中国の臓器移植の闇は今でも続いていると思われます。何せ平気で嘘がつける民族で、裏で悪いことは何でもできる社会です。マスメデイアは共産党の「喉と舌」でプロパガンダ機関ですから、党・政府に都合の悪い記事・報道は為されません。一党独裁の非常に悪い所です。北京で現地スタッフが交通事故で亡くなった時に、交通警察から言われたことは、「早く遺体を火葬するように。理由は①臓器売買される②労働争議の材料にされる」と。その後遺族との賠償交渉で「会社に遺体を運ぶ」と脅されましたが、「どうぞ」と答えて屈しなかった思い出があります。
http://www.epochtimes.jp/2016/08/26079-2.html
http://www.epochtimes.jp/jp/2015/03/html/d61618.html
生きたまま臓器摘出された人も多くいるのでしょう。多くは法輪功の信者のようですが。とても日本人には信じられないようなことが中国では平気で行われます。
本記事の賈敬龍のような問題は中国のどこにでも転がっています。ですから次の黒延平も出てきたのでしょう。報道はされなくともSNSで今は繋がる時代です。削除されても、口コミでは伝わっていきます。
「拆迁=拆遷」の問題は共産党統治が続く限り、解決できません。土地は共産党の所有になっている訳ですので。役人が私腹を肥やす対象になっています。「没有共産党就有新中国」にしなければ中国人民が幸せになることはないでしょう。新たな革命を起こさなければ。ただ人民解放軍を味方につけなければなりませんが、軍も腐敗の極みにありますので、望み薄です。
記事
2016年11月15日午前8時40分、河北省の“石家荘市中級人民法院(地方裁判所)”(以下「中級法院」)は、“最高人民法院院長(最高裁判所長官)”が署名した死刑執行命令書に基づき、“故意殺人犯”<注1>である“賈敬龍”に対して銃殺による死刑を執行した。死刑執行に先立ち、同日早朝に中級法院は賈敬龍に父母と姉との最後の対面を許可したが、対面の終了直後に死刑は執行された。賈敬龍は享年30歳だった。
<注1>“故意殺人”とは、殺意を持って行われた殺人を意味し、故意殺人罪の最高刑は死刑。
10月18日付で最高人民法院が中級法院による賈敬龍に対する死刑判決を承認したことが知れ渡ると、賈敬龍の境遇に同情する世論が沸き上がった。中国のネット上には多数の法学者や弁護士が死刑判決の見直しを求めて、「賈敬龍の死刑執行停止を求める嘆願書」への署名運動を呼びかけ、「“刀下留人(斬罪執行に待ったをかけること)”」を求める世論は盛り上がりを見せたが、最高人民法院に死刑執行命令の取り消しを促すまでの影響力を及ぼすことはなかった。
11月17日、賈敬龍の家族は中級法院から送付された“領取骨灰通知書(遺骨受け取り通知書)”を受領した。その内容は以下の通り。
河北省石家荘市中級人民法院・遺骨受け取り通知書
犯罪人の賈敬龍は故意殺人罪により法に照らして死刑判決を受け、2016年11月15日に死刑が執行された。“死屍(死体)”はすでに火葬されたので、家族は本通知書を持参して2016年12月14日以前に“石家荘市火葬場”へ出向き遺骨を受け取ることができる。期限を過ぎて受け取りがない場合には、遺骨は火葬場によって処理される。
河北省石家荘市中級人民法院 2016年11月15日
遺骨の引き渡し、引き延ばしか
上記通知書の日付が11月15日となっていることから考えて、賈敬龍の遺骸は11月15日の死刑執行当日に荼毘に付されたのだろう。遺骨の受け取り期限は12月14日となっており、死刑執行から丁度1か月後になっているが、通知書を額面通りに受け取って、家族が速やかに火葬場に出向いても、火葬場は種々の理由を付けて遺骨の引き渡しを引き延ばす可能性が強いと思われる。その理由は賈敬龍が報復目的で悪徳村役人を殺害したことにより庶民から英雄視されているからで、ネット上で行われた死刑執行停止を求める署名運動の沈静化を図り、遺骨引き取り後に行われる賈敬龍の葬儀に大挙して参列する可能性がある庶民の数を少しでも抑制しようという政府側の魂胆をうかがうことができる。
話は変わるが、中華人民共和国では1949年の国家成立から一貫して死刑は銃殺方式で執行されてきた。しかし、1997年に刑事訴訟法が改正され、銃殺方式と薬物注射方式の2本立てになったが、処刑後の遺体から移植用の臓器を取り出す関係から銃殺方式が大勢を占めていた<注2>。また、1980年以前には銃殺に使った銃弾の費用が家族に請求されたというが、法改正によって銃弾費用は国家負担となった。
<注2>中国では死刑囚の遺体から移植用の臓器を取り出すことは公然の秘密であり、死刑囚の臓器を用いた臓器移植ビジネスが横行していた。それが国際社会から問題視されたため、中国政府は2015年に死刑囚の臓器を使った臓器移植を禁止した。
閑話休題。それにしても、本来ならば通知書には、死者に敬意を払って“遺体”と書くべきなのに、“死屍(死体)”という言葉を使っているところに、死刑囚に対する冷淡な扱いが表現されている。さらに、賈敬龍の家族は死刑執行後に遺体と対面することも、火葬に立ち合うことも許されなかった。このため、多くのネットユーザーは火葬場から引き渡される賈敬龍の遺骨が本物だという保証はあるのかと、疑問を投げかけている。
立ち退き拒否の末…
さて、賈敬龍が死刑囚となった経緯は何か。その詳細については、2016年10月28日付の本リポート「横暴な権力者を殺害した男の死刑は止められるか」を参照願いたいが、最高人民法院“刑三庭(刑事第3法廷)”の責任者がメディアに語ったという事件の概要は以下の通り。
【1】本事件の被告人である賈敬龍は河北省石家荘市“長安区”内の“北高営村”の村民で、父母と共に同村の南華路6号に居住していた。2009年11月28日、村民代表大会は表決を経て北高営村の“拆遷改造(住民を立ち退かせて住宅を取り壊して村を改造する計画)”の実施を決定し、2010年6月に石家荘市人民政府の批准を得た。住民の立ち退きと住宅の取り壊し作業は北高営村の村民委員会が統一的に計画し、各戸同一基準で実施した。
【2】2010年11月10日、南華路6号の世帯主である“賈同慶(賈敬龍の父)と村民委員会は立ち退き協議書に調印し、協議内容に基づき賈同慶は村民委員会から低価格分譲住宅1戸と代替住宅1戸の配分を受けて、旧宅から引っ越した。但し、賈敬龍は父母や恋人などの忠告を聞かず、旧宅からの移転を拒否した。
改造釘打ち機で頭蓋骨を貫通
【3】2013年5月7日、北高営村村民委員会は村の改造計画と賈同慶との間で締結した立ち退き協議に基づき、賈同慶の旧宅に対する取り壊しを実施し、取り壊し部隊と賈敬龍の間で衝突が発生した。旧宅を取り壊されたことで、賈敬龍は北高営村の党支部書記兼村民委員会主任の“何建華”に恨みを抱き、何建華に報復することを計画した。
【4】2014年10月、賈敬龍は釘打ち機3台、模造拳銃1丁、釘打ち機用の火薬などを購入した。その後、賈敬龍はくぎ打ち機を改造して厚さ1cmの木の板を打ち抜けるようにした。
【5】2015年2月19日(“春節”:旧暦の元旦)朝4時頃、賈敬龍は車で北高営村の春節祝賀会場の付近まで行き、乗ってきた車を近くに駐車してから徒歩で借家へ戻った。当日午前9時頃、賈敬龍は釘打ち機3台と模造拳銃1丁を携えて借家から春節祝賀会場へ向かった。賈敬龍は、祝賀会場で村民たちに新年の挨拶を終えてひな壇から下りた何建華の後頭部に改造した釘打ち機で釘を打ち込んだ。釘は何建華の頭蓋骨を貫通し、何建華は頭蓋脳損傷により死亡した。
【6】犯行後、賈敬龍は事前に祝賀会場付近に止めておいた車で逃走しようとした。村民の“張瑞国”はこれを阻もうとしたが、賈敬龍は車を止めることなく張瑞国を跳ね飛ばして逃走した。村民の“金慶昆”、“何志輝”、“何志軒”などが車で追走し、賈敬龍が運手する車に車を衝突させることで停止させた。車を降りた賈敬龍は大声を上げて抵抗し、拳銃を構えて村民たちを威嚇し、拳銃を1発発砲した。後から追いついた村民たちが賈敬龍を取り押さえ、急行した警察官が賈敬龍を逮捕した。
表面的な事実を取りまとめれば、確かに上記の通りである。しかし、賈敬龍が何建華を殺害するに至った経緯を考えれば、以下のような同情すべき点があるのである。
脅迫、新居破壊、婚約破棄、自首も認められず
(1)父親の賈同慶が村民委員会との間で立ち退き協議を締結したのは、賈同慶の母、すなわち賈敬龍の祖母の社会保険(年金)支給を停止すると脅かされたためであり、決して納得してのものではなかった。この事実を知っていた賈敬龍は村民委員会およびその主任(責任者)である何建華に反感を持ち、協議締結という事実を認めていなかった。
(2)2013年5月7日に賈敬龍が住み続けていた旧宅は村民委員会が組織した取り壊し部隊によって取り壊されたが、この日は賈敬龍にとって27歳の誕生日の6日前であっただけでなく、恋人との結婚式の18日前だった。賈敬龍は大金を投じて自力で旧宅を結婚後の新婚住宅に改造していたが、全ては破壊され、甘く楽しい新婚生活の夢は消え去った。取り壊しをせめて賈敬龍の結婚式が終わり、新婚生活を始めるまで待ったやることはできなかったのか。村民委員会の1人が証言しているところでは、旧宅の所在地は緊急に取り壊す必要のない場所だったという。
(3)悲劇はそれだけでは終わらなかった。賈敬龍が村民委員会と抗争状態にあることを知った恋人の父親は、賈敬龍と関わり合いになって村八分にされることを恐れて、娘に賈敬龍と手を切るよう命じた。このため、恋人との結婚約束は取り消され、彼女は賈敬龍のもとから去り、後に別の人と結婚した。
(4)賈敬龍は犯行後に現場から車で逃走したが、それは付近の派出所へ自首するためだった。ところが、後から追走してきた村民たちに捕まり、殴る蹴るの暴行を受けて大腿骨を折られ、その後急行した警官によって逮捕された。賈敬龍の携帯電話には知人に宛てた「これから自首する」というメール原稿が残されていたが、発信されてはいなかった。裁判官は当該メール原稿を証拠採用せず、賈敬龍に自首する意思はなかったと判定したが、自首する意思が認められていれば、賈敬龍に死刑の判決が下されることはなかったものと思われる。裁判官が自首の意思を認めなかったのは、当初から賈敬龍を死刑にすることが決まっていたのではないだろうか。
最高人民法院が死刑執行停止を求める世論を無視して賈敬龍の死刑執行を強行させた背景について、ある中国の作家は次のように述べている。
【1】中国の農村で農民の住民居住地や農地を強制収容して得た土地は、不動産開発業者に売り渡すことで、農村にとっての貴重な収入源の「土地譲渡収入」を獲得することができる。また、売り渡された土地は開発業者によって工業団地や宅地に造成され、工場や新たな住民を招き入れることにより、地元の繁栄につながる。これは省政府や市政府の規模でも行われていることであり、土地譲渡収入が政府歳入に占める比率は30~40%にも及んでいる。
【2】中国政府が土地譲渡収入に依存する地方政府の在り方を真っ向から否定して、土地の強制収容を容認しない立場を取るならば、最高人民法院は世論の高まりを謙虚に受け入れて賈敬龍の死刑執行停止を認め、賈敬龍に再審の機会を与えたかもしれない。しかし、土地の強制収容を許容する姿勢に変化がなければ、それに逆らう者への見せしめとして賈敬龍は“該死(死刑判決を下すべき)”の存在だった。賈敬龍の死刑が執行されたことで、土地の強制収容は今後も継続されようが、第2、第3の賈敬龍が出現する可能性は存続することになった。
予言通り「第2の賈敬龍」が
上述した作家の予言は正しかった。11月16日の午後、陝西省“延安市”の管轄下にある“延長県”内の“七里村鎮”に属する“曹渠村”で、土地の強制収容に起因する問題で刀を持って村長一族を襲撃した犯人によって3人が斬殺、5人が重軽傷を負う大事件が発生したのである。
中国の官製メディアが報じた所によれば、曹渠村の村民“黒延平”は村長の“曹英海”と強制収容された土地の補償問題でもめていた由で、地元の延長県政府もこれを知っていたという。11月16日には前任の曹渠村村民委員会主任の娘が嫁に行くのを祝う事前祝賀会が催されたが、黒延平もこの祝賀会に参加していた。祝賀会の終了後、黒延平は刀を持って村長の曹英海の家へ乱入し、続いてその親戚の家2軒へも乱入して、家人を手あたり次第に刀で切り付けて8人を死傷させた。死亡したのは村長の曹英海、曹英海の長兄の嫁“郭忠芳”、曹英海の五男“曹徳民”の3人であった。曹英海の妻“蘇延梅”、息子の嫁“李蓉蓉”、甥の孫(3歳)の3人は重傷で、延安市内にある“延安大学付属医院”の集中治療室で懸命の救命治療が行われた。曹英海の孫(1歳)と甥の嫁“李瑞”の2人は軽傷で“延長県人民医院”において治療を受けた。
上記の事件に関する報道は規制されており、これ以上の詳細は不明である。すでに述べたように、中国では“拆遷(住民を立ち退かせて住宅を取り壊す)”問題が全国各地で次々と発生しており、土地の強制収容を受けた人々の怨嗟の声は社会に満ちている。曹渠村の8人殺傷事件の発生を知った中国のネットユーザーたちは、犯人の黒延平が賈敬龍事件を知って鬱憤を晴らすべく模倣事件を引き起こしたものと推定しているが、この種の事件は今後も止むことなく、発生し続けるだろう。
ある評論家は、「賈敬龍の死は中国の“拆遷”制度の下では必然的に発生する悲劇である」と喝破している。土地を二束三文の価格で強制収容しておきながら、公定価格で買ったかのように装い、差額を懐にいれる不届きな地方役人がいなくならない限り、この種の悲劇はなくならない。賈敬龍もその被害者の1人であると思われる。
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