『激怒するゴジラと中国人の奇妙な沈黙 農民の中国礼賛を支える危うい楽観主義』(9/15日経ビジネスオンライン 山田泰司)について

中国の人権無視の制度としては、「一人っ子政策」(現在は緩和措置されている)、「農村戸籍」と「都市戸籍」の区別(毛沢東の「農村から都市を包囲する」の継続革命思想の影響か?)、「档案」(共産党が過去三代の家系の中で反共行動を起こしたかどうかを記述した内申書)、「一人っ子政策」以外は解決していません。「農村戸籍」と「都市戸籍」の区別こそが経済格差・教育格差・医療格差となって現れます。「档案」は当然人民抑圧の手段として機能していますので、共産党統治が打倒されない限り止めないでしょう。「一人っ子政策」も教育費高騰で2人産む人は少ないと言われていますが、これ以上中国人が地球上で増えるのは悪を栄えさせることになります。彼らは人口のパワーを世界侵略の武器として使いますので。長野朗の『支那三十年』にもそう書かれています。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%A3%E6%A1%88

中国の農村では、小学校中退が多いとのことです。小生の父もそうでした。新潟の貧農で9人も子供がいて、早くから丁稚奉公に出されました。軍に召集され、入隊後料理兵としてミャンマー戦線へ送られました。敗戦後、帰国して常磐炭鉱で働きました。炭鉱も斜陽産業となり、大学入学時、授業料免除の申請をした時に、学生課の職員は源泉徴収票を見て「これでは生活できない。嘘でしょう」と言ったのを覚えています。でも田舎でしたら豊かではありませんが、充分暮らせたのですが。

TVの影響は日本でも同じで、情報弱者は垂れ流しの情報を迂闊にも信じてしまいます。中国は中共が、日本は反日TV局が歪曲した報道を続けているのに気づきませんと。

小生が中国在勤時代(97~05年)、不条理に結構抵抗する人は見ました。家の追い出しを受けて、ダンプの下に寝そべり、「さあ、引いて見ろ」と言わんばかりの人もいました。何せ主張しないと命まで奪われる歴史を持った国ですから。それでもおとなしくなったというのは反政府行動をしなくなったという事かと思いましたが、今でも北京に陳情に行っている人は多いと思います。

http://www.epochtimes.jp/jp/2014/10/html/d65985.html

中国は社会的に格差が広がる仕組みになっています。大きなのは賄賂です。社会の上から下に至るまで取るから、誰も非難できません。中国人の列の横入りと同じです。これは白人とか日本人とかが注意するだけでした。権銭交易でポストが金を生む仕組みを中共は考え出し、「清官三代」と言われるほど中国の歴史は汚濁に満ちたものですが、その歴史の中でも程度が甚だしいものになりました。一部の特権階級が富を簒奪するのはノーメンクラツラーがいたソ連と同様です。ただ、中国は自由主義諸国との貿易で富を拡大することができました。ソ連を敵視する余りに中国に飴を与え過ぎたキッシンジャーの見通しの悪さです。白人は中国人の極悪さを理解できていないのでしょう。怪物を日米で作り上げ、その後始末で、日中戦争が囁かれているのですから何をか況やです。戦前同様、中国人を知らなさ過ぎです。中国に支援してきた政治家・経営者は「責任を取れ」と言いたい。

記事

日経ビジネスオンラインでは、各界のキーパーソンや人気連載陣に「シン・ゴジラ」を読み解いてもらうキャンペーン「「シン・ゴジラ」、私はこう読む」を展開しています。※この記事には映画「シン・ゴジラ」の内容に関する記述が含まれています。

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(©2016 TOHO CO.,LTD.)

「シン・ゴジラ」は日本滞在時の仕事場を借りているみなとみらいの横浜港のほとりに建つシネコンで観た。ゴジラが最初に姿を見せたのは東京湾の羽田沖だが、海中からゴジラが天空に吹き上げた高い水蒸気を目視できるのではないかという距離感にあるシネコンである。上陸したゴジラがレーザービームや巨大な尻尾でタワーマンションをなぎ倒す武蔵小杉も、日本滞在中は毎日のように通過する。よく知る生活圏が舞台ということも相まって、映画としては単純に面白かった。

怒るゴジラ、怒らない人間

面白かったのだが、身近な生活圏が舞台だからこそ、腑に落ちない点が1つだけあった。それは、劇中、怒っているのはゴジラだけで、町を木端微塵にされているというのに、人間側は誰も怒っていないという点である。

シン・ゴジラが暗喩するものについては、原発事故だ、いや戦争だと、様々な解釈があるが、いずれにせよ、人間がしでかしたことに起因するものだがら、ゴジラに対して怒るのはお門違い、でも、このまま放置するわけにもいかないので、粛々と受け止め対処するしかないという諦念で、人間を怒らせなかったのだろうか。だとしたら、それはあまりに優等生的だ。

なぜって、武蔵小杉のタワーマンションは安くないのだ。私はみなとみらいに仕事の拠点を置くに当たり、武蔵小杉に住めれば便利だな、家賃も安くないし、どうせなら家賃分をローンに充てて、等と考えて調べてみたら、7000万円から1億円が相場だと知り、早々に購入は諦めた。聞くと、武蔵小杉のタワーマンションを購入するのは世帯年収1000万円以上の層だとのことだが、町で見かける住人たちは、学齢期まっただ中の子供を抱えた若い夫婦の家族が多い。長期の住宅ローンと学費で可処分所得は年収から想像するほどには多くないはずで、マンションをぶっ壊されたら「チクショウ、ゴジラお前、いい加減にしろよ!」と感情を爆発させて怒鳴りつける人が1人ぐらい出てくる方が、リアルだと思うのだが。

不公平・理不尽も「仕方ない」ですませる中国人

怒らないと言えば、現代の中国人も奇妙なほどに怒らないという印象を私は持っている。

私は日々、上海のどこかで中国人に対して怒りを爆発させている。青信号で横断歩道を渡っている私に向かって直進し歩行者を蹴散らす白バイに。家賃を3割も上げるとしゃあしゃあと言いながら、「契約書を作るのは面倒くさいからイヤだ」と言い放つ、バブルの恩恵でカネを得ることについて舐めきった態度の上海人の大家夫婦に。ところが、中国人だって同じような目に遭っているはずなのに、怒っているのはどうやら私だけ。中国全土で、というと風呂敷を広げ過ぎだが、上海で一番怒っているのはダントツで私だ。

しかしまあ、契約書を作りたくないだの白バイだの、言ってみれば他愛のないことであればまだいい。中国には不公平や理不尽な目に遭っている人が大勢いる。伝聞にまで話を広げると際限がなくなるで、私の友人の話だけを1つ2つ紹介する。

中国ではシングルマザーで子供を産むと違法とみなされ、女性の方だけが罰金を取られる。しかも罰金に決まった額はなく、地元の役人が自宅にやって来て家具調度などをなめ回すように眺めて値踏みをし、払えそうなギリギリの額を算出するという。私の友人はそれで、自分や家族が貯金していたのとほぼ同額の6万元(約96万円)を罰金として徴収された。

不公平や理不尽で不利益を被る比率は都会生まれよりも農村生まれが圧倒的に多い。私は1965年生まれの今年51歳だが、私と同世代や40代の中国の農村の人たちには、小学校も出ていないという人が驚くほど多い。小学校には半年ずつ通算6年通ったが、結局15歳になって、小学校3年生を終えたところで通わなくなってしまった、等という話が珍しくないのだ。中国で小学校6年、中学校3年の義務教育が実施されたのは1986年のことなので致し方のない部分はあるのだが、それでも、都会生まれの同世代で小学校中退という人に、少なくとも私は会ったことがない。

不公平に起因する教育機会の差が就職にも影響するのは言うまでもない。1990年代から人件費の高騰が顕著になる2010年ごろまで、中国は「世界の工場」と呼ばれてきたが、ひとくちに中国と言っても最前線のライン工として長時間の単純労働に耐え、8人、10人同居のタコ部屋のような宿舎や、倉庫を改造したようなボロアパートに住んで低賃金で世界の製造業を支えてきた人の多くは比較的教育程度の低い農村出身者だ。2008年の北京五輪、2010年の上海万博に伴う都市建設を、肉体労働で支えたのも都会人ではなく農村からの出稼ぎ労働者である。こうした都市部での労働は、肉体的には苛酷で、賃金も同年代の都会のサラリーマンに比べると総体的に低い。ただそれでも、農村や内陸の地方都市で働くことを考えればはるかに現金収入を稼げる都市部での労働は、相対的に学歴が低い彼らにとっては、稼ぐための貴重な場でもあった。

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2006年の上海。万博前の都市開発に沸いていた当時の上海には、シン・ゴジラが破壊した東京の町を彷彿させるような光景が町のあちこちで見られた。明日の成長を信じて疑わなかったこのころ、中国の労働者たちが怒りを露わにすることはなかった

都会からポイ捨てに遭う農民たち

ところがである。昨秋あたりから、上海ではこうした農村出身の単純労働者が多く住んでいる郊外の家賃が急騰し始めた。一方で彼らの給料はと言うと、中国経済の減速を背景に良くて頭打ち、スマートフォンやパソコン市場の世界的な飽和から、これらを造る中国の工場では残業が極端に減り、ライン工の給料は物価上昇を差し引くと、ピーク時だった一昨年あたりに比べ実質半分程度に落ち込んでいるケースも少なくない。そして、耐えきれなくなった彼らが職探しをするために故郷に帰るという現象が昨年末から今年の年頭にかけて続出した。いわば都会が用済みになった農村出身の単純労働者らをポイ捨てにかかったというわけである。

出自でその後の人生が決まってしまう公算が極めて高い農村の人たちの人生を見聞きする度、私はなんたる理不尽とやるせない思いが込み上げ、なんという不公平と怒りがこみ上げてくる。当の本人たちもさぞかし悔しかろうと思うのだが、案に反して「没辨法」(仕方ない)の一言で済ませてしまう。景気に陰りが見え始めた一昨年あたりから、彼らが「経営者ばかり豊かになって不公平だよなあ」とこぼすことが以前に比べて多くなったとは感じていた。ただ、これはあくまで愚痴の類であって、怒りの域にまで発展することはないのである。

白バイが歩行者に向かって突っ込んでくるとか、契約書を作るのを面倒くさがるというような類いのことは、中国人同士では気にならないのだろうと察しがつく。ただ、都市と農村、子の出生にまつわる男女間の不公平に起因する理不尽についても怒りを見せないことについては、本当に解せなかった。

そう思っていた矢先のこと。シン・ゴジラを観て程なく戻った上海で、1年ぶりに再会した農村出身の友人が、中国の人たちが怒りを見せない理由を解くヒントをくれたのである。

上海を食い詰め新天地へ

この友人は劉さんという。河南省南部の農村出身の42歳で1男1女の父。中学を卒業後、最初に就いた職業は牛の屠殺だった。その後、18年前に上海に出て来てからは廃品回収をして生計を立てていた。ところがPM2.5で上海も深刻な大気汚染に見舞われると、汚染の元凶として劉さんが回収の主力にしているペットボトルや古紙がやり玉に上がった。これらを原材料として稼働していた上海郊外や近隣省市の中小零細工場が環境基準を満たさないと言うことで相次ぎ閉鎖に追い込まれたのだ。これでペットボトルや古紙の価格が暴落、劉さんの収入は目に見えて減った。

これに追い討ちをかけたのが家賃の高騰だ。それまで住んでいたバラックが再開発で取り壊しになり、一気に3倍の家賃負担を余儀なくされた彼の生活はたちまち困窮、それでもなんとか持ちこたえたが、新居に移って1年後、ついに路上生活者に転落してしまった。時を同じくして、18歳の長女が湖北省武漢に友人と開いたエステティックサロンに貯蓄から10万元(約160万円)を出資するなどそれなりの蓄えはあったのだが、物価の高騰が続き、単純労働が減りつつある上海では先の展望がなさそうだということで、劉さんは昨年6月、娘が商売をする武漢で再起を図ることにし、上海を離れたのだった。

武漢での暮らし向きはどうか気になったが、劉さんが携帯電話の番号を変えてしまったことで、我々の連絡は途絶えてしまった。それが今月、「上海でまたやることにしたよ。8月からもう上海にいるんだ」と劉さんから電話がかかってきたのだった。

上海ではもう暮らしていけないからと離れる決断をしたのに、わずか1年で戻ってきたということは、武漢での暮らしが理想にほど遠いものだったのだろうということは容易に想像がつく。会うのが少し怖かったが、連絡してきてくれたことが嬉しくて、早速食事に誘った。

最後に会った時から1歳としを取った劉さんは、想像よりも若々しかった。むしろ、上海で廃品回収をしていたころよりも若返ったような気もする。この様子だと、こちらが心配するより苦労はしなかったのかなと少し安堵したが、食事をしながらこの1年にあったことを聞くにつれ、苦労をしなかったのではなく、実質何もしなかった、いや出来なかったのだということが分かった。想像よりも老け込んでいなかったのは、精神的にはともかく、肉体を酷使しなかったのが大きいのだろう。

新天地でも食えなかった

夫婦で武漢に行った劉さんは、新興住宅地に貸店舗を見つけて果物屋を始めた。ひと月目はそこそこ売れたものの、2カ月目に近所に果物屋が2軒、3カ月目にさらに3軒開店、わずか100メートル四方に6軒もの果物屋がひしめいたことで、劉さんの店の売上は減った。他の果物屋もそれは同じで、等しく貧しい状態になってしまったという。状況は、劉さんが出資した娘のエステティックサロンも同じだった。近所に競合店がひしめき、どの店もたいして儲からず、家賃を払うのがやっと、自宅の家賃を払えば赤字という状態だったという。

どうして同じ店ばかり近所に開くのかと思うだろうが、中国で果物屋は、資金が少ない人が始める定番の商売。言い方を変えれば、あえて果物屋を開くのではなく、他にアイデアも経験もなければ、果物屋しか開けないのが現実なのだ。エステティックサロンにしても、流行りだから儲かるだろうぐらいの認識で始める人が多い商売である。

このままでは店を開いているだけ赤字が増えるだけだと思った劉さんは、わずか3カ月で果物屋を畳んだばかりでなく、武漢に見切りをつけ、田舎の自宅に引き揚げてしまった。就職も考えたが、中卒で40代の劉さんが就ける仕事はビルやマンションの警備員か清掃員ぐらいで、給料は上海の3分の2から半分程度。「武漢は物価も安いし稼げると言われて行ったんだ。確かに家賃は上海に比べれば安いが、その他の物価は上海とそれほど変わらないから、手元には残らない。それなら、給料が高い上海で働くほうが、気分がいいじゃないか」と劉さんは言う

娘さんのエステティックサロンはどうなのと尋ねると、「結婚して妊娠して、いま田舎の自宅にいる」との答え。恐らく、店がうまくいかず、10万元の出資はフイになってしまったのだろう。幼なじみだという娘の結婚相手も、いまは定職がなく、自動車教習所に通っているのだと言う。さらに去年までは大学にやると話していた長男は今年の夏、中学を卒業したが、高校にも進まなかった。「本人が行きたくないと言うから仕方ないよ。上海に呼んでとりあえず働かせる。社会に出るための鍛練を積ませるんだ」という。

展望なき上海帰還

しかし、劉さんが上海を離れたのはそもそも、物価の高騰と就職難で生活して行けなくなったためだったはず。その状況は1年後の今も何も変わらないのだが、私の周囲では今、劉さんのように、上海で食い詰めて昨年から今年の春節(旧正月)あたりに職を求めて故郷に帰ったり地方都市に行ったりしたものの、当てが外れて上海に舞い戻ってきた友人、知人がこの1~2カ月でちらほら出始めている。ただ繰り返すが、彼らが上海を離れざるを得なかった状況は、何も変わっていない。行き場をなくした農村出身の人々が、さまよい始めたのである。

廃品回収の仕事が立ち行かなくなってきた当時、それまで愚痴をこぼすのを聞いたことがなかった劉さんも、「儲かるのは金持ちばかりだ」と漏らすようになっていた。あれから2年。初孫が誕生するのはおめでたいことではあるが、この1年の話から客観的に見て、劉さん一家の状況は、去年よりも苦しいものになっている。国の都合で右往左往させられ、八方ふさがりのように見える劉さんはさぞ、国や社会に対する不満、やり場のない怒りがたまっているのではないかと思った。

無職なのに中国礼賛のワケ

ところが、この1年の状況をひとしきり話し終えた劉さんは、私が何も尋ねていないのに、おもむろに、「中国は世界に冠たる強国、大国になったんだよ。確実に良くなっているんだ」と言った。え? なんでいきなりそんな話になるの? と急な展開に戸惑う私をよそに、そこからは、中国礼賛のオンパレードになった。曰く、「一帯一路って知ってるだろ? 中国と中央アジア、欧州、アフリカを結ぶ経済圏さ。あれが可能なのもね、中国製品の品質が良くなって、中国のモノを欲しい国が増えたからなんだよ」。曰く、「国防のためにおれたちの負担が重くなるのは仕方ない。強い国になるために、軍の強化が不可欠なんだ」。曰く、「去年株が下がっただろ? 中国経済は確かにいま良くない。でも、成長ばかりを求めて突き進めば、環境破壊が取り返しのつかないことになる。いまが我慢のしどころなんだ」。

最後の経済と環境の話など、お説ごもっともではある。ただ、その環境保護の名のもとに詰め腹を切らされたのは、中小零細企業や劉さんなど弱い個人で、そのために劉さんは長年親しみ最も経験もあって愛着もある職業を追われることになったはず。その劉さんが、それを言うのは少しきれい事すぎやしないか?

彼にそう言いかけたのだが、思いとどまった。なぜなら、以前は誰かの批判や愚痴をほとんど言わない代わりに国のことについて語ることもなかった彼の口から「強国」「大国」「環境保護」などという単語を語らせる出所が、容易に想像がついたからである。そして私は、きれい事すぎやしないかと言う代わりに、「劉さん、この1年、仕事が比較的ヒマだったから、テレビをよく観たんだね」と言った。彼は、あれ、バレたか、というように照れ笑いを浮かべ、そうだ、とうなずいた。でもすぐに真顔になって、「中国は昔より確実に良くなっているし、明日はもっと良くなるし、将来はさらに良くなって、もっと強い国になる。本当にそう思うよ」と言った。

職を失って憤懣や怒りを爆発させるどころか、愛国主義者になった劉さんを目の当たりにし、テレビの影響力はまだまだ捨てたものじゃないと思ったし、中国当局もさすがによく考えているんだなと感心した。そして、劉さんたちが怒らないでいられるのは、少なくとも今はまだ「次に良くなるのは自分の番だ」と信じられているからなのだということも。

「でもね劉さん」、と私は言った。「日本もそうだったけど、成長はいつかは止まるんだ。例外はないみたいだよ。だから、ひょっとして、成長はもうおしまいなのかもしれないな、ぐらいの気持ちでいろいろ考えた方が、いいかもしれないよ」。劉さんの目に一瞬、不安の影がよぎり、続いて怒りが宿ったのを見た。「オレの番はまだなのに、そんなこと許さないぞ」と言っているかのように見えた劉さんの目の中の光が、激怒して武蔵小杉のタワーマンションをぶっ壊すゴジラの赤い目とダブって見えた。

暗喩するものが原発であれ戦争であれ、シン・ゴジラに登場する日本のゴジラが、制御不能なもの、愚かしいものを作り出してしまったことに対する怒りの化身として描かれたのは間違いない。もし中国にゴジラが登場するのであれば、化身するのは劉さんのような人たちの怒りなのだろうか。

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