5/7日経ビジネスオンライン 山田泰司『ゴーストタウンで見た中国失速の実態 活気なき建設ラッシュ・楽観と倦怠感が交錯する農村部』記事について

中国の鬼城(ゴ-ストタウン)の記事です。写真で分かるように建物の周りに人影は殆ど見えず、車も少ないです。でも小生が中国にいた1997~2005年の間でもマンションに入っている人は少なかったです。それでもバブル崩壊しないのだから不思議です。やはりお札を刷ることでバブル崩壊を止めているのでしょうか?お札が打ち出の小槌になっています。それもどこまで続くかです。土地の使用権も買う人がいて成り立ちます。バブルがはじけると思えば誰も買わないでしょう。

高速バスで手前の駅で降ろされた経験はありません。そんなに乗らなかったからかもしれません。でも飛行機は乗客が少ないと良くキャンセル、或は他の飛行機と一緒にして乗せていました。合理的と言えば合理的。資源の無駄使いを防ぎます。でも契約の概念からは外れます。元々中国には法治の概念がありませんので。

中国では社会保障が無きに等しいので、老後は子供の世話になる親が多いという事です。でも親と一緒に暮らすのは嫁は嫌がるでしょう。金があれば養老院に入れるでしょうけど。結局嫁や子供を誘拐、トラフッキングするのは自分の老後を誰に見せるかという所から発している気がします。危ないのは男女比が大きく崩れている所です。自己中心ですから、他国からトラフッキングするか戦争を起こして男女比を調整するかが心配です。

2020年,5个男性中将有一个找不到配偶?(2020年、5人の男性中1人は配偶者を見つけられない?)

2020年中国将有3000万到4000万光棍漢(独身男子)找不到老婆(奥さんを見つけられず),這絶不是危言聳听(これは大げさでない)。1月20日,国家統計局発布的数据顕示,大陸人口超13.6億。2014年末,中国大陸人口為136782万人,比上年末(前年末と比べ)增加710万人,其中男性人口70079万人,女性人口66703万人,中国大陸男性比女性多3376万人。

記事

中国人観光客が温水洗浄便座やスナック菓子を日本で爆買いする様子を伝える報道が増えるのと比例するように、昨年あたりから日本のネット上で再び目立ち始めていることがある。中国語で「鬼城」、すなわちゴーストタウンが中国の各地に増え始めているというものである。たいていはまず中国のメディアがどこかのゴーストタウンを取り上げ、日本のメディアがそれを転載し、それを見た中国在住の人たちが、報道されていたゴーストタウンを実際に訪れたり、自分の周囲のゴーストタウンを写真に撮ってブログにアップしたりする、というパターンで広まっている。

「爆買い」の裏で増殖するゴーストタウン

 一口にゴーストタウンといっても、100万都市を目指して開発を始めたものの実際には3万人しか住んでいないといわれる内モンゴル自治区オルドスのように町全体がゴーストタウンになっているところもあれば、売れ行きの悪い分譲マンション、さらに、テナントも客も入らず廃虚のようになっているショッピングモールやデパートなど取り上げる対象は様々だ。そしてこれらの報道に共通するのは、「中国経済、大丈夫か」という懸念で締めくくられていることだろう。

 先に「再び目立ち始めた」と書いた通り、中国のゴーストタウンがクローズアップされるのは最近が初めてではない。オルドスのゴーストタウン化が言われ始めたのは2010年頃のこと。同じ2010年には、浙江省の省都(県庁所在地に相当)杭州の郊外に、パリの町並みを再現しエッフェル塔まで建てた大規模な分譲地がそっくりゴーストタウンになっているという話が広まった。私も当時、日本からのこの「中国のパリ」を取材しにやってきた日本の写真家を案内して現地を訪れたのだが、確かに見事なゴーストタウンっぷりだった。パリのアパルトマンを模した町にはゴミを収集する人しか見当たらない。むき出しの土に岩と雑草だらけという整地されない荒れ果てた地面にポツンと建つエッフェル塔の下で、ウェディングドレスとモーニングに身を包んだカップルが記念写真を撮っているというシュールな光景に出くわしたりした。

 中国でゴーストタウンの話が盛り上がると、上海でも時を同じくして、「空き店舗が目立つようになったな」「店に客が減ったな」と不景気を感じるようになる。そして、メディアや市場で、中国経済は果たしてハードランディングするのか、それともソフトランディングで落ち着くのかという話が活発になってくる。

物差しはアジア金融危機とリーマンショック

 ただ、とりわけ日本のメディアにおける議論は、近年の日中関係を反映して、まるでハードランディングを期待するかのような、初めからバイアスがかかったものが予想以上に多い。そこで私は自分自身の家計がハードにランディングした2度の経験に照らして、「まだ大丈夫」「そろそろヤバい」ということを計るようにしている。

 1度目は、当時住んでいた香港をアジア金融危機が襲った1997年から98年にかけてのこと。「繁栄した返還」を演出するために中国から流入したマネーで、返還の年の1997年の香港は、株式、不動産市場とも活況を呈し、株価を示すハンセン指数は連日のように最高値を更新していた。ところが、返還直後にタイの通貨暴落を機に始まった影響が、投機マネーの流入で株や不動産が実態以上の水準にまで上っていた香港を襲った。1997年8月7日に史上最高値(当時)の1万6673ポイントに達したハンセン指数は、1998年6月10日には7979ポイントと1年足らずで半分以下にまで落ち込んだ。不動産価格も1997年秋をピークに、1年後には35~40%暴落した。

 株もやらず不動産も持っていなかった私は当初、アジア金融危機を我が身に関わることとして実感してはいなかった。しかし、あれは97年の暮れ頃のことだっただろうか。上品な身なりをしたいかにも資産家といった雰囲気を持つ初老の婦人が香港の金融街・セントラルの路上にひざまずき、がっくりと首を落として物乞いをしている姿に衝撃を受けた。カシミアのような柔らく暖かそうな水色のセーターとベージュのウールのスラックスを着ていたが、残されたモノはその身に付けている服だけという雰囲気が伝わってきた。物乞いをして得たお金でどうにかなるような損失ではなかったはずだが、既に万策尽きて進退窮まってのことだったのだろう。成り金風では全くない旧家の夫人のような女性が路上で物乞いしなければらなないほどの切迫した状況にあるのかと、急所が縮こまる思いがした。

 それからほどなくして、私の勤めていた出版社も広告出稿の急減などにより急速に資金繰りが悪化。給料の遅配、一部媒体の廃刊と矢継ぎ早にリストラが進み、30人いた社員も半減した。なぜだか私はリストラの対象にはならなかったのだが、「こんな人を大切にしない会社にいられるか」と自ら辞めてフリーになったものの、不況下で全く仕事がなくたちまち窮し、蓄えを切り崩す生活が続くことになった。

 2度目は2008~09年にかけてのリーマンショックの時のこと。一時帰国した私は、所要で武蔵野線のある駅を訪れた。そこは、日雇い派遣を多く雇う物流会社の倉庫がある町で、駅前は派遣社員たちの集合場所になっているようだった。多くは目立たない色をしたジャンパーや作業着を着込んでいたが、その中に、トレンチコートにダークスーツの丸の内のサラリーマン然としたアラフォーと思しき男性が紛れていた。リーマンショックの影響でリストラに遭ったサラリーマンだろうか。集団から距離をとって1人たたずみ、おれの居場所はここじゃないんだとでもいうような気を全身から発していた。「影響は正社員にも及び始めているのか。これは深刻だ」、と思ったら急所が縮こまる思いがした。あれ? これはいつか来た道、はていつだったか、と思いを巡らせているうちに、私も日本の出版社からの仕事が急減。丸の内サラリーマン風の彼を目撃した2カ月後、私もその駅前に集合し、日雇い派遣として数カ月、日本で「出稼ぎ」することに相成ったのである。

ゴーストなのにさらにマンションを建てる町

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【広徳ではガランとした町にガラガラのマンションが並び、さらなる建築も進む】

 先に書いたように、上海で廃虚のようなショッピングモールや住人の少ないマンションが増えたなと感じ、景気が悪くなっているのかなと警戒したことは2010年以降何度かあった。ただ、アジア金融危機やリーマンショックの時に感じた、急所がキュン、と縮こまる感覚を感じたことは今までのところなかった。ところが今年の4月末、安徽省のある田舎町を訪れ、その町の見事なゴーストタウンの様子には、いささか不安を覚えた。

 その田舎町とは安徽省の広徳という、浙江省との省境にある県。中国の県は、市の下部に来る行政区画である。人口は51万。上海からは220キロの距離にある。県のホームページによると、工業では自動二輪の部品とプリント配線基板の企業が多く、農業では「中国栗の郷」「中国竹の郷」と呼ばれると強調している。ただ、工業も農業も、その産業が「ある」という程度で、例えば竹林の面積は全国6位だが、栗は全国有数と具体的な数字をぼかしている。県のホームページでは、上海、浙江省杭州、江蘇省南京、安徽省合肥と4つの省の省都(県庁所在地に相当)から高速道路を使っていずれも2時間半圏内にあることと、安徽省の県のなかで「潜在力を秘めた10の県」の1つに選ばれたということを前面に打ち出している。言い換えれば、今のところこれといった産業がない、ということにほかならない。

 それに、大都市までのアクセスがいいというのも、ただ「距離がそう遠くない」、というだけのこと。事実、上海からの直行便も少なく、私の乗った高速バスは、広徳で降りる客が私を含めて3人のみだということを確認すると、広徳のサービスエリアで降りるのを無駄だといって嫌がり、手前の浙江省のサービスエリアで私たち3人を他のバスに「売り払って」走り去ってしまった。

 私はこれまで中国で100回以上は高速バスに乗っていると思うが、サービスエリアで放り出されたのは初めての経験だ。中国人はこの手のことに慣れているのだろうが、例え言葉ができても外国人はビックリしてしまうし、言葉ができなければ全くのお手上げだろう。高速バスが行くのを面倒がるような町に喜んで進出する企業はそう多くはない。最低賃金は930元(約1万8000円)で上海の約半分だが、地元の人に聞いたところ、デパートやコンビニの店員の給料で比べると実質は上海の3分の1から4分の1といったところだそうだ。

「資産価値のないマンションなんて誰も買わない」

 というわけで広徳では、上海、南京、杭州といった周辺の大都市に出稼ぎに行く人が圧倒的に多い。町を歩いても、いったいどこに51万人もの人がいるのだろうというほど閑散としている。そんな広徳の町で今、旧市街の再開発や、町の中心部に残る農地を掘り返してせっせと新築マンションを建てているのだが、とにかく空き家が目立つ。価格は1平米あたり5500元(約11万円)が最近の相場。入居が始まって既に2年はたったというマンションでも、入居率は外目に見て平均でざっと5割程度、少ないところでは2割に満たないという印象だ。既に入居しているマンションでさえこうなのに、周囲ではその何倍ものマンションの建設がガンガン進んでいる。

 目下のところ広徳最大級のショッピングモールも、土曜と日曜というのに、まるで客がいない。開業して1年半だというが、まばらという表現で追いつかないほどテナントも入っていない。商店はそれなりに多いが、床材、塗料、壁紙、水周りの設備など家の内装関係を扱う店と、美容院ばかりが目立つ。前者は言うまでもなく建築ブームを当て込んだもの、後者は中国において、最少の資金と技術で手っ取り早く始められる商売の代表。そして、これらの店にもほとんど客の姿がない。

 3年前に上海から妻の実家のある広徳に移り住んできたという30代のある男性は、「広徳の人も、最近の全国的な相場からして、価格が特に高いとは思っていない。出稼ぎに行って稼げば、手が出ない値段じゃない。でも、普段の生活は働きに出ている大都市だから、買ったマンションは誰かに貸す必要がある。その点、地元に産業のない広徳は、賃貸の需要がほとんどない。政府による不動産価格の抑制策も重なって、値上がりもそれほど期待できない。すなわち買っても資産価値が上がらない。そんなマンションを買おうという人は少ないですよね」と話す。

 広徳と同じ程度に閑散としている町やマンション群は、これまで中国のいくつかの町で見てきた。ただ、ここまで入居している人がいないのに、さらに猛烈な勢いでマンションを建てまくっている町を見るのは初めてのことだ。

AIIB推進・金融緩和の背景は内需不振

 中国人観光客の爆買いだけを見れば、「中国経済、どこが心配なの?」という印象を持つのは事実。ただ一方で、利下げや銀行準備金の引き下げなどの相次ぐ金融緩和や、話題のアジアインフラ投資銀行(AIIB)を推進する背景には、内需を刺激し、海外に稼ぎの場を求めることで、失速が鮮明になってきた経済を下支えする狙いがあると指摘されている。高度成長が終わりを告げ、低成長の「新常態」の時代に入った今、広徳のような町で、このようなペースでマンションを建てていては、本当のゴーストタウンになってしまうのではないだろうか。

 と懸念を覚えつつも、ある理由から、この時点ではまだ、私の急所はキュン、とはしなかった。ただ、上海にだけいて感じるよりも、状況は悪いのではないかと心配になったのも事実。そこで、ゴーストタウンでは広徳の先輩格である「中国のパリ」は5年後の今、どうなっているのかを見に行くことにした。

 中国のパリこと「天都城」という分譲地は、杭州市の郊外にある。杭州は中国有数の豊かな都市で、2015年の1人当たりGDP(国内総生産)は1万6936ドルと、上海の1万5847ドルを上回っているほど。ただ、中国のパリは杭州の都心部から20キロほど離れた山に囲まれた農村にあり、直通の交通手段は市バスしかない。ここを手がけたデベロッパーは2001年、7000ムー(約467ヘクタール)というから東京ドーム約100個分の土地に10年間で人口10万の都市を造ることを目標に開発を始め、エッフェル塔を模した鉄塔をアパートが放射状に取り巻く町の建設を始めた。ただ、今年初めの中国メディアの報道によると、15年後の現在、人口は4万人前後で、目標の半分以下にとどまっているという。

 さて、5年ぶりに中国のパリを訪れてみると、相も変わらぬゴーストっぷりだった。白亜のマンションが並ぶメーン通りのあるマンション群は、1階部分がどの棟も店舗用になっているのだが、テナントの入居率は1割にも満たない。住宅の入居率も白亜のマンション群で3割程度といったところだろう。目抜き通りは石畳と芝生が敷き詰められ噴水や広場が数カ所あるのだが、子供を連れた老人たちがちらほらいる程度。平日の午前中ということを割り引いても人の住んでいる気配が伝わってこない。新聞報道の4万人というのも、業者の発表した数字をそのまま書いたのではないかと思えるほどだ。

中国のパリに生じた変化

 一方で、5年前とは違っていたのは、その後に新たに建設したマンション群が何十棟かできていたことである。ただ、入居が始まって2年目というマンションでも、入居率はぱっと見5割程度というところで、はかばかしくない。そしてさらに、周囲では新たなマンション群の建設も進んでいる。5年前は荒れ地だったエッフェル塔の真下でもちょうど、基礎打ちが始まっていた。既存のマンションの入居率が低いのに新たなマンションをボンボン建て始めているのは広徳と同じだ。

 そこで地元の不動産屋に飛び込み、エッフェル塔が見える物件を2軒見せてもらった。いずれも3LDKの130平米で価格は90万元(約1800万円)。中国のマンションは内装がされていないので費用は別途かかり、浴槽や家具のグレードにもよるが、最低限暮らせるような仕上げにするのに15万元程度、トータルで2000万円ちょっとということになる。これを頭金25万元(約500万円)、最長30年のローンで月々3000元台(約6万円)、というのが平均的な返済のモデルだそうだ。

 入居率は古い方で3割、この5年で新しくできた方は6割に届かないぐらい?と尋ねると「まあ、そんなところです。ただ、ゴーストタウンという汚名のせいで値段の上がり方が他の地域よりも低いことで、買っても借りても値ごろ感があるという評判が広まり、ここに住んで杭州の市街地にクルマやバスで通勤するサラリーマンが増えてきています」とのこと。店員が4人のこの小さな不動産屋の成約件数は昨年、ひと月に平均15軒ほどだったが、今年は上向いていて18~20件ほどあるらしい。ちなみに、見せてもらったものと同等の物件を賃貸すると、家賃は月額1000元(約20万円)。駐車場に並んでいたクルマは、現代自動車のソナタとエラントラ、ホンダのフィットとシティ、ビュイックのエクセラなど、200万円前後のものが多かった。

入居率と成約率の差が生み出すゴーストタウン感

案内してくれた不動産屋の店員は、同じ浙江省の象山という海沿いの町から専門学校を出てこの町に働きに来た21歳の男の子。実家は農家だという。キミも将来はこの中国のパリに家を買うの? と尋ねると、「今後もここか杭州で仕事をしようと思いますから普段住むのはここになるでしょうが、買うとなるとやはり、故郷の実家の近く、ということになりますね。中国の田舎出の人間はみんなそうでしょう。結婚するにあたって実家の近くに家を買う。この中国のパリも、上海や北京で働いている地元の農家出身の人たちが、結婚にあたって故郷に家を買ったというケースも多いんです」と言う。

 そう。中国でゴーストタウンと呼ばれるマンション、特に地方の物件は、入居率と成約率が結構離れている場合が少なくない。この中国のパリでも、入居率は5割でも、成約率は7割前後、中には8割を超す棟もあるそうだ。つまり、見た目はとてつもなくゴーストタウンでも、実際には見た目よりは売れているということが多い。これは、中国の農村部でも、息子が嫁をもらうにあたり、マンションは買わなくとも、最低でも15万~20万元(約300万~400万円)かけて、実家をリフォームしなければ、嫁の来手がない、という近年の結婚事情が背景にある。

地元に産業がなく通勤圏にも働き口がない広徳の場合は、中国のパリよりも事態は深刻だろう。ただ、農村の結婚事情を背景に、入居率よりも成約率の方が高いという事情は同じ。新築マンションをボンボン建てている一因は、こうした需要を考慮に入れているということがあるのだろう。広徳のゴーストタウンを見て、私の急所がキュン、としなかったのは、上海にいる農村出身の友人たちから、こうした事情を聞いていて、見た目ほどのゴーストタウンではないということをある程度知っていたためである。「マンションやモノが売れなくてヤバい」という焦燥感や悲壮感のようなものは、中国のパリ、広徳どちらの町や人からも感じることができなかった。

 ただそれでも今回、2つのゴーストタウンを見て、高度成長が終わったというのに本当に大丈夫なのか? という懸念は、見る前よりも確実に強くなった。それは、2つのゴーストタウンがどちらも、「建設ラッシュ」という形容をあてておかしくないほど町中でマンションを建てているにもかかわらず、活気や熱気というものが全く感じられなかった、ということだ。それはやはり、実需を上回る需要を無理に作り出しているというところから発しているものなのだろう。

農村の婚礼需要が支える構図にも限界

 それでも、中国のパリにはまだ、経済が活発に動いている杭州に出勤する人たちのベッドタウンとしての役割が見えてきたことによる明るさのようなものが町にも人にもあった。一方で広徳には、町にも人にもある空気が濃厚に漂っていた。それは倦怠感だ。

 先に紹介した広徳に住む男性は、「広徳では、もちろんぜいたくはできないけれども、月に2000元(約4万円)もあれば、町の中心部にアパートを借りて生活までできてしまう。農家で家を借りる必要がないならなおさらお金はかからない。中国はこれまで一人っ子が原則だったけど、地方の農村では2人以上が当たり前。子供を都会に働きに行かせて2人から仕送りさせれば、親は働かなくても食べられてしまう。広徳には40歳そこそこで、子供の仕送りだけで日がなマージャンをしている人も増えていますよ」という。

 一日でも早く仕送りをさせようと、子供の教育には力を入れず、中卒で出稼ぎに行かせて自分は働き盛りに仕事を辞め遊んで暮らす。そういう大人が、地方の農村部で増殖すれば、子供の結婚にあたってマンションを買ったり実家をリフォームしたりする蓄えも当然できなくなる。こうした人たちが増殖したら、建てまくっているマンションはどうなるのか。

 内陸の農村部でも今や、「食えない」人はごく少数になった。ただ、広徳のような町では、「食えるようになったその先」の展望がない。それならば、これ以上働いたり勉強したりするよりも、働かずにマージャンや株の売買でもした方がマシ? こういう思いが倦怠感の出所なのだろう。倦怠感などつかみ所のない話ではあるが、無視もできない、と思うのである。