8/10The Gateway Pundit<At Least 22 Dem AGs Agreed to Coordinate Takedown of Trump, Keep Public in Dark Going Into 2024 Election=少なくとも22人の民主党系州司法長官が、トランプ氏を引きずり下ろすため、2024年の選挙に向けて国民を欺くための連携に合意していた>
民主党は米国よりも党を優先している。
少なくとも22人の民主党系州司法長官が、ドナルド・トランプ大統領の2024年の選挙前に、不穏な「共通利益協定」文書に署名し、トランプ氏の将来の政権に対して訴訟を起こすことを誓った。
ザ・センター・スクエアによると、その文書には「連邦政府説明責任プロジェクト」として知られるようになる法廷闘争キャンペーンの概要が記されていた。
この文書は、ジョー・バイデン前大統領が2024年の大統領選から撤退し、当時の副大統領カマラ・ハリスに道を譲る3ヶ月前に署名されたと報じられている。
ナショナル・ジャーナル・ホットラインのザック・ブラックバーン氏によると、「連邦政府説明責任プロジェクト」は、2025年初頭に当時のニュージャージー州知事フィル・マーフィー氏が発表した予算案の中で言及されたという。マーフィー氏は民主党員であり、彼の司法長官マット・プラトキン氏も民主党員だった。

ブラックバーンがソーシャルメディアサイトXに投稿した上記の記事で指摘しているように、マーフィーは2025年2月に予算案を公表した際、「連邦政府説明責任プロジェクト」について一切言及することを拒否した。これは偶然ではないように思われる。
ザ・センター・スクエアによると、「協定に署名した州司法長官の大多数は、この件についてコメントしたり質問に答えたりすることを拒否している」とのことだ。
「一部の者は、合意のタイミングを軽視したり、トランプ政権に対する訴訟の準備を進めていた程度を過小評価したりしている」と、同メディアはさらに報じた。
しかし、司法長官らは合意を軽視したり隠蔽しようと試みたにもかかわらず、トランプ大統領政権に対する訴訟は明白であり、就任式以来、政権を100回近く訴えている。
100件の訴訟のうち、カリフォルニア州司法長官のロブ・ボンタ氏は82件に、コロラド州司法長官のフィル・ワイザー氏は少なくとも75件に、ワシントン州司法長官のニック・ブラウン氏は70件に、アリゾナ州司法長官のクリス・メイズ氏は46件にそれぞれ参加している。

センター・スクエアの報道発表後、Xに掲載された記事の中で、共和党の元全国報道官マディソン・ゲシオット・ギルバート氏は、この共同訴訟は2024年の大統領選挙における「有権者の意思を無効にする」ためのものだと主張した。
かつて共和党員だったが現在は民主党に投票している元ユタ州司法長官のマーク・シャートルッフ氏によると、民主党の州司法長官らは、共同で計画した訴訟を利用して選挙資金を集めているという。
「州司法長官に立候補している人たちからたくさんのメールやテキストメッセージが届きます。『トランプ大統領を止めなければならない』とか、『州司法長官として協力しなければならない。だから私に資金をくれ!』といった内容です」と、シャートルッフ氏はザ・センター・スクエアに語った。
ボンタ氏は火曜日の記者会見で、自身が起こした訴訟や参加した訴訟はすべて「非政治的」であると主張し、自身の訴訟活動を擁護した。
「トランプ氏が訴訟を起こされたくなければ、法律に従えばいいだけだ」とボンタ氏は記者会見で述べた。「我々の訴訟が棄却される可能性は低いと思う。トランプ氏はペースを落とす気配を見せていないので、我々は彼を訴え続けるつもりだ。」
アリゾナ州司法長官のメイーズ氏もまた、この訴訟、特に2024年の文書の内容を軽視しようと試みている。
「その日付に特に意味はありません」と、メイーズ氏の広報担当ディレクターであるリッチー・テイラー氏はザ・センター・スクエア紙に語った。「当事務所は、訴訟内容に応じて、共和党の司法長官とも民主党の司法長官とも共通の利益に関する協定を結んでいます。」
メリーランド州司法長官のアンソニー・ブラウン氏は、ザ・センター・スクエアに対し、トランプ氏が指名されることが確実になった時点で、自身を含む他の司法長官らが訴訟計画を立て始めたことを認めた。
「2025年1月より前に対応できたことを嬉しく思います」と彼は付け加えた。「様々な可能性について話し合い、不意を突かれないように準備しておきたかったのです。」
この記事はもともとThe Western Journalに掲載されたものです。
https://www.thegatewaypundit.com/2026/08/least-22-dem-ags-agreed-coordinate-takedown-trump/



8/10Rasmussen Reports<Kamala Rises, AOC Fades in 2028 Democratic Primary Field=2028年民主党予備選でカマラ・ハリスが躍進、アレクサンドリア・オカシオ=コルテスは失速>
元副大統領のカマラ・ハリス氏は、2028年の民主党大統領候補指名争いでライバルたちとの差を広げている一方、NY州選出のアレクサンドリア・オカシオ=コルテス下院議員への支持は弱まっている。
ラスムッセン・レポートが実施した最新の全国電話・オンライン調査によると、2028年の予備選挙が今日実施された場合、民主党予備選挙の投票予定者の37%がハリス氏に投票すると回答した。これは5月の34%から上昇している。

https://x.com/KanekoaTheGreat/status/2086963690411372981/video/1



8/11阿波羅新聞網<中共长征七号升空85秒爆炸 军事卫星毁了! 今年第4次发射失败=中共の長征7号ロケットが打ち上げから85秒後に爆発し、軍事衛星は破壊された!これで今年4回目の打ち上げ失敗となる>
中国でまたもやロケット打ち上げ事故が発生した。10日夜、海南島文昌で長征7A型ロケットに乗せて中星4B衛星を打ち上げた。打ち上げ後、飛行に異常をきたし空中分解し、巨大な火球となって爆発、打ち上げは失敗に終わった。これは今年、中国で発生した4度目の宇宙打ち上げ失敗となる。具体的な原因については現在、詳細な分析と調査が行われている。
中共の軍事能力を上げないことは良い事。
https://www.aboluowang.com/2026/0811/2419523.html
8/11阿波羅新聞網<乌克兰、伊朗教训 中共坐不住了=ウクライナとイランは、中共に無視できない教訓を与えた>
ウクライナとイランでの長期にわたる戦争の最中、中共中央党校傘下のメディアである学習時報は3日、「『緩慢な戦争』を五つの側面から見る」と題する論説を掲載した。この論説は、歴史上何度も現れてきたある戦争形態を無視することはできないと指摘している。それは、比較的曖昧な戦略目標に焦点を当てることが多く、その結果、長期にわたり、低強度で、消耗戦が続き、終結が困難な「緩慢な戦争」へと発展する。
結局のところ、「長期戦」は明確な「勝利」で終わることは稀で、多くの場合、「疲弊した妥協」や「一時的な停戦」で終結する。戦争は膠着状態に陥り、和平条約の締結は困難となる。このような状況では、伝統的な意味での勝者は存在せず、関係するすべての当事者が長期間にわたり甚大な犠牲と経済的損失を被ることになる。
「緩慢な戦争」を終結させるメカニズムは、「外からの力による勝利」から「内部崩壊」へと変化したと指摘されている。「緩慢な戦争」において、決定的な打撃となるのは、敵の砲撃ではなく、自陣営内部の構造的崩壊であることが多い。
戦争は破壊と殺戮を齎すだけで良いことは何一つない。好戦的なのは習に率いられる中共。
https://www.aboluowang.com/2026/0811/2419512.html
8/11阿波羅新聞網<军媒癫狂!北京疯了?=軍事メディアが大騒ぎしている!北京は気が狂ったのか?>
8/10、鈞正平オフィスは「広島と長崎の昨日は日本の明日かもしれない」という衝撃的なタイトルの記事を掲載した。私はこれが自主メディアの戯言ではなく、中国人民解放軍の報道通信センターが監督する公式プラットフォームの記事であることを確認するために、3回読み返した。「大きな責任を負い、正義を擁護し、平和と合理性を維持する」と主張する軍事メディアオフィスが、広島原爆投下81周年に、非核兵器国に対して核災難の呪いのような脅迫を公然と行ったのだ。
これはもはや論評ではなく、狂気だ。第一に、これは法と人倫の完全な喪失から生じる狂気である。広島と長崎で亡くなった20万人以上の人々の大多数は、民間人、女性、そして子供だった。彼らの昨日を、今日の1億2000万人の普通の日本人の「明日」として描くとは、一体何を意味しているのだろうか?これは第二の核虐殺を望んでいるのだろうか?民間人の犠牲という核災難を利用して歴史的正義を主張すること自体が、最大の不正義である。反ファシズムの正義は、民間人を地獄に突き落とすことで支えられる必要など決してないのだ。
第二に、この狂気は、専門知識と戦略の両面における極めて愚かな点にある。中国は核兵器保有以来、数十年にわたり一貫して何を堅持してきたのか?それは、核兵器を先制使用しないこと、そして非核保有国に対して核兵器を使用しないという厳粛な約束である。しかし、鈞正平はたった一言でこの資産を破壊した。「明日かもしれない」という発言は、世界に対して露骨な核脅迫と受け取られるだろう。これは「中国脅威論」を裏付けるものであり、日本の憲法改正と核兵器保有も間もなくそれに続くと私は考えている。
嘘つき中国人の本性を露呈した。日本も核保有しないと中共の3発目が飛んでくるということ。核廃絶論者はこの記事を読んだらよい。いい加減、目を覚ませ日本人。

https://www.aboluowang.com/2026/0811/2419509.html




川島氏の記事で、日本が漢字をまだ使っているのは、中西輝政によれば瞬発適応と換骨奪胎のシステムを日本が持っているからだと思う。相手の文化に呑み込まれるのでなく、それをいかにうまく使って、国風文化に合わせるかを考えて来たから。しかし、今の日本は左翼思想が充満し(大多数の国民はそれに気づいていない)、敵の文化侵略に余りに無防備と思えることが多い。中共の嘘の物語を簡単に信じ込んだり、移民受け入れを良いものと思ったりと。日本人は寛容の精神と安全保障のリスクを並べて比較し、どちらを大事にすべきか、決すべき時に来ている。
中国人を他の国が国籍保持者として同化させるのは難しい。彼らはよその地でも必ず中華街を作り、カネが中国人の間だけで回ることを考える。中国人目当ての民泊や空港での白タクを見ていれば分かるでしょう。高市内閣は公明党と離脱したのだから、中国人の違法行為はドンドン取り締まるべき。中共が崩壊して中国人がボートピープルになって逃げだしたとしても、ベトナムのように毅然として追い払わないとダメ。同化しない連中だから、乗っ取られる可能性がある。自国内で解決しろと。
A記事
高市首相の「台湾有事は日本有事」発言に、周辺国はどう反応したのか。『ベトナムにはなぜパンダがいないのか』を書いた川島博之さんは「アメリカや韓国が静観していたのと同じく、ベトナム政府も表向きダンマリを決め込んだ。しかし、実は密かに他国とはまったく異なる行動をとっていた」という――。(第1回)
※本稿は、川島博之『ベトナムにはなぜパンダがいないのか』(扶桑社新書)の一部を再編集したものです。

記者会見を行う高市内閣総理大臣(画像=内閣官房内閣広報室/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons)
反中ムードが生んだ自民の圧勝
高市首相は2025年10月4日、石破茂前総裁に代わって自民党総裁に就任した。だが、長年、自民党と連立政権を組んでいた公明党が、突然、連立を離脱。その後、日本維新の会と連立を樹立し、国会で首相に指名された。そのため、彼女はそう遠くない時期に衆議院を解散して国民の信を問う必要があった。
高市首相は鋭敏であった。2026年1月に突如、衆議院を解散した。彼女は世論が反中に染まっていることを見抜いていた。2月8日に投票が行われたが、結果は自民党の圧勝に終わった。
この選挙の直前に、立憲民主党と公明党の衆議院議員が一緒になって中道改革連合を作った。両党が一緒になるのではなく、衆議院議員だけが一緒になるという中途半端なもので、選挙目当ての野合であることは明らかであった。
立憲民主党(当時は民主党)は安倍内閣が取り組んだ安保法制に猛反対し、市民団体による反対デモにも何人もの所属議員が参加し、声を上げていた。それにもかかわらず、安倍政権で与党だった公明党の言い分をあっさりと容認した。その姿勢に国民が呆れたことも自民党の圧勝の一因になった。
日本は中国に対して強硬な姿勢をとる必要がある。多くの国民がそう感じていた。そもそも2025年10月に高市氏が自民党総裁に選ばれたのは、2024年11月にトランプ大統領が再選されたことも要因の一つであろう。
トランプ再選で一変した対中路線
高市氏は、2024年9月に行われた総裁選挙では石破氏に敗れている。これは岸田文雄首相の任期満了に伴うものであったが、その時点では米大統領選挙において、共和党のトランプ氏が勝つのか民主党のカマラ・ハリス氏が勝つのか判然としなかった。夏頃まではハリス氏優勢との報道も多かった。
このような状況の中で、多くの自民党議員は右派的で反中の高市氏に首相を任せることはできないと考えた。それが2024年の総裁選で、高市氏が第1回投票で1位になりながら、決選投票で石破氏に逆転を許した理由の一つである。
しかし、トランプ大統領が誕生すると、情勢は大きく変化した。米国内においては、トランプ氏とハリス氏の政策の違いは移民問題が中心であったが、対外政策では中国に対するスタンスに違いがあった。選挙中、トランプ氏は中国に対して強硬な姿勢で臨むことを繰り返し主張した。一方のハリス氏は中国に融和的であった。
トランプ氏が勝利したことは日本の政治情勢を大きく変えた。米国が中国に強硬な態度に出るのなら、日本も中国に強硬な態度に出るべきだ、そんな雰囲気になった。そういう中で、中国人に対するビザ発給条件を一部緩和した岩屋外相は、ネットなどにおいて強く非難された。
ベトナムのフリゲート艦が台湾海峡を通過
2025年10月に行われた総裁選挙で、高市氏は前回に続いて第1回投票で首位になり、決選投票でも小泉進次郎氏を破って当選した。それは、日本が中国に対して強硬な態度を取ることを決めた瞬間だった。
ただし、決戦投票が行われたことからも分かるように、圧倒的多数が高市氏の姿勢を支持していたわけではない。そんな高市首相は、支持してくれた人々に応える意味でも、岡田氏の質問に対して安倍元首相と同様に、「台湾有事は日本有事」と応えざるを得なかったとも言えよう。あいまいな回答は許されなかった。だが、それが中国を刺激した。
各国の反応を見ると、台湾はもちろんこの高市発言を歓迎した。そしてトランプ大統領は、先に述べたように曖昧な態度しか示していない。韓国政府は高市発言に対して冷ややかであり、韓国の世論は周辺情勢を不安定にするとして否定的に見ている。南シナ海の領有権問題を抱えるフィリピンも静観している。
そんな周辺国の中で、ベトナムは他国とは異なる反応を見せた。ベトナム政府はダンマリを決め込んでいるが、密かに別の行動をとった。2025年12月3日から4日、ベトナムのフリゲート艦チャン・フン・ダオ(陳興道)が台湾海峡を通過したのである。ベトナムの軍艦として初めての通過であった。
高市発言の支持を“やんわり”表明
チャン・フン・ダオはロシアから購入したゲパルト級フリゲート艦である。ベトナムは軍艦の名に歴史上の人物の名前を付けることが多い。陳興道は元がベトナムに攻めてきた時に活躍した将軍の名である。

陳興道の絵画(画像=PD-Vietnam/Wikimedia Commons)
2018年9月に日越外交関係樹立45周年を記念して、ベトナムの軍艦として初めて日本に寄港したのもチャン・フン・ダオであった。それはベトナムと同様に元寇に打ち勝った日本に対して、中国に一緒に対抗しましょうとの意思を伝えたものと言ってよい。
今回もベトナムは、日越友好のためという名目で7年ぶりにチャン・フン・ダオを派遣した。その際に台湾海峡を通過させた。わざわざ台湾海峡を通って中国を刺激することはない。台湾とフィリピンとの間のバシー海峡を通過する方が普通の航路だ。
台湾海峡を通過させたことは高市発言の直後であり、ベトナムが高市発言を支持していることを日本に対してやんわりと伝えるものになっている。一方、中国に対しては、「南シナ海での活動を制限しなければ、我々も日本などと連携を深める」という、より包括的なメッセージになっている。「竹のようにしなやかな外交」を意味する「Bamboo Diplomacy」を掲げるベトナム政府の真骨頂と言えよう。
どの国にもなびかない「竹の外交」
ベトナムは2016年にグエン・フー・チョンが書記長に就任して以来、どの国にもなびかない竹のような外交方針を掲げている。そんなベトナムにとって、フリゲート艦の台湾海峡通過は大きな決断だったと思う。
2024年7月にグエン・フー・チョン書記長が亡くなり、トー・ラム氏が後を継いだが、トー・ラム氏は注意深く米国に接近しようとしている。フリゲート艦の台湾海峡通過は、米国に対するサインでもあったと思われる。米国は衛星を使って台湾海峡や南シナ海を常時監視している。米国はベトナムの意思を明確に把握したであろう。

ベトナムのゲパルト級フリゲート艦「チャン・フン・ダオ(陳興道)」(画像=ロシア国防省/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons)
もちろんベトナム政府は、この行動について一切声明を発表していない。中国も黙っていた。この事実は、台湾当局がつかんで公表するまで表に出ることはなかった。そして台湾がこの事実を公表しても、日本では気づく人はほとんどいなかった。この本を読んで初めて知った読者も多いことと思う。そのくらい日本人は海外情勢に鈍感である。
「社会主義国は仲がいい」は幻想
ベトナム人は中国が大嫌いである。ただし、ベトナムに赴任してきた駐在員などは、言われなければ、なかなかその事実に気づかない。なぜなら、ベトナム人が口に出して「中国人が嫌い」と言う機会が少ないからだ。それに筆者もそうだが、現在70歳以上の日本の老人にはベトナム戦争の記憶が残っている。
ベトナムは中国やソ連の援助を受けて米帝(アメリカ帝国主義)に勝利した。ベトナムと中国はどちらも社会主義国である、だから仲が良いはずだ。そのようにステレオタイプで考えてしまう。
しかし、社会主義国同士が仲が良い、というのは幻想である。そもそも「改革開放」に転じた現在の中国やベトナムを、もはや社会主義国と呼ぶことはできない。中国は1978年に改革開放路線に転じた。それに遅れること8年、ベトナムは1986年に改革開放路線に転じた。
ベトナムの改革開放路線は「ドイモイ」と呼ばれているが、これは「刷新」という意味のベトナム語であり、中国の改革開放路線とほぼ同じことを意味している。
両国は共産党が独裁政治を行っている資本主義国家である。それ以上でもなければそれ以下でもない。そんなベトナムと中国は、1979年に戦っている。中越戦争である。また現在も南シナ海の領有権を巡って争っている。それらは、ベトナム人が中国を嫌う理由の一つになっている。ただ、真の理由は、その歴史に根ざした民族感情にある。
反中感情を育てる戦争教育
ハノイを訪問する機会があるのなら、国立歴史博物館を訪ねることを勧める。そこからベトナムと中国の戦いの歴史を知ることができる。戦争に関する展示が多く、歴史博物館ではなく戦争博物館ではないかと思ってしまうほどである。

ベトナムの国立歴史博物館(ハノイ)(画像=Alistair Morrenger/PD-self/Wikimedia Commons)
その博物館で、先生に引率された小学生たちが学芸員の説明を聞いているところに遭遇したことがある。子供たちは熱心に学芸員の話に耳を傾けていた。このように子供の頃から中国との戦争の歴史について教え込まれていれば、自然に反中になると思ったものだ。
日本では戦争教育ではなく「平和教育」と呼ばれ、原爆、東京大空襲、沖縄戦などが題材になる。授業ではその悲惨さが強調される。一方、ベトナムでは祖先がいかに中国と勇敢に戦い、独立を維持したかが誇らしげに語られる。日本とベトナムの戦争教育は大きく異なっている。
ベトナム人の中国嫌いを示すものとして、ローマ字の使用がある。ベトナムは中国文化の影響を強く受けてきた。ベトナム中部の都市フエは、ベトナム最後の王朝である阮(グエン)朝(1802-1945年)の都であったが、そこに行くとベトナムが中国の影響を強く受けてきたことがよく分かる。
ベトナムでは長らく漢字が使われてきた。役所の文書は漢文で書かれていた。そのため、独立前(第二次世界大戦以前)に教育を受けた人は、漢字の読み書きができた。建国の父ホー・チ・ミンも漢字を使っていた。だか、漢文だけでは不便であった。そこでベトナム語を表記するための方法が工夫されて、チューノムと呼ばれる日本の「かな」に似たものが作られた。
「漢字を捨てた民族」から日本への問い
しかし、ベトナム語は中国語に似て音調が多く、そのためにチューノムは「かな」よりも複雑なものになってしまった。

川島博之『ベトナムにはなぜパンダがいないのか』(扶桑社新書)
その結果として、チューノムは広く普及することはなかった。独立前まで知識人は、手紙などを書く際に漢字を使用していた。
現在のベトナムでは、17世紀にポルトガル人宣教師が作り、それをフランス人宣教師が改良した、ローマ字にレ点を付けた表記を用いている。これはChữ Quốc ngữ(チュ・クオック・グー=国語字)と呼ばれるもので、その読みは日本語の国語(コクゴ)と同じである。ベトナム語には日本語と同様、漢語に由来するものが多い。
ベトナムはフランスから独立した後に、表記法をチュ・クオック・グーに統一した。最大の理由はチューノムに比べて覚えやすく、民衆の教育レベルを上げるうえで有効と考えたからであろう。ただ、それを中国嫌いが原因と考えているベトナム人もいる。
あるベトナム人からこんな話を聞いた。
「ベトナム人は中国が嫌いだから漢字を使うのを止めた。現在はまったく使っていない。また中学や高校でも漢文を教えない。そのために現在はよほどの年配者でないかぎり、漢文は読めない。日本人はいまだに漢字を使っており、学校で漢文を習うと聞く。日本人は反中の高市政権を選んだが、心の底では中国を嫌っていないのではないか? 今は反中だが、時間が経てば、また親中に変わるのではないか?」
この質問に日本人はどう答えればいいだろうか。そんな話が出るほど、ベトナム人は中国を嫌っている。
B記事
南アジアには多くの中国系住民が暮らしている。タイは彼らを自国民として社会に取り込んだが、ベトナムは1970年代後半、各国の非難を浴びながら華僑100万人を国外へ追放した。両国はなぜ正反対の道を選び、その後、何が起きたのか。『ベトナムにはなぜパンダがいないのか』の著者、川島博之さんが解説する――。(第2回)
※本稿は、川島博之『ベトナムにはなぜパンダがいないのか』(扶桑社新書)の一部を再編集したものです。

大きな存在感を放った“ベトナムの華僑”
東南アジア経済を語るうえで、華僑は極めて重要な存在になっている。
ベトナム戦争が終わった1975年の時点で、南ベトナムの首都サイゴンのショロン地区には約100万人の華僑が住んでいた。当時のベトナム人口は現在の半分程度の4500万人だったから、人口100万人を擁する華僑の存在感は大きかった。
だが、ベトナムは、ベトナム戦争が終結した際に華僑を追い出してしまった。華僑は南ベトナム政府と商売をしている者も多かった。その考え方は資本主義的であり、北ベトナムの考えとは違っていた。北ベトナム軍がサイゴンを占領した時に、ショロン地区に住む華僑の約9割が国外に脱出した。
華僑と同様に、南ベトナム政府に協力した人々も追放された。陸路でカンボジアやラオスに逃げた人もいたが、小舟で南シナ海に乗り出した人々もいた。彼らはボート・ピープルと呼ばれたが、その何割かは船が沈んで命を失った。
このような非人道的な行為を行ったベトナムは、国際社会から強く非難された。北ベトナムが、戦争に敗れた南ベトナムの軍や政府の関係者を追い出したのは理解できなくもないが、なぜ華僑も追放したのであろうか。このことは今後の日本と中国の関係を考えるうえで重要な視点を投げかけている。
世界に5000~6000万人、半数が東南アジアに
日本では華僑について語られることが少ないので、ここでは華僑について概説してみたい。
「華僑」と呼ばれる人々は、全世界に5000万人から6000万人いると言われ、その約半分が東南アジアに住んでいる。海外に在住する中国人のことを一般に「華僑」と呼ぶが、学術的には、中国の戸籍を保有している者を「華僑」、現地の国籍になった者を「華人」と呼ぶ。ただ、このような区別はあまり意味がない。海外で暮らす中国系の人々を「華僑」と呼んで差し支えないと思う。東南アジアに住む華僑の合計は2300万人にもなり、特にタイやマレーシアに多い。
華僑とは、清朝末期から中華人民共和国が成立した頃までに海外に渡ってきた人々とその子孫である。現在はその子や孫、曾孫の時代になっている。華僑は2世代目、3世代目になっても中国語を話す。この点において、戦前、米国や南米に渡った日本人移民の末裔とは大きく異なっている。
日本からの移民の子孫は、その多くが日本語を話せない。それはペルーの大統領になったアルベルト・フジモリ氏や、『歴史の終わり』を書いて有名になった米国のフランシス・フクヤマ氏を見ればよく分かる。
中国が清朝末期から中華民国だった頃、タイを除く東南アジア諸国は欧米の植民地だった。当時の東南アジアは人口が希薄であり、現地にあった欧米の企業は、中国から渡ってきた人々を労働力として喜んで雇用した。その噂を聞いて中国から東南アジアに移り住んだ人も多い。
また、東南アジアで商売を行って一旗揚げようと渡ってきた中国人もたくさんいた。1949年以降になると、中国が共産化したために居場所を失い、東南アジアに逃れてきた人たちもいる。
居場所を失い、中国を追われた人々
華僑は福建省や広東省潮州(ちょうしゅう)の出身者が多い。その中には客家(ハッカ)と呼ばれる人々が含まれている。客家は中国人ではあるが独自の文化を有し、戦乱を逃れて中原(ちゅうげん)から福建省周辺に逃げのびてきた人々とされる。
日本では華僑を、中国政府が外国に派遣した人々と考える向きもあるが、それは間違いである。華僑は中国を追われた人々である。中国では貧しくて生きていけなかった。または共産党に追われて逃げた。そんな人々だ。
古い世代の華僑は本能的に共産党を嫌う。現在でも北京の共産党に従う気にはなれない。だから、華僑を中国共産党の手先と考える必要はない。とはいえ、古い世代は中国語を話し、中国には愛着を持っている。
若い世代は、中国語が苦手な人もいるが、それでも多くが儒教を信じるなど、生活様式は中国的である。しかし、若い世代の華僑の中には、中国が米国と肩を並べるまでの超大国になったために、共産党と良好な関係を築いて上手に商売をしたいと思う人も多い。
東南アジアでは、経済的に成功している華僑が多い。それは華僑が東南アジアの人々に比べて数字に明るく、商売が上手なためである。金融業に従事している華僑も多い。この辺りは、中世ヨーロッパでユダヤ人が、キリスト教徒が嫌った金融業に従事していたことに似ている。東南アジアの華僑のあり方は、ヨーロッパにおけるユダヤ人に似ているところがある。
タイで行われた同化政策
ここでタイの華僑について見てみよう。統計では、タイは華僑人口が最も多い国とされる。だが、タイで華僑は目立つ存在ではない。それは1930年代に、華僑に対して強制的な同化政策が行われたためである。
1932年にタイで立憲革命が起こった。革命は成功して、留学経験がある若い軍人や官僚で構成されたピブン・ソンクラーム政権が樹立された。ピブン政権(第1次:1938-44年)は軍事政権的色彩が強く、国粋主義的な政策を行った。それはナチスや日本の軍国主義が台頭した時代であり、フランス留学の経験があるピブン・ソンクラームは、そんな世界の風潮を敏感に感じ取っていた。

プレーク・ピブーンソンクラーム(画像=Ministry of Defence of Thailand/PD-Thailand/Wikimedia Commons)
ピブン政権は華僑に対して、タイ社会への同化を強く求めた。具体的には華人学校の閉鎖、漢字の使用禁止、華人のタイ風の名前への変更を強制した。タイに中華街を作ることも禁じた。タイにいた華僑は、さほど抵抗することなく同化政策に応じた。
当時の華僑にとっては、生きることの方が重要であり、自分たちを追い出した中国には、それほど未練を持っていなかったのかもしれない。
その結果、現在、タイの華僑が「自分は華僑だ」と名乗るケースは少ない。タイの華僑はその多くがタイ人と混血を繰り返して、タイ社会に同化してしまった。
ただ、タイへの強制的な同化は新たな問題を引き起こした。それは華僑が経済的に成功していたケースが多く、成功した華僑がタイの王族や貴族などの周辺者と姻戚関係を結ぶケースが増えたからである。
王室の周囲に中華系が増えた
現在のタイの政局を語るうえで欠かせない「黄色シャツ」と「赤シャツ」の対立も、この華僑と王族の関係を知ると理解しやすい。
タイ族のルーツは中国の南部にあるとされる。1000年ほど前まで中国南部に暮らしていた人々が南下して、現在のカンボジア人に連なる人々(クメール人)を追い出して、タイ(スコタイ)を作った。
そんなルーツがあるために、タイ人には中華文明に対する憧れがあった。タイの王様は愛人を持つ場合に、中国から来た女性を選ぶことが多かった。王室の経済が中国との間の朝貢貿易に支えられていたために、政治的・経済的な利益を考えてのことだった。このような理由から王室の周辺に中華系の人々が増えた。
中国の皇帝のカラーもタイ王室のカラーも黄色である。タイ王室が黄色を好む理由は、プミポン前国王(ラーマ9世)が月曜日生まれであり、月曜日の色が黄色であるためとされる。
また、仏教において黄色(またはサフラン色)が高貴な色(僧侶の衣など)として扱われるためでもある。
同化政策が社会の分断につながった
この数年、黄色シャツと赤シャツの対立は沈静化したようだが、それでもタイ社会には厳然とした黄色シャツと赤シャツの対立構造がある。

川島博之『ベトナムにはなぜパンダがいないのか』(扶桑社新書)
黄色シャツは、バンコク周辺に住む富裕な支配階層がその基盤である。一方、赤シャツの構成員は東北の農民が多い。赤シャツはタクシン元首相を支持しているが、タクシンもまた客家系華人である。実は、黄色シャツも赤シャツも、その指導層は中華系にルーツを持っている。
タイでは、華僑が現地人と直接対立しているわけではない。しかし、華僑の同化政策がタイ社会の分断につながってしまった。タイが華僑に対して同化政策を強要したことは、約100年を経てタイに分断をもたらす原因になった。
日本人が気づくことは少ないが、東南アジアに住む人々は肌感覚でこの事実に気がついている。もちろんベトナム人もその経緯をよく知っている。ベトナム人が華僑を警戒し、サイゴンを占領した際に彼らを追い出した理由の一つが、ここにある。
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