長洋弘『インドネシア残留元日本兵』を読んで

11/7日経朝刊には『中国の本気度 見抜けず インドネシア高速鉄道、日本が受注失敗 「親日国だから」安心あだに・・・・・・日本と中国が激しい受注合戦を繰り広げたインドネシアの高速鉄道計画。2008年ごろから提案してきた日本は、今年3月に参入したばかりの中国に計画受注をさらわれた。なりふり構わぬ中国の攻勢に日本はなすすべなく敗れた。これまでインドネシアと親密な関係を築いてきた日本側に死角はなかったのか。

 「中国の高速鉄道が工事から運営管理まで一体で海外進出する第1弾だ」。ジャカルタで10月16日開いたジャカルタ―バンドン間の高速鉄道建設に向けた合弁会社設立の署名式。中国国有大手、中国鉄道総公司幹部の楊忠民氏はこう強調した。

 インドネシア政府は9月3日に「日中双方の提案は受け入れられず事業を見直す」と宣言。ところが親中派とされるリニ国営企業相の訪中直後の23日、中国案の採用が急転直下決まり、日本は入札すらできなかった。

政権交代を利用

 「経緯が不透明で理解しがたい。信頼関係は損なわれた」。菅義偉官房長官は29日、特使として来日したソフィアン国家開発企画庁長官を厳しく非難。短時間で会談を切り上げ、安倍晋三首相との面会も拒んだ。

 日本案は技術や安全性に優れるが高価という見方は誤解だ。総事業費は中国案の74兆ルピア(約6600億円)に対し、日本案は64兆ルピア(約5700億円)だ。

 「何としても日本から奪って受注するように」。中国の習近平国家主席が中国国家開発銀行の幹部に指示したのは14年末。中国は将来的に米国と対峙するため、東南アジア諸国連合(ASEAN)の取り込みを開始。ASEAN内で影響力が大きく、ともに親日国のタイとインドネシアを特に重視した。

 中国が相手国の政権交代を「国益」に利用するのは定石だ。対インドネシア外交でも習氏は14年10月のユドヨノ前政権からジョコ現政権への交代を見逃さなかった。ジョコ氏は就任直後の11月、アジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議出席で訪中し習氏と会談。2カ月後、日本が提案した高速鉄道計画の中止をいったん宣言する。

 焦る日本側は再考を促そうと15年3月に来日したジョコ氏を東京から名古屋まで東海道新幹線「のぞみ」に乗せた。インドネシア紙記者から乗り心地を尋ねられてもジョコ氏は「さあどうだろう」と答えを濁した。その理由は直後に判明する。ジョコ氏は日本に続いて訪れた中国で習氏と再び会談し、中国による高速鉄道建設の事業化調査の受け入れに合意した。

「不可能な条件」

 日本案はインドネシア政府の債務保証を伴う低金利の円借款が前提だ。ただ中国案にはインドネシア政府の財政負担や債務保証は一切不要な上、ジョコ氏の任期中の完成などインドネシア側の要求に沿った条件が並んだ。いずれも「支援の常識を外れた日本には不可能な条件」(国際協力銀行の前田匡史専務)だ。

 それでも安倍首相は和泉洋人首相補佐官を7、8月と相次いでインドネシアに派遣し追加提案を示したが、中国案優位の流れは覆せなかった。

 中国からインドネシアに多額の賄賂が飛び交ったとの情報もあり、日本政府が事実関係を一時、調査した。日本は外国公務員への贈賄行為を禁じた経済協力開発機構(OECD)加盟国。一方、未加盟の中国にそれを守る義務はない。

 もっとも中国案が計画通り進む保証はない。中国は04年、フィリピンが計画した鉄道建設事業を受注したが工事は進まず計画は凍結。この時、フィリピン政府の支援要請先は日本だった。

 「中国のなりふり構わぬ競争に付き合う必要はない」。菅氏は9月中旬、ついに幕引きを決めたが、日本にとって今後も最大のライバルが中国となるのは間違いない。

 首相周辺は「インドネシアは親日国だから、という安心感がなかったと言えば嘘になる」と振り返る。それ以上に、中国のインドネシア攻略にかける本気度を日本政府は見抜けなかった。

(政治部 島田学、ジャカルタ=渡辺禎央)』とありました。

この記事から言えることは①日本政府の油断→今までのODAの大きさから日本受注と安心。敵(中国)は政権交代を狙って仕掛けてきたのに、気が付かず。民間企業であれば、売り込み先の人事異動があれば、従来の関係を築いて行けるよう営業するものですが。さすが日本の役人というだけのことはあります。まあ、中国の賄賂攻勢の前では如何ともしがたいのかもしれませんが。②中国に新幹線技術を売り渡した売国政治家(Second floorらしいですが)とJR東日本と川崎重工業の責任は重いでしょう。大量・高速輸送が展開できるのですから軍事に応用できるでしょう。そんなことも考えずに、敵国に技術供与するのですから何をかいわんやです。

本書はインドネシア独立に貢献した日本人(含む台湾人)の記録です。積極的にインドネシア独立軍に参加した人、仕方なく参加した人といますが、植民地解放という歴史を作るのに体を張って戦ったことは間違いありません。戦後日本人の惰弱な生き方とは違います。インドネシアも『ムルデカ17805』の意味をよく考えないと。日本人も自虐史観ではなく、世界史を築いた人たちがいたというのを記憶に留めておく必要があります。残留兵は全員亡くなったので、記録としての本書の重要性は言うまでもありません。多くの方に読んで戴ければ。それと日本政府は「慰霊碑」の保存に金を出すべきです。インドネシアのジョコ政権だと中国の意を受けて、歴史を抹殺しないとも限りませんから。

内容

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