、そうした状況を将来打開する道につながると考えていたと推測できる。「自由は贈りものではない」「政治における忍耐は無気力に奇蹟を待つことではない」「われわれの運命はとくべつな運命ではない」「反ユダヤ主義から安全なのは月だけだ」、とアーレントは書いた。彼女はユダヤ軍創設の要求を応援した。ただし、そこで彼女が意図する「ユダヤ軍」とは軍国主義者やテロリストを排除した、「非常事態でそうせざるをえない場合にのみ武器を手にとる 労働者たち」の軍隊であり、パレスティナのユダヤ人農民やヨーロッパに置き去りにされた同邦のために立ち上がる民兵部隊であった。しかし、イギリス政府はこのようなユダヤ軍が作られることを認めず、シオニスト指導部も、そうした大国の意向に従うことを優先させた。

P.90

人間による人間の無用化

工業的な大量殺戮はまさに「死体の製造」とも形容される事態であった。それまでのナチによる大量殺戮は射殺によるものだった。大量射殺は時間もかかり、殺害実行者の負担も大きい。ガス室の場合は瞬時に大量の人間を殺害でき、実行者とその行為の帰結との距離があるため心理的負担が減るという想定もあった。死体の処理やガス室の掃除などは特別作業班としてユダヤ人囚人たちに強いられた労働であった。 人間による人間の無用化。人間の尊厳の崩壊。それは理解を絶する「けっして起こってはならなかった」ことであり、その事態を直視することは地獄を見るようなものだった。しかも、そのとき犠牲者は続々と増え続けていたのだ。

P.95~97

ドイツの敗戰

一九四五年五月八日、ドイツが無条件降伏し、ヨーロッパでは世界大戟が終わった。七月半ばから八月二日までのポツダム会談ではドイツ•東欧の戦後処理と対日終戦問題について議論され、ポツダム宣言が出された。八月六日に広島、八月九日に長崎に原子爆弾が投下さ れた。その夏.ユーリエ・ブラウン=フォーゲルシュタインと休暇を過ごしていたアーレントはブリュッヒャーへの同じ手紙で、「おめでとう」と皮肉って次のように書いている。「私は原子爆弾の爆発このかた、これまでよりいっそう不気味で恐ろしい気持がします。なんという危険なおもちゃを、世界を支配するこの愚者どもが手にしていることか」。

アーレントは45年1月に発表した「組織的な罪と普遍的な責任」という論稿で、ナチの人種エリートは敗戦の色が濃くなるにつれてそれまでの方針を転換して自分たちと全ドイツ国民を一体化し、人びとの生活が営まれる中立の地帯を破壊し、行政的大量殺戮という犯罪に国民全体を組織的に巻き込んでいった、と指摘していた。その一体化によってフアシストと反フアシスト、正真正銘のナチと共犯者にして協力者である普通の人ひととの区別がつきにくくなり、「誰もが罪に関与しているとすれば、結局のところ誰も裁かれえない」ということになる。アーレントは、毒ガスによる殺人や生き埋めを日々見ていた収容所の主計官が自身の罪を問われて「私が何をしたのでしょう」と泣き出したという報道を引用していた。

P.100~101

アーレントは次のように書いている。

たとえユダヤ人がヨーロッパにとどまることが可能だとしても、まるでなにごともなかったかのように、ドイツ人、あるいはフランス人、等々としてとどまるわけにはいかないということです。ユダヤ人をふたたびドイツ人とか何々国人とか認めてくれるからといって、それだけで私たちはだれ一人、帰れはしないでしょう (そして書くとい.うことは、帰ってゆくことの一つの形式なのです)。私たちはユダヤ人として歓迎されるのでなければ、帰れません。ですから私は、ユダヤ人としてユダ人問題のなんらかについて書けるのなら、喜んで書きましょう。(『アーレント=ヤスパース往復書簡1』)

P110~112

アーレントによれば、余剰になった富とともに、失業してヨーロッパで余計な存在になった人間が植民地へと輸出され、彼らは自分たちを支配的白人種として見なすという狂信に陥った。余計者として国外へと出た人間がそこで出会った人びとをさらに余計者と見なすという構図が生じたのである。また、帝国主義時代の官僚制支配では、政治や法律や公的決定による統治ではなく、植民地行政や次々と出される法令や役所の匿名による支配が圧倒的になっていった。アーレントは官僚制という「誰でもない者」による支配が個人の判断と責任に与えた影響を検証した。

アーレントは、膨張のための膨張という思考様式のなかで人種主義と官僚性が結びつくことの危険性を強調している。膨張が真理であるといぅそのプロセス崇拝と「誰でもない者」 による支配においては、すべてが宿命的•必然的なものと見なされていく。ひとつひとつの行為や判断が無意味なものになるのである。さらに、植民地における非人道的抑圧はブーメラン効果のように本国に翻り、合法的な支配をなしくずしにし、無限の暴力のための基盤をつくった。

アーレントはこの部の最後で.国民国家体制の崩壊の結果生まれた人権の喪失状態を分析 している。第一次世界大戦後、国民国家や法的枠組みから排除される大量の難民と無国籍者が生まれた。共同体の政治的•法的枠組みから排除されている彼らは、すべての権利の前提である「権利をもつ権利」を奪われている。アーレントは、政治体に属さないことによる無権利状態の危険性、意見や行為が意味をもつ前提としての人間世界における足場を失うことの深刻さ、無国籍の人間の抽象性がはらむ危険性を指摘した。彼女は「彼らの無世界性は、殺人の挑発に等しい」とまで書く。

P.112~113

全体的支配は人間の人格の徹底的破壊を実現する。自分がおこなったことと自分の身に降りかかることとの間には何も関係がない。すべての行為は無意味になる。強制収容所に送られた人間は、家族•友人と引き離され、職業を奪われ、市民権を奪われた。自分がおこなったことと身に起こることの間には何の関連性もない。発言する権利も行為の能力も奪われる。 行為はいっさい無意味になる。アーレントはこうした事態を法的人格の抹殺と呼んだ。

法的人格が破壊された後には、道徳的人格が虐殺される。ガス室や粛清は忘却のシステムに組み込まれ、死や記憶が無名で無意味なものとなる。また、全体主義的犯罪による善悪の区別の崩壊は、犠牲者をも巻き込む体制であった。アーレントは、自分の子供のうち誰が殺されるかを決めるように命じられた女性や収容所運営をゆだねられた被収容者の例をあげている。

さらには、肉体的かつ精神的な極限状況において、それぞれの人間の特異性が破壊される。 個々の人間の性格や自発性が破壊され、人間は交換可能な塊となる、とアーレントは書いた。 自発性は予測不可能な人間の能力として全体的支配の最大の障碍になりうる。独裁や専制と違って、全体的支配はすべてが可能であると自負し、人間の本性を変え人間そのものへの 全体的支配を遂行した。「不可龍なことが可能にされたとき、それは罰することも赦すこともできない絶対の悪となった」のである。

P.173~175

アーレントはナチの官僚アドルフ•アイヒマンのイエルサレムでの裁判について書き、そのことによって、ユダヤ人の友人のほとんどを失うことになる。 長年の友人でありべンヤミンを失った悲しみを共有したユダヤの碩学ゲルシヨーム•シヨー レムとも断絶した。論争渦中で、シヨーレムから「ユダヤ人への愛がないのか」と問い詰められたアーレントは、「自分が愛するのは友人だけであって、何らかの集団を愛したことはない」と答えた。その一方で彼女は、「ユダヤ人であること」は「生の所与の一つ」とし、「その事実を変えようとしたことはなかった」と断言した。学生時代には、アーレントをド イツ人と見なすヤスパースにたいして抵抗し、第二次世界大戦中には「ユダヤ人として攻撃されるならばユダヤ人として自分を守らなければならない」と主張しつづけた。

P.187~188

『イエルサレムのアイヒマン』は刊行前から非難の嵐に巻き込まれ、刊行後数年たつまで攻撃の文書が絶えなかった。批判はおもに次のような点に向けられていた。一つには、アーレントがユダヤ評議会のナチ協力に触れた点である。「ユダヤ評議会はアイヒマンもしくは彼の部下から、各列車を满たすに必要な人数を知らされ、それに従って移送ユダヤ人のリストを作成した」と彼女は書いた。もう一つには、アーレントがドイツ人の対ナチ抵抗運動、とりわけヒトラー暗殺を企てた7月20日事件に言及し、その勇気はユダヤ人への関心や道德的な怒りから出たものではないと述べた点である。アーレントによれば、「彼らの反対運動を燃え上がらせたものはユダヤ人問題ではなく、ヒトラーが戦争の準備をしているという事実だった」。さらには、アイヒマンを怪物的な悪の権化ではなく思考の欠如した凡庸な男と述した点である。紋切り型の文句の官僚用語をくりかえすアイヒマンの「話す能力の不足が考える能力-つまり誰か他の人の立場に立って考える能力——の不足と密接に結びついていることは明らかだった」と彼女は述べた。無思考の紋切り型の文句は、現実から身を守ることに役立った。こうしたアーレントの見方すべてが、アーレントは犯罪者アイヒマンの 責任を軽くし、抵抗運動の価値を貶め、ユダヤ人を共犯者に仕立て上げようとしていると断言された。アーレントにたいする攻撃は、組織的なキャンペーンとなり、アーレントは実際にテクストをまったく読んでいない大量の人びとから追い詰められることになった。

アーレントは戦時中の体験から、「世界は沈黙し続けたのではなく、何もしなかった」と考えていた。大量殺戮が始まる以前の一九三八年の「水晶の夜」にたいする各国の言論上の非難は、難民の入国制限を進めるという行政的措置と矛盾していた。「ナチが法の外へと追放した人びとはあらゆる場所で非合法となった」のである。アーレントはナチの先例のない犯罪を軽視しているわけではけっしてないが、ナチを断罪してすむ問題でもないと考えていた。また、加害者だけなく被害者においても道徳が混乱することを、アーレントは全体主義の決定的な特徵ととらえていた。アイヒマンの無思考性と悪の凡庸さといぅ問題は、この裁判によってアーレントがはじめて痛感した問題であった。アーレントは裁判以後にこの問題をあらためて追及することになる。

P.201~202

「独裁体制のもとでの個人の責任」のなかで、アーレントは「公的な生活に参加し、命令に 服従した」アイヒマンのような人びとに提起すべき問いは、「なぜ服従したのか」ではなく 「なぜ支持したのか」という問いであると述べた。彼女によれば、一人前の大人が公的生活 のなかで命令に「服従」するということは、組織や権威や法律を「支持」することである。 「人間という地位に固有の尊厳と名誉」を取り戻すためには、この言葉の違いを考えなければならない。

アーレントは、ナチ政権下で公的な問題を処理していた役人は「歯車」であったかもしれないが法廷で裁かれるのは一人の人間である、と強調し、全体主義の犯罪性の特徴について 論じている。全体主義下では公的な地位についていた人びとは体制の行為に何らかのかたちで関わらざるをえなかった。そうした人びとが「職務を離れなかったのはさらに悪い事態 起こることを防ぐためだった」と弁解する。仕事を続けたほうが「貴任を引き受けているのであり、「公的な生活から身をひいた人は安易で無責任な形で逃げだしたのだ」という主張である。それにたいしてアーレントは、「世界に対する責任」「政治的な責任」を負えなくなる「極端な状況」が生じうると述べ、次のように続けた。

政治的な責任というものは、つねにある最低限の政治的な権力を前提とするものだからです。そして自分が無能力であること、あらゆる力を奪われていることは、公的な事柄に関与しないことの言い訳としては妥当なものだと思うのです。 (『責任と判断』)

アーレントは別の論稿では「何もしないという可能性」、「不参加という可能性」という言葉を使っている。彼女は、こうした力のなさを認識するためには現実と直面するための「善き意志と善き信念」を必要とすると指摘し、絶望的な状況においては「自分の無能力を認めること」が強さと力を残すのだ、と語った。独裁体制下で公的参加を拒んだ人びとは、そうした体制を支持することを拒み、不参加.非協力を選んだのである。そしてこうした「無能力」を選ぶことができたのは、自己との対話である思考の能力を保持しえた人たちだけだった。