『現代の毛沢東 個人崇拝の偶像を作り上げようとする習近平』(5/20JBプレス 馬建)について

文革時代にはカニバリズム(食人)が行われていたと「ぼやきくっくり」ブログにありました。

http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid1885.html

特段驚くことではありません。凌遅刑で皮を剥いで長く苦しみを与え乍ら殺し、その肉を漢方薬として売っていました。何せ医食同源の意味は悪い部位があればその部位を食べるのが良いとされ、人間に近づけば近づくほど良いとされています。また、孔子の弟子子路が反乱で落命し体を切り刻まれ、塩漬けにされる刑罰を受けたという記述が『史記』「孔子世家」にあるとのこと。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%8C%E9%81%85%E5%88%91

宮城谷昌光の小説でも親孝行の為に自分の腿を削って塩漬けにしたものを与えるという記述があったような気がします。紀元前の中国の話ですが。

自分の子を食すのも宮城谷昌光の『太公望』の中に出て来たと思います。代わりに次の記事を。

http://marco-germany.at.webry.info/200709/article_27.html

今でも広東人は嬰児を食すと言われています。

大躍進、廬山会議、文革とどれをとっても権力闘争、華国鋒から鄧小平に実権が移ったのも権力闘争の結果です。今も行われていると思えば良いでしょう。選挙と言う時間のかかる手段でなく、如何に民衆から収奪するための頂点に立つかの醜い争いをしている訳です。

習と李の争いが本格化してきたようです。共産党内部の争いが外に漏れてきているというのは、箍が緩んできた証拠です。

http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20160523/frn1605231312007-n1.htm

記事

Mao's portrait at Tenanmen-2

天安門広場に掲げられている毛沢東の肖像画(資料写真)

(ロンドンより)

 50年前の今月は、毛沢東が文化大革命を始めた月だ。それは、政治イデオロギーの名のもと、毛沢東個人の権力を拡大するために実行された混乱と迫害、暴力の10年であった。

 しかし、中国政府はこの破滅的な負の遺産を反省するのではなく、文化大革命に関するすべての議論を禁止している。そして中国市民は、30年にわたる市場志向の改革によってもたらされた富に目を向けて、甘んじて政府の方針に従っている。

 しかし、習近平主席が冷酷な粛清を実行し、個人崇拝の偶像を作り上げている現代のような時代において、過去を闇に葬る代償は高くつく。

*  *  *

 1966年8月、毛沢東は、「司令部を砲撃せよ―─ 私の大字報」という文書を出した。これは中国共産党の中で資本主義に寄っていた実権派だった第二主席の劉少奇を粛清しやすくすることが目的だった。この「大字報」の中で毛沢東は、中国の若者層に「皇帝を馬上から引きずりおろせ」、そして反乱を起こせと呼びかけた。

若者たちは迅速に反応した。すぐさま「紅衛兵」となった学生民兵組織が全国に現れて、毛沢東の意志を掲げた。100日も経たないうちに、毛沢東は、劉少奇や鄧小平をはじめとする共産党の主力を幅広く粛清することに成功した。

 しかし、毛沢東の政敵への攻撃はこれだけではなかった。その年の8月、9月だけで紅衛兵は1700人以上を撲殺または自殺を強要して殺し、10万人もの北京市民の家や所持品を焼き払って彼らを北京から追い出した。教育者たちは特に攻撃の対象となった。紅衛兵が小中高等学校や大学に現れるたびに、教師や管理者たちは消されていった。

 しかし、毛沢東が「紅衛兵の構成員は実権派の“傘下にある”」といって紅衛兵を次なる攻撃の対象にするようになるのには長くはかからなかった。中国に軍事政権を敷いた後、毛沢東はしばしば紅衛兵の当初からの構成員を「再教育」と称して遠方の村へ飛ばして、紅衛兵の一団を新しい労働者反政府運動に入れ替えた。

 文化大革命は習近平の家族も直撃した。彼の実父・習仲勲は共産党の高官であったが、権力から追放されて投獄され、最終的にはトラクター工場に左遷された。習の家族は国中に散り散りばらばらになった。

 しかしそれでも、家族や故郷をばらばらにしたイデオロギーや組織に委縮するのではなく、習近平は、文化大革命の信条や手法を我がものとした。

 習近平はどうやら今でも彼の内部に、青年時代の文化大革命の好戦性をとどめているようだ。権力とは彼の道しるべであり、権力を守るためなら彼はどのようなことでもするのではないかと思われる。権力を守るために努力して、習近平は「毛沢東の遺産」という大きな強みを得た。

*  *  *

 何十年もの間、毛沢東は、市民がお互いに告発し合う階級闘争を促してきた。親友や隣人、家族であっても彼らは密告し合った。安全な場所はなく、誰もが(党員でない者でさえも)共産党員のしもべとなった。この恐怖政治の下においては、個人のアイデンティティなどというものは、こっそりと、しかし効率よく国家に組み込まれていった。

 人民に対する絶対権力を主張するために政治権力が残虐になるということは、文化大革命の1つの教訓である。だが、習近平はその教訓には関心を示さない。彼の関心はただ、「絶対権力」の一点のみにある。

 そして絶対権力を手中にするために、文化大革命の生き残りたち(つまり怖気づいて個人のアイデンティティではなく政治を選ぶということが何を意味するかを、分かっている者たち)は、習近平の頼れる政争の具になっている。

 習近平は、共産党の権威を強め、指導者としての彼の地位を再強化することでのみ成功できるということを分かっている。そのため、彼は中国内部から(つまり腐敗した裏切り者の指導者たちから)の深刻な脅威がある、というフィクションを持ち出した。そして、共産党への忠誠が最大の重要性を持つということを宣言した。

*  *  *

 中国には、今やもう2種類の人間しかいない。共産党を支持する者と、支持しない者である。

 1966年の毛沢東のように習近平は、自分の権力は、あらゆる手段を使って全中国人民(政府官僚も一般人も等しく)を忠実にし、彼に従わせることができるかにかかっていると信じ込んでいる。例えばノーベル平和賞受賞者の劉曉波やそのほか何万人もの投獄された作家や研究者たちといった政敵を弾圧することで、彼の権力は築かれる。

 しかし、習近平は、統治を恐怖政治のみに頼っているわけではない。彼はまた、新しい1つのイデオロギーによって大衆の支持を受けようとしている。それは、「チャイナドリーム」と呼ばれる「中国国家の偉大な再生」によってもたらされるとされている社会主義の価値や目標である。

 これは「世界、ことにアメリカ合衆国が、正当な権利を有するはずの中国を国際秩序の頂上に座らせまいとしている」と見立てるナショナリズムとともに主張されているが、こういったナショナリズムはメッキをかぶせたナショナリズムだ。そして彼は、毛沢東以来の個人崇拝を仕込んでいる。

 文化大革命から50年、その罪や業はいまだなくなることはない。逆に、これらは中国のさらなる政治的・経済的弾圧を正当化する理由として使われている。しかし、毛沢東スタイルの権威を守ろうとする習近平の試みは、毛沢東とは違ってむなしく終わることだろう。習近平の経済支配や政治粛清の不適格さは少しずつ、水面下で、彼に反対する幹部たちを生み出していくことだろう。

 経済政策の失敗が政治不安の事態に発展するにつれ、旧・紅衛兵たちは、歴史に無知な若者世代に支持されて、再び文化大革命の時の中心的役割を繰り返すかもしれない。そのときこそ、彼らが馬上から引きずりおろす「皇帝」とは、習近平なのだ。

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