3/11日経ビジネスオンライン 北村豊『習近平、3大国営メディアに「党の代弁」要請 全権掌握へ、「江沢民の牙城」に乗り込む』について

習近平VS劉雲山(上海派)の争いはどう決着が付くかです。でも敵陣に乗り込む勢いからすれば、習の方が有利と見ます。劉は薄熙来と同じ運命を辿るかも。上海派は追い込まれています。逆転できるネタがあればとっくに出しているでしょうから。上海派は法輪功の弾圧をしてきていますので、信者に憎まれています。もし、習と上海派の立場が逆であれば信者から有益な情報が取れたかも知れませんが。

でも本記事の新華社の上部の媚び諂い方は中国人の典型です。まあ、問題を起こせばすぐ首になるから致し方ない面はありますが。それでも、社員のレポートでやんわり批判できるようになっただけ、昔と比べれば進歩したと言えるでしょう。勿論すぐ削除の憂き目にあったとしても。昔なら有無を言わさず拘束、人知れず殺されたと思います。IT技術の進歩で発表する場ができたことは大きいでしょう。昔は壁新聞の時代ですから。

任志強のような人は今後も出て来るでしょうが、習は力で押さえつけようとするでしょう。「国民の為」という大義名分は「共産党の利権の為」に今でもすり替わっています。自由競争の結果で格差が広がったのなら仕方のない面もありますが、銭権交易で不当に富を収奪してきたのは弁解の余地はありません。打倒さるべき政体です。

やはり、中国経済を崩壊させるのが世界平和の近道と考えます。中国が民主化したとしても民族性は変わらないでしょうから距離を置いて付き合うことが肝要です。勿論、中国がそんなに簡単に民主化するとは思っていませんが。日米欧は民主化の助けになる事であれば未だしも共産党の延命に手を貸すのは止めてほしい。黒田日銀総裁のように資本規制を言って中国を助けるような言動は慎むべきです。財務省も国賊が多いです。自分は頭がいいと思いこんで驕るのでしょうけど。学力は緊急時には役に立ちません。平時の時に前例踏襲するには便利でしょうけど。

記事

Xi visited media

3月5日から始まる第12期“全国人民代表大会(略称:全人代)”第4回会議を目前に控えた2月19日、中国共産党総書記の“習近平”は、中国国営メディアである“人民日報”、“新華社”、“中央電視台(中央テレビ)”を順次視察し、“党和政府的媒体姓党(中国共産党と中国政府のメディアは中国共産党の代弁者である)”と強調した。

中央テレビを視察した際には、中央テレビの職員が「中央テレビは“姓党(党の代弁者であり)”、絶対に忠誠ですから、どうぞ検閲してください」というプラカードを掲げて、習近平に媚びを売った。また、その後に行われた“高層宣伝工作会議(首脳部宣伝業務会議)”の席上、習近平は「メディアは党と政府の宣伝の拠点であり、“必須姓党(党の代弁者でなければならない)”」と述べた。

新華社、最高指導者の査察を熱烈歓迎?

その2日後の21日、ある新華社の職員はインターネットの掲示板に匿名で、習近平視察に際しての新華社の対応振りについて書き込んだ。この書き込みは瞬くうちにネット上で伝播されたが、たちまち削除された。その書き込みの全容は以下の通り。

【1】“春節(旧正月)”明けの出社2日目の2月15日、1枚の表を受け取り、個人情報を書き込んだ。聞くところによれば、それは政治審査表で、新華社職員の中から500人の“歓送隊伍(見送り隊)”を選ぶためのものであり、私はその中に1人に選ばれたのだった。なお、見送り隊とは別に“歓迎隊伍(出迎え隊)”も組織された。私は一貫して歓送迎などという儀礼的な行事には興味を持っていなかったが、上司がこれは政治的任務であり、参加しなければならないと言うので、どうしようもなかった。“習大大(習近平おじさん)”<注1>は我が国の最高指導者であり、非凡な人であり、機会があれば彼を見たかったし、それは自分にとっても光栄と思えた。2月18日午後の退勤時に、上司は私たちに、習近平が明日視察に来るので、明日は鮮やかで美しい衣装を着てくるようにと命じた。

<注1>“習大大”は習近平の愛称として作り出された言葉。“大大”はパパあるいはおじさんを意味する。庶民に親しまれる習近平を演出するのが目的か。

【2】今日(19日)家を出る時、私はいつも通り紺色のダウンコート(年齢も高いので保温が一番)を着て、赤いスカーフ(多少は色鮮やか)を首に巻いた。新華社ビルに到着すると、周辺には“便衣(私服警官)”、“武警(武装警察)”、“特警(特殊警察)”がくまなく配備されていた。8時50分に私たち500人はそれぞれ勤務する階から1階へ降りて講堂へ集合するよう命じられた。但し、その時には携帯電話などの電子機器の携行は禁止された。執務区域はすでに警戒が厳しく、出るだけで、入ることは許されなかった。指揮者は私たちに今後の予定を次のように説明した。すなわち、このまま1時間座って待ち、その後順番に列を作って安全検査を受けてから、南門の内側に整列して、習近平が新華社ビルを出てくるのを待ち、見送りを行う。

【3】これと同時に、指揮者は私たちに次のように指示を出した。もし習近平が見送りの人たちと握手をしようとするなら、握手するのは1列目の人だけに限定し、2列目の人は手を伸ばしてはならない。習近平が通り過ぎる時にはただ拍手して「“総書記好!(総書記こんにちは)”とだけ言い、自分勝手に声を掛けてはならないし、“近平,您好(近平、今日は)”といった類のプラカードや横断幕を掲げてはならないし、1列目の人は手袋などの使用も禁止。

【4】講堂ではあてがわれた番号順に座ったので、左右に座った人と必ずしも顔見知りというわけではなく、誰もが顔を見合わせるだけで手持無沙汰で、たまたま知り合いがいると世間話に花を咲かせた。私は本を読んでいたので、時間つぶしはさほど苦にならなかったが、近くに知り合いがいて話しかけてきたので、読書に専念できなかった。講堂内にいる人々を見渡すと、非常に多数の人が色鮮やかな衣装を身に着けていた。顔見知りで、間もなく定年退職する爺さんはすごく目立った。彼はめでたい日に着る真っ赤な綿入れの上着を着て、真新しい青色の中折帽をかぶっていた。彼は、日頃は濃いグレーの衣装ばかりで帽子などかぶったことなどなく、まるで春節に母親によっておめかしさせられた赤ちゃんみたいだと、皆は陰で彼を笑っていた。

【5】数十分が過ぎた頃、指揮者が安全検査の後はトイレに行くことはできないから、急いでトイレを済ますようにと指示を出した。人々は一斉にトイレへ殺到し、トイレの前には長蛇の列ができた。その後、待つこと1時間、1時間半、2時間と過ぎても、一向に安全検査を受けるようにとの指示はなかった。座るのに飽きた人々は講堂の入り口に集まったが、警戒は依然として厳重で、ビルの入り口には武装警察官が乗ったマイクロバスが停まっていて、車の窓から武装警察官が見張っていたので、人々はただ待つしかなかった。新華社の敷地内にある高層の住宅ビルの窓からは、武装警察官の頭が見え隠れし、武装警察官は住民の家にまで入って警備を行っているようだった。朝出勤と同時に、執務室の窓はすだれを巻き上げるよう指示を受け、併せて狙撃手に撃たれるから窓際でうろうろするなと注意喚起もあった。一方、この間も指揮者は盛んに携帯電話で連絡を取っていたが、何も動きはなかった。

「肩すかし」の対価はコメディ映画とまんじゅう

【6】この日の天気は暖かくないばかりか、風もあった。講堂の入り口に立って、自分の執務室の窓を見上げると、小鳥のように飛んで執務室へ入り、自分の椅子に座ってゆっくりと熱いお茶を飲み、ネットにログインしたいとつくづく思ったものだった。11時15分頃、執務ビルから出て来た1人の保安係が講堂入り口にたむろしている人々に対して、「あんたたち解散だ。総書記はもう帰った」と呼びかけた。一瞬の沈黙があったのち、失望と怒りが入り混じった声が鳴り響いた。そして500人の見送り隊は解散となり、人々は三々五々執務室へ戻った。ある者は総書記に会えなかったことを悔しがり、ある者はようやく自由の身になったことを喜んだ。誰かが「今日は“愚人節(エープリルフール)”か」と言えば、またある者は「我々500人はきっと政治審査をパスしなかったので、臨時的に閉じ込められたんだ」と冗談を言った。

【7】その日の午後、見送り隊は通知を受け取ったが、その内容は次のようなものだった。

午前中の行事は都合により取り消しとなった。皆さんの理解と協力に感謝の意を表し、映画『“美人魚(マーメイド)”』<注2>を特別上演します。日時は2月23日午後12時20分から、今日の見送り隊の番号札が入場券となります。同時に“慶豊包子舗(慶豊包子店)”<注3>の優待券50元(約1000円)を発給します。

<注2>『美人魚』は2016年春節元旦(2月8日)に封切られた映画で、富豪と人魚のロマンチックコメディ。 <注3>“包子”は中華まんじゅうを意味する。“慶豊包子舗”は2013年12月28日の正午に習近平がお忍びで立ち寄り、列に並んで順番を待って“包子”を食べたことで有名になった。

さて、国営メディアは“中国共産党中央委員会宣伝部(略称:中宣部)”の管轄下にあり、中宣部を主管しているのは、中国共産党中央政治局常務委員の“劉雲山”(序列第5位)である。劉雲山は“江沢民”元総書記のグループに属し、1993年に中宣部に着任してから副部長に就任し、2002年10月から2012年11月まで中宣部長を務めた。劉雲山退任後の現職の中宣部長は“中国共産主義青年団(略称:共青団)”グループに属する“劉奇葆”だが、政治局常務委員として中宣部を主管する劉雲山の力は強く、劉奇葆は名目上の中宣部長と言える。

「暗殺」恐れ厳重警備、ネット上では猛批判も

中宣部は中国共産党のイデオロギーや宣伝活動を統括する部門で、新聞、出版、教育、テレビ、ラジオなど広範な部門を指導、監督しているが、劉雲山は頻繁に習近平の意向に逆らう姿勢を示しており、中宣部は最後に残された江沢民グループの牙城と化していると言われている。従って、劉雲山は、習近平にとって目の上のたんこぶと言うべき存在なのである。その敵の牙城に習近平自身が視察を名目に乗り込んだのが、2月19日の一台(中央電視台)、一報(人民日報)、一社(新華社)の視察であった。

だからこそ、国営メディアの視察であるのにかかわらず、万が一の暗殺を恐れる習近平は、警備を極力厳重にし、新華社の視察では当初予定していた500人編成の見送り隊の送迎を受けぬまま、密かに新華社を後にしたのだった。習近平は2012年11月の総書記就任の当初、“軽車簡従出行(地位のある人物が供回りを質素にして出かける)”ことを公言したが、今や大量の兵士による厳重な警戒がそれに取って代わっているのである。

ところで、冒頭で紹介したように、習近平は「メディアは党と政府の宣伝の拠点であり、“必須姓党(党を代弁しなければならない)”」と述べた。従来、党メディアは“党的喉舌(党の代弁者)”と言われてきたが、“党媒姓党(党メディアは党の代弁者)”はその度合をさらに強めることを意味している。この発言に敢然とかみついた人物がいた。

それは“任志強”である。任志強は1951年3月生まれの64歳。2007年に亡くなった父親の“任泉生”は中国政府“商業部”の元副部長だった。1981年まで12年間を軍人として過ごした任志強は、その後不動産開発に従事し、1993年に“北京市華遠集団”を設立して“総裁”となる。彼の事業は順調に発展し、不動産業界では名の知られた存在となった。

任志強は優秀な“中国共産党員”であり、以前には北京市“西城区”の人民代表に選出されたことがあり、現在は“中国人民政治協商会議北京市委員会委員(略称:北京市政治協商委員)”である。

任志強は折に触れてネット上の自身の“微博(マイクロブログ)”にコメントを書き込んでいたが、その直截で批判的な口調はネットユーザーたちの人気を集めた。任志強の“微博”はフォロワー数が3700万人いるとされ、ネット上の重要人物を意味する“網路大V”の1人として知られている。

「人民の政府はいつから共産党の政府になったのか」

その任志強が上述した中央電視台のプラカード「中央テレビは“姓党(党の代弁者であり)”、絶対に忠誠ですから、どうぞ検閲してください」と習近平の“党媒姓党”発言に反発したのだ。彼は2月19日夜に“微博”で発表した文章の中で次のように述べた。

(1)人民の政府はいつから中国共産党の政府に変わったのか。使っているのは共産党の活動資金なのか。これは好き勝手に変えることはできない。納税者のカネを使って納税者にサービスを提供しないようなことをするな。

(2)対立する2つの陣営を徹底的に分けることはできるのか。全てのメディアが共産党の代弁者で、国民の利益を代表しないなら、国民は打ち捨てられ片隅に忘れ去られるだろう。

これに対して、国営メディア「北京日報」傘下のニュースサイト「千龍網(ネット)」は2月22日付で『誰が任志強に反党の自信を与えたのか』と題する文章を掲載した。その内容は、任志強が“党媒姓党(党メディアは党の代弁者)”に反駁して攻撃したと指摘し、任志強は共産党員であるにもかかわらず、その党員としての自覚を喪失したと論じたのだった。千龍網の文章を皮切りに、中国メディアは相次いで任志強を次のように糾弾した。すなわち、任志強は長期にわたり、党規約や政治規則に違反した言論を発表してきた。その行為はその宣誓を行った入党宣言と相反し、党員としての原則を忘却したばかりか、党のイメージに損害を与えた。党員が反党の言論を発表すれば、その威力と損害は非党員が同様のことを行うのとは比べものにならない。このような党内の反党分子は党規約と規律処分条例に照らし除去しなければならない。

2月28日、“中国国家互聯網信息辨公室(中国国家インターネット情報弁公室)”は“新浪(sina.com)”、“騰訊(QQ.com)”などのポータルサイトに対して、任志強のアカウントを閉鎖するよう命じた。アカウントが閉鎖されたため、現在、任志強の“微博”は「ごめんなさい。このアカウントは異常が出たので、当面訪問できません」と表示されるのみ。翌29日には、北京市西城区党委員会が『任志強の重大規律違反を正確に認識することに関する通知」を発表し、党員が党の方針・政策と一致しない言論を公表することは、それがインターネット上であろうともメディア上であろうとも、全て党規則が許すものではないと表明した。西城区党委員会は「中国共産党規律処分条例」に厳格に照らして、任志強を厳粛に処罰するという。

それは「裸の王様」への道

2015年10月に公布された『中国共産党規律処分条例』は、党員に対する規律処分を5段階に分けている。その内訳は、警告、厳重警告、党内職務解任、党籍保留のまま謹慎処分、党籍解除となっている。情報筋によれば、上述した北京市西城区党委員会の通知には、任志強と呼び捨てにして、敬称の“同志”を付けていないことから、任志強は最も重い党籍解除の処分になると思われるという。

2月19日の国営メディア視察を通じて、メディアの忠誠を確認した習近平は、今後宿敵の劉雲山を排除する形で、全権力を一手に握り、皇帝としての地位を確実なものとしようとしている。習近平にとって、任志強のような歯に衣着せない論客は、害虫以外の何物でもなく、排除するに越したことはないのである。イエスマンだけを重用する裸の王様の運命は、どうなるのか。それは神のみぞ知るである。