11/25中国観察<十九大後新習八條曝光 江澤民專機竟然淪落中亞小國=19回大会後習は新しく8項目を打ち出したことを明らかにした 江沢民の専用機はなんと中央アジアの小国(カザフスタン)へ転売、落ちぶれたこと>新八項目中、反腐敗のため、出張も制限するし、付き添いも制限するとのこと。また、江沢民が総書記時代、米国からボーイング機を買って専用機としたが、機内に盗聴器が組み込まれていたのが分かった。米国が仕組んだのか、他派が仕組んだのか分からず、沙汰止みとなった。
11/25facebookの朱雪琴氏の記事<強拆民宅,在沒有妥協的情況下進行,把戶主一切財產都摧毀在瓦礫中。看到這一切,想想這個政權有多邪惡可想而知。
強制的な家の取り壊しは妥協なしで進み、家長のすべての財産を破壊し瓦礫の中となった。これを見れば、この政権が非常に邪悪なことが分かるでしょう>
https://www.facebook.com/100013649473166/videos/359258687872444/
11/26中国観察<川普訪華之後變臉:有聲有色!(圖)(圖)=トランプは中国訪問が終わってから顔が変わって生き生きした>米国の中国政策は強硬で「ワシントンコンセンサス」なるものは存在しない。ライトハイザーは対中強硬論のままである。バノンは東京で講演し、「中国は重商主義且つ中央集権体制を取り、西側がこの数十年犯してきた過ちは、中国が豊かになればなるほど開放や民主化が進むと思いこんだこと」と。
山田氏の記事を読みますと、共産主義というのは如何に収奪・搾取が酷いのかが分かります。世界第二位の経済大国が、です。一位の米国の貧富の差と比べても酷いのでは。結果の平等を追い求める筈の共産主義が理想とは全く逆を行っています。三権分立がなく、為政者の思うが儘になるためです。国家は何のためにあるかと言えば、先ずは国民の生命・財産の保全、次には国民の福利向上です。中国の悪い所は稼いだ富を国民に分配するのでなく、軍事費や賄賂に使う所です。
小生も深圳駐在時代(98~99年末まで)、洗瓶工場の見学に行きましたが、待遇の酷さに驚きました。人権無視なんていうものではありません。台湾人の経営とか言っていましたが、こう言うことができるのは今思うと外省人でしょう。住まいはコンクリ-トでできた建物の大部屋に3段ハンモックを吊るし、ぎゅうぎゅう詰めにし、それでも足りなければ廊下に莚を敷いて寝かせていたりしていました。また壜を洗う行程では苛性ソーダを使うのですが、ゴム手袋も与えず素手で洗わせるため、手がおかしくなりすぐに辞めて行くとのことでした。而も1本0.01元(今ですと日本円で1.7円の価値)しか稼げません。出来高払いです。今はさすがにそう言うことはないと思いますし、機械化されているのではと思います。
農民工は中国経済発展の礎です。都市戸籍を持った人たちは誰も3K仕事はやりたがりません。都会の一人っ子の学生は仕事がなくても、3K仕事は絶対しません。中国の戸籍制度は档案同様、矛盾だらけです。都市戸籍を持った人間が農村戸籍(農民工と言われる出稼ぎ労働者)を搾取しています。農村戸籍保持者が都会に出てきて稼いでも、医療や労災、教育の場面で差別を受けます。毛沢東は「農村から都市を包囲する」と言ったり、都市に多い知識階級を「臭老九=九番目の鼻つまみ者」と言って階級の敵扱いし、文革時代には多くの知識人が粛清されたりしました。今やその地位が逆転し、テクノクラートの時代になっています。而も中国人は自己中ですから貧しい人のことを全然考えず、役人のGDP数字の改竄に見られますように早く出世して、権銭(quan2qian2)交易で賄賂の額を大きくすることだけ考えています。
その構造上問題が大きい共産主義はこの世界から無くすべきです。
記事
2018年1月より公開される映画『苦い銭』より ©2016 Gladys Glover-House on Fire-Chinese Shadows-WIL Productions
中国の大都市で建築現場の肉体労働者や飲食店のウエーター、ウエートレスとして働く出稼ぎ労働者「農民工」たちが見てきた原風景を求めて、上海から安徽省の農村に通ったことがある。いま思い返してみると、最も通い詰めたのは2006~2010年にかけての時期。2008年の北京五輪をまたいで2010年に上海万博が閉幕したぐらいの時代だ。
この当時、中国では既に中国版新幹線こと高速鉄道の整備は既にかなりの程度進んでいたが、私が訪ねた農民工らの自宅がある安徽省の黄山のふもとや揚子江(長江)流域のあたりにはまだ届いていなかった。だから私はいつも、上海発着の長距離バスを利用していた。
中国は長距離バスの路線網が発達していて、新宿の「バスタ」のような規模の長距離バスターミナルが、例えば上海だけでも5~6カ所ある。バスターミナルからは5分程度の間隔でひっきりなしにバスが発車するのだが、その行き先がまたとてつもなく多い。見たことも聞いたこともない地名のプレートを付けて出発するバスの群れを見送りながら毎回のように「中国で十数年暮らしているというのに、ほとんどの土地を訪れることなくオレは死んでいくんだな」という敗北感のようなものを感じる。
蘇州、杭州、南京といった大都市ではなく、農民工らの故郷のような小さな町に向かうバスを利用し始めてすぐに、奇妙なことに気付いた。毎回、始発のバスターミナルから乗り込む人数が極端に少ないのだ。私1人だけ乗せて出発したことも1度や2度ではない。
最初のころは、「地元の人間しか知らないような田舎の町に向かうバスの利用者などやはり少ないのだな」「いくらなんでも客が1人しかいないなんて、遠からず廃線になってしまうだろう」「それにしても、へんぴな農村に行くというのに他に誰もいないなんて、心細いことだ」など様々なことを思いながら出発するのだが、5分もしないうちにこれらの疑問や不安は解消する。
発車したバスはほぼ例外なく、ターミナルの建物がまだ見えるあたりで赤信号でもないのに道ばたに寄せ停車する。怪訝に思って車窓に目をやると、そこにはカバン代わりにした米や肥料の袋、業務用のペンキが入っていた大きなバケツ、掛け布団、扇風機等、手に手に大荷物を抱えたあまり垢抜けていない服装をした老若男女が待ち受けていて、我先にと私が乗っているバスになだれ込み、ガラガラだったはずのバスはたちまち阿鼻叫喚の修羅場と化すのであった。
34円の重さ
切符を持っている者は皆無で、皆バスの中で乗務員にカネを払っている。聞けば、こうした農村に向かう長距離バスはほとんどが運転手と乗組員らのグループによる個人経営で、ターミナルから客を乗せると売上に応じた手数料をターミナルに払わなければならない。それがターミナル外で乗せれば手数料が不要になるので、運転手はその分、正規料金から割り引いて売るのだ。
少しでも安く買いたいという客側の心理は理解できる。しかし、正規料金で買えば座席は確保されるが、割引で乗った場合にはその限りではない。そして、ターミナル外から乗った場合にいったいいくら安くなるのかと言えば、最大でも5元(85円)、少なければ2元(34円)程度なのだ。
一方で、目的地に着くまでの所要時間は6~10時間。固定された座席に座っていてさえかなりの疲労を覚える移動時間だが、席にあぶれた20~25人程度は、運転手が補助席代わりに用意したプラスチック製の風呂椅子に座り苦行に耐えなければならない。わずか数十円を浮かすために冒すにはあまりに大きいリスクに思える。
しかしその後も、ターミナルから乗るのは私を入れて多いときでも5人程度で、ほとんどの客はやはりわずかな割引を求めて非正規の場所から乗り込んできた。風呂椅子の上で膝を抱えている彼ら、農村からの出稼ぎ労働者「農民工」たちの疲れ切った表情を見ながら、私は徐々に彼らにとっての2元や5元の持つ意味を体感し、その背後に広がる彼らの日常取り巻く環境を少しずつだが理解するようになっていった。
真っ黒に煤けた町
中国を代表するドキュメンタリー映画の監督として、特に欧州で高い評価を受けている王兵(ワン・ビン)の2016年の作品『苦い銭』(2018年1月よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次ロードショー)も、農民工を描いた作品である。雲南省、河南省、安徽省の農村を出て彼らが向かう先は、浙江省の湖州という町。住民の8割、数にして30万人が農民工という出稼ぎの町で、個人経営の縫製工場が1万8000軒、中国の子供服生産の7~8割を手がけることから「子供服の町」と呼ばれているというのは、東京駅に近い試写室でもらったパンフレットで初めて知った。
ただ、私は個人的に、極めて強い印象を持っている町でもある。上海から安徽省の農村に長距離バスで通っていた際、必ず経由するのがこの湖州という町だったのだが、車窓から見るこの町の空、住宅、クルマ、工場と目に入るどれもこれもが、沿線のどの町よりも煤けて真っ黒だったのだ。まるでこの町の上空から石炭の粉でも振りかけたかのように。中国でPM2.5による大気汚染が表面化したのは2013年末のことで、私が湖州を通っていたのはその4~5年前のことだったが、大気汚染の警報が最悪レベルを付けた上海のどの日よりも、湖州の町の空は汚れていた。
先の見えない閉塞感
2018年1月より公開される映画『苦い銭』より ©2016 Gladys Glover-House on Fire-Chinese Shadows-WIL Productions
王兵はこの作品で、この町の個人経営の縫製工場で黙々とミシンを踏む農民工たちの日々の姿を、恐らくはあえて退屈なほど淡々とカメラで記録していく。勤務は通常、朝7時から夜0時まで、宿舎は3畳ほどの窓のない相部屋と十分苛酷ではあるが、一方で特別なドラマは何一つ起こらない。しかし、せっかく洗濯したのに干せばかえって汚れてしまいそうな工場宿舎の煤けた物干し場、早朝から夜中まで大音量で歌謡曲が流れ続ける作業場、職場にいようが宿舎に戻ろうが、どこにいても途切れることなく町から聞こえてくるクラクションと人の喧噪、残高が2元と知り電話をかけるのをあきらめふて寝する四十路の男性従業員、仕事は真面目で早くて正確だが、1人騙せば1500元(2万5000円)、2人も騙せばいまの月収以上が稼げるからと、マルチ商法で逮捕された容疑者のニュースを見ながら、あえて手を出そうと悩む、やはり四十路の男性従業員。農民工たちの日常、そして人生に充満する閉塞感が、スクリーンを通して私たちに生々しく迫り、窒息しそうになる。
ひと仕事終えいったん故郷に帰るという農民工の1人が手にしたその月の報酬は1710元(2万9000円)。彼女は社長とやり合った末、2元の上乗せを勝ち取り、「社長の気前の良さは2元ね」と捨て台詞とも勝利宣言ともつかない言葉を社長に向かって投げかける。
2014~16年にかけて撮影されたというこの映画でもなお農民工たちは、10年前に私が長距離バスの中で遭遇した農民工たち同様、2元にこだわらざるを得ない生活を余儀なくされているという現実に、言葉を失う。次の10年まで、彼らがこの閉塞感に絶望せずに生きていくことができるとは到底、私には思えない。そして中国の農民工たちの一見、淡々としているが、しかし確実に切迫の度合いを増している現状を世に知らしめた王兵の仕事の持つ意味は、遠からずより明確になることだろう。
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