要人の健康問題に関するタブーは世の東西を問わず、民間企業ででもあります。況してや秘密主義の共産党では。それでも記者が鵜の目鷹の目で何かを見つけようとしていますのは、本記事で分かりました。確かに李克強は下放中も勉強に勤しみ、農民と交わることもなかったとのこと、頭が良い分だけ肚が据わってない印象を受けます。やはり、下放されてもっと厳しい状況に置かれた、習近平や王岐山の方が度胸はあると思います。腹黒くなければあの時代は生き延びれなかったでしょうから。
福島氏記事にありますように、財政支出は債務を増やすだけで、根本解決でなく、デフォルトの先送り策です。これが持続可能とは思えません。貨幣増刷で乗り切ろうとするのでしょうけど、人民元のキャピタル・フライトを引き起こします。資本規制をすれば、中国の在米資産凍結を招く可能性もあります。
国有企業のリストラで600万人の解雇、軍人30万人のリストラは共産党打倒の革命を引き起こすかも知れません。地方や軍が簡単に言うことを聞くとは思えません。
南方都市報は昔から骨のある新聞でした。何清漣も深圳法制報の記者でしたから、南の方が度胸があるのかも知れません。結局彼女は米国亡命せざるを得なくなりますが。南方都市報は広州市で発行されています新聞で、同じ系列で発行している南方週末は社説差し替え命令を受け、共産党に抗議の意を示したことがありました。また、オバマのインタビュー記事の掲載ストップ指示に、抗議して二ページの下半分を白紙で発行したこともありました。葉剣英が牛耳っていた土地ですから一筋縄では行きません。小生が住んでいた感想としては無法地帯と言った印象でした。
「●東京新聞(TOKYO Web)
■中国週刊紙記事 差し替え 記者スト 市民も抗議
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2013010802000089.html
2013年1月8日 朝刊
7日、広東省広州市の「南方週末」が入るビルの前で、言論の自由を訴える市民ら=今村太郎撮影
【広州(中国広東省)=今村太郎】広東省の週刊紙「南方週末」の記事が当局の指示で削除、差し替えられた問題で、同紙記者の一部が七日、抗議のストライキを始めた。共産党宣伝部によって厳しく管理される中国メディアが、当局側と激しく対立するのは極めて異例。広州市にある同紙本社ビル周辺には市民数百人が集まり、「言論の自由を」と書いた紙などを手に、同紙を支持している。
南方週末は六日夜、短文投稿サイト「微博(ウェイボ)」で、記事差し替えを否定する声明を発表。だが、記者らは「当局の圧力を受けて出された偽の声明」と反発し、ストライキを宣言。本社ビル前では七日朝から「われわれには言論の自由が必要だ」「南方週末を支持する」と書いたビラを持った市民が集まり、正門前にビラや花束を並べた。警戒に当たる警官隊約五十人に抗議する市民もいたが、排除はされなかった。
同紙は三日発売の新年特別号で「中国の夢、憲政の夢」と題し、憲法に基づく民主政治の実現などを主張する記事を掲載する予定だった。だが、広東省の共産党・宣伝部の指示を受け、中国の発展を強調する内容に差し替えられた。同紙の元記者らは省宣伝部の〓震(たくしん)部長の辞任を求め、対決姿勢を強めている。
南方週末は、独自の調査報道や踏み込んだ政治評論で知られ、たびたび当局の介入を受けてきた。二〇〇九年十一月には初訪中したオバマ米大統領に単独インタビューしたが、宣伝部の指示で掲載を中止。この際は、インタビュー記事のスペース(二ページの下半分)をほぼ白紙で発行し、抗議の意思を示した。 ※〓は度の又の部分が尺」
福島記事
全人代でお辞儀をする李克強と、隣に座る習近平。誰が拍手をしたのか、しなかったのか、健康状態はどうか、読み取るべき情報がそこかしこに(写真:ロイター/アフロ)
中国の全国人民代表大会(全人代)が5日開幕した。一足先の3日に開幕した全国政治協商委員会とあわせて両会と呼び、日本では国会のようなもの、と紹介される。だが、はっきり言って、政策や法案の中身は前年の秋までに決められており、その審議も採決も議員に相当する人民代表や政協委員が自由に議論したり反対票を投じられるようなものではないので、政策決定上はほとんど意味のない一種の政治儀式である。
では、なぜ世界各国のメディアが、わざわざ現地に赴き、この無意味そうな儀式を懸命に取材するのかというと、一つには現場にいなければ分からない、政権の“空気感”を確認したいという思いがあるだろう。なにせ、中国の最高指導者たち政治局常務委員7人が人民大会堂の大ホールのひな壇に揃うのである。その表情やしぐさすべてが、外国人記者たちにとっては普段得られない情報である。今年の全人代の見どころを、いくつか拾っていきたい。
「健康」は?「関係」は?「核心」は?
まず全人代では、中国の指導者たちの健康状態をチェックするのが記者たちにとっては結構重要な仕事である。今年の全人代の初日に行われる李克強首相の政府活動報告のときに話題になったのは、お辞儀したときに見えた李克強の頭頂部の髪がずいぶん薄くなったことだった。
そして、李克強が政府活動報告を読み終えて席に戻るとき、出席者は全員拍手するのが慣例なのだが、隣に座っていた習近平は拍手をしなかった。それどころか視線を合わせたり会釈したりすることもなかった。胡錦濤政権時代、温家宝が首相として政府活動報告を読み上げたときは、席に戻ったときに胡錦濤と温家宝は握手をするのが常であった。
この全人代開幕日の政府活動報告宣読は、拍手を入れるタイミングまで、事前に決められている。今年、拍手が起きたのは45回。去年は51回。2014年も50回以上だった。今年はかなり拍手が少なかった。こうしたことから、記者たちは習近平と李克強の関係がかなり冷え込んでいること、ストレス負けしているのはおそらく李克強の方であること、習近平自身はこの政府活動報告の内容(政府活動報告は李克強が起草)にかなり不満を持っていそうなことなどを推測するのである。
仮に習近平がこの政府活動報告に不満だとすると、いったいどこが気に入らないのだろうか。
これも、推測の範囲でしかないのだが、習近平サイドは、この政府活動報告で「習近平同志を“核心”とした党中央の指導のもとに」といった文言を入れてほしかったのかもしれない。だが、政府活動報告は“習近平同志を総書記とした党中央”という表現にとどまっている。
実は、今年に入ってから、習近平を“核心”と位置付ける発言が安徽や広西など地方の党委書記から出ている。“核心”というのは、唯一の権力の中心と位置付ける言葉であり、この言葉が使われるのは権力掌握の証ともされている。毛沢東、鄧小平は間違いなく党中央の核心に君臨。江沢民は鄧小平によって“核心”と位置づけられたが、胡錦濤政権ではついぞ使われなかった。つまり、胡錦濤は江沢民との権力闘争の中で最後まで核心になりえなかった。
習近平は今年になって、“核心”という言葉を使わせようと、地方からじわじわ裏工作を謀っているようで、全人代では“核心”呼びを定着させるつもりではないか、という予測が事前にあった。それが、できなかったのはまだ、抵抗勢力が強いということだろう。
「定年でも残留」が長期独裁の布石に
もう一つ、記者たちが驚いたのは、全人代開幕後1時間半を過ぎたころの政府活動報告中、党中央規律検査委書記の王岐山が突然、席を外したことである。汚職摘発の辣腕を振るってきた王岐山が突然、ひな壇から姿を消したので、ひょっとすると、何か突発事件が起きたのではないか、とざわめきが起きた。
5分後に何事もなく戻って来たので、ひょっとしてトイレか?と記者たちは思った。だが続く第2回全体会議でも開始から1時間半後に8分ほど離席。この現象について、記者たちの間では王岐山は頻尿ではないか、という噂が駆け巡ったという。
今後の権力闘争の行方を占う上で、王岐山の健康状態は鍵である。2017年秋の第19回党大会で本来なら内規上の定年年齢に達している王岐山が政治局常務委に残留することになれば、その前例をもって習近平がその5年後の第20回党大会で引退をせずに、長期独裁政権を樹立する根拠となりうる、と見られているからだ。だが、王岐山が頻尿だとすると、2015年11月に、王岐山が28日にわたって動静不明になったことが、健康問題ではないかという推測も成り立つ。当時は、王岐山が失脚したのではないか? あるいは新たな大物政治家の取り調べが始まっているのではないか? という噂が流れていた。
次に、記者たちの仕事は、政府活動報告の中身の分析である。まず今年のGDP成長率目標として「6.5%から7%」という数字が挙げられたことの意味。政府活動報告ではその年のGDP成長率目標の具体的数字が盛り込まれるが、このように何%から何%という幅のある目標値が挙げられるのは初めてである。
2015年の全人代同様、7%前後という目標値を挙げたいのだが、いくら何でも信憑性がなさすぎるので、表現をぼかしたのではないか、と見られる。実際のところ6.5%成長も無理目であり、昨年の成長率6.9%も、全人代で目標値を7%前後と言ってしまった故に、こじつけた数字だろう。実際は6%にも満たない、5%以下ではないか、というのが国内外のアナリストたちの見解である。
いわゆる李克強指数(電力消費、鉄道貨物輸送量、銀行融資残高。GDPの数字があてにならないので、この3つの統計によって実際の経済状況を把握せよと李克強が言ったとされる)では、昨年の電力消費の伸びは0.5%増、鉄道貨物輸送量は昨年上半期だけで前年比10%減、銀行融資残高は2015年末で前年比14.3%増なので、正直これで6・9%成長がかなうのは不思議である。
一層の元安へ? 債務爆弾、今年こそ備えよ
2016年の財政赤字は2.18兆元、GDP比3%に引き上げたのは、予想通りとはいえ、それなりの衝撃を与えた。これは1998年から2003年のアジア金融危機のときに当時の朱鎔基首相が財政出動をとった時以来の高さ(朱鎔基はこの時、数字公表を拒否)であり、2008年のリーマンショックで、胡錦濤政権が4兆元の財政出動を行ったときですら、財政赤字のGDP比は2.8%にとどまっていた。
昨年のうちに当局者からGDP4%以上の財政赤字も大丈夫だ、という発言が出ていたので、今年は過去最大規模の積極財政方針をとるだろう。日本や米国の財政赤字比率からすれば、大したことないじゃないかと思う人も多いだろうが、マネーサプライ(M2)が対GDP比200%以上の中国の場合、これはかなり大胆な挑戦であり、生産過剰と不良債権化がむしろ進み、一層の元安に直面する、といった予測もある。
ちなみに地方専項債権の4000億元はこの財政赤字には入っていない。中国の総債務(政府、企業、家計)は2014年半ばでGDPの282%(米マッキンゼー報告書)、すでにGDP比300%を超しているという報道もあるので、中国の債務爆弾爆発に対する衝撃に今年こそ備えが必要かもしれない。
もう一つの注目点は、十三次五カ年計画(十三五計画、2016~2020年の経済計画)の中身だ。2021年は中国共産党建党100年目であり、習近平政権の二つの100年目標の一つである2021年に全面的小康社会(そこそこゆとりある社会)の建設を実現するための最後の経済計画である。インフラ建設の強化が打ち出され、中でも北京と台北間の高速鉄道計画が話題をさらった。もちろん、台湾サイドの意向などお構いなしの「言うだけ」計画で、中台統一を警戒する台湾は大反発している。
十三五計画の肝は「安楽死」、改革の分業は崩壊
十三五計画で一番、キモとなっているのはインフラ建設資材を生産する鉄鋼、石炭、アルミ、ガラス、セメント分野のいわゆるキョンシー企業、ゾンビ企業とよばれる万年赤字国有企業の“安楽死”問題だ。過剰生産分の資材をインフラ建設強化で消化しつつ、ゾンビ企業を整理して、これに伴う失業者対策に1000億元を拠出して基金を創るという。今後2~3年で600万人前後をレイオフ(一時解雇、事実上の失業)するという予測が伝えられているが、90年代、自ら憎まれ役を買ってでた鬼宰相の朱鎔基ですら道半ばであった国有企業改革を、ストレスに弱そうな李克強に貫徹できるか。失業者問題は中国社会の不安化を一気に加速する可能性もある。
今回の政府活動報告でも「改革」と言う言葉を70回前後連呼していたが、連呼されるほどに、今の中国に改革を断行できる力量は見えない。2013年の三中全会(第三回中央委員会全体会議)で打ち出された“リコノミクス(李克強経済学)”では法治化、市場化、政府介入の減少こそが改革の骨子であった。ところが現実には、株価も為替も政府介入、行政指導の連続であり法治化、市場化はむしろ遠のく印象だ。
今やリコノミクスという言葉は忘れさられ、キンペノミクス、シーコノミクス(習近平経済学)という言葉を使うようになった。つまり、国家主席と首相の本来あった分業体制は完全に崩れている。江沢民と朱鎔基は相当仲が悪かったが、少なくともこの分業体制は機能しており、首相が全面的に指揮と責任を引き受けて改革に取り組むことができた。それと比べると、今回、90年代以上に困難な経済改革に、誰が責任をもって命がけで取り組むかというと、そういう人物が見当たらないのも、中国経済改革の先行きの暗さの一因だろう。
肝心の習近平は、独裁志向と自らの個人崇拝志向をますます強めており、メディアに対する忠誠を恥ずかし気なく求め、これまでならば許されてきた程度の批判でさえ、処罰の対象とするようになった。表向き習近平礼賛を合唱するメディア関係者の腹の中の怨嗟の声は、外国人の私たちにも漏れ伝わるレベルである。習近平の独裁志向と、批判や提言を自らに対する反逆ととらえる性格は、結果的に国務院(内閣)、政府機関の職能を弱め、官僚の心理的サボタージュを引き起こしている面もあると指摘されている。
国内の経済政策や外交政策の仕切りのほとんどは、習近平を中心とする党中央の小組が執り行っているが、習近平は経済から外交、軍制改革までの責任を一人で負えるほどのスーパーマンではない。結果として米中対立の先鋭化や中国株式市場への信用失墜、香港の核心的価値の決定的喪失といった事態が起きていて、これらは紛れもなく中国の国益を損なっている。
行き詰まり感とバランスの悪さと不満感と
全人代開幕直前の4日夜、中国国内の比較的新しいネットニュースサイト「無界新聞」に、「習近平同志に党と国家の指導職を辞職することを要求する」と題した匿名の“忠誠の共産党員”による公開書簡が掲載され、一時はサイトがダウンする事態も起きた。
「無界新聞」は「財経」誌を発行している財訊集団と新疆ウイグル自治区、アリババが出資して新疆地域に対する宣伝工作、世論誘導のために昨年4月に立ち上げた、いわば習近平政権肝いりサイトである。サイト関係者はハッキングされたと説明しているそうだが、習近平の政策の失敗を並べたて、国家と党のために引退してくれと訴える公開書簡が、中国のニュースサイトに掲載されたのだから、やはり党内部の習近平に対する不満の高まりを反映した“政治事件”と見る向きが強い。そうした国内党内の不満は、全人代のような場で多少なりとも話し合いで解消するのが、本来の役割なのだろうが、チベット自治区代表団が習近平バッチをつけてきたことからもわかるように、習近平への忠誠アピールを競うようなムードになっているのである。
今年の全人代の空気が示すのは、中国の改革には期待できそうにないという行き詰まり感、党中央と国務院機能のバランスの悪さ、そしていつ何が起きても不思議ではないほどの党内人士の不満感、不安感ではないだろうか。
日経記事
中国の“絶対権力者”になりつつある国家主席、習近平に背後から手をかけて呼び止め、対等に話しながら退場する反腐敗の鬼、王岐山――。
3月3日、極めて珍しい光景が出現した。北京で開幕した全国政治協商会議の全体会議が終わり、「チャイナ・セブン」といわれる習ら最高指導部メンバーがひな壇から順番に退場する際の一幕だ。
衆人環視の下での密談である。2千人以上の全国政協の委員、1千人もの記者らが見守るなか、政治局常務委員の王岐山は、ボスである習に何を言ったのか。これが注目の的だ。次々と大物を捕まえた、泣く子も黙る共産党中央規律検査委員会の書記だけに、である。
一考に値する推測がある。権力者への諫言(かんげん)のあり方、そして翌4日に発表される反腐敗の大物摘発が話題だったのでは、というのだ。幕の向こうに習と王岐山が消えてからも会話は続いただろうから、2つのテーマくらいは話題にできたかもしれない。
■トップへの諫言問題が話題か
政治協商会議の開幕式を終えて習近平(左)に話しかける王岐山・政治局常務委員(北京の人民大会堂)=写真 小高顕
前者には根拠がある。王岐山が仕切る共産党の中央規律検査委員会などの機関紙。そして同委と中国監察省が合同でつくる公式サイトだ。全国政協の開幕直前、司馬遷による史記の記述などを引いて、諫言の重要性を指摘する文章をほぼ同時に発表していたのだ。
「唯々諾々と従う1千人のイエスマンは、ただ一人の志ある人物による諫言に及ばない」
意訳すると、こんな内容だった。中国の戦国時代、強国への道を歩む秦国の政治家だった商鞅と、その腹心の関係。名声の高い「貞観の治」で知られる唐王朝第2代皇帝、李世民と臣下の関係を例に挙げている。
耳に痛い諫言をする人物を遠ざけてはいけない。それができれば、歴史に名を残す偉大な人物になれる。文章が説く趣旨だ。筆者は王岐山ではない。とはいえ、いまは言論統制が非常に厳しく、全国政協の委員や全国人民代表大会(全人代、国会に相当)代表らの口も重い。その時代に“危険な文章”を公式掲載するには、王岐山の許可が必須だ。
「これだけ高度なテクニックを要する文は、王岐山自らがアイデアを考えたに違いない」。北京の知識人の見方だ。
その後の展開が興味をひく。中央規律検査委の“公式見解”はすぐに流布され、これを引用して言論の自由を説く文章がインターネット上に次々登場した。すると一部の文章が「問題あり」とされ、削除されたのだ。
言論統制の元締めは党中央宣伝部や、新設された国家インターネット情報弁公室である。削除の基準は、中央宣伝部などが示す。そして宣伝部の担当は、党内序列5位の政治局常務委員、劉雲山である。
政治協商会議に出席した劉雲山・政治局常務委員(北京の人民大会堂)
読み解きはこうなる。「中央規律検査委の王岐山と、中央宣伝部の劉雲山の言論問題への見解は異なる。もしかしたら対立しているのでは……」。知識人らのひそひそ話である。ネット上に書くと削除されてしまうので、昔のように口コミ(中国の言葉で「小道消息」)で広がっている。
■「中国版トランプ」への集中砲火
もう一つ、面白いエピソードがある。今、中国のネット上で熱い議論が交わされているのは、「不動産王」の言論だ。彼の名は任志強。歯に衣(きぬ)着せぬ舌鋒(ぜっぽう)の鋭さで、有名なネット言論人でもある。
任志強のブログの内容が党内で批判を浴びている。「中国メディアの姓はすべて共産党で、党に忠誠を誓うべきだ」という党が打ち出したスローガンに敢然とかみついたのだ。
「すべての(中国)メディアの姓が党で、人民の利益を代表しないなら、人民は見捨てられたということだ」
任志強はブログで繰り返し反発した。メディアは一般大衆の利益を代弁すべきだ、と主張しているのだ。正論である。彼の反発は、習が2月19日に国営、中央テレビなど三大メディアを視察したのがきっかけだった。
任志強は「太子党」に属する。旧商業省次官を務めた父を持つ。首都防衛の要、第38集団軍に所属した軍人の出身で、後に不動産大手、華遠集団を率いた。共産党員であり、労働模範として表彰を受けている。北京市の政協委員でもある。
不動産王で舌鋒が鋭いといえば、米共和党の大統領候補を争っているドナルド・トランプと似ているが、中国の不動産王も負けてはいない。
この任志強。実は王岐山と極めて親しい。弟子といってもよい。文化大革命の嵐が吹き荒れた1960年代、北京の中学校で先輩、後輩の仲だった。年上の王岐山が任志強の指導員まで務めた。
その任志強が劉雲山の中央宣伝部の系統から集中砲火を浴びるなか、王岐山は習を呼び止めた。共産党のしきたりからして、指導部の一員でもない任志強の個別問題に、王岐山が直接言及するはずもない。とはいえ、もっと大きな「習の治世と諫言のあり方」を話題にすることはできる。例えば、「中央規律検査委の文章を読んでください」というように。「周辺にこう推測させるだけで十分効果は得られる」。関係者は指摘する。
王岐山は翌4日に発表した元遼寧省、吉林省トップの中央委員、王珉の摘発について報告した、という推測ももっともらしい。全国政協と全人代の期間中に格の高い中央委員の摘発を公表するには、トップである習の承認が不可欠だ。時間がないなか、王岐山は習を呼び止めて立ち話せざるを得なかったのかもしれない。
3日に開幕した全国政治協商会議(北京)=写真 小高顕
とはいえ、王岐山と任志強の個人関係、中央規律検査委機関紙や公式サイトの文章を見れば「諫言問題説」にも十分な説得力がある。
そもそも習と王岐山は親しい。文革の際、2人は陝西省の黄土高原に位置する延安近くに「下放」され、そこで知り合った。習は15歳、王は20歳の知識青年。王はまだ幼い習を自らの洞窟式の住居に泊め、読書も指南した。ちなみに同じころ、後の不動産王、任志強も延安付近に「下放」されていた。
いまや習は、中国の権威あるトップだ。だが、旧交がある先輩、王岐山には、習を後ろから呼び止めるだけの度胸があった。それも公衆の面前で。他の誰もそんな恐ろしいことはできないが。これは指導部内での人間関係の機微でもある。
■南方都市報の編集者は解雇
先週、このコラムで広東省の新聞、南方都市報が勇気をもって習政権のメディア統制を批判した経緯を紹介した。紙面づくりを担当した気骨ある女性編集者はその後、解雇された。編集責任者も処分を受けた。理由は「政治的な配慮を欠き、紙面に重大な欠陥をもたらした」というものだった。やはり党中央宣伝部などの怒りに触れたのだ。
言論をどこまで統制するのか。この問題は、ネット上や巷(ちまた)の大きな話題であり、今後も尾を引きそうだ。そして習近平、王岐山、劉雲山らがどう動くのか。来年、2017年には5年に1度の党大会がある。最高指導部人事を前にした「力比べ」も絡むだけに非常に興味深い。(敬称略)