8/3希望之声<诬陷川普的「通俄门」背后:布鲁金斯的分析员丹晨科=トランプを陥れようとした「ロシアゲート」の背後には:ブルッキングズ研のアナリスト、Danchenkoがいた>最近機密解除されたFBIレポートによると、トランプを陥れるための「ロシアゲート」の調査文書-元英国諜報員クリストファー・スティールの文書は、ワシントンのシンクタンク・ブルッキングズ研究所のアナリストから提供された情報に基づき、編集された。このアナリストは、提供したニュースは聞いた話に基づいただけだと言った。
機密解除されたFBIレポートを調査したFox Newsのコメンテーター、Gregg Jarrettによれば、ブルッキングス研究所のアナリストはIgor Danchenkoである。彼はワシントンDCで有名な左翼シンクタンクであるブルッキングズ研究所の上級研究アナリストで、ウクライナで生まれた。
スティールの関係書類が2016年に公開されたとき、ブルッキングズの社長はヒラリークリントンの長年の友人であり、盟友であったストローブ・タルボットであった。タルボットはスティールへの情報提供に関与していなかった。数日前に機密解除されたのは、トランプの就任の際にDanchenkoにインタビューした連邦捜査局(FBI)の記録である。
この56ページの面談記録は、「トランプとロシアの共謀」が虚偽で、でっち上げであることを示している。しかし、FBIはこれらの虚偽情報に基づいて、トランプ調査の根拠をでっち上げた。
2016年3月、スティールはDanchenkoを雇い、トランプの悪い材料を探させるために金を支払った。当時、このブルッキングズのアナリストはお金が非常に不足していて、スティールが毎月与えるお金に見合う価値を出すには、スティールに何かを伝えるべきと感じたとFBIに話した。そこで彼は、ネットワークソフトを介して、ロシアの友人との会話中に聞いたことをスティールに話した。彼の友人の何人かはバーの常連で、豪快に飲むのが好きである。
これらの人々は、バーでのいくつかの噂をDanchenkoに話した。これらの噂は、4、5人に伝えられた。それらは信頼できる情報ではない。「それらはすべて“推測と公開された秘密”に由来するゴミである」。たとえば、Danchenkoは彼とモスクワのRitz Carltonホテルの人と、ホテルでのトランプの事件について話したことがあるが、ホテルの人はそれが非常にばかげているとわかった。しかし、スティールは気にせず、彼の話を採用した。司法省監察長の話では、Danchenkoは、スティールに「不正確または誇張した」情報を伝えた。
スティールは、Danchenkoから提供された噂を使い、有名な “Steel dossier”をでっち上げ、低劣なスパイ小説のような内容のものをFBIに売るために尽力した。スティールは、かつて司法省の役人であるブルース・オーアに、トランプの選出を何としてでも阻止したいと訴えていた。
8/2(日)の午後、フーバー研究所のメディア研究者であるポール・スペリーは、「米国上院の調査官が国務省に2016年から2017年までの期間のブルッキングス研究所のタルボット社長、WH国家安全委員会の元委員のフィノア・ヒル、”Steel dossier”に関する他のブルッキングスの研究者による発言を提供するよう求めた」という情報をTwitterで明らかにした。誰もこれを確認はしていないが、「ロシアゲート」事件の起源の調査は進行中のようである。
さらに、ブルッキングス研究所は中共といくつかのつながりがある。RFIの2018年10月の報道では、ブルッキングズ研究所は2016年7月から2018年6月の間に華為の米国子会社であるFutureWei Technologyから少なくとも30万ドルの寄付を受け取った。研究所は、華為がその年にだけ寄付を行ったと認めたが、他のシンクタンクの学者は、ブルッキングズは2012年と2013年に34.9万ドル華為からの寄付を受け入れたと指摘した。
悪の中共と民主党(含むシンクタンク、デイープステイト)の繋がりが徐々に明らかになります。8/5にはイエーツ司法副長官の議会公聴会があります。ここでオバマとバイデンの違法行為、副大統領候補のスーザンライスの悪が明らかになってほしい。イエーツは下院情報委員会で、「オバマ本人が、フリンはロシア大使と電話で話していると自分に教えてくれた」と話した。この電話により、司法省は1799年のローガン法に基づいてフリンを調査したと5/11の本ブログにあります。
http://dwellerinkashiwa.net/?p=16219
スーザンライスとオバマの関係は5/23、18、16の本ブログにあります。
http://dwellerinkashiwa.net/?p=16346
http://dwellerinkashiwa.net/?p=16300
http://dwellerinkashiwa.net/?p=16280
Christopher Steele
https://www.soundofhope.org/post/407524
8/3希望之声<加拿大人也想关闭中共领馆 多族裔高喊『中共滚出加拿大』=カナダ人も、中共領事館を閉鎖したいと思っている 「中共はカナダから出て行け」と叫んでいる多民族の人々>8/1午後1時、カナダ7つの民族からなるグループがトロントの市の中心で集会とデモを共同で組織し、中共が人権、民主主義、自由を破壊し、世界を危険にさらしたことで非難し、カナダ政府に中共に厳しく対応し、中共領事館を閉鎖するよう要請した。中共とすべての関係を断ち切り、中共をカナダから追い出そうと。
これらの7つのグループは、香港カナダ連盟、ベトナム・トロント、バングラデシュ少数民族の権利連盟、トロントチベット青年協会、トロント中国民主協会、カナダヒンドゥーアドボカシー、ニュー香港クラブ(トロント)である。
日本の「在日は出ていけ」はヘイトになり、カナダの「中共は出ていけ」はヘイトにならない。当たり前の話。日本の基準がおかしいのでは。日本の政治家が在日から何らかの便宜供与を受けているとしか思えない。
https://www.soundofhope.org/post/407464
8/3希望之声<江峰: 武汉收缴护照全面边控 中共恐惧出下一个闫丽梦?=江峰:武漢はパスポートを取り上げ、完全な国境管理をとる 中共は次の閻麗夢を恐れているのでは?>大陸のSohu.comによると、武漢公安局出入国管理局のウェブサイトは7/27に「管理強化のため、中国国民の私事での海外出国の関係証明文書の廃止の通知」を発表した。武漢では、国家機関、国営企業、公的機関、軍部隊等職場で持っている私的出国証明文書は集中して保管されるべきであり、報告や申請がなくとも、取消される。通知は2020年8月1日から実施される。
この前に、中共の「公務員の政府処分法」が7/1に発効した。この法律に規定する6種の公務員は、違法に出国し、外国籍またはグリーンカードを取得した者は、解雇等程度に合わせたペナルティの対象となる。
過去数年間、特に2015年以降、同様の規制が中国各地で出されており、このような規制は尽きることがない。それでは、今回武漢でパスポートを押収したのとの違いは何か?特別な意味は何か? 中共はなぜ武漢人全体に国境管理を実施するのだろうか?現在有名な政治アナリストであり、オンラインメディアプラットフォーム「City of Hope」のホストである江峰は、彼の分析を発表した。
これは第2の閻麗夢を出さないだけでなく、8/1からこの通知に基づき、イミグレで直接パスポートの効力を取消できると。犯罪者が偽のパスポートでの出国はできにくくなります。(それでも上に政策あればの国ですから、何とかするのかもしれませんが)。武漢だけでなく全国規模に至れば中国人は益々中共の奴隷となり、移動の自由すらなくなります。
https://www.soundofhope.org/post/407482
8/3阿波羅新聞網<疫情死灰复燃?武汉突爆3确诊病例=疫病流行の復活? 武漢で突然3症例が確認される>8/1、中共肺炎の発祥の地である武漢は、3人の確定症例が突然出た。3人の感染者は、モスクワのチャーター便から帰国した中国人であり、そのうちの1人は肺の局部に病変があったと述べた。 関係者によると、帰国したすべての人は隔離され、武漢では活動の記録はあないが、ネチズンが投稿したビデオでは、武漢のコミュニティが住民に対して核酸検査を実施し始めたことが示された。
https://twitter.com/i/status/1289727711011692544
https://twitter.com/i/status/1289560076835987456
ロシアからの帰国者と言っていますが怪しいのでは。武漢は洪水に見舞われ、衛生状態が悪くなっていますので。3人と言うのも怪しいでしょう。
https://www.aboluowang.com/2020/0803/1484533.html
吉村氏の記事で思い出すのは、同じ客家出身のリー・クワンユー権威主義政権(民主主義の衣を被った独裁政権)との比較でしょう。片や李登輝は台湾の民主化に成功し、シンガポールのリー・クワンユーは権力を独占、一族支配が続いています。これこそ西側は問題にすべきでは。李登輝の人気が高まるにつれリー・クワンユーは嫉妬したと聞きました。シンガポールの華人は大東亜戦争の副次目的であった東亜の解放を理解せず、白人の使い走りをしていた連中ですから。
本来安倍首相が葬儀に参列すべきと思いますが、(勿論森元首相がダメという意味ではありません)尖閣に侵略し続ける中共に気兼ねして止めたとしたら、相当なヘタレです。もう米中戦争は始まっているのだから、いい加減旗幟鮮明にしないと。安倍は「希望の同盟」を米議会演説までしたのに、先日のCSIS報告にありますように米国から裏切り者の目で見られるようになっています。鈍感なのか、単なるバカなのか。李登輝総統とは雲泥の差。
日本は台湾から「日本精神」を教わったほうが良い。ITではオードリー・タン(唐鳳)もいますし。無能な政治家と役人の烏合の衆では改革はできません。
記事
台北市郊外の自邸でインタビューに応じる李登輝氏=2018年7月8日(吉村剛史撮影)
(ジャーナリスト:吉村 剛史)
「私は死に物狂いだったよ。お前、死に物狂いになったことがあるか」——
台湾の民主化、本土化(中国色の払拭)を推し進めた巨人はそれまで浮かべていた温和な笑みを消し、一瞬困惑したような表情を浮かべたのち、強い語調でこう切り返した。
7月30日、多臓器不全のため台北市内で、97歳で死去した李登輝元総統に、筆者が最後にインタビューしたのは今から2年前の2018年7月8日。場所は台北市郊外の李氏邸宅で、「台湾は、台湾のままで22世紀を無事に迎えることができるでしょうか」との問いかけに対して見せた反応だった。
1923年、日本統治時代の台湾に生まれ、母語同然に日本語を話す李氏は、日本語によるインタビューにも丁寧な言葉遣いで応じるのが通常だが、ときに核心をつかれ、思わず本音が漏れる際は、「オレ」「お前」と、まるで旧制高校生に戻ったかのような口調になる。そのことを知っていたため、この時も筆者は耳を澄ませた。
「日本はいつまでもアメリカに頼ってばかりいてはダメだ。憲法を修正(改正)して対等な協力関係を結び、自立しなければならない」
「正しいと思う道なら、お前、死に物狂いでやってみろよ」
当時95歳の李氏は、沖縄訪問から帰台したばかり。台北市内でも台北市日本工商会所属の在留邦人を対象に講演した直後だったが、その疲れも感じさせず、言葉は激烈で、話題は「日本人への遺言」というべきものだった。
中国の覇権主義を警戒
その際李氏は、日本と台湾のこれからとるべき進路について、安倍首相とも面談を重ね、時には同宿して語り合い、日本の戦後体制の脱却、自立の重要性を説いたことなども明かした。言葉遣いが乱れたのはその話題における一瞬だった。
「日本や台湾を取り巻く国際社会をみてみると、大きな変化が次々と起こり、先行き不透明な激変の時代を迎えているといえる。その中でも特にアジアを不安定にさせている最大の要因は、中国の覇権主義にあるといってよいと思う。しかしアジアがむしろそのような状況にあるからこそ、日本と台湾は関係をより緊密化しなければ」
再び丁寧な口調に戻った李氏は、直前の沖縄講演や、台北市日本工商会講演などを下敷きに、中国への強い警戒感をにじませ、日台関係の進展を望む持論を展開した。
はだしで自ら応接間を掃除
筆者が李氏と初めて言葉を交わしたのは1999年9月の台中大地震の被災地取材でのこと。台中市郊外に位置する石岡ダムに決壊の恐れがあるというので、チャーター車を駆使し、寸断した道路を這うようにして現地にたどりつくと、視察のため当時現職の総統だった李氏がヘリコプターでダム現場に降り立ち、その際、筆者が所属していた「産経新聞」の腕章を見つけ、「おお、こんなところまで来ているの。危ない場所だから気をつけて」と気さくに声をかけてくれたのだ。ここぞとばかりに今後の対応策などを質問したが、その後、李氏に同行している現地メディア各社から「総統は今、日本語で何を話したのか」と逆に囲み取材を受ける羽目になって閉口した。
総統退任後の2001年、李氏の心臓カテーテル手術のための訪日をめぐっては、中国の圧力の前で日本政府の判断も揺れ動いたが、当時の羅福全・台北駐日経済文化代表処代表(駐日大使に相当)とたまたま大阪市内のホテルで懇談中、李氏からの電話が羅代表の携帯電話に入り、日本政府がビザ発給を決めたことを目の前で傍聴。「李登輝氏一両日中に訪日ビザ申請」というスクープ記事を発表し、李氏の大阪、倉敷滞在に同行したこともある。
そのような縁から2002年には当時、台北郊外の桃園・大渓にあった李氏自邸を訪問し、初めて単独インタビューを行った。李氏の刎頸の友ともいうべき医師で団体役員の何既明氏がエスコートしてくれたが、緊張しつつ玄関に入ると、筆者を出迎えるため、はだしで応接室に掃除機をかけている李氏の姿が目に飛び込んできた。総統が絶大な権力を持っていた蒋介石、蒋経国の時代との差異を思い、退任後とはいえ、その姿こそが台湾の民主化を象徴していると感じた。
台北市郊外の自邸で筆者(右端)のインタビューに応じる李登輝氏=2018年7月8日(日本李登輝友の会岡山県支部提供)
以後、台湾大学社費留学や、台北支局長在任中を含めて交流が続き、邦人留学生を束ねて李氏との交流会を設定したことや、李氏の台北市内の自邸内で行われた李氏が信仰するキリスト教長老派の礼拝に招かれたこと、また支局長時代には筆者行きつけの台北市内の和食店で李氏と酒を酌み交わしたこともある。
「哲人」とも評される李氏だが、戦後、蒋介石らとともに台湾に流入した外省人(中国大陸籍)らから軽視される本省人(台湾籍)の身でありながら総統の座に昇りつめただけに、政治上のライバル、林洋港氏(1927~2013)との確執や、中国国民党が初めて民主進歩党に敗れて下野した2000年の総統選での、自身が所属する国民党陣営での戦いぶりなどには、過酷な台湾の政治環境を生き抜いたしたたかさ、それを支えた激烈な気性も垣間見られた。一方で台湾においては、李氏の政治姿勢の変遷に不信感を持つ層も確かに存在する。
しかし、そこに陰湿な印象が生じなかったのは、『街道をゆく 台湾紀行』で作家、司馬遼太郎が触れたように、李氏の精神の核には旧制高校生のような純粋さがあり、それが言動の下敷きとなっていたためだと実感している。
「暴れん坊将軍」を愛した晩年
冒頭で触れたように、李氏の秘めたる強い気性は2018年7月の、筆者にとっての最後のインタビューでも発揮された。一期目の蔡英文総統にも矛先は向けられ、「今の政府じゃだめだ」「総統が何をしているのかわからない」と、その政権運営方手法を徹底的に批判。確かに同年11月の統一地方選では、与党・民進党は野党・国民党に大敗を喫する羽目になったので、李氏の強い蔡政権批判の言葉は、民進党を心配するあまり、憤慨しての発言だったのだろう。
もちろん、李氏らしい一面として、同時期ちょうど西日本を襲った豪雨についても、自身の2001年の岡山県倉敷市訪問と、倉敷中央病院で受けた心臓カテーテル手術の思い出を語り、「大きな被害が出ているところがあると聞いています」と災害の規模の大きさへの心配に言及。あわせて、自身の大学進学の際、最終的に京都帝国大学(現京大)農学部で農業経済を学んだものの、当初は岡山医科大(現岡山大)で医学の道を志すつもりだったことなども紹介しながら、「これ以上、被害が拡大しないことを願うと同時に、少しでも早く平穏な生活に戻られることを願っております」と被災地への気遣いを忘れなかった。
また李氏は、この時期、台湾のケーブルテレビで中国語の字幕付きで連日放映されていた日本の時代劇「暴れん坊将軍」を「毎日見ているんだ」と、熱心な視聴者であることにも話題を広げ、そこから常に庶民の存在を気にかけるという、理想のリーダー像を考察している姿勢についてもユーモラスに示してくれた。
台北市郊外の自邸でインタビューに応じる李登輝氏=2018年7月8日(吉村剛史撮影)
戦後の日本と台湾の関係緊密化に李氏が果たした役割の大きさは今さら紹介するまでもないが、李氏によって民主化、本土化の進んだ台湾は、今回の新型コロナウイルス感染症の水際防疫に象徴されるように、特定の面では日本をはるかに凌駕する実力をつけている。日本は台湾との良好な関係がありながら、その力を見落とし、参考にもできず、初期対応に出遅れた面は否めない。
公衆衛生をはじめ、あらゆる面で日本の先進性を信じて目標としてきた台湾社会には、これまで憧れが強かった分、今回の日台コロナ対策の差を見て、日本に対する失望感も広がり始めている。現実に台湾では、ITや英語教育に力を入れる一方で、日本語学習者の減少も目立つようになってきており、「激変の時代」に李氏が呼びかけた「日本と台湾は関係をより緊密化させなければ」という日本人へのメッセージが持つ意味は極めて重いといえそうだ。
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