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8/4産経ニュース 『「落城」1年 最後の抵抗試みる 拓殖大学客員教授・藤岡信勝氏』について

小生がブログを書き始めましたのは昨年の8/4からです。書いて1年が過ぎました。日本の山に行ったとき以外は毎日ブログを書き込んでいます。台湾に行ったときもwifiを利用して送信できました。少しずつ読者の数も増えてきております。誠に有難く、書く励みとなっております。この場を借りてお礼申し上げます。

http://dwellerinkashiwa.net/?m=20140804

昨年5月に東大柏の葉キャンパス・高齢社会総合研究機構傘下のわいわいサロン(HP=ホームページサークル)に参加してHP作成のノウハウを取得、今年1月から同じくわいわいサロン(スマホサークル)に参加してガラケーからスマホに切り替え、コンピューターの便利さを実感しております。

さて本記事ですが、昨年8/4の記事で朝日新聞と東大を批判したところ、8/5朝日新聞で「慰安婦記事の取り消し」の報道があり、余りにもタイミングが合っていたという記憶があります。今、柏市では市会議員の選挙があり、小生は後援会長をしています関係上、今週は朝早くから駅頭での挨拶、昼は住宅街での歩きながらの訴え、夜は演説立会等忙しいです。8/7は海上自衛隊上総基地正面での演説立会をしました。本日が投票日です。結果は明日掲載します。共産党候補は政党のチラシを配っていました。(個人のチラシは告示期間は違反)。学生運動華やかなりし時代のご老人が殆ど。学生と思しき人が一人。民青と思われます。彼らは中国の脅威をどう思っているのでしょうか?聞いてみたいと思いましたが、選挙期間中に喧嘩してはマズイと思い止めました。チラシには「戦争法案反対」と朝日新聞と同じというか朝日新聞が共産党のマネをしているのでしょうけど。国民も共産党やメデイアの欺瞞性に早く気付かないと。戦争を避けるには抑止力が一番大切です。一国だけでは平和は守れません。欧米や中韓が日本の名誉を貶めますが、総てを敵に回すことはできませんので、ここは我慢のしどころです。70年談話では「侵略」や「お詫び」は必要がないと思います。確かに迷惑をかけた部分はあるので「反省」だけで充分と思います。

記事

朝日新聞は昨年8月、吉田清治の虚言に始まる昭和57年以来の慰安婦報道のうち多数の記事を取り消した。この「朝日落城」から5日で一周年。その後の朝日はどうなったか。

 8月以降、当然ながらマスコミでは激しい朝日批判が起こり、さすがの朝日も低姿勢を取った。社長が交代し、12月には第三者委員会の報告書が出て、社内改革が提言された。

 これを「反省期」と呼んでおこう。この時期には、報道面では若干の路線修正の痕跡が見られた。系統的ではないが、時折自衛隊についての肯定的な報道が現れた。キャンペーン報道は姿を消した。

 ところが一方、朝日は慰安婦問題に系統的に取り組むチームをつくった。しかも、朝日の援軍が外からやってきた。アメリカの学者187人が、5月5日、慰安婦問題をテーマにして(戦後70年の)安倍談話に圧力をかける声明を発表したのだ。

 アメリカの学者たちは本当は、ある全国紙に独占的に掲載させようとしたのだが断られたといわれている。朝日はこの声明に飛びつき、数度にわたって特集でとりあげた。この時期を「自信回復期」と呼んでおこう。

その次に来るのが「全面復活期」である。これは安保法制の国会審議が本格化するころから始まった。与党の不手際につけ込み、居丈高に政権をこき下ろし、やりたい放題のキャンペーン報道を展開している。いつの間にか、落城前の朝日が全面復活していたのである。

 だが、大局を見誤ってはならない。これだけの偏向報道の嵐の中でも内閣支持率が約40%もある。自民党支持率も高い。朝日新聞は最後の抵抗を試みて、なりふり構わない醜態をさらしていると見るべきだ。いずれにせよ、朝日が特権的な権威を誇った時代は永久に去ったことだけは間違いない。

8/5日経ビジネスオンライン 福島香織『王岐山イチオシの日本人歴史学者 「世界史の始まりはモンゴル帝国」の真意』について

小生もだいぶ前に岡田英弘の本を読みました。極論すれば、世界の歴史は「白人が作った」のではなく「モンゴル人が作った」という結論だったような気がします。チンギス・ハンの末裔が東は日本、西はポーランド・ハンガリー侵攻、南はインド(ムガール帝国=モンゴル帝国)、北はロシア(タタールの頸城)と世界の版図を塗り替えました。多くの日本人の頭には西洋の歴史と中国の歴史(と言っても漢民族が中国大陸を支配できた時代は漢・後漢・宋・明・中華民国・中華人民共和国しかありません。万里の長城以北は漢族の土地ではありませんでした。70年談話の有識懇の侵略明記は歴史を知らないものの戯言です。でも白人、中韓全部を敵に回せないので漸進的に進むしかありません。今回は「お詫び」をカットするところまででしょう)しかないでしょうが、岡田史学はモンゴル人を中心とした世界史でした。勿論ルネッサンス、産業革命を経て白人の火力の前に世界は植民地化されていくわけですが。

王歧(正しくは岐ではありません)山は公の場にずっと姿を見せていないとのことです。①JPモルガンに知人の子弟の就職斡旋の問題の発覚により左遷されたか②江派(特に曽慶紅辺り)の重点調査をしているかです。王にしろ習にしろ暗殺の噂がかなり流れていますので、身辺に注意しているのかもしれませんが。今北戴河会議が行われています。そこに出ているかどうかですが、動静が掴めません。

人民銀行総裁経験者の戴相竜、周小川も拘束されているようです。経済官僚は賄賂の額も半端ではないのでしょう。睨まれるとテクノクラートであることが仇になります。中国ではやはり理科系の方が無難です。江、胡、習とも軍未経験者は皆理科系です。まあ、戴、周も江派だからかもしれませんが(事実関係は不明です)。

中国は易姓革命の国、また専制国家の歴史しかありません。「歴史」は「history」を訳した日本から輸入された言葉です。中国人の考える歴史とは政治の一部ですので、日本人のような実証史学とは趣を異にします。多様な歴史研究等はあり得ないと思います。日本に捏造した歴史を押し付けるくらいですから。

記事

先週の日曜、東洋史学の大家の岡田英弘・宮脇淳子夫妻のお宅でランチをごちそうになった。そこで話題に上ったのが「王岐山氏が岡田英弘先生の本を中国で絶賛したのはどういう意図だろうか」ということだった。王岐山はいわずと知れた中国共産党中央政法委書記で反腐敗闘争の陣頭指揮をとっている習近平の右腕。4月に中南海で米政治経済学者のフランシス・フクヤマ、在米の比較経済学者の青木昌彦、中信証券国際董事長の徳地立人の三氏との座談会で、王岐山は岡田英弘をいきなり絶賛しはじめた。王岐山は中国社会科学院近代史研究所に在籍経験もある歴史好きの本好きであることは有名で、気に入った本をやたら人に勧める性格である。が、中国の一流の政治家が公式の場で何の(政治的)意味もなく日本の史学家の名をあげて推奨するだろうか。

 この催しは外国専家局が主催する改革建言座談会と題され、2015年4月23日に政治の中枢である中南海で行われた。こうした催しにはいくつかランクがあるが、人民大会堂ではなく釣魚台迎賓館でもなく、中南海に招待されるのは国賓待遇といっていい。この会談の内容は「共識網」という中国の思想サイトと中国系香港紙「大公報」に発表され、まもなく削除されたので、発言のどこの部分がまずかったのか、習近平政権として否定している普遍的価値観を認めているととれる発言箇所があったからではないか、といろいろと憶測を呼んだ。

日本の伝統史学に懐疑を示す“蔑視派”

 座談会が始まってすぐに王岐山はこう語りはじめた。

 「…去年、岡田英弘の歴史書を読みました。そのあとで、私はこの人物の傾向と立ち位置を理解しました。彼は日本の伝統的な史学に対し懐疑を示し、日本史学界から“蔑視派”と呼ばれています。彼は第三世代(白鳥庫吉、和田清につぐ?)の“掌門人(学派のトップ)”です。モンゴル史、ヨーロッパと中国の間の地域に対するミクロ的な調査が素晴らしく、民族言語学に対しても非常に深い技術と知識をもっており、とくに語根学に長けています。彼は1931年生まれで、91年に発表した本で、史学界で名を成しました。これは彼が初めてマクロな視点で書いた本で、それまではミクロ視点の研究をやっていたのです。私はまずミクロ視点で研究してこそ、ミクロからマクロ視点に昇華できるのだと思います。大量のミクロ研究が基礎にあってまさにマクロ的にできるのです」…

 岡田は1957年26歳のとき、「満老文檔」(清朝初期の満州語記録)共同研究で史上最年少で日本学士院賞を受賞するも、既存の中国正史に追従する中国史学に異を唱えたことで、日本の史学界では異端児扱いされ続けた。それを今、中国一の歴史通の政治家が高い関心を持っているのは面白い。

 原稿の中では、書名は出ていないが、岡田の著書の中で華字翻訳されているのは今のところ台湾で出版されている『世界史の誕生』(ちくま文庫)だけであり、また実際、この対談のあとに十数社の中国の出版社から同書の中国出版オファーが殺到したらしいので、王岐山が読んだのが同書であることは間違いない。“蔑視派”というのは王岐山の造語だろう。日本でそんな呼ばれ方はされていない。意味は推測するしかないのだが、この座談会後にネットに書き込まれた解説では、おそらくは、日本の伝統的史観、神話色彩の強い古代史を実証主義的な手法で批判した研究をさすようだ。日本では使われることのない言葉をわざわざ使って、岡田を論評しているのも不思議だ。

「優秀なDNAが中国文化の中にある」

 さらに王岐山は、フランシス・フクヤマに対してはこんな発言をしている。

 「あなたの言う、国家、法治、政府の説明責任、全部の中国の歴史の中にそのDNAがあります。中国文化の中にそのDNAがあるのです」

「政治は西側ではどのような解釈ですか? 中国では“大衆を管理する”ことが政治です」

 「米国の友人は、米国はたかだか200年の歴史しかない、と言っていますが、私は違うと思いますね。米国は欧州地中海文化を伝承しているのです。岡田英弘は言ってますよ。文明があるということは必ずしも歴史があると言うことではない。歴史と文明がともにあるのは世界上、地中海のギリシャとローマ、そして中国だけだと。彼はこうも言っています。中国の歴史は一般に司馬遷から語られているが、孔子から語られるべきだ。史記にも孔子は記載されている、と。中国の現代化のプロセスはまだまだ長い道のりがあります。我々がまずはっきりさせておかなければならないのは自己の歴史と文明、優秀なDNAが現代化の実践の中で発揮されなければならない、ということです。優秀なDNAは中国文化の中にあるのです。中国は多民族の遺伝の中で変異しているのです。中華民族はさらに西側文化のよいものを吸収し、世界上各民族の優秀なものを吸収しなければなりません」

 「(中国の憲法は法治を実現できますか、というフクヤマの質問に対して)不可能です。司法は必ず党の指導のもとに進行されねばなりません。これは中国の特色です」

これは、習近平政権の従来の立ち位置を踏襲している。欧米の民主主義や法治を中国は受け入れられない、政治も法も共産党が大衆を管理するためにある。中国には中華文明にはぐくまれた秩序、手法がある、外国に手伝ってもらわなくて結構、と米国学者に主張するために、岡田著作中の都合のいい文言を捻じ曲げて引用している、と読めなくもない。

 だが、王岐山も岡田の「傾向と立ち位置」を理解しているとわざわざ言及している。

本来の岡田史観は「中華復興」と対立

 岡田中国史観は習近平政権の「中華民族の偉大なる復興」路線と、むしろまっこうから対立する考え方である。その特徴は漢字で書かれた中国正史資料だけではなく中央ユーラシアの遊牧民族史料からのアプローチで、漢字の中国正史が描く「正統な皇帝を中心とする中国世界」」という中国4000年の歴史観の実態とかけ離れていて、その主役というのは常に入れ替わり激しく変化し、いわゆる「中国人」はむしろ被支配層であった時間の方が長かったという見方だ。

 『世界史の誕生』は歴史の新しいとらえ方を考察、提示することがテーマだが、元も清も中国を支配した王朝であって、中国の王朝ではないと書いているし、支配階層で文化も高い「夷狄」を野蛮人とさげすむ中華思想は、被支配層の中国人の病的劣等意識の産物ともいう。また「共産党中国のチベット統治の正統性を元清朝時代の関係を引き合いに出すならば、現在のモンゴル国こそ中国領有の権利を主張できる立場にある」などとも言っている。中華民族の優秀なDNA論を補強するためならば、もっと引用しやすい中国史家が日本にも海外にも山ほどいるはずだ。

 ではなぜ岡田英弘を持ち上げたのだろうか。背景には、この2年ほど盛り上がっている「新清史」論争があるかもしれない。「新清史」とは1990年代の米国で台頭した清朝研究の一学派で、「満州、モンゴルなど少数民族史料を重視した反“漢族中心論”清朝史学」(百度百科)という。岡田史学にアイデンティティ研究を足したもの、という表現もある。新清史の中心研究者の一人、マーク・エリオットは岡田の弟子である。

聞くところによると、中国では江沢民政権時代、現代中国の領土と民族的基礎となる清朝の歴史を国家の正史と位置付けるため、大予算を投じた「大清史」編纂プロジェクトが立ち上がった。この頃、北米で台頭した新清史学派が話題となり、英語のできる院生たちが夢中になり、新清史の成果を参照して論文を書くこともかなり多かったという。

 一方、これを敵視する教授たちも多く、論争になった。こうした論争は今にいたるまで史学界で続いており、特に去年の秋ぐらいから、「清朝は中国王朝ではないのか」「清朝の雍正帝は華夷一家と言っており、このころは民族と言う言葉はまだなかったのではないか」「新清史は満州族の漢化の事実を否定しているのではないか」といった論争や反論が登場している。最近も7月7日の中国社会科学報では「“新清史”背後の学風問題」と題した徹底反論が掲載されている。

研究業績と研究スタイルに感銘か

 岡田に師事した清朝史研究者・楠木賢道が現在、吉林師範大学に招聘されているのも、こうした新清史論争をめぐる研究者たちの関心の高まりがあるかもしれない。楠木は同学で「江戸時代の清朝研究」という講義を受け持っているが、「江戸時代の知識人は国民国家史観と無縁であり、清朝の持つ権力分散的で多元的、多文化的、多民族的な体制がうまく機能していたことを理解していた、この理解は岡田先生やその影響を受けたマーク・エリオットの“新清史”に近い」という。院生向けだが修士から副教授までが集まる人気講義だという。

 楠木に王岐山発言をどう理解するかと尋ねるとこう答えた。

 「『大清史』編纂がそろそろ最終局面にきています。ですが中国の史学界は一次史料読解の訓練、史料に基づく微視的研究が充実しているとはいえず、微視的な研究に基づく着実な巨視的構想も少なく成果も玉石混淆。(近代史研究所にいた)王岐山は歴史研究とは何かを理解している人でしょう。また、それらの報告書に目を通す立場にあり、感じるところがあったのではないでしょうか。そして最近華字翻訳が出た『世界史の誕生』を読んで、説得力のある壮大な構想に驚愕した。さらに岡田先生について調査し、長い時間をかけた地道な史料研究と、結構現代中国に対して批判的な発言をしてきたことを知った。中国について批判的な態度はとっているけど、研究業績と研究スタイルに感銘を受け、中国の研究者も見習ってほしいと、思わず話題に出してしまったのでは? 王岐山がチベット問題、ウイグル問題について、現状とは違う解決方法を模索していて、岡田先生の名前を出したと考えるのはうがちすぎでしょう」

私も自分なりに憶測をめぐらしてみよう。王岐山は『世界史の誕生』については、本の副題でもある「世界史はモンゴル帝国から始まった」というフレーズに惹かれたのではないだろうか。現在の世界の大部分が西洋の秩序に支配されているなかで、世界史の起源は西洋ではなくてモンゴルであり、元の文明は清へと受け継がれて現代中国に至るという風に考えれば、中華秩序が世界の半分ぐらいを占めてもいい、と言う根拠になると考えたとか。問題は清朝の国家アイデンティティだが、その部分は「新清史」を論破して、間もなく完成する「大清史」で、現代中国が大清国の正統な継承者と結論づければいい。中国で出版される歴史本は厳しいセンサーシップがあるので、岡田著作を翻訳出版することになっても、都合の悪い部分は削り、むしろ中国の公式の歴史観を補強することに使えるかもしれない。

「歴史を持つ強さ」その本気度は?

 「歴史と文明をともにもつのは地中海国家と中国だけ」「世界史の始まりはモンゴル帝国」と言いたくて、岡田英弘の名前を「民主主義と自由主義経済の最終的勝利で歴史終焉」と書いたフクヤマにぶつけてみたのだが、そのあとネットで「王岐山が言った岡田英弘って誰?」という反応が広がって、実はかなり中国にとって都合の悪いことも言っていると知られてしまい、そういう人物を持ち上げてしまった王岐山が、後になってバツが悪くなって、座談会原稿を削除した?とか。

 あるいは、王岐山は本気で清朝末期と様相が似てきたという指摘を内外で受ける現代中国の直面する問題の打開策のヒントとするために、あらゆるタブーを破ってでも清朝研究を発展させたいと思って、こんな発言をしたと考えるのはどうだろうか。そうだとすると、王岐山は、根は習近平と考え方を異にする「改革派」ということになるが。

 岡田著作でもたびたび言及されているが、歴史を持つ国は歴史を持たない国よりも強いのだ。中国が本気で強くなるために、いままで史料や情報や思想上制限してきた箍(たが)をはずし、本気で岡田史学・新清史学を含めた多様な歴史研究の方向性を模索しているとしたら、これはこれで侮れない

8/3ZAKZAK 矢板明夫『中国共産党にカモならぬ“北京ダック”にされた日本 「100年で3度も美味しく味わった…」そのココロは?』について

いつも言ってますように中国では「騙す人が賢く、騙される方が馬鹿」と言うのが基本的価値観です。8年の中国駐在を終えて2005年に帰国し、会社の中でこの話をしたら、「国粋主義者」「人種差別主義者」と言われました。10年後の今でしたら、「そのとおりだ」と頷かれる方が多いのではと思います。人間はやはり自分で体験しないと分からないのでしょう。日本人の持つ善良さが世界の悪を視る眼を曇らせている部分があります。敵はそれを利用してくるという事です。

小生が良く言っていますのは「日本人同士で話したり、アクションするときには謙譲の美徳を発揮し、日本人と外国人の場合には主張すべきは主張する。主張するスイッチをオンにしたりオフにするようにする」。そうしないと世界に食い物にされてしまうという事です。「南京事件」「従軍慰安婦」について外務省の無能と売国政治家or利権政治家(選んだのは国民です)、売国メデイアにより、「なかった」ことを「あった」ことにされてしまいました。キチンと反撃してこなかったからです。グローバルな人材と言うのは語学ができることではなく、キチンと主張すべきことを主張できる人材を言います。相手に阿たり、媚びたりすることではありません。

朝日新聞の富永格特別編集委員のようにでっち上げするのは左翼の十八番です。「不注意」とか言っているようですが、「慰安婦」と同じく言ったもの勝ちです。ジャーナリストとは記事捏造者の訳かと富永氏に聞いてみたい。語学ができると言っても所詮こんなレベルの人間がジャーナリストを気取っているのでは朝日のレベルが知れようというもの。白人か会社の経営者に阿る愚かな日本人の典型です。

tominaga asahi

tominaga

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

記事

名物料理、北京ダックにはいろいろな楽しみ方がある。専門店に行けば、「アヒルの三つの食べ方」という意味の「鴨三吃」というコース料理を注文できる。一匹のアヒルを分解して、その皮、肉、骨をそれぞれ三つの調理法で料理にしてくれる。

 第一の食べ方は北京ダックの定番、焼き上がった皮を削ぎ切りにし、小麦粉を焼いてつくった「薄餅」(バオビン)で包んで食べる。第二の食べ方は肉の部分をモヤシなどと炒めて肉料理にする。第3の食べ方は、骨のガラを使って白濁したスープをつくる。アヒルのすべての部位を無駄なく使い、同じアヒルから三つの違う味わいを引出すのがこのコース料理の売りだ。

 先日、数人の中国の改革派知識人と北京市内のレストランで「鴨三吃」を注文した。杯を重ねているうちに、日中関係の話となった。執拗に日本批判を繰り返す習近平政権の本音はどこにあるかについて、いろいろな意見が出たが、「権力基盤が弱く、国内をまとめられないから、日本を叩くことに通じて政権の求心力を高めようとしている」という結論で一致した。

 ある知識人は「最近百年、日本は実に中国共産党に都合よく利用されてきた。まるでこのテーブルにあるアヒルのように、“鴨三吃”にされている」と指摘した。アルコール度数の強い白酒一杯を飲み干してからこの知識人は、共産党がいかに日本を「三吃」してきたのかを説明しはじめた。

まず、日中戦争を利用して共産党軍の勢力を拡大させ、中華人民共和国の建国につながったことだ。1930年代までの共産党軍は弱く、国民党軍との内戦で圧倒的不利な立場にあった。しかし、日中戦争が勃発すると、共産党軍は口で「抗日」といいながらも、ほとんど戦争に参加せず、後方の延安にこもって英気を養い、軍勢を拡大させた。最後に、日本軍との戦いで困窮した国民党軍の背中を刺すようにして、中国全土を占領した。このことを中国建国の父、毛沢東本人も認めている。1964年に訪中した当時の日本社会党の佐々木更三委員長が毛沢東に対し戦争の謝罪をしたが、毛は「何も申し訳なく思うことはないよ、日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらした。中国国民に権利を奪取させてくれたではないか、皆さん、皇軍の力なしには我々が権利を奪うことは不可能だったろう」と話した。毛沢東のこの発言は中国側の資料にも残っている。

 そして、日本を二度目に利用したのは、鄧小平だった。1970年末に最高実力者となった鄧小平は、自らが推進した改革開放路線を支えるための資金と技術を手に入れるために日本を訪問した。松下電器の創業者、松下幸之助を訪ねたときは実に低姿勢だった。鄧小平は「これから私たちは近代化しなければならない。外国の技術や資金を導入することにしている。電子工業がなければ、近代化は実現できないので、あなた方の電子工業を私たちの方に持っていきたいと思っている。協力していただけないか」と頭をさげた。

その率直さに感動した松下幸之助は即座に「何であれ、全力で支援するつもりです」と答えた。鄧小平は満面笑みを浮かべ、松下電器の記念冊子に「中日友好前程似錦(中日友好の前途は洋々たり)」と揮毫した。

 その後、松下電器は中国進出の先兵となり、中国各地で工場を次々とつくった。松下幸之助は自身の財界への影響力を行使し、ほかの企業に対しも中国進出を積極的に勧めた。1980から90年代までの約20年、日本から投資と技術協力が中国の高度経済成長に大きく貢献をしたことは言うまでもない。

 しかし、中国が世界貿易機構WTOに加盟した 2001年ごろ、経済面で日本を必要とする部分が減少した。中国共産党は歴史問題で日本を執拗に批判するようになり、政権固めのため道具として、日本を三度目に利用した。その傾向は2012年秋に発足した習近平政権以降、さらに顕著となった。各国の指導者を招いて9月に北京に行われる“抗日戦争勝利70周年を祝う軍事パレードは、その典型の一例といえる。

 因みに、中国当局が黙認された各地の反日デモなどで、日本企業が狙われ、山東省と江蘇省のパナソニックの工場も襲撃対象となり、焼き討ちされた。北京ダックを口にしながら、「日本が中国共産党に“鴨”になっていることを、どれだけの日本人は知っているのか」と考えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

8/2伊勢雅臣メルマガ『「持てど使えぬ」集団的自衛権の怪 「集団的自衛権違憲」論の裏に潜む中国の影。』について

物事は単純に考えれば分かり易い。集団的自衛権の行使に反対しているのは中国・韓国(左翼と左翼くずれ)、日本の民主党・社民党・共産党(左翼)と朝日・毎日・東京・共同(左翼メデイア)です。左翼は平気で嘘をつくことが出来、人権弾圧もします。朴槿恵の加藤前産経ソウル局長の軟禁など人権無視も甚だしい。中国も人権派弁護士を249人も平気で拘束します。左翼メデイアは抗議の声を一切上げません。日弁連(左翼の巣窟)こそ同業者が人権侵害されているのだから抗議のアピールをすべきなのに一切しません。海外だから力の及ぶ範囲でないというのであれば、海渡(福島みずほの夫)や戸塚等の人権派弁護士が国連人権理事会に行って「従軍慰安婦」をアピールするのはおかしい。二重基準です。まあ、恥を知らない連中ですから。左翼メデイアを定期購読している=日本の名誉を傷つけることに加担していることになりますので、一人でも多くの人が不買してほしいと願っています。

集団的自衛権は日本を守るもの。それ以上でも以下でもありません。日本一国で中国の侵略行為に対抗できますか?大東亜戦争のように日本1か国で戦うのですか?中国が攻めて来ても戦わないのですか?チベット、ウイグル、内蒙古と同じ運命になるのが分かっているのに。逆に中国の野望が明らかになってきているのだから多国間で中国を包囲した方が抑止になるし、戦っても勝つことができます。どうしてこんな簡単なことが分からないのでしょう。多分分かっていて、左翼・中国共産党のために動いているのでしょう。金も動いていると思われます。

日本が戦後70年、他国の侵略を受けなかったのは憲法9条のお蔭であるはずがありません。勿論日米安保条約のお蔭ですが、その他に「特攻」までして国を守ろうとした民族は世界にありませので、その精神を持った民族を怒らすと怖いという刷り込みがあったためと見る人もいます。勿論玉砕は戦史上いくらでも見ることができるでしょうけど。

記事

■1.「これは武士道ではない。日本は臆病ものだ」

 2004(平成16)年4月、ペルシャ湾で日本のタンカー「高鈴(たかすず)が武装勢力に襲われたが、アメリカの海軍と沿岸警備隊が護ってくれた。「高鈴」の乗組員は全員無事だったが、米海軍2名、沿岸警備隊1名の合計3名の若者が命を落とした。

 しかし、アメリカ側は「同じ活動をやっている仲間を助けるのは当たり前だ」と語った。当時、陸上自衛隊がイラクで人道支援活動で展開[a]、航空自衛隊はクウェートからイラクに支援物資などを空輸し、海上自衛隊がインド洋で同盟国の艦隊に給油活動をしていたからだ。

 しかし、その後、小沢民主党が「インド洋での給油は憲法違反」としてテロ対策特措法の延長に賛成しなかったため、給油活動を行っていた海自は帰国を余儀なくされた。

 その途端、日本に対する評価はガタ落ちとなった。「日本の油を守るためにアメリカの若者が死んでいるのに、日本人は国内の事情で帰るのか」とアメリカは反発した。イギリスのファイナンシャルタイムスは一面で「これは武士道ではない。日本は臆病ものだ」とまで書いた。

「高鈴」の逆のケースを考えてみよう。日本近海で米海軍の艦船が中国の軍艦に襲われた、とする。救援依頼の電波を受信して、海上自衛隊の護衛艦が駆けつけたが、国内法の事情から、海自は米国艦船を守るために中国の軍艦と戦うことができない。

 米海軍の艦船は日米同盟によって、日本近海で日本を守るために活動をしていた。それを日本が助けないとは何事か、と米国民は激高するだろう。その瞬間に、日米同盟は深刻な危機に陥る。いくら条約があっても、米国民は身勝手な日本を守るために、米青年の血を流すことに猛反対するだろう。

 日本を含む太平洋の西半分を自らの覇権下におこうとする中国にとって、唯一の障碍は日米同盟だが、その同盟にクサビを打ち込む最も簡単な方法がこれである。

■2.「集団的自衛権は保有しているが行使できない」という詭弁

 上述のケースで、海自護衛艦が米艦船を守るために戦えないのは、我が国が「集団的自衛権」を行使できないという憲法解釈を政府がとってきたからである。

 集団的自衛権とは「ある国家が武力攻撃を受けた場合に直接に攻撃を受けていない第三国が協力して共同で防衛を行う国際法上の権利」と定義されている。

 これに関して、昭和47(1972)年9月14日、社会党(当時)の質問主意書に対する答弁書(以下、「47年答弁」と呼ぶ)として、「国際法上は集団的自衛権を保有」としながらも、「その行使は違憲」とする次のような見解が出された。

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 ・・・わが憲法の下で、武力行使を行うことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、したがって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない。

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 現在、国会で議論されている平和安全法制は、限定的な集団的自衛権行使を含んでおり、これを多くの憲法学者が違憲と指摘する根拠の一つが、この47年答弁である。

 しかし、たとえば「あなたは投票権を持っているが、行使はできない」などと言われたら、一般国民の常識では理解できない。「持てど使えぬ」権利が世の中にあるだろうか? こんな詭弁が、どうして出てきたのか?

■3.平和条約と国際連合憲章で保証された集団的自衛権

 この詭弁的答弁が表明された昭和47(1972)年以前には、我が国が集団的自衛権を持っていることは、自明の理だった。我が国の戦後の独立は、昭和26(1951)年に締結されたサンフランシスコ平和条約によるが、その第5条(C)では次のように謳われている。

__________

 連合国としては日本国が主権国として国際連合憲章第51条に掲げる個別的又は集団的自衛の固有の権利を有すること・・・を承認する。[2,p145]

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 その国際連合憲章51条は、こう定めている。

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第51条 この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。

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 主権国ならば当然、自分の国を守る権利を持っており、それは個別的、集団的の区別を問わない、というのが国際常識である。大国に対して、小国が単独で自らを守れない場合は、他国との同盟関係を構築して相互に防衛する権利を有するという集団的自衛権は、国家の固有の権利である、と考えられていた。

 我が国の「国際法上は集団的自衛権を保有」とは、このサンフランシスコ条約、および、日本が昭和31(1956)年に加盟した国連憲章によって保証されているのである。

■4.実は行使されていた集団的自衛権

 47年答弁は「憲法上、行使不可」というが、現実には、集団的自衛権の行使を前提とした条約が結ばれてきた。サンフランシスコ平和条約と同時に、昭和26(1951)年にアメリカとの間で結ばれた安全保障条約(旧安保条約)では、前文に次のような一節がある。

__________

 平和条約は、日本国が主権国として集団的安全保障取極を締結する権利を有することを承認し、さらに、国際連合憲章は、すべての国が個別的及び集団的自衛の固有の権利を有することを承認している。

 これらの権利の行使として、日本国は、その防衛のための暫定措置として、日本国に対する武力攻撃を阻止するため日本国内及びその附近にアメリカ合衆国がその軍隊を維持することを希望する。

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「これらの権利の行使として」とは、その前節の「個別的及び集団的自衛の固有の権利」を指す。すなわち、旧安保条約を結ぶこと自体が集団的自衛権の「行使」だったのである。

 なお、その10年後の昭和35(1960)年に改訂され、現在も有効な安保条約でも、「行使」の文字こそないものの、「両国が国際連合憲章に定める個別的又は集団的自衛の固有の権利を有していることを確認」した上で、第5条で以下のように謳う。

__________

各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従って共通の危険に対処するように行動することを宣言する。

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 これは、集団的自衛権を行使するという宣言に他ならない。もし、集団的自衛権の行使が違憲であるならば、現在の日米安保条約そのものが違憲であると主張しなければ、筋が通らない。

■5.政府も最高裁も「集団的自衛権は合憲」

 47年答弁の以前は、政府見解は「憲法上も保有、行使も合憲」をきわめて明確に打ち出していた。昭和29(1954)年に鳩山一郎内閣のもとで出された政府見解は次のようなものであった。

__________

 戦争と武力の威嚇、武力の行使が放棄されるのは、「国際紛争を解決する手段としては」ということである。

 他国から武力攻撃があった場合に、武力攻撃そのものを阻止することは、自己防衛そのものであって、国際紛争を解決することとは本質が違う。従って、自国に対して武力攻撃が加えられた場合に国土を防衛する手段として武力を行使することは、憲法に違反しない。

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 ここでは自衛権を「個別的」か「集団的」かの区別をしておらず、両方とも自己防衛である限り、憲法は武力の行使を認めている、としている。国連憲章にも、サンフランシスコ条約にも、日米安保条約にも整合する単純明快な見解である。

 最高裁判所も同様の判断を下している。自衛権について、最高裁判所が下した唯一の砂川判決(昭和34(1959)年)では、国際連合憲章に基づいて「すべての国が個別的および集団的自衛権の固有の権利を有することを承認している」事を確認した上で、補足意見ではこう述べる。

__________

 今や諸国民の間の相互連帯の関係は、一国民の危急存亡が必然的に他の諸国民のそれに直接に影響を及ぼす程度に拡大深化されている。従って一国の自衛も個別的にすなわちその国のみの立場から考察すべきでない。

・・・換言すれば、今日はもはや厳格な意味での自衛の観念は存在せず、自衛はすなわち「他衛」、他衛はすなわち自衛という関係があるのみである。従って自国の防衛にしろ、他国の防衛への協力にしろ、各国はこれについて義務を負担しているものと認められるのである。

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「自衛はすなわち『他衛』、他衛はすなわち自衛」とは、集団的自衛権そのものである。憲法解釈の最終の権威は最高裁にあり、その最高裁が、自衛権について下した唯一の判決がこう述べているのである。すなわち、政府も最高裁も「集団的自衛権を国際法上も憲法上も保有しており、当然、行使も合憲」という判断であった。

■6.自衛権行使違憲論に中国の陰

 この常識的判断が、47年答弁によって突然、「国際法上保有、憲法上行使不可」と変更されたのだ。「解釈改憲」というべきは、こちらの方だろう。どうしてこんな解釈が突然出てきたのか。

 この答弁の出された昭和47(1972)10月の前月、田中角栄首相が訪中して、毛沢東や周恩来と会談している。この時、田中首相が何を話し合ったのかは、いまだ正式な外交文書が公開されていないので不明である。

 しかし、その前年の1971年7月と10月に訪中したアメリカのキッシンジャー大統領補佐官と周恩来首相との会議録は公開されている。そこでは周恩来が「台湾と朝鮮半島に対する(日本の)野望を放棄すること」を日本に望むと述べている。対するキッシンジャーは「我々は日本の軍備を日本の主要4島防衛の範囲に押しとどめることに最善を尽くすつもりです」と応えた。

 ここから中西輝政・京都大学名誉教授は次のように断言する。

__________

 この二人の会談の翌年10月—-しかもそれは田中訪中の翌月でもある—-に出されたのが、前述の集団的自衛権に関する政府・内閣法制局の新解釈なのである。その背景要因として、朝鮮半島、台湾有事に自衛隊を関わらせたくないという米中両国、特に中国側の意向が強く影響していたことは間違いない。[4]

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■7.「社会党が言うから」

 47年答弁は、社会党の参院議員・水口宏之の要求に応じる形で、政府が参議院決算委員会に提出したものだった。当時、官房長官であった宮澤喜一氏は、後に「集団的自衛権は違憲だという答弁は、社会党が言うから防衛線を固く敷いてきた」と述べている。

 社会党の要求通りの「集団的自衛権行使不可」の政府答弁は、いたく社会党が気に入ったので、珍しいことにこれに反対を唱えたことはついぞなかった。

 社会党は、かつてはソ連から資金援助を受けていたことが、ソ連崩壊後に公開された秘密文書により公開されたが、47年答弁の時期に同様に中国の代弁者として活動していたと推定しても不思議ではない。中国側の指示を受けて社会党が参院で質問し、自民党はキッシンジャーの意向を受けて新解釈を打ち出した、というのが真相のようだ。

■8.「専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しよう」

 日本の集団的自衛権行使を一番恐れているのが中国、という構図は今も変わらない。

 中国は集団的自衛権行使に反対しており、社民党や朝日新聞なども、中国の意向を受けてであろう、「戦争への道」などとヒステリックに非難している。しかし、南シナ海で軍事基地を作り、わが国の領海領空に侵犯を繰り返す中国の脅威には言及しない。

 他方、アメリカを始め、中国の脅威を受けているフィリピン、ベトナムなどの東南アジア諸国、オーストラリア、インドは、集団的自衛権を含む安全平和法制を両手を挙げて歓迎している。

 集団的自衛権の議論は、わが国とこれらの国々が中国の覇権に下り、ウイグルやチベットのような隷従の道を歩むのか、それとも共産中国を封じ込めて、自由と独立を守るかの分かれ道なのである。

 日米欧はかつての冷戦において結束してソ連を打倒し、欧州側の多くの国家、民族を解放した。しかし、アジアにおいては共産中国との冷戦はまだ続いている。

「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」という日本国憲法に従うならば、我々は米国・アジア・太平洋諸国と連帯して、共産中国の「専制と隷従、圧迫と偏狭」から人類を救わねばならない。

8/1産経ニュース ヘンリー・S・ストークス『反日プロパガンダに惑わされず、誇りある国になってほしい』について

歴史の真実を直視すれば、植民地主義を打倒した日本が悪いはずはありません。韓国は日本と一緒に欧米と戦ったのに「戦勝国」とお得意の捏造をしています。歴史を知らない人間は簡単に騙されます。中国は重慶政府と南京政府と分かれ、欧米VS日本の戦いにそれぞれがついただけ。日本も満州国を作ったと言われますが、愛新覚羅溥儀の家庭教師だったジョンストンの『紫禁城の黄昏』には日本が傀儡政権を樹立するため溥儀に近づいたのではなく、紫禁城を追い出された溥儀が困って日本に助けを求め、日本が匿ったのが真相です。

ストークス氏は三島と交流があり、いろいろ話し合う中で歴史の真実が見えてきたのだと思います。ただ三島が死んで45年経ってからでないと本当の話ができないほど日本社会が左翼に蝕まれて来たという事でしょう。中国を見れば左翼の理想とする国が如何に人権抑圧しているか分かるはずです。中国を支援する朝日、毎日、東京等のメデイアは日本を中共のようにしたいのでしょうか?少し考えれば分かるはずです。日本国民もそろそろ騙されることから卒業しないと。

真実はそれほど複雑ではありません。世界二分割、重商主義、帝国主義の基になったキリスト教文化が日本の台頭に倫理的に負けたのです。でも彼らは戦争で勝ったため、歴史を改竄・捏造して日本に押し付けたのです。中国・韓国はそのお先棒を担いで日本を道徳的に劣った民族にしようと目論んでいます。でも中国の台頭が米国を脅かすことになり米国は臍を噛んでいるでしょう。最初から日本と手を組んでおけば良かったのに。

歴史も戦争の重要な手段となりうるというのを中韓は教えてくれました。事実に基づいて日本はキチンと反論していくべきです。外務省はもっと仕事をしろと言いたい。藤岡信勝氏の8/3Facebookによれば「自由社の教科書から南京事件を削除したので記者から取材を受けたが、「あった派」の学者は取材を誰も受けてくれない」とのこと。学者と言うのは如何に知的誠実さが足りないかという事。

yukio mishima

 

 

 

 

 

 

 

 

 

三島由紀夫とH・S・ストークスの自衛隊訓練

記事

日本は白人支配からアジアを解放した

〈半世紀にわたり日本に滞在、日本外国特派員協会で最古参だ。著書「英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄」(祥伝社)は、「在日外国人記者がはじめて書いた正しい近・現代日本史」(評論家の宮崎正弘さん)などと話題を集め、出版依頼が相次いでいる〉

多くの読者の皆さまに感謝します。「東京裁判は勝者の復讐(ふくしゅう)劇にすぎない」「いわゆる『南京大虐殺』はなかった」と世界の既成概念に欧米人で初めて挑戦したことに興味を持っていただいた。ただ私は歴史に対して公平でありたかったのです。

〈初めて日本に来たときは、戦勝国史観に立ち、「日本は悪かった」「東京裁判は正しく、南京大虐殺はあった」と信じていた〉

滞日が長くなるにつれて、霧が晴れるように米国が押しつけた歴史観が誤りであることを悟り、歴史的真実がどこにあるか認識できるようになりました。皆さんも反日国家のプロパガンダに惑わされず、歴史の真実を知って、日本が誇りある国になってほしい。

〈東京発の欧米特派員の報道には偏向した内容が少なくない。彼らの一部は日本を「肯定」する最長老に「修正主義者」のレッテルを貼った〉

滞日経験が浅い彼らのほとんどが勉強不足です。昨年5月に私の本について「南京虐殺否定 無断加筆 ベストセラー翻訳者」との捏造(ねつぞう)記事を書いた共同通信の若い米国人記者も、創作小説にすぎないアイリス・チャンの「ザ・レイプ・オブ・南京」を史実のごとくに信じていました。米東部の名門大学を卒業したエリートですらこのレベルです。

私こそ「リベラル」。人種的偏見や差別に反対で、草の根の声を大切にしています。真実を壊す嘘を受け入れられません。しかし、日本でリベラルといえば、中国や旧ソ連を支持する左翼です。これはおかしい。

〈「日本は侵略した」と欧米や中国、韓国、日本の学者まで主張する〉

それは「連合国側の史観」。敵側の戦時プロパガンダです。確かに日本が欧米諸国のアジア植民地に軍事進攻したことは事実です。しかし、それ以前に侵略して植民地にしたのは欧米諸国です。日本は欧米の植民地を占領し、日本の将兵が宣教師のような使命感に駆られて、アジア諸民族を独立へ導いた。アジア諸国は日本によって白人支配から独立した。西洋人は世界史を見直すべきです。日本はアジアを独立に導いた「希望の光」。「侵略」したのではなく「解放」し、独立に導いたのです。

アジア、アフリカ、北米、南米、豪州を侵略した西洋は謝罪していません。なぜ日本だけが謝罪しなければいけないのか。白人が有色人種を侵略するのは「文明化」で、有色人種が白人を侵略するのが「犯罪」とはナンセンスです。

〈欧米人にも同じ主張をする同志が出てきた〉

米国人ジャーナリストのマイケル・ヨン氏は私の著書を読んで確信を持ったようです。弁護士のケント・ギルバート氏も賛同してくれました。特派員の後輩たちも続いてくれることを期待します。

ジャパニーズ・カルチャー・アズ・ナンバーワン

〈フィナンシャル・タイムズ初代東京支局長として来日したのが東京五輪が開催された昭和39(1964)年だった〉

オックスフォード大学在学中に米国やソ連など世界を訪ねました。どの国も半日あれば把握できましたが、日本だけは例外でした。1940年代後半から60年代前半に急速に発展した日本人の行動の源がどこにあるのか。それを知りたくて日本に来ました。

高度成長の入り口にあった日本に暮らすうちに日本が好きになりました。巨大なロケットが発射されたように急速に動き出す。そんなミステリアスな魅力がありました。半世紀で10回ほど離れる機会がありましたが、その度日本のすばらしさに触れてとどまりました。

文化が素晴らしい。エズラ・ボーゲルは「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と著しましたが、「ジャパニーズ・カルチャー・アズ・ナンバーワン」と思います。

黒澤明の「七人の侍」などの映画を見て新鮮な衝撃を受けました。19世紀以来、浮世絵に始まり日本建築までジャポニズムは世界文化に大きな影響を与えています。

東日本大震災で被災者が救援物資の配給を受ける際、他人を思いやる人徳の高さがありました。暴動も略奪もない。奇跡のような光景に世界の人が感動しました。「思いやり」を大切にする日本の文化でしょう。

地下鉄に乗ると、私が体調が優れないと見て取ると、誰彼となく席を譲ってくれます。それも相手を慮(おもんばか)って。日本には洗練された文化の高みがあるのです。

〈日本と英国は同じ島国として共通点がある。それゆえ日本の風土に順応できた〉

シャイで注意深く節度があってあまり直接的に発言しない点など英国人は

大陸の欧州人より日本人と共通しています。共に恥の文化です。素材の味を大切にする料理も同じ。私は畳で横になり、綿の浴衣を着ることが心地よいです。

〈日本人女性、あき子さんとの間に生まれた一人息子のハリー杉山さんは、テレビやラジオでタレントとして活躍中だ〉

22歳の独身英国人男性が来日して仕事をして日本を好きになれば、100人中99人が日本女性と結婚します。日本女性が素晴らしいからです。日本女性と結婚して正解だった、賢明な選択をしたとみな思います。私も、あき子と結婚して40年、素晴らしい人生です。

クエーカー教徒で平和主義者ですが、国を護(まも)るために軍隊を持つこと、国を護るために命をささげた方々を顕彰することは当然です。それでハリーが生まれたとき(昭和60年)、靖国神社に家族でお参りしました。ハリーは私以上に文才があります。将来、活字メディアでも力を発揮してほしいと願っています。

三島が訴えた米呪縛からの脱却

〈日本にとどまった理由の一つが作家、三島由紀夫との出会いだった。今年は生誕90年、自決して45年を迎える〉

三島は当時、昭和天皇を除くと、世界で最も話題性のある日本人でした。「日本の魂」に触れようとインタビューしました。彼の率直さが好きでした。

〈1969(昭和44)年3月、三島の富士山麓雪中演習に外国人として初めて同行した〉

「日本はどう生きるべきか」。三島は苦悩の中にいました。彼の指摘は本質を突いていました。彼を通して日本が抱える問題と進むべき方向性が見えました。三島は、米国によって日本が「属国化」されたことを嘆いていました。

〈1970(昭和45)年11月25日、三島が自決した日、マニラに向かうはずだった。台風で飛行機が欠航となり、自決を知った〉

茫然(ぼうぜん)となりました。中途半端な行動をしない男で、死ぬといえば、どんなことがあっても死ぬと思っていたからです。1カ月前に「この世の終わり」と書かれた手紙が送られました。何度もサインを出していたのに見落とした。「友達を見捨てた罪は許すべからざるものだ」といまだに自己批判しています。

三島が檄文(げきぶん)で訴えたことは大筋で正しい。しかし西洋では理解されていない。事件後、英語で三島由紀夫伝を書きました。邦訳され、ギリシャ語にも翻訳されました。

〈昨年11月、三島ゆかりの熊本・桜山神社を訪ねた。ラストサムライ、「神風連」の志士がご祭神として祀(まつ)られている〉

訪問してわかりました。神風連、特攻隊に連なる精神、自らの命を賭して日本を護(まも)る魂の在り方に三島が衝撃を受けたのです。

西洋を知れば知るほど、日本人としてのアイデンティティーに目覚めたのです。日本の文化、伝統が世界で稀有(けう)な遺産であることを。

三島が命を懸けて訴えたかったことはマッカーサーが作った憲法の呪縛や自衛隊など米国の「属国」のようになった戦後日本の在り方でした。ただ反米ではありません。連合国戦勝史観からの脱却でしょうか。三島が人々に理解されるには、200~300年かかるかもしれません。

〈多くの日本の実業家の知遇も得た〉

最も親しかったのは第3代諏訪精工舎社長だった服部一郎さんです。電子情報機器のセイコーエプソンを立ち上げ、嘱望されながら川奈ホテルゴルフ場でプレー中に急死しました。今でも思い出すと悲しい。一緒にビジネスをやる計画を立てていたので残念です。

〈来日直後、白洲次郎とも面識があった〉

黒塗りのダイムラーで、よく高級料亭に連れていかれました。妻のあき子とごちそうになったこともあります。英国企業の日本進出で稼いでは、豪奢(ごうしゃ)な生活をしていました。流暢(りゅうちょう)な英語で、人を見下して話すところは、好きになれませんでした。

NYタイムズも欺かれた「偽物」

〈韓国で1980年、全斗煥が軍の実権を掌握すると、北朝鮮は「休戦協定を白紙化する」と宣言、半島は一触即発の危機に陥った。同年6月、米国が北朝鮮に特使を派遣すると、ニューヨーク・タイムズ(NYT)記者として同行した〉

金日成主席に会い、平壌郊外の宮殿で5日間過ごしました。握手した金日成は息切れする病人のようでした。特使ソラーズ議員との会談に立ち会えませんでしたが、目付け役として米中央情報局(CIA)職員が同行していました。

〈韓国の金大中元大統領には、30回以上も単独インタビューした〉

金大中は常に「民主化運動の闘士」というイメージを演出していました。米国の民間組織と言論が後押ししたのです。ニューヨーク・タイムズは、その先頭に立っていました。

初めて会ったのは、69年春。日本と米国に滞在して、民主化を推進する人権活動家と注目されていました。

〈73年8月、東京・九段のホテルから、韓国中央情報部(KCIA)に拉致され、船上で殺害されかかるが、軍用機が旋回し、一命をとりとめる。その後、ソウルの自宅で軟禁され、80年5月、再逮捕され、光州事件が起きる〉

80年春、民主化運動の中心人物として取り上げ、社説でも「金大中は処刑されるべきではない」と論陣を張ったのです。

〈「偽物(フェイク)」であることは、妻のあき子さんが最初に見抜いた〉

女性のカンは素晴らしい(笑)。必要以上に自分を繕い、私に接近する不自然さにあき子が気付きました。よく観察すると、いつも駆け引きをしている演技者でした。詐欺師で、人々の気持ちを巧みに操る。私もニューヨーク・タイムズも騙(だま)されたのです。金大中の最大の犯罪は民主主義を欺いたこと。その最たる例が光州事件でした。

〈事件から20年後の2000年、編者として「光州暴動」を米国の出版社から刊行した〉

事件は金大中が起こした自作自演の「暴動」で、大統領になることを狙って暴動を仕掛けたのです。周辺者は、金大中が世俗的な地位や金銭に重きを置き、不正蓄財をしていたことを知り尽くしていました。さらに問題は、北朝鮮と関わることでした。国家反逆罪に値する売国行為でした。民主化のホープを気取り、ノーベル平和賞を手に入れる名誉欲に駆られた私欲の権化でした。

〈金大中を救ったのは、米大統領となるロナルド・レーガン関係者だった〉

80年秋、全斗煥大統領と密約を結んだのです。レーガン新大統領を訪問する初の外国の元首として全大統領を招く代わりに金大中を処刑しないことを約束した。レーガン大統領が金大中の処刑を回避したのは、民主化の旗手というイメージが浸透していたため。米国全体が彼の演技に欺かれていたわけです。

和製ジェームズ・ボンド養成を

〈安倍晋三首相の父親の安倍晋太郎元外相、祖父の岸信介元首相を取材した唯一の外国人記者だ〉

岸信介氏に日本に来たばかりの頃インタビューしました。満洲を開発した手腕はナチス・ドイツの首都を改造する「ゲルマニア計画」を進めたアルベルト・シュペーアに匹敵して日本の政治史に名を残しています。2度目の総理を務める安倍首相は運を持っていて国際社会で存在感が増しています。アベノミクスを主導する発信力は日本の指導者として久しぶりです。

米上下両院合同会議で行った安倍首相の未来志向の演説は、米側から高い評価を受けました。問題は中国を訪問する際、どう発言するか。対中外交で真価が問われます。

〈「慰安婦」「南京事件」で中韓の反日プロパガンダが続いている〉

ようやく日本も反論を始めましたが、まだまだです。いまなお中国が情報戦で圧倒しています。世界中の人々が南京で30万人が虐殺され、慰安婦が強制連行されたと信じて国際世論が変わる兆しは見えません。

〈日本が最も遅れているのがインテリジェンス(諜報)だ。7つの海を支配した英国は情報によって植民地統治を練り上げたことはよく知られている〉

私は属したことはありませんが、多くの諜報に携わる人物を知っています。英国の諜報力が世界で最も優れているのは、島国であることと関係しています。周辺諸国が侵略を試みた歴史から祖国防衛には他国が侵略の意図を持っているか事前に把握する必要があり、情報収集が最優先になったのです。日本も同じ島国なので、英国をモデルに諜報の強化を図ってほしい。

〈愛国精神を求めることにおいて、英国情報機関は先達だ。危険な任務に就くのは女王への忠誠と国家への奉仕を尽くすことで、臣下の名誉とする考えが行き渡っている〉

英国人は情報機関のみならず、一般の市民も愛国心のために諜報で個人の自由が制約されても当然と考えます。そこが個人のプライバシーの保護が優先される米国と異なります。個人の生活を守ることは、周辺国が侵略してくるかどうかと密接に関連します。約800年の歴史的体験から英国人には身を守るための諜報が民族意識に根付いているのです。

〈英情報局秘密情報部(MI6)などの伝統的な資格は、忠誠心のほかにオックスフォード、ケンブリッジなどの名門学歴、サーの称号以上の貴族の子弟だ〉

階層社会で最も優遇された彼らは決して王や女王を裏切らない素性の明らかな存在です。最高の情報が得られるように、最高レベルの教育と社交界の品格と儀礼をわきまえた英国でもっとも知性的な紳士(ジェントルマン)たちです。日本の007=ジェームズ・ボンドを早く養成してほしい。

(聞き手 岡部伸)

             ◇

1938年、英国サマセット、グラストンベリー生まれ。61年、オックスフォード大学修士課程修了後、62年にフィナンシャル・タイムズ入社、64年、初代東京支局長。67年、タイムズ東京支局長、78年、ニューヨーク・タイムズ東京支局長を歴任。三島由紀夫と最も親しかった外国人記者として知られる。著書に「三島由紀夫 死と真実」「英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄」、編著「光州暴動」、共著「なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか」「目覚めよ!日本」「連合国戦勝史観の徹底批判!」など。=6月掲載記事を再掲載【話の肖像画プレミアム】