ヒュー・ホワイト『アメリカが中国を選ぶ日』を読んでと4/20日経グローバルオピニオン 「米の次の世代は中国も重視 ブルース・ストークス氏(ビユー•リサーチ・センター・ダイレクター)」について

 

一読してアメリカ民主党支持の軍人が書かれたような印象を受けました。勿論本人は豪国防省副次官も務めた方ですが。多様な意見があってこそ民主主義と思うので、これはこれで良いと思います。ただ、中国の実態を把握できているかどうか疑問です。中国の公式発表を鵜呑みにしてジャッジしているのでは。

1.いつも言っていますように「騙す方が賢く、騙されるのが馬鹿」という国柄に気が付かないと。

2.中国の経済の脆弱性について考慮していない。国全体で2600兆円という借金の存在を置き忘れている。AIIBで騙して他国の金で相撲をとろうとしているのをどう見るか。軍事力の基礎は経済力ですので。

3.貧しい農民の存在があり、賃金は上がらないとあるが賃金は上がっている。それで中国人経営の会社も海外移転している。確かに農民は虫けら扱いされていますが。

4.経済成長は、人口だけの問題ではなく、資本の投入と生産性向上の2変数も大事。中国は資本がないのでAIIBを作ろうとしているのでしょう。外資の流入が減るか逃げているので米国債保有額が日本に抜かれました。生産性など2の次、パクリの名人だから革新技術については期待できない。

5.日米中印でコンサート(大国協調)をと主張しているが、訳者あとがきにあるように条件が違いすぎて当て嵌めることとはできない。そもそもで言えば(1) アメリカとしては中国の挑戦に直面して、アジアにおける指導的大国の地位を中国に譲ってアジアから戦略的に撤退するか(2)アジアにおける指導的大国の地位を守るべく中国に対抗するか(3)アジアにおける強い役割を維持しつつ中国に妥協して、覇権を分かちあうかの三つの選択肢だけと言うがそうだろうか?ルトワックの言うように中国を封じ込めるのは中国の諺にあるように「合従連衡」すればできるのでは。中心は米国、次に日本(瓶の蓋を米国ははずす、核も保持させる)、インド、豪、東南アジア、できたらロシア、中央アジアも。一帯一路の意味は「総ての道はローマに通ず」とのこと。すぐに軍隊を送れる高速鉄道、高速道路を他国の金で中国の余剰人員を使って作るとのこと。賢いと言えば賢いが・・・。

6.空母はミサイルにより無用の長物となっていると言うが、この論理でいえば「不沈空母」の日本も無用の長物になるのでは。南シナ海で軍事基地を造っている意味もなくなるのでは。まあ確かに空母はコスト的に高いから米軍に惜しむ気持ちが働くでしょうけど。そういう意味では潜水艦が有利でしょうが、今の段階では中国軍の潜水艦は日本の自衛隊に簡単に捕捉されるようです。

正しいのは「国際的地位は経済力だけではない」と言ってること。

小生と意見は合いませんが、訳者の言うように今の日本人でここまで分析して国民に提言している人はいません。軍の経験のない人が言っても迫力がありません。

アメリカの世論調査の結果が日経に載ってましたので掲載します。

4/20日経記事

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安倍晋三首相は4月26日から日米関係の将来について話合うために訪米する。環太平洋経済連携協定(TPP)や中国への対応など議題は多い。米国の若い世代がこれらの問題をどう受け止めるかが将来の両国関係の道筋について多くの側面を決定づけることになるだろう。調査会社ビユー•リサーチ・センターの新たな調査によると、米国の若い世代は、上の世代に比べると日本に対しておおむね前向きな見方をしている。これは日本にとって朗報だ。日本にとって悪い知らせは、米国人が日本との経済関係の深化よりも、中国との経済関係の強化の方が重要だと考えていることだ。

この調査で、米国人の約3 分の2が日本は信頼できると考えている。18〜29歳では75 %に上る。日米関係がより緊密になることを望んでいる若い世代は41%で、65歳以上の 27%と対照的だ。中国を信頼すると答えたのは全体では30 %にすぎないが、若い世代では49%だった。次世代は米国人全体よりも日本と中国の両国に対する信頼感が高い。

2014年にビュー •リサ—チがTPPの主要目標である日本や他国との貿易の拡大について調査したところ、74 %が対日貿易の拡大は米国にとってよいことだと答え、特に若者の支持率が高かった。 さらに55%は、TPPは米国にとってよいことだと回答した。若い世代の支持率は65’% だった。

米国の若い世代は、中国を将来の大国とみなしている。 14年の別の調査では次世代の 57%が、中国が既に世界の超大国になっているか、いずれ世界の超大国 として米国にとって代わると考えている。そして18 〜29歳の59%が対中貿易を拡大すべきだと答えた。

今年の調査では、日本よりも中国との経済関係を強化することの方が重要だと43%が答えた。中国よりも日本の方が重要だと答えたのは36%にとどまった。若い世代の61%が中国との経済関係の緊密化が最優先課題であると答えた。そのうえ中国の経済・軍事的台頭によって「日米関係 がより一層重要になる」と考える若い世代(51%)は、年長者(65%)よりも少ない。

米国人の目には、日米関係の現状は良好で、その道筋は有望なものに映っている。米国の特に若い世代は日本を信頼しており、対日貿易の拡大と日本とのより緊密な関係を望んでいる。しかし、だからといって米国が中国よりも日本を選ぶわけではない。

米国人は中国を経済大国で超大国とみなし、経済的に中国に近づきたいと考えている。そして米国の次世代は、旧世代よりも日本と中国の両方を信頼している。米国の若い世代にとって、アジアにおける選択は日本か中国のどちらかではなく、両方なのだ。

内容

P.5~13 日本語版への序文

今日のアジアは、中国の経済成長によって経済面のみならず軍事戦略面においても変容を遂げつつある。じつに中国の台頭は、史上最大かつ史上最速の富の分配の変化を世界にもたらしているのだ。 この変化は国際政治上の力関係をも変化させつつあり、結果としてアジアの戦略情勢は激変期に突入した。

この激変の焦点となるのが米中関係であることは言うまでもない。だが米中関係の変化は当事者の両国のみならず、アジアのどの国にとっても重大であり、とくに日本にとっては死活問題だと言っても過言ではない。私としては日本の読者が中国の台頭と米中関係の変化が日本にとっていったい何を意味するのか、その結果として日本がどのような決断を迫られているかを理解することを望むものである。

中国の台頭にどう対応するかに思いを巡らせなくてはならないのは、アジアのどの国もいっしよだが、日本はその置かれた状況が最も複雑かつ困難なものだ。そして日本の決断もまた、アジア諸国の下す決断のうちで最も重要である。というのも、中国の台頭によって日本は、一九世紀末に列強の仲間入りをしてから初めて、アジアで最強、最富裕の国でなくなったからだ。また、アジアにおけるアメリ力の役割と重みも、一九四五年以後で初めてと言ってよいほど根本的な変更を余儀なくされよう。中国の台頭がアジアの戦略•政治秩序に及ぼす変化は、じつに冷戦の終焉以上の、いや、第二次大戦の終結以後で、最大の変化かもしれない。

このようなアジアの国際秩序の変化のなかで、日本としては当然ながらその外交を基礎から再考 しなくてはならない。日本が迫られているのは、単にアジアにおける自らの役割の再定義だけでなく、国家としてのアイデンテイテイの再構築だ。そして日本が下す決断は、日本の未来のみならず、アジア太平洋地域全体にとって決定的な重みを持つであろう。

本書では米中関係のなかでも、とくにアメリカが中国の台頭に対応するうえで直面する選択肢の数々に焦点を当てている。これは必ずしも、アメリカが中国に対して下す決断のほうが、中国がア リカに対して下す決断よりも重要だと私が考えているからではない。むしろ、アメリカに限らず西側 諸国がアメリカの選択肢を注視することが少なすぎるので、このような内容にしたのだ。米中のどちらも相手に対する関わり方について重要な決断を迫られているのに、アメリカでもほかの西側諸国 (日本においてもそうかもしれない)でも、中国が何をすべきか、ということしか考えない人がほとんどなのである。

私の主張の核心は、中国の国力が大きくなるとともに、中国のみならず西側諸国もまた自らの行動について妥協と調整をしなくてはならないというものである。これまで西側は中国に対して、中国が西側とどう関わるべきかを一方的に決めてきたが、今後それは—ちょうど中国が西側に対して、西側が中国とどう関わるべきかを一方的に決めることができないのと同じように—できなくなる。これは言い換えれば、西側諸国も中国も重要な岐路に直面しているということだ。どちらの方向に進むかについて、誰もが注意深く考えなくてはならないのである。

そしてアメリカが中国の台頭についてどのような選択肢を有し、どのように対応するべきかを明確 にすることは、日本にとってはとくに重要だと思われる。アメリカの決断は日本の選択にきわめて大きな影響を与えるだろうし、同時に日本の決断がアメリカの選択にきわめて大きな影響を与えるからだ。じつに中国の台頭に対する日本の対応は、アメリカの中国への対応を完全に把握していないと理解できないし、アメリカの対応は日本の対応の完全な把握なしには理解できないのである。

これは日米関係の根本が、つねに米中関係によって決まってきたからだ。一八九八年にアメリカがフィリピンを領有してからというもの、日本の国際的な立場にとって、そしてより広いアジアの戦略状況にとって、鍵となってきたのは常に日米中の三国関係だった。今日においても、これは真である。したがって日本のアメリカ、中国そしてほかのアジア諸国との関係は、将来の米中関係から深甚な影響を受けるであろう。だがそれと同じくらい、日本の政策と行動は米中関係の今後の展開に影響を及ぼすものと思われる。日米中の三角形は良くも悪くもアジアの、そして日本の未来を決定していくのだ。

本書で私が展開する米中関係の未来と、それに関してアメリカが下さなければならない決断とについての分析において日本が大きな役割を演じるのも、このためである。日本の位置づけについては第5章で全面的に検討しているが、ほかにも多くの箇所で取り上げている。私の考えを煎じ詰めれば、中国の台頭とともに、「吉田ドクトリン」と「福田ドクトリン」に体現される、日本が第二次大戦後に築き上げた外交姿勢を維持できるかは、大いに疑問だというものだ。今日まで大いに成功をおさめてきたこの外交姿勢を、将来いつまでも続けたいと、大多数の日本人が考えていることだろう。だが日本の平和主義、経済重視の姿勢が成功し続けることを可能とした環境が、いまでは変化しつつある。このため従来の外交政策は、日本の必要を満たさなくなるであろう。日本としては嫌々ながらその外交政策を改める以外に、ほとんど選択肢を持たないのである。

その理由は簡単だ。日本としては中国が強くなればなるほど、中国をアジアの指導的大国として受け入れ、自らの国益を中国のそれに従属させることを強いられると恐れるであろう。その恐怖心は、ごく自然なものだ。

現状では、そのような圧カから自らを守ることについては、日本はアメリカに依存している。だが 中国が強くなればなるほど、アメリカにとっては中国から日本を守ることのコストも危険性も、どん どん上昇していく。また、米中関係が良好になればなるほど、アメリカは日本防衛について消極的になっていくであろう。

ということは逆に、中国が強くなればなるほど、日本の安全は米中対立に依存するようになる。米 中対立が激化するほどに、アメリカが日本を支持する確率が高まるからだ。だが同時に、米中対立が激化することは日本にとっては経済的にも安全保障面でも大災厄である。これこそが日本が今日直面するジレンマの本質であり、このまま中国が強大になり続ければ、そのジレンマの悩ましさは増していくばかりなのである。

このジレンマの源は単純明快だ。安全を確保し、その地位と利益を守るためにアメリカに依存する という日本の外交政策は第二次大戦後一貫してうまく機能してきたが、これはアメリカがアジアにおいてほかを圧倒する形で最強の国であり続けてきたからだった。とくに一九七二年のニクソン訪中以後の四〇年間というもの、中国は暗黙のうちに(単に中国の国力がアメリカと対峙するのには不足しているという理由からだけであったにせよ)アメリカの覇権をアジアの国際秩序の基礎として認めていた。

だがいまでは中国はアジアにおけるアメリカの指導権に挑戦するところまで強くなっている。そし て過去数年間というもの、中国はアメリカに対する挑戦姿勢を露骨なものとしてきた。いまや、自ら の指導性を発揮する野心を抱き、その野心に抵抗するようであればアメリカに対してさえもきわめて甚大なコストを負わせるほどに強大な中国に、日本もアメリカも初めて直面しているわけである。

そしてこの新しい状況のもとアメリカが自らのアジアにおける位置を再考しなくてはならないのと 同じように、日本もまた自らの外交政策を、その基礎となっていたアメリカの圧倒的優位が自明のことでなくなった以上、再考しなくてはならなくなったのである。

尖閣諸島に関する日中間の紛争には、こうした変化のすべてが明確に現れている。中国は日本に対 して、尖閣に関する要求を吞むよう強く主張しているが、その主張のしかたたるや、ほんの数年前には考えられなかったようなものである。これは中国の強大化と、その野心の増大の双方からくる変化だ。いや、じつは中国は尖閣問題を、自らが強大であり、かつ野心満々であることを示す道具と考えているのかもしれない。

一方、アメリカは中国の行動についてどう対応するか、またどのようにして日本を支持するかにつ いて、きわめて注意深く振る舞う以外の選択肢を持たなくなっている。このため日本としては、中国とののあいだで何らかの武力衝突が起きて紛争が激化する危険性が生じたときに、アメリカが究極的に介入をするつもりでいるかどうかを疑わずにいられない。この場合、中国との紛争に突入するいかなる?リスクも回避したいアメリカを誰も非難はできないが、同様に日本が自らの安全保障のすべての基礎となる同盟の行く末を心配するのも、きわめて自然なことだ。

では日本としては、何ができるのだろうか。

これは部分的には、アメリカが下す決断にかかってくる。本書で私は、アメリカとしては中国の挑 戦に直面して、アジアにおける指導的大国の地位を中国に譲ってアジアから戦略的に撤退するか、アジアにおける指導的大国の地位を守るべく中国に対抗するか、それともアジアにおける強い役割を維持しつつ中国に妥協して、覇権を分かちあうかという三つしか選択肢がないことを繰り返し論じている。

これら三つのうち、アメリカのみならずアジア全体、いや中国にとってさえも、第三の選択肢が圧倒的に優れているように思われる。じつに、今後数十年間のアジアを平和で安定的なままに保つ可能性のある唯一の選択肢であるようにさえ思われる。だが、この第三のシナリオは、日本に深刻な影響を与えずにおかない。というのも、アメリカと中国がアジアにおいて覇権を安定的かつ調和的に分かちあうためには、日本がアメリカに安全保障面で依存しないことが必要条件だからだ。日本の安全保障がアメリカに依存している限り、日本は米中の共同覇権にとって不可欠であるような密接な米中関係を許容できないのである。

したがって、安定した米中関係を構築するためには、日米関係を解体しないとならなくなる。それは日本が独自の強国、いや、大国になるべく自己変革を遂げることを意味する。日本はアメリカ、中国、インドなどといったアジアのほかの諸大国と同じテーブルに着いて、複雑な協調関係に参加しなければならなくなるのだ。

これが日本にとって、その国際的な地位と国内政治の根底からの見直しとならざるをえないことは 論を俟たないであろう。その経済的、心理的コストはあまりに高く、じつに、ほかの選択肢があまりに苛酷で危険でなければ、荒唐無稽として一蹴してしまうところだ。だが、アメリカ、中国、インドとともに「アジアの大国協調体制(コンサート・オブ・アジア)」に参加しないのであれば、日本としては中国が霸権を握ったアジアにおいて従属的な地位に甘んじるか、それともアメリカの中国封じ込め戦略を支持して、いつ終わるとも知れない米中対立の構図—しかもそこには米中戦争のリスクが少なからず潜んでいる—に組み込まれるか以外に、選択肢がないからだ。「コンサート」への参加が困難であるにせよ、それが最良の道であることは確実なのである。

この手の「日本外交の革命」は、日本国内において激しい論争を巻き起こすであろう。いや日本周辺のアジア諸国でも、激しい論争が発生するはずだ。そうした論争は不可避だが、同時にその論争は、本当の問題が何であり、その問題に対処するほかの選択肢がいったい何なのかについての、完全な理解を踏まえたものでなければならない。そして、これらの論争は、日本の国家としての性質とそのアジアにおける地位についての正確な理解を土台として行われなければならない。

経済面で言えば、日本の富と潜在的な国力は巨大なままであり、そのような日本が戦略的な重みを持った大国となることは十分に可能である。そして日本は、ほとんど七〇年間にわたって安定的な地域秩序の柱石として実績を積み重ねてきた。過去における日本の軍国主義は、もはや「普通の大国」としての日本の役割を拘束するべきではないのである。また、「アジアの世紀」が平和で安定したものであるためには、日本が新しい地域秩序を構築するのに自らが積極的であり、また周辺諸国がそのような日本を尊敬することにかかっていると、誰もが理解しなくてはならない。

これらの問題を論じる私がオーストラリア人であることを、日本の読者は奇異に感じるかもしれな い。だが中国の台頭は、日本にとってそうなのと同じくらい、オーストラリアにとっても含意に富ん だ出来事だ。まず、オーストラリアも日本と同様、アジア太平洋におけるアメリカの密接な同盟国である。しかも米豪同盟はオーストラリア国家にとっては単なる安全保障の道具ではなしに、国家のアイ7デンティティの一部となっている。オーストラリア人も日本人と同様アメリカがアジアに踏みとどまって、中国との紛争のリスクを回避しつつ強力で活発な役割を果たすことを望んでいるのだ。

そしてオーストラリアも日本と同じく、アメリカがアジアの大国であり続けることがどのようにして可能なのか、またそれが自国の未来にとってどのような意味を持つのかについての大論争に直面し ている。

オーストラリアにも、本書の議論に賛成しない者が大勢いるだろう。だがオーストラリア人の大多 数が、日本がアジアの主要大国のなかに正しい位置を占めるようにならない限り、アジアの平和と繁栄は蜃気楼でしかないという私の見解に同意すると、私は信じている。

P.264~266 訳者あとがき(徳川家広訳)

本書は現実主義(リアリズム)の立場を徹底させた、きわめて優れた国際政治分析の書だ。現在の アジア太平洋の覇権国アメリカとの比較で中華人民共和国が強くなりすぎた以上、両国は対立ではなく協調の道を歩むべきだというのが、その基本的主張である。そして現在はアメリカと組んで中国と対峙する道を選んでいる日本も、そのような変化に合わせて行動を変えないといけなくなる。国際政治分析などというと何やら遠い世界の話に思えるかもしれないが、本書は日本人の一人ひとりにとって切実な問題を扱ってもいるのだ。

理論的な思考のできる者は浮世離れした研究に専念し、現実を語る者は理論的な分析枠組みを持たないという日本の政治学の世界の現状からすると、本書は突出した出来栄えだと言えよう。しかもきわめて読みやすく、論旨は明快である。だが本書の議論はていねいに、かつ強靭に組み立てられている。著者のホワイト教授が名門•オーストラリア国立大学の戦略研究所の所長という、「国」の要職に就いていたという事情も、そこには作用しているのだろう。

自分の分析結果が、直接に政策に反映されうる立場なので、慎重にならざるをえないのである。だが、アジア太平洋の「中級国家」オーストラリアとしては、日米中の関係は自国の生存に関わる一大事だから、必要に応じて大胆に想像力を飛躍させることも避けられない。その結果として、さして大部でもない本書は、強烈な説得力を発揮する。著者が執筆に先だって膨大な時間を議論と思索に費やしてきたことは疑いようがない。

ところで、現実主義の国際政治分析とは、いったいどのようなものであろう? それは、ある国の行動について考える場合、その国の人々の価値観(民主主義、イスラム教など) は重視せず、またその国の指導者を善悪にもとづいて評価する(日本人が北朝鮮の歴代指導者に対して行ってきたように)こともせず、どの国も生存と威信を求めて合理的に行動するという前提を立てることである。どの国も自力で自衛することを強いられるのだ。その前提から導き出されるのは、国と国のあいだの国力差が決定的に重要な変数だということである。力関係、英語でいえば、「バランス・オブ・パワー」である。

ただし、現実主義は悲観論ではない。バランス•オプ•パワーを理解すれば、平和が構築できると 信じるのだ。ただし、国と国のあいだの力関係について現実的になることは、普通の人々の良識に著しく違背することもある。本書に登場する、アメリカが中国のような人権侵害の共産国と対等の関係を結ぶことは、アメリカ人の多くにとって納得しにくいという著者の危惧は、その好例であろう。この点について議論するのを忘れないのは、経験豊かな現実主義者ならでは、と言えよう。そのようなホワイト教授の分析の「冴え」を味わっていただければ訳者として嬉しい限りである。        

なお、1つだけ異論というか、気になった点がある。それは、ホワイト教授がアジアの未来に「コンサート」が成立することに期待しているという事実だ。というのも、本書の記述にある通り、コンサートすなわち大国協調の原型であるコンサート•オブ•ヨーロッパは、ナポレオン戦争後に成立したヨーロツバの国際秩序である。このときは、ヨーロツバの主要国は全員、一致団結してナボレオン を倒したという現実の「連帯の契機」を有していた。国連の安保理常任理事国が、かつて一致団結してヒトラーを倒したのと、同じことである。

そのような経験は、日米中の三国の場合には存在しない。ましてインドにおいておや、である。そ う思うと、やはりアジア太平洋の未来は、相当に険しいものなのかもしれない。私としては、ホワイ ト教授の読みが当たり、彼の壮大な構想が実現されることを祈るばかりである。

本書の訳には時間がかかった。議論は明快で英語も一見すると難しくないのだが、中国をにらむアメリ力とアメリカをにらむ中国とが主客転倒を操り返す、「複数の主体」が作用しあう物語は、なかなか日本語にはなりにくいというのが私の弁明だ。本書を見つけ出して、忍耐強く訳稿の完成を待ってくれた勁草書房の上原正信氏には、「日本政治の大転換」のときと同じく、篤く感謝の念を述べた いと思う。どうもありがとうございました。