『韓国人による震韓論』(シンシアリー著)

この本は、韓国人の冷徹な目で、日本人は韓国人とどう付き合ったら良いのかを示唆してくれています。一言で言って韓国は敵国、その位置は千年経っても変わらないという事でしょうか。福沢諭吉は早くから中国・朝鮮半島は信頼するに値しないことを見抜いていました。三田の卒業生は是非この本を読んで、韓国と絶交するようにしてほしい。

さて、昨年4月安倍首相の米・上下院合同演説→昨年8月首相戦後70年談話→昨年12月慰安婦合意→本年5月オバマ訪広というシナリオは日米共同で中韓の歴史戦を粉砕するために描かれて来たような気がします。米国は”Korea fatigue”と、中国と手を組み米国への裏切りで、韓国を相手にしなくなってきていると思います。

歴史戦の延長で言えば、今回三菱マテリアルの強制徴用した(単なる契約、銃剣を突き付けた訳でない、従軍慰安婦と同じ構図)と主張する中国人との和解はすべきではなかったです。岡本行夫辺りが智恵ならぬ間違ったアイデアを授けた所でしょうか?彼は三菱マテリアル取締役で、北米一課長の時に、湾岸戦争時の日本の支援金をくすねた男です。日高義樹氏の本に書いてありました。また彼は朝日新聞の誤報・虚報の第三者委員会の委員で朝日の言いなりにしかならない根性のない男です。国際的な謝罪報道すら要求しませんでした。第三者の如何わしさは舛添を見てれば分かるでしょう。でもサイモン・ウィーゼンタール・センターというのはユダヤ人の強力な組織です。ユダヤと中国が手を握り歴史戦を仕掛けてきているとしか思えません。日本も杉原千畝だけでなく、東条英機や樋口季一郎がユダヤ人を救ったことをPRしなければ。

http://toyokeizai.net/articles/-/79307

また、歴史戦で民間も頑張っています。今後はUNESCOを舞台に慰安婦や南京虐殺を否定し、天安門事件やチベット人虐殺を世界記憶遺産に載せるように攻めの姿勢で臨んでいかねば歴史戦に勝てません。相手の嫌がることをしなければ。

6/2松林利一氏のFacebook

今年この(注:慰安婦)申請をするため中国がUNESCOに働きかけ3月末の締め切りを5月末に引き延ばしたらしい。これに対しては日本政府が本気で取り組みUNESCOに善処させる必要がある。外務省や文科省を初めとする関係省庁のやる気溢れる行動を見たい。

上記は「守り」となるが守りだけでは面白くない。「攻め」が必要になる。「文化大革命」「天安門事件」材料には事欠か無い。この攻めに関しては民間人が中心となる。私としても是非とも応援していきたい。

今回別途「20世紀中国大陸における政治暴力の記録」をテーマとして、チベットと日本が共同で申請を行った。具体的には120万人を超えるチベット人の虐殺事実と200人を超える日本人虐殺の通州事件。この2つを併せ「中国の政治暴力」として括り長く世界記憶遺産に残す趣旨での申請である。

ある面「史実と捏造の対決」がUNESCOを舞台に開始された。真実が虚構に負ければ道理が引っ込む。道理を通すため勝たねばならない。>(以上)

http://www.sankei.com/world/news/160601/wor1606010023-n1.html

本書によれば「韓国は日本と戦争したいが力がないからやらないだけ」と思っているとのこと。こんな国に日本は支援してきました。利敵行為で、愚かとしか言いようがありません。政治家だけでなく、国民の監視が行き届いていなかったためです。偏向メデイアの果たした役割は大きいでしょう。

<5/26Asahi.com「独島」と旭日旗めぐり日韓で混乱も 潜水艦救出訓練

 日米韓などが参加して韓国近海で25日から始まった潜水艦救出訓練で、海上自衛隊韓国軍揚陸艦「独島(トクト)(竹島の韓国名)」への乗艦に難色を示した。一方、韓国側では海自の救難艦が通常使う旭日旗を掲げたことに反発する声も出て、日韓防衛協力の難しさを改めて見せつけた。

 日米韓など6カ国が参加し、潜水艦の遭難事故を想定した脱出と救助の訓練を行う。7回目の今年は韓国がホスト国で、当初は大型艦で収容能力がある「独島」に各国の参加者を招き、訓練の状況を逐次解説する方針だった。

 だが、海自は独島への乗艦に消極的だった。領有権争いで韓国の主張に譲歩した印象を持たれることを嫌ったとみられる。これには韓国側が譲歩し、別の艦船に変更されたという。

 一方、海自の救難艦などは24日、旭日旗を掲げて韓国南部の鎮海(チネ)海軍基地に入港。これを問題視する韓国メディアの報道が相次いだ。ハンギョレ新聞(電子版)は旭日旗について「かつての日本軍国主義の象徴だ」とした。(ソウル=牧野愛博)>(以上)

韓国経済も断末魔を迎えています。「6/3韓国危ない33社 造船大手破綻で始まった“ゾンビ財閥”破綻ラッシュ」という記事や「米、強引すぎる韓国圧迫 WTO韓国人上級委員の再任拒否&FTA完全履行要求」と韓国への米国の怒りが目に見えるようです。

http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20160603/frn1606031550001-n1.htm

http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20160603/frn1606031845005-n1.htm

慰安婦も韓国国内で意見を纏められるとは思えません。国際協約違反は世界に知れることになるでしょう。平気で日韓基本条約を反故にする国ですから。

http://japan.hani.co.kr/arti/international/24295.html

日本は間違っても通貨スワップで韓国を助けてはなりません。言って来たら、公衆の面前での土下座と慰安婦の虚偽の発表を要求すべき。それと反日を止めることを。でも彼らはいつでも裏切るので、約束はすぐ反故にされるでしょう。「非韓三原則」こそが正しい道です。中国側に行こうが日本の知ったことではありません。共産国になればよい。米国ももう見限っているでしょう。

内容

P.33~35

日本はどこの国よりも韓国との武力衝突の可能性に備えるべき         

もちろん、その道に反対している国もあります。その中でも、もっとも反対している が、隣国である大韓民国です。「何もするな。何も変えるな。絶対に変わるな!」ともっとも日本に要求している国、それが韓国です。

マスコミなど、日本側のメディアの記事に目を通していると、先に「縛り」の一つだと書いた七十年前の戦争のことで、「韓国」という字が異常なほど目立つことを、私は憂いています。韓国に対する必要以上の配慮を、無条件の協力を強いる論調も目立っています。まるで、国家間の出来事を、善悪論で押し通そうとしているようです。

どうでしょう。「韓国に、力が足りないという現状以外に、日本を侵略しない理由などない」というのが私の持論です。力が足りないというのは、韓国が安全保障をアメリカに頼っているという意味です。

日本は、韓国という国についてもっと警戒心を持つ必要があります。

歴史上、大きな「聖戦」は「聖地」にまつわるものでした。「独島(竹島)」という韓国人の「反日の聖地」のことも含め、ここだけの話、「局地的な武カ衝突など全ての可能性に備える」必要があります。

どちらかというと、私はもし日本がどこかの国と武力衝突するなら、その相手は中国やロシア、いや北朝鮮より、韓国のほうが可能性が高いと思っています。

韓国のこだわりの正体は「謝罪表現」の有無

詳しくはこれから書いていくことになりますが、韓国の「対日観」は、「韓国が上で、 日本が下」を基本とします。日本が上がることは、韓国が下がることです。韓国が日本に対してそこまで一方的な上下関係を信じて疑わない土台は、「善悪論」、具体的には「日本の謝罪」です。

韓国人の精神世界では、謝罪は「歪」を認めることであり、「歪」は「正」より下です。 謝罪した人は「格下」になります。安倍談話において韓国がもっとも気を尖らせる「謝罪」表現の有無。そのこだわりの正体でもあります。

私はこう思っています。安倍談話によって、韓国がこだわっている日本との関係の基本が破壊されるだろうと。それが「良い意味での破壊」であることを信じています。

「安倍談話」の内容がなぜ両国関係を「良い意味で破壊する」のか

本名も出せずに「シンシアリー」という場違いなポジションにある私ですが、場違いだからこそできることもあります。

日本が「普通の国」への重い一歩を踏み出した二〇一五年二月から八月の間、日本の「縛り」たる韓国で何が起こったのか。どんな心理が人々の頭の中をよぎったのか。安倍談話の内容がなぜ両国関係を「良い意味で破壊する」ものなのか。

それを書籍としてまとめることも、意味があるのではないでしようか。それがこの本を書いた理由です。

さて、そういうことで、あくまで一冊の「読み物としての楽しさ」を失わないよう気をつけながら、これから始めてみたいと思います。韓国にとってとても長かった六力月の話を。

P.72~75

朝鮮日報がニ○一一年に連載したシリーズコラム(2011韓国人よ、幸せになれ)の五回目(ニ〇一一年一月七日)に、面白い内容が書いてあります。

コラムの諮問委員会に参加した海外の専門家たちは、韓国人を「お金が好きでありながら、大金持ちは嫌いだという、富に対して二重の態度を持っている」と分析しました。朝鮮日報がアンケート調査を行った結果、韓国人は九十三%が「お金が幸せに必要だ」と思っていることがわかりました。

しかし、その理屈だと「幸せになっているはず」である大金持ちの人たちに対しては韓国人はかなり批判的で、「親のおかげだろう」、「何か不正をやった結果」としか見ていないこともわかりました。これは、外国の專門家たちには大変珍しく、興味深い結果だったようです。

KDIの報告書に戻ると、「上」になれなかった人たちは、「剥奪感」を主張しています。 報告書によると、他人と比べる「比較傾向」の強い人であればあるほど、「目標至上王義」、 「利己主義」な態度を見せたとなっています。また、彼らは自分を幸せだと感じていない側面が強く、自分が不幸な理由を「相対的な剥奪感」によるものだと思っていました。

剥奪感というのは、韓国の国語辞書によると、「権利や資格など、当然自分にあるべきいくつかのものを奪われたように感じること」という意味です。

「下」になった人たちは、「上」になった人たちに素直に拍手を送ることができないでいるのです。不当な何かによって、負けてしまった。そう思っています。スポーツの試合などでも韓国人は「きれいな負け方」ができないことで有名ですが、それとも関係していま す。

「憤怒調節障害を病んでいる大韓民国」

上は下を人間扱いしないし、下は上に何かを奪われたと思っている社会には、「憤怒」 だけが残ります。

二〇一五年三月二十六日の中央日報は〈憤怒調節障害を病んでいる大韓民国〉という切ない題の記事で、「このところ韓国社会は憤怒で溢れかえっている。特定の問題が話題になると、多くの人たちがその問題の本質を見るよりも、ただ不満を吐露するのに忙しい。

いや、不満を超え、憤怒を表出するといった表現が合っているかもしれない。とくに強者が弱者に不適切な方式で権威を振るう『甲の横暴』のことになると、こうした葛藤と憤怒は極に達する……」と伝えています。 「甲」というのは、大企業が不公平な契約を中小企業に要求する「契約書の甲乙表」から きた表現だと言われています。まるで、革命前夜みたいな雰囲気ですね。

相手を赦せば自分が「下」になるから決して赦さない

怒り狂い泣き狂う人に「それは残念でしたね」と言ってやれないこともないですが、すこし考えてみると、「当然、肖分にあるべきものを奪われた」の「当然」の基準は誰が決めたのか?気になります。法律などちゃんとした基準によるものならわかりますが、も し「自分自身の基準」によるものなら、大問題です。

自分が不幸な理由は、奪われただけではなく、自分自身に原因がある可能性だってあるのですが、そういう見方が欠けているからです。そんなのは、ただの被害者意識です。 「慰安婦」や「セウォル号」などのニユースをご踅になった方なら、「被害者を自称しながら、なんであんなに偉そうに上からの目線なんだろう」と思われたことはないでしょうか。

被害者は邪悪な何かによって権利を剥奪された人たちだから、すなわち「正」で、「上」 だ。韓国には、そういう妙な「共感帯(連帯感)」ができています。上になれなかった人たちが自分自身のために残した最後の予防線、“私は何も悪くない。私は正しい。だから、本当は私が上なのだ”。その感覚の副作用であると言えるでしょう。 お気づきでしょうか。これが「恨(ハン)」の正体です。

「悪」を設定することで、自分が「善」になれます。「歪(下)」を設定することで、自分 が「正(上)」になれます。逆に、相手を赦せば、自分の格が下がります。だから赦しません。

言い換えれば、恨(ハン)は、永遠に赦せないから終わらないのではなく、赦そうとしないから終わらないのです。

P.80~85

集団利己主義の原点は「白か黒かだけ。中間地帯がない」

「終わらない」と合わせてもう一つ、「恨」の現れ方として「両非論を認めない」を覚えておく必要があるでしょう。

両非論は「両方に責任がある」という意味ですが、自分にも非があると認めると「格が下がる」ため、恨の世界では両非論は認められません。結果、「善」か「悪」か、「白」か「黒」かだけが存在できます。だから韓国社会はほとんどの事案が「極端な二つの意見(ニ元論的)」に分かれることになります。

文化体育観光部公式ブログによると、「ニ〇一三年韓国人の意識•価値観調査(文化体育観光部が二〇一三年十月十一日〜十一月十日まで全国の十九歳以上の男女二千五百三十七人を対象に実施したアンケート調査)」の結果、「富裕層と庶民層の葛藤(対立)が大き いと思いますか?」という質問に「はい」と答えた人が八十九•六%。「企業家と労働者の間の葛藤が大きいと思いますか?」に「はい」八十五• 一%。「進歩(左翼)と保守 (右翼)の間の葛藤が大きいと思いますか?」に「はい」八十三•四%でした。

それもそのはず、単純に「葛藤」があるだけでなく、政治でも経済でも、韓国社会では「妥協は負け」です。自分の正しさを諦めることだからです。だから、「中間地帯」の役割が果たせるような「中道派」の存在もありません。

この問題が指摘されたのは、ずいぶん前からです。ちょっと古い情報源ですが、一九九〇年に東亜日報が一年間連載した〈韓国人診断〉というシリーズコラム、その八回目となる 「白か黒かだけ。中間地帯がない(一九九〇年三月二十五日/東亜日報)」をまとめてみます。

  • 私たちの周辺には、中間地帯の存在を許容せず、両極端だけが対立する風潮が蔓延している。ある主題において賛成か反対かの意思表示を強要するだけで、妥協点を見つけようとする努力は無視される

・考えが違うと敵となる。韓国人は他人と違う考えを持っていても余程のことがないとそれを表に出さない。他人と違う意見を出しても、返ってくるのは討論の相手としての関係ではなく、感情的な敵対関係であるからだ。

・「画一」が、「統一」や「団結」と勘違いされている社会。その社会で置いてけぼりにされないためには、対立している両極端のどちらかを選んだほうが楽だ。その間に存在する多様な選択の行動パ夕―ンは、たとえそれが中庸でも、「灰色主義(どちらでもない)」 と非難されるからだ。このような「黒白主義」、「二分法的思考傾向」のせいで、私たちの社会では政治的、社会的、個人的活動において多元主義が成熟できずにいる

・韓国人の両極端さは、「民族性」にその理由がある。「地政学的」には、厳しい国際関係の中で、急いで一つの結論を出さないといけなかった。「文化的」には、「王宮文化(極めて高貴で富裕な文化)」と「農民文化(低質で貧困な文化)」という両極端な文化しか存在しなかった。今のソウルすらも、過去の農民文化の集合体であるだけで、独自の都市文化を創造できなかったという指摘を受けている

・宗教や学問的にも•中国や日本のように、多様な宗教や学問が共存することはできなかった。朝鮮時代からは「儒教」、「朱子学」だけが認められた。政治の世界にもまた、「対立」だけが存在した。「日帝時代(併合時代のこと)」には「親日か、反日か」だけだった。「軍事政権時代(朴正熙〜盧泰愚政権まで)」には「政権の言いなりか、闘争か」しかなかった。「極右」が「極左」を生む結果になったのだ

・そんな中、「両極端性」が深化していった。そして、民族性として内面化されたのだ

この現象は、日本側のネットでよく「ウリ(私たち)とナム(他人)」と呼ばれる、韓国特有の「集団利己主義」となりました。二十五年前の新聞で大々的に扱うくらいなら問<題意識があったようですが、診断はできたのに処方案は効かなかったようで残念です。

「異なる」ことを永遠に受け入れられない民族

一九九六年六月二十九日のハンギョレ新聞に載っている、韓国文化政策開発院の金文煥 (キム•ムンファン)、ソウル大学美学(※aesthetics。美の本質や形態、構造などを追求する学問)部教授のインタビューから、同じ見解を見出すことができます。日本文化の輸入規制をなくすべきかどうか議論が起きていた頃の記事です。

  • (質問)韓国文化と日本文化を比べるなら:

「(教授の答弁)韓国文化には儒教主義的文化の遺習が比較的強く残っている。日本も儒教を受け入れたが、『真似をした(表面的にやっただけという意味)』だけで、比較的、 多くの固有の伝統を生かしてきた。その結果、規範に縛られない風土ができた」

「韓国は儒教的伝統が強すぎて、『対抗文化』としての本質が強くなりすぎた。一時、韓国社会で『克日』という言葉が流行したことがあるが、それも『対抗文化』としての我らの文化の性質が反映された結果だ。日本文化と韓国文化は、ニつの民族の生活と歴史が異なるから、異なっていて当たり前だ。『異なる』を認めると、正しいか間違っているかの価値判断から自由になれる」

・韓国文化のそのような属性はどこに起因するのか:

「韓国人は倍達民族(韓国民族の呼び方の一つ)や単一民族など、同類意識が強いため、『異なる』を認めることができず、つい『異なる』を「間違っている』と扱う傾向がある」

恨(ハン)とはもともと、自分と他人を比べることから始まるものです。比較にこだわり過ぎるのは、自分自身に自信がないからでもあります。韓国人は他国の文化の起源を主張することで有名ですが、それと似ています。自国の文化に自信がないという意味です。

自分に自「信」がないから、誰かと信じ合うことなど成立しません。信じ合わないから、妥協もありません。自分の主張だけが絶対的に正しくて他人の意見は間違っているという、 余裕のない認識になってしまいます。 「異なるを認めることで正誤の判断から自由になれる」。正しさは一つではないこと。韓国人はそれが認められないでいます。

それが、「兩非論など認めない」という流れになるわけです。

P.203~205

第三節 国全体か恐ろしい反日人間量産施設」

韓国人はなぜ「約束」を守れないのか?

この本を読まれている読者の皆さんは、「韓国人って約束は守るベきだという基本的な教育もしていないのか?」と思われるでしょう。それはもう、していますよ。韓国は決して教育インフラが乏しい国ではありません。

では、どうして日本との約束を守らないのか?また同じ話になりますが、「上下関係」が原因です。

韓国人は、ある規則において「例外になる(規則を守らなくてもいい)ことが、自分がその規則を守っている他の人たちより「上」になった、何か特別な待遇を受ける資格を得たことだと思っています。校則でも社会規範でもビジネスでもスポーツの試合でも国間の条約でも、この考え方は変わりません。

すなわち「社会の配慮の中には自分も主体として含まれている。自分も他人に対し配慮を行うべきだ」とする価値観ができていません。「社会には配慮が必要だけど、私は例外で、配慮は他人が私に対して行うべきだ」と思っています。

この「自分だけ例外になりたい」という願望は、「自覚がない」、「責任感がない」、「信頼できない」という結果に繋がったりします。

「下」は「上」に何もできず、隙さえあれば「上」を引きずり下ろすことしか考えていない。「上」は「下」に何をしても構わず、隙さえあれば「下」をこき使うことしか考えていない。

それが韓国の「上下関係」です。韓国社会の「二元論的構造」を象徴していると言えましょう。

「恨(ハン)」とは、相手と比べたがる歪みからできたもので、負けを認められず、自分は不正な方法で負けた被害者だから実は「上」であると信じ続けることである・・・と第二章に書きました。ある意味、「あらゆる規則から例外になれる資格」こそ、恨(ハン)が追求するものであるとも言えます。

(韓国にとっては)絶対的な上下関係を基本とする日本との関係においての約束事など、守るはずがありません。韓国関連のニュースなどを見て、皆さんは「この人たち、は何をしてもいいと思っているのか」と不快に思われたことはありませんか?その認識でほぼ正解です。

恨の価値観に囚われている韓国にとって、日本が上がることは韓国が下がることです。日本が下がることは韓国が上がることです。韓国にとってはその比較が何より優先します。 「反日」という名の、最後先順位です。

韓国は、「約束は守らないといけない」と平気で話しながらも、「日本との約束は守らなくていい」と思っています。韓国が日本より上だからです。

そもそも、韓国は、日本に悪いことをしたという自覚そのものがありません。日本との約束を破るのは韓国にとって当然の権利だから、日本に悪いことをしたと思う理由がないのです。

どちらかというと、韓国で反日は、そのまま愛国であり、一種の「道徳」です。

P.218~226

安倍談話が気になって仕方がない」韓国人の異常行動

日本が被害者に化けようとしている」と原爆関連の式典を「拒否」

異常に暑かった二〇一五年七月~八月。

「安倍談話が気になって仕方がない」韓国の異常行動も熱く続きました。 マスコミは「安保法案のせいで安倍の支持率が落ちた」と狂喜する報道を連発しながら、「安倍政権の立場が弱くなったから、安倍談話の内容も韓国に有利になるだろう」という、根拠のわからない期待を示したりしました。

新聞記事などを引用するとキリがないので、八月になってからの韓国の動きだけを、一部まとめてみます(※以下、安倍談話が発表された二〇一五年八月十四日を前後しての記事からの引用が多いため、年度表記を省略します。記述のないものは、全て二〇一五年です)。

八月四日は朴槿恵(パク•クネ)大統領が岡田克也民主党代衣と接見した際、安倍談話を意識し、安倍総理は村山談話や河野談話などをもう一度明らかに認める必要がある、今こそが慰安婦問題を解決できる事実上の最後の機会だと話しました(同日の国:民日報)。岡田代表はいわゆる慰安婦問題に関連し、「日本の政治家として申し訳がなく、恥ずかしい」と話しています(八月三日/聯合ニュース)。

八月六日にはクアラルンプールで開かれたASEAN関連会議で、尹炳世(ユン・ビョンセ)外交部長官(外相)が日本の岸田文維外相に「安倍談話と関連し、歴代内閣の明確な歴史認識継承を明らかにし、日韓最大の懸案である日本軍慰安婦問題の解決のための日本側の進展した態度」を要求したとのことです。(同日の聯合ニュース)。

外交部長官が日本に「進展」を要求していた八月六日は、ちょうど広島に原爆が投下された七十周年目の日でした。

広島の追悼式には、日本で行われた原爆犠牲者追悼行事に初めて本国の高官(ローズ米国務省軍備管理・国際安全保障担当次官)を派遣したアメリカを始め、核保有「大」国であるイギリス、フランス、ロシアなど世界百カ国から、最多の五万五千人が参席しました。しかし、韓匡の柳興洙(ユ・フンス)駐日大使は、姿を見せませんでした(八月六日聯合ニュース。中国側も参列していません)。

韓国側は「日本が被害者に化けようとしている」との理由で、原爆関連の式典などを拒否しつつあります。

大韓言論賞を受賞したこともある論説貪が「原爆は神罰だった」、「まだ日本への罰が足りないと思うの.は神の自由だ」(ニ〇一三年五月二十日/中央日報という記事を載せたことは有名ですが、この日(八月六日)にもまた、東亜日報が「日本は被害者を名乗る資格はない。その理由は単純に日本は加害者だからだ」、「日本人の原爆の日に対する感情は安っぽい感傷に過ぎない」と批判しています。

朝鮮日報も原爆で亡くなった方に対する日本の追悼、慰霊ムードを「日本が東アジアで信頼を獲得し、平和国家と認められるためには、犠牲者コスプレ(犠牲者のふりをすること) はそれくらいにして、相手の立場から考えることも学ぶべきだ」と書いています(八月十四日)。

韓国は原爆のことを、「セムトン(イイザマ)」だと、どこか喜んでいます。日本の「進展」を要求する前に、こういう韓国側の「セコさ」を何とかしてほしいものですが・・・。

「安倍談話、安倍談話、安倍談話」・・・政府を挙げて、もはや病的な執着

八月八日の朝鮮日報の報道内容はさらに傑作です。

「……朴槿患大統領が発表する光復節(八月十五日)演説文を準備している大統領府と外交部の実務担当者らは今、緊急態勢に入っている。今後の韓日関係にかなりの影響を与えることになる日本の安倍晋三総理の戦後七十年談話が光復節の前日に発表されるからだ ……(中略)……予想される安倍談話の内容に合わせ複数の演説文を準備しているとのことだ……」

安倍談話が気に入らなかったらキツイ内容を、気に入ったら柔らかい内容を選ぶという意味です。早くも「反撃」を用意していたわけですね。

八月十日には、また朴槿恵大統領が、大統領府首席秘書官会議で、「日本政府が歴代内閣の歴史認識を確実に継承するという点を明らかにすることにより、我が国をはじめとする周辺国との関係を新たに出発させようとする成熟した姿勢を示していてほしい」と話しました。

同日の聯合ニユースは、「朴大統領の発言は、安倍晋三日本総理の戦後七十年談話に村山談話や小泉談話などで指定された「侵略」、「謝罪」、「痛切な反省」、「植民地支配」の四つの核心表現を込めて、真の反省と謝罪の意を示すことを促したものと見られる。また、安倍総理の談話が期侍に満たなかった場合、韓国と中国など日本の植民地支配と侵略被害国との関係がさらに悪化することもありえるという警告メッセージを送ったとも解釈される」と報道しています。

八月十一日には、朴槿恵大統領が訪韓したハモンド英外相と会い、安倍談話について「歴代内閣の歴史認識の継承を明確にすれば、未来志向の関係発展の基礎になる」と述べました(同日の産経新聞)。記事によると、朴大統領は植民地支配と侵略への反省を明記「(それらの談話が)韓日関係の発展を可能にした」と説明したとのことです。

八月十二日には、なんと潘基文(パン•ギムン)国連事務総長が、安倍談話に対して 「日本は過去の歴史に対する真の反省に墓づいた真の和解と協力を通じてより良い末来に進まなければならない」と国連報道官を通じて話しました(八月十三日/聯合ニュース)。 国連事務総長が特定国家の過去歴史問題を公に「反省」を要求するのは、極めて異例です。潘事務総長本人は否定しているものの、韓国の次期大統領候補だという噂もあります。

八月十三日には、魯光鎰(ノ .グァンィル)外交部スポークスマンが、「日本内閣の歴代談詁で表明された歴史認識が後退してはならず、継承されなければならないという点を強調しながら、それが何を意味するかは、日本政府が明確に知っているだろう」と強調しました(同日のKBS)。

潘基文事務総長はともかく、こうしてみると、ほほニ日おきに、安倍談話に関連した韓国「政府」の見解が披露されていることがわかります。安倍談話、安倍談話、安倍談話 ……別に韓国人に向けて発せられる談話でもないのに、ここまでくると、もはや病的な執着です。

韓国が「舌なめずりして」待った発表当日

そして、韓国が(望ましくない意味で)待ち焦がれていた、談話発表の日が来ました。 八月十四日、十七時頃に閣議で決された「安倍談話」は、ちょうど十八時に発表されました。

私はすでに三月の時点で「次の本(本書)は『価値観』をキーワードにする」と決め、「その象徴は安倍談話になる」と信じていました。そして、この六力月間の記録を本としてまとめるのは、十分に意味のあることだと。その六カ月のクラィマックスになるであろう安倍談話に期待していたのは言うまでもありません。

しかし、率直に言って、不安もありました。

談話の内容を決めるまで、安倍総理周辺では、自民党の内部から外部から、想像を絶するほど様々な意見がぶつかり合ったことでしょう。その中でも、私は「閣議決定」がもっとも心配でした。

六月二十一日には読売新聞が「安倍首相は今夏に発表する戦後七十年談話について、閣議決定を見送る方針を固めた。政府の公式見解としての意味合いを薄め、過去の談話にとらわれない内容とする狙いがあるとみられる」と報道したこともあります。

閣議決定はあったほうがいい形になります。言うまでもないでしょう。しかし、その分、内容への制約も増えます。閣議決定のためには、満場一致が必要になるからです。閣僚の中には公明党の方もいるわけでして。

談話発表の一週間前、安倍総理が談話の草案について谷垣禎一自民党幹事長、菅義偉官房長官、公明党の山ロ那津男代表と話し合ったとのことですが、その場で山口代表は、

  • 謝罪と反省が必要
  • 世界各国にちゃんと謝罪が伝わるように

・中国、韓国との関係改善のための内容

などを要求したとのことです(八月九日/聯合ニユース)。

公明党には公明党の考え方があるでしょうけど、日本の総理の日本のための談話について話し合いながら、どうしてこうも他国を気にしすぎるのか・・・これは別に山口代表の問題だけでもなく、日本のマスコミの論調も同じでした。非常に残念なことです。

星の数ほどの意見があれど、総理は一人、談話は一つだけです。全てに配慮すると「ヌルい!」と叩かれ、片方に突っ走ると「極右だ」と叩かれるでしょう。そのバランスをどう取ればいいのか。私のような凡人には「賴みます—安倍総理」とお願いすることしかできず・・・。

八月十四日、早めに診療を終えた私は、自分の部屋でワールドブレミアム(海外向けNHK放送。韓国でも一部のケーブルテレビで放送されています)チャンネルをつけました。

歌って踊る楽しい子ども番組が終わり、午後六時。総理自ら戦後七十年談話を発表する、生放送が始まりました。

〈戦後七十年談話、いわゆる安倍談話の全文は、本書には載せません。全文は首相官邸サイト(http://www.kantei.go.jp/)にありますので、「首相官邸トツプ〉総理大臣〉総理指示・談話など>平成二十七年八月十四日内閣総理大臣談話」でお読みください〉

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