5/18日経ビジネスオンライン 福島香織『中国は「亜文革」時代に突入した 50年前の「文革」と違うこと、変わらぬこと』について

「五十六朶花」をネットで調べると下記の写真が出てきました。全然垢抜けしていません。北朝鮮と何ら変わりません。所詮自由のない国のイベントです。プロレタリア芸術(芸術ではなくプロパガンダと呼んだ方が正確でしょうけど)とは底が浅いものです。

56 flowers in China

本記事の下の写真は50年前の文革の様子でしょう。今時「毛沢東語録」を翳す人はいないでしょうから。ただあの当時中国にカラーフィルムがあったのかと吃驚しましたが。

文革時代は親子であっても毛沢東思想を優先し、親が外れた行動をした場合、党に密告することを奨励していました。林彪事件もそうでした。人倫に悖る行為です。独裁国家だからできるのであって、こういう国を理想と思っている左翼の脳の中を見て見たいものです。座標軸が大きく狂っているとしか言いようがありません。

中国は歴史上いつでも権力闘争をしてきました。習と王岐山、習と李克強と敵は沢山います。また、軍の中にも利権にあずかれない不満分子は沢山います。習の暗殺orクーデターもあるかもしれません。日本は米豪印台+ASEANで中国共産党の崩壊に備えなければ。

記事

cultural revolution in Chna

50年前の「文化大革命」と何が違い、何が変わらないのか(写真:Paolo KOCH/RAPHO/アフロ)

 先日の5月16日は文化大革命が開始された、俗に言う5・16通知が政治局会議で可決した日である。この日をもって文化革命小組が改めて組織され、文化大革命という名の大衆を巻き込んだ権力闘争が開始された。ちょうど50年前のことである。

 ところで、この50年前の出来事が、過ぎた歴史事件として笑い飛ばせない状況である。2014年10月に文芸工作座談会が行われて以来、習近平夫人の元軍属歌姫・彭麗媛が芸能界を牛耳るようになると、文化・芸能を通じた政治宣伝が活発化した。

 とくに習近平の個人崇拝的なものが目立ちはじめ、たとえば今年の春節(旧正月)の大晦日に行われた中国版紅白歌合戦と称される「春節聯歓晩会」などは、もとは庶民の年末の娯楽番組に過ぎなかったのに、あからさまな習近平礼賛色番組になってしまった。

 また有名な革命劇「白毛女」が彼女の演出で2015年、3D歌劇として復活上映されると、「紅頭文件(党内部通知文書)」で党幹部たち全員が見るように通達されたりもした。中国の一部知識層の間では2014年秋以降を、プチ文革(亜文革)、彭麗媛の江青(毛沢東夫人、文革を主導した一人)化などとささやかれている。

 なので、5月2日に人民大会堂で行われた「五十六朶花」(56フラワーズ)という純国産少女アイドルグループによる“文革コンサート”も、習近平と彭麗媛の仕掛けるプチ文革現象の一端かと思った。だが、どうやら、もう少し複雑な背景がありそうである。

元軍属歌姫と、56フラワーズと

 このコンサートの演出、選曲はすべて、文革時代を彷彿とさせるようなものだった。紅衛兵が毛沢東を礼賛するように少女たちが右手を掲げて、「社会主義好!」や「共産党が無ければ新中国はない」といった革命楽曲、「大海航行は舵手に任せよ」といった文革楽曲、果てには習近平総書記に捧げる「肉まん屋」「あなたを何とお呼びすればよいのか」といった楽曲を毛沢東のイラストや習近平の映るニュース映像などをバックに映し出した舞台でオーケストラに合わせて合唱し、踊ったのだから。

 このグループ自体は、日本発のAKB48や、AKBをプロデュースした秋元康が手掛けた中国人少女アイドルグループSHN48などに対抗して、文化部傘下の東方文化芸術院宣伝部に属する民間芸能グループとして発足。解放軍芸術学院や中央民族大学付属高校などから16歳~23歳、身長175センチの少女50人以上を集めた世界最大の少女アイドルユニットという。お披露目記者会見のニュースでその姿を初めてみたとき、私もラジオ番組などで話題に取り上げたが、なんともあか抜けず、もっさりした印象を持っている。ちなみにプロデューサーも、入団には顔やスタイル、セクシーさは必要ない、と語っている。

ただ、彼女たちが歌う曲は、デビュー当初から普通のアイドル楽曲ではない。日本の少女アイドルグループと共通するのはミニスカの制服に似た舞台衣装と恋愛禁止、無断外泊禁止のルールぐらいで、歌うのは五星紅旗やオリンピックスタジアムや空母遼寧の映像をバッグにした舞台での革命歌、毛沢東礼賛歌や、彭麗媛の往年のヒット曲「希望の田野の上で」などの、いわゆる共産党礼賛歌ばかりだ。新譜も恋愛やいまどきの少女の気持ちを歌ったものではなく、「習大大(習おじさん)がもし私の家に来たのなら」など習近平や党への賛歌や中国の国威発揚がテーマだ。

 一応、民間のグループ、ということになっているが、党の後ろ盾によって、党と国家の宣伝目的に生まれたグループなので、純粋な商業アイドルとは違う。

「文革再現」に非難殺到、主催団体は…

 発足当初から、そういう存在であることは周知のはずだったが今年5月2日の人民大会堂コンサートは非難が殺到した。たぶん、「大海航海は舵手に任せよ」といった紅衛兵たちの愛唱歌を紅衛兵そっくりな彼女たちが歌ったことが、文革時代の迫害の凄まじさを覚えている人たちの神経を逆なでたのだろう。

 この“文革コンサート”に対し声をあげて糾弾したのは、建国初期の労働相で元全国政治協商委員会・馬文瑞の娘、馬暁力だ。彼女は激怒して「この文革コンサートを誰がやらせたのか徹底調査すべきだ」と中央弁公庁主任の栗戦書に直接手紙を書いた。馬文瑞は習近平の父親の習仲勲と青年時代からの付き合いで陝甘寧辺区および中共中央西北区でともに戦った戦友。文革時期には二人とも厳しい迫害を受けた。

 とにかく、紅二代と呼ばれる革命家の娘自身が批判の声をあげたものだから、誰がこんな演出や選曲を考えたのか、と慌ててその責任のなすり合いが起きた。

 このコンサートは、中央宣伝部社会主義核心価値観宣伝教育弁公室(社宣弁)、中国国際文化交流センター、中国共産主義青年団中央中華未来の星全国組織委員会、中国歌劇舞劇院が共催となっている。

 だが、中央宣伝部側は6日までに香港紙星島日報の取材に対し、社宣弁なんて組織は存在しない、そのようなコンサートに関知していない、と否定。中国歌劇舞劇院は6日、「“中央宣伝部社会主義核心価値宣伝教育弁公室”なるものは虚構で、ウソの情報を提供されてわが院の信用をだまし取られた」と声明を出した。同日、コンサート開催を批准した北京市西城区文化委員会は「コンサート開催を申請した時に決められていたのとは違う、虚構組織の社宣弁が主催団体に付け加えられていた」と発言。一方、56フラワーズ文工団の団長は、メディアに対して、社宣弁についての発言を拒否しつつ「演出に文革宣伝の意図はない」と訴えた。

本当に社宣弁という組織はないのか、というと存在の形跡はある。2015年12月29日に行われた「2016年名人名家迎新年聯歓会」を主催しており、中央政府機関や党委員会の幹部、書画家や著名な毛沢東役者、周恩来役者らが出席している、と中国の「捜狐」サイトにある。また2016年1月24日、「責任天下公益春晩」活動を主催し、新華社や光明ネットなどの公式メディアも宣伝に参加している。ただ、ネットに出回っている社宣弁の名前が付いた「紅頭文件」(党の通知文書)を見ると、社宣弁の所在地は、長安街のホテルになっており、そのホテルの従業員はその弁公室の存在を知らないという。

 そうした話を総合すると、いかにも中央宣伝部傘下の機関風の名前を騙った組織が何者かによって作られ、こうした文革式習近平個人崇拝宣伝を狙ったイベントを仕掛けている、という見方もできる。香港明報によれば中央宣伝部下の常設機関ではないが、確かに中央宣伝部管轄下にあるという証言もある。チケット代が最高2000元以上と高額なので、何者かがコネを利用した営利目的組織というセンもある。

「ほめ殺し」で逆襲

 だが、普通に考えれば、これは権力闘争の文脈で考える方が腑に落ちる。というのも、今年に入ってから中央宣伝部がらみの奇妙な事件が相次いでいるからだ。

 まず、2月19日に始まった習近平の「メディアの姓は党」キャンペーン、それを批判する王岐山の親友の不動産王、任志強に対するバッシング、王岐山の中央宣伝部に対するがさ入れとそれに伴う任志強バッシングの停止、俗にいう“十日文革”事件があった。

 これに関してはこのコラム「習近平は『十日文革』で“友達”を失った」で書いたとおり、習近平、王岐山、中央宣伝部の間の複雑な権力闘争が起きていると見られる。任志強は結局、一年の観察処分を受けて現在、その発言は封印されている。

香港のゴシップ誌『内幕』などは、中央宣伝部内部から得た情報をもとに、習近平の中央宣伝部支配に、劉雲山(政治局常務委員、思想宣伝担当)や中央宣伝部長の劉奇葆は抵抗しており、この二人を排除するために中央宣伝部の全面整理を行うつもりでいる、という。これに対し劉雲山、劉奇葆は習近平の個人崇拝キャンペーンに乗ると見せかけて、過剰に習近平を礼賛することで、習近平のブラックな独裁イメージを文革の記憶生々しい国民に印象づける「ほめ殺し」作戦に出ている、と分析している。

 こういう中央宣伝部の“陰謀”に気づいたので、もともと習近平が自分で気に入って流行らせた「習大大」(習ダディ)という愛称も急に使用禁止にしたのだという。4月に安徽省合肥市の視察先での知識人・労働模範・青年座談会、続く北京市でのネット安全と情報化工作座談会で、「知識人の意見に偏見があり正確でなくとも、言葉尻をとらえてプラカードを首から下げさせてはいけない」「国家政策に対する善意の批判は受け入れる」といった発言を繰り返したのも、中央宣伝部によるイメージダウンを回復するための発言とも考えられる。

独裁、個人崇拝に大衆踊らず

 だが、一部で流れているように習近平は、本当は「個人崇拝」など望んでいないのであり、あたかも江沢民派や劉雲山による高度な情報戦にはまって、独裁者のように仕立てられている、というのもにわかに信じがたい話だ。むしろ、そういう陰謀論があるようにふるまうことで、習近平のやり方に批判的な体制内知識人を煙にまこうとしている可能性もあるだろうし、政敵の劉雲山や劉奇葆を罠にはめて失脚させようという魂胆があるかもしれない。とにかく、中国人は日本人にはついていけないような複雑で高度な情報戦によって自分に有利な世論形成を行うことに慣れている。

 私の見立てでは、習近平はやはり独裁志向の強い人間で、自分の意志で、個人崇拝キャンペーンを進めていたのであろう、と考えている。当初は、メディアと記者コントロールを強化し、そのキャンペーンに動員し、大衆を巻き込んで支持を得て権力闘争を勝ち抜くつもりであった。最終的には香港・亜州週刊など一部で報じられているように、政治局常務委員会制度と定年制を廃止し、集団指導体制(寡頭独裁)から習近平独裁体制を打ち立てるつもりではないか。

だがある時点を境に、その個人崇拝キャンペーンに巻き込まれるはずの大衆がついてこなくなった。一つは経済の悪化により労働争議が頻発し、動労者といった基層民の習近平に対する支持がむしろ不満に変わってきた。習近平に漠然と「隠れ改革派」であることを期待していた知識人が、個人崇拝キャンペーンを見てついにその期待が叶わないことを悟りはじめた。習近平の盟友であったはずの王岐山も、さすがにうんざりしてきたので、「千人諾諾 不如一士諤諤」(千人がグダグダいうより直言の士の方がよい)と、習近平に批判を受け入れるよう諭す社説を中央規律検察委の機関紙に掲載したのではないだろうか。

 そこを、中央宣伝部に狙われて、任志強バッシングや習近平の引退勧告文「倒習文」がオフィシャルニュースサイトに掲載される、といった事件が続いたのではないか。

50年後の大衆動員式権力闘争の行方

 党中央は今年、いかなる文革に関するイベントも禁止することを通達しているので、この56フラワーズコンサートは、確かに規律違反と判断される可能性がある。すでに習近平の大番頭たる栗戦書が、中央宣伝部と文化部に真相の徹底調査を命じているという。だが、その調査結果によって、権力闘争の結果を知ることはできるが、真相は知ることができまい。

 50年前に発動された文革のように、若者の武闘、批闘も、リンチ、虐殺も起きていないが、文芸やメディアを使い、キャンペーンによるイメージ操作で、世論を味方につけたり敵に回したりして政敵を失脚させていく大衆動員式権力闘争が展開されている、という意味で、やはり今の中国は「亜文革」と呼ぶべき時代に来ているのではないかと思う。

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