『天安門から27年、香港「独立派」乱立の意味 6月4日、混乱の追悼集会で考える香港の今と未来』(6/8日経ビジネスオンライン 福島香織)について

宮崎正弘氏も天安門事件について触れていますので本記事と比較して読んでみると面白いでしょう。

6/7「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」  天安門事件から27年を閲し、学生運動はどこへ消えたか? 香港も東京も反中国共産党の気勢はあがらず 

六月四日、天安門事件から二十七年が経って香港では十三万人規模の集会が開催された。  ただし民主派団体がばらばらで結束せず、学生らは香港大学、中文大学でそれぞれが独自の集会を拓いた。 「反中国共産党」だけが合意点で全体の運動はダイナミズムを欠き、整合性はなかった。  香港の民主諸派の分裂は中国の工作員の潜入や脅し、嫌がらせなどが原因であり、しかし若者達はかえって反抗心を高めた。  欧米でも留学生等による集会があった。  さて日本でも四谷で数百人の在日中国人、留学生、これを支援する日本人が「六四天安門事件27周年記念集会」に集まり気勢を挙げた。  おりから来日中だったラビア・カディール女史も駆けつけ、ウィグルにおける人権弾圧の現状を報告した。このほかダライラマ猊下日本代表のルントック氏も演壇に立った。  なかでも注目されたのが天安門事件当時北京大学一年生、学生指導者として指名手配第一号となった王丹氏が記念講演に立ったことだろう。  ところが、である  筆者は王丹氏の講演を聞いて苛立ちを隠せず、おおきな違和感を抱いた。  彼は六月三日に現場を離れたので、実際に広場で何が起きたかは知らないと言った。また潜伏先に関しては公開しないのがルールだからおくにしても、なぜ米国に亡命できたのか背後の力関係や米国のコネクションに関しては語ることがなかった。  そればかりか中国共産党を「打倒する」との決意表明がなく、語彙はきわめて撰ばれたもので活動家の言辞としては迫力にかけた。本人は自らを歴史学者と言った。  かれは「理想」「勇気」「希望」という三つのキーワードを用い、中国の民主化を説くのだが、「国家は悪」「政府は必要悪」という立場で、中国の学生運動は「五四運動」の影響を受けたと語りだした。  五四運動は、今日の解釈では学生、労働者が立ち上がった反日の原点ということになっているが、実態はアメリカの宣教師が背後で日本のイメージ劣化を仕掛けたもので、当時、中国に学生は少数、企業は殆ど存在せず、したがって労働者はいない。 米国に仕組まれた五四運動が天安門事件の学生運動の思想的源泉というのは納得しがたい。 つまり米国の歴史解釈の立場を援用しているにすぎない。  ▼天安門広場の学生運動の指導者らは詩を忘れたカナリアか さらに王丹氏は「民主主義の基本は三権分立だけでは足りず、第四の権力としてのメディア、そしてメディアを監視する社会運動が必要である」となんだか、日本の左翼が訊いたら喜びそうなことを述べた。  そのうえで台湾の「ひまわり学生運動」と香港の「雨傘革命」が「日本の安保法制反対のシールズ運動に繋がった」と総括し、会場はやや騒然となった。 日本の実情を知らないからか、それとも本質的にこの人物は反日家なのか。いや、あるいはアメリカでの生活が長すぎたためにすっかり民主主義なるものをアメリカのリベラリズムの主張と取り違えたのか。   理想とはなにかと問えば「北斗七星に喩えられ、いつも空を見上げ目標を失わない指標であり、どういう形態であろうが、学生運動は支持する」とした。  アメリカで十年、ハーバード大学で歴史学の博士号を取得し、いま台湾の清華大学で教鞭を取る王丹氏にはアメリカ流の民主主義ドグマが染みつき、市民社会(中国語では「公民社会」)の実現が夢であるという。 「市民」とは、これまた胡散臭い語彙である。  その昔、サルトルが「アンガージュ」(参加)と言いつのって若者を左翼運動に誘う煽動をしたように、あるいはサルトル亜流の大江健三郎のヘイワの念仏のように中国の民主化という大目標はそこで論理が空回りするだけで会場には虚しい空気が漂っていた。  天安門事件当時の学生指導者たちは、ウ(ア)ルカイシが台湾で孤立し、芝(柴の間違いです)玲ともう一人はファンドマネジャーとしてウォール街で活躍し、少数をのぞいて「詩を忘れたカナリア」となった。>(以上)

天安門の生き残りでまともなのはウアルカイシ(ウイグル人)ぐらいで後は堕落した人たちでしょう。ウアルカイシが台湾内で孤立と言うのは、国民党政府が牛耳ってきたせいもあるという気がします。今後、政権は民進党に変わり、香港・チベット・ウイグルとも連携していってほしい。日本も共産党が潰れるようにいろんな工作をして行ったらよい。明石元二郎の例もあるでしょう。

http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20140609/frn1406091140003-n1.htm

王丹は、所詮は中国人でその限界が見えます。SEALDSを評価するなど、余りに無知としか言えず、容共的な姿勢は民主化追求の夢と矛盾します。宮崎氏の言ってるように、ハーバードで歴史を学んだ影響もあると思います。ハーバードで米国の3大原罪であるインデイアン虐殺、黒人奴隷、原爆投下をどう教えているのか王丹に聞いてみたいものです。

福島氏の記事で、香港人の台湾移住が人気急上昇中とのこと、この流れは止まらないでしょう。言葉の問題(広東語と台湾語の違いはありますが、使用する漢字はどちらも繁体字(日本の旧字体とほぼ同じ)、普通話で意思疎通できます)で苦労しなくて済みますので。李嘉誠も香港から英国へ資産を移していると言われていますし、香港に優秀な人材はいなくなってしまうかも。台湾も中国共産党の言う一国二制度がどんなものかハッキリ分かったでしょう。英国との約束も反故にされつつあります。「騙す方が賢く、騙される方が馬鹿」という国柄ですのでくれぐれも騙されないように。

http://soneaozora.jugem.jp/?eid=1303

本記事中、「解放軍香港駐留部隊に対し、いざというときの覚悟をしておくようにという通達はすでに雨傘革命のときに出されている。」とあり、第二の天安門事件が起きるかも知れません。当時と違い、今はSNSが発達、ましてや米国衛星がその映像をリアルタイムで全世界に発信するでしょう。そうなれば中国共産党の命運は尽きたものになるでしょう。

記事

meeting for a memorial of Tenanmen incident in Hongkong

6月4日、香港で開かれた「天安門事件」追悼集会。参加者減少が意味することとは…(写真:AP/アフロ)

 例年、6月4日の天安門事件紀念日の前後になると中華圏は落ち着きがなくなる。27年目の今年、私は香港でこの日を迎えた。というのも今年の香港はとくにざわついて、不安定な気がしたからだ。2014年秋の雨傘革命はその目的を達成できなかったという意味で“挫折”というかたちで終わったのだが、その後の香港では、民主派とは別の主張の独立派が台頭している。これをどう見ればよいのか。今回は香港の今とこれからについて考えてみたい。

学生会が追悼集会欠席、形骸化を批判

 6月4日の夜、恒例の天安門事件犠牲者追悼のキャンドル集会がビクトリアパークで行われた。キャンドルを掲げながら香港市民たちが天安門事件の犠牲者への哀悼を捧げ、民主と自由への希求の気持ちを新たにする集会だ。主催者の香港市民支援愛国民主運動連合会(支聯会)によれば参加人数は12万5000人。2009年以来最低の参加人数となった。年々天安門事件に対する香港人の記憶が薄れていることは確かで、例えば6月2日のニュース番組で新興香港メディアの香港01の記者が街角で若者らに天安門事件の発生年はいつ? 胡耀邦って誰? と突撃取材しても、正しく答えられる人はほとんどいなかった。

 同時に、天安門事件を追悼するやり方に対しても、異論が出始めており、例えば例年この集会に参加していた学生会(全香港大学専門学院学生会)はこの集会が形骸化していると批判して今年初めて集団欠席を決めた。学生たちは支聯会の根本主張の一つである「中国に民主を建設する」という部分に抵抗感を持っていた。

 民主党や支聯会らいわゆる民主派とよばれる人々の考え方は、香港は中国返還以降、中国の一部でありながら一国二制度のもと民主と自由、法治という核心的価値が守られている高度の自治が保障されるのであって、この「高度の自治」を決めた中英共同宣言の適応期限である2047年までに、中国を民主化させることが、香港の民主と自由、法治という価値を守るただ一つの道というものだ。

 だが、これに対して「独立派」という考え方が、特に雨傘革命以降に台頭してきた。学生会を含む若者たちの多くが、すでに「一国二制度」など崩壊しており、英中共同宣言など無効と考えている。彼らが望むのは、香港の独立、すなわち中国と縁を切ることだという。中国の民主化については口を出さないかわり、香港の中国化に対して激しく抵抗するという立場である。

 今年のビクトリアパークでの追悼キャンドル集会では式典中、この独立派の一番過激な主張の若者たちが数人乱入して、支聯会側ともみ合いになった末、つまみ出されるアクシデントもあった。こんな事件も、前代未聞であった。

この“独立派”とはどんな人たちなのか。

 独立派を名乗る政党・団体の中で、一番過激なのは今年3月に設立した香港民族党だ。代表は陳浩天。香港はいま、中国の植民地状態であると考え、この中国支配から独立すべきだとして、「民族自強」「香港独立」を中心思想に掲げる。独立のために武力革命も辞さないという立場であり、低層の若者に人気がある。

 同じく過激なのは本土民主前線。香港大学文学院の学生である梁天琦が2015年1月に結成し、主に90年代生まれの若者で構成される。梁天琦は2016年1月の立法会新界東地方選挙区補選に出馬し、得票率15・38%、第三位の票数で落選した。非暴力運動の雨傘革命の失敗を反省して「武をもって暴を制す」を戦略の中心におく。「我々の目的は、いかなる手段をとろうとも、完全な自由・正義・平等を確立することだ」といったマルコムXの格言をしばしば標語に掲げる。今年春節の夜に、旺角で警察と暴力衝突を起こしたのもこの団体で、補選の選挙費用の一部でガソリンを購入し放火した疑いも持たれているのだが、一部の若者の間では非常に強い支持を集めている。

「ピカチュウを広東語に戻せ」

 比較的穏健な独立派としては、現在、作家の黄洋達が代表を務める熱血公民。文化による中国共産党への抵抗を掲げて2012年に結成した。任天堂の「ポケモン(ポケットモンスター)ゲーム」の中国語表記が広東語ではなくて普通話(中国語)であることに抗議していた青少年の声を受けて、5月30日に香港の日本領事館前の抗議デモを主催したのはこの熱血公民である。

 ポケットモンスターのキャラクターのピカチュウは過去20年近く、香港で「比卡超(広東語の発音はピカチュウ)」と呼ばれていたが、任天堂は香港を含む中華圏マーケットでの公式名として中国語の皮卡丘(広東語発音はぺイカーヤウ、中国語発音はピカチュウ)とした。香港の若者たちは自分たちの愛するピカチュウを中国語表記で呼びたくない、と大反発し、任天堂宛てに香港で発売する製品の名前を広東語表記に直すように請願書を出していた。

 黄洋達はポケモンゲームのファンでもなんでもないのだが、これを中国による文化侵略ととらえて、抵抗運動を展開。一部のファンからはポケモンの政治利用、と批判もあるのだが、中国の経済圧力によってテレビメディアの字幕が繁体字から簡体字に代わるといった事件がしばしば起きている中国で、広東語・繁体字防衛は香港アイデンティティの根幹にかかわるテーマにもなっている。

現役立法会議員の黃毓民が2011年に社会民主連戦から分裂して創設した普羅政治学苑、「香港城邦論」の著者で元嶺南大学の助教授である陳雲が2014年に香港基本法の改憲を訴えて作った香港復興会も穏健独立派に分類されるだろう。熱血公民と合わせてこの三政党は「独立に反対しない」という立場で、公民投票による行政長官のリコール制度や香港市民による新しい憲法制定を訴えている。

 このほか、雨傘運動参加者が設立した新政党としては、すでに補選で九龍城区の区議1議席を獲得している青年新政、雨傘革命の学生リーダーとしてメディアによく登場した香港学生連盟(香港専上学生聯会=学連)の前事務局長・周永康(アレックス・チョウ)らが結成した香港列陣、やはり雨傘革命で時の人となった元学民思潮のリーダー、黄之鋒らが結成した香港衆志(デモシスト)がある。

「独立派」小政党が大乱立

 彼らは非暴力を主張し、香港前市民による公民投票によって独立するか否かを決める「民主自決」を訴えている。過激派の民族党などよりは比較的幅広い支持を得ているが、一部の若者の間では「(雨傘の失敗で非暴力では何もできないとわかっているのに)何がやりたいのかいまひとつわからない」「雨傘革命のリーダーとして持ち上げられて調子に乗っている」との批判も聞こえた。

 これに加えて人民力量、社会民主連戦などが香港本土化主義(香港こそが本土であるという主張)の穏健派独立派として40代以降の中年層に人気がある。もともと汎民主派に分類されていた新民主同盟も、雨傘以降は香港本土化主義路線に転向した独立派といえる。さらに汎民主派から分離して中間派を名乗る新思維、民主思路などがある。このほか、英国で運動家の馬駿朗が香港独立党を設立し、香港の英国回収による英連邦制を訴えている。

 こうした「汎独立派」の小政党が乱立する中、今年9月の立法会(議会)選挙にどれだけの独立派候補が送り込めるかは、今の段階では推測もできない。しかも、これら「汎独立派」は独立という言葉でひとくくりにするには、その定義の差が「武力革命」から、「赤化(中国化)を防ぐ」、「香港の言語と文化を守る」の程度までと幅が広く、独立派政党・団体同士がその主義主張を批判しあい、微妙にいがみ合っている。旧来の一国二制度維持の前提に立つ民主派とも分裂しているので、実のところ香港市民の中国共産党による支配、政治的経済的影響力に抵抗する団結力という意味ではむしろ弱まっているのかもしれない。

だが、注意すべきことは、2012年以前には「香港独立」という言葉を口にする香港市民などほとんどいなかったのが、雨傘革命をきっかけに、「独立」というものを考える人が出てきたということなのだ。

「D&G」で目覚め、「雨傘の挫折」の先に

 2012年を節目とするのは2012年1月の尖沙咀D&G(ドルチェアンドガッパーナ)事件が、香港本土意識の目覚めのきっかけであったとする説が有力だからだ。これは人気ブランド店D&Gの店内写真を香港人が撮影しようとしたら、「知財権保護」のルールを理由にガードマンに制止されるのに、中国人観光客の写真撮影は許されているという不平等の実態が香港蘋果日報記者らの取材で明らかになり、この香港人と中国人に対する店側の不平等対応に怒った香港市民がD&G店に一斉に写真撮影にいくという抗議活動に発展した。

 D&Gイタリア本社が謝罪声明を出すことで騒ぎは収まったが、これは経済を牛耳る中国人が香港の法を無視できるという現実をあぶりだすことになり、一気に香港人の嫌中感情が高まり、香港と中国は違うという本土意識に火をつけることになったという。この年の夏に、香港人の小中高校生に中国人として愛国心を育成するカリキュラム「国民教育」義務化に抵抗する学民思潮の大規模デモが起き、秋に義務化が撤回されるのだった。

 こうした反中・嫌中感情が次第に高まる中で2014年に中国国務院の香港統治に関する白書の発表、全人代による普通選挙のやり方を規定する選挙改革案の発表が行われ、これに抵抗する雨傘革命が起きるのである。

 この雨傘革命という「非暴力の抗議」は79日という長期にわたって続いたが、中国の強硬な態度を変えることができず、その後、中国公安当局による銅鑼湾書店株主書店員拉致事件という香港の司法の独立を完全に無視した事件も発生。一国二制度はすでに崩壊しているという現実が突き付けられた。

 多くの香港市民が狼狽し、経済力やコネがあるものは海外移住を模索し、金もコネもない低所得層の若者の間では「雨傘のような非暴力でだめなら、暴力で戦うしかないではないか」という過激な考えがでてきた。香港の知人たちにも意見を聞いて回ったが、経済的余裕のない人ほど「戦うしかない」という考えに傾いている。一方、海外脱出できる人たちは、真剣にその算段を考えている。最近はカナダやオーストラリアではなく、民進党政権になった台湾が移民先として人気急上昇中だという。

 熱血公民の黄洋達に直接意見をうかがう機会があったが、彼は「市民の3割前後が広い意味での“独立派”」と分析している。「D&G事件前までは、ほとんどの香港市民は香港が中国の一部であるという現実を踏まえて、香港の将来を考えていた。だが雨傘革命以降は、香港は中国の一部ではない、この現実を変えたい、変えなければという人は増えている。今後、その数は増えていくだろう」。2月半ばから4月5日までに民主思路が外部機関に委託して行った世論調査では18~29歳の若者で香港独立の支持者は20%で、うち多くが暴力的抗争手段を受け入れるという立場だったという。

民主希求の団結力が乱れる一方で、過激な意見の台頭が見えている香港のこうした現状について、中国の良心的知識人から「これはかなり危険な状況だ」と不安を耳打ちされることが多くなった。香港の某大学に客員教授として滞在していたある著名中国人知識人は「香港民族党のような主張が台頭してくると、いまの習近平政権は忍耐力がないので、何をするかわからない。香港は一線を越えようとしている」と警告する。

 実際、全国政治協商会議の委員(中国の参院議員に相当)でもある香港基本法研究センター主席・胡漢清は4月12日の記者会見で、香港民族党の発足について「これは言論の自由の保障の範囲を超えている」「反逆罪、扇動罪に当たる」「香港民族党が(立法会選挙で)勝つようなことがあれば、それは香港人の敗北である」と極めて強い恫喝を行っている。また公民投票で香港独立を問うこと自体が扇動意図の罪に当たるとも言っている。

 こうした中国側の脅しはおそらくは口先だけではない。というのも、この香港の独立派台頭の背景には全米民主主義基金(NED)の支援が疑われているからだ。香港紙巴士的報が今年3月9日の香港本土民主前線の梁天琦と黄仰台の二人と駐香港米国領事館員の密会写真をスクープしており、その後、中国系香港紙「大公報」などが密会内容を匿名のタレこみメールとして報じている。

 それによると米領事館の政治経済部領事が、活動費不足を訴える彼らに対し、NEDを通じた経費支援の申請のやり方をアドバイスしていたという。中国は少なくとも、いまの香港の独立派台頭の背後に米国の仕掛けがあると考えている。万が一「アラブの春」のような状況が香港でおこれば、それを鎮圧することに躊躇はないはずだ。解放軍香港駐留部隊に対し、いざというときの覚悟をしておくようにという通達はすでに雨傘革命のときに出されている。

“革命的”変化は同時多発的に

 香港市民はもともと争いの嫌いな人たちである。動乱があるたびに中国から、戦わずに逃げ延びてきた人たちであり、英国植民地統治のもとで与えられた自由を謳歌してきた人たちだった。もし、本当に今後、過激な独立派が台頭していくとしたら、それは明らかに中国の対香港政策の失策である。中国政府が穏やかな香港人をそこまで追いつめたのである。逆にいえば、中国政府の統治能力はこの数年の間に急激に衰えているということなのか。

 香港滞在中、現役の立法会議員で一番過激な発言で知られる長毛こと梁国雄にお会いし、彼に「独立派が台頭し、中国政府と香港市民の対立が激化して、武力鎮圧がおきるという懸念はないか」と尋ねたら、「香港と中国政府の対立よりも、ウイグル族と中国政府、チベットと中国政府の対立の方がよっぽど危険じゃないか。台湾もあるぞ」と笑っていた。

 香港独立など、普通に考えれば冗談でもありえない。だが、中国政府の統治能力が急激に衰えてきているということはいえるかもしれない。香港の独立派がどれほど広がっていくかは、さておき、中国全体とその周辺に今何か変化の兆しがないか、改めて観察してみることはタメになるかもしれない。過去の歴史を振り返れば、“革命”的変化というのは中核となる勢力の弱体化に伴って同時多発的に起きるものだから。

良ければ下にあります

を応援クリックよろしくお願いします。