9/18日経ビジネスオンライン 石黒千賀子『第2回 中国は2049年の覇権国を目指す 「中国には100年に及ぶ国家戦略がある」。『China 2049』のM・ピルズベリー氏に聞く』について

米中国交正常化は中国側からの働きかけだったという事実は、如何に中国はソ連を脅威に思っていたかという事です。キッシンジャーに金、女、「歴史に名を残す」という名誉とか死に物狂いでいろいろ持ち掛けたのではないかと思います。アメリカもアホというか中国が考えた通り、共産国家の両国同士で戦わせれば、漁夫の利が得られたでしょうに。調べましたら英語で“fish in troubled waters”と言うそうで、英語圏も同じ発想をするという事です。両国が疲弊すれば、第二次大戦で失った中国大陸が共産主義でなくなった可能性もあったのに。中国の外交が一枚上手だったという事でしょう。キッシンジャーはこれで中国人に騙された恥ずべき政治家の烙印を押されることでしょう。

中国人は戦闘では弱いので奸智を働かす詐術が得意です。賢いと言えば賢いです。それと歴史から学ぶ姿勢が全然違います。小・中・高校で、捏造であっても教科書を使って因果関係(勿論捏造が大部分ですが)やどのように対処すれば良かったかを考えさせます。年号の暗記に終わっている日本の歴史教育と違います。やはり、現代史からきちっと教えていかないと。日教組のイデオロギーに染まった教育では困りますが。

韜光養晦(tao1 guang1 yang3 hui3)が何故「有所作為(you3 suo3 zuo4 wei2)」に変わったのか、ここが一番知りたいところです。まだ続きますので、その内明かされると思いますが。小生は前にもブログに書きましたが、習近平が実権(特に軍権)を握るために、威勢の良いことを言う必要があったのではと思っています。でもそれが中華帝国の終わりの始まりという事に気付いていません。米国は戦術レベルで飴を与えれば動かせると思っているかもしれませんが、米国も懐疑派が増えています。それはそうでしょう。米国の国益を毀損することをしていますので。その内、軍部が暴走して習のコントロールが効かなくなり、習の暗殺or暴発する恐れがあります。戦前の日本は議会制民主主義であったにも拘わらず、(ドイツもそうでした)、軍の暴走で大日本帝国を解体してしまいました。独裁・専制国家である中共ではもっと簡単に暴走する気がします。

日本も安保法案が時間をかけ、やっと通りましたが9/21日経記事の世論調査では「安倍内閣の支持率40%(前回より6%ダウン)、安保関連法案成立「評価せず」が54%で「評価する」が31%(「評価する」の内訳は男性が41%、女性が23%)、集団的自衛権の行使に「賛成」が28%で「反対」が53%とのこと。如何にマスコミが捻じ曲げて報道しているかです。中国と言う「今そこにある危機」にどう立ち向かうかを国民に考えさせないといけないのに、中韓の手先となって動いています。国民もマスメデイアは左翼のアジビラ程度と思えば良いのにそれができていません。ロケット弾が落ちない限り気が付かないのかも。女性の支持が少ないのはTVの影響と思います。国民は物心両面で自衛隊を応援していかないと。米国では軍人が一番尊敬されると聞きました。それは当然です。命を賭けて国を守るのですから。

記事

 鄧小平が、天安門事件で西側諸国による制裁を受けて出した外交方針「韜光養晦(とうようこうかい)」は、これまで「中国は、経済発展を最優先するので、海外との摩擦は最小限に抑え平和を求める」方針だと理解されてきた。

 しかし、マイケル・ピルズベリー氏は、「それは誤った解釈」で、「韜光養晦の本質は『野心を隠す』」で、これこそ中国の長期的な野望を象徴していると語る。中国共産党には、中華人民共和国を設立した時から「再び世界の覇権国としての地位を奪還する」という目標があり、その実現のために100年に及ぶ戦略を実行していると、近著『China 2049』で指摘した。

 第1回でピルズベリー氏は、米中国交正常化への動きも、従来から信じられてきたようにニクソン大統領とキッシンジャー国家安全保障担当大統領補佐官(当時)が中国に働きかけて実現したのではなく、実は中国からの熱心な働きかけにより実現した事実を明らかにした。背景には、1969年以降の中国の深い戦略と意図があったという。

 第2回は、その戦略と意図の具体的な中身を聞いた。

 また、記事の末尾にピルズベリー氏へのインタビューを一部収録した動画を掲載した。併せてご覧ください。

(聞き手 石黒千賀子)

マイケル・ピルズベリー(Michael Pillsbury)氏

1945年米カリフォルニア生まれ。米スタンフォード大学卒業(専攻は歴史学)後、米コロンビア大学にて博士課程を修了。1969~70年国連本部勤務を経て、73~77年ランド研究所社会科学部門アナリスト、78年ハーバード大学科学・国際問題センターのリサーチフェロー、81年国務省軍備管理軍縮庁のディレクター代行、84年国防総省政策企画局長補佐、86~90年議会上院アフガン問題タスクフォース・コーディネーター、92~93年国防総省総合評価局特別補佐官、98~2000年国防総省特別公務員(米国国防科学委員会)、1997~2000年米国防大学客員研究フェロー、2001~2003国防総省政策諮問グループメンバー、2003~2004年米中経済・安全保障検討委員会シニア調査アドバイザー、2004年以降、現在も国防総省顧問を続けながら、ハドソン研究所中国戦略センター所長を務める。米外交問題評議会と米シンクタンクの国際戦略研究所(CSIS)のメンバーでもある。米ワシントン在住。 著書に『Chinese Views of Future Warfare』『China Debates the Future Security Environment』などがある。

—前回おっしゃった中国が1969年以降、一貫して追求している戦略とは、一体どういうものなのでしょうか。

ピルズベリー氏:一言で言うと、「中華人民共和国建国100周年に当たる2049年までに、再び世界の覇権国となるべく、自分たちの実力を常に実力より低く見せて注意深く動く」――ということです。これが中国の戦略では、常に大きな部分を占めています。

 中国では1969年5月、4人のトップクラスの将官が集まり、夏にかけて20回以上会合を重ねました。彼らは、そこで中国が進むべき道について議論し、それを戦略としてまとめ、毛沢東にメモを提出しています。

米国は『戦う二虎(中ソ)を山頂から眺めている』と見た中国

 この時、作成されたメモを中国は今でも機密扱いにしているので、その存在はほとんど知られていません。しかし、会合には4人の将官のほかに、当時、外務大臣を務めていた将官と書記係として熊向暉(ゆう・こうき Xiong Xianghui)という若い人物も参加していました。熊向暉は後に中国の有名なスパイとして知られた人物です。その彼が1999年に回顧録「我的情報与外交生涯」を発表しました。

 熊向暉は2005年に死去しましたが、その回顧録の改訂版がその翌年に出ています。改訂版は、1969年に行われた4人の将官を中心とした多くの会合について触れているものの、その内容について少ししか明らかにしていません。しかし、それでも最終的に毛沢東に提出した報告書の中から最高機密に該当する、ある1ページの内容を明らかにしています。

 それを読むと中国がどのように考えて、米国接近を図ることにしたのか、彼らの考え方がよく分かります。会合ではこんな会話が交わされたそうです。

 まずある将官が、「今の時代(1969年当時のこと)は、2500年前の春秋戦国時代、あるいは200年頃の三国志の時代に似ている。私たちはこうした過去の時代から重要な教訓を引き出して、学ぶ必要がある。ソ連と中国に対する米国の今の戦略は、まさに『戦う二虎を山頂から眺める』である。この事態をよく考える必要がある」と。

 当時、中国はソ連軍から脅威を受けていることに加えて、経済成長が1963~64年以降、停滞していました。この将官は、「米国は、共産主義の一国がもう一国をむさぼり食うのを待っている」と戦国時代から伝わることわざで表現したといいます。また、別の将官は有名な「赤壁の戦い」を引き合いに出して、「北の魏に対抗するために東の呉と組む」という諸葛亮の戦略に学ぶところがある、と主張し、ソ連からの攻撃に備えて、米国というカードを使うかどうかを議論した。その結果、米国をまず見方につけることを外交・軍事戦略の基本方針としたというのです。

「新興国は覇権国に潰される運命にある」

――戦国時代の教えに従って、米ソ対立を利用して、米国を中国の味方につけることが米中国交正常化の狙いだった…

ピルズベリー:そうです。ご存じのように春秋戦国時代とは、500年にわたって政治闘争が続き、中国が形成された重要な時代です。後半の250年(戦国時代)は、争っていた7つの国が、秦王朝の下に統一されて終わる。その間、各国あるいは諸侯の間では権力政治や陰謀、策略が渦巻き続けた過酷な時代です。

 この時代から中国が引き出した主な教訓、戦略は九つありますが、一番重要なのが覇権を握っている国に対して「自分の野心を決して見せないこと」です。

 どういう考え方か説明しましょう――。小さな国と既存の大きな覇権国があったとします。覇権国は当然、金も資金も技術も抱えている。春秋戦国時代にあったように、もし覇権国が、台頭し始めた新興国を見て「野心あり」と疑い始めたら、その新興国を必ず潰しにかかります。新興国というのは覇権国に潰される運命にある――。中国の将官たちはこう考えています。

 私は、熊向暉の回顧録を読んだだけでなく、中国の将校によって書かれた戦略に関する本をこれまで何冊も翻訳してきたので、彼らが春秋戦国時代から多くを学んでいることを知っています。

 彼らは、スペインやオランダ、フランス、イギリスといったかつて覇権を握っていた西欧諸国も研究し、その歴史からも学んでいます。「小さな国に過ぎなかったオランダがどうやって台頭し、あれだけの世界的な力を持ったのか」「スペインはそのオランダをどうやって負かしたのか」「そのスペインは英国にどうやって打ち負かされたのか」、そして「英国はいかにして米国に覇権の座を奪われたのか」――。こうした覇権国の変遷を徹底的に研究しています。

 将官たちは、西欧諸国の興亡の歴史と春秋戦国時代や三国志の時代から導き出す教訓は同じだ、と言います。つまり、こういうことです。

 まず、国力をつけるために資金と技術、科学、そして政治的な支援をその時代の覇権国(今の時代では米国)から取り付けることが重要だ。ただし、それを実行するには細心の注意深さが求められる。間違っても覇権国を敵に回してはいけない。敵に回せば、覇権国は台頭しようとする新興国を必ず抑えつけにくるに違いないからだ――と。

「韜光養晦」は中国の戦略を象徴する言葉

—中国政府は、というか中国共産党はここまで研究した上で、米国に接近するという方向に舵を切ったということですね。

ピルズベリー:そうです。1969年の中国の将官たちによる会合に話を戻しましょう。熊向暉氏の回顧録は、当時、米国と中国の間でポーランドのワルシャワにて行われていた会談*1にも触れています。外相を務めていた将官がこう語ったと書かれています。「中国は55年から米国とワルシャワで会談を重ねているが、その交渉はどこにも着地しそうにない。格の低い大使2人がワルシャワで会って話をしていても、何の進展も望めない」と。

*1 米国は中華人民共和国が誕生してから20年間ワルシャワで細々と大使級会談を行っていた。何度も中断したが、それでも当時としては米中間の唯一のチャンネルだった

 そしてこの外相兼将官も毛沢東へのメモを書いた。「米国から大臣級の人物を中国に来させればいい。そうすれば交渉の成果が期待できる」と。

—だから第1回で指摘されたように、米国はオスロやカブールの大使館を通じて何とか米国と関係を築こうとした。そして、2年を経てその努力が実り、1970年7月と10月のキッシンジャー大統領補佐官の訪中へとつながっていった…

ピルズベリー:はい。しかし、先ほど話したように中国が米国に接近するに当たって最も重視したのが、「自分たちの野心は決して見せない」という過去からの教訓です。注意深く動かなければ、米国は自分たちの野望に気づき、中国を崩壊の道を進ませようとするに違いない、と見ていました。

—鄧小平が中国の外交方針として口にした言葉「韜光養晦(とうようこうかい)=能力を隠して、力を蓄える」は、日本でもよく知られています。しかし、ピルズベリーさんの本を読み、その解釈を日本は間違えてきたのではないかと感じます。

 日本では、韜光養晦は「中国は鄧小平の描く改革開放の発展戦略のことで精一杯なので、今はあえて“能力を隠して、力を蓄え”、他国との平和的な関係を維持し、外資の導入や輸出の拡大を目指す」、つまり、「他国との摩擦を避け、経済建設に専念する」という方針を表す言葉だと理解されてきました。

ピルズベリー:鄧のその言葉「tao guang yang hui」は有名です。まさに私が説明してきた中国の戦略を象徴する言葉と言えるでしょう。英語でもいろんな形で訳されています*2。

*2 ”keep a low profile and bide your time, while also getting something accomplished.”“hide your ambitions and build your capability”など。

 鄧は当時、中国がソ連の経済モデルをまねたのは誤りで、中国はその代償を払っていると見ていました。だから米国を相手に同じ失敗を繰り返すわけにはいかない、と考えていました。覇権国に追いつき、追い越すには、まず米国から知識とスキルを得るしかない。トップを満足げに走る米国からエネルギーをこっそり抜き取り、それによって遅れを取り戻して「マラソン」に勝とうと考えていたということです

鄧小平は米国から支援を取り付けるのに最も成功した人物

 鄧小平は、米国から強力な支援を取り付けることに最も成功した共産党指導者と言えます。後で詳しく説明しますが、1983年、当時の世界銀行トップから「どうすれば中国が経済的に米国に追いつけるか」を助言してもらう約束を取り付けたのも鄧でした。

 ちなみに私は今、「マラソン」という言葉を使いました。私の本の英語タイトルも直訳すれば「100年マラソン」です。実は、1969年の将官による会合で出された基本戦略は、もっと前から存在していたことを私は後に知りました。中国の戦略は「いわば中国にとって100年マラソンなのだ」と表現した中国の軍人がいたのです。

—毛沢東ではない?

ピルズベリー:毛沢東も「アメリカを超えたい」と発言していた事実はあります。彼が最初にそう言ったのは1955年に開かれたある極秘の会議において、とされています。その時に毛沢東は「実現するには75年くらいかかるだろう」と言ったそうです。単純計算すれば、2030年に中国は米国に追いつく、ということになります。しかし、中国で毛沢東のこの発言が公にされたことはないようです。

—では、「100年マラソン」と呼んだ中国の軍人とは誰なのでしょうか。

ピルズベリー:2010年に中国で出版された『中国の夢』という本を書いた人民解放軍の大佐、劉明福(Liu Mingfu)という軍人です。人民解放軍国防大学の学者で、将官を育てる立場にある人です。私はこの本で初めて「100年マラソン」という記述を初めて目にしました。

 劉は、「毛沢東が1955年に求めたことを実現するには、100年にわたってマラソンすることが必要だ」と記しています。そして、どうすれば中国は米国に追いつき、追い越し、世界の最強国になれるかを書いています。

毛沢東が死ぬまで繰り返し読んだ『資治通鑑』

—しかし、1955年から100年というと2049年ではなく2055年となります…

ピルズベリー:2049年というのは中華人民共和国建国から100周年に当たる年です。毛沢東が米国を追い越したいと発言したのは1955年ですが、彼がそうした思いを持っていたのは建国前に遡ります。つまり、米国を抜き、再び世界の覇権国となることは毛沢東、中国共産党にとっては建国前からの悲願だったということです。

 1930年代に国民党に敗れた紅軍(中国共産党)が行った有名な長征*3の間、毛沢東は本を1冊だけ携えていました。それは西洋に並ぶものはない、歴史を教訓とする国政の指南書『資治通鑑』(しじつがん)という本です。核となるのは戦国時代の兵法で、紀元前4000年にまで遡る逸話や格言が収められています。

*3 1934年10月~36年10月に中国共産党の紅軍が国民党の攻勢を受け、江西省瑞金から陜西省北部へ交戦しながら徒歩で約1万2500kmを移動したことをいう。苦難に満ちた大移動だったが、その途上で毛沢東は主導権を確立し、37年以降、延安が臨時政府の首都となった。

 私は、米国の中国専門家が犯した最大の間違いの一つは、この『資治通鑑』を軽んじたことだと考えています。92年になって初めて、私たちはこの本が毛沢東の愛読書だったことを知りました。米紙「ニューヨーク・タイムズ」の記者だったハリソン・ソールズベリー氏(93年5月死去)が、毛沢東は35年当時だけでなく、76年に亡くなるまで、この本を繰り返し読んでいたと著書で書いています*4。鄧小平もこの本を熟読していたというし、ほかの指導者も読んでいる。

*4 『The New Emperors: China in the Era of Mao and Deng』(New York: Harper Perennial, 1993)。この本の中でソールズベリー氏(93年5月死去)は、毛沢東の元秘書で伝記作家の李鋭へのインタビューでこの事実を知ったと記しているという。

—『資治通鑑』は中国では戦略を扱った書物としては有名なんですね

ピルズベリー:中国の高校生は、この本から抜粋した文章を書き写して学ぶそうです。

 今年6月下旬、私は中国に行ってかなりの数の将官に会いました。その中には何年も前からの知己もいます。私の今回の本を既に読んでいた中国の軍人たちは、「100年マラソンはあと34年残っている。しかし、2049年に行うパレードについてもう考えているんだ」という。多分、冗談でしょうが、続けて「(パレードは)2049年10月1日だ。おまえも来たいか」と聞いてくる。私は「もちろん是非行きたいが、生きていたとしても私は104歳だ」と答えました。すると彼らは「心配ない。中国には100歳以上の人は沢山いるから大丈夫だ」と言う。彼らは版権も取らないで、ちゃっかり私の本を既に中国語に翻訳して読んでいました…(笑)。

習政権誕生後、国家の推薦図書となった『中国の夢』

—しかし、中国は鄧小平の時代とは異なり、最近は「自分たちを実力以下に見せる」とか「台頭の意図を隠す」ことをしなくなっているように感じます。特に2013年、習近平政権が誕生してからは、その姿勢が顕著に思えます。トップの座が見えてきたから、もはや隠す必要がなくなったということでしょうか。

ピルズベリー:習近平氏は2012年11月に中国共産党書記長に就任してすぐ、それまで中国が隠してきた野望を認めました。最初のスピーチで、かつて中国の指導者が公式の演説で述べたことのない「強中国夢(qiang zhongguo meng)」という言葉を口にしたのです。

 これは驚くべき発言でした。中国の指導者は、西側の政治家とは異なり、公式の場での発言に細心の注意を払います。特に「夢」「希望」といった言葉は避けます。しかし、習氏は以来、スピーチで何度となく「強中国夢」という言葉を使っています。米「ウォールストリート・ジャーナル」の記事によると、習氏は2049年をその夢が実現する年としています。

 そして、この「ウォールストリート・ジャーナル」の記事によれば、2013年には先に述べた『中国の夢』という本が、中国政府の統制下にあるすべての書店で「推薦図書」の棚に飾られたそうです。

—昨春、英「フィナンシャル・タイムズ」が報道していましたが、国際通貨基金(IMF)によれば、購買力平価で中国のGDP(国内総生産)を試算すると、2014末には米国のそれを上回ることになるとのことでした。つまり、経済面では既に中国は米国を抜きつつあるとも言えます。

ピルズベリー:米国はこのマラソン競走で中国に抜かれつつあるのかもしれません。まさにこの100年マラソンの戦略が最も力を発揮したのが、経済分野です。経済分野における中国の戦略について次に話しましょう。

(第3回に続く)

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