「政権は銃口から生まれる」と言われる中国ですから、「政権を打倒するのも銃口」となるのでは。一党独裁・軍国主義国家がたどる道でしょう。中国は日本を軍国主義の道に進んでいるといつも非難しますが、彼ら一流のプロパガンダで自分がやっていることを、自分を棚に上げて非難するのが常道です。反日民進党の蓮舫も同じです。
本文中の“打靶帰来(射撃練習して兵舎へ帰る)”の靶=ba3の意味は標的とのこと。秘密裏に1万人を動員できたことは、いつでも大規模クーデターが起きる可能性を表しているのでは。一説によると、習を困らすために、団派が仕掛けたとも言われていますが。全国からの動員規模から言って、団派の策謀と言うよりは、やはり生活待遇を何らかの形で訴えることで、上を動かそうとしたのでは。エリート集団の団派には力技を使えるのはいないと思います。
やはり、中国人と言うのは、どこまで行っても、汚い連中が多いです。悪いことをしてでも、自分が儲かればよいという行動をしますので。本文中にあります、“假兵案(偽兵事件)”=幽霊兵士で自分の懐を肥やそうとしたり、PLAでは兵器の横流しや調達物資の横流し、施設内での売春とか規律無しの軍隊です。
日本でもウィッツ青山学園高等学校(三重県伊賀市)で、国の就学支援金制度に絡み、通信制課程に受給資格がない生徒を入学させたことで、2014年度に「高等学校等就学支援金」1億5711万3千円を不正受給していた詐欺容疑で、ウィッツ元監査役を逮捕した事件が起きました。日本人の中国人化、「悪貨が良貨を駆逐する」、「朱に交われば赤くなる」典型です。外国人の生活保護の不正受給も多数あります。昔の善意が通じた日本ではなくなってきているので、日本人・外国人に関係なく、法の厳正適用を望みます。
中国は内部矛盾を外部闘争へと転化し、戦争を仕掛けるかもしれません。南シナ海はフイリピンに続き、マレーシアも中国に靡きました(フリをしてるだけかもしれませんが)。そうなると可能性としては東シナ海となる可能性が高くなります。南スーダンへの自衛隊派遣は5ケ月後には撤収させて、尖閣周辺の守りに充てた方が良いでしょう。離島対策で自衛隊を駐留させるのも、抑止力・経済振興となります。
その前に、中国は瀋陽軍が反乱を起こし、軍閥割拠の時代に戻した方が世界平和のためになるのではという気がします。習が定めた5大戦区毎、或は元の7大軍区毎に独立させればよいのでは。核の扱いが問題になりますが。満洲、チベット、ウイグル、モンゴルは元の民族に返すべきでしょう。でも、民族浄化で少なくなっていると思いますが。
記事
(写真:AP/アフロ)
“八一大楼”は北京市“海淀区”の“復興路”に所在する。北京市の中心にある“天安門”の前を走る“長安街”を西へ進むと“復興門”に至り、その先の道路は“復興路”と名称を変えるが、しばらく進むと右手に“中国人民革命軍事博物館”(以下「軍事博物館」)が見えてくる。その軍事博物館の一つ手前、即ち軍事博物館の右隣に威風堂々とそびえ立つのが地下2階、地上12階の八一大楼である。
8月1日は中国共産党の軍隊、“中国人民解放軍”(以下「人民解放軍」)の“建軍節(建軍記念日)”である。これは、1927年8月1日に“周恩来”、“朱徳”、“賀龍”などが率いる中国共産党の北伐軍が、江西省“南昌市”を守備する国民党軍に対し武装蜂起して大勝利を収めたことに由来するもので、一般には8月1日を略して“八一建軍節”と呼ばれている。
八一大楼も8月1日の建軍節にちなんで命名されたもので、中国共産党の最高軍事機関である“党中央軍事委員会”の執務ビルとして建設されたが、実際には当初の目的には使われず、現在では人民解放軍最高指導部が日常の執務を行うほか、重要な軍事会議の開催や軍事関係の外国賓客の接待や外交儀礼の場所として使われている。このため、八一大楼は「人民解放軍の“人民大会堂(国会議事堂)”」とも呼ばれている。また、八一大楼の南側(復興路側)にある“八一広場”では人民解放軍の閲兵式が挙行される。要するに、八一大楼は人民解放軍の中枢が所在する象徴的なビルなのである。
「人民解放軍の中枢」を包囲
2016年10月11日の朝早くから、八一大楼は続々と到着する緑色の迷彩服を着た軍人たちによって包囲された。目撃者によれば、軍人たちは1万人以上で、彼らの隊列は延々2kmも連なり、周辺一帯は迷彩服の軍人たちによって埋め尽くされたという。彼らは“団結就是力量(団結こそが力だ)”、“打靶帰来(射撃練習して兵舎へ帰る)”などの軍歌を高らかに歌い、「職の安定と生活保障を」などと書かれた横断幕を掲げていたが、横断幕の中には「党中央を支持する」、「習主席を支持する」などという標語も見受けられた。
これらの軍人たちの大部分は2000年以前に退役した士官であり、過去10年以上にわたって各地方政府から何ら生活保障や就職斡旋を受けることなく放置され、自力で生計を立てることを余儀なくされたのだった。彼らが軍隊時代に身に付けたのは「敵を殺す」技であり、退役して故郷へ帰っても一般社会で役立つ専門技術を何一つ持たず、社会に適用するのが非常に難しく、本来なら生活保障や就職斡旋を行ってくれるはずの地方政府から放置されたことから窮地に追いやられ、生活に困窮しているのだ。
中国の兵士は、“義務兵(徴兵制による兵士)”と“士官”に区分される。現行の規定によれば、その詳細は以下の通り。
【1】義務兵とは徴兵制によって兵役の義務を果たす兵士を意味し、その服役任期は2年である。(但し、実際にはその大部分が志願兵で、志願兵だけで徴兵で必要な兵数を満足しているのが実態である)
【2】士官への任官は次の3方法を通じて行われる: (1)服役任期を満了した義務兵の中から選抜する。 (2)軍系列の大学を卒業した学士の中から選抜する。 (3)非軍事部門の専門技能を有する民間人から直接に試験などを通じて募集する。
【3】士官は初級、中級、高級に区分され、その服役任期は、初級士官:最高6年、中級士官:最高8年、高級士官:14年以上となっている。
【4】士官は給与制であり、医療の公費負担、住宅手当の支給などの各種待遇が与えられている。また、服役期間が満10年以上の士官には転職先の紹介が行われるし、年齢が満55歳または服役期間が満30年、あるいは病気や障害により労働能力を喪失した士官には退職者としての待遇が与えられることになっている。
放置する地方政府に業を煮やし
基本的に退役士官に対する生活保障や就職斡旋は、退役士官の故郷を管轄する各地方政府が責任をもって行うことが、1999年12月13日施行の『中国人民解放軍士官退役後の身の処し方に関する暫定規則』および同規則を改訂した2011年11月1日施行の『“退役士兵安置条例(退役兵士の身の処し方に関する条例)”』に規定されている。ところが、地方政府は中央政府および中央軍事委員会の意向に従わず、退役士官に対する適切な処遇を行わぬまま放置しているのが実情である。これを不満とする退役士官たちは各地方政府に対して当該規則ならびに条例に規定されている処遇を行うよう要求して陳情を繰り返したが、地方政府は暖簾に腕押しの状態で、彼らを無視するだけだった。
地方政府が対応しないなら、北京市へ出向いて中央政府および中央軍事委員会に陳情するしかない。そう考えた退役士官たちは、北京市へ向かおうとする。そうされては困るのは地方政府である。それは、退役士官たちに北京市で騒がれては、地方政府の退役士官に対する処遇が怠慢で、冷淡なものであることが表沙汰になり、地方のNo.1である一級行政区(省・自治区・直轄市)の党委員会書記やNo.2である省長・自治区主席・市長の業績評価に影響するばかりか、一級行政区自体の評判を落とすことになりかねないからである。彼らの上京を阻止するには、退役士官たちの動向を監視し、上京する気配があったら拘束して足止めすればよい。こうして、退役士官たちは監視対象にされたが、彼らの北京行きの決意は揺るがなかった。
退役士官たちは個々の地域で集団を作るようになり、その地域集団がさらに大きな集団となり、最後には一級行政区レベルの集団と化した。当初は監視の目をかすめた地域集団の代表たちが個別に上京して八一大楼や“国家信訪局(国家投書陳情受付局)”を訪ねて陳情を行っていたが、陳情の成果は何一つ上がらなかった。そればかりか、北京市当局から彼らが陳情のために上京したとの知らせを受けた地方政府は、速やかに北京市へ受取人を派遣して彼らを強制的に連れ戻したのだった。それでも懲りずに幾度も上京しての陳情を繰り返すと、彼らの名前は地方政府のブラックリストに載せられ、彼らの周辺には常に監視の目が光るようになった。
そうなると、退役士官たちは一級行政区を越えた関係を強化し、連携して大挙して上京する計画を立てるようになった。彼らは監視の目を欺き、分派行動で秘密裏に地元を出発して北京市へ向かい、八一大楼や国家信訪局に集合して陳情を繰り返した。過去20年間の統計によれば、この種の退役軍人の集団が北京で陳情を行った回数は50回以上に上り、平均して年3回に及んでいる。但し、彼らの訴えや要求は一切顧みられることなく無視されてきた。
2014年4月28日にも、全国19の一級行政区から上京した2000人以上の退役士官たちが八一大楼および人民解放軍“総政治部”の“信訪辨公室(投書陳情受付事務室)”に押しかけて老後の生活待遇を改善するよう要求を行った。彼らは軍服を着用し、要求を書いたプラカードを掲げていたが、そこには車椅子に乗る人も多数含まれていた。これが退役軍人による過去最大規模の集団陳情行動であったと思われる。なお、2016年に入ってからも北京市では、2月には身障者の退役軍人グループによる陳情が行われたし、5月には1000人規模の退役軍人、8月には数百人規模の退役志願兵や身障退役軍人による陳情がそれぞれ行われた。
監視の目をかすめ、海外にも
さて、話は10月11日の八一大楼に戻る。同日に行われた退役士官1万人以上による八一大楼を包囲しての陳情行動は、史上最大規模のものであった。彼らは12の一級行政区から分散して北京市に集結したもので、その規模の大きさから、国内メディアはもとより海外メディアまでもが注目して彼らの集団陳情を報じたから、当該ニュースは世界中に伝えられた。この日の陳情行動に当初参加を予定していたのは1万5000人以上の退役士官であったが、多くの人々が郷里を離れる前に地元政府によって拘束されたし、1000~2000人が北京市へ向かう途上で阻止されたという。
こうした困難を乗り越えて、10月10日までに次々と北京市へ到着した人々は、事前の打合せに従い北京市内の鉄道や地下鉄の駅を含めた公共の場所に分散して身を潜め、友人宅に宿泊した者を除く大部分は野宿で10日の夜を過ごした。彼らは公安当局に察知されないために相互の電話やメールによる連絡を一切行わず、隠密裏に行動して、翌11日早朝に八一大楼へ集合したのだった。
この日に八一大楼を取り囲んだのは、中国共産党による人民解放軍の兵員削減策によって、1993年から2000年までの間に、服務任期の満了までに残る服務年数を買い取られる形で強制的に退役された人々であり。彼らの多くは未だに仕事がなく、1か月に数十元(約500~600円)から数百元(約5000~6000円)の生活保護を受けているだけで、基本的な生活すら保障されていないのが実情である。彼らが退役を強制された時期の中国共産党中央委員会総書記は“江沢民”であったが、江沢民は1997年9月に第9回目の兵員削減を行うとして、3年以内に兵員50万人を削減することを宣言した。この結果、1999年末に50万人の兵員削減が完了したが、その中には20万人の士官が含まれていた。
11日早朝に八一大楼が退役士官たちによって包囲されると、北京市当局は大規模な警察部隊を投入して警備に当たった。当初には数十人の退役士官が拘束されたが、上部から指令があったからか、彼らは間もなく釈放され、その後の警察部隊は警備だけに徹した。一方、退役士官たちは非常に秩序ある姿勢を示したので、警察部隊との間に大きな衝突は起こらなかった。彼らは八一大楼が面する復興路沿いの歩道に座り込みを行って生活水準の改善を訴えて丸1日を過ごした。しかし、翌12日の早朝3時過ぎに当局が手配した大型バス70~80台が到着し、4時過ぎから11時までの間に退役士官は30~40人ずつ1組で順次大型バスに押し込まれ、北京市南部の“豊台区”に所在する陳情者収容施設の“久敬庄接済中心(援助センター)”へ運ばれたのだった。久敬庄援助センターに収容された退役士官は2000人前後で、残りの人々は現場から逃げたか、地方政府から派遣された受取人たちによって引き取られた。
秘密裡の動員に危機感
今回の陳情で退役士官たちの代表は上層部の指導者には会えなかった。当時、党中央委員会総書記で中央軍事委員会主席の“習近平”は北京市にいたが、退役士官たちには接見しなかったし、国務院総理の“李克強”はマカオと広東省の視察中で不在であった。一説によれば、党中央政治局委員で“中央政法委員会”書記の“孟建柱”が接見しようと申し出たが、退役士官側から関係ないとして拒絶されたという。
久敬庄援助センターには湖南省、河北省、浙江省の3省から“民政”を担当する副省長が駆けつけて自身の省から来た退役士官たちと面会して、彼らを連れ帰った。その他残りの人々は、各一級行政区の北京駐在事務所の職員や地元から派遣された受取人によって連れ戻された。結局、1万人以上の退役士官を動員した陳情行動は何の成果も挙げることなく終結したが、退役士官たちが秘密裏に一級行政区を跨いだ連携を行い、1万人もの人数を北京市へ動員する力を持つことを中国社会に示した意義は大きく、党中央軍事委員会や中国政府は肝を冷やして、危機感を覚えたに違いない。
故郷に連れ戻された退役士官たちを待っていたのは、地元の公安局による取り調べであった。その容疑は『集会・デモ法』第23条規定の「軍事委員会周辺での集会・デモ禁止」並びに同法第27条規定の「違法な集会・デモの禁止」、および『“信訪条
例(投書陳情条例)』第18条と第20条規定の「国家機関への直訴強行禁止」などへの違反であった。取調官は退役士官たちに法規違反を認めて訓戒書に署名することを強要したが、大多数の退役士官は署名を拒否したという。彼らは自分たちに非があるとは全く思っておらず、その責任は退役時に約束された処遇を与えない地方政府に帰されるべきだと考えているのである。
腐敗が生んだ「偽兵事件」、全国で
それでは、地方政府が退役士官たちに約束された処遇を与えないのはどうしてなのか。その原因の一つは役人たちの怠慢であるが、それ以上に問題なのは役人たちの腐敗である。それは、全国各地で摘発されている“假兵案(偽兵事件)”から、その一端がうかがい知ることができる。1例を挙げると、河南省“安陽市”の民政局“安置科(退役軍人の就職斡旋を行う部門)”主任の“孫国銀”は1999年から2011年までの13年間にわたって、失業者から1人当たり3万~5万元(約50万~80万円)を受け取って「偽の退役士官」に仕立て、本来なら「真の退役士官」に提供すべき職場を失業者に斡旋していた。これら偽退役士官の数は13年間の合計で1000人以上に達した。この偽兵事件によって、安陽市では1000人以上の退役士官が就職の機会を失い、放置されたのであった。同様の事件は全国各地で横行している。
ところで、中国では人民解放軍の兵員削減が過去に10回行われ、最大627万人であった兵員は230万人にまで縮小されている。兵員数は上述した江沢民による9回目の兵員削減では50万人削減されて250万人となったが、江沢民は2003年にも10回目の兵員削減を行い、兵員を20万人削減して230万人まで縮小した。2015年9月3日、北京市の“天安門広場”で開催された中国人民抗日戦争・世界反ファシズム戦争勝利70周年記念式典で演説した習近平は、第11回目となる人民解放軍の兵員削減を表明し、兵力を現有の230万人から30万人削減して200万人にすると宣言した。この削減される30万人のうちの半数は“軍官(士官)”が占めるという。
2016年11月の現時点でも、相当数の退役士官たちが仕事にあぶれ、生活苦に喘ぎ、退役後の処遇に不満を抱いているのが現状である。習近平が宣言した第11回目の兵員削減により新たに一般社会へ送り出される15万人もの退役士官が適正な処遇を受けることはできるのか。それは退役士官の不満分子を増大させることにつながるだけではないのか。経済が沈滞し、企業倒産の増大により失業率は上昇を続けている。国有のゾンビ企業を解体すれば、600万人もの失業者を発生させる可能性がある。そうした中で退役士官たちに職場を与え、生活を安定させることはできるのか。それは大いに疑問である。
1万人以上の退役士官たちが人民解放軍の象徴たる八一大楼を取り囲んで、生活改善の陳情を行ったことは極めて憂慮すべき事態であり、中国社会が抱える矛盾の一面を露呈したものと言えるのではないだろうか。
良ければ下にあります
を応援クリックよろしくお願いします。