『「低端人口排除」を加速する火事は“失火”か? 「現場動画」投稿で画家逮捕、「書記辞任」要求は強権封殺』(12/20日経ビジネスオンライン 福島香織)、『2018年、中国の鬱屈した30代が社会に牙をむく 「チベット映画」と「いたたまれないダンス」ブームの意味するもの』(12/21日経ビジネスオンライン 山田泰司)について

12/19ダイヤモンドオンライン ロイター<中国の地方都市で「特区ブーム」過熱、債務拡大の懸念も>中国の歴史の中で偉人と言われるのは治水対策に成功した人達です。尭舜や李冰親子(四川省・都江堰ダム)等。それで中国では、土建工事が好まれるのでは。細かいことは気にせず、若干菱形になった窓穴でも“没問題”という人達ですから。侘び・寂び、精緻さを好む日本人とは大いに異なります。それと、土建工事は金額が大きく、受け取る賄賂の大きさも半端でなくなりますから、好まれることもあるでしょう。中国駐在の時に、工事が途中でストップしている建物が多くあるのを見ました。それは資金繰りができなくなると、其の儘放置、金ができるとまた再開のパターンでした。

中国人も朝鮮半島人も複式簿記を本当には理解できていないのではと思います。両者ともに借金体質です。資本主義であればやがて過剰債務は資金ショートを起こし破綻します。韓国は輸出大国なのに、通貨スワップの重要性も理解していないような国ですから、オーストラリアといくら通貨スワップを結んでも、日米と結んでなければ行き詰まるでしょう。中国は共産国家(国家資本主義)なので、政府があらゆる保証をするため経済崩壊するのには時間がかかると田村秀男氏と何清漣氏は言っています。困った時には中央政府が何とかしてくれる、株価もKPOするだろうし、不動産も価格維持の為、売却禁止することなどはザラです。中央政府を当てにし、需給を無視した計画を実行するため、モラルハザードはあらゆる面で、今既に起きていると見た方が良いでしょう。後はいつ破裂するかです。国際金融資本、ハゲタカが「豚は太らせてから喰え」とばかりに鵜の目鷹の目で狙っているのかも知れません。

http://diamond.jp/articles/-/153716

12/22<中国でネット金融が急速に成長した理由 中国金融の新たなビジネスモデルを概観する>中国のやることは総て軍事・治安優先の発想です。ネット金融が発達したのも、偽札の流通が2割を占めるのを防ぐ意味もあったでしょうし、店や個人が偽札を掴まされるよりスマホ決済が安全と理解したからでしょう。日本のようなクレジットカードが普及しなかったのは、金を貸しても返さないのが当り前の風土だったからと思います。取引しても支払代金を踏み倒すのが普通に行われ、偽装倒産も沢山ありましたので、クレジットカード会社を作ろうと思わなかったのでしょう。それと店が払うクレジットカード利用料が3~5%なのに対し、アリペイは0.6%という安さです。中国はアリペイかウイーチャット(微信)ペイの2社がネット金融の大部分を占めます。アリペイは支付宝=蚂蚁金服傘下、蚂蚁は蟻(アリ)の意味、金服は金融服務(サービス)の意味で英語では“Ant Financial”=アリババ集団の一部です。

ネット購買はアリババの淘宝や天猫モールが有名、支払いはアリペイで、「クレジット払い」も可能とのこと。個人間取引が淘宝で企業と個人間取引が天猫モールです。日本と中国の個人の信用付与のやり方が違うのは歴史と文化の違いです。どちらが優れていると言うものでもありません。

http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/111400180/121900002/?P=1

しかし、人類の普遍的な人権に対する取り組みは日本と中国では全然違います。中国では金融情報を国が集め、ビッグデータや賄賂防止に使うのならまだしも、個人や企業の預金が国家に没収される可能性もあります。基本的人権である財産権の侵害になります。まあ、中国人は政府や金融機関を信じていないので、金庫に退蔵していると思いますが。

福島氏や山田氏の記事のように中共政府が如何に中国人の人権を侵害しているか、「生活権」や「信仰の自由」の侵害です。日本の左翼は中国に行って、何時も政府に言っているようにクレームを付けるべきです。福島氏の記事は、火事は放火の可能性があることを匂わせています。小生もその通りと思います。山田氏の記事では、30代の中国人がチベット人の五体投地に「自由」を感じているとの話ですが、自己中心の中国人ですから、6人の老人を扶養するとなると、海外脱出を企てる人間が増えるかもしれません。中国の近くにあるお人好し民族の日本は気を付けないと。

小川榮太郎氏が書いた「徹底検証『森友・加計事件』朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪」(飛鳥新社)について、朝日新聞側は謝罪や訂正、賠償を求めましたが、小川榮太郎氏は反論を送付、HPにその内容をアップしました。

http://www.sankei.com/entertainments/news/171206/ent1712060016-n1.html

その続きですが、12/22facebookで小川榮太郎@ogawaeitaro

【朝日の捏造をうやむやにしてはならぬ真の理由】朝日新聞への私の回答を「承服できず、対応を検討する」と言った朝日新聞が2週間を超えても何の対応もしてこない。

【朝日の捏造をうやむやにしてはならぬ真の理由-文章後半が大事です】朝日新聞への私の回答を「承服できず、対応を検討する」と言った朝日新聞が2週間を超えても何の対応もしてこない。  私には居丈高に「賠償を要求する」、「2週間以内に真摯に回答しろ」と言ってきた朝日が、私の「真摯な対応」から2週間経っても何も言ってこないというのは、これは一体、どこまで非常識なのだろう。  朝日新聞は森友加計事件を捏造したか、しなかったのか。  これをうやむやにすれば、日本はマスコミの嘘による政府転覆運動を容認する社会だということを自ら証明することになる。それは近未来、日本が中国に政治主権を奪われる予行練習となるであろう。  私がなぜこの件を「戦後最大級の報道犯罪」と言うかと言えば、これは主権簒奪プログラムにすぐに転用可能な、極度に危険な現象だからだ。慰安婦問題の日本の国際的名誉棄損とは異質の、はるかに直接的な危険がここにはあるのだ。  もし本当にこの問題で日本社会が戦う気がないなら、私は近い将来日本を立ち去る。自由社会であることと日本の偉大な精神伝統を二つながら失う馬鹿な祖国には耐えられない。無論、ぎりぎりまで少数の同志と学問もし、戦いも継続する。  評論家は多いが、本当に危機が見える人間の少なさに閉口する。朝日の廃業が目標ではなく自由社会の防衛が目標だ。それには自分たちの社会がさらされている危機を自覚できることこそが一番大切なのだ。朝日が怪しからんから叩く、ここにとどまっていては真の敵から身を守れない。私が今何の闘いを戦っているかを何とか正確に分かってほしいのだ。本当に失ってしまう近未来を越させないために。」(以上)

小生が本ブログを立ち上げたのも、中国の危険性(軍事侵略・人口侵略と共産主義浸透による自由社会破壊への)について警鐘を鳴らしたかったためです朝日新聞購読者は経営を助けることにより中共のお先棒に手を貸していることになっていることに早く気が付かないと。

12/23アノニマスポスト<【NHK】自民党に投票した若者が理由を述べる ⇒ 東大教授「もう少し真剣に考えて!」⇒NPO代表「何も考えず現状維持で自民は短絡的!」www>東大もバカが教授をやっているという事です。まあ戦後利得者である東大が既存の仕組みを温存しようとするのは当り前のことかも知れませんが。難関と言われる司法試験に代表されるように、勉強すればするほど護憲に考えが凝り固まるようになっています。公務員試験もそう。学びて思わざれば則ち罔しの典型です。ですから、法曹界(司法)や官界(行政)の座標軸は大きく狂ってしまう訳です。自分の頭で考えず、学力だけでエリート面する訳です。真のエリートとは程遠い。政界(立法)を選挙と言う手段で国民の意思を反映させるしかありません。今の若者の方が情報選択の間口の広さを持っていて、危機に対して自分の頭で考えているという事です。それができない老人は若者に託すべきです。左翼は若者に対し「徴兵制復活」と脅して味方につけようと思ってきましたが、現代の戦争で徴兵制復活はあり得ないことを今の若者はチャンと知っています。

http://seikeidouga.blog.jp/archives/1069001178.html

福島記事

11月に北京市郊外で起きた大火事の後、街はゴーストタウンに(写真:ロイター/アフロ)

北京の大興区で起きた出稼ぎ労働者向け簡易宿所の火事をきっかけに、大規模な“出稼ぎ者駆逐政策”が始まっている。防災・安全を建前に、大都市の機能を底辺で支える農村出身出稼ぎ者たちが暮らす“ドヤ街”や彼らが働く違法工場の一斉撤去を行い、彼らを“低端人口”(低級の人口)として北京から排除し、直面する人口問題を解決しようというものだ。

だが、あまりに突然で暴力的であることから、少なからぬ良心的知識人たちは、これを憲法違反の人権問題として批判している。片や北京市当局は「そもそも低端人口など北京に存在しない」として、この低端人口駆逐政策自体がネットのデマだと主張。しかも、抗議の声をあげる知識人たちの拘束・逮捕に乗り出した。背景には、国家主席・習近平の信任を得ている北京市書記・蔡奇の強気の姿勢があるとみられる。火事からすでに1カ月以上たつも、問題は収束するどころか、より深刻な人権問題に拡大しつつある。

大火事をきっかけに“一斉駆逐”

出稼ぎ者の簡易宿所、日本で言うところのいわゆる“ドヤ街”の一斉撤去と、そこに暮らす出稼ぎ者の“駆逐”は、すでに日本メディアでも「低端人口問題」として詳細に報じられている。

改めて概要をまとめると、事の起こりは11月18日。北京市南部の河北省と隣接する大興区の新建二村の簡易宿所・聚福縁公寓で幼児・子供8人を含む19人が死亡する大火事だった。この地域には北京市のサービス業などを支える農村戸籍の出稼ぎ者が吹き溜まるように暮らす。火事が起きた聚福縁公寓は違法増改築を繰り返し、老朽化した建物で、10平方メートル前後の部屋が300ほどあり、400人以上の出稼ぎ者と家族が暮らしていた。

一部屋が日本円にして一万円前後という安さだが、防災設備どころか窓すらなく、建物内も入り組んでいた。三つある出入口も一つが封鎖されていたという。一階は食堂、地下には冷蔵室があり、失火原因は、その冷蔵室の故障漏電による火花が冷蔵室の断熱材に使われていたポリウレタンに燃え広がった、と言われている。

この火事自体が悲惨な事件であるが、問題はその後の北京市の政策である。北京市は、この火事を機に防災対策として、郊外にあるこうした違法増改築された建物や老朽化した建築物を年末までに一斉撤去することを決定。建前は、都市の防災・安全対策だが、その狙いは増えすぎた北京市人口を抑制するために“低端(低級)人口”と呼ばれる、都市の最低層の仕事を支える農村戸籍の出稼ぎ者を駆逐することだった。

当局は「問題」認めず情報統制

ちょうど北京に来ていたので、火事の現場の大興区西紅門鎮の新建二村にまで来てみたが、そこの住人はすでに完全に追い出され、撤去を待つ空(から)の老朽家屋が立ち並ぶゴーストタウンと化し、がれきの山が築かれていた。ついひと月前までは、このあたりに万人単位の出稼ぎ者らが普通に暮らしていたのだ。

この場所に連れてきてくれた白タクの運転手も山東省の出稼ぎ者だが、「このあたりに住んでいた出稼ぎ者は、北京市の居留証もなく、最低辺の仕事をしていた。自分は北京にきて6年目で居留証も得ているので、彼らとは違う」と説明した。同情はしていないようだった。

多くの“ドヤ”が問答無用で撤去され、そこに住んでいた労働者と家族たちはいきなり、北京の寒空に放り出されることになった。その数は10万人とも数十万人とも、最終的には100万人に達するともいわれている。

だが北京市当局はこの事件に関する報道を統制、インターネットのSNSで低端人口をはじめとする関連用語を打ち込んでも表示されず、動画や写真も削除対象となっている。

実際のところは、北京の郊外にいけば、こうした強制的に住人を追い出しゴーストタウン化したドヤ街がいたるところに広がり、あるいはすでにがれきの山となっており、またキャリーバッグなど手荷物を持って零下の夜をさまよう出稼ぎ者らが未だ、見かけられた。こうした人たちに、市は新たな職業や宿舎を提供している、という報道もあるが、必ずしも全員に救済措置がとられているわけではない。一部良心的な知識人、アーチストら5000人以上が、こうした北京市の政策が、憲法違反の人権問題であるとして公開書簡で抗議の声をあげている。

「さまよう出稼ぎ者」動画投稿で逮捕

そうした抗議者の一人が北京郊外にある芸術家村・宋荘(通州区)にアトリエを構える画家・華涌(48)だった。華涌は11月下旬から、北京市の政策により出稼ぎ労働者向けの簡易宿舎が強制撤去されている様子や、宿舎を追い出され、零下の北京をさまよう農村戸籍の出稼ぎ者の映像をスマートフォンで撮影し、動画サイトに投稿し、反響を呼んでいた。だが彼の活動に協力した出稼ぎ者が少なくとも5人、警察に逮捕され、彼自身にも危険が迫った。

華涌は12月7日から天津市の友人宅に身を隠していたが、15日夜、ついに警察に連行された。友人宅に警察が来てドアを叩く音が聞こえるなか、華涌がスマホの自撮りで、「すでに刑務所に入る覚悟はできている」と、これから連行されるべくドアを開けることを宣言。「あと三日で娘の誕生日なのだが、一緒に祝えなくて残念だ」と語り、「ハッピーバースディトゥーユー」を歌い、自由になったら、君を世界につれていってあげる、と娘にメッセージを残している(その後、19日までに保釈された)。華涌は48歳、遼寧出身で、かつて天安門広場で、天安門事件を追悼するパフォーマンスをやったために一年三カ月の労働教養所送りになったことがあった。この秋の党大会期間も、自宅軟禁にあっていた。

この事件について、環球時報は、一時期、一部で暴力的な撤去が起き、世論の批判を受けたが、こうした世論を参考に当局は善処しているとして、華涌の抗議は単なる煽情的なパフォーマンスだと批判した。

だが、低端人口問題は公式メディアのいうように、すでに解決し、鎮火した問題かというと、むしろ新たな“火事”が続き、拡大している。

12月13日未明、朝陽区十八里店郷白墙子村のドヤで再び火事が起き、5人が死亡していた。この村も、撤去対象になっていた。火事の原因は無資格者が設置した電動車用充電器らしいが、消防隊はこの地域が撤去対象だからといって出動せず、住人に救出も行われなかったようだ。このドヤにその日に宿泊を開始したある男性は3階から飛び降りて足を骨折して一命を取り留めたが、一緒に泊まっていた息子は死亡したという。この村から遠くない別のドヤ街の村でも11日と12日の夜に火事があった。

こうなってくると、大興区の火事も含めて、本当に撤去予定になっているドヤ街の火事は、失火なのか、という気もしてくる。もちろん、そうした疑問の声はおろか、事件に関する情報自体が統制されている。13日には大興区の龐各荘でも暴力的強制撤去があり、何の準備時間もないまま、布製品加工工場が取り壊された。布など工場にあった材料や車は押収されたという。

「書記批判」封じ込め、強権で強行

こうした激しく暴力的な政策について、北京市書記の蔡奇への批判は高まっているが、それもメディア統制によって封じ込められている。12日、こうした批判を避けるために、蔡奇は都市生活のサービス産業を支える低収入労働者への慰問をこれ見よがしに行い、それを公式メディアに報道させた。蔡奇は都市の清掃、家政、流通、飲食業などに従事している低収入労働者を十分に尊重し、関心をもって彼らの問題を解決せねばならない、とコメントした。だが、こうした実際の行動と裏腹のパフォーマンスが、さらに不信感を呼んでいる。

13日、北京市の北京大学、清華大学、人民大学らの大学生有志84人による「北京市書記・蔡奇先生に辞職を促す」と題した公開書簡がネットで発表された。公開書簡では「今回の暴力的な公民の駆逐政策の悪影響は深刻で、大衆と共産党の関係を損ない、この責任を誰かが負わねばならない。我々は法規・規律を乱したとして、北京市委書記・蔡奇先生に即刻辞職していただき、天下に謝っていただきたい」と訴えているが、当然この公開書簡の載っているサイトはすぐさま削除、封鎖された。

この政策の背景には、今年秋に、2020年までに北京市の人口を2300万人以下に抑制するという都市計画が打ち出されたことが関係している。北京市の人口は2016年末に2172万9000人と発表されている。このうち800万人以上が外来人口と呼ばれる北京市外から流入した人口だ。さらに統計上にカウントされていない出稼ぎ者が100万人から200万人いるともいわれ、北京人口の実質はすでに2300万人を超えている。

北京だけでなく、上海、広州などの大都市では人口爆発の問題が深刻で、都市資源、特に交通インフラの維持や生活用水の確保のためには、都市人口抑制は重要な課題である。その処方箋として“低端人口”の都市からの排除は、かねてから都市計画の専門家から指摘されていた。“低端人口”という言葉そのものに込められている蔑視や、実際に都市サービス産業がこうした外来人口に支えられている現実から、こうした党内部の“政治用語”が表だって使用されることは、これまでほとんどなかったが、習近平政権が二期目に入り、習近平の権力基盤が強化されたことで、習近平派閥の筆頭でもある蔡奇が自分の強権に自信をもち、この強硬な政策を実行に移したと見られている。ある北京市民は「蔡奇書記が自分の権勢の強さを周囲に見せつけるために、今回の“駆逐”政策に踏み切ったのだ」との見方を示した。

都市生活の恩恵を受けている北京市民には、人口爆発を防ぐために正規の居留証を持たずに北京に暮らす“低端人口”の駆逐は致し方ないという意見を言う人も少なくないが、一方で大学関係者や学生、知識層らいわゆる“高端(ハイレベル)人口”に、こうした非人道的な政策はおかしいとはっきり言う人も少なくない。

北京清華大学社会学系教授の郭於華はBBCの取材に「自分の学生で、すでに博士号をとって、大学への就職も決まっている者も、この強制撤去政策で住居を失った。彼は“高端人口”に属する人間だが、この種の人権侵害の政策は、今日は他人ごとでも、明日は我が身だ」と訴えている。この政策に大学生たちが敏感に反応しているのも、実のところ、地方出身の学生の中には、大学卒業後も就職先が見つからず、“低端人口”に陥ると心配している者も多いという現実があるからだろう。

「人民」はどこに?

また、生粋の都市民の中にも、この政策によって“高端人口”の都市生活が大きくマイナス影響を受けている、と懸念を言う人もいる。例えば、都市民の生活を支えるネット通販は、こうした出稼ぎ“低端人口”が運転する宅配便用の電動自動車に支えられているが、今回の“低端人口駆逐”によって、大手宅配会社・順豊の北京方面における運送センターのおよそ十分の一が、人手不足で機能マヒに陥り、宅配の遅延や誤配が一気に増えた。

順豊は一応、自社で宿舎を確保することで、この問題を解決するとしているが、「この政策の結果、宅配便の単価が上がってしまうかもしれない。結果的に、清掃、飲食サービス、ガードマンといった底辺の仕事を低賃金で担う人員が減って、都市サービスの単価が値上がりしたり、質が劣化するならば困る」という市民もいた。

習近平はこの秋の党大会の政治活動報告で、「人民を中心とする」という方針を強く打ち出している。習近平政権の政策ブレーンを自任する清華大学教授の胡鞍鋼は「習近平政権では、『人民』を強く打ち出していることが特徴。人民を中心とする、とは『人民の人民による人民のための政治』ということであり、これが執政党としての正統性の根拠となる」とリンカーンの名言を引用して説明していた。だが、現実をみると、この人民とはいったいどこにいるのか。習近平政権二期目の政治は、「人民を中心とする」ではなく「人民を排除する」政治であり、もはや、その執政党としての正統性は暴力でしか維持できない状況に陥っているということではないだろうか。

山田記事

年末年始の特別企画として、日経ビジネスオンラインの人気連載陣や記者に、それぞれの専門分野について2018年を予測してもらいました。はたして2018年はどんな年になるのでしょうか?

(「2018年を読む」記事一覧はこちらから)

「いたたまれないダンス」の先駆け(左、鄭州2015年)と、「いたたまれない人」と揶揄される人の典型的なタイプ(上海2016年)

中国でも流行語が話題に上る季節が今年もまたやって来た。かつてこのコラムでも書いたが、中国では日本漢字能力検定協会が決め清水寺で発表する「今年の漢字」や、「ユーキャン新語・流行語大賞」のような、「今年の漢字・流行語と言えばコレ」と国民の間に定着しているものがない。そこで、『咬文嚼字』という言語学の専門誌や、『新周刊』という隔週刊誌等、その年のキーワードや流行語を特集で取り上げることの多いメディアにいくつか目を通してみると、共通して取り上げられていたのは「尬」(ガー)という字だった。

「尬」は通常「尷尬」(ガンガー)と2文字セットで使われることがほとんどで、「いたたまれない」「気まずい」という意味。それがここ2、3年、「尬」の字を「尷」ではない他の字と組み合わせて使うケースが出始め、今年になって流行と言えるまでに拡大した。

なかでもよく使われる組み合わせは「尬聊」(ガーリャオ)と「尬舞」(ガーウー)の2つだ。

「尬聊」はネットで知り合った面識のない相手とチャットでおしゃべりを始めたものの盛り上がらず、気まずい雰囲気になることを表現するのに生まれたネット用語の1つだった。そこから派生して、初めてのデートで会話が弾まないことなど、ネットからリアルの世界にまで発展してきた言葉である。

踊り狂う「いたたまれない」50・60代

「尬舞」は、「舞」という字で分かるように、「いたたまれないダンス」という意味。ダンスはダンスでも基本的にはダンスバトルのことを指すらしい。尬舞を躍る人たちの様子を映した掲載できる写真がなく残念なのだが、彼らの出で立ちからダンスそのもの、発する雰囲気まで、何から何まで見ていて確かに「いたたまれない」のだ。

ピンクや黄色など奇抜な色に染め、両サイドを剃り上げて弁髪風にしたヘアスタイル、系統的にはストリート系のはずなのに、70年代から80年代にかけての日本に出現し社会現象になった暴走族やタケノコ族のにおいをも感じさせ、それらのいずれをも2段階ぐらいダサくしたようなファッション。相手を小馬鹿にしたような、世の中を舐めきったような、怖い物なしといった表情。すべてが露悪趣味に溢れている。見ているのが「いたたまれない」し、見ているこちらが「気まずい」気持ちになる。日本で言うところの「イタい」に通じる部分もあるかもしれない。

「尬舞」の発祥の地は内陸の河南省鄭州の公園だ。その後、全国に広まっていくにつれ、ダンスを踊る人の年齢層も拡大していったようだが、中国のネット動画サイトで、発祥の地である鄭州で中心になって踊っている人等を観ると、中高年がほとんどであることに気付いた。

その後、検索大手「百度」のネット記事で「鄭州の尬舞チームで躍っているのは一体どんな人?」という記事を見つけ読んでみると、やはりそうだった。中心メンバーの年齢は50代半ばから70歳ジャストまで。文化大革命(1966~76年)の前後に学齢期だった文革世代の人々である。

「自由=好き勝手に振る舞う」

「尬舞」の流行を牽引する露悪趣味の文革世代が踊り狂う様を見ていて、やはり文革世代の上海人男性が話していたことを思い出した。彼は私よりも2つ年上の今年54歳だから、文革が終わった76年には中学1年生だった。中国有数の名門、上海復旦大学を卒業したエリートである。

その彼が、日本旅行から帰ってきたばかりだといって話してくれたのは「自由」の話だった。「日本もシンガポールも旅行で行ったけど、中国がやっぱりいいよ。だって自由だもんな」と言うのだ。

自由とは、言葉が不自由だったからつまらなかったという意味かと思ったが、しかしシンガポールなら中国語が通じるはず。すると彼は、「違う違う。日本は町も電車の中もレストランもどこもかしこも静かじゃないか。大声でしゃべると冷たい目で見られるだろ。それにシンガポールも日本も、道路にツバを吐いたらイヤな顔をされる。シンガポールはゴミを捨てたら罰金だぜ。その点、上海はツバは吐き放題、ゴミは捨て放題、大声でしゃべってもだれも文句を言わない。中国はまったく自由さ」

自由には責任が伴うものだとか、自由は不自由なものだとか言うような、自由についての議論をここでするのはやめておく。ここでは、中国の文革世代は、「自由」を「好き勝手に振る舞うこと」と捉えているようだということ、そして、この世代が踊る様を、若い世代が「いたたまれない」という思いで見ており、そこから「尬舞」という言葉が生まれたようだということを、ひとまず覚えておいてほしい。

祈り、巡礼できる自由

五体投地でラサへ巡礼の旅に向かう人(『ラサへの歩き方~祈りの2400km』。12月23日(土)からシアター・イメージフォーラムでロードショー公開。配給:ムヴィオラ)

ここでもう1つ、2017年に中国でヒットしたものを取り上げたい。『ラサへの歩き方 祈りの2400km』(原題『岡仁波斉』、カイラス山の中国名。監督・チャン・ヤン)という映画である。チベット自治区の小さな村に住む村人たちが、チベット仏教の聖地ラサ(拉薩)、そして聖山カイラス山へ向かう合計2400kmの道のりを、「五体投地」という礼拝をしながら1年をかけて徒歩で巡礼する様子を描いたロードムービーだ。ドキュメンタリーではなくフィクションだが、演じているのは実際にチベットの村に住む一般人だという。

「五体投地」とは、両手、両膝、額の「五体」を地面に投げ伏して祈りを捧げる、チベット仏教で最も丁寧な礼拝のスタイルのこと。主人公等らの住む村があるチベット自治区東端のマルカム県は標高が平均4300m、カイラス山は6656mと、日本では体験できない高地にある。歩くだけでも気が遠くなりそうなこの厳しい環境を、彼らは、尺取り虫のように体を投げ出す礼拝をしながら、徒歩で歩き通すのだ。参加しているのは幼い少女から妊婦、老人の3家族11人。撮影中、妊婦は本当に道中で出産し、伴走のトラクターの荷台に新生児を載せて巡礼を続ける。今年の6月に中国で公開されると、興収1億元(約17億円)、動員300万人(2017年10月現在)という、「芸術映画」のカテゴリーで過去最高の空前のヒットになった。

さて、言ってみれば、聖地に向かって老若男女がひたすら歩き続ける映画がなぜ、中国で大ヒットしたのか。

日本での配給元のムヴィオラによると、「中国に先駆けて2016年7月に世界で最初の劇場公開が行われた日本では、映画を観るだけで心を整えることができるという声が高まり」、約2万人を超えるスマッシュヒットになったとのことだ。

ただ、短からず上海に住み、少数民族や農村の人たちの生活や現状にほとんど関心を示さない都会の中国人のことを知っている私は、この映画が流行ったのは、生活に余裕のある富裕層や上位中間層が、「スローライフが好きな私」に酔いしれ、他人にもそれをアピールするために、いわばファッションとして観たというところなのではないか、と思っていた。

しかし今年の12月半ば、渋谷の試写室で初めて本作を観ている途中で、いささか考えが変わった。あり得ないような猛吹雪で息ができなくなっても、豪雨で道路が川のようになりおぼれそうになっても、対向車にぶつけられ伴走のトラクターが走れなくなっても、崖崩れの落石で足をケガしても、慌てず騒がず、しかし歩くことを止めない彼らの姿に、観客等は純粋に心を揺すぶられたのだろうと。1年もの巡礼の間、収入がなくなるのを承知で旅に出て、聖地ラサに着いた時点で持ち金がなくなると、旅をいったんやめ、現地で洗車や建築現場の肉体労働をして数カ月金を稼ぎ、金がたまるとまた、聖山カイラスに向かうという彼らの生き様に、心を動かされた。そこに、普遍的なものを感じたということなのだろうと思った。

一人っ子政策の犠牲者たちのやるせなさ

そして、試写の後にあった談話会に登壇した本作の字幕翻訳を務めた樋口裕子氏から興味深い話を聞いた。「最近訪れた上海で、どのような人たちが本作を観たのかと聞いて回ったら、30代の若者が中心だった」というのだ。そして、「30代の人たちというのは、企業の中で責任は重いし、立場的にも難しい位置にいて、とても疲れているらしい。そういう人たちがこの映画を観たそうだ」と。

この話を聞いて私は、いたたまれないという意味の「尬」という言葉が流行ったことにつながるものを感じた。

いまの中国の30代は、1979年に施行され2015年に廃止になった「一人っ子政策」の第1世代と言える世代だ。一人っ子政策が廃止されたのは、少子高齢化で老齢人口を支えることが困難になり始めたためである。子供のころは、双方の祖父母に両親合わせて「6つの財布を持つ」と言われた一人っ子世代だが、今に至って、1人で6人の老後を支えなければならない可能性があるという不安を抱えるようになった。そのような立場にある彼らは、仕事を簡単に辞めるわけにはいかない。樋口氏の言う「彼らはとても疲れている」というのは、仕事だけでなく、社会的な構造を背負わされたプレッシャーから来る疲れもあるのだと思う。

その都会の30代の彼らの目に、仕事を1年以上も休んで巡礼の旅に出るチベットの人たちの姿は、いかにも「自由」に映ったのではないか。ちなみに、チベット族など少数民族は、一人っ子政策の対象から除外されていた。

一方、都会に目を転じると、「自由」を「好き勝手に振る舞うこと」と解釈している50代、60代の大人たち、すなわち、一人っ子世代が支えなければならない中高年たちが、脳天気に「尬舞」に興じている。

「いたたまれない」を意味する「尬」という言葉の流行は、「オレたちは自分を犠牲にして、こんな大人たちを支えていかなければならないのか」という一人っ子世代のやるせなさや憤まんが爆発する前兆のように思える。その思いが高じて、2018年に、この世代が社会に牙を剥いても、何の不思議もない。

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