Henry Scott Stokesの“Fallacies in the Allied Nations’ Historical Perception As Observed by a British Journalist”を読み始めました。日本語版は3年前に読んでいますから、大体の言わんとしている所は分かると思っています。やはり、日本語で出版するより、英語で世界に発信して貰う方が、インパクトが大きいです。ヘンリー・ストークスは三島由紀夫の友人であったことが、彼の英国での刷り込み教育を変えさせた大きな原因とのこと、死せる三島、生けるストークスを走らすと言ったところでしょうか。ストークスにしてみれば、三島との「果たし得ていない約束」のつもりで出版したのかもしれません。ストークスは「南京」にしろ「従軍慰安婦」にしろ、プロパガンダと言っています。序に、
“The Tokyo Trials were a total sham, serving only as a theater for unlawful retribution. And as for the “Nanking Massacre,” there is not one shred of evidence attesting to It. However, the Chinese are hell-bent on using foreign journalist and corporations to spread their propaganda throughout the world. I find it very disappointing that so few Japanese attempt to discredit the false accusations and set the record straight. In today’s international community those who maintain that there was no massacre in Nanking are shunned.”
「東京裁判は全部インチキだった。違法な報復のための芝居としてしか役割を果たしていない。そして「南京大虐殺」に関しては、それを証明する証拠のひとかけらもない。しかし、中国人は外国人ジャーナリストや企業を使って、世界中で彼らのプロパガンダを広めるために躍起になっている。私は、数少ない日本人が冤罪で日本を貶めようとし、記録を直そうというのを見て、大変ガッカリしている。今日の国際社会で、南京で虐殺がなかったことを主張する人は敬遠される。」と。
「新唐人」は法輪功系列です。江沢民に弾圧された気功の宗教団体です。でも本記事を読む限り、やはり中国人の限界が垣間見えます。プロパガンダが得意な共産党が、虐殺があれば30年も黙っている筈がありません。日本人を貶める勢力に手を貸しているのと同じです。やはり、歴史は自分の都合の良いように解釈するのでなく、実証的であらねば。中国の出してきている写真は南京とは関係ない写真が多いとのこと。朝鮮戦争も南が仕掛けたと捏造する国ですから。中国共産党も中国国民党も同じ中国人で構成されているため、嘘で塗り固められた歴史を主張します。
記事
對中華民族而言,12月13日是個極其慘烈的日子。79年前的這一天,侵華日軍攻佔當時的中華民國臨時首都南京後,在南京及附近地區進行長達四十多天慘絕人寰的大屠殺。至少有20萬至30萬的中國平民和戰俘被日軍殺害,約2萬中國婦女遭日軍姦淫,南京城三分之一的建築被日軍縱火燒毀。
然而,在中共建政後的30多年裡,中共官方為學生們編寫的歷史課本中,對這場令世界震驚的日軍暴行卻隻字不提,好像這場暴行從未發生過。直到上世紀80年代以後,中國大陸的媒體中才漸漸出現有關南京大屠殺的文字記載。
中共為何要長期替日本人掩蓋這樣的歷史罪惡呢?《揭秘:三十年前的中國為何極力掩蓋南京大屠殺》一文揭開了這個歷史謎題。
文章介紹,過去中共當局給國人灌輸的歷史知識中,有關中國〝八年抗戰〞是這樣描寫的:當年日本鬼子打進中國,蔣介石不抵抗,躲進了四川峨嵋山。抗戰八年,全是中共領導八路軍、新四軍、還有敵後武工隊,靠着地雷戰、地道戰、游擊戰——打下來的。直到日本鬼子被中共領導的軍隊打敗了,投降並滾回日本後。〝蔣該死〞才從峨嵋山下來!開始伸手——摘桃子。(毛澤東原話)。對於南京大屠殺這場慘絕人寰的日軍暴行,中共官方的歷史資料則隻字不提。
在毛澤東時代,南京並無〝南京大屠殺紀念碑〞和〝侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館〞。1979年以前大陸歷史課本中,也無關於〝南京大屠殺〞的任何記載。
比如1958年版《中學歷史教師手冊》〝中外歷史大事年表〞中,1937年內容只有〝日軍侵佔上海,國民政府遷都重慶〞簡單記述,全然不提〝南京大屠殺〞。而該書在1927年大事中,倒有蔣介石〝四一二大屠殺〞記述。1975年版《新編中國史》〝歷史年表〞中,1937年也只有〝國民政府遷都重慶,南京防禦失敗〞記載,〝南京大屠殺〞仍是隻字不提。
直到1979年版中學歷史書中,〝南京大屠殺〞一詞才首次列出。1985年8月15日,日本投降40周年後,中共南京政府才建成了〝侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館〞。
直到上世紀八十年代初,中國大陸的媒體才開始〝呑呑吐吐、半遮半掩〞地告訴國人——原來,國民黨軍隊才是真正的抗日主力,而且他們打的還是〝正面戰場〞,還打了許多大仗。這些大仗都比中共軍隊打下的〝平型關戰役〞要大的多。也正因為如此,日本軍隊在攻下南京後,才瘋狂屠殺了中國的平民百姓和被俘軍人30萬人!
所以,當上面這幅全新的慘烈的雄壯的真實的抗日畫卷,慢慢地展現在國人面前的時,許多中國人甚至不能馬上就接受,許多人懷疑南京大屠殺是否真實存在過。
三十多年來南京市只修建了雨花台來紀念那些為國捐軀的烈士,中共官方卻從不提南京大屠殺。
為什麼毛時代要對中國百姓——隱瞞〝南京大屠殺〞,難道是毛澤東有天生親近日本人的情愫?
文章寫道,〝我想,毛澤東建國後多年不提〝南京大屠殺〞,倒也不是毛天生就有親日情懷,而是因為以毛為首的中共政權,要從根本上否定蔣介石政權當年全面抗戰的正確歷史觀,要編織一個〝蔣該死〞從不抗日,只有毛澤東才是〝抗日領袖〞、中國共產黨才是抗日主體的歷史謊言。〞
文章質問:〝毛時代的歷史教科書,有謝晉元指揮下的〝八百壯士〞嗎?有歷時四個月之久的〝武漢會戰〞嗎?有中國軍隊前後投入兵力達五十萬人以上的三次〝長沙會戰〞嗎?沒有!只有中共領導的八路軍、新四軍,用地雷戰和地道戰,爆了八年地雷,鑽了八年地道,硬是把日本鬼子——給打敗了!〞
可想而知,在中共這種完全歪曲歷史的宣傳語境中,如果向中國的學生們提起〝南京大屠殺〞,就無法迴避國民黨軍隊在抗戰中對日軍的全面抵抗和犧牲。但是在中共過去的字典里,〝犧牲〞二字只屬共產黨。因此,〝南京大屠殺〞的歷史數十年不提〝亦屬必然〞!
文章最後寫道,〝‘南京大屠殺’多年被抹去的事實說明,人們為了圓一個謊言往往就不得不另外再追加十個謊言,以此才能維繫和支撐!因此,這一至十再至百的成串歷史謊言,多年來充斥着中國(中共)歷史教科書。〞
(阿竺整編,有刪節)【新唐人2016年12月15日訊】
(訳)
「中国にとって、 12 月 13 日は極めて悲惨な日である。 79 年前のこの日、日本の侵略軍が当時の中華民国の臨時首都・南京を攻め落とした後、南京とその周辺地域で 40 日以上に亘り大虐殺が行われた。 少なくとも 20万から30万の 中国の民間人と捕虜が日本軍によって殺された。また、2万人の女性は日本軍によって強姦され、日本軍により南京市の3 分の 1 の建物が放火・焼失した。
しかるに、中共が統治してからの30 数年間は、学生のために書かれた歴史の本に、世界を驚かせた日本軍による残虐行為について一言も触れられておらず、このような暴行が起こったことがないかのように思わせている。 1980年代以降になって、やっと中国大陸で南京大虐殺について書くメディアが現われ始めた。
中共は何故長期に亘り歴史の悪行を日本に替わって覆い隠してきたのか。「30年前、中共は南京大虐殺について極力蓋をしようとしたのか」という一文はこの歴史の謎を明らかにする。 文章は、過去中共当局が国民に歴史知識を吹き込む中で、「8 年抗戦」について次のように描かれている。その年、日本が進軍してきたときに蒋介石軍は抵抗せず、四川省の峨眉山に逃げて行った。8年の抗戦中に戦ったのは中共の指導する八路軍や新四軍、銃後の武工隊だけだった。地雷戦やトンネル戦、遊撃戦で打ち負かした。日本軍が中共の指導する軍隊に負けて、投降し、日本に帰ってから蒋介石はやっと峨嵋山から下りて来て、漁夫の利を得ようとした。(毛沢東の話)。南京大虐殺がこのような凄惨な日本軍による暴行なのに、中共の歴史資料には一言も触れられていない。
毛沢東の時代には「南京虐殺記念館」や「日本侵略軍による南京で殺された同胞の虐殺記念館」はなく、1979 年以前の中国の歴史教科書の中には、「南京大虐殺」の記載はなかった。1958年版の中学校の歴史教師の歴史年表の手帳の中に、「1937 年には日本は上海を占領し、国民政府は重慶に遷都した」とあるだけで、「南京大虐殺」への言及が全くない。その本の中には、 1927 年に、蒋介石が「 412 」大虐殺したとの記述のみ。 1975 版「新編中国史」の歴史年表では「1937 年に国民政府は重慶に遷都し、南京の防衛に失敗した」とあるだけで、南京の大虐殺については触れられていない。
1979 年版の中学歴史の教科書になってやっと「南京大虐殺」の文字が最初に現れた。 1985 年 8 月 15 日、日本降伏 40 周年になって、やっと中共政府は「日本侵略軍による南京で殺された同胞の虐殺記念館」を造った。
80年代初めになって、やっと大陸のメディアが出しては引っ込め、様子を見ながら、国民に教え始めた。元々国民党軍が真の抗日の主力であり、かつ正面戦で大きな戦いに勝利した。これらの大規模な戦いは、中共の軍隊が勝った「平型関」 の戦いをはるかに凌ぐ。まさにこれが為に、日本軍は南京を占領した後、狂った様に中国の一般市民と捕虜兵士30万人を虐殺した。それ故、この新しい凄惨かつ勇壮な真実の抗日絵巻の上部を見せ、国民にゆっくりと知らしめて行くと、多くの中国人は受け入れることができないし、南京大虐殺の存在そのものを疑った。
30 数年以上たって南京市は雨花台に国に殉じた烈士の記念するものを造ったが南京虐殺についてはまだ触れていなかった。
何故、毛時代には中国人に対し「南京大虐殺」を隠したのか。まさか毛沢東は生まれながらの日本人情緒を持っていたのではあるまい? その文章には「思うに、毛沢東が建国後、ずっと南京大虐殺について言わなかったのは、毛が生まれながらに親日感情を持っていたからではなく、毛がリーダーである中共政権にとって、蒋介石政権が全面的に戦ったという正確な歴史観を否定し、蒋介石の抗日は無かった、毛が抗日のリーダーであって、中共こそが抗日の主体であるという歴史上の嘘を言うためである」と。
文章の質問には「毛時代の歴史教科書には謝晋元指揮下の800 人壮士が載っているか?4か月の長きに亘った武漢会戦は?中国軍が前後で50万以上の兵力を投入した3 回の長沙の戦いについては?ないではないか。ただあるのは中共が指導した八路軍や新四軍、8年の地雷戦や8年のトンネル戦だけ、確実なのは日本を打ち負かしたことだけである」と。
考えれば分かるが、中共のこのような完全に歴史を歪曲したプロパガンダの中で、中国の学生に南京虐殺について提起すれば、国民党軍が日本軍に徹底抗戦し多大な犠牲を払ったことを回避することはできない。 但し、中共の過去の辞書の中に「犠牲の2字は共産党に属するのみ」とあった。このため、「南京大虐殺」の歴史が数十年触れられないでいたのは、必然であった。
文章の最後に、「南京大虐殺」が長年に亘り、拭い去られて来た事実の説明として、人間は1回嘘をつけば、更に10回嘘をつかざるを得なくなる。これにより、やっと人心をつなぎ留め、1~10、或は100回まで歴史の嘘をつき、長年に亘り中共の歴史教科書が蔓延っている。」と。
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