5/13日経ビジネスオンライン 池田元博『プーチン大統領が安倍首相を歓待した3つの理由 ~孤立脱却、対中、そして経済~』、5/15日経『石油転変(7)ロシア、ガス外交暗転 供給盾に権勢、市況急落の誤算』について

中国はレアアース、ロシアはガスを政治力として利用してきています。独裁国家のやり口です。サウジも宗教国家であり、独裁国家で石油を政治力に使ってきました。米国のシエールオイルを潰すために故意に原油価格を下げたのも独裁国家だからできることです。

ルトワックの言うように、中露分断が日本の独立にとって死活的に重要ですので、領土問題が一気に片付かなくても、シベリア振興の経済協力をして行った方が良いと思います。袴田茂樹氏の「北方4島」一括返還は無理でしょう。これでは敵国を増やすだけです。

藤和彦氏の言う日本にガスパイプラインを敷くのは、日経記事を読みますと危険な気がします。メタンハイドレートも商用化できればパイプラインも必要なくなります。

池田氏が言うように、プーチンの交渉術に嵌まってはダメで、当方からの提案に対して、如何に相手の譲歩を引き出していくかが大事になります。

確かに、安倍—プーチンでなければ、領土問題は解決しないかもしれません。国民の支持と支援が大切です。戦争しないで奪われた領土が還ることはありません。金で買えば別でしょうけど。米国のアラスカ買収はこの例です。ただ、情報が一瞬に世界を俟ることができる今日にあって、金で領土を売るのは不面目になりますので難しく、経済協力の形しかないと思います。

日経ビジネスオンライン記事

Abe VS Putin

5月6日、ロシアで2年ぶりに日ロ首脳会談が開かれた(代表撮影/ロイター/アフロ)

 プーチン大統領は大のスポーツ好きだ。自ら様々なスポーツに果敢に挑戦するし、スポーツが国民の愛国心をくすぐり、ひいては国民の支持を自身に集める手段として利 用できることも十分に心得ている。

 そのロシアで5月6日、2016年のアイスホッケー世界選手権チャンピオンシップが開幕した。今年は80回目の記念すべき大会で、アイスホッケーはロシア国民の間でとくに人気のスポーツだ。

 そんな注目度の高い国際大会の開幕式での演説は、国家指導者にとって格好の国民向けアピールとなるはずである。ところがモスクワで開かれた開幕式に、プーチン大統領の姿はなかった。この日、栄誉ある演説をしたのはナンバー2のメドベージェフ首相だった。

3時間超の首脳会談で見せた「日本重視」の姿勢

 大統領はどこにいたのか。一昨年の冬季五輪の開催地として世界的に有名となった、南部の保養地ソチである。

 日本の安倍晋三首相との首脳会談が主要な目的だった。同日夕刻から始まった日ロ首脳会談は少人数会合、通訳のみを交えた2人の会談、そして閣僚らも交えたワーキングディナーと続き、合計で3時間10分に及んだ。大統領は当初、日ロ首脳会談を短時間で切り上げ、首相が同意すれば一緒にモスクワに向かい、チャンピオンシップの開幕式に出席する案も検討したようだが、結局は断念した。それだけ安倍首相とのソチでの会合を重視したわけだ。

 「日本は単に我々の隣国だけでなくパートナーだ。とくにアジア太平洋地域における重要なパートナーである」――。大統領は会談の冒頭、日本を重視する姿勢を強調し、ソチを訪れた首相を歓待した。

 非公式会談にもかかわらず、ディナーまで用意してもてなした。3時間を超える会談時間は2013年4月、安倍首相がモスクワを公式訪問した時とほぼ同じだ。これらを踏まえれば、日本重視の姿勢は単なる外交辞令ではなく、大統領の本音とみてもいいだろう。

15年3月、伊首相訪ロ以来の画期的な出来事

 では大統領が安倍首相のソチ訪問をここまで歓待したのはなぜか。大きく3つの理由を挙げられるだろう。1つ目は国際的な孤立からの脱却だ。

 安倍首相の訪ロは2014年2月、冬季五輪開会式への出席をかねた首脳会談のため、ソチを訪問して以来となる。ところが今回、首脳会談に同席したラブロフ外相は終了後のメディア向けブリーフィングで、「安倍首相が13年4月にロシア(モスクワ)を訪問して以降、初めてとなる本格形式の訪問となった」と強調した。五輪の開会式や国際会議の場を利用した首脳会談とは質が全く異なるというわけだ。なぜ、そこまでこだわるのか。

 ロシアと西側諸国との関係は14年以降、急速に悪化した。同年春、ロシアがウクライナ領のクリミア半島を併合し、同国東部にも軍事侵攻したためだ。日米欧はロシアが国際秩序を乱したとして主要8カ国(G8)の枠組みから除外し、厳しい経済制裁も科した。当然、西側との首脳外交も大きく停滞した。

 もちろん、ウクライナ危機後も訪ロする外国の首脳はいたが、こと主要7カ国(G7)に限れば、もともとロシアと関係が深いイタリアのレンツィ首相が15年3月にモスクワを訪問したぐらいだ。G8の枠組みから外されたロシアは、西側主要国との首脳外交の面でも相当な孤立感を味わっていたといえるだろう。

 確かに、危機後にドイツのメルケル首相、フランスのオランド大統領がロシアを訪問した経緯はあるが、ウクライナ危機の収拾策の協議や記念行事への出席が目的で、2国間関係の発展のために特別、訪れたわけではない。ラブロフ外相が重視する「本格形式の訪問」という意味で、ロシアにとって安倍首相の訪問は、伊首相の訪ロ以来の画期的な出来事となったわけだ。

米国の影響力の限界を誇示できたロシア

 ラブロフ外相は1月の記者会見で、日ロの外交分野での緊密な協力を訴えるとともに、外交政策で「米国の立場を100%追随する」のではなく、「より自立した日本をみてみたい」と述べていた。その日本が米国の否定的な反応にもかかわらず、首相の訪ロを断行した。ロシアにとっては、米国の影響力の限界を誇示する面でも意義があったわけだ。

 「日本の友人たちは米国をはじめとするパートナーたちの圧力にもかかわらず、(日ロ)関係を維持しようと努めている」。プーチン大統領が首脳会談に先立って語った言葉は、それを如実に示している。しかも、日本は今年のG7の議長国だ。ロシアもさすがに対ロ制裁緩和のきっかけになるとは期待していないが、少なくともウクライナ危機をめぐるG7の対ロ包囲網の弱まりを内外にアピールできたとみているようだ

 2つ目の理由は中国との絡みだ。ロシアはウクライナ危機後の国際的孤立のなかで、対中傾斜を一段と強めた。中ロは実際、両国首脳が戦勝70周年の記念行事に互いに出席したり、東シベリアの天然ガスを長距離のパイプラインを建設して中国に大量供給する〝世紀のディール〟に調印したりするなど、その蜜月ぶりが国際社会でも話題になった。

 ロシアは当初、とくに経済面では欧米の経済制裁による打撃を中国が完全に穴埋めしてくれると期待していたと、多くの専門家が指摘する。ところが中国はそんなロシアを「ジュニア・パートナー」とみなし、ロシア市場での独占的な地位を利用して無理難題を押しつけたり、契約の履行を渋ったりするケースもみられるようになったという。

 ロシアにとって中国は国別で最大の貿易相手国ではあるが、昨年の貿易額は前年比でおよそ3割も減少した。ロシアの外交評論家フョードル・ルキヤノフ氏は「ロシアの政権は中国に前向きな発言は続けているが、対中依存の比重を減らすべくアジア外交のバランスをとろうとしている」と分析する。

「新アプローチ」の背景に中国の影

 「日本はアジア太平洋地域の重要なパートナー」とするプーチン大統領の発言が単なる外交辞令でなく本音とみられるのは、こうした背景がある。今回、安倍首相は北方領土問題を含む平和条約締結交渉を「新たな発想に基づくアプローチ」で加速しようと提案し、プーチン大統領の同意を得た。

 この新アプローチについて日本側は、グローバルな視点を考慮したものとしている。中国の海洋進出や軍事的台頭を踏まえれば、中国とどう付き合うかは日本の安全保障にとっても重要だ。新アプローチの中に中国ファクターを踏まえた日ロ協力の視点が含まれる、とみるのが自然だろう。

 そして3つ目が日ロの経済協力だ。「経済が最も重要だ」。プーチン大統領は会談で昨年の日ロの貿易額が210億ドルにとどまり、前年比で30%も減少したとする一方で、ロシアで活動する日本企業が約270社に上ると指摘。具体的なビジネス案件も挙げて、日本の企業進出を歓迎したという。

trade between Japan and Russia

 大統領はもともと、経済協力の具体的な数字を挙げて2国間関係のバロメーターにし、将来の関係発展につなげようとする思惑が強い。とりわけ近年は、原油安と欧米の経済制裁の影響でロシア経済は低迷している。経済大国の日本の首相との会談で経済協力に弾みをつけ、停滞する極東開発の活性化などにつなげたいとの思いは強かっただろう。

 現に大統領は日ロ首脳会談の2日前、極東開発を担当するトルトネフ副首相、ガルシカ極東発展相をクレムリンに呼び、開発の進展状況を聴取している。さらに当日の首脳会談にはラブロフ外相のほか、ウリュカエフ経済発展相、マントゥロフ産業貿易相、ノバク・エネルギー相やロシア最大の国営石油会社「ロスネフチ」のセチン社長を同席させた。

領土交渉をめぐるハードルが低くなるとは限らない

 その意味で、安倍首相が「8項目の協力プラン」を提示したことは、大統領の関心をくすぐる格好の演出になったといえそうだ。エネルギー開発、医療、原子力・情報技術(IT)、都市づくり、中小企業など8項目の協力を掲げたプランを大統領は歓迎し、具体化の作業を進めるよう求めたという。

 孤立脱却、対中、そして経済協力――。ロシアの期待に見事に応えた首相のソチ訪問は、ウクライナ危機で冷え込んだ日ロ関係を再構築するきっかけになったことは間違いない。ただし、これが北方領土問題を含めた平和条約締結交渉の加速につながる保証はない。今月中旬にはさっそく、トルトネフ副首相が来日する。くだんの「8項目プラン」にはロシア極東地域の産業新興協力が含まれており、日本側の本気度が試されるだろう。

 プーチン大統領が9月にウラジオストクで開く東方経済フォーラムに安倍首相を招待したのも、頻繁な首脳対話に執心する首相の心をくすぐりつつ、極東での経済協力の具体的な〝果実〟を暗に求めたともいえる。さらに、仮にロシア側の要求に満足するような対応を日本側が示したにせよ、領土交渉をめぐるハードルが低くなるとは必ずしもいえない。

 過去のプーチン語録をひとつ、最後に紹介したい。「人道、文化、経済の絆が強まれば、もちろん環境づくりにはつながる。しかし、経済、人道、文化交流の見返りに、領土交渉の立場を軟化させるという取引はすべきではない」。06年9月、大統領と各国の有識者による国際会合「ヴァルダイ会議」での発言だ。

 百戦錬磨の外交経験をもつプーチン大統領が、手ごわい相手であることを忘れてはならない。

日経記事

世界最大級の埋蔵量を誇る原油と天然ガスの輸出をテコに権勢を振るってきたロシアのプーチン政権を原油安が直撃した。エネルギーを勢力拡大に利用、武力行使も辞さない強硬外交で「大国再興」を誇示し、絶頂の中で市場の変化を見誤った。(モスクワ=古川英治)

Russia's pipelines

 2月、ロシアからトルコへのガス供給が減少した。ロシアが2015年12月、突如値上げを要求し、これに応じないトルコ民間ガス会社向け輸出を一時最大4割減らした。

 「ビジネス上の問題」とするロシアの説明を額面通りに取る向きは少ない。プーチン大統領は15年11月、トルコがロシア軍機を撃墜した事件に激怒し、報復を宣言していた。輸出削減はガス需要の5割をロシアに依存するトルコへの圧力だったとの見方が多い。

 ロシアはこれまでも政治を絡めてガス供給を操作してきた。輸出を担う国営ガスプロムが06年1月、ウクライナへの供給を止めた事件は欧州を凍り付かせた。

 親欧米に転換したウクライナに大幅値上げを通告し、交渉不調を理由に輸出を止めた。同国を通るパイプラインでロシアからガスを調達する欧州にも影響が広がった。「ガスによる脅し」との非難を浴びながら、ロシアはエネルギー大国の力を見せつけた。

友好度に応じ格差

 ロシアにとってガス供給は政治上の武器になる。欧州は需要の3割をロシアに頼る。どこからも調達が容易な原油と比べ、ロシアはガスパイプラインで各国と結び、供給の元栓を握る。

 ガスプロムは各国との長期契約の価格を石油相場に連動させながら、その国のロシアとの友好度合いなどによって差を付ける。バルト3国やポーランド向けの価格は、地理的に遠いドイツ向けを上回る。

 ロシアから延びるパイプラインは政治の縮図ともいえる。プーチン政権は主要ルートが通るウクライナ外しを画策し、経済性を問わずに新たな輸送網の建設をガスプロムに指示。ドイツとの間では海底パイプラインで直接結ぶ「ノルドストリーム」を完成させた。

 この輸送網のルートから外された東欧のある首脳は当時、自国の調達確保を優先したドイツへの怒りをあらわにした。「ナチスドイツとソ連が東欧の勢力圏分割を決めた1939年の密約と同じだ」。輸送網は特定の国を取り込み、欧州を分裂させる手段でもある。

 「(ロシアを強国にするには)天然資源が最も重要な要素になる」。プーチン氏は2000年の大統領就任前にエネルギー戦略の青写真となる論文を書いている。ソ連崩壊後に「オリガルヒ」と呼ばれる新興財閥が支配した資源の国家管理を唱え、国策を担う強力な企業の必要性を主張した。「資源政策は地政学上の利益と安全保障に資するものでなければならない」。

 2003~04年のユーコス事件がこの戦略の起点となる。政権と敵対した石油大手ユーコスの社長を脱税容疑で逮捕し、国営ロスネフチに買収させた。三井物産と三菱商事が参加する石油・ガス開発「サハリン2」には環境問題を口実に圧力を掛け、権益の過半をガスプロムに譲渡させた。

 国際的な批判を省みず強行した一連の事件についてロシア政府高官は当時こう語った。「誰もロシアを無視できない。ロシアに変わるエネルギー源はない」

 プーチン氏はその後、原油高騰と連動するかのように強硬路線に傾く。価格ピーク時の08年に親欧米路線を強めたジョージアに侵攻。14年にはウクライナ領クリミア半島を武力で自国に編入し、同国東部への軍事介入にも踏み込んだ。原油はまだ1バレル=100ドルを維持していたころだった。

 クリミア編入を巡り欧米が制裁を発動すると、ロシアはアジアカードを切る。プーチン氏は14年5月に訪中し、新たなパイプラインを通じた大型ガス供給で合意した。中国に輸出を振り向けることによって、欧州を揺さぶる思惑があったのは間違いない。

ソ連の教訓学べず

 戦術にたけたプーチン氏も、その半年後の原油急落は見通せなかったことが誤算になった。シェール革命や欧州の供給源多様化の影響を過小評価していた。景気が減速した中国への輸出も不透明になった。エネルギー頼みのロシア経済は不況に陥った。

 第2次石油危機後に起きた1980年代の原油価格急落は、エネルギー輸出依存を強めていたソ連の崩壊の引き金となった。新生ロシアの改革を担った故ガイダル元第1副首相は2006年末の取材で警鐘を鳴らしていた。「原油高が永遠に続くかのように振る舞うプーチン政権はソ連の教訓を学んでいない」

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