兵頭 二十八著 『こんなに弱い中国人民解放軍』と6/23閻学通の日経記事について

如何に中国はプロパガンダがうまいかという事です。閻学通の記事もそう思って読まないと。平和を愛好する人間は必ず軍事のことに詳しくならないと敵のプロパガンダに踊らされ、却って戦争になるか、隷従の道を歩むかどちらかになります。戦争を防ぐために何故戦争が起きるのか、起きないためには何をすれば良いのか真剣に考えるべきです。企業でも問題が起きたときに、現状把握、原因究明、再発防止のプロセスを踏み、手を打つでしょう。それと同じです。民主党の枝野は憲法解釈変えたら次は徴兵制とか言っていますが、軍事の常識を知らない戯言です。普通軍事訓練をしない人間を戦地に送り出せば、足手まといになり、介抱に手を取られて戦闘どころではなくなります。効率を考えれば戦闘に馴れた集団がやった方が勝てると思います。全員を戦闘員にすれば、金とか女でよろめく兵士もいるでしょう。昔の大日本帝国時代とは違います。裏切るのが必ずいますので安心して使えません。今でも国のリーダーに敵の傀儡がいるくらいですので。

閻学通も認めている通り米中の利害は一致しないというか、中国が米国にあらゆる分野で挑戦しようとしているという事です。でも中国軍は兵頭氏の言う通り「張り子の虎」ですので「中国が相応の実力を付けるまで待って」と言うのが狙いです。「双方の摩擦が制御不能な災難につながることを防ぐしかない」と言うのは正しくそう。アメリカは騙されないように。騙すのが中国人の間では賢い人間と評価される訳ですから。オバマが軟弱だから頼りになりませんが。

閻氏の「中国はより多く周辺国の利益を考える。」とはよく言ったものだと思います。中華思想に汚染された中国人の本質がここに色濃く出ています。東南アジアの国々が南沙の問題で警戒し出しているのに気が付かないフリして言えることが凄すぎです。日本、ベトナム、フィリピンだけでなくマレーシア、シンガポールも警戒しています。

兵頭氏の本を読むと如何にアメリカは愚かか分かります。前にも書きました通り、米ハドソン研究所中国戦略センターのピルズベリーは「中国に騙されて来た」と後悔していますが気づくのが遅すぎます。FDRの時代から日本敵視政策を止めておけば今の事態はなかったでしょう。ニクソンと毛の密約はあって今でも生きているのではと思います。「瓶の蓋理論」がそうです。主敵は誰か見抜くことができなかったツケが回っているという事です。中国のことですから、キッシンジャーを筆頭に親中派の政治家に金を送っていると思います。でも過去より未来の方が大事。日米同盟を基軸にして多国間で中国包囲網を作り、戦争を防がねばなりません。

yanxuetong

 

 

 

 

 

 

 

 

6/23日経記事

米中、きょうから戦略•経済対話

海洋•投資…摩擦は必然

米国と中国は23〜24日に両国間の懸案を話し合う戦略•経済対話をワシントンで開く。対立が深まる両国の関係はどこに向かうのか。中国対外戦略に詳しい清華大学現代国際関係研究院の閻学通院長に聞いた。

習氏訪米後衝突も

—中国外務省は南シナ海の南沙(英語名スプラトリー)諸島で進める岩礁埋め立てについて「作業は近く完了する」と発表しました。米中間の緊張は緩和しますか。

「外務省の発表は、中国と米国の戦略•経済対話の環境を良くしようという狙いが明確だ。習近平主席が9月に訪米するまでは、衝突や摩擦が生じても、 規模や程度はそう深刻にはならない。だが訪米以降、 年末にかけて両国間で比較的深刻な摩擦や衝突が生じる可能性は排除できない」 —具体的にどんな事態が想定されますか。

「サイバー、海洋、人民元相場、国際通貨基金(I MF)のSDR (特別引き出し権)への人民元の採用、 投資、貿易赤字、宇宙、北朝鮮やイランの核問題… …。どの分野でも衝突は起こりうる。中国と米国の利益は一致せず、しかも、その分野は増えている。両国間の摩擦や衝突は必然だ」 「両国はまず、危機の防止や制御を重視して摩擦を減らす、もし<は摩擦が軍事衝突に発展することを防ぐ必要がある。さらに協力の強化を通じて、双方の摩擦が制御不能な災難につながることを防ぐしかない」

—中国が主導するアジアインフラ投資銀行(AI IB)の設立協定29日、 調印されます。

「AIIBが国際金融秩序に影響をもたらすことは明らかだ。一つは国際金融制度の再配置、もう一つは国際金融分野の権力の再分配だ。英国をはじめ欧州勢など多<の西側諸国が加入し、アジ地域に限られていたAIIBの影響力はグローバル規模に変化した。もともとはグローバルな影響力などなかった」

——AIIBは米中間の火種になりませんか。

「AIIBそのものが中国と米国の間の摩擦、国際金融秩序の矛盾の産物だ。 中国の発言権を大きくするMF改革は米国議会の承認が得られず、進んでいない。AIIBが摩擦を生むのではなく、摩擦や矛盾の結果生まれたのがAIIB だ」

—習指導部は周辺国外交を重視していますが、実際には摩擦が目立ちます。 なぜですか。

「中国が強調する周辺国外交とは、米国と中国の周辺国が衝突した際に中国が誰の利益に関心を払うかということだ。かつては米国周辺国との利害がぶつかった場合、中国は原則として中立か、中立に立てなけれぱ米国を支持するしかなかった。このことが中国と周辺国との緊張を生んだ」

「いまは米国と周辺国が衝突した際、中国はより多く周辺国の利益を考える。これが周辺国外交の一つの本質だ。立場が米国と一致するほど、中国の助けは要らなくなる。日本、ベトナム、フィリピンの立場に立った質問だと思うが、30力国以上ある中国の周辺国のうちの3力国にすぎな い」

—今回の対話に何を期待しますか。

「対話そのものの成果ではない。2力月余り後に迫る両国の首脳会談で成果を挙げるための条件をどう整えるかだ」

(聞き手は中国総局 大越匡洋)

兵頭氏の本の内容(P106~P.121)

中共の敵がロシアになった経緯

中共の技術開発チームは一九六七年、核弾頭を搭載した長距離弾道弾の製作に目途を付けた。ソ連はそれを予期していて、一九六六年にモスクワ周辺にABM(アンチ・ブリット・ミサイル)網を配置した。毛沢東は、「われわれも次ABMを持たねばならぬ」と思ったであろう。米国がつくっているような巨大なフェイズドアレイ・レーダーの設計が急がれた。

さかのぼると、中共とソ連の関係は、一九五八年以降、急激に悪化していた。ゴビ沙漠からニユーョークまでの距離よりも、ゴビ沙漠からモスクワまでの距離のほうが近い。ソ連は毛沢東が核ミサイルで武装しようとするのに対し、当然のように反対した。また、「理想世界」に二人の指導者は要らない。

こうして一九六〇年には、ソ連人の技術者が中共からすべて引き揚げ、一九六三年には北京対モスクワの舌戦が火花を散らした。その前年にはキユーバ危機もあった。

フルシチョフは、軍需に使っている国のカネをもっと民需に回してやらないと、ソ連国民の生活水準が改善されず(むしろ西側にどんどん格差をつけられ)、世界の共産化どころではないと判断するようになっていた。

毛沢東は、米国とすぐにも全面核戦争をしたがらないモスクワ指導部を、「修正主義」だと罵る。

一九六四年のロプノールでの原爆実験(東京オリンピック開催中であった)の成功後、国内の「修正主義者」を粛清しようと欲した毛沢東は、一九六六年から「プロレタリア文化大革命」をスタートさせた。

それに先行する毛の思いつきである「大躍進」政策から引き続いたこの政治的な大混乱のために、中共の経済と科学技術は、一九六七年の水爆実験成功など核兵器や大型ロケットの部門を除いて、一九八〇年代はじめまでの長く恐ろしい停滞期に入った。

一九六九年のウスリー川国境における武力衝突(ダマンスキー島事件)の直後、ソ連軍の機関紙『赤星』は、「現代の極左冒険主義者には核攻撃を御見舞いする」という記事を掲載した。

一方の米国は、ソ連からひそかに打診された「米ソ共同での対支先制核攻撃」案を断り、逆に、そのような誘いかけがモスクワからあったという事実を北京へ通牒した。

米支は実質的に「反ソ同盟」を組めるのではないかという模索も、毛沢東とキッシンジャー(当時、ニクソン大統領〈任期一九六九〜一九七四年〉の国家安全保障問題担当大統領補佐官) の胸中で始まっていた。

とすれば、中共にとり、当面の脅威は米国ではなくてソ連である。

モンゴル方面からのミサイル対策

そこで一九六九年、モンゴル方面から北京に向かって飛来する中距離核ミサイルを探知するための大型フェイズドアレイ•レーダーが、無理な背伸びであることは承知のうえで、一カ所以上、建設されることになった。ABM弾頭とするミニ原爆の研究も、あわせて推進された。

弾道弾早期警戒システムを機能させるためには、普段、宇宙空問を周回している衛星などの物体を、あらかじめ全部「カタログ化」しておく必要がある。さすれば、国際情勢が緊迫したとき(ソ連は開戦前に必ず国際宣伝を打つし、核攻撃には必ず他部隊の侵攻も連動するので、動員の兆候もある)に、カタログにない軌道で飛んでくる物体を、ソ連の核ミサイルではないか、と疑いやすい。そのカタログづくりのためにも、フェイズドアレイ•レーダーは早く建設しなければならないのだ。

工事は一九七〇年から始まった。北京から一四〇キロ北西にある、標高一六〇〇メートルの山腹に、「高さニ〇メートルX幅四〇メートル」の大レーダーが、北西の方角に正対して、組み上げられた。

アンテナ背後の内部には地下鉄並みの大トンネルが穿たれた。その内部は除湿空調され、石油を燃やす発動発電機などの必要な装置を収容した。

電波送出素子を計画の四分の一だけ並べた段階で、テストも実施した。そしてレーダーを作動させると、発動発電機は一日に五〇トンの石油燃料を消費。レーダー面の前方に転がっていた蛍光灯が、電波のエネルギーを受けて、照明器具に取り付けられてもいないのに光り輝いたという。

しかし残念ながら、これら初期の中共製のフェイズドアレイ・レーダーは、すべて期待水準に満たなかった。当時の中共は、どの先進外国からも部品や技術を買いつけることはできず、ダイオード素子やプリント基板にすら事欠いたのだ。

大型フェイズドアレイ・レーダーを構成するために何千個から何万個も必要となる「テジタルフェイズシフター」と呼ばれる回路を、とても国内量産できなかった。

米支間の密約で日本は

一九七一年前後の米支関係について、説明しておくことがある。 読者はこういう疑問を持つのではないだろうか。 –今日、世界第二位の公称GDPを誇るまでの金満国となりおおせた中共がどうして 旧ソ連みたいにICBMを何百基も大量生産して、米国との戦略核戦力のパリティ(対等) や、MAD (相互確証破壊)を追い求めないのか—?

MADというのは、もし外国から先制核奇襲を蒙むっても、そのお返しに主要敵国の本土の主要都市に、壊滅的な大打撃を与えられることがほぼ間違いないと自他ともに信じられるようなシステム構成の、第二撃(報復)用の戦略核兵力を保持する政策の略号だ。

この、MADによる「敵からの第一撃(核奇襲)の抑止」は、核戦力が量的に厳密に対等でなくとも、実現され得る。

中共には、何をするにも資金は潤沢にある。核ミサイル関連の技術も、ほどほどにだが、あることはある。ただ、多弾頭核ミサイルの技術はまだモノにできていない。潜水艦発射式の長距離ミサイルも開発ができていない。が、車両で随所に移動させられる単弾頭の大陸間弾道ミサイルならば、いくらでも量産可能な水準だ。これは敵の第一撃を受けても全滅はしないので、第二撃用としてカウント可能だ。

ミサイル基地用地の確保にも苦しんでいない。シナ奥地には、人が住んでいない広大な沙漠がある。人が多少存在しようと関係ない。住民や通行人の誰にも文句などいわさない。そういう軍用地事情の面でも特に不自由を感ずることがない。

それならばなぜ、旧ソ連のようなMADを、中共は選択しないのだろう?

ロシアはついに70年間、アメリカから一回も核攻撃を受けなかった。一九九一年にソ連が崩壊するときにも、その直後にも、周辺国から侵攻されなかった。これは、すべて対米MAD態勢のおかげであった。

選ぶことが可能な便利な道を、敢えて進まないことによって、中共は、安全保障上の、いかなるメリットを得ているのか?米国から先制核攻撃されたり、米国を後ろ盾とする周辺国から侵略されてもいいと思っているのだろうか?

対米MAD態勢がなければ、中共は、それら周辺国軍相手に戦術核兵器を行使することも難しく なるのである。脅しをかけにくいからだ。

こうした謎を矛盾なく説明できる仮説があると私は思っている。「一九七一年前後に、米国大統領ニクソンと、当時の中共独裁者たる毛沢東との間で、『ICBM競争はしないでおこう』という密約を結んだから」ではないのか。

このときニクソンは、日本を「切り札」に使った。その頃、日本は経済力の「高度成長」の真っ只中にあり、それに連れて自衛隊の予算も自然にどんどん増えていた。趨勢として、自衛隊の増強は果てしないのではないかと、北京は心配した。

まずアジアを支配し、ついで世界を支配したいと念願している中共指導部にとり、隣国の日本にすら軍事的に勝てないのでは、格好悪いこと甚だしい。

そこでニクソンと毛沢東は、日本を将来も核武装させないことに、共通の国益を見出したのだろう。

一九七一年春、ニクソンは、東京郊外の複数の空軍基地から、核攻撃部隊をすべて撤収させて、米軍が占領中の沖縄の基地や米本土の基地へ移転させた。東京から「核の傘」を撤去したのである。これによって中共は、「東風3」という中距離弾道弾によって、米軍の自動報復を招くことなしに、いつでも東京を破壊できることになった。

その見返りに毛沢東は、中共が将来開発するつもりの、米国まで届く ICBMの数量を、名目的・宣伝的な意義しかない 一二基程度に抑制することを誓った。それだけでなく、その ICBMからは普段は水爆弾頭を取り外しておいて、物理的に先制攻撃ができないようにすることや、「ラーンチ•オン・ウォーニング」を考えないことも、約束したのだろう。だか らこそ、対米弾道弾早期警戒システムはつくられないのだ。

米支間の唯一の密約が、この「核密約」なのだと私は思っている。

この密約は、米国においては大統領が交代する都度、そして中共においては毛沢束→華国鋒→鄧小平→江沢→胡錦濤→習近平と、党中央軍事委員会主席が代わる都度、口頭で相伝されているのであろう。

しかし、SLBM (潜水艦発射弾道弾)や戦略重爆撃機については、毛とニクソンは何も密約しなかった。だからアメリカは、中共の戦略ミサィル潜水艦の開発や配備の動向には特別に神経を尖らせている。中共海軍も、SLBMの宣伝を盛んにしてアメリカ人を挑発することについては、党から規制を受けないようである(以上の密約の詳しい背景解説が気になる方は、兵頭二十八の既著『ニッボン核武装再論』(並木書房)や『北京が太平洋の覇権を握れない理由』(草思社文庫)その他によってお確かめくだされたい)。

ソ連と中共の大違いとは

あと少し余談を続ける。読者はもう一つ疑問を持つことであろう。

米国は、ソ連崩壊前から、ロシアとの二国間で、国家の安全を決定的に左右するような軍備管理条約、軍縮条約を、いくつも締結している。

モスクワやニユーヨークなど互いの心臓部を破壊できる戦略核兵器の制限に関するものだ。その遵守のためには、米ソ両軍とも、既存の戦略核兵器のいくつかを廃棄して削減しなければならなかったこともある。プロの軍人なら、それに文句をつけたかっただろうが、 両軍ともに忠実に従って、文民政府が公的に交わした約束を裏で破ったりしなかった。

 しかし、これと似たような条約が、米支間で呼びかけられたことはない。

米軍は第二次世界大戦のあと、いつでも北京などの主要都布やシナ全土の軍事施設を、思うままに核空襲することができた。中共軍も一九七〇年代から、大型ロケットに核弾頭を搭載して米国心臓部を狙うことのできるポテンシャルを手に入れ、一九八〇年代には、米国東部の政治.経済中心地区まで届く ICBM(水爆弾頭付きの大陸間弾道ミサイル)を名目的な数ながら展開している。

そしてソ連が崩壊した一九九一年以降は、中共と米国の間では「新冷戦」がスタートしている。

いつ水爆ミサイルが飛び交うかもしれないという、このあぶなっかしい二国間関係を、 米支間で「核軍備制限協定」のようなものをまったく結ばないまま、なるようにしておけばいい—とは、まさか米国の政治家の誰も思っていないだろう。

しかし、それは不可能であったし、これからも不可能であろう。 理由はソ連と違って文民統制国家ではないからなのだ。

中共は、戦前の大日本帝国とよく似ていて、軍隊が文民政府のいうことに従わないという「勝手気儘権」を謳歌できるのである。

ニ〇一一年一月一一日、当時のゲーツ米国防長官が中共を訪れ、胡錦濤と会う数時間前に、中共軍は秘密裡に開発してきた「殲20」ステルス戦闘機の初飛行テストを挙行し、世界を騷がせた。ゲーツおよびその随行員が目撃したところでは、明らかに胡錦濤はそのデモンストレーションについて何も承知しておらず、ゲーツから会談の場で質問されて、うろたえていた。

二〇〇四年から党中央軍事委員会主席であるはずの胡錦濤は、中共空軍を政治的にコントロールできていない、その事実がパレてしまった瞬間だった。

ニ〇〇七年一月一一日に「第二砲兵」が、故障したまま周回していた中共製の気象衛星を、高度八五九キロで破壊して、宇宙空間に四万個のデブリ(危険な破片)を撒き散らした迷惑なミサイル・デモンストレーションについても、中共外交部の報道官は当初、「それは噂に過ぎない」と記者会見で語るしかなく (後日になって認めた)、政府の文官セクションがこの計画をまったく事前に相談されていなかったことを世界に知らしめてしまった。 ちなみに「一月一一日」が重なっているのは、これは偶然ではない。共産圏では、国際宣伝.上の大イべントの日付を、無理をしても意図的に重ねようとするのである。

将来仮に北京の文民政府が米国ワシントン政府と何か核軍備について細かく規制する協定を結んだとしても、軍人どもはそれを守らずに陰で「ズル」をやらかすであろう。それが、あらかじめ読めてしまう。

否、おそらくそのような協定の締結そのものを拒否するように、軍人たちが文民政府に迫るであろう。シナの文民政治家には、それも予見できる。だから体面を守るためには、交渉の呼びかけそのものをしないでほしいと、米国に向かって水面下で頼むことになるのだ。

米ソ間では実行され得た僻地の基地にまで陸上から人を派遣しての厳密な「相互査察」 も中共の軍幹部は厭がって、許さないだろう。衛星による査察は、中共軍のスパイ衛星の性能があまりに低すぎて、相互対等性の確保が図れない。これまた、北京の文民政府には、どうにもできない。

このような政体構造を承知するから、米国のほうも最初から呼びかけないのである。

ところで毛=ニクソンの密約が守られているのならば、それは、中共にレッキとした 「文民統制」が存在する証拠とはいえないのだろうか?

違うのだ。

この密約が中共の軍人によっても守られ続けている理由は、あくまで、「それが毛沢東の命令だったから」なのだ。鄧小平がいい含めたり、江沢民がいい聞かせたわけでは、ぜんぜんない。中共軍の最高幹部もただ、死んだ毛沢東の遺命ゆえに、それを秘事として伝承し尊重するのだろう。

鄧小平の没後は指導者不在

今日の中共を動かしているのは、「国家主席」でも「ナント力委員会総書記」でも「なんたら委員会主席」でもない。それらを多数兼任している誰かでもない。 特定の将軍たちでもない。テレビに映し出される誰彼でもない

歴代シナ王朝には、いくたびもこのような時代があった。皇帝にイニシアチヴがなく、大物宰相も不在の時代が・・・・・。

しかし、現在の彼らの体制にとっての「神」はある。毛沢東(の亡霊)だ。そして神の残した命令を解釈改憲した「偉大な預言者」も現れた。鄧小平だ。この二人は、確かに中共の 「指導者」だった。

が、鄧小平没後では、シナに指導者などいない。この真相を隣固のわれわれは正しく知っていなければ、甚だ危うい。

その毛は、スターリンの没後、「中共こそが世界の支配者にならなければならないので、 米ソの手先になるような者は殺せ」と決めた。誰であろうと対等者の存在など決して許さないという圧倒的な指導で、まず一九六四年に核実験を成功させた毛は、さらに、核弾頭を搭載できる国産地対地ミサイルの射程を、逐次延伸させた。

ミサイルの射程が一万キロ以上になれば、それはニユーヨークにも届く ICBMになる。が、それより前により近いモスクワが、中共製の核ミサイルの射程内におさまってしまうことは、自明な道理であった。

モスクワは中共内の実力ナンパー2の劉少奇を代弁人にして、なんとかその路線を変更させようと図った。が、毛沢東は一九六六年から六九年にかけて劉少奇を追い詰めて死に至らしめた。

ソ連は、エージエントを使った工作が失敗した場合の「プランB」として、モンゴルから戦車部隊を電撃侵攻さ.せ、ゴピ沙漠にあった中共のミサイル発射基地や核施設を破壊制圧し、あわよくば中共に傀偏政権を樹てることも本気で考えていた。だが、実行前に水面下で賛同を求めた米国(第一期ニクソン政権)がイエスといわなかったため、ついに諦められている(米国は偵察衛星等の航空写真により、このモンゴルにおける部隊集中も知っていた)。

どの隣国とも「共存」などないと考えているシナ人はすぐに逆襲に出た。ソ連との国境をなしていたウスリー川の中洲「ダマンスキー島」で、わざと負けるような小競り合いを国境警備隊に仕掛けさせ、その軍事衝突を派手に報道させた。ニクソン政権と大衆に、もはや疑いようもないメッセージを送ったのである。

それまで米国人は、ソ連と中共はいろいろと論争はしているけれども、結局は同じ穴のムジナで、いつかは共同で対米核戦争をやる気なのだろうと疑っていた。だが「ダマンスキー島事件」は、米国の庶民にすら、「中共とソ連はもはやほとんど戦争状態に突入していて、 これほどの抜き差しならぬ対立関係は当分、変わりはしないだろう」と了解させた。

これで、米国政府(第二期ニクソン政権)の新外交が、やりやすくなったのである。すなわち、事実上の「米支協商」を成立させる。それによって対ソ軍拡競争を、いままでよりコストの低いものに変えるのだ。

中共が味方になるなら、ベトナム戦争から手を引く政策(それはニクソンの最初からの公約だった)も、格好がつくだろう。ベトナムだけでなく、アジア全域から、対ソ戦と関係のない駐留米軍は引き揚げてしまってもいいだろう。

そこから毛沢東とニクソンとの間にどんな密約が相談されたと考えられるかは、既に書いた通りだ。

シナでは対等な他者は常に「敵」

核武装によって、毛沢東は、世界史が近代の段階に入った「清末」以降、初めて筆頭超大国を凌駕できるかもしれぬ手掛かりをシナ人に与えていた。だが、初の原爆実験を行った一九六四年からニクソン大統領訪中までの八年問ほどは、中共は米ソからいつ核で挟撃されて消滅するかもしれない危機でもあった。

その前には、米国から核攻撃されても奥地の農村が生き残るためだとして、一九五八年から「人民公社」という国防単位を強制したが、その生産性が悪かったので、シナ全域で一ニ〇〇万人が餓死したともいわれている。そんな苦しい時期を乗り切ったのも、一九六六年か らの「文化大革命」を含めた毛沢東の独裁的な指導力だった。

そしてついに毛沢東は、米国と密約を結んで中共を生き延びさせた。毛が、中共の永遠の神とされるのは至当であろう。

しかし、米国人はシナ人の世界観について無知であった。シナ人の人生哲学にも倫理にも「対等」の二者関係など絶対にあり得ないのだ。「友好」は、相手を凌ぐまでの一時的な方便でしかない。毛沢東は米国を、いつかは屈従させるべき相手だと考え続けた。それは後継指導者の鄧小平も同じである。

中共が米国の下位にあるときは我慢して、米国からの攻撃をかわす智恵を絞ることに努める。そしていつしか中共が米国と力が並んだとき、その日から米国を直接•間接に攻撃し、米国を中共に対して屈服させる。

米国が「中共様が一番です」と認めるまで、この攻撃は止めない—。

対等の付き合いなど、彼らにはしっくりこないのだ。シナ人は本能的に対等な関係は危険で不安定な状態に他ならず、安心できないと感ずる。儒教古典の『孟子』のなかに「敵」という字が出てくるが、それは「対等の他者」を意味していた。 シナ人にとって対等な他者とは、常に敵でしかないのである。

 

 

 

 

 

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