9/2日経ビジネスオンライン 福島香織『異例づくめの習近平的「大閲兵式」 すべては「正統性」確立のために』9/4日経『権力闘争 なお火種 江沢民氏、1年ぶり公の場に』『中国、高揚感なき国威発揚 戦勝70年軍事パレード 想定超す経済減速・日米欧首脳は不在』について

寂しいパレードだったと思います。欧米日とも参加せずでしたから。愚昧な村山元首相は体調不良で北京の病院に入院とのこと。天の怒りに触れたのでしょう。参加国も31ケ国(元首・首脳クラス)と寂しい状態。AIIBのときは57ケ国もはせ参じたというのに。5/9ロシアの対独勝利70周年の軍事パレードも20ケ国と寂しかったです。如何に人権抑圧国家は人気がないかという事です。今度の中国の場合でも、参加国は人権抑圧している国ばかりと言う感じです。仏教国のスリランカも参加を見送りました。賢明な行動です。

台湾の連戦元国民党主席が参加したことに馬総統も「遺憾」の意を表明、連戦の随行員は帰国時に台湾団結連盟の人から抗議の靴投げに合いました。郝柏村(中華民国参謀総長、元行政院院長)は国民党老兵に「参加は許さず。参加したら年金を取り上げるぞ」と脅したと宮崎正弘氏のメルマガにありましたし、中国時報には「リーダーは蒋介石だけで他にはいない。(=抗日を主導したのは共産党の毛沢東ではない)。歴史は歴史。変えることはできない」とありました。老兵がどの程度参加したかどうかは分かりません。

江&曽慶紅も胡も参加したのは手打ちが行われたのでしょうか?それとも一時休戦? 9/3香港紙『明報』は、「習近平の軍権掌握ならびに指導者として揺るぎない地位を確保したことを意味するセレモニーとなった。まさに習近平時代が到来したことを明確に告げる式典だった」と分析しました。本当に軍権が確立したかどうかは日経記事にあるようにまだ懐疑的な見方をしておく方が良いのでは。権力闘争は続いて行くでしょう。江派を潰した後は団派が待っていますので。胡は江に怨みがあるので上海派潰しには協力しますが、自派を標的にされたら死に物狂いで抵抗するでしょうから。また、令完成の2700件の米国内にあるデータがどういう形でリークされるかです。インターネット時代ですから、中国国内は遮断できても諸外国では見れるのでクチコミで中国内にも流れますので。

日経記事

xi & jiang

権力闘争 なお火種 江沢民氏、1年ぶり公の場に

軍事パレードの開始直前、天安門の楼閣上に89歳になった江沢民元国家主席が姿を現すと、階下の参観席がどよめいた。江氏が公式の場に現れたのは約1年ぶりだった。

左は記念行事に出席した習近平国家主席(左)と江沢民元国家主席(3日、北京の天安門)=共同

 反腐敗を掲げる習近平国家主席は、江氏に近い周永康・前政治局常務委員や、軍の元制服組トップ2人を次々に摘発した。この夏、北京での要人らの葬儀では、他の長老と違って江氏だけ姿を現さず、地方から花輪を送るケースが続いた。

 共産党機関紙、人民日報も、江氏の院政批判と見られる文章を堂々と掲載し、話題をさらった。中国の政界では「メンツを潰された江氏は軍事パレードを欠席しかねない」「身辺に異変があるか、体調が優れないのでは……」といった臆測が広がっていた。

 ところが、江氏は極めて元気な姿で習氏の左隣に陣取った。習氏がにこやかに江氏に語りかける場面さえあった。

 江氏、胡錦濤前国家主席らトップ経験者が軍事パレードのような重要行事に出席するのは共産党の伝統である。だが、習体制ではその常識が通用しない。聖域と見られていた最高指導部経験者でも突然、摘発される。

 習氏への権力の一極集中は、国営中央テレビの中継でも明らかだった。映像は、習主席と、隣の江氏を同じ画面で映すのをあえて避けた。

 習氏は1人だけの映像か、右隣のプーチン・ロシア大統領とのツーショットに。権力を固めた習氏を江氏と格の違うトップとして扱ったのだ。1999年、2009年の軍事パレードとの大きな違いだった。

 反腐敗を巡る習氏と長老らの暗闘には第2幕があるのか。高齢の江氏は確かに不利だが、経済界を中心にその影響力は侮れない。経済の先行き不透明、天津での大爆発……。相次ぐ大事件により、権力闘争の構図、力関係は変わりうる。

 2017年の次期最高指導部人事まで2年もある。何が起きるかわからない。

(北京=編集委員 中沢克二)」

中国、高揚感なき国威発揚 戦勝70年軍事パレード 想定超す経済減速・日米欧首脳は不在

【北京=山田周平】中国の習近平指導部は3日、2015年最大の政治イベントと位置づけてきた「抗日戦争・反ファシズム戦争勝利70年」の記念式典を開いた。北京では午前の軍事パレードの後も終日、祝賀行事が続いた。華やかな式典の裏では、力のよりどころだった経済に陰りがみえる。どこか高揚感の乏しい国威発揚の場となった。

 式典ではパレードに続き、人民大会堂で昼食会を開いた。ロシアのプーチン大統領ら約800人の出席者を前に、習主席があいさつした。

 「侵略戦争以降に生まれた人であっても、歴史の教訓を心に刻まねばならない」。安倍晋三首相が戦後70年談話で「戦争に関わりのない世代に謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」と述べたことを暗に批判した。

 夜には人民大会堂で日中戦争をテーマとした観劇会を開催。官営メディアは終日、一連のイベントの成功をたたえる報道を続けた。

 冷静に見れば習指導部の意図が空回りしている感は否めない。第2次大戦に勝って国連の常任理事国となった五大国のうち、式典に首脳を送ったのはロシアだけだった。

 安倍首相ら日米欧の首脳は、中国の軍事力への警戒感などから出席を見送り。戦争犯罪などで国際刑事裁判所(ICC)から逮捕状が出ているスーダンのバシル大統領を含め、共産党一党支配の価値観に賛同する首脳ばかりが集う場となった。

 習指導部が式典の準備に専念してきたこの半年間、国力の裏付けとなる経済は想定を超す減速に見舞われた。中国株は上海総合指数が直近の6月中旬の高値から4割近く下げ、ネット上には「式典を開く金があるなら救済してくれ」との投資家の恨み節が残る。

 官製の株価対策が不発なまま、8月中旬には人民元を十分な説明なく切り下げ、世界的な連鎖株安を招いた。しかし習主席は3日の演説で、経済について何のメッセージも発しなかった。人民元切り下げの直後には、天津市の港湾部で大爆発が起きた。責任者の身柄は拘束されたものの、爆発の原因や有害物質の拡散の実情は不明なままだ。

 習指導部は一方で2日夜以降、パレードのため北京の中心部を事実上封鎖した。世界2位の経済大国が自らの意志で首都機能をマヒさせ、カップ麺を大量に買い込む市民を生み出す様子には滑稽ささえ漂う。

 在北京の金融筋は式典について「3連休になったので、株価下落や経済指標の発表に一喜一憂しなくて済んだ」と冷ややかだ。宴(うたげ)の熱が冷め、株式市場が再開する7日以降、中国経済は再び世界の厳しい視線にさらされる。」

福島記事

 9月3日は抗日戦争反ファシスト戦勝記念日で国が定めた祝日である。今年は70周年ということで、習近平政権初の大閲兵式が行われる。私は残念ながら当日東京で仕事が入っており、現地でこれを見ることはできないのだが、どうせ北京に行っても、ジャーナリストビザもない私は式典場に近づくこともできない。

 2009年の胡錦濤政権時代の大閲兵式のときは、北京で何とか潜り込もうといろいろ画策したのだが、蟻一匹入り込むスキがなく、大望路付近まで下がって、閲兵式が終わった後に、戦車がぞろぞろと引き上げる様子を、友人のマンションの敷地からちらりと見ることができただけだった。だが、そのマンションも家賃が値上がりして、友人たちは引っ越してしまった。CCTVやフェニックスの中継を見るだけなら、日本でも見ることができるので、そうすることにする。

 そこで、私と同様、日本でテレビ中継で大閲兵式を見る人たちのために、この大閲兵式の意味、意義について改めて考えてみたい。

最新型84%、規模は胡錦濤時代の5割増

 大閲兵式は9月3日午前10時(北京時間)、天安門広場での閲兵昇旗からスタート。約70分の予定。中国人民共和国建国以来15回目の大閲兵式である。CCTV1、CCTV7、北京衛星テレビおよび主流ネットメディアで中継される。現場は厳しく統制されており、基本、招待客以外は二環路以内に入ることも難しいだろう。近くのマンション、オフィスビルもカーテンを開けることすら禁止されている。また、勝手にスマートフォンなどで写真をアップすることも禁止という。テレビやネットで見るのが確実だ。

 56の民族を意味する56の礼砲のあと、戦勝記念70周年を示す70回の礼砲を行う。

 50の部隊を含む1万2000人および500台の兵器、200機の軍用機が参加する。兵器・軍用機の84%は初披露される最新型のもので、空母艦載機・殲15戦闘機や武直-10攻撃ヘリや携帯多頭型核弾頭を搭載した東風41弾道ミサイルなど7種類のミサイルも披露される。胡錦濤政権時代の大閲兵式よりも5割増しの大規模なものだと言われている。

 今回の大閲兵式で特に異例なのは、国民党老兵、外国軍の参加と海外賓客の多さである。

 これは、従来の大閲兵式と、目的が少し違うからだろう。大閲兵式は何のためにやるか。一般には国威発揚、愛国心高揚、政権・軍権掌握のアピールである。毛沢東以来、大閲兵式は国慶節・建国記念日の10月1日に行われるものだった。しかも、江沢民も胡錦濤も政権の2期目、つまり権力基盤の比較的安定した後、建国50周年、60周年という節目に行ったのだった。2期にわたる政権運営の仕上げとして行ったのだ。

 今回は共産党史上初めて抗日・反ファシスト戦勝記念日の9月3日に行われる。この抗日・反ファシスト戦勝記念日を国の祝日に制定したのは習近平である。習近平政権は政権発足後わずか3年目、権力闘争がまさしく佳境に入っており、経済上も社会治安上も決して安定期とはいえないタイミングで、焦るように急に大閲兵式計画が決定され、実行されたのである。その意味は何だろうか。

国民党老兵と外国軍、異例の参加

 例えば国営通信新華社はこう論評している。

 「今回の閲兵は中国の抗戦精神の高揚、自信の増強、そして国際社会とともに世界平和を守っていく決心を示している。また最初の戦勝記念という以外に、多くの先駆的な試みを行っている。まず、初めて外国の軍隊が参加する。次に(八路軍の)英雄模範部隊の名を冠した小隊が閲兵を受ける。また共産党と国民党の抗戦老兵たちが初めて一緒に閲兵に参加する。

 中国国家安全論壇の副秘書長の彭光謙少将によれば、今回の閲兵の意義は中国が抗戦中、風化することのない貢献があったことを示し、全民族が異なる政治パワーを認め合い、国際社会においてともに世界平和を守る決心を明らかにするものであるという。

 またこの閲兵のテーマは、抗戦の偉大な勝利を紀念し、抗戦の偉大な精神を高揚し、民族の偉大な復興を実現することである。

 この論評を普通に読み解けば、今回の閲兵式は、従来の国威発揚、愛国心高揚、軍権掌握アピールとは別に、中国が第二次大戦の戦勝国であることを国際社会に認めさせるための舞台であり、日本が第二次大戦後の国際秩序に対する挑戦者だと印象付けるための演出もあるといえる。つまり、習近平は中国共産党正史としての歴史認識を、この大閲兵式で改めて国内外に喧伝することが大きな目的、ということになる。

「当時は共産党、国民党、日本人の三つ巴」

 言う間でもなく、第二次大戦終戦当時、まだ中国人民共和国は誕生していない。日中戦争で旧日本軍が戦った相手は国民党軍であり、新華社の論評で名前が出ていた張自忠も国軍の勇将として知られている。

 在米華人歴史学者の謝幼田の著作『中共壮大的謎』によれば、毛沢東は日本軍が国民党勢力を削いでくれることを期待して抗日戦はむしろ傍観を決め込んでいた。共産党勢力拡大に7割の力を注いで「(力の)10%は日本と戦うこと」という指示を出していたという。

 百団大戦が唯一の共産党がしかけた対日戦闘だが、それですら、党中央(毛沢東)の指示を受けずに八路軍が勝手に起こした戦闘として、党中央から厳しい批判を受けていた。八路軍副司令であった彭徳懐が後に失脚する際、百団大戦が「反毛主席」の行為として罪状の一つに挙げられたという。毛沢東が廬山会議で「当時は共産党、国民党、日本人が三つ巴になっていたが、我々は国民党と日本人を戦わせることで、壮大な発展を遂げることができた」と赤裸々に語ったことは結構知られた話でもある。

 そういう面から考えても、共産党が抗日戦争で主役ぶるのは、本当ならばあまりに厚顔である。ましてや国民党老兵を招いて、北京で共産党中央総書記にして共産党中央軍事委主席が閲兵するというのは、国民党側にすれば恩給取り消しに相当する寝返り行為だろう。しかし、連戦国民党名誉主席自身がのこのこと北京の式典に参加する。これは中国共産党の歴史の政治利用のうまさと言える。

 ある歩兵戦車小隊の兵士は言う。『抗戦に関して、私が感動し尊敬する人は多い。例えば張自忠(国民党軍陸軍上将、棗宜会戦=宜昌作戦で戦死した。その勇将ぶりは日本軍も感嘆していた)。中国は劣る武器装備で、多くの犠牲者を出しながらも、当初は敵を圧倒した』。

 彭光謙によると、抗日戦争勝利における現実的な意義がある。つまり、第二次大戦後の70年、日本はずっと戦争の侵略性を否定しており、国連を主導とした国際秩序に挑戦し続けている」。

 話がそれるが、この閲兵式に合わせて封切られる歴史映画「カイロ宣言」(八一電影制作、温徳光・胡明鋼監督)のポスターや予告編で毛沢東が主役風に登場していたことに、中国国内の一般ネットユーザーから歴史の改ざんではないか、と批判が集まっていた。

カイロ会議に毛沢東??

 1943年11月にエジプト・カイロでルーズベルト米大統領とチャーチル英首相と蒋介石中国国民政府主席によって対日方針が話し合われたカイロ会談を受けての宣言である。これには毛沢東も共産党も関係ない。人民日報系タブロイド紙の環球時報までが「映画のポスターで毛沢東を突出させているのは不適切、人を困惑、心配させる」「こんなポスターでは、まるで毛沢東がカイロ会談に出席して蒋介石が出席しなかったとネットユーザーが誤解する」「宣伝は、最低、実事求是でなければならない」と懸念を示した。

 さすがに映画では、毛沢東がカイロ会談に参加するという歴史捏造シーンは無いらしく、監督の一人がフェニックステレビの記者に「(歴史を捏造するほど)そこまで恥知らずじゃないです」と弁明、十数枚のポスターの中でメディア向けに選んだ4枚の宣伝ポスターに毛沢東を含めたことについては「考えが足りなかった」と反省を述べた。

 映画の件は、ちょっとあからさますぎて、国内からも批判を浴びたが、史実以上に中国共産党の役割を誇張喧伝して、執政党としての正統性を国内外に訴える政治宣伝が習近平政権にとってことのほか重要なのである。それは中国共産党の正統性というものに陰りが出ているということをヒシヒシと感じているからではないか。

 建国者としての圧倒的カリスマを持ちえた毛沢東、中国人民を富ませた鄧小平、その鄧小平から後継者指名を受けた江沢民、胡錦濤と比べると、独裁化を急激に進めている習近平の足元は、経済が悪化、社会の不安定化でむしろ揺らいでいる。そこで切り札になるのが、抗日戦争に勝利した党という肩書きの国際社会からのエンドースなのだ。

 私が関係者周辺から聞いた限りでは、抗日戦勝記念日に閲兵式を行うというアイデアは習近平が言いだしたのだという。当初、党中央ではこれに鼻白む反応が多かった。政権発足3年目で政治成果もろくに出していないうちに、大費用をかけて大閲兵式をやるのは早すぎる、と。

 だがこの時、習近平は、ライバル視する大国、米大統領を大閲兵式に招く意義を訴えて周囲を説得したという。だが、オバマサイドは最初の打診で早々に出席しない意向を伝え、習近平は慌てて、訪米日程を9月に入れてもらったらしい。実際のところは米大統領招待工作に失敗したのだが、9月に習近平が訪米して会談する予定があるので、あえてオバマを招待しなかった、というポーズをつけるためだったという。

「正史」確立、対外アピールに全力

 以前、このコラムでも紹介したとおり、習近平政権の発足当初は「戦後国際秩序に挑戦する軍国主義が台頭する日本」というイメージを国際社会に訴えて、日米離反を画策するという青写真を描いていたとみられる。結局、中国側の米国に対する対等意識がむしろ米国の警戒感を招いて、日米関係が緊密化することになった。

 大閲兵式には米国だけでなく、日本を含め、西側先進国の現役首脳は出席しない。しかし、ロシア大統領・プーチン、韓国大統領・朴槿恵および上海協力機構加盟国、ASEAN加盟国の約半分、アフリカ諸国などの49カ国首脳が出席し、国連事務局長・潘基文が参加する。習近平政権としてはかなり面目が立ったことだったろう。このほか英国元首相のブレア、ドイツの元首相・シュレーダー、日本の元首相・村山富市が出席するそうだ。

 このように見れば、習近平政権の大閲兵式は、中国の「正史」確立のための重要イベントと位置付けられるだろう。中国では歴史・国史とは、国家の正統性、正しさを裏付けるための学問である。本来、王朝ごとに別の国と言ってよい中国だが、連綿と4000年の歴史を受け継いでいるように正史を編纂してきた。抗日戦争の真の勝者である国民党から、その勝利の果実を正統に受け継ぐものとしての共産党の歴史を国際社会に承認させることが今の正史編纂に最も必要なことなのである。そのために国家の非正統性の根拠となる事実は封印し、あるいは証拠隠滅を図り、改ざんし、それを対外的にアピールするのは当然といえよう。

 ところで、日本人の考える歴史というものは、中国とはずいぶん違う。主流、非主流はあるがあくまでアカデミズムの世界で、国家の正統性を裏付けるための正史編纂事業というものがない。

 そもそも学者たちは、歴史を政治に利用するということ自体に疚しさを感じるのではないか。特にあまりに巨大な犠牲を払った第二次大戦の歴史は、政治に利用するどころか、歴史的事実に向き合うことすら回避して、ひたすら哀悼、反省の思いに浸る人が圧倒的に多かった。そのことが、他国の「正史」に利用される隙を作ったとも言える。

歴史に客観的に向き合う意義

 だが中国の歴史の政治利用のうまさを見習えとは思わない。歴史を研究することの国家にとっての本当の意義は、国家の運営における難問や課題に直面したとき、先人たちがどういう判断をし、そしてどういう結果を招いたかを参考にできるという一点にある。

 そう考えると、8月15日の安倍晋三の歴史談話は、日本が不幸な戦争にいたるまでの客観的な流れを踏まえたうえでの不戦の誓いを言っており、説得力があったのではないか。政治利用でもなく哀悼・反省に浸るだけでもなく、客観的に歴史に向き合う姿勢が示せた。

 さて、9月3日には、習近平も重要講話を披露するそうだ。おそらく戦争に対する歴史認識が盛り込まれているだろうが、どちらが国際社会に対して訴求力を持つか、よく聴き比べたい。