5/1泉 ユキヲの 国際派時事コラム『日米はともに戦勝国だ @ 安倍総理演説』について

日本のメデイアはいつも中韓がこういうことを言ってる、NYTがこう言っていると馬鹿の一つ覚えのように言っています。進歩の言葉を知らない人達です。そういう言説は中国の日米分断を利すると考えたこともないのですかねえ。それでは知性が泣くでしょう。やはり不買を進めないと分からないのでしょう。

「エイブ」の話は「honest Abe」(リンカーン)から取ったものです。原稿を作成した方達はいろんなことを考えて作っている気がします。中韓からの批判が出ても受け流せる内容と思います。

8/15の70年談話もこの線で発表されるでしょう。「侵略」と「お詫び」はなしです。オバマ大統領、上下院でお墨付きを得たのですから、中韓が何を言おうと関係ありません。マイクホンダのような韓国系アメリカ人の票を当てにしてる議員はブツブツ言って来るでしょうが、相手にしないことです。首相の言う「戦後レジームからの脱却」がやっとスタートしたという事です。中国は日米分断の為、子分の韓国を使いながら、いろいろ仕掛けて来るでしょう。特に日本のメデイアを使いながら。

日本人もいい加減気が付いた方が良い。中韓の言ってきたことが正しいのかどうか?自分で調べればすぐ分かります。慰安婦は朝日が取消し、韓国の女性家族省も「強制性なし」と明言するに至りました。南京虐殺もすぐ嘘と分かります。当時の南京市民は20万しかいなくてどうやって30万も殺せるのか?また遺体処理は?孫子の遺伝子を持つ民族です。嘘を世界に広める情報戦で圧倒的に日本は負けています。戦闘レベルの優秀さを追求するだけでなく、世界観や戦略レベルでも勝たないと。やはり、日米豪印、ASEANの同盟が大事です。

南沙諸島の軍事基地で4/29中国海軍の呉勝利司令官は米海軍制服組トップのグリナート作戦部長とのTV会議で「米国を含む関係国や国際組織が施設を利用することを歓迎する」と言ったとニュースで流れていますが、領土係争地域で中国の領有を認めさせればいいという所でしょうか?この論理でいけば「尖閣に中国の基地を造り、日本にも使わせてやる」と言うことになるでしょう。おかしな話です。オバマが何もできないと足元を見ての発言です。南沙を他人事と思うのは危険です。

記事

 安倍首相の「希望の同盟へ」演説をわが外務省のサイトで読んで、目がうるうるした。まことにみごとな演説で、全文を教科書に載せてもいいと思う。

(全文、というのがポイントで、教科書執筆者の恣意に任せようものなら、自衛隊の国際貢献について具体的に語った箇所など、真っ先に削除されかねない。)

(英文原文)

http://www.mofa.go.jp/na/na1/us/page4e_000241.html

(外務省の和訳)

http://www.mofa.go.jp/mofaj/na/na1/us/page4_001149.html

 前半はユーモアに満ち、米国人の心をぐっとつかむ。 安倍総理の人間味も伝わってくる語り口だ。日本そして安倍総理と関わった大ぜいの米国人の名を挙げることで、この日の演説の内容には数多くの証人がいるのだという印象を与える。この構成も秀逸。 

  一読してわかるのは、単に霞が関の外務官僚らが切り貼りした和文を英訳したものではないこと。 英語原作の憲法はサイテーだが、英語の演説はやはり英語原作でなければダメだ。

■ 日本は戦勝国だ ■

 日米がともに戦勝国であることをうたっているのが良い。

In the end, together with the U.S. and other like-minded democracies, we won the Cold War.

That’s the path that made Japan grow and prosper.

And even today, there is no alternative.

≪そしてついに、米国および志を同じくする民主主義諸国とともに、われわれは冷戦に勝利しました。この道を歩むことで日本は成長し繁栄するに至ったのです。これ以外の道がないことは、今日も同様です。≫

(なお、和訳は泉が英文から訳した。以下、同じ)

 第二次大戦時そもそも存在しなかった共産中国と韓国が「戦敗国の日本はオレたちにひれ伏せ」

と かまびすしい昨今であるが、とんでもない話で、「冷戦終結を以て日本は戦勝国となった。中国は、ちがうよね」という正しい歴史認識ののろしを上げたものと言ってよろしい。

 中国はもとより、韓国もすでに like-minded democracy とは言えまい。残念なことである。

■ 自責の念は、戦後すぐの話 ■

 この豊穣な内容の演説を読むにつけ、メディアがこぞって取り上げた例の箇所をことさらに論じるのは、あまりに「ためにする」ことと忸怩(じくじ)たる思いだが、わたしなりに語ろう。

Post war, we started out on our path bearing in mind feelings of deep remorse over the war. Our actions brought suffering to the peoples in Asian countries. We must not avert our eyes from that.

I will uphold the views expressed by the previous prime ministers in this regard.

≪戦争直後、日本国民はあの戦争に対してやるせない自責の念を心の中に抱きつつ歩み始めました。われわれの行為でアジア諸国の国民に苦しみをもたらしたのです。そのことから日本国民は目をそらしてはなりません。この点に関してわたしは、わが国の首相たちがこれまで表明してきた見解を引き継ぐものです。≫

 外務省訳が「戦後の日本は、先の大戦に対する痛切な反省を胸に、歩みを刻みました」とあるが、誤訳である。原文の英語は started out on our path とあるのだから「歩みを刻み始めました」である。つまり、外務省訳にいう「先の大戦に対する痛切な反省」は、あくまで、歩みを刻み「始めた」時点に抱いたものであり、今日なお deep remorse を抱いているとは、どこにも言っていない。

 それでよろしい。

 今回使われた remorse という単語も、上手に選んだものだ。 「内心に宿す自責の念」としては相当に強いことばだ。あくまで個々の人間の内心に属する感情であり、国家機構としての意思を言うものではない。内心に属するものであるがゆえに、謝罪という行為とは別である。

 それでいて、安倍総理の演説を聞く米国人らは、安倍総理自身が現在進行形で deep remorse を抱いているという印象を持つ。 「アベはアブナイ政治家だ」と触れ回る中・韓のエージェントらによる中傷を払拭するために大いに役立つことばを選んだものだ。

■ これっきりですね、の思いを引き継ぐ ■

 村山総理も小泉総理も、例の「おわび」を述べたときは、「これっきり」と思って述べたに違いない。ここまで繰り返し平身低頭を要求されることなど想像もしていなかったし、ましてやサンフランシスコ平和条約や日韓基本条約、日中友好条約を反故(ほご)にせんばかりの「賠償要求」を受けることなど想定もしていなかった。

 ≪この点に関してわたしは、わが国の首相たちがこれまで表明してきた見解を引き継ぐものです≫ と安倍総理は言ったのである。

 英語原文を読んでいると、東京都硫黄島(いおうとう)のことを Ioto と呼び、そのあと米国人の言を引用するなかでIwo Jima の名を使っている。日本では硫黄島(いおうじま)は鹿児島県の薩南諸島北部に位置する小島だ。 わが軍が祖国防衛戦を繰り広げた島は、硫黄島(いおうとう)なのである。

 ところが米国人にとっては、聖戦を繰り広げたのは Iwo Jima ということになっていて、この日本領の島に星条旗を立てる兵士らの姿の記念彫刻も Iwo Jima と称する。

 Iwo Jima という名称にも言及しつつ、正しい名称の Ioto を米国で正式にデビューさせたあたりも、この演説の起草者の偉いところだ。

演説全文(日本語)

米国連邦議会上下両院会議における安倍総理大臣演説

「希望の同盟へ」 平成27年4月30日(2015年4月29日(米国東部時間))

はじめに

 議長、副大統領、上院議員、下院議員の皆様、ゲストと、すべての皆様、 1957年6月、日本の総理大臣としてこの演台に立った私の祖父、岸信介は、次のように述べて演説を始めました。

 「日本が、世界の自由主義国と提携しているのも、民主主義の原則と理想を確信してい

るからであります」。

 以来58年、このたびは上下両院合同会議に日本国総理として初めてお話する機会を与えら

れましたことを、光栄に存じます。お招きに、感謝申し上げます。

 申し上げたいことはたくさんあります。でも、「フィリバスター」をする意図、能力ともに、ありません。

 皆様を前にして胸中を去来しますのは、日本が大使としてお迎えした偉大な議会人のお名前です。 マイク・マンスフィールド、ウォルター・モンデール、トム・フォーリー、そしてハワード・ベイカー。 民主主義の輝くチャンピオンを大使として送って下さいましたことを、日本国民を代表して、感謝申し上げます。 キャロライン・ケネディ大使も、米国民主主義の伝統を体現する方です。大使の活

躍に、感謝申し上げます。 私ども、残念に思いますのは、ダニエル・イノウエ上院議員がこの場においでにならないことです。日系アメリカ人の栄誉とその達成を、一身に象徴された方でした。

アメリカと私

 私個人とアメリカとの出会いは、カリフォルニアで過ごした学生時代にさかのぼります。家に住まわせてくれたのは、キャサリン・デル-フランシア夫人。寡婦でした。亡くした夫のことを、いつもこう言いました、「ゲイリー・クーパーより男前だったのよ」と。心から信じていたようです。

 ギャラリーに、私の妻、昭恵がいます。彼女が日頃、私のことをどう言っているのかはあえて聞かないことにします。デル-フランシア夫人のイタリア料理は、世界一。彼女の明るさと親切は、たくさんの人をひきつけました。その人たちがなんと多様なこと。「アメリカは、すごい国だ」。驚いたものです。

 のち、鉄鋼メーカーに就職した私は、ニューヨーク勤務の機会を与えられました。上下関係にとらわれない実力主義。地位や長幼の差に関わりなく意見を戦わせ、正しい見方なら躊躇なく採用する。

 ──この文化に毒されたのか、やがて政治家になったら、先輩大物議員たちに、アベは生意気だと随分言われました。

アメリカ民主主義と日本

 私の苗字ですが、「エイブ」ではありません。アメリカの方に時たまそう呼ばれると、悪い気はしません。民主政治の基礎を、日本人は、近代化を始めてこのかた、ゲティスバーグ演説の有名な一節に求めてきたからです。 農民大工の息子が大統領になれる──、そういう国があることは、19世紀後半の日本を、民主主義に開眼させました。 日本にとって、アメリカとの出会いとは、すなわち民主主義との遭遇でした。出会いは150年以上前にさかのぼり、年季を経ています。

第二次大戦メモリアル

 先刻私は、第二次大戦メモリアルを訪れました。神殿を思わせる、静謐な場所でした。耳朶を打つのは、噴水の、水の砕ける音ばかり。 一角にフリーダム・ウォールというものがあって、壁面には金色の、4000個を超す星が埋め込まれている。

 その星一つ、ひとつが、斃れた兵士100人分の命を表すと聞いたとき、私を戦慄が襲いました。 金色(こんじき)の星は、自由を守った代償として、誇りのシンボルに違いありません。しかしそこには、さもなければ幸福な人生を送っただろうアメリカの若者の、痛み、悲しみが宿っている。家族への愛も。

 真珠湾、バターン・コレヒドール、珊瑚海…、メモリアルに刻まれた戦場の名が心をよぎり、私はアメリカの若者の、失われた夢、未来を思いました。

 歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。私は深い悔悟を胸に、しばしその場に立って、黙祷を捧げました。 親愛なる、友人の皆さん、日本国と、日本国民を代表し、先の戦争に斃れた米国の人々の魂に、深い一礼を捧げます。とこしえの、哀悼を捧げます。

かつての敵、今日の友

 みなさま、いまギャラリーに、ローレンス・スノーデン海兵隊中将がお座りです。70年前の2月、23歳の海兵隊大尉として中隊を率い、硫黄島に上陸した方です。 近年、中将は、硫黄島で開く日米合同の慰霊祭にしばしば参加してこられました。

こう、仰っています。

 「硫黄島には、勝利を祝うため行ったのではない、行っているのでもない。その厳かなる目的は、双方の戦死者を追悼し、栄誉を称えることだ」。

 もうおひとかた、中将の隣にいるのは、新藤義孝国会議員。かつて私の内閣で閣僚を務めた方ですが、この方のお祖父さんこそ、勇猛がいまに伝わる栗林忠道大将・硫黄島守備隊司令官でした。

 これを歴史の奇跡と呼ばずして、何をそう呼ぶべきでしょう。

 熾烈に戦い合った敵は、心の紐帯が結ぶ友になりました。スノーデン中将、和解の努力を尊く思います。ほんとうに、ありがとうございました。

アメリカと戦後日本

 戦後の日本は、先の大戦に対する痛切な反省を胸に、歩みを刻みました。自らの行いが、アジア諸国民に苦しみを与えた事実から目をそむけてはならない。これらの点についての思いは、歴代総理と全く変わるものではありません。 アジアの発展にどこまでも寄与し、地域の平和と、繁栄のため、力を惜しんではならない。自らに言い聞かせ、歩んできました。この歩みを、私は、誇りに思います。

 焦土と化した日本に、子ども達の飲むミルク、身につけるセーターが、毎月毎月、米国の市民から届きました。山羊も、2,036頭、やってきました。 米国が自らの市場を開け放ち、世界経済に自由を求めて育てた戦後経済システムによって、最も早くから、最大の便益を得たのは、日本です。

 下って1980年代以降、韓国が、台湾が、ASEAN諸国が、やがて中国が勃興します。今度は日本も、資本と、技術を献身的に注ぎ、彼らの成長を支えました。一方米国で、日本は外国勢として2位、英国に次ぐ数の雇用を作り出しました。

TPP

 こうして米国が、次いで日本が育てたものは、繁栄です。そして繁栄こそは、平和の苗床です。

 日本と米国がリードし、生い立ちの異なるアジア太平洋諸国に、いかなる国の恣意的な思惑にも左右されない、フェアで、ダイナミックで、持続可能な市場をつくりあげなければなりません。太平洋の市場では、知的財産がフリーライドされてはなりません。過酷な労働や、環境への負荷も見逃すわけにはいかない。 許さずしてこそ、自由、民主主義、法の支配、私たちが奉じる共通の価値を、世界に広め、根づかせていくことができます。

 その営為こそが、TPPにほかなりません。

 しかもTPPには、単なる経済的利益を超えた、長期的な、安全保障上の大きな意義があることを、忘れてはなりません。 経済規模で、世界の4割、貿易量で、世界の3分の1を占める一円に、私達の子や、孫のために、永続的な「平和と繁栄の地域」をつくりあげていかなければなりません。日米間の交渉は、出口がすぐそこに見えています。米国と、日本のリーダーシップで、TPPを一緒に成し遂げましょう。

強い日本へ、改革あるのみ

 実は・・・、いまだから言えることがあります。

 20年以上前、GATT農業分野交渉の頃です。血気盛んな若手議員だった私は、農業の開放に反対の立場をとり、農家の代表と一緒に、国会前で抗議活動をしました。ところがこの20年、日本の農業は衰えました。農民の平均年齢は10歳上がり、いまや66歳を超えました。

 日本の農業は、岐路にある。生き残るには、いま、変わらなければなりません。

 私たちは、長年続いた農業政策の大改革に立ち向かっています。60年も変わらずにきた農業協同組合の仕組みを、抜本的に改めます。 世界標準に則って、コーポレート・ガバナンスを強めました。医療・エネルギーなどの分野で、岩盤のように固い規制を、私自身が槍の穂先となりこじあけてきました。

 人口減少を反転させるには、何でもやるつもりです。女性に力をつけ、もっと活躍してもらうため、古くからの慣習を改めようとしています。

 日本はいま、「クォンタム・リープ(量子的飛躍)」のさなかにあります。

 親愛なる、上院、下院議員の皆様、どうぞ、日本へ来て、改革の精神と速度を取り戻した新しい日本を見てください。

 日本は、どんな改革からも逃げません。ただ前だけを見て構造改革を進める。この道のほか、道なし。確信しています。

戦後世界の平和と、日本の選択

 親愛なる、同僚の皆様、戦後世界の平和と安全は、アメリカのリーダーシップなくして、ありえませんでした。 省みて私が心から良かったと思うのは、かつての日本が、明確な道を選んだことです。その道こそは、冒頭、祖父の言葉にあったとおり、米国と組み、西側世界の一員となる選択にほかなりませんでした。

 日本は、米国、そして志を共にする民主主義諸国とともに、最後には冷戦に勝利しました。

 この道が、日本を成長させ、繁栄させました。そして今も、この道しかありません。

地域における同盟のミッション

 私たちは、アジア太平洋地域の平和と安全のため、米国の「リバランス」を支持します。徹頭徹尾支持するということを、ここに明言します。

 日本は豪州、インドと、戦略的な関係を深めました。ASEANの国々や韓国と、多面にわたる協力を深めていきます。

 日米同盟を基軸とし、これらの仲間が加わると、私たちの地域は格段に安定します。

 日本は、将来における戦略的拠点の一つとして期待されるグアム基地整備事業に、28億ドルまで資金協力を実施します。

 アジアの海について、私がいう3つの原則をここで強調させてください。

 第一に、国家が何か主張をするときは、国際法にもとづいてなすこと。第二に、武力や威嚇は、自己の主張のため用いないこと。そして第三に、紛争の解決は、あくまで平和的手段によること。 太平洋から、インド洋にかけての広い海を、自由で、法の支配が貫徹する平和の海にしなければなりません。

 そのためにこそ、日米同盟を強くしなくてはなりません。私達には、その責任があります。

 日本はいま、安保法制の充実に取り組んでいます。実現のあかつき、日本は、危機の程度に応じ、切れ目のない対応が、はるかによくできるようになります。

 この法整備によって、自衛隊と米軍の協力関係は強化され、日米同盟は、より一層堅固になります。

それは地域の平和のため、確かな抑止力をもたらすでしょう。

 戦後、初めての大改革です。この夏までに、成就させます。

 ここで皆様にご報告したいことがあります。一昨日、ケリー国務長官、カーター国防長官は、私たちの岸田外相、中谷防衛相と会って、協議をしました。

 いま申し上げた法整備を前提として、日米がそのもてる力をよく合わせられるようにする仕組み

ができました。一層確実な平和を築くのに必要な枠組みです。 それこそが、日米防衛協力の新しいガイドラインにほかなりません。昨日、オバマ大統領と私は、その意義について、互いに認め合いました。皆様、私たちは、真に歴史的な文書に、合意をしたのです。

日本が掲げる新しい旗

 1990年代初め、日本の自衛隊は、ペルシャ湾で機雷の掃海に当たりました。後、インド洋では、テロリストや武器の流れを断つ洋上作戦を、10年にわたって支援しました。

 その間、5万人にのぼる自衛隊員が、人道支援や平和維持活動に従事しました。カンボジア、ゴラン高原、イラク、ハイチや南スーダンといった国や、地域においてです。

 これら実績をもとに、日本は、世界の平和と安定のため、これまで以上に責任を果たしていく。

そう決意しています。そのために必要な法案の成立を、この夏までに、必ず実現します。

 国家安全保障に加え、人間の安全保障を確かにしなくてはならないというのが、日本の不動の信念です。

 人間一人ひとりに、教育の機会を保障し、医療を提供し、自立する機会を与えなければなりません。紛争下、常に傷ついたのは、女性でした。わたしたちの時代にこそ、女性の人権が侵されない世の中を実現しなくてはいけません。

 自衛隊員が積み重ねてきた実績と、援助関係者たちがたゆまず続けた努力と、その両方の蓄積は、いまやわたしたちに、新しい自己像を与えてくれました。

 いまや私たちが掲げるバナーは、「国際協調主義にもとづく、積極的平和主義」という旗です。

 繰り返しましょう、「国際協調主義にもとづく、積極的平和主義」こそは、日本の将来を導く旗印となります。

 テロリズム、感染症、自然災害や、気候変動──。日米同盟は、これら新たな問題に対し、ともに立ち向かう時代を迎えました。

 日米同盟は、米国史全体の、4分の1以上に及ぶ期間続いた堅牢さを備え、深い信頼と、友情に結ばれた同盟です。

 自由世界第一、第二の民主主義大国を結ぶ同盟に、この先とも、新たな理由付けは全く無用です。

それは常に、法の支配、人権、そして自由を尊ぶ、価値観を共にする結びつきです。

未来への希望

 まだ高校生だったとき、ラジオから流れてきたキャロル・キングの曲に、私は心を揺さぶられました。 「落ち込んだ時、困った時、・・・目を閉じて、私を思って。私は行く。あなたのもとに。たとえそれが、あなたにとっていちばん暗い、そんな夜でも、明るくするために」。

 2011年3月11日、日本に、いちばん暗い夜がきました。日本の東北地方を、地震と津波、原発の事故が襲ったのです。

 そして、そのときでした。米軍は、未曾有の規模で救難作戦を展開してくれました。本当にたくさんの米国人の皆さんが、東北の子供たちに、支援の手を差し伸べてくれました。

 私たちには、トモダチがいました。

 被災した人々と、一緒に涙を流してくれた。そしてなにものにもかえられない、大切なものを与えてくれた。

 ──希望、です。

 米国が世界に与える最良の資産、それは、昔も、今も、将来も、希望であった、希望である、希望でなくてはなりません。

 米国国民を代表する皆様。私たちの同盟を、「希望の同盟」と呼びましょう。アメリカと日本、力を合わせ、世界をもっとはるかに良い場所にしていこうではありませんか。

 希望の同盟──。一緒でなら、きっとできます。

 ありがとうございました。