8/16JBプレス古森義久氏の記事<なぜか北朝鮮に核廃絶を呼びかけない日本の反核運動>
北朝鮮や中国を非難せず、矛先は日本政府に>に日本の反核平和運動の歪みが述べられています。それはそうでしょう、文句を言うべきは先ず、北朝鮮、中国でしょう。(ロシアも在日米軍があるため日本を標的にしていると思いますが、記事で読んだことはありません)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/50806
そもそも原水禁(旧社会党系)と原水協(共産系)と分かれたのも「ソ連の核は綺麗な核」と共産が主張するので分裂しました。いずれにせよ左翼の党派性の強い運動体です。広島・長崎市長は今や革新系でないと当選しないでしょう。
佐藤氏の記事の中国系米国学生の発言は「南京事件」のことと思われますが、中共のプロパガンダと言うのを知らないのでしょう。キチンと日本政府が反論しないためです。「あなたは共産党がやって来た自国民の大虐殺を知っていますか?その政府が言うことを素直に信じられますか?国民党も平気で黄河決壊事件を起こしています、知っていますか?」と日本人だったら聞くべきです。
「戦争は人間的な営みである」から無くなることは無いでしょう。ですから、核の時代にどうやって人類の破滅を防ぐかと言うので、出された答えが「非戦闘員の保護」でしょう。終戦の詔書にもその一文が入っています。「加之、敵は新に残虐なる爆弾を使用して、頻りに無辜を殺傷し、惨害の及ぶ所、真に測るべからざるに至る」と。昭和天皇は、米国の非人道性を良く理解していました。元々、排日移民法等人種差別が起こした戦争だった部分もあり、原爆使用も躊躇わず出来たのでは思っています。トルーマンは日本人を人間と見ていたとサッチャー教授は言いますが俄かには信じがたいものがあります。また二発目を長崎に落としたのも、ウランと違ってプルトニウムでの結果も知りたかっただけと思われます。
サッチャー教授の言う「どのような難しい状況においても、アメリカの大統領はモラルリーダーとして、世界の人々の自由と平和を守る役割を果たすべきだと思います。」には大賛成です。過去にばかり目を向け、現在の人権弾圧をしている中国と北朝鮮を片づけないといけないでしょう。
北を攻撃するときでも、「非戦闘員の保護」は考えないとモラルリーダーにはなれません。地下深くに設置されている核兵器廠はB61-11で、板門店のロケット砲はマザーオブボームで無力化できるのでは。
8/21増田俊男氏の記事には、米中北がグルで日本に高い兵器を買わせるために、北のグアム攻撃発言があったとのこと。これは眉唾物と感じてしまいますが。
http://www.chokugen.com/opinion/backnumber/h29/jiji170821_1185.html
http://www.chokugen.com/opinion/backnumber/h29/jiji170821_1186.html
記事
ハーバードビジネススクールの看板授業の1つ、「モラル・リーダー」では、毎年、「トルーマンと原爆」について学ぶ回がある。そこでは、約60名の学生たちが「原爆投下を決断したトルーマン大統領は人道的なリーダーであったか」について議論を戦わせる。授業前半でサンドラ・サッチャー教授が教えているのは、正しい戦争にはルールがあるということ。トルーマンは本当に正しい戦争のルールに従って決断したのだろうか。どのような論理で原爆投下を正当化したのだろうか。正戦論をもとにサンドラ・サッチャー教授に解説していただいた内容を、全3回にわたってお送りする。(2017年4月21日、ハーバードビジネススクールにてインタビュー)
「トルーマンと原爆」の授業
佐藤 サッチャー教授は15年以上にもわたって「トルーマンと原爆」について教え続けてきました。なぜこのテーマをハーバードビジネススクールの学生に教えているのですか。
サッチャー ハリー・トルーマンが、歴史上、国のトップとして最も難しい決断を迫られた大統領だったからです。その決断は日本および日本国民に甚大な被害を与えただけではなく、その後の世界にも大きな影響を残しました。トルーマンの決断プロセスとその結果を検証することによって、学生たちにはリーダーとしての責務や人道的な決断の本質を学んでほしいと思います。
佐藤 この授業の主要な目的は何でしょうか。
サッチャー 2つあります。1つめは人道的な立場から戦争を考えてもらうこと。戦争がもたらす被害は想像もできないですが、確実に言えるのは、戦争は勝者、敗者の両方に甚大な損害をもたらす、ということです。学生たちには、戦争にはルールがあることを学んでほしいと思います。国が戦争を始めるか否かを決断する過程では、「道徳的に十分な根拠があるか」を必ず検討しなくてはなりません。敵を攻撃する際にはどのようなルールにのっとるべきか。人道的見地から禁止されている行為とは何か。正しい戦争には原則があるのです。
2つめは、国のリーダーは決断した内容だけではなく、決断に至るまでのプロセスにも責任を負っていることを認識してもらうこと。リーダーの決断を周りの人々が評価するプロセスを構築することは非常に大切です。自らの決断が間違っていないかどうか、決断する前に反対意見や代替案を検討することは不可欠なのです。
サンドラ・サッチャー(Sandra J. Sucher)教授
授業では、毎年、多くの学生が、「トルーマンは偏った助言しか得ていなかった」「日本の都市に原爆を投下する以外の戦争終結方法を検討しなかった」とトルーマンを厳しく批判しています。決断プロセスの大切さを学べば、学生たちは自国の大統領や首相を公正に評価することができますし、将来、自らがビジネスリーダーとして難しい問題に直面した際にも、正しい決断をすることができます。
正しい戦争と不正な戦争
佐藤 授業では、「正しい戦争と不正な戦争」(マイケル・ウォルツァー著)に書かれてある正戦論をベースに、トルーマンの決断が人道的に正しかったのかどうかを議論します。ウォルツァーは著書の中で戦闘行為を正当化するための原則をいくつか紹介していますが、その中のどの原則を根拠に、トルーマンは原爆投下を決断したのでしょうか。
サッチャー 3つあります。1つめが「功利主義」。トルーマン、トルーマンのアドバイザー、ウィンストン・チャーチルは皆、「本土上陸作戦よりも原爆投下のほうが戦争を早く終わらせることができるため、結果的に犠牲者が少ない」と主張していました。つまり、「戦争における最大の思いやりは、戦争を早く終わらせることができることなのだから、原爆投下は人道的に正しい決断だ」という考え方です。
2つめが「戦争は地獄」。これは南北戦争時の北軍の将軍の言葉に由来する原則ですが、「戦争の罪は、それを始めた人がすべて負うべきだ。敵対行為に抵抗する側は勝つために何をやろうが決して非難されない」(*1)という考え方です。戦争をしかけられ、正義の戦いを行うものは選択の余地なく地獄の戦場に赴くしかないから、というのがその理由です。
「戦争は地獄」に基づけば、「真珠湾攻撃によって、アメリカに対する戦争をはじめたのは日本だ。だから、日本人が始めた戦争を終結させるのに最も早い方法、つまり、原爆を使ったとしても、アメリカに罪はない」という結論になります。
3つめが「スライディング・スケール」。「正義の度合いが高いほうが、より正しい」という考え方です。この原則に基づけば、「正義の度合いが高ければ、戦い方も大きくしてよい」、つまり、「真珠湾攻撃の犠牲者であるアメリカ側の正義の度合いはかなり高いのだから、それに見合った攻撃をしてもよい」ということになります。この考え方もまた原爆投下を正当化するのに使われました。
佐藤智恵氏
佐藤 トルーマンは「功利主義」「戦争は地獄」「スライディング・スケール」という3つの原則によって原爆投下を正当化しましたが、「正しい戦争と不正な戦争」の著者、マイケル・ウォルツァーは、そのような原則で原爆投下を肯定するのはおかしい、と非難しています。この3つを非難する根拠となっている原則は何ですか。
サッチャー 戦争における最も重要なルールは「非戦闘員の保護」です。それはつまり「戦争は戦闘員同士の戦いでなければならず、非戦闘員である民間人を敵とみなして攻撃したり、巻き込んだりしてはいけない」という基本原則です。多くの民間人が犠牲になった原爆投下がこの原則に違反しているのは明らかです。
「ダブル・エフェクト」の原則にも反しています。「ダブル・エフェクト」とは、「意図的に非戦闘員を攻撃することは人道的に許されない」「戦闘員は非戦闘員の被害を最小限に食い止めるために最大限の努力をしなければならない」というルールです。連合国側は日本に対して、「破壊的な威力をもつ新兵器を使う用意がある」と警告はしましたが、その警告は軍部に向けられたものでした。つまり、民間人に被害が及ばないように事前に広島と長崎の市民に対して直接警告することはしませんでした。
「比例性のルール」にも反しています。これは過度の危害を禁じる原則であり、「実質的に勝利に向かわない危害、もしくは危害の大きさに比べて目的への貢献度がわずかな危害は許されない」というルールです。アメリカ政府は、原爆が人間に与える危害を理解することなく使用し、戦争を終結させました。危害の大きさも目的への貢献度も把握しないまま、原爆を投下したのは、比例性のルールに反しています。
佐藤 学生は、トルーマンの論理と、ウォルツァーの論理を比較しながら、「トルーマンの決断は人道的に正しかったのか」を議論していきますが、「戦争のルール」についての議論の中で特に印象に残った発言はありましたか。
サッチャー 軍隊出身の女子学生の発言がとても印象的でした。彼女は自らの経験から、現在、米軍ではどのような決断プロセスが採用されているかを話してくれました。それはトルーマンの決断プロセスとは全く違っているものでした。
現在、米軍では、どの組織であっても、トップは他の隊員からの意見を聞くことなく、最終決断を下してはならないそうです。たとえば、隊長が戦線を拡大したいと思ったとしましょう。その際には必ず「このように戦線を拡大したいと思うがどうだろうか」と部下に意見を求め、それに対して部下は自由に反論を述べたり、他の代替案を提案したりするそうです。少なくとも3つの代替案を検討した上で、最終決断を下すと聞きました。
もう1つ彼女の発言で印象的だったのは、弁護士がトップの決断プロセスに深く関わっていることです。陸軍・海軍・空軍・海兵隊には法務部門があり、軍事専門弁護士が参謀本部だけではなく戦地にも常駐して、戦時法規の観点から助言しているそうです。どのような戦闘行為を行うか、さらに戦線を拡大すべきかどうか、など、すべての決断に弁護士が関わっているとのことです。
この女子学生のコメントに他の学生たちは大変驚いていました。彼女の発言でトルーマンの決断プロセスがいかに未熟なものであったかが、浮き彫りになったと思います。
*1:Michael Walzer, Just and Unjust Wars, Third Edition, (Basic Books, 2000), p. 32.
「人道的リーダーシップ」とは何か
佐藤 「モラル・リーダー」の授業で、学生は「原爆投下を実行したトルーマンを支持するか、支持しないか」、どちらかに手を上げなくてはならないそうですが、「支持する」という学生はいましたか。
サッチャー それほど多くはありませんでしたが何人かいました。私の授業では毎回、同じ質問をしますが、今の学生は皆、原爆投下がもたらした被害を知っているため、多くが「反対」を表明します。しかし「賛成」を表明する学生は必ずいるので、授業では少数派の意見を聞くことから始めます。「なぜトルーマンが原爆投下を決断したのは正しかったと思うのですか」と。
佐藤 それに対してのコメントで印象深かった発言はありましたか。
サッチャー 中国人の学生のコメントが印象に残っています。彼は、中国人の視点から、この戦争がどんな戦争だったか、中国人が日本人の軍人からどのような扱いを受けたか、を語りました。私の授業には毎回、日本人学生や、広島を訪れたことのある学生がいて、興味深いコメントをしてくれるのですが、中国人の学生がこのような発言をしたのははじめてだったと思います。
佐藤 どのような発言だったのでしょうか。
サッチャー 彼はアメリカで育った中国人でしたが、「戦時中の日本軍の残虐行為について、アメリカの学校の教科書にはきちんと記述されていない」と指摘していました。おそらくアメリカ人学生はこの事実を知らないだろうと思って発言したのだと思いますが、彼の発言に他の学生たちは大変驚いていました。ハーバードの学生はナチスドイツ軍についてはよく知っていますが、日本軍についてはあまりよく知らないからです。彼が語った日本軍の行為は、ナチスドイツ軍の行為ととても似ていました。ただし彼は「自分は日本や日本の国民を非難するつもりはなく、日本の軍人が残虐行為を行った事実を伝えたいだけだ」と言っていました。
彼が原爆投下を支持したのは、どんな手段を使っても戦争を早く終結させるべきだと思ったからです。彼にとってトルーマンの決断は中国の国民を救う決断であり、原爆投下は正当化されるべき行為でした。
トルーマンにとっての「道徳」は何だったか
佐藤 授業では、「トルーマンの決断は人道的であったか」をテーマに、議論を深めていきます。サッチャー教授は、不正行為を重ねる人の「道徳離脱」についても研究されていますが、トルーマンが原爆投下を決断したとき、脳内で「道徳離脱」を起こしていなかったのでしょうか。
サッチャー 道徳離脱とは、「小さな不正行為からひどい残虐行為まで、無意識のうちに人間を悪い行動へと導く精神的なプロセス」(*1)のことです。道徳離脱を起こしている人は、自分が他人に害を与えているとか、悪いことをしているといった意識はありません。
戦時中に道徳離脱を起こす人は、敵をアウトグループ(外集団)とみなし、「彼らは自分たちと同じ人間ではないのだから人間として扱う価値はない」「人道的かどうかを検討する必要などない」と考える傾向にあります。つまり相手を自分と同じ人間として見ないのです。
私はトルーマンに関する記録を多数読みましたが、トルーマンは道徳離脱を起こしていなかったと思います。トルーマンは日本人を同じ人間として見ていました。
トルーマンは、「アメリカ国民を守り、アメリカに有利な条件で戦争を終結させることが自分の責任であり、そのために自分ができることは原爆投下を決断することだ」と認識していました。私が思うに、トルーマン自身は、「この状況下で最も人道的な決断を下した」と信じていたのではないでしょうか。
佐藤 トルーマンは、日本人を同じ人間として見ていた、とのことですが、彼は、日本人のことを「野獣」(Beast)と呼んでいました。本当に人間として見ていたのでしょうか。
サッチャー その事実を物語る記録があります。トルーマンは、広島への原爆投下後、ジョージア州の上院議員から、「日本にできるだけ多くの原子爆弾を落としてください。アメリカ国民は皆、日本人が完全に降伏するまで日本を攻撃するべきだと考えています」という電報を受け取っています。これに対してトルーマンは次のように返信しています。
「我々の交戦相手である日本はひどく残虐で野蛮な国だが、日本人は野獣なのだから、同じように我々も野獣のようにふるまうべきだ、という考えには同意できない。日本の一部のリーダーが『頑固に』降伏しないがゆえに、日本の全国民を殲滅しなければならないことを残念に思う。念のために言っておくが、絶対的に必要であるという状況でない限り、私はこれ以上の原爆投下を許可しない。ソ連が参戦すれば、日本は早晩、降伏するだろう。私の目的はできるだけ多くのアメリカ人の命を救うことだ。しかしながら私は日本の女性、子どもに対しても人間的な感情を抱いている。」(*2)
佐藤 ということは、トルーマンの良心は麻痺していなかったということですか。
サッチャー そうです。少なくともルールを守ろうとしていたことは確かです。トルーマンの自伝には次のようにも書かれています。
「原爆投下を決断する前に、私は原爆が戦時国際法に定められているルールにのっとって使用されるのかどうかを確認したかった。つまり私は、原爆を軍事施設のみに投下することを望んでいた。そこで私はスティムソン(陸軍長官)に、『原爆投下のターゲットは、日本軍にとって最も重要な軍需生産拠点に限定すべきである』と念を押した」(*3)
広島と長崎は候補としていくつか上がっていたターゲットのうちの2つでした。京都も候補にあがっていましたが、スティムソンが「京都は日本の文化的、宗教的な中心地だ」(*4)と主張し、候補からはずされました。
広島と長崎の市民に事前に警告しなかったことは、非道徳的行為だと思います。しかし、トルーマンと周りの助言者は、自分たちなりの論理で原爆投下を正当化し、「原爆投下をすれば早く戦争を終結できるのだから、これは人道的な行為だ」と本気で思っていたのです。またトルーマンは、原爆の威力についてはほとんど何も知らなかったというのが実情で、「これまでの爆弾よりもかなり破壊的な威力があるらしい」ぐらいの知識しかありませんでした。
佐藤 これは授業でも議論されている質問ですが、長崎にも原爆を投下する必要性はあったのでしょうか。
サッチャー 2つめの長崎への原爆投下は、日本に心理的なダメージを与えるためでした。トルーマンは、「戦争を終わらせるためには、アメリカが無数の原子爆弾を持っていることを日本人に知らしめる必要がある」と考えました。それには、日本が降伏するまで落とし続けるしかない、だから、広島のあとにももう1つ落としておこうという発想です。
トルーマン自身は「日本政府に終戦の決断を促すためだった」と説明していますが、私が問題だと思っているのは、広島への原爆投下後、2日しか猶予を与えずに、長崎へ原爆を投下したことです。なぜ2日ではなく、1週間ぐらい待つことができなかったのでしょうか。これは人道的な見地からみても説明がつかないと思います。
佐藤 日本の大学生や大学院生に「トルーマンと原爆」をテーマに授業をするとしたら、どのような授業にしたいですか。
サッチャー ハーバードの授業とは少し変えて、2回にわけて教えたいですね。最初のセッションは、日本人の学生がおそらく知らないであろうと思われる内容を含めた第二次世界大戦についての授業。日本の小・中学校では「日本は戦争の犠牲者である」ことは教えているけれども、「日本が加害者であった」ことはそれほど詳しく教えていないと聞いています。この認識だと、「私たち日本人は戦争の犠牲者です。原爆を投下するなんて間違っている」という議論で終わってしまいますから、まずは日本の学生に世界的な視野から戦争を見つめ直してもらいたいと思います。
2回目のセッションでは、ハーバードと同じ形式で進行していきたいです。学生同士で「トルーマンの決断は是か非か」「昭和天皇はどのような役割を果たしたか」などについて、ハーバードの学生に負けないぐらい活発に議論してほしいですね。
アメリカ大統領のモラルリーダーシップ
佐藤 日米関係の発展のためにモラルリーダーシップ(人道的なリーダーシップ)を発揮したアメリカ大統領といえば、ジョージ・H・W・ブッシュ元大統領が真っ先に思い浮かびます。1991年12月、ジョージ・H・W・ブッシュ大統領(当時)が真珠湾攻撃50周年式典で行った演説は、「融和演説」とも言われ、戦後の日米関係史の分水嶺になったと高く評価されています。特にこの部分が有名です。
「私はドイツに対しても日本に対しても何の恨みも持っていません。憎悪の気持ちなど全くありません。真珠湾攻撃により多くの人々が犠牲になりましたが、このようなことが二度とおこらないことを心から願っています。報復を考えるのはもうやめにしましょう。第二次世界大戦は終わったのです。戦争は過去のことなのです」(*1)
第二次世界大戦中、日本軍に自らが搭乗する飛行機を撃墜された経験を持つブッシュ大統領の言葉はとても重いと感じています。サッチャー教授はこの演説をどのように評価しますか。
サッチャー これはまさにモラルリーダーシップの模範例です。ジョージ・H・W・ブッシュ大統領は、ドイツと日本に対して何の恨みも持っていません、とはっきりと伝えています。もうお互いを非難しあう時代ではないと。ブッシュ大統領は、アメリカと同じようにドイツと日本もまた戦争の被害を被った犠牲者である、と認めています。そして「戦地で戦った私がこのつらさを乗り越えられたのだから皆さんもできるはず。だから、私に続いてください」と呼びかけたのです。
佐藤 昨年(2016年)のオバマ前大統領の広島訪問もまたモラルリーダーシップを示した事例でしょうか。
サッチャー そうです。オバマ大統領(当時)は、アメリカの大統領として初めて広島を公式訪問し、アメリカが広島の人々に被害をもたらした事実を認め、原爆投下の犠牲者となった方々を追悼しました。オバマ大統領が被爆者の方の手を握り、抱き寄せた場面は大変感動的でした。それは彼が大統領としてだけではなく、一人の夫として、一人の父親として、一人の人間として、敬意を払っていることを象徴するシーンでした。
オバマ大統領は、また次のように世界に呼びかけました。
「私たちは過去の過ちを繰り返す遺伝子によって縛られているわけではありません。私たちは学ぶことができます。選択することができます。子どもたちに新しい物語を言い伝えることができます。それは、私たちには共通の人間性があることを伝えるストーリーであり、今よりも戦争の数が減って、残虐な行為が簡単に許されなくなるような世界を実現することが可能であることを示すストーリーです」(*2)
世界には戦争の犠牲となった多くの「被害者」がいます。被害者側は、加害者側に自分たちの痛みをわかってほしい、と願っているものです。オバマ大統領の人道的な行動は、こうした世界の人々の願いに応えるものだったと思います。
佐藤 世界の超大国アメリカの大統領はどのようなモラルリーダーシップを示すべきだと思いますか。
サッチャー アメリカ国民だけではなく、世界中の人々が、アメリカの大統領には発言や行動を通じてモラルリーダーシップを発揮してほしいと願っています。
アメリカには、自由を尊重し、人権を守ってきた歴史があります。そのことをアメリカ人は誇りに思っています。そんな私たちにとって最も恥ずべきなのは、奴隷制を長く続けてきた歴史です。その負の遺産が今も人種間に対立をもたらしています。アメリカは「人種のるつぼ」として移民を歓迎しなければなりません。どんな時代であっても彼らの人間性や社会的な貢献力を尊重しなくてはならないのです。アメリカの大統領が移民に対して人道的な視点をないがしろにした政策を実施することを歓迎する人は、世界のどこにもいないと思います。
日本、中国、ヨーロッパ諸国のリーダーに対しても、同じようにモラルリーダーシップが期待されています。それぞれ歴史も違いますし、抱えている課題も違いますが、求めるリーダー像は同じです。市民が必要としているのは、より平和で、安全で、繁栄した世界、誰もが活躍できる自由世界へと私たち市民を導いてくれるようなリーダーであり、口先で約束するだけではなく、自ら行動し、実現してくれるリーダーです。
佐藤 世界最大の軍事大国、アメリカの大統領には、特別な役割があると思いますか。
サッチャー 国を率いるリーダーとして責任がある、という点では他の国のリーダーと同じです。平和で繁栄した国をつくる、国民が政治に参加できる民主的な国家をつくる、という役目に変わりはないでしょう。しかし、軍事大国としての歴史を持ち、自国だけではなく他国を軍事的に支援してきた歴史を持つアメリカには、特別な責任があると思います。
アメリカ国外で起こった紛争に対して、アメリカが介入すべきなのか否か、を決めるための明確なルールはありません。なぜアメリカはイラク、アフガニスタン、シリアの紛争に軍事介入したのでしょうか。本当にアメリカの国益が損じられたから軍事介入したのでしょうか。その理由を探ってみても、背景が複雑すぎて、私たち国民にもよくわからない、というのが現状なのです。
こうした中、世界の国々の自由と平和を守ることが、果たしてアメリカの国益につながるのか、という議論も出てきていますが、私自身はその役目を果たせる国はアメリカしかないと考えています。なぜならアメリカを超えるような大国が他にないからです。どのような難しい状況においても、アメリカの大統領はモラルリーダーとして、世界の人々の自由と平和を守る役割を果たすべきだと思います。
佐藤 日本の政治的リーダーは軍事・外交面でどのような役割を担っていると思いますか。
サッチャー 日本のリーダーは、外交パワーを活用して、世界の国々を助ける役割を果たすべきだと思います。日本の軍事パワーは防衛に限られているとはいっても、日本には外交パワーがあります。軍事パワーよりも、他のソフトパワーのほうが他国と相互依存関係を築いていくのにずっと有益なのです。
日本、中国、ヨーロッパ諸国のリーダーに対しても、同じようにモラルリーダーシップが期待されています。それぞれ歴史も違いますし、抱えている課題も違いますが、求めるリーダー像は同じです。市民が必要としているのは、より平和で、安全で、繁栄した世界、誰もが活躍できる自由世界へと私たち市民を導いてくれるようなリーダーであり、口先で約束するだけではなく、自ら行動し、実現してくれるリーダーです。
佐藤 世界最大の軍事大国、アメリカの大統領には、特別な役割があると思いますか。
サッチャー 国を率いるリーダーとして責任がある、という点では他の国のリーダーと同じです。平和で繁栄した国をつくる、国民が政治に参加できる民主的な国家をつくる、という役目に変わりはないでしょう。しかし、軍事大国としての歴史を持ち、自国だけではなく他国を軍事的に支援してきた歴史を持つアメリカには、特別な責任があると思います。
アメリカ国外で起こった紛争に対して、アメリカが介入すべきなのか否か、を決めるための明確なルールはありません。なぜアメリカはイラク、アフガニスタン、シリアの紛争に軍事介入したのでしょうか。本当にアメリカの国益が損じられたから軍事介入したのでしょうか。その理由を探ってみても、背景が複雑すぎて、私たち国民にもよくわからない、というのが現状なのです。
こうした中、世界の国々の自由と平和を守ることが、果たしてアメリカの国益につながるのか、という議論も出てきていますが、私自身はその役目を果たせる国はアメリカしかないと考えています。なぜならアメリカを超えるような大国が他にないからです。どのような難しい状況においても、アメリカの大統領はモラルリーダーとして、世界の人々の自由と平和を守る役割を果たすべきだと思います。
佐藤 日本の政治的リーダーは軍事・外交面でどのような役割を担っていると思いますか。
サッチャー 日本のリーダーは、外交パワーを活用して、世界の国々を助ける役割を果たすべきだと思います。日本の軍事パワーは防衛に限られているとはいっても、日本には外交パワーがあります。軍事パワーよりも、他のソフトパワーのほうが他国と相互依存関係を築いていくのにずっと有益なのです。
サンドラ・サッチャー(Sandra J. Sucher) ハーバードビジネススクール教授。専門はジェネラル・マネジメント。MBAプログラムにて必修科目「リーダーシップと企業倫理」、選択科目「モラル・リーダー」を教える。現在の研究分野は、世界経済における企業の信用の構築。大手デパート、フィデリティ・インベストメンツ社などで25年間に渡って要職を務めた後、現職。リーダーシップや倫理的ジレンマを主題とした教材を多数執筆。著書に“Teaching The Moral Leader A Literature-based Leadership Course: A Guide for Instructors” (Routledge 2007), “The Moral Leader: Challenges, Tools, and Insights” (Routledge 2008). 現在、「企業と信用」をテーマに著書を執筆中。 佐藤智恵(さとう・ちえ) 1970年兵庫県生まれ。1992年東京大学教養学部卒業後、NHK入局。報道番組や音楽番組のディレクターとして7年間勤務した後、2000年退局。 2001年米コロンビア大学経営大学院修了(MBA)。ボストンコンサルティンググループ、外資系テレビ局などを経て、2012年、作家/コンサルタントとして独立。コロンビア大学経営大学院入学面接官、TBSテレビ番組審議会委員、日本ユニシス株式会社社外取締役。主な著者に『世界のエリートの「失敗力」』(PHPビジネス新書)、『ハーバードでいちばん人気の国・日本』(PHP新書)、「スタンフォードでいちばん人気の授業」(幻冬舎)。佐藤智恵オフィシャルサイトはこちら
レック・デュークセン Alek Duerksen/1987年アイオワ州生まれ。2015年ハーバードビジネススクール入学。2017年MBA取得
2017年4月、ハーバードビジネススクールで「トルーマンと原爆」をテーマとした授業が行われた。この授業では、毎年60名の学生が80分間、「トルーマンの原爆投下はリーダーとして正しい決断だったか否か」について白熱した議論を戦わせる。授業に参加した学生は何を学んだのか。アメリカ人学生のアレック・デュークセンさんに聞いた。
佐藤 今日の授業では「原爆投下を決断したトルーマンは人道的に正しかったか」について議論したと聞いています。授業を受けてトルーマンの決断に対する見方は変わりましたか。
デュークセン アメリカの高校の世界史の授業では「原爆を投下しなかったら日本は降伏せずに戦争を継続し、さらに多くの犠牲者が出ただろう」と教えられていて、それを当たり前のように信じていました。戦争に勝ったのはアメリカなのだから、原爆投下が正当化されるのは当然だろうとも思っていました。
ところが、今日の授業でその考え方が変わりました。なぜなら、「原爆を使用しなくとも日本は早晩、降伏することが予想されていた」という事実を初めて知ったからです。
授業では、正しい戦争にはルールがあることを学びましたが、唯一、ルールに従わなくてもよいとされているのが、「最高度緊急事態」です。私は日本への原爆投下は「最高度緊急事態」だったから実行された、と考えていました。しかしながら、この授業のために多くの資料を読んだり、クラスメートと議論したりする中で、本当にそうだったのか、と疑問に思うようになったのです。
佐藤 「正しい戦争と不正な戦争」の著者、マイケル・ウォルツァー氏は、第二次世界大戦におけるナチスドイツの台頭を「最高度緊急事態」と説明しています。つまり、米英によるドイツ本土への無差別爆撃は「最高度緊急事態」だったから正当化された、という考え方です。1945年の日本をめぐる状況は「最高度緊急事態」ではなかった、とデュークセンさんが考えた根拠は何ですか。
デュークセン 1945年8月の段階で、日本軍はすでに弱体化しており、アメリカ本土まで攻め入ってくる可能性はほぼありませんでした。そこがドイツの状況とは根本的に異なっていたと思います。
たとえば、米軍が本土上陸作戦を実行せず、原爆も投下しなかったとしましょう。ただ日本の周りを封鎖するという作戦をとったとします。その状況で日本軍はどれほどアメリカの市民に直接的な危害を与えることができたでしょうか。あるいは、アメリカの自由、正義、文明を脅かすことができたでしょうか。「その可能性はほぼなかった」というのが私の見方です。
佐藤 サッチャー教授は、授業中「原爆投下をするという決断に賛成の人はいますか」と聞いたそうですが、どちらの立場をとりましたか。
デュークセン 反対の立場です。繰り返しになりますが、アメリカの自由、正義、文明に直接危害を与えるほどの緊急事態ではなかった、だから原爆投下も本土上陸も必要なかった、というのが私の結論です。
しかし、学生の中には、賛成した人も何人かいました。全員欧米人だったと記憶しています。特にアメリカ人にとって、自国が非道徳的なことを行った過去があることを認めるのは難しかったのではないでしょうか。日本の立場を代弁する日本人学生がその場にいなかったことも、彼らが賛成した要因の1つだと思います。
多くの学生は、「原爆投下は正当化される。なぜなら日本軍は残虐行為をしていたから」と発言していました。しかし、議論が深まっていく中で、「その論理は間違っている」と考える反対派に押されていたように感じました。
佐藤 デュークセンさんが、もしトルーマンだったら、どのように決断しますか。
デュークセン 私だったら、反対意見も聞きますし、代替案も検討します。「本当に原爆投下しか戦争を終結させる方法はないのだろうか」「日本を無条件降伏させることを絶対条件にすべきだろうか」「対話による和平交渉はできないのか」といったことも考慮するでしょう。仮に原爆の威力を試す必要があると考えた場合でも、威嚇のために無人島に落とす、といった方法を検討したと思います。
佐藤 威嚇や警告によって、日本に降伏する機会を与える、ということですね。
デュークセン はい。そうすることが適切だと思います。1945年7月にアメリカ、イギリス、中国は共同でポツダム宣言を出しましたが、その際「これを受諾しなかったら原爆を落とす」とは警告していませんでした。少なくとも日本国民に警告して、日本に降伏の機会を与えるべきだった、と思います。それから、授業で、2つめの長崎への原爆は必要だったかどうかも議論しましたが、私は必要なかったと思います。
佐藤 トルーマンはなぜ原爆を投下するという非人道的な決断をしたと思いますか。
デュークセン その問題については、自分がスポーツをしていたときの経験を交えて、授業で発言しました。「段階的な決断プロセス」よりも、「人間がもともと持っている性質」という視点から、トルーマンの決断を合理的に説明したいと思ったからです。
人間なら誰でも、『あんなことを言わなければよかった』と後悔するようなことを言ってしまった経験はあるでしょう。あまりにも目の前のことに集中しすぎて、周りが見えなくなってしまい、ついつい、感情的なことを言ってしまう……。スポーツの試合をしている最中などに私はよくそういう経験をしました。
トルーマンも同じような状況だったのでは、と推察します。アメリカに戦争を仕掛けてきた相手と4年近くも戦い続ければ、勝ちたい、仇討ちしたい、と思うのもわかります。そうなれば、大義よりも、「これを実行すれば相手を打ち負かすことができるか」を重視して決断することになります。
大統領といえども、人間なのですから、その決定プロセスには、人間の性質や意志といった人間的な要素が多分に関わってきます。特に、周りの人たちが皆、賛成している中で冷静に、合理的に決断するというのはとても難しかったのではないかと思います。
佐藤 サッチャー教授は授業の最後に、昭和天皇の「終戦の詔書」を読んだそうですが、それを聞いてどう思いましたか。
デュークセン 昭和天皇は、非常に率直にご自身のお気持ちを述べられているなと感じました。国の名誉のためとはいえ、これ以上戦争を継続すれば、多くの国民が犠牲になる、と判断し、ポツダム宣言の受諾を決断されました。これはとても人道的な決断だったと思います。ただ、私自身は、サッチャー教授が読むのを聞いていて、何だか悲しい気持ちになりました。
佐藤 それはなぜでしょうか。
デュークセン 私自身がスポーツに親しんできたことが大きいと思います。私は子どものころからずっとラグビーの選手だったので、「スポーツマンシップにのっとり、スポーツマンとしての名誉を守り、最後まで戦い抜く精神こそが大切だ」と教えられてきました。
戦争に勝つために全国力を注ぎ、多くの国民を犠牲にして戦い続けたのちに、「途中で勝利を諦めます」と決断しなければならないなんて……。自分が同じような決断を迫られたら、と考えたら、とても悲しい気持ちになったのです。また自分が国民だったら、リーダーには「もうダメだ。あきらめよう」などとは絶対に言ってほしくない、とも思いました。
佐藤 デュークセンさんはMBA取得後、世界有数のメーカーに就職されるそうですが、この授業から得た学びをどのように生かしたいですか。
デュークセン 私はビジネスの場であっても、ついつい「勝ちたい」と思ってしまいますが、こうした人間の感情が正しい判断を曇らせることを今回の授業から学びました。自分が勝つことだけを目的に決断し、その決断を後から正当化する、というのは人道的リーダーとしてふさわしい行動ではありません。この授業から得た教訓を忘れずに、いかなるときも代替案を検討し、反対意見を考慮し、感情的にならず、冷静に判断できるリーダーをめざしたいですね。
良ければ下にあります
を応援クリックよろしくお願いします。