10/15日経ロシア関連記事について

ロシアが中国と日本を天秤にかけて天然資源を売り込もうと躍起になっています。国益追求の立場からは当然のこと。しかし、アメリカはシエールガスやシエールオイルを生産、サウジと組んで石油の値段を低位安定させてロシアの経済をガタガタにしようと考えているとの話もあります。レーガンのSDIの再来かも。でもアメリカがロシアを追い込めば追い込むほどロシアは中国に擦り寄って行きます。ロシアのウラル以東は6~700万人のロシア人しかいないので、中国に経済を頼りすぎると、シベリアに中国人がドンドン入っていき、自然中国人のものになることが予想され、ロシアにとって痛し痒しです。ですから日本とも手を結びたいと思っているはずです。ゲーツ、パネッタ元国防長官の回想録でオバマは無能と批判されていますが、その通りだと思います。真の敵は誰か、普通に考えればNo.2をNo.3と組んでNo.1にさせないことを考えるのではと思いますが、戦争が嫌いなオバマは中国が脅せばへたり込むでしょう。そもそも石油価格を下げれば輸入国の中国を有利にし、浮いた金は民生でなく軍拡に使われます。敵に塩を送るのは止めた方が良い。日本も「メタンハイドレード」と「核融合」を早く実用化することを考え、予算化していくべきです。

『ロシア、日ロ間にガス管建設提案 宗谷海峡経由で』

【モスクワ=田中孝幸】ロシア政府がサハリンと北海道をつなぐ天然ガスパイプラインの建設を日本側に提案していることが明らかになった。欧米の対ロ制裁が強まる中、日本との経済関係の拡大を目指すプーチン政権のアジア戦略の一環だ。実現すれば日本と他国を結ぶ初のパイプラインとなる。日本政府は外交面の影響も見極めて対応を決める方針だ。複数の日ロ外交筋によるとロシア政府は9月、ガス資源が豊富なサハリンと北海道との間の宗谷海峡を経由する海底パイプラインの建設を日本側に提案した。11月10~11日のアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議の際に予定される日ロ首脳会談の議題となる可能性があるという。ロシアがパイプライン建設を提案した背景には日本に安価なガス供給をちらつかせ、ウクライナ問題を巡る先進7カ国(G7)の対ロ包囲網を切り崩す狙いがある。 ただ日本側にはウクライナ問題で米国とロシアの関係が悪化する中、新規のエネルギー協力に乗り出すことに慎重論もある。外務省幹部は「実施の可否はウクライナ問題や北方領土交渉の進展に左右される」と語る。

『中国、苦境のロシア支援 欧米制裁の裏で協力』

【北京=阿部哲也】中国がロシアとの経済協力の拡充に乗り出す。両国の中央銀行が金融市場の緊急時に自国通貨を相互に融通し合う「通貨スワップ協定」を結んだほか、鉄道やIT(情報技術)、エネルギーなどの分野でも投資・技術協力を進める。いずれもロシアに利点の多い経済連携になっており、欧米による制裁で苦境にあるロシア経済を中国が支える構図が鮮明となっている。「ロシアにとって中国は実質1番(の対ロ投資国)だ」。ロシアのプーチン大統領は14日、モスクワを訪問中の中国の李克強首相と会談し、中国を持ち上げて両国の経済関係がさらに緊密になるとの期待感を示した。中国商務省によると、1~8月の中国の対ロ投資額は前年同期の1.7倍に急増した。中国政府が企業の「走出去(海外に打って出る)」戦略を推し進めているためで、極東や中央アジア地域への進出を目指す中国企業による対ロ投資が活発になっている。足元ではウクライナ問題を巡って欧米が対ロ制裁を発動し、この影響で通貨ルーブルが最安値圏に沈むなどロシア経済は急速に悪化している。このため中国は経済協力という形でロシアへの側面支援を強める。今回の李首相の訪ロで合意した経済協力のうち、目玉の1つとなったのが通貨スワップ協定だ。期間は3年で規模は1500億元(約2兆6000億円)にのぼる。欧米からの制裁でロシアの銀行やエネルギー企業の資金調達環境が悪化していることが背景にあり、中国は潤沢な外貨資金でロシアを支える。中ロ首脳はエネルギーやITなどの分野でも、経済連携を強化することで合意した。5月に締結した総額4千億ドル(約43兆円)の中国向け天然ガス供給契約では、パイプラインの共同敷設を加速する。ロシアで普及が遅れる次世代携帯電話についても、中国の華為技術(ファーウェイ)が技術協力してインフラや端末の導入拡大を促す。いずれも中国側が技術や資金面でロシアを支える経済協力というのが特徴だ。ウクライナ危機に伴う経済制裁で、欧米が資源輸入や技術輸出に制限をかけ、ロシア経済は悪化が続く。中国にとっては今回の対ロ外交でも巨額の経済協力を前面に打ち出し、欧米への「新たな対抗軸」を強調したかった思惑が透ける。

20141015

『中国、ロシア高速鉄道に参画 最高時速400キロ 1兆円規模』

中ロ首脳が合意した経済協力のもう一つの柱が、ロシアが計画する総額100億ドル(約1兆700億円)規模の高速鉄道事業への中国企業の参加だ。ロシアには中国の技術やマネーを導入して鉄道網の高度化につなげる狙いがある。高速鉄道でも中国の支援色が強く反映されている。訪ロ中の李克強首相とロシアのメドベージェフ首相が合意した。「中ロはお互いに最大の隣国であり、重要なパートナーだ。北京とモスクワをつなぐ高速運輸網の建設を推し進める」。李首相はこう強調し、約40項目に及ぶ経済協力の「主役」としてロシアの高速鉄道を共同で建設するプロジェクトを挙げた。今回合意したのは、モスクワとロシア南西部のカザンを結ぶ770キロメートルの高速鉄道事業だ。最高時速は400キロを計画しており、ロシア初の本格的な高速鉄道となる。ロシアは2018年のサッカーのワールドカップ(W杯)開催前に、正式運転を始めるとしている。中国からは鉄道建設の中国鉄道建築のほか、車両大手の中国南車集団など多数の国有大手が参加する見通し。線路や駅の建設、運行システム、車両などに関する最新技術の供与でもロシア側に協力する。中国の国有銀行も建設資金の低利融資などで事業を支援する。ロシアは30年までに国内で総延長5千キロメートルの高速鉄道網を整備する計画だ。しかし目立った独自技術がなく、インフラや車両の高度化が課題となっていた。一方、中国は日本やドイツの企業から先端技術を取り入れ、今では総延長1万1千キロメートルを運行する世界最大の「高速鉄道大国」だ。今後もロシアの鉄道関連プロジェクトに深く関わっていく可能性が高い。中ロは同じ旧社会主義陣営として同盟関係にあるが、産業面では長くロシアが中国に先端技術を教えるという「主従」の関係にあった。しかし中国は近年の著しい経済発展で力を付け、今では逆にロシアを技術や資金で支援するという「主従逆転」が起きつつある。

 

10/14 ZAKZAK『訪日中国人の“トンデモ騒動”続々… マナー違反やトラブルどう対処?』を読んで

本記事の最後に「日本も30~40年前はそうだったので寛容精神を」というコメントがありますが、こういう相対化は誤りの基です。読者を誤断に誘導しようとするものです。ブッシュがイラク戦争で占領統治するときに「第二次大戦後の日本の統治が成功であったように~」といって占領統治を正当化しましたが、その後イラクはどうなりましたか?国が違えば、国民の発想が違うので、他国で成功したからと言ってそれが当てはまるとは限りません。そこがブッシュの愚かなところです。キリスト教信者の世界とイスラム教の信者の違い、民主国家と専制国家の違いについて無知すぎます。「日本の30~40年前と同じだと言うのであれば、中国は後30~40年経てば今の日本人と同じような行動がとれる」とこの人は考えていることになります。後30年は生きるでしょうから中国の変貌ぶりを見てみたいものです。この人は中国の歴史について無知すぎるし、中国人の発想の仕方「騙す方が賢く、騙される方が馬鹿」と言うことを踏まえていません。そもそも中国で相手のためを思って行動すれば、生命の危険があります。近い所の歴史でも、反右派闘争、大躍進、文化大革命を見れば分かること。コメント者は大多数の日本人と同じく、「日本人だったらこう行動するだろう」という思い込みで判断しています。余りにナイーブな議論です。アメリカ人が「中国も豊かになれば、民主化するだろう」と言って中国に金を注ぎこみ、モンスターを作ったのと同じです。中国では小生がいた97年の時には既にバス停看板に「文明程度(=未開でない程度)」として「痰を吐くな」「割り込むな」とかあった気がします。今や中国人が海外に出る時代で政府は、「国人旅游十大陋习」(中国人の旅行中の10大陋習)として①大声喧哗(大声で騒ぐ)②乱扔垃圾(ゴミを勝手に捨てる)③随地吐痰(どこでも痰を吐く)④不遵守秩序(ルールを守らない)⑤破坏文物(バンダリズム)⑥不尊重当地风俗习惯(現地の風習に従わず)⑦不保护环境(環境保護せず)⑧吃自助餐浪费(バイキングで多く取り過ぎる)⑨不经他人允许随意拍照(人の許可を取らず撮影)⑩衣冠不整参观庙宇或博物馆(不適な服装で霊廟、博物館等で入る)を国民に求めていますがリーダーが守れていないことばかりです。香港返還交渉で鄧小平がサッチャーと会談中、鄧が余りに痰を吐くので、サッチャーが嫌になり、返還を認めたという有名な話があります。

誤りがあればキチンと是正を要求すべきです。外国との付き合いでは当たり前。ましてや中国では「入郷随俗」(郷に入れば郷に従え)と言いますので、中国人も日本にいるときは日本の習慣を守るよう要求すべきです。外国人に日本人のような阿吽の呼吸は無理です。

<記事全文>

円安の進行や外国人向けの消費税免税拡大で、日本を訪れる外国人観光客が増える中、中国人によるマナー違反やトラブルが相次いでいる。行列の割り込みやごみのポイ捨てをはじめ、ホテルで起きたトラブルの対応に中国総領事館が乗り出すケースも。中国事情に詳しい専門家は、旅先で問題を起こす中国人について「急激な経済発展に、精神的な豊かさやゆとりが追いついていない」と指摘している。米アップル社の新型スマートフォン「iPhone(アイフォーン)6」などが日本で発売された9月19日。大阪市中央区西心斎橋の「アップルストア心斎橋」では、発売前から並んでいた中国人とみられる客らが大声を上げるなどし、警察官が駆けつける騒ぎになった。 大阪府警などによると、同日午後、店員が在庫がなくなったことを告げると店内外の100人以上が「何で売ってくれないの」「48時間待ってるんだ」と片言の日本語や中国語で一斉に抗議。中国で発売が遅れているiPhone6を手に入れようと、日本に殺到したとみられる。 7月上旬には大阪市内のホテルで、ツアー旅行中の中国人客が客室設備などについて「契約と異なる」とクレームを訴えてチェックアウトを拒否し、上海の旅行業者に返金を求めて籠城。とばっちりを受けたホテル側は説得を試みるも手に負えず警察に通報した。 警察から連絡を受けた中国駐大阪総領事館が何とか事態を収め、中国人向け公式ホームページでトラブルについて説明。ホテルを利用する際の注意点を並べ「礼儀正しい観光を」「攻撃的な行動を取らないように」と呼びかけた。

一方、外国人観光客の人気スポットとなっている東京の浅草寺では、トイレに使用済みトイレットペーパーが山積みにされる異様な光景が。中国では、紙の質が悪く配管に詰まりやすいため、トイレットペーパーを流す習慣がなく、このような現象が起きるという。訪日中国人による刺し身などの試食の食べ散らかしや、強引な値切りが目立つという大阪市中央区の黒門市場商店街の関係者は「平日は人通りの半分くらいが外国人観光客。とくに中国人の行動は目に余る。羽振りがいいのは歓迎だが、他のお客さんに迷惑がかからないか心配だ」と憂慮する。今年上半期は中国本土からの訪日者数が前年同期比88・2%増の100万9200人と急増。下半期は円安の進行や、訪日外国人向けの消費税免税品目が10月1日から食品や化粧品などに拡大されたことも後押し、買い物目的で日本を訪れる中国人が増えるだろう。

日本の観光業界は中国人の振る舞いにどう対処するべきか。中国ビジネスのコンサルティングを行う「日本国際経済開発」(さいたま市)の加藤麻里子代表は「公共の場所も自分の居間や庭の延長という感覚で行動する。日本人も以前は、ところかまわずたばこを吸い、痰を吐いていた。今の中国を30~40年前の日本と考えれば、ある程度の寛容さは必要。中国国内でも国策としてマナー向上キャンペーンが年中続けられており、日本でも根気よく啓発していくしかない」と話している。

上橋泉氏講演録より「絶対者との出会い」について

上橋泉氏が柏市会議員の立場でなく『21世紀の浄土思想』を著しましたが、本年3/23にその出版記念講演会があり、『宗教新聞』9/20号に全内容が掲載されましたので、表題に関する部分を抜粋する形で紹介したいと思います。小生は絶対者との出会いはありません。でも神秘体験はあります。会社勤務の時、尊敬する先輩が癌で入院、手術前に励まそうと病室を訪ね、いろいろ話をしました。でも何故か部屋が暗いのです。実は小生が訪ねた時間にはもう手術室で手術が始まっていたとのこと。科学では説明できません。その後、先輩は亡くなりました。小林秀雄も終戦後の間もないころ、酔って一升瓶を抱えながら水道橋のプラットホームから転落した話があります。ちょうどコンクリートの塊りと鉄材の間にある一間ほどの石炭殻と雑草に覆われた間に落ちて、命拾いしたというのです。 小林は「一升瓶は、墜落中、握っていて、コンクリートの塊りに触れたらしく、微塵になって、私はその破片をかぶっていた。私は、黒い石炭殻の上で、外灯で光っている硝子を見ていて、母親が助けてくれた事がはっきりした」と書いてます。

<抜粋>

道元も晩年には、「読経などしなくてもいい、只管打坐でひたすら坐禅せよ」 と言った。絶対者は本の中にはいない、 日常生活の中にいる。日々出会う人の中に絶対者は生き、日々の出来事の中に絶対者の思いが秘められている。法華経の常不軽菩薩品は、釈迦の前世の姿である常不軽菩薩について書いてある。常不軽菩薩は出会う人ごとに手を合わせ、「あなたは仏となる生命だ」と言って拝んだ。 中には怒って石を投げつける入もいたが、常不軽菩薩は石が届かないところま で逃げて、そこからまた拝んだと言う。

大衆と同じ重荷を背負ったものでなければ、大衆を導くことはできない。絶対者によって与えられる人生の課題と格闘する中で、絶対者の思いを感じ、絶対者を恋い求めて、涙を流して祈った者でなければ、絶対者に出会うこともないし人を導くこともともできない。絶対者と出会うということは、必ずしも眼前に絶対者が姿を現すことを意味するものではない。常不軽菩薩のように、同胞一人ひとりに仏の姿を見いだせば、これ以上の絶対者との出会いはない。空海の『性霊集』は空海の詩、碑銘、上表文、啓、願文などを弟子の真済(しんぜい)が集成したもので、空海の言行録である。そこで空海は、「貴方の眼が明るく開かれていれば、出会うもの全て宝となる。正しい道は遠くにあるのではない。貴方の心一つで目の前が開かれる」と述べている。キリストも山上の垂訓で「目は体のあかりである」と説いている。その目は単数形で表現されている。だから、キリストは肉眼のことを言っていな い。心の目のことを言っている。つまり、心次第で人生は明るくなり、周りの世界が姿を変えると言っている。

宗教は理屈ではなく体験の世界である。学問や家柄、過去の罪なども一切関係がない。宗教ほど平等な世界はない。私は宗教知識では梅原猛や古田紹欽に及ばないが、絶対者の声を聞いた、絶対者から直接真理を伝えられたという絶対的自信がある。絶対者と出会う体験を持たない学者に負けるはずがないという自信がある。

10/12『やぶれざるもの-天壌無窮の「国体」』セミナーに参加して

表題セミナーは日本国体学会主催で靖国会館で行われました。講師は長谷川三千子・埼玉大名誉教授とロマノ・ヴルピッタ・京産大名誉教授です。

長谷川三千子講演『神やぶれたまはず』

吉田沙保里はレスリング世界選手権で12連覇した。このまま引退すれば「敗れざるもの」になる。今日の話はそのような話ではない。この世の最後の審判を受け、神より信仰が厚いと認められ「復活」する「敗者復活」の考えがキリスト教にはある。でもこの世の戦いに敗れても神は不敗ではないかと言うこともできる。しかしこの意味でもない。「敗れる」ことが悪いことという前提に立っている。ローマに滅ぼされたエトルリア。今我々は何も分からない。文化破壊が行われたから。これを考えると「敗れる」のは悪いこととなる。日本文化は違うように考える。「敗れ去る」のが日本文化である。文化が上質なものは敗れ去った者に寄り添う形でできている。「平家物語」は一大叙事詩であるが敗れたものを中心に書かれている。私は幼いときに「源氏物語」は勝者の源氏を書いたものと思っていた。でも「源氏物語」も敗れ去った物語である。源氏が年を取り、紫の上とかも亡くなり、自分の女性たちも離れていく話である。時の流れによって敗れたものである。しかし敗れたものの考え方には落とし穴もある。「センチメンタルな同情や虐げられた者が偉い」という考え、これは嫌いです。民衆革命論にも繋がるし、弱者の視点でウジウジ、メソメソするのは負けたものの精神的退行ではないか。精神的なものがない人には退行もないが。「平家物語」「源氏物語」は高い精神性を有する。文学は何を目指すのか。ウジウジ、メソメソではない。滅びの底にある何ものかに視線を向ける。私は「時間」ではないかと思っている。「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず。ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。」は仏教の受け売りに見えるがそうではない。道元(1200年生まれ)の『正法眼蔵』の有事の巻で、諸行無常が一般的な時代に「時間は単に過ぎ去っていくものではない」「この世を現出させるのは時の力」と言っている。主役は平家でも源氏でもない。時の現れ方が「勝ち」とか「負け」になって現れてくる。哲学的に見据える必要がある。そうすれば「敗れ去る」「敗れざるもの」もなくなる。日本文化は仏教と親和性が強い。「モノ」は「事物」の意味ではない。消え去っていくこと事態も「モノ」と表す。「世の中は虚しいモノだ」と言い、「世の中は虚しいコトだ」と言うと違和感を感じる。「祇園精舎の鐘の声~」は「モノ」、だから「モノガタリ」になる。失っていく後を追っていくのが日本文化である。「敗れざるコト」ではない。後姿を見るのが日本文化。古事記はモノガタリでもなく、天地の始まりの話。もう一つの時の話をすると古事記の中でコトアマツカミのウマシアシカビヒコジノカミが出て来るが、時の流れに発出している。生成現出、時が流れ消失していく。ここに日本人の世界観、時間観が出来上がっている。時の現出と後姿を見る日本人。大東亜戦争の敗北も生成流れ去るホンの一瞬の出来事。キリスト教のカイロス同様、それ自体が価値を持つ。それが終戦の瞬間。国体のジレンマは頂点に達していた。「国体」の核心とは「天皇と国民互いに総てを犠牲にして良い」と考え、行動すること。君民一体である。相互的なものであって丸山眞男の「国体」批判は的はずれ。皇祖皇宗からの遺訓である。それが血肉化したもの。戦争末期、降伏受諾は天皇が処刑される可能性もあったがポツダム宣言を受諾しなければ国民の命が失われる。8/9ソ連参戦時の御前会議で天皇が受諾を決めた。互いが互いを差し出すことが実現した一瞬。勝利していればそれは実現してなかった。「モノ」「コト」でも表現できない「敗れざるもの」の稀有な瞬間であった。

ロマノ・ヴルピッタ講演『偉大な敗北と神州不滅の理』

保田與重郎の考えていた偉大な敗北と神州不滅の理から話をする。日本は滅びることはないという宗教的確信を持っていた。「神は敗られ給わず」で日本は敗れることはできない。「日本」と「国体」は深く、広いので定義できない。「偉大なる敗北」はドイツ浪漫派から取った。保田は『セントヘレナ』でナポレオンを論じ、日本武尊、木曽義仲、後鳥羽上皇も論じた。英雄には負けたからなった。国民の英雄になるには敗北、不運な死が必要である。負けた人に対する「判官贔屓」である。薄命の英雄に対する同情である。英雄は個人的なドラマであって歴史解釈の問題。英雄の敗北と国家の敗北の意味は違う。英雄の敗北は国民の心に残るが国家の敗北はそれを超克して生きる、復活するということ。

  1. 日本の敗北は偉大かどうか 2.偉大だとすれば国民の記憶に残っているか。理解しているか。

1.については偉大であったと思う。矢弾が尽きたので止む無く敗北した。戦闘継続の意思はあった。その観点で言えば8/15の敗北は偉大であった。疑う余地はない。

2.については9/2まで戦闘継続していたが外国軍の占領という屈辱的なことが始まる。講和条約締結まで主権を失う。昭和27年4月28日に締結したので占領終了して、4/29から主権国家になった。8/15の不名誉な敗北で総べての価値観が覆り、勝利者に媚びた。「マッカーサー通り」なんてとんでもないと思う。広島にも同じく「マッカーサー通り」がある。気持ちが分からない。占領の後遺症で国民の資質が変わってしまった。日本の歴史の中では例外的なこと。「一億総玉砕」から生き延びて「死に損なった(=不名誉なこと)」ためどうなっても良いと考えてしまった。「葉隠」には「武士道とは死ぬことと見つけたり」とある。偉大なる敗北かどうかは個人の問題。兵士の死は偉大であった。敗北の偉大さを戦後日本人は感じていたのか。日本の美点である薄運の英雄に対する同情がなくなった。日本人の歴史観は仏教の影響を受けている。負けたから戦争したのが悪い、犬死だ、東京裁判史観に立脚するのは結果論であって唐心(からごころ)である。

神州不滅というのは日本は永遠なることの意味である。日本は神により不滅と決められている。楽観的確信がある。保田は楽観的ではなかったが。宗教的確信に甘えるのは良くないと思っていた。国破れた後でも不滅・復活し、戦前日本の輝かしい未来を予言していた。それで大東亜戦争を称賛していたが戦況悪化してきて日本は敗けても不滅と言った。永遠の時は歴史の超克より上である。「国体」とは稲を養い、新嘗祭で神に報告、日本の暮らしを守ることである。一人の日本人になっても守れれば良い。今は大東亜戦争が継続されている。8/15当時より今は最も深刻な事態になっている。日本人の決意が試される時である。

10/11「士気の集い」・有本香講演会『常在戦場 私たちは常に武器を用いない戦いの中にある』を聞いて

保守派セミナーの「士気の集い」には創設近くからボランテイアとして関わってきました。昨年9月故あって辞めざるを得なくなり、ずっと疎遠のままでしたが代表交代もあり、10/10に新代表からメールで「10/11ボランテイアが少ないので手伝ってほしい」と連絡を受け、応援に行きました。受付と会計をした都合上、前半30分は香港の情勢でしたが、聞く余裕はありませんでしたのでそれ以降について紹介したいと思います。なお、講演終了後有本先生とロシア大使館付駐在武官(講演参加者)と飲みながら話をしました。

  1. CCTV(中央電視台、中国のNHK的なもの)は13ケ国語で報道している。アメリカではCNNと見まごうほどの放送の仕方をしている。翻ってアフリカでは徹底的にアフリカナイズして作る。情弱であるのでその国のNHKのように思われるような作りをしているということ。中国が簡単に情報操作できるようになる。
  2. NHkのWorld放送は単に日本の番組を英語に翻訳して放送しているだけ。(戦略の欠片もないということ)。中国は昔から戦闘に弱いので情報戦、宣伝戦で勝ってきた。Voice of Americaやラジオ自由アジアはアメリカのプロパガンダ機関である。Voice of AmericaはワシントンDCのキャピタルヒルズの一角にある。彼らの報道について正確かどうかは割り引いて聞く必要がある。アメリカの意図が働くし、そこで働く人々の考えが入るので。ラデイア・カーデルの側近と会ったことがある。学生運動のリーダーをしていた人物で、中国から出た瞬間イギリスが接触してきてカナダ国籍を簡単に取得できたとの話。
  3. 日本の情報戦への対応はおっとりし過ぎ。応戦しなければダメ。お金を政治的意図を持って使っているか。隣国にお金を使ってモンスターを育てただけでは。日露戦争時の情報戦(明石元二郎のこと)のようにしないと。オバマは「中東にはアメリカとして戦略はない」と言ったことに対しアメリカメデイアは報道しなかった。アメリカもリベラルが行き過ぎている。
  4. メデイアそのものが意思を持っている。媒体(触媒のイメージか?)であるがプロパガンダ戦争で重要な位置を占める。自由世界と言えど同じ。憑依(政権に?)されている。ロシア大使館やボイスオブロシアは欧米のメデイアとは違った見方をする。当然ウクライナ情勢も。
  5. 日本のメデイアは一方に偏って報道する。(左から右まで)もっと選択肢を増やす必要がある。ソフトパワーの武器、情報戦の武器なので。韓国のように低い次元でなくCCTVのように。朝日新聞はクオリテイペーパーと言われてきたが、詐話師の話を裏付けもなく簡単に信じて報道するとは何とお粗末なことか。(小生は謀略で報道したと信じてます。単純ミスではありません)。責任は免れない。フリーの仕事でも外に出す(記事等発表)ときは緊張する。でも体験談の時は100%の裏は取れない。チベットやウイグル人は過酷な体験をしてきているが、それでも人間記憶違いはある。でも朝日の慰安婦の場合、他所からいろんな証拠が出ていたのに。
  6. 朝日の記者二人と会った。申し訳なさそうに「中国・韓国に阿る報道だけではない」と。確かにチベットの報道をしていたのは産経でなく朝日。08年チベット騒乱も。ウイグルについても朝日の方が早かった。でも伝え方がおかしいのも多い。朝日は戦後体制を生き延びるため右から左に大きく振れた。昔は戦争を煽ったのに。GHQが来てから変わった。朝日社に入れば会社の方針に従って記事を書く。GHQのメデイアコントロールの影響である。戦争もアメリカの目を通した記述とならざるを得ない。日本人は薬が効きすぎる。あるメデイア関係の中国人が言ったのは「日本人は注射一本すれば後は全部日本人がやってくれる。こちらの意図通り報道する」と。真面目だから。(単なる馬鹿ではないか?)
  7. ニューヨークタイムズにはアメリカ人から見ても疑問に思われる報道がある。朝日は人民日報、NYタイムズと提携している。昔で言えばコミンテルンから人が送り込まれるようなもの。思想にかぶれる人がいる。集団となればそれが善になる。でも外国人が株を持って意図的に発言することもありうる。メデイアは当てにならないと思った方が良い。
  8. 日本のメデイアは言われているほど偏向報道はしていない。勝手に自主規制しているだけ。朝日の言ってることに合わせるだけ。それがカッコ良いと思っている。TV局がああせいこうせいとは言わない。事実でないことを裏を取らずに記事にするのはダメ。新聞は正確性は要請されるが、中立性は維持しなくても構わない。社論が右であれ左であれ消費者が売り上げの形で判断するので。TVは公共の電波を使うので中立性も要請される。左右の人を集めて議論するが底が浅い。TV離れが起きるのは当然。
  9. 企業広報していたときに3Fを心に留めて仕事をした。Friendly, First, Frequentlyである。
  10. 韓国は90年後半から日本で好感度高くなっていた。でもその裏で戦時徴用の委員会を立上げ着々準備していた。日本のメデイアは報道しなかった。フレンドリーな態度の裏で陰謀が進んでいた。(日本人は単なる馬鹿なだけです。世界から見れば)。日韓友好が良いと思ってしまう。騙し合いの世界でやられている。でも韓国はやり過ぎて嘘がばれてしまってきている。日本人はもう韓国人は勘弁してと思ってきている。その点英米はスマート。中韓と同じことをすることはない。
  11. 我々の言論を止めることはできない。ただリベラルがカッコイイと思っているだけ。10年前にはプロクレーマーがいてTV局に(右の発言をすると)クレームがついた。今それができない時代になった。メデイアは世論をリードするが、世論が変わればメデイアも変わらざるをえない。視聴率が上がればそれに類した番組が増えていく。

 

倉山満著『保守の心得』を読んで

作者と考えているところが同じであるというのが読後の印象。問題意識が同じということです。第二次大戦敗戦後、GHQの政策に意識的か無意識的か分かりませんが、その指示通りに生きてきた日本人に「自分の頭で考えろ」と突きつけているのがこの本だと思います。詳しくは是非自分で手に取って読んで戴きたいと思います。本とは関係ありませんが「保守」とは何かと問われれば「変えてはいけないものを守るために変える」ということだと思います。

「ニーバーの祈り」が一番フィットすると思います。

「神よ 変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。

変えることのできないものについては、それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。

そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ。」と。

P.26には「問題は彼ら語る暴論が七十年にわたって浸透してきたことです。中学入試から大学受験、高級官僚になるための公務員試験や司法試験までありとあらゆる試験でこの手の暴論は出題されています。間違った価値観に染まった人たちを説得することは厄介な作業です。」とあります。難しい公務員試験や司法試験をパスするには、「アメリカが押し付けた憲法を守らなければいけない」と脳内に刷り込まなければ通らないということです。「ノーベル平和賞の候補として憲法9条を」と推薦した主婦がいると言ってましたがどうせ共産党員かそのシンパでしょう。日本を弱体化して極悪中国共産党に売り渡すのが彼らの目的ですから。

P.150~151は「敗戦直前「スターリンに米英との和平を仲介してもらおう」となりましたが、このときの日本政府は正気の沙汰ではありませんでした。案の定、スターリンにいいようにあしらわれ 满を持してソ連軍は中立条約を破って満洲になだれ込み、一説には現地にいた日本人女性の九割が中絶か自殺をしたともいわれる阿鼻叫喚の地獄絵図となりました。 外文上の失敗を反省しない日本人と、今のプーチンでは格が違いすぎます。ロシアと中国は毛沢東とスターリンのころから敵国のようにして苛烈な同盟関係を続けています。お互いが最大の仮想敵であるため、同盟を結んでいるようなものです。「同盟は続けるが、むかつくのでチャイナ夕ウンは焼き討ち」みたいなことを自前のヤクザを使ってやりかねないのがプーチンです。一方の中国も、プーチンの故郷、サンクトペテルブルクにチャィナ夕ウンをつくるだけでは飽き足らず、 シベリアにどんどん移民(棄民とも言います)を流入させています。それでも、上海協力機構の同盟国であり、「仮想敵は中央アジアのイスラム原理主義者だ!アメリカがアルカイダを討伐するなら我々も文明国として協力する」などとぬけぬけと言い張るのが彼らです。日本とロシア、それにアメリカが組み、中国包囲網を築くという意見もありますが、ロシアが中国との関係を簡単に切ることはありません。そもそもロシアからすれば、アメリ力はまだしも、日本はものの数に入っていません。なぜなら包囲網は組むだけでは勝てないからです。各個撃破されてしまえぱ、何の意味もない。米中日の三か国で、軍隊を持たない日本は圧倒的に劣っています。プーチンは日本のような弱い国と組んでまで中国の機嫌を損ねたいとは思わないでしょう。「敵国のような同盟国」という微妙なバランスを保っている相手に対し、わざわざ余計な波風を立てる必要はないからです。つまり、現実的にはロシアと協調して付き合う方法はありません。プーチンという人はリップサービスの名人です。」と言ってルトワックとは違った見方をします。勿論ロシアに全幅の信頼を置くのは無理です。(それを言えばアメリカも同じです。所詮別の国なので)でも戦略的に手を結ぶようにするのは可能と思います。

P.192~193ではイギリスは日本と違い司法判断より選挙の結果が重視されると述べています。間接民主主義の基本は代議制で統治者を選ぶ仕組みですが、選挙を経ずに試験に受かった人間の判断が選挙で選ばれた人の判断より低位に置かれるのはおかしくはないかということです。民主主義が正しいという前提なら当然で、日本は最高裁の判断を金科玉条のように有難がりますが良く考えるとおかしな話です。「第三節違憲か合憲かは総選挙が決める憲法習律について、別の例を挙げましょう。イギリスの首相には、日本のような首班指名選挙というものがありません。総選挙で第一党になれば、党首が自らバッキンガム宮般へと足を運びます。このときに乗っていくのは、私用車です。党首は国王の前へ赴き、総選挙の結果を報告します。すると、国王がその場で「あなたを総理大臣に任命します」と 告げ、党首は公用車に乗って帰ります。つまり、政権の空白が発生しない構造になっています。もし国王が、党首を任命するのが嫌ならば、宮殿の中に入れないとか、任命を拒否することもできます。ただし、代わりに革命が起こっても責任を取る覚悟があるのか、と国民から問われることになります。当然、そんな覚悟のある国王はいないので、憲法習律によって任命が行なわれます。しかし、政局が混乱しているときはこの範疇にありません。国王が自身で判断をすることもあります。だからイギリスでは、第一党が単独過半数を得ていない政局を「situation near the revolution (革命に近い状況)」と呼びます。前回のイギリス総選挙では、ブラウン元首相を党首とする労働党が保守党に敗北し、第ニ党に転落しました。しかし、第三党となった自民党と組めば、まだ過半数に届きます。 早速、政権維持工作を始めようとしたところ、幹部のなかから「そんなみっともないことはやめろ」という声が上がり、労働党は政権を諦め、保守党のキャメロンがバッキンガム宮殿へ報告に行きました。なぜ労働党の幹部は、「みっともない」と良識を発揮できたのでしょうか。もし多数派工作をして政権を維持したとしても、次の総選挙で国民から壊滅的なダメージを制裁として与えられることがわかっているからです。イギリスの場合、憲法違反かどうかは、総選挙の勝敗によって決まります。総選举にさえ勝てば、何をやっても許される、国民から合憲の推定を受ける、という運用なのです。 複雑な運用ですが、いったんできあがってしまえば、これが一番うまくいく方法だと思 います。イギリス憲法はまさにこの憲法習律で成り立っているのです。」

 

週刊新潮10/16号の藤巻健史の記事について

2012年1月に発売された藤巻健史の書いた本『なぜ日本は破綻寸前なのに円高なのか』を読んだ時にも感じたのですが、今回の週刊新潮の記事でも疑問は氷解しませんでした。何故日本で「ハイパーインフレ」が起きるのか論理的な説明がありません。1000兆円を超える国債残高にそれを求めているようですが、369兆円の借金の時から1000兆円になってもまだ全然インフレになっておらず、2%の物価目標も実現できるかどうか怪しいときに「ハイパーインフレ」と騒ぐのはためにする議論なのでは。10/9長期金利は0.485%で日本円は安全資産ということで金利が低くなっています。日銀の国債購入で低くなっている面もあると思われますが。高橋洋一に言わせれば、負債に見合った資産を持っているので心配することはないという意見もあります。また8月の経常収支も黒字で円安のため所得収支が増えます。メーカーが生産拠点を海外に移してきたため、貿易黒字を稼ぐのは難しくなってきていますが、その分所得収支が増えていきます。また原発を稼働させれば貿易赤字も減っていきます。また本日の日経はアメリカの金融緩和縮小の行方も分からないと言ったニュアンスの記事を載せています。藤巻の言うように$資産を持つことが正しいのかどうか。世界(特にロシアと中国)は$の基軸通貨を止めさせたいと願っているし、少なくとも$の占めるシエアを下げようとしているので。日本の株を持つ方が良いのでは。

<藤巻健史の週刊新潮10/16号の記事>

「これほど巨額の借金を抱えた日本は近い将来、財政破綻するか、ハイパーインフレに陷いる。そうなると、 株も円も大暴落する」。私は、日本の累積赤字が まだ369兆円だった1997年から、一貫してこう 言い続け、警鐘を鳴らしてきました。だから、この間、「保険のために、ドル資産など先進国の外貨を買って海外に資産を逃がし、自己防衛をはかるべきだ」と提唱し、自らも実践してきたのです。財政破綻した時には、国は助けてくれない。自分の身は自分で守るしかないのです。外貨シフトはまだ間に合う。では、 どうやって資産防衛を行うのか。それは、後で詳述したいと思います。

今現在、円が急落していますが、この円安ドル高はさらに進行すると思います。 世の一部からは“日銀の量的緩和の効果もあって、円安になり、藤巻の予言は当たった”“自分も預貯金をドルに換えておけば、儲かったのに”という声が聞こえてきます。『日本大沈没』などの書を著した私は、これまで、金融の実務経験のない多くの学者やエコノミストから、“業界のピエロだ”“大法螺吹きで、気が触れている”などと鼻で笑われてきました。しかし円安ドル高の進行は私が予言した通りです。ただし、今回の急激な円安は、日銀の量的緩和によるものではありません。2013年4月に黒田東彦・日銀総裁が“異次元の量的金融緩和”を打ち出した頃、 円は1$ =97円でした。その後の1年で、マネ夕リーべース(日銀の資金供給残高)が、約209兆円と74兆円も増えたのに、円は1ドル=102〜103円に留まり、為替はたった5円ほどしか動かなかったじゃないですか。むしろ、巨額負債を抱えた現下の円急落は、 日本経済の財政破綻やハイパーインフレの前兆であり、次節柄、不謹慎かもしれませんが、“火山性微振動”である可能性が高いと言わざるを得ないのです。

<10/8日経夕刊記事>

8月の経常収支

「単位は億円。カッコ内は前年同月比%、▲は赤字または減少」

2014年8 月

▽経常収支                 2,871

(82.7)

貿易•サービス収支   ▲10,826

貿易収支            ▲8,318

輸出                    56,492

(1.0)

輸入                    64,809

(2. 3)

サービス収支     ▲2,508

第一次所得収支     15,199

第二次所得収支    ▲1,503

▽資本移転等収支     ▲114

▽金融収支                6, 790

▽誤差脱漏                4,034

<10/10日経記事>

円相場が一時1$=110円台をつけた1日、ニューヨークの投資銀行ブラウン•ブラザーズ•ハリマンのオフィスで顧客からの電話がひっきりなしに鳴り響いていた。「来年初め115円も射程に入る。久々の大相場だから休む暇もないよ」。 ロンドン出張から戻ったばかりの通貨戦略部門のヘッド、マーク•チャンドラー (53)は息を弾ませた。

チャンドラーはウオール街きってのドル強気派だ。景気や金利が日欧より先に上向くドルは上がるとみるシナリオは米連邦準備理事会(FRB)の緩和姿勢でお預けになっていた。来年の利上げが既定路線となり、ついにドル買いの号砲が鳴った。 「強いドルは米国にとって常に望ましく、それは今も変わらない」。9月17日、カリフオルニア大口サンゼルス校で学生らと対話した現財務長官のジャック・ルー(59)はドルについて聞かれ、言葉を選びながらも語った。「世界の関心事はどうすれば米国のように成長できるかだ」。1995年に民主党のクリントン政権下で財務長官 に就いたロバート•ルービン(76)は「強いドルは国益」と 掲げ、表向き20年近くも路線は引き継がれてきた。

現実は単純でない。公式見解を保つルーとは対照的に、FRB議長のジャネット•イエレン (68)の側近でニューヨーク連銀総裁のウイリアム・ダドリ—(62)は9月22日、米ブルームバーグ社主催の会合で懸念をロにした。「ドルが大幅に上がれば成長への影響を伴う。雇用と物価の2つのFRBの目標は達成が難しくなる」。直前の16〜 17日に開かれた米連邦公開市場委員会.(FOMC)でもドル高を危ぶむ声が相次いだ。

9月25日、サッカー・ワールドカップ(W杯)効果も追い風に好調のスポーツ用品大手ナイキの最高財務責任者(CFO)、 ドナルド・ブレア(56)は決算会見に臨み、国外での売り上げを目減りさせるドル高について沈んだ声で答えた。「今年度は 為替の要因を除けば10%台前半の増収を見込むが、ドル高で1 〜2%は落ちそうだ」。 ドル高に敏感な企業の肉声は 「開かれた連銀」を掲げるダドリーに刻々と伝わる。ニューヨーク連銀は7月、「円安が思いのほか日本の利益になっていない」とする報告もまとめた。どこまでが国益なのか。米当局は容認できないドル高の臨界点を 静かに探り始めた。(敬称略)

日本人のノーベル物理学賞受賞について

非常に嬉しいニュースでした。日本人として誇りに思います。しかし、中村修二さんについて日亜化学工業と裁判沙汰のときに、メデイアは大分バッシングしていた気がします。社員の発明について、会社が施設・設備を提供したのだから個人の能力・努力によるものであっても会社に帰属すべきということで、雀の涙ほどの金額しか支払われなかったことにより訴訟となり、それが日本の会社の発明規程の見直しにつながったと思います。中村さんは「日本人離れしている」とか批判に晒され、結局日本国籍を捨ててしまいました。あの当時はネットが盛んではなく、一般人はテレビと新聞しか情報を取れなかったので、小生も誘導されるが儘に中村さんを批判的な目で見ていた記憶があります。メデイアは今回の受賞では前に言っていたことを(意図的に?)忘れて持ち上げていますが、慰安婦報道と同じく自分に都合の悪いことは頬被りします。「社会の木鐸」なんていうものではありません。中村さんが徳島大学卒なので見下していたのでは。彼らは自分の卒業した大学より偏差値が低い大学を見下す癖があります。学歴社会をなくせとか言いながら。日本人はもっと疑り深くならないといけないし、中村さんがおっしゃるように「怒り」を持たないといけないのではと思います。中国・韓国に侮蔑されても怒らないのでは西郷や松陰が体を張って日本の歴史を作ってきたのに裏切ることになります。でも中国・韓国ではノーベル賞は取れないと思います。体を動かすことを下に見る世界観と何でも他人の成果を盗めばよいというパクリが蔓延する社会では人類に貢献したことを顕彰するノーベル賞に値する人物は出ないと思います。でも審査委員会が両国が得意とする賄賂で動かせるようになれば別かもしれませんが。

矢野久美子著『ハンナ・アーレント』を読んで

ユダヤ陰謀論を聞くことがあり、「世界はユダヤの思い通りに動いている」のが本当であれば何故ヒットラーのユダヤ人虐殺が起こり、シフが高橋是清に金を貸してまで日露戦争に支援したのか分かりませんでした。それで表題本を読んでみようと思いました。アーレントはユダヤ人をパーリア(賤民)と位置づけています。それにイスラエルが建国されるまではデラシネ(根なし草)と同じと感じていたのでは。姜尚中がよくデラシネとか言っていますが、彼には帰るべき国があるにも帰らず、デラシネを気取っているだけという気がします。韓国人に言わせれば在日はハンチョッパリと差別され、朝鮮人には出身成分の「核心階層」「動揺階層」「敵対階層」の内「敵対階層」に入るので、母国に行けば日本以上に差別されるため帰国しないのだと思います。ハンナ・アーレントのような信念を持って生きていません(ユダヤ人にとって不利なことも発言したので多くの友人を失った)。日本の税金でドイツ留学までさせて貰っても日本に対する愛情がないのは民族性か?でも呉善花やシンシアリーのようにまともな人もいることはいるのですが、朝鮮半島では社会的に抹殺されてしまうでしょう。国民国家が成立して以降、国こそが生存を保証する機関となっていると思います。勿論国民の義務(徴兵・納税)を果たさなければなりませんが。佐伯啓思によれば「国家は人々の生命・財産を守るというが、どのようにして守るのか。国家の主権者が王であれば、王が自らの軍隊を率いてそれを守る。しかし近代国家とは国民主権である。とすれば、国民の生命・財産を守るのは国民自身ということになる。だからこそ、社会契約においてルソーは、何よりも国防のために国家に命をささげることを市民の義務として強く要求したのであった。これは近代国家の基本構造である。そこには確かに矛盾がある。人々の生命・財産を守るために人々は命を捨てることを要求されるからだ。」と書いてあったと思います。ハンナ・アーレントも同じことを考えていたと思います。ユダヤの金融資本はユダヤ人を見捨て、また生きるために同じユダヤ人がナチに協力したことも書かれています。帰属する国家がないことの悲劇かもしれません。イスラエルが生き延びるためには世界を相手にしても戦うというのはこういう所から来ているのかも知れません。イギリスの二枚舌(バルフォア宣言とフサイン・マクマホン協定)で中東は争いが絶えません。Divide and ruleです。「大量射殺は時間もかかり、殺害実行者の負担も大きい」とあり、南京大虐殺30万人というのが如何に現実離れしているかです。

本の紹介をします。

P53~54

アーレントは、「農業と手工業」から「青年アリヤー」へと移る間の時期に、フランスの富豪ユダヤ人であるロトシルト(ロスチャイルド)男爵夫人の慈善事業を補佐する個人的秘書として雇われ、パリのユダヤ人上流階級の世界を垣間見たことがあった。彼らが中心となっていた「長老会議」は、フランスのユダヤ人社会をとりしきり、フランス政府からユダヤ人対策を求められることもあった。また、慈善団体をいくつももっていたが、 慈善事業として資金援助はしても政治的に行動することを忌避し、反ユダヤ主義から避難してきたユダヤ人たちを同胞としては見なさなかった。彼らは、早い時期の知識人亡命者たちのことも「博士様、たかり屋様」と呼ぴ、嫌悪感を隠さなかったが、激增するユダヤ人難民にたいしては、自分たちが同化してきた社会の反ユダヤ主義を高めるとして、厄介払いするような雰囲気もあったのである。

P.85~87

たとえばアーレントは、「人は攻撃されているものとしてのみ自分を守ることができる」 と書くことがあった。ユダヤ人として攻撃されるならば、イギリス人やフランス人としては 自分を守ることはできない。ヒトラーによって攻撃対象とされ無国籍者となった多くのユダヤ人たちが、将来帰化する先を求めて、つまり、イギリスやフランスの国籍を求めて、外人部隊やレジスタンスに身を預けて戦っていた。しかし他方で、イギリス政府は一九三八年に パレスティナへのユダヤ人移住を制限する方針を打ち出し(当時パレスティナはイギリス委任統治下にあった)、大量のユダヤ人難民を乗せた船が沈没するという事件が各地で起きた。彼らに、安全のためにさしあたって自国での下船を認める国はほとんどなかった。アメリカ合衆国議会でも、ユダヤ人難民の受け入れ法案が次々と否決されていた。アーレントはこうした状況が無国籍という法的地位(のなさ)に起因して降りかかっていると指摘し、ユダヤ人はそうした地位を強いられた最初の民族にすぎない、と述べる。彼女は、ユダヤ人と してユダヤの隊列でヨーロッパ民族の一つとして反ヒトラー闘争に参加することこそが、そうした状況を将来打開する道につながると考えていたと推測できる。「自由は贈りものではない」「政治における忍耐は無気力に奇蹟を待つことではない」「われわれの運命はとくべつな運命ではない」「反ユダヤ主義から安全なのは月だけだ」、とアーレントは書いた。彼女はユダヤ軍創設の要求を応援した。ただし、そこで彼女が意図する「ユダヤ軍」とは軍国主義者やテロリストを排除した、「非常事態でそうせざるをえない場合にのみ武器を手にとる 労働者たち」の軍隊であり、パレスティナのユダヤ人農民やヨーロッパに置き去りにされた同邦のために立ち上がる民兵部隊であった。しかし、イギリス政府はこのようなユダヤ軍が作られることを認めず、シオニスト指導部も、そうした大国の意向に従うことを優先させた。

P.90

人間による人間の無用化

工業的な大量殺戮はまさに「死体の製造」とも形容される事態であった。それまでのナチによる大量殺戮は射殺によるものだった。大量射殺は時間もかかり、殺害実行者の負担も大きい。ガス室の場合は瞬時に大量の人間を殺害でき、実行者とその行為の帰結との距離があるため心理的負担が減るという想定もあった。死体の処理やガス室の掃除などは特別作業班としてユダヤ人囚人たちに強いられた労働であった。 人間による人間の無用化。人間の尊厳の崩壊。それは理解を絶する「けっして起こってはならなかった」ことであり、その事態を直視することは地獄を見るようなものだった。しかも、そのとき犠牲者は続々と増え続けていたのだ。

P.95~97

ドイツの敗戰

一九四五年五月八日、ドイツが無条件降伏し、ヨーロッパでは世界大戟が終わった。七月半ばから八月二日までのポツダム会談ではドイツ•東欧の戦後処理と対日終戦問題について議論され、ポツダム宣言が出された。八月六日に広島、八月九日に長崎に原子爆弾が投下さ れた。その夏.ユーリエ・ブラウン=フォーゲルシュタインと休暇を過ごしていたアーレントはブリュッヒャーへの同じ手紙で、「おめでとう」と皮肉って次のように書いている。「私は原子爆弾の爆発このかた、これまでよりいっそう不気味で恐ろしい気持がします。なんという危険なおもちゃを、世界を支配するこの愚者どもが手にしていることか」。

アーレントは45年1月に発表した「組織的な罪と普遍的な責任」という論稿で、ナチの人種エリートは敗戦の色が濃くなるにつれてそれまでの方針を転換して自分たちと全ドイツ国民を一体化し、人びとの生活が営まれる中立の地帯を破壊し、行政的大量殺戮という犯罪に国民全体を組織的に巻き込んでいった、と指摘していた。その一体化によってフアシストと反フアシスト、正真正銘のナチと共犯者にして協力者である普通の人ひととの区別がつきにくくなり、「誰もが罪に関与しているとすれば、結局のところ誰も裁かれえない」ということになる。アーレントは、毒ガスによる殺人や生き埋めを日々見ていた収容所の主計官が自身の罪を問われて「私が何をしたのでしょう」と泣き出したという報道を引用していた。

P.100~101

アーレントは次のように書いている。

たとえユダヤ人がヨーロッパにとどまることが可能だとしても、まるでなにごともなかったかのように、ドイツ人、あるいはフランス人、等々としてとどまるわけにはいかないということです。ユダヤ人をふたたびドイツ人とか何々国人とか認めてくれるからといって、それだけで私たちはだれ一人、帰れはしないでしょう (そして書くとい.うことは、帰ってゆくことの一つの形式なのです)。私たちはユダヤ人として歓迎されるのでなければ、帰れません。ですから私は、ユダヤ人としてユダ人問題のなんらかについて書けるのなら、喜んで書きましょう。(『アーレント=ヤスパース往復書簡1』)

P110~112

アーレントによれば、余剰になった富とともに、失業してヨーロッパで余計な存在になった人間が植民地へと輸出され、彼らは自分たちを支配的白人種として見なすという狂信に陥った。余計者として国外へと出た人間がそこで出会った人びとをさらに余計者と見なすという構図が生じたのである。また、帝国主義時代の官僚制支配では、政治や法律や公的決定による統治ではなく、植民地行政や次々と出される法令や役所の匿名による支配が圧倒的になっていった。アーレントは官僚制という「誰でもない者」による支配が個人の判断と責任に与えた影響を検証した。

アーレントは、膨張のための膨張という思考様式のなかで人種主義と官僚性が結びつくことの危険性を強調している。膨張が真理であるといぅそのプロセス崇拝と「誰でもない者」 による支配においては、すべてが宿命的•必然的なものと見なされていく。ひとつひとつの行為や判断が無意味なものになるのである。さらに、植民地における非人道的抑圧はブーメラン効果のように本国に翻り、合法的な支配をなしくずしにし、無限の暴力のための基盤をつくった。

アーレントはこの部の最後で.国民国家体制の崩壊の結果生まれた人権の喪失状態を分析 している。第一次世界大戦後、国民国家や法的枠組みから排除される大量の難民と無国籍者が生まれた。共同体の政治的•法的枠組みから排除されている彼らは、すべての権利の前提である「権利をもつ権利」を奪われている。アーレントは、政治体に属さないことによる無権利状態の危険性、意見や行為が意味をもつ前提としての人間世界における足場を失うことの深刻さ、無国籍の人間の抽象性がはらむ危険性を指摘した。彼女は「彼らの無世界性は、殺人の挑発に等しい」とまで書く。

P.112~113

全体的支配は人間の人格の徹底的破壊を実現する。自分がおこなったことと自分の身に降りかかることとの間には何も関係がない。すべての行為は無意味になる。強制収容所に送られた人間は、家族•友人と引き離され、職業を奪われ、市民権を奪われた。自分がおこなったことと身に起こることの間には何の関連性もない。発言する権利も行為の能力も奪われる。 行為はいっさい無意味になる。アーレントはこうした事態を法的人格の抹殺と呼んだ。

法的人格が破壊された後には、道徳的人格が虐殺される。ガス室や粛清は忘却のシステムに組み込まれ、死や記憶が無名で無意味なものとなる。また、全体主義的犯罪による善悪の区別の崩壊は、犠牲者をも巻き込む体制であった。アーレントは、自分の子供のうち誰が殺されるかを決めるように命じられた女性や収容所運営をゆだねられた被収容者の例をあげている。

さらには、肉体的かつ精神的な極限状況において、それぞれの人間の特異性が破壊される。 個々の人間の性格や自発性が破壊され、人間は交換可能な塊となる、とアーレントは書いた。 自発性は予測不可能な人間の能力として全体的支配の最大の障碍になりうる。独裁や専制と違って、全体的支配はすべてが可能であると自負し、人間の本性を変え人間そのものへの 全体的支配を遂行した。「不可龍なことが可能にされたとき、それは罰することも赦すこともできない絶対の悪となった」のである。

P.173~175

アーレントはナチの官僚アドルフ•アイヒマンのイエルサレムでの裁判について書き、そのことによって、ユダヤ人の友人のほとんどを失うことになる。 長年の友人でありべンヤミンを失った悲しみを共有したユダヤの碩学ゲルシヨーム•シヨー レムとも断絶した。論争渦中で、シヨーレムから「ユダヤ人への愛がないのか」と問い詰められたアーレントは、「自分が愛するのは友人だけであって、何らかの集団を愛したことはない」と答えた。その一方で彼女は、「ユダヤ人であること」は「生の所与の一つ」とし、「その事実を変えようとしたことはなかった」と断言した。学生時代には、アーレントをド イツ人と見なすヤスパースにたいして抵抗し、第二次世界大戦中には「ユダヤ人として攻撃されるならばユダヤ人として自分を守らなければならない」と主張しつづけた。

P.187~188

『イエルサレムのアイヒマン』は刊行前から非難の嵐に巻き込まれ、刊行後数年たつまで攻撃の文書が絶えなかった。批判はおもに次のような点に向けられていた。一つには、アーレントがユダヤ評議会のナチ協力に触れた点である。「ユダヤ評議会はアイヒマンもしくは彼の部下から、各列車を满たすに必要な人数を知らされ、それに従って移送ユダヤ人のリストを作成した」と彼女は書いた。もう一つには、アーレントがドイツ人の対ナチ抵抗運動、とりわけヒトラー暗殺を企てた7月20日事件に言及し、その勇気はユダヤ人への関心や道德的な怒りから出たものではないと述べた点である。アーレントによれば、「彼らの反対運動を燃え上がらせたものはユダヤ人問題ではなく、ヒトラーが戦争の準備をしているという事実だった」。さらには、アイヒマンを怪物的な悪の権化ではなく思考の欠如した凡庸な男と述した点である。紋切り型の文句の官僚用語をくりかえすアイヒマンの「話す能力の不足が考える能力-つまり誰か他の人の立場に立って考える能力——の不足と密接に結びついていることは明らかだった」と彼女は述べた。無思考の紋切り型の文句は、現実から身を守ることに役立った。こうしたアーレントの見方すべてが、アーレントは犯罪者アイヒマンの 責任を軽くし、抵抗運動の価値を貶め、ユダヤ人を共犯者に仕立て上げようとしていると断言された。アーレントにたいする攻撃は、組織的なキャンペーンとなり、アーレントは実際にテクストをまったく読んでいない大量の人びとから追い詰められることになった。

アーレントは戦時中の体験から、「世界は沈黙し続けたのではなく、何もしなかった」と考えていた。大量殺戮が始まる以前の一九三八年の「水晶の夜」にたいする各国の言論上の非難は、難民の入国制限を進めるという行政的措置と矛盾していた。「ナチが法の外へと追放した人びとはあらゆる場所で非合法となった」のである。アーレントはナチの先例のない犯罪を軽視しているわけではけっしてないが、ナチを断罪してすむ問題でもないと考えていた。また、加害者だけなく被害者においても道徳が混乱することを、アーレントは全体主義の決定的な特徵ととらえていた。アイヒマンの無思考性と悪の凡庸さといぅ問題は、この裁判によってアーレントがはじめて痛感した問題であった。アーレントは裁判以後にこの問題をあらためて追及することになる。

P.201~202

「独裁体制のもとでの個人の責任」のなかで、アーレントは「公的な生活に参加し、命令に 服従した」アイヒマンのような人びとに提起すべき問いは、「なぜ服従したのか」ではなく 「なぜ支持したのか」という問いであると述べた。彼女によれば、一人前の大人が公的生活 のなかで命令に「服従」するということは、組織や権威や法律を「支持」することである。 「人間という地位に固有の尊厳と名誉」を取り戻すためには、この言葉の違いを考えなければならない。

アーレントは、ナチ政権下で公的な問題を処理していた役人は「歯車」であったかもしれないが法廷で裁かれるのは一人の人間である、と強調し、全体主義の犯罪性の特徴について 論じている。全体主義下では公的な地位についていた人びとは体制の行為に何らかのかたちで関わらざるをえなかった。そうした人びとが「職務を離れなかったのはさらに悪い事態 起こることを防ぐためだった」と弁解する。仕事を続けたほうが「貴任を引き受けているのであり、「公的な生活から身をひいた人は安易で無責任な形で逃げだしたのだ」という主張である。それにたいしてアーレントは、「世界に対する責任」「政治的な責任」を負えなくなる「極端な状況」が生じうると述べ、次のように続けた。

政治的な責任というものは、つねにある最低限の政治的な権力を前提とするものだからです。そして自分が無能力であること、あらゆる力を奪われていることは、公的な事柄に関与しないことの言い訳としては妥当なものだと思うのです。 (『責任と判断』)

アーレントは別の論稿では「何もしないという可能性」、「不参加という可能性」という言葉を使っている。彼女は、こうした力のなさを認識するためには現実と直面するための「善き意志と善き信念」を必要とすると指摘し、絶望的な状況においては「自分の無能力を認めること」が強さと力を残すのだ、と語った。独裁体制下で公的参加を拒んだ人びとは、そうした体制を支持することを拒み、不参加.非協力を選んだのである。そしてこうした「無能力」を選ぶことができたのは、自己との対話である思考の能力を保持しえた人たちだけだった。

大高未貴『日韓円満断交はいかが?』を読んで

SAPIO等で「慰安婦の真実」について知っていましたが、朝日の訂正記事が掲載されたことを併せ鑑みると、時宜に適った本と思います。政治に関心がない方は「慰安婦」についてもマスメデイアの発信する記事を信じてしまい、何が問題か分からないのではと思いますので、この本は役に立ちます。主権在民ということは国民が最終的に政治の責任を取るということですのでもっと政治に関心を持ち、マスメデイアの振りまく嘘、デッチアゲに気づき、正当に判断する能力を持って選挙時に相応しい政治家を選ぶようにしませんと。

上記の本で参考になる箇所を挙げてみます。前にEUではGDPの算出に売春を入れるという記事を掲載しましたが、何度でも言いますように、問題は強制性の有無であって、広義の強制性というのは朝日、民主党、社民党、共産党、朝鮮半島の使う論理のすり替えです。朝日は【朝日新聞社の慰安婦報道について検証する第三者委員会】を立ち上げましたが、身内を選んでいるので自分に厳しい意見が出てくるはずもなく、読者と国民向けのアリバイ作りでしょう。噴飯ものです。メーカーの製品の品質問題のときには厳しい意見を吐いているのだから、新聞の製品である記事が重大事故を起こしたのであるので国民に賠償すべきです。その金で国際社会に向け誤報謝罪記事を出すべきです。第三者委員会のメンバーは中込秀樹氏/元名古屋高裁長官=委員長、岡本行夫氏/外交評論家、北岡伸一氏/国際大学学長、田原総一朗氏/ジャーナリスト、波多野澄雄氏/筑波大名誉教授、林香里氏/東京大院情報学環教授、保阪正康氏/ノンフィクション作家。今回のアジア大会の(意図的な?)不手際、アンフェアな判定をみてこんな国とは付き合わない方が良いのではと思ったアジアの人々は多かったのでは。タイのブミポン国王を侮辱するようなコラージュをSNSに載せるような下劣な人達です。

P6~9

そして裏返せば、数千年にわたって朝鮮半島の時の政権に抑圧され、“性奴隸“の状況下に置かれてきた韓国人女性たちの“恨”の集積を糊塗し、歪めた自己正当化とも言え なくもない。現在もなお北朝鮮には「喜び組」が存在するし、脱北した約3万人の女性たちが中朝 国境地帯で売春窟や農家の嫁に人身売買されて苦しんでいる。韓国にもGDPの5%は売春産業で支えられているという事実がある(ソウル大学女性研究所が調査•作成した 「2010年性売買実態調査」による。また、同調査では、年間売春件数が4605万件、売春従事者は14万2000人余であることを明らかにしている)。通常なら彼女たちの怒りの矛先は、政府や時の権力者に向けられて然るべきものだ。 しかし、いつの時代も自主独立の気概に欠けてきた朝鮮人は、自国の歴史の直視に酎えることができず、歴史の捏造が常態化し、その矛盾を「夷狄」と蔑視してきた日本に転嫁してきたのだ。2014年、取材に応じてくれたソウル大学の安秉直名誉教授(李氏朝鮮後期から現代にかけての韓国経済史の研究で名高い)はこんな話をしてくれた。「私が『挺対協(韓国挺身隊問題対策協議会)』と一緒に慰安婦の証言の聞き取り調査に参加した時、最初、日本のことを悪く言う慰安婦はいませんでした。むしろ日本への憧れの気持ちが残っていた。ところがいつの間にか反日運動と化し、証言に変化が見られた。私は運動家ではなく研究者なので、これ以上、挺対協と一緒に研究を続けられない.と思い、彼らと袂を分かった」安名誉教授の研究結果のみならず、朝鮮人慰安婦たちを日本軍が強制連行したり、お金や対価も払わず性奴隸にしたりした事実がないことは、さまざまな公文書や歴史学者の指摘によって明らかにされている。慰安婦になった女性たちの大半は家が貧しく親に売られたり、自ら“キーセン”になることを志願したり、甘言で朝鮮人の女街(人身売買の仲介業者)にだまされ慰安所に連れて来られたりした女性たちだった。 その不幸な生い立ちには同情を禁じ得ないが、問題は“ハルモニ” (高齢の韓国人女性、おばあさん)たちを一部の勢力が政治利用していることだ。考えてもみてほしい。決して肯定できることではないが、現在だって人類の宿痾(長い間治らない病気)を象徴するかのよぅな、劣悪な環境の売春窟は世界中に存在する。しかし、古今東西どの国からも元売春婦たちが名乗りを上げ、一方的な証言で隣国を糾弾したことなどない。なぜ韓国だけが臆面もなく元売春婦を前面に押し出し、テンとして恥じないのか?もちろん彼(女)らが主張するように、日本軍が朝鮮人の少女たちを無理やり強制連行して慰安婦にしたのなら、当時の朝鮮の男たちは何をしていたのだろう。娘や妻や恋人たちが日本軍に強制連行されたというのに、なす術もなく指をくわえて見ていたというのか。“慰安婦暴動”と呼ばれるようなことが一切なかった事実が、彼らの嘘を暴いている。 強制連行が本当にあったのなら、現代の韓国の男たちは日本大使館前で抗議活動に参加させられているハルモニたちの前にひざまずき、「俺たちの祖父たちがだらしなく、あなたたちを守り切れなかった。申し訳なかつた」と謝罪すべきだろう。

そもそもなぜ1965年の日韓基本条約以前には、この慰安婦問題が浮上しなかったのか?実は韓国の男性の中には贖罪意識を持っている人も多い。キーセン・パーテイに参加したことがある日本人の映画監督はこんな話をしてくれた。「韓国は1960年代から80年代にかけて、キーセン外交を国策として行って来た。私 が以前に韓国に行った時、キーセンの宴会場で同席していたKCIA (大韓民国中央情報部※のちにANSP〔国家安全企画部〕と改称、99年廃止)の男が『自国の女性を外 国人に差し出してまで国策として外貨獲得しなければならないなんて韓国の男として情けない限りですよ……』と目に涙を浮かべて悲憤慷慨していたことが忘れられない」もちろん日本の男性にも忸怩たる思いをした時代はあった。戦争に負け、占領軍相手 に「RAA」(特殊慰安施設協会)が作られ、“ハンパン”と呼ばれる女性たちが街角に立った時……しかしこれは敗戦直後の出来事であり、戦時中は違った。今、韓国で行われていることは、若い時に体で稼がせていた老女の過去を、世界中に晒しものにして、単なる外交利益ではなく、あわよくば賠償金までせしめようという、 なんとも残忍でさもしい話なのだ。もうこんな馬鹿げた話にこれ以上日本人が付き合わされ、謝罪を要求されるのはゴメ ン被りたい。河野談話を撤回して、日本人は先人たちと子孫のために堂々と立ち上がるべきだ。我々の祖父たちは、性奴隸を作った強姦魔なんかではない。

P76~79

捏造慰安婦の正体は戦時下の商業売春婦

それにしても歴史の捏造をネ夕に、ここまで他国を-貶める民族的情熱は、精神医学のテーマであって、「日帝36年の恨」などといぅのは好意的にすぎよう。例えばこんなニユースがある。「拡大する韓国型性産業、海外での実態」「『性産業輪出大国』韓国の恥ずかしい現実」 として朝鮮日報に掲載された驚きを禁じ得ない内容だ。まず、海外での韓国人売春婦について、「2010.年10月に行われた女性家族部(省 にあたる)への国会国政監査で、当時の金玉伊議員(女性家族委員会所属)が『海外で 売春をする韓国人女性の数は日本に約5万人、オーストラリアに約2500人、グアム に約250人いるとみられ、全世界では10万人余りに達する』と主張した」などとある。 海外売春の理由のひとつを“カネ”と分析し、「昨年5月にカナダの売春宿で警察に 身柄を拘束された10人の韓国人女性も『短時間でたくさん稼げると聞いて、つい来てしまった』と話した」とも記している。さらに同記事には、米国内の外国人売春婦数の割合も掲載されており、1位は韓国で 23. 5%、2位夕イ11. 7%、3位ペル—10%となっている。日本国内でも6〜8万人の韓国人女性が売春に従事しており、外国人女性としてはダ ントツの1位。2004年に韓国内の売春禁止法が強化されたのだが、その桔果として、 海外に流出し始めたようだ。一方、国内では般若のような白塗り・白装束の売春婦が数百人規模で「仕事を自由にさせろ」とデモをし、その姿はネツトで全世界に流れていた。:彼女たちは「性労働者、労働者には働く権利がある」とし、「成人男女の私的な行為に法律が介入するのは違憲」と法廷で主張し、現在、憲法裁判所で審議が進められている。韓国の売春産業の規模は14兆952僮ウオン(約1兆2377億円)と女性家族部の調査(2007年)によって報告されている。これはこの年の国家子算である239 兆ウオン(約20兆9868億円)の約 6%に相当する。風俗店で働く女性は約27万人。また、同調査では、年間売春件数が46 05万件、売春従事者は14万2000人余であることなどを『ハンギョレ21』が2 011年11月にスクープしている。