11/5渡邉哲也氏BJ<中国、海上浮動式原発を日本近海に建設の可能性…トランプ訪問前に韓国を取り込み米国を牽制>。共産党に統治された中国人の発想は軍事優先(政権は銃口から生まれる)ですから、間違いなく、海上浮動式の原発は兵器として使うつもりでしょう。自国の領海内に敷設するのでしょうけど、国際常識も何もあったものではありません。いざという時には機雷を敷設して、中国沿岸で沈めるしかなくなるのかも。(放射能被害がどうなるのか技術的予見は持ち合わせていません)。
http://biz-journal.jp/2017/11/post_21210.html
11/5産経ニュース<北の核施設破壊には地上部隊派遣が「唯一の手段」 米統合参謀本部>
http://www.sankei.com/world/news/171105/wor1711050043-n1.html
11/7宮崎正弘氏メルマガ<ペンタゴンの上院への報告には「地上軍投入の選択もあり」とした 民主党ならびに共和党内左翼はトランプの北攻撃に足枷を嵌めようとしている>
http://melma.com/backnumber_45206_6606156/
産経ニュースは淡々と事実を述べただけですが、宮崎氏の予想は、北への地上軍派遣は中国にやらせるのではと。ロシアも分け前を狙っているとのことです。日本の左翼はこういう国際社会の動きに鈍感と言うか、わざと日本を蚊帳の外において弱体化を図り、中共の属国にしようと狙っているのでしょう。
11/5中国観察<中國需儘速處理金正恩 日本動手後果嚴重(圖) 看中国=中国はできるだけ早く金正恩を処理する必要がある 日本が動いた結果は厳しいものに>
この中でトランプは「中国に対し北への取り組みはやってはいるが、効果が見えないので、もし北に何も行動を起こさないなら、日本にやらせる」と警告したとあります。
また、「日本《共同社》報導指出,川普從今天起開始訪問日本,有關朝鮮的核武威脅,川普極有可能會要求日本採取更強有力的措施應對。日本軍方表示,如果提前判定朝鮮所發核彈不會落入日本本土,軍方就不會依《自衛隊法》對其進行攔截並予以擊落摧毀。=日本の共同通信社の報道に依ればトランプは今日から日本を訪問、北の核兵器の脅威に対して、トランプは日本にもっと強力な措置を採らせることを求めるだろう。日本の防衛省は、もし北の核ミサイルが日本に落ちるかどうか事前に分からなければ、自衛隊法に依らず、撃ち落とす」と述べたとのこと。当然のことです。法律を守って多くの日本人が命を失うより、妥当な措置でしょう。超法規的措置です。本当に共同通信が報道したかどうかですが。
11/6日経・FT<「習1強」中国への対抗策は 西側は政治と経済の再生を
「おまえたちがどう思おうと歴史は我々の味方だ。葬ってやる」。1956年、当時のソ連の最高指導者だったフルシチョフ共産党第1書記はこう未来を予言した。
中国共産党の習近平(シー・ジンピン)総書記(国家主席)ははるかに慎重だが、主張は大胆そのものだ。先ごろ閉幕した党大会で「中国の特色ある社会主義は新時代に入った」と強調した。
確かにソ連は工業化を進め、第2次世界大戦でナチス・ドイツに勝利した。57年には人工衛星スプートニクを打ち上げたことで、ソ連は米国から技術開発上の競争相手と見られるようになった。だがフルシチョフ発言から35年後、ソ連は崩壊する。一方、中国は貧困国から中所得国へのし上がった。
習氏は「中華民族の偉大な復興」を掲げているが、西側諸国にも復興が必要だ=共同
中国で共産主義がうまくいっているのは、レーニン主義の政治体制を維持しつつ、経済の改革開放を主導した鄧小平氏の存在が大きい。ソ連は中国とは同じ道をたどらなかった。今のロシア政府は、初の社会主義国家誕生につながった100年前の十月革命をどう記念していいかわからずにいる。
中国は習氏の下で一段と独裁的で反自由主義色を強めている。皇帝が統治し、官僚を能力に応じて任用した古来の制度をうわべだけ近代化したのが現在の共産党だ。今は党が皇帝なので、党を支配する者が全てを支配する。
■イデオロギー上の手ごわい対抗相手
レーニン主義の政治体制と市場経済の組み合わせが機能し続けるか否かはわからない。このやり方は中国の伝統と合致するし、官僚は並外れて有能なため、今後も機能すると見ることは可能だ。逆に続かないとも考えられる。党は常に超法規的存在だ。法が働かなければ汚職はなくならない。経済が拡大し教育水準が上がれば、政治に対する発言権を求める声も抑えきれなくなるだろう。1人の人間が党を支配し、1党が国を治める状態は永続するはずがない。
もっとも、足元では1人の人間が集権的に支配する中国が経済的な超大国になりつつあるのは明白だ。各国は台頭するこの国と平和裏に協力し合うほかはない。共に地球を大切にし、平和を守り、社会を発展させ、経済を安定させなければならない。同時に我々は法の支配や個人の自由、全ての人が政治に参加する権利などの揺るぎない価値を掲げる自由民主主義を信奉しながら、中国がイデオロギー上の手ごわい対抗相手であり、中国自身もそう認識していることを肝に銘じなければならない。
西側諸国にとり、課題は2つある。まず、習氏率いる中国と極端に敵対することなく、技術的にも経済的にも優位を保つことだ。
さらに重要なのは、各国はここ数年、経済と政治が適切に機能してこなかった事実を認め、そこから学ばなくてはならない。金融の暴走を止められず、金融危機を招いた。将来世代のための投資も不十分だ。とりわけ米国は勝者と弱者の経済格差が広がるのを見過ごしてきた。政治はうそや敵意に満ち、混乱している。
習氏は「中華民族の偉大な復興」を掲げている。我々にも復興が必要だ。世界各地で目にするような独裁政治を志向しても何も解決しない。基本的価値観をよみがえらせるのだ。そして、より開かれ活力ある経済を築き、政治を再生し、国家とグローバル社会、一般市民とエリートの間の絶妙なバランスを作り上げる。独裁主義を到達点にしてはならない。
By Martin Wolf
(2017年11月1日付 英フィナンシャル・タイムズ紙 https://www.ft.com/)>(以上)
マーテイン・ウルフ氏が言う「中国の平和的台頭」なんてありません。今中国のしていること、南シナ海、尖閣、スリランカへの悪徳融資、単独宇宙ステーション計画、海上浮動式原発計画等どれを見ても武力で世界制覇を狙っているとしか見えません。「中華民族の偉大な復興」とはそういう意味で使っています。アヘン戦争の弱みがあるのかFTは気付かないふりをしています。
中国に対しては綺麗ごとでは何も動きません。利益を与えるか罰を与えるかです。ここは金融制裁と海上封鎖を自由主義国の連帯で実施しないと、中国は見くびって行動を変えることはしないでしょう。独裁政治は変わらないという事です。
加藤氏の記事は中共の政治の人事予想です。読み物としては面白いですが、どの程度当たるかどうかです。
記事
Photo:新華社/アフロ
“習近平思想”が定着して歴史と化していく
中国共産党の第19回大会が閉幕し、習近平第2次政権がスタートした。前回コラム(習近平演説が示唆する「外国企業・個人も共産党に忠誠を」)では習総書記が大会開幕日に行った報告を振り返りインプリケーションを抽出すべく試みた。その際に次のように記した。
『習総書記が発したフレーズを眺める限り、その指導思想とは「新時代中国特色社会主義思想」であり、かつそれが行動指南として党章に書き加えられる政治的準備はすでに整っている状態だと解読することが可能であろう。』
そして、習近平以外の政治局常務委員(当時)が各地方の代表分科会にて「習近平新時代中国特色社会主義思想」という文言を統一的に使用していた光景から「『新時代』の前に『習近平』の3文字が書き入れられる可能性すら含んでいる」と提起し、「権力がこれまで以上に習近平に集中し、かつそれが“制度化”される趨勢を意味している」と段階的に結論づけた。
その後党章の正式な改正案が公表され、「習近平新時代中国特色社会主義思想」が党の行動指南として党章に書き入れられた。過去の指導思想の名称のなかで最も長い(中国語で毛沢東時代5文字、鄧小平時代5文字、江沢民時代8文字、胡錦濤時代5文字、習近平時代16文字)。この違和感を禁じ得ないほどの長さが、逆にその端的さを如実に主張しているように映る。
要するに“習近平思想”なのだと。
実際に、人々はそのうちこの長々しい指導思想を毎回、ことあるごとに読み上げるのに疲れ、次第に“習近平思想”の5文字が定着し、歴史と化していくに違いない。
「後継者」を明確にしなかった習近平総書記 3期目続投の可能性も
私が想定していた中で最も強いレベル、言い換えれば、権力集中と神格化の程度が最も高い指導思想であった。自らが時の権力者として顕在している状況下で“習近平”の三文字が入った事実を前に、正直私も驚いた。
上記の状況から、今後習近平への権力集中および神格化そのものが制度化され、前回コラムで検証したように、共産党がこれまで以上にすべての分野を“指導”し、トップダウンかつ政治の論理と需要で経済活動が運営され、社会への引き締めが強化されていく趨勢が明らかになったと言えよう。そして、そんな趨勢にさらなる確信を付与するかのように25日、新たな中央政治局常務委員がお披露目となった。
最も目を引いたのはやはり、明確に後継者と想定される人間が常務委員の中に入らなかったことであろう。
2007年に行われた第17回党大会において、他の8人を引き連れて記者の前に姿を現した胡錦濤前総書記は、同僚を紹介する際、「習近平、李克強両氏は比較的若い同志である」と明らかに“次”を見据えたフォーメーションを演出した。習近平は自らが「5年後に胡錦濤の後を継ぐ」という覚悟を持ってそれからの5年を過ごし、実際に総書記に就任した。
だが今回、習近平は当時の自分に相当する人物を常務委員に選ばなかった。
この事実をもって、2022年に開催される第20回党大会で習近平が総書記を続投し、国務院総理も他の6人(李克強、汪洋、王滬寧の3人は67歳、趙楽際は65歳で2022年を迎えるため、年齢的にも常務委員続投は問題ない)から選出されるとは限らないと考えている。
もちろん、今回後継者を入れなかったことで、習近平が第3期目も総書記として続投し、他の6人のうち数名を引き続き常務委員に残す可能性が断然高くなったのは言うまでもない。
習近平が総書記を3期務める 制度的な弊害は見いだせない
ここで指摘しておきたいのが“七上八下”についてである。「67歳は上がり(あるいは残り)、68歳は退く」という共産党内における一種の慣例であるとされるが、私はこれも相対的なものだと考えている。
例えば、そう遠くない過去の第16回党大会(1998年)、江沢民が総書記、朱鎔基が総理として新政権がスタートしたが、当時江は72歳、朱は70歳であった。この例だけをもってしても、69歳で2022年を迎える習近平が“年齢的要因によって”第3期目を続投しないという議論は通用しなくなる。
と同時に、任期に関して、1990年代後半に王岐山・元政治局常務委員の直接の上司だった元政府高官が以前私にこのように語ったことがある。
「中央・地方を問わず、党のトップである書記は3期務めることができるというのが中南海における暗黙の規定である。したがって、習近平が3期総書記を務めることは可能である」
これらを受けて私なりに推察するに、習近平が2022年~2027年という3期目を総書記として全うする“制度的障害”は見いだせない。
残るのは“政治的障害”であるが、これも前述した“習近平思想”やそれにまつわる「権力の神格化+制度化」という状況から判断する限り、見いだすのは困難というべきだろう(もちろん、これからの5年で何が起こるか決して分からないが…)。
2022年を境に発生しうる 政治リスクとは
2022年を境に発生しうる政治リスクに焦点を当ててみたい。後継者不在という“結果”を前に、5年後の人事はいまだ不透明であるが、リスクは現時点においてもある程度明晰に浮かび上がってくるように私には思える。
仮に2022年に習近平が総書記を退任し、政治局委員から“比較的若い同志”を2人引き上げるとしよう。その際、国際社会、とりわけ西側諸国では「習近平は慣例を守った。中国の集団的指導体制は継続されている」といったポジティブな見方が蔓延するかもしれない。
しかしながら、政治局常務委員としての経験のない人物をいきなり総書記や総理に任命し、彼らに国家最高指導者としての大役を課すことは、深刻な統治リスクを内包するものであろう(胡錦濤は総書記就任前に10年間常務委員として経験を積んでいる。江沢民は未経験のままいきなり総書記に飛び込んだが、当時は天安門事件直後という特殊な状況であり直接の参考対象とはならない)。
2007年に中央委員から飛び級で政治局常務委員に上がってきた習近平でさえ、常務委員として5年間鍛錬を積んだ上で総書記になっている。
私がここで言いたいことは、2022年に習近平が総書記を続投するとしたら、権力の長期一極集中という意味でリスクであり(物事を大々的かつ安定的に推し進めていく上でこれを契機だとする見方は中国国内に根強いようであるが、たとえそのような側面が見いだせるとしても、長期的かつ一極に集中した権力は暴走する、あるいはそれ自体が腐敗するという意味で私はリスク>契機だと考える)、一方で2022年にいきなり政治局委員から後継者を抜擢するのも当事者たちの経験不足という意味でリスクであるということである。
もっとも、習近平自身が個人的かつ水面下で耳打ちをするという形で、事実上かつ非公開の後継者に5年後、あるいは10年後を見据えていまから準備させる可能性は否定できない。
また、2017年の時点で次の後継者を確定的に選出し、公開しないというスタイルは「中国政治の透明性」という観点からしても、習近平時代の中国はこれまでにも増して“我道”を突き進んでいる感がある。グローバリゼーションや“人類運命共同体”の推進を提唱する習近平の外交関係・政策への“鈍感力”に満ち溢れているように私には映る。
現時点では後継者が決められない!?
もっとも、“第三の道”として、2017~2022年に政治局常務委員を経験した同僚のなかから2022年の総書記を選ぶという選択肢はある。
前述のように年齢的要素だけを見ても該当する候補者は少なくない。また、2022年に習近平は形式上ステップバックし、政治局委員から総書記を抜擢した上で、当時の鄧小平のようにいわゆる“院政”を敷き、新総書記を後ろから操るというシナリオも十分に考えられる。
鄧小平が早くから胡錦濤を未来の総書記に指名して意図的に育てたように、習近平が今の段階から同様のアプローチを取る可能性は十分にある。いや、実際はすでに始まっているのかもしれない。
習近平に近い“比較的若い同志”としては、丁薛祥(1962年生)・国家主席弁公室主任、陳敏爾(1960年生)・重慶市書記、李強(1959年生)・江蘇省書記が今回の党大会を経て政治局委員に昇格した。閉幕後まもなく、丁が中央弁公庁主任、李が上海市書記という要職(それぞれ党大会で常務委員に昇格した栗戦書、韓正の後任)に抜擢されている。
私の根拠なき推測からすれば、習近平は誰を自らの後継者にするのかを現段階で決めているわけではない、いや、いくつかの事情や要因によって決められないといったほうが正しいかもしれない。
ただ、“紅二代”という正統性をもって現在の地位まで登りつめた習近平の心のなかで、「XXの類の人間はダメ。選ぶならYYとZZの類からだ」といった“一種の掟”は存在しているのだろう。
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