井上和彦著『パラオはなぜ「世界一の親日国」なのか』について

パラオは4年前の年末年始に家族と行きました。当時小生のパスポートは上海領事館発行だったため機械で読み取れず、グアム経由では入れず、パラオ直行便に替えて1日遅れで入りました。余分に18万くらいかかりました。

国旗は月章旗(青字に黄色い月、日の丸に似せて作った)、人口は2万人、在パ邦人は368名、日本人観光客は38,000人、でもこのところ中国人観光客が増えて環境汚染で困っているとのこと。台湾を国家承認している国でもあります。小生が行ったときには、台湾人が多かったです。農業指導に来ているとのことでした。

残念ながら激戦地ペリリューもアンガウルも家族と一緒でしたので行っていません。ダイビングのメッカですが、資格もないのでシュノーケルと海底が見える小型船で大きなシャコ貝を見たことを覚えています。シャコ貝の刺身も食べました。綺麗な緑色の部分もあったのが却って不気味に映り小生一人で食べましたが。

本については概略を紹介し、詳しくはお買い求めて読んで戴ければと思います。如何に日本が欧米式の植民地とは違う統治をし、人種差別しなかったかという事を言いたいです。1919年 パリ講和会議で日本の全権代表団の一員だった牧野伸顕は人種差別撤廃条項を入れようとしましたが、アメリカのウイルソン大統領と英国自治領・白豪主義のオーストラリアに拒否されました。中韓にもこういう歴史を教えたいものです。

写真は2014915日にペリリュー小学校で開かれたペリリュー戦70周年日米合同記念式典の様子。土田喜代一(本年4月の天皇、皇后両陛下のパラオ訪問時、両陛下からお言葉をかけられた元海軍上等水兵)氏とウイリアム・ダーリング元海兵隊員の面会場面です。恩讐を超えてお互いの敢闘精神を讃えあったのでしょう。マックス・フォン・シュラーは米軍の中で海兵隊が一番団結力があり、厳しい訓練に耐え、他の軍隊と違い逃げることをせず、日本軍と同じなので、軍の中でも恐れられているとのこと。中国軍・韓国軍とは違います。

Tourists from every country who visit this isand should be told how courageous and patriotic were the Japanese soldiers who all died defending this island.(「諸国から訪れる旅人たちよ。この島を守る為に日本軍人がいかに勇敢な愛国心を持って戦い玉砕したかをつたえられよ。」)とペリリュー神社の石碑に敵将ニミッツ提督の賛辞が彫られています。真の軍人は強敵を讃えるものです。日本人で反軍思想を持つ人間は他国の手先で動いているとしか思えません。

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次は「土人発言」で有名な日本軍の守備隊長中川州男(なかがわくにお)陸軍大佐です。現地パラオの人達が「日本軍とともに戦う」と決めて、代表数人で彼と面会したところ、しばらく沈黙した後、彼は大声で次のように叫んだと言います。「帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるかっ!」。パラオの人達はショックを受けましたが、仕方なく数日後日本軍が用意した船でペリリューからパラオ本島に移ることになりました。最初は誰も見送りに出ませんでしたが、汽笛がなると同時に日本兵が大挙して手を振り見送りました。そこでパラオの人達は気づく訳です。「自分たちを助けるためにわざとああいうことを言ったのだ」と。

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最後は日本、パラオ、アメリカの国旗を振りながら式典で行進するパラオの学生です。

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是非一度訪れて見て下さい。

 

 

 

 

7/29日経ビジネスオンライン 福島香織『次のターゲットは江沢民ファミリーか 牙城の「電信」にメス、狙うは完全失脚』について

島女史の『本当は日本が大好きな中国人』を読みました。8/1には「士気の集い」で出版記念講演をする予定です。読後感は「日本人の嫌中が進みすぎたので、軌道修正しようと思ったのかなあと」。確かに日本への旅行も転売が多いのでしょうけど、爆買いしてくれています。これは日本のメーカーが中国で作ったものであっても信用できない=自国民が作った物を信用できないという事です。それは中国人が管理する工程(日本人は少ないので)だからです。日本が嫌いであっても、日本文化(ソフトパワー)が好きな人は結構いるとのこと。ノーベル賞作家の莫言(意味は言う莫れ。文革時代、子供が無邪気にうっかり話したことで、親が反革命的とのレッテルを貼られ、批判や暴力にさらされる悲劇がしばしばあり、それを心配)はペンネームですが、子供時代おしゃべりだったので、母親が口うるさく言った戒めの言葉とのこと。彼は「川端、夏目、三島、谷崎、井上靖、水上勉」の影響を受けたとのこと。閻連科(2014年フランツ・カフカ賞受賞、次に中国がネーベル文学賞を受けるとしたら彼との下馬評あり)についての記述あり。『その後、閻連科とは何度も会い雑談も含めて、いろいろな話を聞いているのだが、好きな作家、影響力を受けた作家という話に及んだときに、やはり川端康成、三島由紀夫、谷崎潤一郎、遠藤周作といった名前が出て来た。この時代の中国人作家はやはり日本近代文学に相当傾倒していたのだなと思う。今、文壇の主流にいる作家の少なからずの人たちが、 「宣伝工作」としての「政治小説」「革命小説」を書くことを目的に解放軍文学部や国家機関の所属作家からスタートしている。そういう彼らが、いわば軍属や国家機関所属の特権で、初めて情緒や耽美や性愛や宗教の表現が満載の日本文学に触れて、驚き心を揺さぶられた記憶は相当深いのだと思う。閻連科も、三島の『潮騒.』について「文学とは女の肌のことをこんな風に描写していいんだ、と衝撃だった」と話していた。 川端康成や三島由紀夫というのは、今の文学系の大学生なども好きな作家の上位に挙げる日本人作家である。川端康成はノーベル賞作家であり中国人受けするのはまだ分かるのだが、三島由紀夫は中国人が嫌いそうな右翼、「軍国主義者」である。だが、私の狭い交友関係の中ではあるが、文学に関わる中国人、あるいは読書家を自任する中国人で、相当若い人も含めて三島由紀夫を読んでいないという人は知らないし、嫌いという人も知らない。フォークナーやガルシア・マルケスを読んでいない人も、三島の『金閣寺』は読んでいる。大江健三郎よりも面白い、という人も多い。莫言、余華、梁文道といった中国の大物作家がみな三島由紀夫に関するエッセイを書いている。莫言は「三島は徹頭徹尾、文人であり、文学のために生き、文学のために死んだ。彼の政治活動の骨子も文学であり文学のためである。非文学的な方法で彼を曲解しては、いけない。傑出した作家というのはたくさんいるが、自らの腹に刃をたて死んだ作家は彼だけだ」と論評。余華は「三島は美と醜、善と悪、生と死を混淆し、ついには著作と生活の境界線まで混淆してしまった」と、梁文道は「三島は非常に典型的なリアリズム小説家」と、 それぞれ三島考を披露している。』。やはり、いいものはいいと言ったところでしょうか。大江が評価されず三島が評価されているのは分かる人が読めば分かるという所でしょう。

中国は共産党の専制にあり、下手すると命まで奪われかねない社会です。人権派弁護士が249人も拘束される社会です。作家と言えど、風向きが変われば拘禁される可能性があります。記事は習VS江となっていますが、江を潰しても次に胡がいます。確かに北戴河会議が7月末から8月初にかけて行われますが、この結果が漏れ伝わってくるでしょうからそれを待ちたいと思います。江沢民は迂闊に出席すると拘束される可能性もあり、危険ですが、ここで習に反撃しないと江派は壊滅の恐れがあり、難しい所です。

「日本が好きな中国人」はいるでしょうが、共産党の持つ野心を軽視してはならないと思います。そこは区別して考えないと。①中国の経済崩壊②中国への軍事的封じ込め③日本の集団的安全保障(日米豪印、台湾、ASEAN、南洋諸島)が必要と思います。

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中国共産党中央幹部たちにとって命運を左右する夏の北戴河会議(非公式会議)を前に、前国家主席・胡錦濤の側近、令計画の党籍剥奪が決まり、逮捕、起訴されることになった。容疑に「国家の大量の核心的機密を違法に取得した」とあるので、やはり周永康と同じく裁判は非公開となることだろう。薄熙来、周永康らの”政変計画”に関与していたとの噂はあるものの、公式報道では”政変”のセの字も出ていないので、このあたりの疑惑が明らかにされることも当分なさそうだ。これで”新四人組”と呼ばれた習近平の権力の座を脅かす獅子身中の虫はすべて完全排除されたことになるのだが、では習近平の反腐敗キャンペーンという名の権力闘争は終わるのか、というとそうではなく、早くも次の「大虎」が浮上している。いよいよ江沢民ファミリーに着手されるのではないか、というもっぱらの”噂”である。

なぜ「遠方より花輪」なのか

 7月15日、鄧小平の片腕であった中国共産党元老の万里(元全人代常務委員長)が死去したが、その時、江沢民は欠席して花輪だけ送った。6月19日にやはり中共元老の喬石の葬儀が行われたが、この時も江沢民は欠席して花輪だけを送った。公式メディアは「江沢民は遠方より花輪を送った」とわざわざ報じた。喬石も万里も、ことあるごとに江沢民と対立しており、仲が悪かったから葬儀を欠席するという非礼を犯した、ともいえるが、長老の葬儀に、職務の都合で現役・引退指導者が欠席することはままあることなので、「遠方より花輪を送った」と報道されることに、なにやら意味を感じる向きがある。

 つまり江沢民はなにやら事情があって、北京に来られない、あるいは北京にいられないのではないか。だが、花輪を送って健全ぶりをアピール必要があるのではないか、と。

 つまり、江沢民の立場はいろいろと政治的に危うくなっているという推測が前提にあるのだ。

習近平の次なる「大虎狩り」の獲物が江沢民ファミリーであるという観測は昨年11月あたりから急速に濃くなっていた。まず、中国電信大手の中国聯通を含む13中央企業・機関に中央規律検査委員会の別働部隊・中央巡視組の立ち入り捜査が入った。

 その結果、不正があった企業として詳細が報じられたのはやはり中国聯通を含む6企業だった。中国聯通の名に国内外のチャイナ・ウォッチャー、読者たちが反応したのは、それが江沢民の長男、江綿恒の利権の温床となっている電信産業の中心企業であるからだ。

江沢民の長男「電信王子」にメス

 聯通は江沢民が1994年に、中国電信一社が独占していた電信業界に「健全な市場競争を起こす」ために設立した国有企業。江沢民は権力掌握期の93年から2004年にかけて電信情報産業界の大再編成を実行するが、そのキーマンに、米国留学後に米ヒューレットパッカードに勤めていた江綿恒を呼び戻した。

 江綿恒は中国科学院に所属し冶金研究所所長の肩書きが与えられるが、99年に、やはり江沢民が94年に創業させた国有独資の投資会社・上海聯和投資公司のトップに就く。この上海聯和が次々と国家の基幹産業に投資してゆく。主な投資先企業としては、中国網通、上海汽車、上海空港集団、宏力半導体、上海マイクロソフト、香港フェニックステレビなど、有名どころが挙げられ、江綿恒はそれら大企業の取締役に名を連ねると同時に、中国株式市場の戦略投資家の地位を得て、上海市場を左右する力も持つようになった。この資金の由来が国庫であったと言う説もある。総書記にして国家主席、中央軍事主席をバックにしているので、外国企業もこぞって中国進出のパートナーに上海聯和を選んだ。

 上海聯和の投資分野は電信情報産業、生物医薬、新エネルギー、環境、金融サービスと幅広いが、中でも電信情報産業界への投資は、江沢民の電信情報産業再編計画と連動して大規模なものだった。例えば、旧中国電信は2000年に中国電信と中国移動に固定通信と移動通信分野に二分割され、さらに2002年には中国電信が南北に分割され、北部の市場はそのまま網通に吸収される。さらに中国網通は08年に中国聯通に吸収され、三つの通信メガグループ、中国電信、中国聯通、中国移動に集約されていく。この再々編成は江沢民の庇護を受けた江綿恒をキーマンにして進められ、江綿恒は「電信王子」のあだ名が付けられた。

江沢民としては最も信頼する長男に、サイバー攻撃など国防・防諜諜報の要でもあり、言論報道統制およびネット世論コントロールのキモでもある電信産業を把握させることが、業界再編成の動機であったともとられている。

 だが、習近平政権はこの江沢民ファミリー利権の牙城ともいえる電信情報産業界に反腐敗のメスを入れたわけだ。

 昨年12月、聯通の張智江(聯通聯絡分公司副総経理)と宗新華(聯通情報化電子ビジネス事業部総経理)が相次いで取り調べを受けた。二人とも江綿恒の腹心だということは周知の事実。さらにいえば、2009年から聯通の会長を務める陸益民は、江沢民の腹心で国家副主席を務めたこともある曾慶紅の元秘書である。

中央メディアを通じた宣戦布告

 ここで興味深いのは、新華社はじめ中央メディアの報道ぶりだ。

「中国聯通には、軽視できない問題がいくつか存在する。ある指導者とキーパーソンが、職権を利用し、請負企業やサプライヤーと結託して、権力と金、権力と性の取り引きをしていたのだ」(2月6日 新華社)。

「中央巡視組が指摘するところによれば、中国聯通には職権を利用し、請負会社やサプライヤーと結託して権力と金、権力と色の取引を行うトップやキーパーソンがいた」(2月6日、人民網)

「聯通の余震は止まらない。泥の中のダイコンを引き出せば、捜査はより深く発展していき、ますます問題が水面に浮上してくるだろう」(IT時代週刊)

 聯通汚職問題の背後には、ある指導者とキーパーソンがいた、という言い方が誰をさしているのかは、少なくとも中国の政治経済事情に通じている人なら分かる。こういう、報道の仕方は、習近平の江沢民ファミリーに対する宣戦布告だと受け取られている。

さらに今年の旧正月明けには、中国移動、中国電信にも中央巡視組の進駐がはじまったので、やはりターゲットは江綿恒ではないかという観測が強まった。

 中国「財経」誌が7月23日に報じたところによると、4月23日に中国移動集団の湖南有限公司の元書記・王建根ほか局長級9人以上の取り調べが始まった。

駆け引きの猶予与えず、完全失脚狙う

 また中国移動北京公司の副総経理・李大川も規律検査当局に連行された。彼が湖南移動時代に関わった汚職が関係あるらしい。中国移動広東公司の副総経理・温乃粘、福建公司の副総経理・林柏江も、重大な規律違反で取り調べ中。山西公司の董事長兼総経理の苗倹中も取り調べを受けている。中国移動全体で23件が汚職で立件され、司法機関に移送されたのは8人、処分を受けたのは40人、うち5件は重大案件として中央規律検査委が直接捜査にあたっているとか。この中国移動大規模汚職事件も、江沢民ファミリーをターゲットにした権力闘争であると言う見方が主流だ。

 今年1月、江綿恒が中国科学院上海分院の院長職を1年4か月の任期を残して、突如「年齢」を理由に辞任したのも、習近平の「巻狩り」がいよいよ江綿恒を追い詰めているのだ、という憶測を呼んだ。

 中国移動の汚職事件については、2009年に江綿恒の腹心で元書記の張春江が失脚している。当時、これは胡錦濤ら共青団派と江沢民派上海閥の権力闘争の文脈で語られていた。胡錦濤は、江綿恒が上海富豪の汚職事件・周正毅事件(2003年)に関与していることをカードに江沢民派と激しい権力闘争を展開してきたが、結局のところは、江綿恒汚職カードで江沢民を脅して、ある程度の妥協を引き出す駆け引きに使ったにすぎない。だが、習近平政権の「虎狩り」は、そうした駆け引きの猶予も与えずに、完全失脚をめざしているような勢いでもある。

そういう憶測が出てくるのは7月の習近平政権の上海に対する攻め方のものすごさである。

 7月22日、上海最大の乳業企業・光明乳業の元総裁・郭本恒が重大な規律違反で拘束されたことが明らかになった。光明乳業は6月に郭本恒の辞任を発表していた。光明乳業はかつて江沢民が副工場長を務めていた益民食品工場が前身の、江沢民利権企業という。また7月に習近平政権は公安副部長の孟慶豊を上海に派遣して、いくつかの貿易会社が株価・先物市場操作にかかわったとの疑いで捜査を始めているという。具体的な企業名は発表されていないが、株価操作ができるほどの資金力がある貿易会社ならば、極めて強い政治的背景があることは間違いないだろう。証券監督管理委員会はEコマースの雄、アリババの会長・馬雲(ジャック・マー)が大株主でもある恒生電子の調査を開始しているという報道もあった。馬雲が江綿恒の息子・江志成や劉雲山の息子の劉楽飛と懇意にしていることは、かなり知られた話である。

焦点は北戴河会議、江沢民は出席するか

 江志成は米ゴールドマンサックスで経験を積んだ後、2010年、香港でプライベートエクイティファンド・博裕投資顧問を立ち上げた。2012年、馬雲がアリペイをアリババ集団の連結子会社から外して、ヤフーやソフトバンクから非難を受けた件は、江志成らの介入があったと言われている。この時、馬雲がヤフーの保有するアリババ株を買い戻さねばならなかったが、江志成の博裕投資顧問が5000万ドルをアリババに導入し、何%かのアリババ株を譲渡されたともわれている。ちなみに、紀律検査委当局と公安当局は、インサイダー情報漏えいの疑いで方正証券の取り調べも開始しているが、こちらは令計画事件に連座しかかった北京大学出身の実業家・李友をCEOとする方正集団の子会社だ。

 また復旦大学の副校長3人が一気に更迭されたのも、中国科学院上海分院のトップであった江綿恒の関係が取りざたされている。

 中国の電信、金融業界にメスを入れれば、必ず江沢民ファミリーにぶち当たるという意味では、それだけ江沢民ファミリーの利権構造が圧倒的に広く深いからである。しかも、上海という国際都市が中心舞台であったその利権構造には少なからぬ外資系企業も関わっている。果たして、この広く深く絡み合う利権を解体すれば、公平でフェアな市場に生まれ変わるのか、というのはまた別の問題である。

 これは、やはり純然たる権力闘争とみるべきだろう。そして本当に江沢民を完全失脚させることができるのかどうかは、ひとまず北戴河会議に、江沢民が出席するのかどうかを見てから考えていきたい。

7/28ZAKZAK『自民特命委、河野洋平氏と朝日新聞を“断罪” 慰安婦問題で提言最終案を策定』について

国賊河野の自民党総裁の肖像画を自民党本部から撤去と桐花大綬章剥奪を実施しなければ世界に日本の本気度が伝わりません。国及び国民の名誉を傷つけたのですからそうするのは当然です。ついでに佐藤ユネスコ大使も更迭すべきです。特命委で断罪しただけでは朝日新聞と共に蛙の面に小便と言ったところでしょう。まあキチガイマスメデイアが狂ったようにバッシングするでしょうが、国民にこれこそ政府がキチンと説明すべきです。中韓米と横槍が入るかもしれませんが、それこそが「戦後レジュームからの脱却」では。戦後70年も経っているのに、いつまでも敗戦国扱いに抗議しなければ弱い日本のままです。

幸い、隣国の中国が野心を剥き出しにして米国に挑戦しようとしています。米国としては原爆投下の是非以外だったら歴史問題については寛容になるのではと思っています。中国から金を貰っていたと思われるキッシンジャーですら、宗旨替えして中国批判をするようになりました。このチャンスを逃さず、他国の言われなき誹謗中傷を跳ね返しましょう。

朝日を潰すには不買運動しかありませんが、何せ学生運動華やかなりし世代が生きている間は難しいでしょう。その間に嘘が世界に真実として広まっていきます。何とか朝日に世界に謝罪を発信させる手立てはないのか皆で知恵を絞りましょう。

記事

yohei kono

慰安婦問題をめぐる間違った認識が世界に広まっている問題で、河野洋平元官房長官と、朝日新聞が厳しく“断罪”された。自民党の「日本の名誉と信頼を回復するための特命委員会」(委員長・中曽根弘文元外相)が策定した、同問題をめぐる提言の最終案に記されていたのだ。最終案の内容は、産経新聞が28日朝刊で報じた。

 河野氏は1993年、「河野談話」を発表した後、政府の共通認識を踏み外して「(強制連行の)事実があった」と発言した。朝日新聞は、吉田清治氏の虚偽証言に基づく一連の大誤報を30年以上も放置した。

 提言は、河野氏と朝日について「事実に反する認識を韓国をはじめ国際社会に広めた大きな原因になった」とし、「重大な問題だ」と非難した。

 韓国や米国で進む慰安婦像や碑の設置については「著しく日本の名誉を毀損し、国益を損なうものとして看過できない」と指摘した。

 米国の公立高校で使われる教科書に「日本軍は14~20歳の約20万人の女性を慰安所で働かせるために強制的に募集、徴用した」などの記述があることについては「教科書などで虚偽を教えて、いたずらに日本の名誉を毀損することは許されることではない」と批判した。

 自民党は28日の党総務会で提言を正式決定し、安倍晋三首相に提出。政府に日本の立場、取り組みなどの発信を強化するよう求めるという。

7/24ZAKZAK 田村秀男『中国の“党指令型経済モデル”は破綻している 鉄道貨物輸送量が示す作為的GDP』について

2011年を100とした下記グラフを見ると、消費者物価の2015年について100を下回っているという事はデフレ傾向にあるという事です。輸出・消費が少ないので鉄道貨物輸送量も2015年は2011年より下回っています。これでGDPが7%成長はあり得ないでしょう。景気が悪いのに人民元が強くなるのも不自然だし、株価は人為的に調整されたもので、暴落を止めている段階です。素人でも分かるのに日本のアナリストは本当に当てになりません。まあ、本当のことを言うと次から使って貰えなくなりますので自主規制しているのでしょう。

日本企業も人口の多さに幻惑されることなく、崩壊に備えておかないと痛い目に遭います。もう手遅れかもしれませんが。①少なくとも新たな投資はしない②利益が出たらすぐ日本の取り分を日本に還流③赤字が続いているのであれば清算手続きをする。普通総て完了するのに2年くらいかかると思った方が良い。④反日国に投資するのはカントリーリスクが高いことをもっと深刻に考える。尖閣を奪いに来ると同時に資産接収される可能性あり。かつ日本人経営者も人質になる可能性もある。日本にいる中国人は人質にはならない。彼らは「人口が多いから整理して貰って結構」という発想なので。何せ日本人の想像を超えることができる民族と覚悟しておきませんと。

経団連が移民を言いだしたのは中国人の受け入れの思惑があるのかも。東レも中国に当然進出していますので、中国政府から頼まれたか脅されたのかもしれません。残置諜者として内乱を起こさせることもあるし、或は中国で無用の人間(共産党に反対する人間や、土地を失ったスキルのない農民を生活保護者として)を送り出すかもしれません。中国の証明書ほど当てにならないものはありませんし、共産党は喜んで偽造するでしょう。日本のトップは国際畑で仕事をしたことがないから裏を読むことが得意でありません。簡単に人の言うことを信用します。緊張感が足りません。

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china train cargo number

 

 

 

 

 

 

上海株は中国共産党の市場統制強化によって暴落に「歯止め」がかかったように見えるが、中国経済は閉塞状況にある。上海株暴落は、慢性デフレ不況の症状すら見せている実体経済の惨状を反映した。党指令型経済モデルが破綻したのだ。

 中国は今年4~6月期の国内総生産(GDP)の実質成長率が年率で7%と発表している。党が目標とする水準そのもので、党官僚が明らかに鉛筆をなめた作文と言っていい。まともなエコノミストやメディアなら、どこも信用しないだろうが、残念なことに、北京の顔色を気にする日本の多くのメディアやエコノミストは「大本営発表」を無批判に受け止めている。

 そのインチキぶりを示すのがグラフの鉄道貨物輸送量である。同輸送量もGDPと同じく、中国国家統計局がまとめるのだが、李克強首相は以前に「GDPは作為的だが、鉄道貨物輸送データは運賃を基本に集計するので信用できる」と米国の駐北京大使に打ち明けている。輸送量は2014年初め以来、下がり続けている。今年6月までの12カ月合計を前年同期に比べると実に7・6%減である。

 消費者物価指数もなだらかながら、下落が続いている。中国は内需減退でマイナス成長の局面にあるとみてもおかしくない。もし、7%も生産が伸びているとしたら、莫大な過剰生産を続けているだけであり、企業は過剰在庫をさらに増やしているはずである。

 注目すべきは、人民元の実効相場である。実効相場はドル、円、ユーロなど他の通貨との交換レートを貿易量に応じて加重平均した値である。元相場は実体経済の下降とは対照的に上昇を続けている。円に対しては50%以上も高くなった。道理で、日本製品は超安になるはずで、日本へ爆買いツアーが殺到する。

通貨高、慢性的物価下落・不況というのは、まさしく日本の20年デフレと酷似している。中央銀行、商業銀行、国有企業さらに株式市場も党の指令下に置く以上、株価を引き上げるのはたやすいことで、個人投資家たちも「党が株価を上げてくれる」と信じたから、株価が急騰した。しかし、実体景気とのギャップがはなはだしいので、香港経由の外国人投資家が売り逃げしただけで、暴落した。

 日本を含む世界経済への影響は、上海株価そのものよりも、隠しおおせなくなった中国経済の惨状からくる恐れがある。中国の輸入市場は日本の2・5倍、米国の7割に達する。輸入額は14年秋から前年比マイナスとなり、対中輸出依存度の高い韓国、東南アジアなどの経済を直撃している。

 日本からの輸入も減り続けているが、中国輸入市場の不振は日本のアジアなど対外輸出全体のマイナス材料となる。また、流通業や自動車大手など対中投資を増やしてきた企業は泥舟に乗っているのも同然だ。日本としては、本格的なチャイナ・ショックに十分耐えられるよう、アベノミクスを巻き直すしかない。 

 

マックス・フォン・シューラー小林『アメリカ人の本音』について

この本の感想を言えば、「平易な英語で書かれ、意味が取りにくい所だけ日本語を読むようにすると英語の勉強にもなりますし、アメリカ人の歴史の味方、日本人への見方も分かって面白かった」です。英語は大変と言う人は日本語だけでも面白いですので是非お買い求めいただき読了戴ければと思います。なお、著者は日本に帰化しています。また昨日新刊を出しました。『「太平洋戦争」アメリカに嵌められた日本』です。また読んでみたいと思っています。

やはり、アメリカが世界的には一番悪いという思いを致した本でした。インデイアン虐殺、黒人奴隷、植民地主義、原爆投下、戦争好き等どうしようもない国です。でもそうはいうものの、中国と対抗するには米国と手を結ばねばできないくらい中国を大きく育てすぎました。愚かと言えば愚かですが、それが日本人の特質なんでしょう。変える訳には行きませんし、美点と思いますので直す必要はありません。でも懐疑的になるのは知的営みですので、リ-ダーはキチンとそれができるようにならないと。この本で米国が日本に敵意を持つのは米国のハワイ併合時、「浪速」艦長だった東郷平八郎が祝砲を打たなかったこと、警戒を強めたのは日露戦争に勝って白人を打ち負かしたからだとありました。

日本は7つの海を支配した植民地主義の権化の英国と手を結び、ロシアを戦争で打ち負かしました。現在の基準で言えば植民地主義なんて許される訳がありません。他国を収奪する訳ですから。(慰安婦も現在の基準で言えば許されませんが、現存するのに対し中韓は見て見ぬ振り、植民地主義は過去のものですが70年前の慰安婦同様どうして中韓は非難しないのでしょうか?)それでも英国と手を結んだのは生き延びるためです。明治の英傑の方がリアルに世界が見えたのに対し、昭和の軍人は勝てないと分かっていた戦争をしたのですから、道義的には人種差別撤廃・植民地解放を言って戦後実現させた歴史的意義はあるものの、知恵が足りなかったと思います。

著者は白人が日本人に対し思うのは「非白人(黄色人種のくせに白人に逆らう)、非キリスト教徒(蒋介石のように嘘を言って中国人の大半がキリスト教徒になるなんてことを言わない。今でもキリスト教徒は日本人口の1%くらい)」(=人間でない)であることと言っています。また「ユダヤ人(三菱マテリアルが捕虜に労働させた謝罪をさせたのはサイモン・ウイーゼンタール・センターの会場を使ったことからユダヤの圧力があったのでは?岡本行夫は三菱マテリアルの社外取締役ですが湾岸戦争時日本の支出した公金をくすねた悪い奴です。外務省は悪い奴が本当に多い。)、フェミニスト」を敵に回したとも言っています。アメリカは世界の中心で例外主義の国と思っています。女性もアメリカの中では男性より上と思っている人が多く、日本もそうあるべきなのにそうならないから、日本人を嫌っているとのこと。アメリカ人は傲慢、横柄で中国人に似ています。好きになれませんが、どちらを取るかと言われれば間違いなくアメリカを選びます。戦略の階層の上位概念の世界観が中国にはないからです。アメリカは少なくとも「自由、民主、人権、法治」と言った概念を守る国を増やしていこうとしています。中国は拝金教だけ。後は物凄い人権弾圧あるのみ。嘘も平気ですから。

この本を読んでアメリカ人の日本人に対する普通の味方が分かって良かったです。アメリカも歴史については真実を教えていないし、「勝てば官軍」「臭いものに蓋」をしているという事です。そういうアメリカ人の思いを利用して「慰安婦像」を立ててきたのでしょう。裏にはアメリカ人の許容する心があったと思います。真実を言えば、アメリカにも火の粉がブーメランのように降りかかるのに。別に中韓だけが反日の話ではありません。でも流石は中国、韓国を手先に使い、日米分断を図ろうとしている訳ですから。アメリカも中国の意図を見抜けないと。

日本は100%善意でなくとも大東亜共栄圏を夢見た訳です。それは欧米列強からアジアを解放することを意味しますので、植民地を失った白人は今でも日本を恨む訳です。当時の日本は中国を味方に付けたかったのでしょうけど、軍閥が割拠し、南京政府と重慶政府に分かれ結局汪精衛の日本は敗れ、蒋介石の欧米は勝ちましたけど、中国共産党に漁夫の利を与えました。中国人はいつでも裏切ることは覚えていた方が良いでしょう。三国志に良く出てきます。

この本の中に、真珠湾攻撃はsneak attackではないというのが出てきます。でも否定すると歴史修正主義者と言われます。アメリカも大人になれない民族だとつくづく思いますけど。キッシンジャーのthe cap in the bottle theoryのように日本を一番怖がっているから米軍を置いて監視しているのが実態でしょう。でも著者はアメリカの力は衰退していくので、日本がアメリカに日本式の一致団結で困難を乗り越えられるようにしてほしいと言っています。アメリカも中国同様干ばつが激しく、これでシエールオイルを掘り出すと水を莫大に使うので益々干ばつが起きると。日本が中心になって地球温暖化の問題を解決してほしいとも。小生は「核融合」が良いと思っていますが。

内容

Max Von Schuler-Kobayashi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

American lady see Japanese skull

 

 

 

 

 

 

 

American soldiers line up at hooker's house

 

 

 

 

 

 

P.85~96

Two reasons for the Japan-U.S. war

日米戦争の2つの理由

And here are the two major events that caused Japan and America to have a war. The American colonization of the Philippines, and the Christian missionaries desire to convert all of China to American Christianity.

The reader might notice that I don’t have any personal commentary in the last few pages. The reason is simple. Even today, the reasons Japan went to war are too dangerous to discuss with Americans.

ここに日本とアメリ力が戦争に至った二つの理由が有ります。 それは、アメリカのフイリピン植民地化と、アメリカのキリスト教宣教師が中国をキリスト教に改宗することを望んでいたことです。

この本の読者の方は、私がここ数ページ、個人的な意見を書いていないということにお気づきかもしれません。その理由は簡単です。現在でも、アメリカと日本が戦争を始めた理由を、アメリ力人とはっきりと議論する事は危険過ぎるのです。

Many Japanese people have a very fantasy land type idea of America. They think that in America, you automatically get freedom, and the right to speak and do as you please. Not at all. There are many rules and restrictions. There have to be. In Japan, there is a social common sense. Because Japan has a long history and culture, people intuitively know how to behave.

American history is about 1/10 of Japan’s. There has been no time to develop such a cultural common sense. And America is a land of immigrants. Each group has differing ideas of how a society should function. So in order to avoid chaos, America needs strong laws, and strong police to enforce them.

日本人の多くは、アメリカという国に対して幻想を抱いています。アメリカでは、皆自動的に自由を得られ、好きな話、好きな行動が出来ると思っています。全然違います。ル一ルと制限が多いのです。それらが必要なのです。日本では社会の常識があります。日本は長い歴史と文化がありますから、人々は直感的に分かっています。

アメリ力の歴史は日本の10分の1です。その社会に合う常識を醸成する時間が無かったですし、アメリカは移民の国です。各民族毎に社会的行動については違う考え方が有ります。その為、 社会が混乱に陥らない様に、アメリカには強い法律、強い警察が必要なのです。

When I was young and lived in America, I feared policemen. That is common sense in the USA. If you get involved with a policeman, it is involving serious trouble, somebody could get killed. To be fair, most Americans have guns. So a policeman or woman, seeing a problem, he or she never knows if they will be killed.

There are people who intentionally start fights to attract the police. When the police come, they kill them. That is why in most cities, there are certain neighborhoods where police will not answer calls, it is too dangerous.

私が若い頃に、アメリカに住んでいた時、警察苜が現れると怖かったです。アメリカでは、それは当たり前です。アメリカで警察官と関係するのは重要なトラブルですし、人が殺されるかも知れないことです。公平を期すため、警察官の立場から言うと、ほ とんどのアメリ力人が銃を持っています。ですから、事件が有れば、 警察官は自分自身が殺されるかも知れません。

時々、警察を呼び込む為に敢えて問題を起こす人がいます。そして、警察官が来ると、殺してしまうのです。罠です。そのため、アメリ力の各大都市には、非常に危険なため警察官が通報に応え ない地域が有ります。

Years ago when I was single and lived in New York City, I had an argument with my date on the street. Suddenly the police were there. I stopped, stood still, and slowly put both hands out in front of me. This was to show the police I had no weapons. 丁his is common sense behavior in America. If you move too quickly, they may shoot you.

In my situation, the police already had their hands on their guns. With me, they realized I was giving them control, they relaxed with me. My date started screaming at the police, that was the end of our relationship.

When 1 first came to Japan, I was also afraid of Japanese police. Simply because in America it is dangerous to be near police. But I gradually learned that Japanese police are very helpful, not at all dangerous to average people.

何年か前、私独身でニュ一ヨーク市に住んでいた時に、恋人と通りで言い争いをしました。突然、周りに警察官が集まっていました。私は動きを止めて、ゆっくり両手を私の前に出しました。 これで、私は警察に武器を持っていないことを示します。アメリ力でこのような行動は常識です。急に動くと、警察から撃たれる可能性が高いです。

私の場合、その時警察官はもう拳銃を手にしていました。そして私の出している手を見て、私が警察官に逆らう意思がないこと が分かりました。私がデートしていた彼女は警察官に叫び出し、それで私との関係が終わりました。

私は初めて日本に来た畤に、日本の警察を恐れていました。何故なら、アメリ力では警察官の近くに居る事は危険だからです。 しかし、徐々に日本の警察官は人を助ける存在で、一般の人にとって危険な存在では無いという亊が分かりました。

America is a country of constant violence and struggle. You have to constantly fight to maintain your position. And Americans believe they are the greatest people in the world, every other country is inferior to them. So if I would try to explain the true course of Japanese/American relations before the Pacific war, it would naturally involve a screaming argument, or even possibly a fist fight.

It takes incredible patience to discuss something with an American, and often it is impossible. Just last fall, I read in the Huffington Post electronic newspaper, instructions on how to win arguments with relatives at holiday dinners.

In November, there is Thanksgiving, and Christmas is in December. Many family members gather for the holiday dinner. And alcohol is there. It seems that there are so many family arguments, the Huffington Post, gave instructions on how to argue about topics such as Obamacare. Other very controversial topics are Global Warming, or religion.

アメリカは永遠に暴力と闘争の国です。自分の地位を守るために、いつも闘わなければなりません。アメリカ人は自分達が世界一素晴らしい国であり、世界の他の国々は自分達より劣っている と信じています。だから、もしも私が大東亜戦争前の日米関係の真実を説明しようと試みたら、それは怒鳴りあうような議論、或いは拳で戦うことになるかも知れません。

アメリカ人と議論する為には、本当に忍耐が必要ですが、それでも議論にならない場合が多いです。この前の秋に、ハフイント ンポスト電子新聞に、アメリカの祭日に食事をしている時の、親戚との議論の勝ち方を教えるという記事が有りました。

11月は感謝祭、12月にクリスマスがありますので、家族の皆が食事で集まります。そこにはお酒もあるでしょう。やはり家族同士での言い争いが多く、ハフイントンポス卜は色々なトピック、例えばオバマケアを議論する方法を説明していました。その他に特に論争となるトピックは、地球温暖化や宗教についてです。

So you can just imagine how I would do at an American holiday dinner, if 1 came up and said “American President Roosevelt goaded Japan, until Japan launched the attack at Pearl Harbor. He knew it was coming, and deliberately sacrificed old second class warships.”

That is fact of course. But there would be a lot of screaming. And of course if I tried to discuss the Comfort Women issue, or Nanking, and to explain that Japan is not truly an evil nation, and that America has it’s own nasty history, well, my host family would ask me to leave.

この事を想像して下さい。私がどこかのアメリカの家族に感謝祭の食事に招待されたとします。そこで、私が「アメリカのルーズベルト大統領は、日本が真珠湾攻撃を行なうまで、日本を扇動しました。そして真珠湾攻撃が行なわれる事を知っていながら、 敢えて古い2級戦艦数隻を犠牲にしました!」と言ったとします。 勿論、これは真実です。でも、アメリカ入とこのような話をすると、怒鳴られます。それから、慰安婦問題、南京事件などを説明しようとしたり、日本は本当に悪の国ではないと言ったりアメリカも悪い事を行なった事が有るという話をしたら、その家族は「帰ってくれ! 」と言います。

As a child, I always thought in WWII that it was strange that America was so emotional about China. China is very far away from America. And why did America take over the Philippines? As a child, these questions puzzled me.

For Japan, events in China were vital. They were right next door to Japan itself. In this sense, I can understand why Japan invaded China. China was chaotic, falling into internal disarray. Foreign powers were cutting out their own shares of China. If China became under foreign domination, Japan itself would be in danger.

私は子供の時にアメリ力で育ちながら、第二次世界大戦の時に、 アメリ力人が何故こんなに中国について感情的だったのか不思議に思っていました。中国はアメリカからとても遠いです。そして何故アメリ力がフイリピンを征服したのか?この問題で当惑していました。

日本の場合、隣の国なので、中国国内の状態は日本国にとって非常に重要でした。この部分で、日本が中国大陸に進んだ理由が分かります。中同国内の状態は、白人、キリスト教の強い国々が 中国を自国の植民地として分割していましたので大混乱していました。もし中国が外国に支配された場合、日本は危険だったからです。

Well Americans do the same thing. There is the Monroe doctrine. This states that no European power may interfere in Central or South America. The area is America’s to control. America forced a war with Mexico in 1846. All through the 1920’s American Marines fought in various Central American countries. These wars were called the “Banana Wars”, because they were often fought on behalf of American fruit companies. One of the United States Marine Corps most famous officers, Major General Smedley Butler, made a famous statement, ‘‘War is a racket’’ concerning this period.

アメリカ人も同じ事をします。モンロー主義という宣言が有りました。アメリカはこの宣言で、ヨーロッパの国は、中央アメリカ. 南アメリカには手を出すなと命令しています。この地域はアメリ力が支配している場所です。1846年にアメリ力が一方的にメキシコ戦争を始めました。1920年代、アメリカ海兵隊は中央アメリカの様々な国々で戦いました。そのほとんどがアメリカの果物会社の為に戦ったので、これらの戦争は、”バナナ戦争”と呼ばれました。アメリカの海兵隊の有名な士官、スメドレ一•バトラー中将は、この時代について、「戦争は詐欺である(多数の犠牲の上にごく少数の 資本家が莫大な富を得る詐欺である)」という有名な発言をしました。

So, we have increasing anti-Japanese feeling in America, a colony in the Philippines that is near Japan, and Christian missionaries throughout American society who feel that America must protect China from Japan.

そして、アメリカで反日の気持ちが高まっていたため、アメリ力社会の中では、日本の近くにあるアメリカの植民地フイリピンと中国を、日本から守らなければならないという考えを持っているキリスト教宣教師が数多く居ました。

Three Americans in charge

3人のアメリカ人戦争責任者

Now let us look at three people who helped push Japan and America into war. If I was to choose any one person with the greatest responsibility, I would choose Henry L. Stimson, who was greatly aided in his quest for war by President Franklin Roosevelt and Secretary of State Cordell Hull.

さて、これから、日米戦争開始に関してアメリカ人の、3人の責任者を考えてみましょう。誰が最も戦争責任があるか、一人を選ぶなら、ヘンリー•ステイムソン氏を選びます。ルーズベルト大統領とコーデル・ハル国務長官は戦争への作戦、道を探るのに彼にとても助けられたからです。

Henry Stimson had served as governor of the Philippines. That experience left him with several strong beliefs. This was the superiority of American protestant Christianity and the superiority of the White race. He believed that his two year term as Governor of the Philippines taught him everything that he needed to know about Asian people. This was a strong belief that Asian people need guidance from White people, and that White people should be strict with them.

Since Japan was an independent non White nation with a strong military, it was natural that Henry Stimson would have extreme dislike for Japan. He constantly engaged in intrigue to try to bring the United States and Japan to war. He is responsible for Japan leaving The League of Nations.

ヘンリー・スティムソン氏は植民地フィリピンの元総督でした。この経験で彼はいくつかの強い信念を持ちました。それは、基本的に、アメリ力のキリスト教のプロテスタントと白色人種が世界では上位であるという優越性です。彼は、自分のフィリピン総督の経験で、アジア人の色々な民族を全て理解することが出来たと信じていました。当時、白人の国では、アジア人は白人からの指導と厳しい扱いが必要である、という深い信念がありました。

日本は強い軍隊を持っている独立したアジアの国でしたので、ヘンリー・スティムソン氏が待つ日本に対する嫌悪感は当たり前でした。彼はいつも日米戦争になる様に陰謀を画策していました。 R木がW際連盟を脱退した事は彼の責任であると言えます。

He created a secret letter, which was read in the League of Nations assembly. The letter accused Japan of being an immoral nation. Japan being a proud nation, walked out. In American history books, this walkout is portrayed as proof that Japan was a nasty country. In those history books, there is no mention of Mr. Stimson’s provocations.

As Secretary of State under President Hoover, and as Secretary of War under President Roosevelt, Henry Stimson worked hard to portray Japan as an evil nation to American elites. And he succeeded. There was no other person in America who understood Japan, or could explain what Japan needed to survive.

彼は、日本は不道徳な国であると非難する秘密の手紙を書きました。そしてその手紙は国際連盟の議会で読まれたのです。誇りを持っている国、日本は国連を脱退しました。現在でも、アメリ力の歴史教科書で、この脱退は日本が悪い国である証拠として教えられています。その歴史教科書でヘンリー・スティムソン氏の陰謀の手紙が原因であるということは書いていません。

彼はフーヴァー大統領の下で国務長官、日米開戦時のルーズべルト大統領の下で陸軍長官で、彼は一生懸命、アメリカのエリートに日本が悪い国であるというイメ一ジを植え付ける為の努力を しました。彼は成功しました。そしてアメリカには、日本を理解している、或いは日本が生存する為に何が必要かを説明出来るアメリカ人は居ませんでした。

President Roosevelt had a strong affection for the American Navy. So it was only natural that he would regard the Japanese Imperial Navy as a rival. Also, his mother had lived in China, and had told him many romantic stories about China as a child. And Cordell Hull had felt from a young age that Japan should be restrained.

ルーズベルト大統領はアメリカ海軍に対して深い愛情を持っていましたので、日本帝国海軍をライパルと考える事は当然のことです。彼の母親は、中国に住んでいた事もあり、彼が子供の頃に、 中国についてのロマンチックな話をよく聞かせていました。 コーデル•ハル氏は若い頃から、日本を抑えるべきであるとの気持ちが有りました。

P.105~109

8 point plan to force Japan to start a war

日本に戦争を始めさせる8つの計画

So the US government came up with an 8 point plan to force Japan to start a war. This was very important for American planners. If Japan started the war, American provocations would go unnoticed.

それで、アメリカ政府が日本から戦争を始めさせる為の、8つの計画を考えました(海軍情報部極東課長のアーサ-・H •マッカラム海軍少佐が作成した「マッカラムの戦争挑発行動8項目覚書」参考文献236ページ参照)。これはアメリカ人にはとても大切なことでした。もし日本が先に攻撃を始めれば、将来、アメリカが仕掛けた日本に対する扇動であることが分からないだろうからです。

The steps taken to force Japan to war were:

この戦争を促す計画の実行ステップは次の通り:

1) An agreement was reached where America would have the ability to use British Naval ports, in particular Singapore, and in the Dutch East Indies.

1)アメリカが英国の軍港、特にシンガポールの使用について英国との協定 蹄結する。

2) An agreement was reached where America would have the ability to use base facilities and acquisition of supplies in the Dutch East Indies.

2)オランダ領東インドに有る基地を利用出来る協定をオランダと結ぶ事。

3) Support China’s Chaing Kai Shek as much as possible.

3)中国の蒋介石政府を出来るだけ援助する事。

4) Sending US cruisers on “pop up” cruises in the Western Pacific. To FDR’s thinking, to start a war, he was willing to lose 1 or 2 cruisers. For example, on July 31st, 1941, off the Imperial Naval base at Sukumo in Shikoku, two blacked out cruisers suddenly appeared. When challenged by Japanese destroyers, the ships fled.

4)東洋にアメリカ海軍巡洋艦艦隊を派遣する事(この巡洋艦の使命は日本の領海に浸入することでした。F •ルーズベルト大統領の考えは、戦争開始の為には、1隻か2隻を失うことも問題ない というものでした。例えば、1941年7月31日に四国の宿毛沖で 国籍不明の巡洋艦2隻が突然現れ、日本帝国海軍の駆逐艦2隻を挑発して逃げました)

5) Increasing the number of American submarines based in the Pacific.

5)太平洋の基地にアメリカ海軍の潜水艦を増やす事。

6) The permanent basing of the Pacific fleet in Hawaii.

6)太平洋艦隊をハワイに配属する事。

7) Forbidding the sale of oil to Japan from the Dutch East Indies.

7)オランダ領東インドから日本へ石油の販売を禁止する事。

8> Forbidding the sale of oil to Japan from America.

8)アメリ力から日本へ石油の販売を禁止する事。

Now, you just can not discuss this subject with most Americans.

I remember when I was a child, I calculated that the US fleet at Pearl Harbor was merely bait. The newest US battleships were on the East Coast, where there was no danger from Germany. The carriers were pulled out at the last minute.

When I discussed my idea with my father, I got punched in the face. He screamed at me that no US government would sacrifice US sailors. Actually, that is not true.

In fact, in his book “Day of Deceit: The Truth About FDR and Pearl Harbor” Robert Stinnett describes how US Naval Intelligence tracked the Japanese Pearl Harbor attack fleet on their way to Hawaii. If you mention this book to Americans, they get very angry, and claim the entire book is a falsehood.

アメリ力人とこの真実のことは、話をするが出来ません。 私が子供の頃、真珠湾のアメリカ艦隊は只の“囮”と推測していた事を覚えています。一番新しいアメリ力の戦艦は東海岸に有りましたので、ドイツからの危険性は有りませんでした。そして ワイから航空母艦はぎりぎりで撤退されていました。

この考えを父親に話をすると、彼は私の顔を殴り、アメリカ政府がアメリカの水兵を犠牲にするはずがないだろ!と怒鳴りまし た。実際には、それは本当の事では有りません。

『デイズ.オブ.ディシート(邦題:真珠湾の真実-ルーズべルト欺瞞の日々)』という本で、ロバ一ト•スティネット氏は、アメリ力海軍情報部局は真珠湾を攻撃する日本の艦隊を、択捉からハワイまでの移動を追跡して把握していたと書いています。この 本の事をアメリカ人と話をすると、とても怒り、すべて嘘であると叫びます。

Most Americans truly like war. I used to belong to a forum on the net called “Historic Battles”. It was a forum to discuss military history. Well, very quickly, I became very controversial. I argued that Japan had just cause to go to war. The Europeans would consider my views, but the Americans became very angry with me.

Then it was 2003 and America prepared to invade Iraq. I warned that it would be a disaster. The Americans on the forum howled that I should be banned from posting. Well, the moderators were European, so I was not banned.

One Jewish American fellow in New York claimed to have Israeli friends in Tokyo who could kill me. Because 1 was against the desire for war. The moderators got angry at that.

アメリカ入は本当に戦争が好きです。数年前に、「歴史的に有名な戦争」というネットフォーラムで、昔の戦争を議論しました。 すぐに物議を醸し論争になりました。私は大東亜戦争は日本が戦争を開始する理由が有った、という主張でした。ヨーロッパ人は私の主張を考え検討しましたが、アメリカ人はすぐに怒りました。

2003年、アメリカは徐々にイラクに侵略する為の準備をしました。私はアメリカがイラクを侵略したら、大惨事になるだろうと 警告しました。そのフォーラムのアメリカ人メンバ一は、私を参加禁止にしよう!と叫びました。まあ、モデレ一夕一たちはヨーロッパ人でしたから、私は参加禁止にはなりませんでしたが。

あるニューヨーク市に住んでいるユダヤ系アメリ力人が、東京にイスラエル人の友達がいると書いて、彼らに私を殺す依頼をすると書きました。何故なら、私はアメリカ人の戦争を始めたいという欲望に反対したためです。その脅しに対してフォーラムのモデレ一夕一たちは怒りました。

Well of course, the war did turn out to be a disaster. President Obama was forced to leave Iraq, under threat of more guerrilla war. He did try hard to stay. Americans left in the middle of the night, without telling their Iraqi counterparts.

And yes, there were some American commentators and pundits who were against the war. Mostly, they lost their jobs. And those who cheer leaded the war, who said it would be a Cakewalk? Mostly they are in think tanks, with a nice income.

This was a plan to destroy Japanese society. Even today, America seeks to dominate Japan.

勿論、その戦争は大慘事でした。オバマ大統領は撤退するしかありませんでした。もし撤退しなかったら、イラク人がまだゲリラ戦をアメリカに仕掛ける脅威が有りましたので。結局同盟のイラク軍に黙って、米軍は夜逃げをしました。

アメリカでは、イラク戦争反対の評論家、コメンテ一夕一がいましたが、現在、ほとんどの人は職を失いました。それでは、その戦争を応援した評論家とコメンテーターは現在どうなっているかというと、ほとんどの人は良い収入が有り、シンクタンクで働 いています。

もし、アメリカには日本に戦争を仕掛けさせる 8つのステップがあった、と言ったらアメリカ社会からは抹殺されるでしょう。 今でもこれは危険な議論なのです。

7/23日経ビジネスオンライン 鈴置高史『これが「卑日」だったのか――世界遺産妨害の次は天皇提訴』について

韓国人は下種な民族と言うのがやっと日本人も気が付いたのでは。メデイア(在日に乗っ取られているとも言われています)が如何に朝鮮民族を庇おうとも、心の賤しさを感じることでしょう。メデイアが庇えば庇うほど売り上げは下がっていくでしょう。日本人もGHQのWGIP(ウオーギルトインフォメーションプログラム)で世界に悪いことをしたと刷り込まれ、メデイアがそのお先棒を担ぎました。戦前・戦中は戦争を煽ったにも拘わらず。恥を知らない連中です。そういう媒体を有難たがっていることは真実から遠ざかることを意味します。

中華・小中華とも歴史を改竄・捏造します。歴史は政治の一部なので自分の都合よく解釈したものを自国民に教え、他国に強要します。といっても相手は日本だけですが。日本が簡単に譲歩するからです。宮沢・河野・村山・細川は売国奴として日本の歴史教科書に載る時代がやがて来るでしょう。WGIPに乗せられて民族の矜持を捨てた人間として日本人の記憶に残るでしょう。中国の浙江省杭州には秦檜、海南省の海口には東条英機の後ろ手に跪く像があり、中国人が唾を吐くとか死者を鞭打つことが当たり前の国です。汪精衛も蒋介石に売国奴として墓を暴かれ、爆破されました。汪精衛は日本、蒋介石は欧米と分かれ、日本側についた方が負けただけなのですが。敗者を労わる文化が中国にはありません。こういう国が道徳的に高みにあることはありません。韓国は中国>韓国>日本と道徳的に高い順になっていると考えているようですが、華夷秩序以外の何物でもありません。言って見れば人種差別以外の何物でもない。慰安婦で70年前の女性の人権を言う前に、現在の人種差別に思いを致せと言いたい。まあ、言っても無理でしょうけど。

次の標的は「天皇」とのこと、意味することは日本の歴史を否定することでしょう。500年続いた李氏朝鮮は1910年日韓併合で日本の一部になりましたが、王は存続しました。梨本宮方子妃と結ばれた李垠王です。日本の敗戦で王がいなくなった僻みもあるのでしょう。平和で心豊かな日本と違い、暗黒の歴史が長かったので、他者を妬み・嫉む哀れな民族です。どうして他者を貶めるのでなく自分を向上させることを考えないのでしょうか。未熟な国ですが、言われっ放しにすれば、世界では信じる国が出てきます。彼らは中華と共に賄賂文化ですので。やはり、中華・小中華共に経済を崩壊させないと。戦争になるよりその方がずっと良いでしょう。日本の経済界は日本製部品を輸出しないことです。WTOとの絡みでどうクリアするのかは役人が考えれば良いでしょう。農水省も韓国の農水産物輸入禁止をWTOに訴えるようですがもっと早くからやらないと。日本人は今は武器なき戦争の時代と言うのが分かっていません。中国が言う三戦(法律戦・世論戦・心理戦)です。法律を武器に戦わないと。

記事

韓国が世界で展開する「卑日」――。日本人はようやくそれを身を持って知った。

日本を貶め快哉叫ぶ

――世界遺産登録での韓国のやり口。あれが「卑日」だったのですね。

鈴置:多くの人からそう言われました。「『目下の日本』からドルは借りない――韓国は『反日』から『卑日』国家へ」で、韓国の「反日」は「卑日」に変容している――と説明しました。

 すると、かなりの人から「そんな、おおげさな。国を挙げて日本を卑しめ、快哉を叫ぼうとする国民がこの世に存在するなんて、想像できない」との感想が寄せられました。

 しかし、そんな人も「世界遺産事件」を見て「卑日は本当だったのですね」と言ってきました。

 「卑日」というのはたぶん私が使い始めた言葉なので、改めて定義しておきますと「世界を舞台に日本を貶めて快哉を叫ぶ韓国の国民的運動」です。

 韓国専門家の間ではけっこう有名な動きで「ジャパン・ディスカウント」(Japan Discount)と呼ぶ人もいます。

 一方、これまでの「反日」は「自分を見下す日本への反発」とでも言うべきものでした。表面は似ていますが、対応は完全に変える必要があるので、はっきりと区別すべきです。

大統領が歴訪先で糾弾

 さて「『世界遺産で勝った』韓国が次に狙うのは……」で触れたように、日本が明治の産業革命遺産をユネスコの世界遺産に登録するにあたっては2年前から韓国に根回ししていました。

 韓国政府はその時は別段反応せず、登録直前になって「朝鮮人が強制労働させられた場所だ。登録に反対する」と世界に訴えました。

 下村博文・文部科学相が2015年4月10日の会見で「昨年、一昨年と韓国の文化大臣に説明した。その時は特に反論はなかったのに……」と当惑を隠さなかったのもそのためでしょう。

 この韓国の行動は「卑日」からすれば当たり前なのです。世界で「日本は悪い国だ」と宣伝するチャンスが到来したのです。日韓の2国で話し合うなどという、もったいないことはできません。

 当然、ユネスコの場に持ち込んで日本の悪行を公開の場で糾弾すべきなのです。実際そうしましたし、そのためだけに外相を欧米に送りました。

 韓国外交部は「朴槿恵(パク・クンヘ)大統領も海外歴訪のたびに各国首脳に直接訴え、日本の強制連行を世界に認めさせた」と国民に誇りました。

 韓国の目的は日本の世界遺産への登録阻止や、「強制連行」の言質を日本からとるだけではありません。「日本は悪い国」というイメージを世界の人々に植え付けることにあるのです。

「卑日」は解決しない

――日本の外務省は「韓国に騙された」とこぼしています。韓国の主張した「forced labour」(強制労働)ではなく「forced to work」(働かされた)を使うことに6月21日の日韓外相会談で合意した。しかるにユネスコの会議の場で反故にされかけた――と言っています。

鈴置:そこで日本側が押し問答して、ようやく1日遅れの日曜日の7月5日に明治遺産の登録が決まったのです。

 外交を担当する役所でさえ「卑日」を理解していなかったということでしょう。韓国にとって、世界の人々の前で日本ともめて見せることが重要なのです。もめればもめるほど、「日本の悪行」を知らしめることができるからです。

 「卑日」と、過去の「反日」が異なるのは、まさにこの点です。いずれも「ごねる」という点では同じですが「反日」はモノなりカネなり謝罪なり、日本から何かを「得る」のが目的だった。だから日韓の2国間協議により、最後は折り合いをつけることもできた。

 でも「卑日」の目的は「何かを得る」のではなく「日本を貶める、卑しめる」ことにあるのです。他の国が見ている前で日本を叩く必要があるのです。

 そして問題は決して解決しないのです。今や韓国にとって「日本の存在」そのものが攻撃対象です。日本がどうしようと韓国は非難を続けます。

当たった木村幹教授の予想

 日本の政治家も外交官もいまだ、韓国を「反日国家」と考えている。だから昔ながらの2国間交渉でコトが済むと思い込んでいるのでしょう。「forced to work」という英語を使ってしのぐやり方も、昔の発想そのものです。

 これまで日韓両国政府は、協定なり条約の英語を自分の都合のいいように解釈し、それをそれぞれの国民に説明するという、玉虫色の解決方法を時にとりました。

 「世界遺産」の問題でも、ユネスコの会議の場で日本政府代表が使った「forced to work」を日本政府は「働かされた」という日本語に訳しました。一方、韓国政府は自国メディアに対し、この単語は「日本が強制性を認めたことを意味する」と説明しました。

 しかし今回は、それでは終わりませんでした。韓国の通信社はさっそく英語でこれを世界に伝えました(「『世界遺産で勝った』韓国が次に狙うのは……」参照)。

 福井県立大学の島田洋一教授は「英文で読んだ人は『強制連行』『強制労働』を思い浮かべることになる」「いわゆる慰安婦の強制性にも影響を与えるだろう」と懸念しました。

 神戸大学大学院の木村幹教授も「元慰安婦や元徴用工は米国で日本政府などを訴える準備を進めている。韓国は『forced to work』という英語を米国で十二分に活用するだろう」と予想しました。木村教授の予想は直ちに現実となりました。

日本の栄光に泥

――7月13日に元慰安婦が米国で日本を訴えましたね。

鈴置:これを報じた産経新聞の「『元慰安婦』が日本政府や本紙を提訴」によると以下の通りです。

  • 元慰安婦女性2人が、第2次世界大戦中に「性奴隷」の扱いを受けたことは人権侵害にあたるとして、日本政府や日本企業に2千万ドル(約26億円)の損害賠償を求める訴えを米サンフランシスコの連邦地裁に起こした。
  • 訴訟対象には、昭和天皇や天皇陛下、岸信介元首相、安倍晋三首相、戦時中に旧日本軍と関係のあった日本企業などのほか、産経新聞も含まれている。

 天皇を訴える――。韓国人にとっては「日本を卑しめ、快哉を叫ぶ」ための最高の手口です。2012年8月14日に、当時の李明博(イ・ミョンバク)大統領が「日王(天皇)が韓国に来たいなら、独立運動家にひざまずいて謝罪すべきだ」と発言、韓国人の喝采を狙ったのと同じことです。

 今回、ユネスコから世界遺産として認められた施設の1つである「松下村塾」に対しても、韓国人は「吉田松陰は朝鮮侵略を提唱した」ことを挙げ、攻撃し始めました。

 明治の産業革命遺産は日本近代化の成功の象徴です。松下村塾は明治維新の原点です。いずれも日本の栄光の記録です。

 それに何とか泥を塗りつけたい――と韓国人は思うものです。なぜなら西洋諸国が武力を持って東洋に押し寄せてきた時、韓国は近代化に失敗し日本の植民地に転落したからです。

卑しい根性から抜け出せ

 ただ「卑日」を危ぶむ韓国人もいます。匿名で自らの国を厳しく批判する韓国保守の論客、ヴァンダービルド氏です。

 趙甲済(チョ・カプチェ)ドットコムの「先進国になろうとするなら、卑しい習性から抜け出せ」(6月8日、韓国語)という記事の前文が以下です。

  • 日本が(明治の産業革命遺産の施設で)朝鮮人徴用を明記したら、むしろ我々は自尊心と子孫の体面を考え、その削除を要求するのが正常ではないのか。

 日本人の栄光を世界に示す施設で、植民地にされた韓国人の屈辱の歴史を公開されて何がうれしいのか――との憤りです。

 憤りの背景には、日本を卑しめて喜ぶ韓国人に対する絶望感があります。見出しの「卑しい習性」がその深さを示しています。

――例によって、この人の意見は少数派なのでしょうね。

鈴置:その通りです。多くの韓国人にとっては、屈辱の歴史を隠すことよりも、日本を世界で貶め、快哉を叫ぶことの方が重要なのです。だから、こうした意見は普通の新聞には載りません。

外交官離れした外交官

――「反日」はいつから「卑日」に転化したのですか?

鈴置:2010年前後からです。それまでも「日本を世界で卑しめよう、貶めよう」と行動する韓国人は散見されました。しかし、政府が音頭をとり、国民運動と呼べるほどに広範囲の韓国人が参加するようになったのはその頃からです。

 2011年に私は以下のような経験をしました。香港で開かれた国際シンポジウムで、韓国の外交官が突然、前後の脈絡とは関係なしに「慰安婦に関し謝罪していない」と日本批判を始めたのです。

 あまりの唐突さに参加者は白けましたし、司会者も困惑しました。しかし、この外交官氏は涼しい顔。出席した日本の外交官によると、この韓国人は各国の外交官が集まる場で必ず「日本は悪い国だ」と大声で叫ぶ「外交官離れ」した人とのことでした。

 この頃から「慰安婦像」を米国などで建立する運動が始まりました。それと並行して、米国の大学に留学した人が、クラスメートから「韓国人留学生が陰で『慰安婦』など日本の悪行を言い募っているよ」と言われるケースが増えました。

戦犯国家と決めつけ

 日本の旭日旗を「戦犯旗」と呼び、サッカー場に持ち込んだ日本人を糾弾するのも、韓国紙が日本を「戦犯国」と形容し始めたのも同じ時期からです。

 日本海表記を「東海」に改めさせる運動はその前からありましたが、これも激しくなりました。ことに韓国人は「日本海という呼称は日本が侵略に乗り出す過程で名付けた」と主張するようになりました。

 事実関係は完全に間違っているのですが「日本の悪行」を宣伝するためにも、日本海の呼称問題を使い始めたのです。

 2013年にスタートした朴槿恵政権は日本に対し「独島(竹島)領有権の主張を放棄せよ」との要求も打ち出しました。

 竹島は韓国が実効支配しているので、国際紛争化しない方が韓国は得なのですが、敢えて言い出したのです。これも「独島は日本の侵略主義により一時奪われた。日本の領有権主張は反省していない証拠だ」と世界に向け宣伝するのが目的です。

日本を見下すのは韓国だけ

 「日本を見下すのは世界で韓国人だけだ」――という文句があります。韓国のSNS(交流サイト)でよく見かけます。使われ方から見て、この文句が含む意味は3つあります。

(1)韓国は日本よりも優れた「上」の国である。 (2)しかるに、世界の人はそれを知らない。 (3)であるから、韓国が日本よりも「上」であることを世界中の人々に全力で知らしめねばならない。

 私の見た限りでは、この文句が流行るようになったきっかけは、2009年頃の韓国紙の1本の記事でした。内容は「韓国人が日本を見下すのを見て、第3国の人が驚いた」というものでした。韓国が日本よりも「上」である理由も、驚いた人の名前も明示されていない短い記事でした。

 そしてこの記事以降、「日本を見下すのは……」――という文句をあちこちで見かけるようになりました。韓国の空気をよく表すエピソードです。

米下院での勝利体験

――2010年前後から「卑日」が本格化したのは、その頃に「韓国が日本よりも上」との自信を付けたからですか?

鈴置:ええ、それが最大の理由でしょう。21世紀に入り、サムスン電子が日本の電機産業を圧倒しましたし、現代自動車も販売台数でトヨタに迫りました。2010年頃には韓国産業が日本を追い越し快進撃中、との認識が日韓で広まりました。

 それに同年の尖閣諸島の中国漁船衝突事件で、菅直人政権は中国にいとも簡単に屈しました。これが効きました。韓国ならずとも世界が日本の弱腰にあきれ果てたからです。

 韓国は「日本には何をやっても大丈夫」との空気が満ちました。2012年、李明博大統領も竹島に上陸した後「日本はもう恐れるに足らない国」との趣旨で発言しました。

 見落としてならないのは2007年6月に米下院で「従軍慰安婦に対する謝罪要求決議」が可決されたことです。韓国メディアは「官民が力を合わせて日本を屈服させた」と謳い上げました。

 「米下院での勝利」は米国を味方に付け日本を叩く――という手法を韓国が活用するきっかけとなりました。今年4月の安倍晋三首相の米議会演説を官民挙げて阻止しようとしたのも、相当な無理筋の話なのですが、この成功体験が背景にありました。

「日本との歴史戦に勝ち抜こう」

 2014年2月8日の朝鮮日報社説「東海表記、慰安婦 マンガ展で日本に勝とうとする民間の力」(韓国語版)は、韓国が米国の教科書に初めて「東海表記」を盛り込ませるのに成功した際に書かれたものです。

 「日本との歴史戦は長期戦になるが、団結して勝ち抜こう」と韓国人に呼び掛けています。骨子は以下です。

  • 韓国と日本は今、日本の侵略の歴史否定、独島(竹島)領有権主張、東海(日本海)表記などで世界のあちこちで争っている。どちらが普遍的で妥当な論理を持って世論を動かせるかに勝敗がかかる。長期戦になるしかない。
  • 米バージニア州は2014年7月から全米で初めて公立学校の教科書で「東海・日本海」表記を採用する。米国に住む韓国人、韓国系下院議員が大きな力を果たした。韓国政府も後ろから助けた。

東京五輪阻止に「放射能」

――韓国は今後、何をテーマに「卑日」してくるのでしょうか。

鈴置:「日本の栄光に泥を塗る」という卑日の趣旨から考えて、2020年の東京五輪を標的にする可能性があります。というか、すでにその誘致の段階から、韓国は妨害工作に出ていました。

 東京五輪が決まった直後に、中央日報が「韓国が2020東京五輪を喜ぶ2つの理由」(2013年9月17日、日本語版)という記事を載せました。

  • (2013年9月)6日午前、韓国政府は福島県など8県の水産物の輸入と国内流通を「9日」から全面禁止すると発表した。
  • 海がない内陸で韓国への水産物輸出実績が「0」の群馬・栃木県が含まれたのは、どういう理由か分からない。五輪開催都市確定のわずか40時間前に急いで発表したのも問題だ。
  • もし東京が落選したとすれば、韓国はすべての疑いをかけられたかもしれない。

 この記事にもあるように、韓国政府は福島の原発事故から1年半もたって日本の8県の水産物を「放射能汚染恐れがある」として輸入禁止にしました。日本はもちろん韓国でも、東京五輪阻止に向けた作戦と見る人が多かったのです。

 何せ、五輪開催都市を決める会議の直前、それも「フクシマの放射能汚染問題」が決定に影響しそうになった瞬間、韓国が「輸入禁止」を発表したからです。

 内陸県で韓国には水産物の輸出実績のない、群馬、栃木という「東京都に近い県」も対象にしたので、韓国の動きはさらに怪しいものに映りました。

日本の恨み買う

 東亜日報も同じ主張の記事を載せています。「韓日対立の最大の被害者は『在日同胞』」(2013年9月23日、日本語版)です。ポイントは以下です。

  • 日本産の水産物輸入禁止の発表時期は、多少残念だった。輸入禁止を発表した(2013年9月)6日は、2020年夏季五輪開催地の発表2日前だった。
  • 多くの日本人は、韓国政府が日本の五輪誘致を妨害するために意図的に6日に発表したと誤解している。もし、日本が五輪を誘致することができなかったら、非難の矛先が韓国に向けられるところだった。

――中央、東亜の両紙はなぜ、こんな記事を載せたのでしょうか。

鈴置:在日韓国人が「日本の足をあまりに露骨に引っ張ると、日本人の怒りが我々に向かう」と文句を付けたからと見られます。

 いずれの記事も東京特派員が書いています。後者では「最大の被害者は『在日同胞』」と見出しをとっています。

 在日韓国人から抗議された韓国の一部記者が「すぐに底が割れるような、露骨なやり方は避けるべきだ」と韓国政府に建議したのでしょう。

 さすがに「東京五輪の誘致を妨害するための水産物の輸入禁止」とは書けないので「日本人の誤解」ということにしたのでしょうけれど。

約束を破ってこそ「上」

――しかしまあ、実に丹念に他人の足を引っ張る国ですね。

鈴置:他人の足を引っ張る人はどこにもいますが、韓国社会はそれが極端なのです。ソウル特派員時代、韓国の識者をインタビューするたびに、必ず他の韓国人がその人の悪口を言ってくるので驚いたことがあります(「なぜ、韓国は東京五輪を邪魔したいのか」参照)。

 韓国人同士も日常的に激しく足を引っ張っているのですから、宿敵たる日本を貶めるのは不思議ではありません。

――とはいえ、韓国のやり方は露骨過ぎます。世界遺産の時も、約束を破ってまで日本を貶めようとしたのですから……。

鈴置:約束を破ってこそ「卑日」なのです。韓国社会では「上」の人は法律やルールを破ってよい。というか破ってこそ「上」の人と見なされるのです。

 日韓外相会談の約束も、破って見せてこそ世界に「韓国が日本の上にある」と示せると韓国人は考えたのだと思います。

 東京五輪に関してもそうです。韓国が露骨に邪魔しても日本は手も足も出ない――この姿を世界に示してこそ「韓国が上」となるのです。「卑日」の本質がここにあります。

7/22産経ニュース 『「一滴の血も流さず。6度の憲法改正で革命を成就」 李登輝氏の講演要旨』について

7/23TV東京の朝のニュース『安倍総理大臣と日本を訪れている台湾の李登輝元総統がけさ、会談しました。現職の総理大臣と台湾の元総統の会談は異例で、中国を刺激しそうです。安倍総理はけさ、李氏が宿泊する都内のホテルに1時間半ほど滞在していました。台湾と深い関係を持つ自民党議員は先ほど、安倍総理と李氏の会談を認めました。また、李氏本人もホテルを出る際、テレビ東京の取材に対し、安倍総理との会談を認めました。現職の日本の総理が台湾の元総統と会談することは異例で、中国の反発も予想されます。』と流されたのをFacebookで見ました。9月の首相訪中もこれで分からなくなりました。中国は会談のための3条件、特に「靖国参拝しないこと」を入れていますから、これで会うとすれば如何に習近平の経済の舵取りがうまく行ってないという事が分かってしまいます。日本は強気で出れば良いです。AIIB参加などもっての他。でも、次はダライ・ラマと会うようにすれば良いし、今チベットが中共から如何にひどい目に遭っているか伝えることにより、集団安保の重要性が日本国民にも「我が身」として感じることができるのでは。

アメリカも蔡英文と国務省高官が会ったくらいだから、中国に気兼ねしなくなったので、安倍首相も会えたのでしょう。中国の暴発を抑えるには多国間での封じ込めが一番良い。李登輝氏が言うように日台で協力して中国対抗策が出来るはずです。日中中間線に軍事基地と思しきものを作っていますが、日本側に妨害電波や潜水艦の進路妨害の基地を造るべきです。何もしないことが一番悪い。中国が文句言ったら「自分の分を先ず撤去せよ」と言う事です。勿論撤去しないでしょうから日本側は粛々と対応すればよい。ただ、中間線を認めて良いかという問題は残りますが。

外省人と雖も、民進党を支持する人もいます。勿論、中国の人権抑圧を見ていたら、中国が台湾を奪えば自分も抑圧される側になるかもしれませんし、台湾内部でも数の上で本省人の方が多いので、普通に考えたら今の世の中国民党が下々を考えず強圧的な政策や人権抑圧国家の中国に接近することは本省人の反発を受けますので国民党も馬総統のように露骨には出来ないと思います。

李登輝氏は日本の改憲に支援を送ったという構図であり、今度の集団安保にも支持表明したのだと思います。国民の理解が進んでいないと日本のメデイアは言いますが、理解を妨げるような報道をしているからでしょう。「中国の侵略にどう対抗するのですか?」と聞けばよいし、「中国に隷従するのですか?内蒙古・チベット・ウイグルのようになりますけどそれで良いのですか?戦わない限りそうなりますよ。一国で戦うより、多くの国を味方につけたほうが有利だし、抑止力となって戦争を防ぎます」と。えっ、「中国はそんなことはしない」ですって。「今の南シナ海、東シナ海でやっていることをどう考えますか?」と聞いてマトモに答えられる人がいますか?理解しようとしてないだけです。

中国人は相手がしたことに感謝し、相応の配慮をすることはありません。中華・小中華ともです。集団安保にについて中国向けとハッキリ言ってやればいいのに。オブラートに包んでもすぐ分かるし、相手は文句言ってナンボの世界の住人だから気にすることはありません。反日でデモ・略奪を国家命令でやるような国です。敵国であることは間違いありません。

記事

来日中の台湾の李登輝元総統(92)が22日、東京・永田町の衆院第1議員会館で行った講演の要旨は次の通り。

「台湾の国民党政権内部には保守と革新の対立、閉鎖と開放の対立、国家的には台湾と中華人民共和国における政治実態の矛盾があった。民主化を求める国民の声は日増しに大きくなっていた。これらの問題が抱える範囲は非常に広範だったが、その根本的な問題には台湾の現状に即していない中華民国憲法があった」

「これらの問題解決のため、私は憲法改正から始めるしかないと考えた。当時、私は国民党主席を兼務していて、国民党が国会で絶対多数の議席を有していた。ただ、問題は党内部の保守勢力だった。保守勢力は時代遅れの憲法への執着を隠さず、その地位を放棄することにも大反対だった。民主改革には耳を貸さず、ただ政権維持だけに固執していた。さらに国民党を牛耳る有力者たちは、いつの日か中国大陸を取り戻すという時代遅れの野望を捨てきれずにいた」「一連の民主化の過程で、いくたの困難にぶつかったが、終始国民からの支持を受けながら、経済成長の維持、社会の安定を背景に、ついに一滴も血を流すことなく、6度にわたる憲法改正によって静かなる革命を成就させた。常に人々が夜安心して眠れる社会にしたいと夢中で務めた12年間の総統だったが、まがりなりにも台湾に民主社会を打ち立てることができたのは私の生涯の誇りとするところだ」

「中国は『一つの中国、台湾は中国の一部』という主張を繰り返しているが、われわれは決して同意できない。台湾省を凍結して、事実上台湾省を廃止した。台湾は一つの省に過ぎないという虚構と矛盾におかれていた状況を放置していたら、いつまでも台湾と中国は一体であると国際社会に誤解を与えつづけるようなものだ。そこで、台湾と中国は別個の存在というアピールを込めての台湾省凍結を行った」

「半世紀以上も続いた中国と台湾の曖昧な関係をきちんと整理することで、台湾に長期の安定がもたらせるように考えた。台湾は特殊な状態に置かれている。政治の民主化、変革によって、空虚な大中国という伝統的アイデンティーに疑問が投げかけられた結果、主体性を有した台湾アイデンティティーという新しいパラダイムが生まれた」

「台湾には憲法改正を含む第二次の民主改革が必要とされている。改革を求める声は社会とともに若者たちの間から大きく上がっている。現在の中華民国憲法では総統は直接選挙で選ばれることになっているが、憲法上は権力の範囲にはっきりした規定は存在していない。権力の分離や権力の抑制を憲法にてらして、制限すべきだ。現在の台湾の総統の権力が大きくなりすぎている問題点を浮彫りにしたのが昨年の2月に起きた学生運動だ。密室協議で強引に中国とのサービス貿易協定を結ぼうとしていた政府に対して学生たちの怒りが勃発し、立法院の議場占拠という前代未聞の自体となった」

「一方で緊急事態条項も推し進めなくてはならない。日本でも東日本大震災から4年以上がたつが、迅速な救援活動を可能にするため、政府に一元的に権限を集中させる緊急事態条項が憲法上規定されていないという欠陥が指摘されている。中華民国憲法にも同様の問題点がある。大規模な災害発生時に憲法保障の空白が生じる事態を避けるために、このテーマを早急に改善する必要がある」

「今や第一次民主改革の成果は極限に達しており、台湾はまさに第二次民主改革が必要とされている。私は現在92歳。長く見積もっても台湾のために働けるのはあと5年ぐらいだろうと感じている。残りの人生は台湾により一層成熟した民主社会を打ち立てるためささげたい。台湾はこれからも、日本と同じく自由と民主主義という価値観を至上の価値とし、日本と手を携えて国際社会の発展のために貢献していきたい」

月刊正論 西岡力『日韓関係の悪化を喜んでいる者』について

西岡氏は韓国人に思い入れがありますが、大部分の日本人は突き抜けた感じがします。一般国民と政府・マスコミとを分けるのは中国共産党の日本軍と日本国民を分けた論理と一緒です。尊敬する西岡氏ですが、一般韓国人も含め日本人の感情が許さない所まで来てしまっています。世界で日本を貶めることを政府・マスコミ挙げて言い募り、しかも捏造ばかりです。嫌がらせを得意とするヤクザそのもの。ヤクザが好きな日本人が殆どいないのと同様、韓国人が好きな日本人は殆どいないのでは。

北の工作が奏功しているという見方もありますが、保守派も殆ど反日であるなら何をか況や。精神的未熟というか精神障害者ではないかと思います。それが世界の人々の思いで、Korean fatigue と言われる所以です。神社仏閣に油を撒いたのも在日から帰化した人間、NYTの大西哲光や田淵広子もそう言われています。韓国にルーツを持つ人間と韓国民が一体となって反日を世界に広めようとしているとしか思えません。やられっ放しには行きません。キチンと落とし前はつけさせましょう。まず、通名禁止、在日から帰化した人間は日本を貶める行為をした場合、帰化前の名前の公表、韓国との断交も視野に入れ、韓国との交易禁止にするとか、政府はできることを考えるべきです。軍事力では日本の方が圧倒していますので、平和的な制裁で首を絞めた方が良いでしょう。中国の属国と言うか中国の一部の省になった方が良いのでは。でもロシアが東欧に緩衝地帯を置くように朝鮮半島が緩衝地帯になっているので、属国のままかも。

昔の韓国人は日本の教育の名残があったから優れた徳を持った人もいたのです。今は見る影もありませんが。日本も変わりましたが、彼らのように自分ができないからと言って人の足を引っ張る事しか考えないことはありません。哀れな民族としか言いようがありません。でも世界に与える影響があるので反撃しないと。中国・韓国の経済成長で日本の果たした役割は大きかったですが、忘恩の徒です。まあ、両方とも「騙す人が賢く、騙される方が馬鹿」という価値観ですから。こんな連中と付き合うと碌なことはありません。日本の政治・経済のリーダーも中韓を見限るべきです。戦争をしたくないなら、両国に対する支援を止めるべき。

記事

 今年6月で日韓国交50年を迎えた。私事で恐縮だが、私は1977年大学3年次に1年間、韓国に留学した。留学準備期間を含めると私は、そのうち約40年間、韓国と日韓関係を研究対象としてきたことになる。40年間、多くの尊敬できる韓国人と出会い、たくさんことを教えていただいた。私の研究はそれ抜きには成り立たなかった。

 いま、日韓関係が悪化している。論者の中には最悪だという者さえいる。本稿で詳しく論じるように最悪ではないのだが、悪くなっていることは間違いない。

 心配なのは韓国人の反日ではない。それは北朝鮮とそれにつながる左派勢力によって人工的に作られたものだから、声高に聞こえるが実質はそれほど強いものではない。韓国の反日は、ソウルの日本大使館前と国会とテレビ・新聞の中にしかない、少し極端だがそれが私の実感だ。

 それに比べて、心配なのは日本人の嫌韓だ。韓国の反日の背後にある政治工作を見ず、その理不尽さをすべて韓国人の民族性・国民性に還元する議論の拡散を私は心配し続けている。事柄を形づくる要素のうち、一番最近に起き、かつ一番影響力が大きい部分を見ないで議論すれば、事柄の全体像を正確に把握することが出来ない。その結果、悪意を持って政治工作を行っている勢力だけが喜ぶことになる。

 本稿では日韓両国民の感情的対立、特に最近の日本人の嫌韓感情を作り出した主犯として、北朝鮮と韓国内左派勢力、そしてそれを煽る日本国内の反日日本人らが作り出した「韓国版自虐史観」あるいは「極左的民族主義歴史観」を提示する。そして、その歴史観がいつからどの様な形で日韓関係を壊してきたのかを時系列を追って示していきたい。

70年代の韓国で出合った気高き民族主義

 私の処女作『日韓誤解の深淵』(1992年亜紀書房刊)の前書きから話を始めたい。私は、日韓関係を心配して次のように書いた。読み返すと拙劣な文章で赤面するばかりだが、率直に思いを綴ったことだけは確かだ。

《1977年、当時大学3年生だった私は韓国の延世大学に交換留学生として留学した。在日朝鮮人差別問題のサークルの会員だった私は、日本人の一人として韓国の人々に過去を深く謝罪したいという気持ちで金浦空港に降り立った。

留学した当初は韓国語があまり出来なかったので、親しくなった友人とはブロークンの英語で話し合っていた。K君もその友人の一人だった。ところがK君は実は日本語が出来たのだ。私が少ない奨学金を工面して大学での授業以外に家庭教師を雇って韓国語の勉強をしているのを知った後、K君は日本語を使い始め私を驚かせた。それまで三、四回話したときはまったく日本語を分かる素振りすらみせなかったのに、である。私の韓国に対する姿勢をひそかに確かめていたのだろうか。

 私はさっそくK君に対し、英語では伝えられなかった私の気持ち、つまり、日本人の一人として植民地支配について謝罪したいと語った。すると彼は「力の強い国が弱い国を植民地にしたのは当時としては当たり前のことだった。我々が弱かったから侵略されたのだ。謝ってもらうべきことではない。国際社会はパワーがすべてだ。ぼくが今、日本語を勉強しているのも、うんと極端なことを言うと、もし将来日本と戦争になった場合、相手の無線を聞いて作戦を立てられるようになるためなんだ。日本語が分かる者がいればその分韓国のパワーを強めることになるからだ》

 私は彼の論理の明快さと自信に圧倒された。私が交換留学生としてソウルで暮らした77年から78年にかけて、日本の安易な謝罪を拒否し自民族の弱さを直視してそれを自分たちの努力によって補おうという気高き民族主義に出合うことが多かった。

 78年3月1日、3・1独立運動記念日でソウル市内の至る所に韓国の国旗である太極旗が掲揚されていた。私は韓国人の友人P君と大学街を歩いていた。一人の幼稚園生くらいに見える男の子が門柱から垂れ下がっていた太極旗を棒でたたいて遊んでいた。それを見たP君が大きな声で「国旗をないがしろにしたらだめだ」と叱りつけた。

 そして、私の方を向いて「お前の家には日の丸があるか。日本ではいつ国旗を飾るのか」と聞いてきた。うちには国旗がない。また、日本では公立小学校や中学校の卒業式に日の丸を掲げることを反対する声が強い等と説明すると、P君は「日本人は愛国心がないな。先日の新聞を見ると日本の若者の過半数が戦争になったら逃げると答えていた。俺はもし自衛隊が竹島を取りに来たら銃をとって戦うぞ。お前も日本人なら愛国心を持って日本のために戦え」とまじめな顔で言われたことを今も鮮明に覚えている。相手国の民族主義をも尊重する健全な民族主義、愛国心を、私は韓国で学んだ。

このような誇り高い民族主義は、1965年日韓国交正常化を推進した朴正煕大統領が持っていたものだ。朴正煕大統領の演説からいくつかの名言を紹介しよう。まず、朴正煕大統領の率直な反日感情とそれにもかかわらず「自由と繁栄のための賢明と勇気」を持って決断を下すと語った1965年5月18日、米国ワシントンDCのナショナル記者クラブでの「自由と平和のための賢明と勇気」演説からだ(『朴正煕選集・主要演説集』鹿島研究所出版会)。

《韓日会談が14年間も遅延してきたことは、みなさんよくご存じのことと思います。それには、それだけの理由があるのでありまして、外交史上いかなる国際関係にも、類例のない幾多の難関が横たわっているのであります。

 周知のとおり、いま韓国には、韓日問題について、極端論をふくむありとあらゆる見解が横行しております。もしみなさんがわたくしに『日本について…』と質問されれば、わたくしはためらうことなくわたくしの胸に鬱積している反日感情を烈しく吐露することでありましょう。またみなさんがわたくしに『親日か』、『反日か』ときかれるならば、わたくしの率直な感情から言下に『反日だ』と答えることでありましょう。これはいやしくも韓国人であれば、誰でも同じことであります。四十年にわたる植民統治の収奪、ことに太平洋戦争で数十万の韓国人をいけにえにした日本は、永久に忘れることのできない怨恨を韓国人に抱かしめているのであります。

 それにもかかわらず、そしてこの不幸な背景と難関をのりこえて、韓日国交正常化を促進せねばならない韓国の意志にたいして、みなさんの深いご理解を期待するものであります。われわれは、より遠い将来のために、より大きな自由のために、より高い次元の自由陣営の結束のために、過去の感情に執着することなく、大局的見地において賢明な決断をくだしたいと考えるのであります》

 次に紹介するのは1965年6月23日、韓日条約に関する韓国国民への特別談話からだ。

《去る数十年間、いや数百年間われわれは日本と深い怨恨のなかに生きてきました。彼等はわれわれの独立を抹殺しましたし、彼等はわれわれの父母兄弟を殺傷しました。そして彼等はわれわれの財産を搾取しました。過去だけに思いをいたらすならば彼等に対するわれわれの骨にしみた感情はどの面より見ても不倶戴天といわねばなりません。しかし、国民の皆さん! それだからといってわれわれはこの酷薄な国際社会の競争の中で過去の感情にのみ執着していることは出来ません。昨日の怨敵とはいえどもわれわれの今日と明日のために必要とあれば彼等とも手をとらねばならないことが国利民福を図る賢明な処置ではないでしょうか。(略)

 諸問題がわれわれの希望と主張の通り解決されたものではありません。しかし、私が自信を持っていえますことはわれわれが処しているところの諸般与件と先進諸国の外交慣例から照らしてわれわれの国家利益を確保することにおいて最善を尽くしたという事実であります。外交とは相手のあることであり、また一方的強要を意味することではありません。それは道理と条理を図り相互間に納得がいってはじめて妥結に至るのであります。(略)

 天は自ら助ける者を助けるのであります。応当な努力を払わずにただで何かが出来るだろうとか、または何かが生まれるであろうとかという考えは自信力を完全に喪失した卑屈な思考方式であります。

 今一部国民の中に韓日国交正常化が実現すればわれわれはまたもや日本の侵略を受けると主張する人々がありますが、このような劣等意識こそ捨てねばならないと同時にこれと反対に国交正常化が行われればすぐわれわれが大きな得をするという浅薄な考えはわれわれに絶対禁物であります。従って一言でいって韓日国交正常化がこれからわれわれによい結果をもたらすか、または不幸な結果をもたらすかということの鍵はわれわれの主体意識がどの程度に正しいか、われわれの覚悟がどの程度固いかということにかかっているのであります》

日韓で真逆だった国交への反対理由

 朴正煕大統領が進めた日韓国交正常化交渉に対して、韓国内では激しい反対運動が起きた。私は修士論文のため、韓国の反日の論理を調べたが、その一環として当時の反対論をかなり集めて分析した(拙稿「戦後韓国知識人の日本認識」、川村湊・鄭大均編『韓国という鏡』収録)。

野党と言論はほぼ反対一色、学生らは街頭に出て激しいデモを行った。それに対して64年に戒厳令、65年に衛戍令を布告して軍の力で押さえつけて正常化を決めた。自分は反日だと断言する朴正煕大統領が、そこまでして日本との国交を結んだ背景は、北朝鮮とその背後にあるソ連、中国という共産陣営に対する危機感があったからだ。特にその頃、中国は原爆実験を成功させ、国連で支持国を増やして近い将来、中華民国から国連議席を奪う見通しだった。東アジアの自由陣営にとって大きな脅威になりつつあった。

 その点は当時の韓国内の対日国交正常化反対運動も認識を一致させていた。反対の論理は大きく2つだった。第1は、韓国の民族的利益が十分確保されていないという批判、すなわち過去の清算が不十分であり、再び日本の経済的侵略を受けるおそれがあるという議論だった。第2は、日本が反共の立場にきちんと立たず、二股外交、北朝鮮やその手先である朝鮮総連への配慮、優遇を止めていないという批判だった。

 一方、日本国内の反対運動は、韓国の反対運動と重なり合う部分が全くなく、真逆の立場からのものだった。韓国の反対理由の第1の点については、逆に日本の利益が侵されているという主張が多かった。すなわち、過去清算で韓国に譲りすぎであり、竹島不法占拠を事実上認めているなどだった。当時、社会党議員が国会で朝鮮からの引き揚げ者がおいてきた莫大な財産について言及して対韓経済協力が大きすぎると批判し、労組の反対デモでは(経済協力資金を)「朴にやるなら僕にくれ」というスローガンがあった。そして、与党自民党もこの点は内心、同じ考えを持っていた。

 韓国の反対運動の第2の論点、反共の立場については、日本の反対運動は米国の戦争戦略に巻き込まれるとして、烈しい批判を展開していた。それに対して、自民党政府は「釜山に赤旗が立てば日本の安全保障に重大な危機が来る」として、反共韓国への支援が日本の安全保障に繋がると主張した。

 こうしてみると、日韓国交正常化は、両国内の民族的利害を主張する反対論を、両国政府が反共自由陣営の結束という安全保障上の共通認識で押さえ込んだものと言える。

当時の韓国は朝鮮戦争で共産軍からひどい扱いを受けた体験を土台にした反共意識が強く、反共法などで国内の左翼活動を厳しく取り締まっていた。ところが、日本では1960年に日米安保反対運動が国民運動として大きく盛り上がるなど、国内で反米左翼勢力や中立の志向する勢力が一定程度、力を持っていた。だから、共産陣営という共通の敵の存在によって、日韓両国が民族的利害を相互に譲歩して国交正常化を進めたのに対し、日本国内の左派が内部から反対するという構図があった。それについて朴正煕政権が国内の反対運動に答えるために1965年3月に発行した『韓日会談白書』はこう書いた。拙訳で引用する。

《自由陣営の結束

 最近のアジアの情勢とベトナム事態の流動的国際情勢の激変をあらためて列挙しなくても、自由陣営の結束はそのどの時期よりも最も至急に要請されているのが事実だ。(略)

 日本も変遷する国際情勢と中共の急速な膨張に対処するため自由陣営が結束しなければならず、特に極東において共産勢力の脅威をもっとも近距離で受けている韓日両国が国交正常化を通じて結束しなければならない必要性、ないしは不可避性を認識していることを物語っていた。

 韓日両国が国交を正常化することは、ただ韓日両国だけでなく全自由世界の利益に符合している。

 これがまさに米国をはじめとする友邦国家が一斉に韓日交渉の早期妥結を強力に希望している理由であり、同時に中共、北傀[北朝鮮の傀儡政権の意味・西岡補]、および日本の左翼勢力がいままで韓日会談の破壊工作を執拗に展開してきたもっとも大きな理由なのだ》

共産陣営に甘かった日本政府

 日韓関係はその後も、共通の敵に対する日本側の態度の甘さに韓国が反発し、揺れ続けた。ところが80年代に入ると、韓国国内では、急速に広がった左傾自虐史観によって共通の敵をむしろ擁護する勢力が急成長し、日韓の動揺の幅がいよいよ大きくなっていった。昨今の韓国の執拗な反日外交とそれに対する日本国内の嫌韓感情の増大は、この枠組みで見ないと全体像が理解できない。

 まず、70年代までの日韓関係をこの構図から概観する。韓国保守派随一の知日派である洪ヒョン・元駐日大使館公使は、日韓国交50年間を振り返り、関係悪化の根本原因は1965年の国交正常化の際、日本が韓国を半島における唯一の合法政府だと認めなかったことだと指摘する。

中共と国交を結んだとき日本政府は台湾との関係を断絶した。中共側が強力に要求した「1つの中国」という主張に譲歩したのだ。しかし、自由陣営の結束という共通の利害をから行った日韓国交において日本は、最後まで「2つの朝鮮」の存在を認めることに固執した。すなわち、韓国の憲法では韓国の領土を韓半島とその付属島嶼と規定しており、韓国政府は日本に対して基本条約でそのことを認めるように要求していた。その結果、基本条約第3条は「大韓民国政府は、国際連合総会決議第百九十五号に明らかに示されているとおりの朝鮮にある唯一の合法的な政府であることが確認される」とされている。

 一見すると韓国の主張が通ったかのようだが、国連総会決議を引用することで日本は韓国の主張を巧妙にかわした。この決議は、韓国政府を、1948年5月に国連の監視の下で行われた選挙によって成立した半島の「唯一合法政府」と定めたものだ。北朝鮮地域を占領していたソ連軍と北朝鮮を事実上支配していた人民委員会(委員長金日成)は国連監視団の入境を拒否したため、選挙は38度線の南に限定して行われた。日本のこの条文解釈は、「北朝鮮地域については何も触れていない」というものだ。従って、日本が北朝鮮と国交を持たないでいることと第3条は関係がない。「第3条の結果としてそうなったり、そうする義務を法律的に負うのではない」(外務省条約局条約課の見解。『時の法令別冊日韓条約と国内法の解説』大蔵省印刷局1966年)

 この解釈の結果、事実上、わが国政府は日本を舞台にした韓国政府転覆活動を放置することになった。韓国では憲法の規定にもとづき、政府を僭称する団体などを反国家団体として位置づけ、その構成員や支持勢力を処罰する国家保安法という法律がある。同法第2条は反国家団体を「政府を僭称することや国家を変乱することを目的とする国内外の結社又は集団として指揮統率体制を備えた団体」と規定している。同法に基づき国家情報院(朴正煕政権下では中央情報部と呼ばれていた)が反国家団体などを取り締まっている。朝鮮民主主義人民共和国だけでなく、日本にある朝鮮総連と韓民連(在日韓国民主統一連合、1978年に指定)も反国家団体とされている。反国家団体の首魁は最高死刑と定められていて、韓国の法体系の中で重大な犯罪者だ。ところが、日本政府は国内で活発に韓国政府を転覆することを目的として活動する2つの「反国家団体」を放任してきた。

その結果、70年代に入り、野党大統領候補だった金大中氏が半亡命状態で日本に滞在し、朝鮮総連と背後で繋がりながら民団を分裂させようとしていた在日韓国人活動家らと韓民統(後の韓民連)を結成する動きを見せたときも、日本当局はそれを放置していた。事実上の亡命政権的組織が東京で出来るかもしれないと危機感を持った中央情報部は韓民統結成の直前である1973年8月、金大中氏を東京のホテルで拉致して強制的に韓国に帰国させる事件を起こした。韓民統は金大中氏不在のまま、彼を初代議長にして発足した。

 当時、日本外務省は、韓国の実定法に反する反国家活動をしていた金大中氏を保護していた(外務省が身分保障をして赤十字社にパスポートに代わる身分証明書を発給させ、ビザを与えた)。白昼、日本国内のホテルから自国の政治家を暴力で拉致した韓国情報機関の乱暴なやり方は許されないが、その背後には日本外務省が金大中氏の日本での韓国政府転覆活動を裏で支援して自由陣営の結束を乱し、ともに戦うべき相手である北朝鮮を有利にしたことがあった。

 金大中拉致事件の翌年1974年8月には、日本を実行拠点とする重大テロ事件が起きた。文世光事件である。在日韓国人文世光は朝鮮総連生野支部政治部長の金浩龍らによって洗脳され、大阪港に入港した万景峰号の船室で北朝鮮工作機関幹部から朴正煕を暗殺せよとの指令を受けた。文は大阪の交番から盗んだ拳銃と偽造した日本旅券を持って訪韓し、独立記念日の行事会場に潜入して朴正煕大統領に向けて拳銃を撃ち、大統領夫人らを射殺したのだ。

 韓国政府は朝鮮総連と関連地下組織に対する徹底した取り締まりを日本に求めたが、日本政府は事実上それを拒否した。総連は捜査を受けず、文を洗脳した総連幹部も逮捕されなかった。それどころか、日本マスコミは朝鮮総連の宣伝に乗せられてむしろ韓国政府批判のキャンペーンを行った。朴正煕政権による自作自演説が報じられさえした。国会では外務大臣が「韓国に対する北朝鮮の脅威はない」と答弁した。韓国では反日デモ隊が日本大使館になだれ込むという前代未聞の事件が起きた。朴正煕大統領は一時、国交断絶も検討したという。

 横田めぐみさん拉致を国会で最初に取り上げた西村眞悟前議員は、この事件で日本当局が総連を捜査しなかったため、その後次々と日本人が拉致されたのだと以下のように鋭く追及している(「西村眞悟の時事通信」電子版2013年12月20日)。私も全く同感だ。

《問題は、日本のパスポートと日本警察の拳銃を所持して日本から出国し隣国に日本人として入国して大統領を狙撃するというほどの事件であるにもかかわらず、また、金正日が認めるまでもなく、事件当初から朝鮮総連の関与が明白であるにもかかわらず、何故日本政府(田中角栄内閣)は、朝鮮総連の捜査をしなかったのか、ということである。

 昭和四十九年の時点で、この捜査を徹底しておれば、その後の拉致は無かった。宇出津事件も横田めぐみさん拉致もなかった。そして、大韓航空機爆破もなかったのではないか。(略)

 しかし、朝鮮総連をアンタッチャブルとしようとする政治家の政治的思惑が最も大胆かつ露骨に捜査よりも優先したのは、明らかに文世光事件であった。

 以来、内閣が替わってもこの思惑は生き続け、大統領狙撃指令に使われた北朝鮮の万景峰号も何事も無かったように北朝鮮と我が国をいろいろな物資と人物を乗せて往復し続け、朝鮮総連も何事もなかった如く現在に至る。そして、日本人は国内から忽然と拉致され続けたのだ》

 文世光事件も日本人拉致事件も日韓の共通の敵である北朝鮮政権によって引き起こされたテロである。ところが、70年代に日本が反共姿勢を曖昧にして利敵行動をとっていたため、文世光事件の結果、日韓関係が悪化し、日韓の当局の協力が弱くなり日本人拉致を防げなかったという、日本の国益に反する事態が生まれた。

 この日本の利敵行動は全斗煥政権になっても続いた。北朝鮮の脅威に対する危機感からクーデターで政権を握った全斗煥将軍らは、レーガン政権が進める世界規模での共産勢力に対抗する軍拡路線に参与するため、韓国軍の近代化を行うことを計画し、そのための資金援助を日本に求めた。そのとき、日本外務省は「全斗煥体制は、軍事ファッショ政権」だとして経済協力に反対した。当時の外務省の内部文書(1981年8月10日付外務省文書「対韓経済協力問題」。小倉和夫『秘録・日韓1兆円資金』講談社に収録)は次のように反対理由を挙げた。

《(一)全斗煥体制は、軍事ファッショ政権であり、これに対して日本が財政的てこ入れをすることは、韓国の民主化の流れに逆行するのではないか、とくに、金大中事件が完全に解決していないまま、かつ政治活動の規制がきびしく実施されている現在、韓国に対して経済協力を行うことは、日本の対韓姿勢として納得できない。

(二)韓国への経済協力は、韓国への軍事的協力のいわば肩代わりであり、日・韓・米軍事同盟(強化)の一環として極東における緊張を激化させる。

(三)南北間の緊張が未だ激しく、南北対話の糸口さえ見出しえない現在、その一方の当事者である韓国のみに多額の経済協力を行うことは朝鮮(半島)政策として理解しがたい》

 この文書に表れている外務省の認識の決定的欠陥は北朝鮮政権の位置づけがないことだ。朝鮮戦争を起こして300万人を死亡させ、その後も繰り返し韓国へのテロを続けるだけでなく、日本人拉致を行っていたテロ政権の脅威と、それとの対抗のために完全なる民主化を遅らせざるを得ない韓国政治の実態を完全に無視する容共姿勢に驚くばかりだ。

 自由陣営の一員として共産主義勢力を共通の敵とする意識は全くない。この時点で外務省は日・韓・米軍事同盟の強化に反対していたのだ。全斗煥政権がファッショならそれを支援する米国レーガン政権の外交をどう評価するのか、いや、北朝鮮政権をどう評価するのかという根本的観点の欠落こそが、日韓関係悪化の第1の要因だ。

韓国の反日外交の始まり

 日米韓同盟強化は日本にとって望ましくないという歪んだ容共姿勢は、少しずつ改善されてきた。特に90年代後半、韓国情報機関が人道的観点からある意味超法規的に日本に提供してくれた横田めぐみさん拉致情報により日本は北朝鮮の脅威に目覚めはじめた。そして、中国の急速な軍事的台頭を目の当たりにして現在の日本は、限定的ながら集団的自衛権の行使を可能にする大きな政治決断をしながら日米韓同盟の抑止力を強化する方向に動き出した。

 これに逆行して「共通の敵」への姿勢がおかしくなってきたのが韓国である。始まりは80年代に遡る。全斗煥政権は上記の日本の容共姿勢に業を煮やし、中国共産党と日本内の反日左派勢力と手を組んでその圧力で経済的支援を得ようとする歪んだ反日外交を開始した。日本軍慰安婦などの歴史問題で日本を糾弾している現朴槿恵大統領の中国との「共闘」の原点とも言える。

 1982年、日本のマスコミの誤報から始まった教科書問題で中国と歩調を合わせて韓国が外交的に日本を非難しはじめたのだ。問題の発端は「(旧文部省が)検定によって政府が華北への侵略を進出と書き直させた」という誤報だったが、いつの間にか韓国では「韓国・中国への侵略を進出と書き直させた」とする2つめの誤報がなされた。それなのに、鈴木善幸内閣は謝罪し検定基準を直して韓国、中国の意見を教科書基準に反映する異例の措置をとった。外務省は文部省の反対を押し切ってそれを推進した。

その後、中曽根政権が40億ドルの経済協力実施を決めた。中国と組んだ韓国の対日歴史糾弾外交は成功して多額の経済協力が決まったのだ。これ以降、韓国政府は日本マスコミが提供する反日事案を外交案件としてとりあげ、テーブルの下で経済支援を求めることをつづけた。

 1992年1月、宮沢総理が訪韓した際、盧泰愚政権は朝日新聞などが行って作り上げた「強制連行」説に乗っかって首脳会談で宮沢総理に謝罪を求め、宮沢総理はそれに応じて八回も謝罪した。このときも、駐日大使などが首脳会談で慰安婦問題を取り上げることに反対したが、経済部署が日本からの技術協力などを得る手段として取り上げるべきだと主張したという。

 全斗煥大統領は韓国内で演説して、植民地支配を受けた原因である自国の弱さを直視しようと訴えるなど、朴正煕大統領とつながる健全な民族主義の精神を持っていた。日本から学ぶべきことは多いという認識も持っていたという。盧泰愚大統領も慰安婦問題の実態を実は理解しており、日本のマスコミが韓国国民感情に火をつけたと、正鵠を射る指摘をしていることは関係者がよく知っている事実だ。

 韓国政治研究の泰斗である田中明先生は韓国の反日が「拒否する」反日ではなく「引き寄せる」反日だと次のように述べている(田中明『遠ざかる韓国』晩聲社)。

《誰それがけしからぬというとき、われわれはそういう手合いとはつき合わぬ(拒否する)選択をするが、韓国の場合は違う。「汝はわれわれの言い分をよく聞いて反省し、われわれの意に副う・正しい・関係を作るよう努力せよ」というおのれへの「引き寄せ」が流儀である。それは一見・主体的・な態度に見えるかもしれないが、詰まるところは、けしからぬ相手の翻意に期待する他者頼みの思考である》

 他人のせいにせず自己の弱さを直視する朴正煕大統領や私の留学時代の友人K君の「反日」とは全く違う甘えをそこに感じざるを得ない。それが積み重なって韓国は日本人から尊敬心を得られにくくなっている。

 その後、金泳三大統領時代から歴史糾弾外交の目的が変化した。それまでは経済支援が目的だったが、1995年、金泳三大統領が江沢民総書記と会った後に猛烈に展開した反日外交は、国内での自身の支持率を上げることを目的としていた。金泳三大統領はそのとき、日本人指導者のポリチャンモリ(生意気な頭の中)を直すと語り、竹島近海で軍事演習を行った。その年の夏村山談話が出た直後の出来事だから、日本が謝罪をしないからでなく、韓国の内政上の目的があればいつでも反日が利用されることが明らかになった。

李明博大統領の竹島上陸強行や朴槿恵大統領の反日告げ口外交も同じ文脈から理解できる。その意味で、日韓関係を悪化されている2つめの要素は全斗煥政権以降始まった「引き寄せる反日」外交、すなわち日本からの支援や内政上の人気回復のためのパフォーマンス外交を挙げざるを得ない。

反日パフォーマンスを支える従北自虐史観

 しかし、国交正常化50年を迎えても、反日パフォーマンスが支持率上昇につながるという韓国社会の状況は、自然にできあがったものではない。70年代末以降、北朝鮮とそれにつながる韓国内左翼勢力が作り出した反日自虐史観が韓国社会を強く束縛していることが、その根本に存在する。これが私の考える3つめの日韓関係悪化要因である。そして、この呪縛から韓国社会が抜け出せなければ、今後の日韓関係はより一層悪化し、韓国が自由主義陣営から抜けて、具体的には韓米同盟を破棄し、中国共産党の影響下に入るか、北朝鮮テロ政権主導の統一が実現するという悪夢の可能性さえ存在すると私は危機感を持っている。

 韓国社会をここまで反日に縛り付けた契機は、1979年に出版された『解放前後史の認識1』という1冊の本だった。それまで韓国の学生運動や反体制運動には容共反米は存在しなかった。反日の半分は、日本の容共的姿勢を糾弾するものだった。ところが、朴正煕大統領が暗殺された年に出たこの本は、その枠組みを大きく揺り動かす歴史認識を若者らに植え付けた。

 巻頭論文を書いたのが宋建鎬だ。彼は長く新聞記者として朴正煕政権を激しく批判してきた反政府活動家で、1980年全斗煥政権下、金大中氏らとともに逮捕された。彼は反日を入り口にして、大韓民国は生まれたときから汚れた国で、北朝鮮こそ民族史の正当性の継承者だという当時の学生らに歴史観のコペルニクス的転換を求める「解放の民族史的認識」と題する論文を書いた。その結論部分を訳しておく。

《この論文は、8・15が与えられた他律的産物だったという点から、我が民族の運命が強大国によってどれくらい一方的に料理され、酷使され、侮辱され、そのような隙を利用して親日派事大主義者らが権勢を得て愛国者を踏みつけて、一身の栄達のため分断の永久化を画策し、民族の悲劇を加重させたかを糾明しようとするものだ。過去もまた今も自主的であり得ない民族は必ず、事大主義者らの権勢がもたらされ民族倫理と民族良心を堕落させ、民族の内紛を激化させ、貧富の格差を拡大させて腐敗と独裁をほしいままにし、民衆を苦難の淵に追い込むことになる。民族の真の自主性は広範な民衆が主体として歴史に参与するときだけに実現し、まさにこのような与件下でだけ民主主義は花開くのだ。

このような観点からすでに半世紀が過ぎた8・15が一体どのように民族の正道から逸脱して行って、それによって民衆がどの様な受難を受けるようになったのかを冷静に糾明しなければならない必要性が生まれるのだ。このような糾明はけっして過ぎた歴史の糾明でなく明日のための生きた教訓になるのだ。8・15の再照明はこのような点で今日のための研究だといわなければならない》

 論文の中で宋は、韓国の建国の父である李承晩を徹底的に攻撃している。李承晩は手段方法を選ばない権力主義者で、米国をバックに日本の植民地統治に協力した親日派を取り込んで分断の固定化に繋がる韓国単独政府を樹立し、親日派処分を妨害し、土地改革を遅延させ、日本統治時代に利益を得ていた地主勢力と結託した--。

 宋らが提唱した自虐史観の中心にあるのが、実は「親日派」問題だ。ここでいう親日派とは、単純に日本に親近感を持っているという意味ではなく、日本の統治に協力して民族の独立を阻害した勢力という意味だ。「解放前後史の認識」は80年代に韓国学生街で大ベストセラーになった。79年から10年がかりで刊行された6巻のシリーズで合計100万部売れたという。盧武鉉大統領も弁護士時代に同書を手にして雷に打たれたような衝撃を受けたという。その歴史観を李榮薫ソウル大教授は以下のように要約している。

 「日本の植民地時代に民族の解放のために犠牲になった独立運動家たちが建国の主体になることができず、あろうことか、日本と結託して私腹を肥やした親日勢力がアメリカと結託し国をたてたせいで、民族の正気がかすんだのだ。民族の分断も親日勢力のせいだ。解放後、行き場のない親日勢力がアメリカにすり寄り、民族の分断を煽った」(『大韓民国の物語』文藝春秋)

 この歴史観に立つから、金日成が民族の英雄となり朴槿恵大統領の父親、朴正煕大統領は日本軍人出身だとして「親日勢力」の代表として非難されるのだ。そしてこの歴史観は、日本国内の左翼反日自虐観と呼応していることは言うまでもない。

 そして恐ろしいことに、この歴史観は北朝鮮が一貫して維持してきた対南革命戦略と見事に一致している。北朝鮮は韓国を植民地半封建社会と規定し、まず米国帝国主義とそれに寄生する親日派勢力を打倒し、地主を追い出して農民を解放し、その後、社会主義革命を行うという2段階革命論をとってきた。宋らが6巻のシリーズで主張した韓国社会認識はまさにこの土台の上に立っている。北朝鮮の工作がそこに入っていないとみるのはあまりにナイーブな考え方だろう。

この歴史観は90年代以降、各界各層に浸透し、現在使われている韓国の小、中、高校で使われている歴史教科書もこの歴史観にもとづき書かれている。2005年以降、一部の実証主義学者らが教科書改善運動を開始したが、彼らが執筆した歴史教科書は今も、採択率ゼロだ。

 朴槿恵大統領はまさに親日派の娘という批判を一番恐れている。その政治的資産は選挙に強いことだった。父親に対する絶対的支持層が彼女の基礎票となり、その上に若者らの票をいかに積み上げるかがこれまでの政治活動の根底にあった。だから、朴槿恵大統領は反日自虐史観に正面から対決せず、それと迎合し続けている。慰安婦問題は自虐史観派にとって格好の材料となっている。朴槿恵大統領が慰安婦問題に取り組まないと、慰安婦問題を抜きに日韓国交を正常化させた親日派の朴正煕の悪業を隠蔽しているという理屈が成り立つからだ。もちろん、当時を生きていた誰もが慰安婦の強制連行などなかったことを知っており、だから韓国は日韓国交交渉で一度も慰安婦問題を持ち出さなかったのだ。

 自虐史観派から激しく非難されている李承晩大統領は「悪質的な独立運動妨害者以外に親日派はありえない」「倭政の時にいくら警察官だった人でも建国事業に参加して大きい功績をたてればその人はすでに親日派ではない。著しい親日経歴がない人でも日本語をしばしば口にして日本食が好きで日本にしばしば行き来し、日本が再進出してくることを待つ人ならば彼らこそ清算される親日派だ」と繰り返し明言しつつ、日本時代に教育を受け実務経験を積んだ官僚、軍人、警察官らを建国過程で使い続けた。それが大韓民国建国に役立つと信じたからだ。この李承晩の信念を李栄薫教授は「建国のための未来指向的な精神革命としての親日清算」と呼んだ。

 朴槿恵大統領がその立場に立てば、北朝鮮の世襲テロ政権を共通の敵として歴史観や領土問題等をお互いに譲歩し合う、50年前朴正煕大統領が築いた日韓友好関係に戻ることは十分可能だ。すでに韓国内の自由統一を目標としている趙甲済氏ら健全な保守勢力はそのような立場から日韓関係の改善を提起している。

 50年前もそして今も、釜山に赤旗が立つことは日本の安全保障にとって最悪のシナリオだ。韓国が反日自虐史観を清算して自由統一を迎えるのか、あるいは、自虐史観に飲み込まれ北朝鮮の思うつぼにはまっていくのか、まだ勝負はついていない。

(東京基督教大教授 西岡力)

※この記事は月刊正論7月号より転載しました。

 

7/22日経ビジネスオンライン 福島香織『習近平は尖閣諸島を奪うつもりだった 対日強硬路線変化の背景』について

「自民感じ悪いよね」と民主にプラカードで揶揄されるような人間は自民党総裁にはなれないでしょう。これだからリベラルと言われる石破はダメなのです。利敵行為でしょう。彼は一度自民党を出ていますので、古くからいる自民党議員からは信用されていません。2012年総裁選で党員込の選挙では安倍さんに勝ちましたが、議員選挙で負けたのは信用してない議員が多くいるという事です。彼が総理になったら、中韓には譲歩に次ぐ譲歩をするでしょう。根性なしです。後ろから鉄砲を打ってでも、自分を良く見せたい人間なので。

この文書が真実のもの(田中上奏文の偽書よりは本物に見えます)であるなら、軍事的に尖閣を奪い取ろうとしていたことが分かります。米国と協調して日本を孤立化する作戦だったのでしょうが、それがうまく行かなかったため、日本に擦り寄るように方針転換したのでしょう。台湾の馬英九は流石に中国人だけあって、共産党とも手を組むつもりだったのでしょう。でも来年1月の総統選で国民党の洪秀柱は民進党の蔡英文には勝てません。2期8年の国民党の馬の舵取りがひどすぎたので、国民党が勝てるとは思えません。洪を勝たせたら、ひまわり学運が無意味になりますので。

安倍首相の9月訪中はよくよくアメリカと内容を擦り合わせてから会談に臨まないと。アメリカも金を貰って来たオピニオン・リーダー達が中国離れを起こしてきているので、日本を中国の味方に付けようと思っているのでしょう。それができなくとも米国を日本に対し疑心暗鬼にさせれば、ゲームは中国の勝ちと思っていることでしょう。「騙される方が賢く、騙される方が馬鹿」という国柄ですから、注意に注意をしないと。善意は彼らには通用しません。小中華の韓国の世界遺産のようなことが起きないようにしませんと。

記事

香港で昨年秋に出版されたゴシップ本の一つに『習近平内講話』(広度書局)がある。習近平が党中央内部で行った2009年9月から2014年9月までのいくつかの講話原稿をまとめたもの、という。八・一九講話(習近平のイデオロギー政策に関する通達、これを外国メディアに漏らしたとしてジャーナリスト・高瑜は逮捕された)など、いくつか本物らしい裏のとれる原稿が含まれており、とりあえず細切れの時間に、暇つぶしに読むくらいの価値はありそうである。

 習近平の新南巡講話とか20世紀に共産党が行った戦争の回顧と反省など、なかなか面白い。その中で、興味を引くのが2012年9月13日付の「第18回党大会前の時局においての個人的見解」と題した、胡錦濤、温家宝および江沢民、李鵬、朱鎔基、喬石ら同志・長老宛てに送った手紙の中にある「対日対米に関する見方」である。

 これはちょうど習近平が「謎の失踪」(2012年9月1日~14日)によって、ヒラリー・クリントンら要人との面会をドタキャンして、様々な憶測を呼んだころの日付となっている。多くのメディアでは水泳中、プールサイドでめまいをおこし、転んで背中をけがしたと報じられている。だが、実際はこのとき、習近平はけがを理由に2週間の休暇をとり、ブレーンの一人の王滬寧と二人で、この手紙を書いていたそうだ。一応、手紙を本物と仮定して、対米、対日観についてどう描いているか要約してみよう。

2012年秋の習近平は親米路線

 まず、対米観についてこう書いてある。

 「将棋の上手同士の対局においては、一手一地に重きをなすのではなく、最終的に勝つのが目標です。この世界の対局において、それは平和安定と発展の維持です。米国は現在の国際国内において基本的に安定しています。そこをはっきり認識する必要があります。中米の過去および将来には少なからずの矛盾はあるでしょうが、第二次大戦以来、特に改革開放以来、中米の共同利益と協力路線が主流を占めています。中米に摩擦、矛盾、ときに闘争があるのは常態であり、避けることはできません。しかし、世界の歴史のプロセスにおいて、違う国情、違う理念信仰によってお互いを誤読することには、人為的、有意無意の妖魔化成分が含まれます。

 認めなければいけないのは、両大陣営が対立していた冷戦期間において、我々の宣伝攻勢が民衆を誤って(米中は対立していると)導いてしまったことです。これは米国よりもひどい状況です。我々党と政府は宣伝機関としてメディアをコントロールしていますが、米国は全民の思想・言論をコントロールできません。今年の米国総統選の両党候補に関しても、お互いを攻撃しあい、これに対する民衆の反応もさまざまです。

 我々は米国を誤解誤読し誤った判断をしてはならない。もちろん米国の主流民意および政治家が民衆を誤解誤読しないように当然望んでいます。(双方が誤解すれば)中国にとっても米国とってもやっかいなことです。中米は交流を保ち、協力的であること、これは世界の趨勢であり両国人民の根本利益のあるところだと、我々だけでなく、両国民衆にも認識させることです。

 近年来の台湾海峡の平和的安定関係の発展は米国の理解と支持を得ています。これは胡錦濤同志が主導的に推進されてきたことです。台湾と米国、両者は分けて考えられません。

 米国、欧州の近年の経済危機は、我が国が影響を受けるだけではありません。我が国の積極的な協力と自身の発展が、米国欧州の基本的な社会の安定に寄与するのです。このことは、米国の有識者もわかっているでしょう」

2012年9月の段階で習近平は、親米路線を推し進める方針だったようだ。逆にその時の対日観はなかなかきびしい。

 「現在の最大の変化の要素は日本の騒動でしょう。日本は長期の経済低迷に、天災人災が相次ぎ、社会存亡の危機に見舞われています。右翼勢力の台頭、戦後の国際秩序への挑戦をしています。日本政府が釣魚島を『国有化』するなど、これは愚かな行動の一例でしょう。我々は、アジア太平洋と世界の平和環境、秩序維持、国内の発展のために、かなり我慢して譲歩してきましたが、最近の事態はがまんの限界です。釣魚島は東海の中国大陸棚の資源に関係するだけでなく、国家の長期的戦略的経済利益に関係します。また、中華民族の近代から現代にいたる屈辱的な歴史と民族の痛みにも関係します。我が国民衆の民族の自尊、国家の尊厳、国家領土主権の防衛という正当な要求のほか、社会の各種矛盾、積怨、不満の爆発のはけ口も見つけることができます。我々がもし、(人民の不満蓄積に対する)正確な処理を導き果断に政策を決定することができなければ、その結果おきることは、想像に耐えられません。五四運動爆発の歴史は我々だけでなく、日本人、米国人もはっきり覚えているでしょう。ですから、我々は一定の民意に従い、同時に正確に誘導し、日本が運んできたこの重い石を、自分の足の上に落とさせるようにしましょう。我々が提案するのは以下、七つの方針、策略です。

日本に重い石を落とさせる七つの策略

【1】国内の反日デモは抑えつけない。しかし秩序と文明理性を堅持するよう導く。日貨の打ちこわし、その他騒動も恐れることはありません。なぜなら、我々が愚かにも自分でその胸を突き出さないかぎり、民衆は公に矛先を我々に向けることはありません。

【2】米国との協調を徹底し、お互いが戦後国際秩序を守る立場で、日本の軍国主義と拡張主義復活に対する警戒を喚起する。

【3】台湾と密接に接触し、共同で釣魚島は中国の主権にあると宣言する。具体的には両岸で共同保護、両岸三地(中国、台湾、香港)民衆、漁民による非暴力形式の中国主権の主張。民間の自発形式をもちいて、千万の漁船を派遣して釣魚島付近で作業させてもいい。必要であれば日本の艦艇を何隻か包囲する。もし、両岸三地の人員が日本側に拘束されたり、生命や財産に損害を受けた場合、両岸政府が協調して、両岸三地公民の保護、救出のために一切の管轄権利を行使する。

【4】国連に正式なプロセスにのっとって、釣魚島の主権を訴える。必要なときには、国連および関係国際機構に、この問題に対する討論表決を行うよう働きかける。同時に外交攻勢をしかける。米国があえて釣魚島帰属問題に対して日本に肩入れするような明確な表明をしないという前提のもと、本当に公の立場で日本の味方になる国家は暁の星ほど少ないでしょう。

【5】日本に対する強硬な外交姿勢を強め、経済貿易制裁など有形無形で発動する。中国経済が一時的に悪影響を受けるかもしれませんが、わが党の執政と安定性には大きな圧力とはなりません。むしろ抗戦の歴史および民族的情緒から、わが党の指導に対して説得力をもたらし、わが党の力量と体制の擁護と支持に結びつくでしょう。

【6】軍事的な釣魚島防衛の準備をする。日本が「国有化」を進めるならば、台湾方面と強調し漁民漁船作業の保護の名義で軍艦を釣魚島付近に派遣します。米国の態度があいまいなままであれば、日本は孤立するので、その海域で軍事演習を行います。

【7】宣伝部に大胆に世論を開放させ、釣魚島問題に関する民衆の言論を開放させ、公式メディア上で討論をさせる。これは我が国の公民言論思想の自由開放に向けた段階的実験となり、米国や日本の民主の規範にも符号しており、同時に米国、日本に我々の最終的狙いが何かを知らせずにすむでしょう」

 このほか、党の歴史観や党員の信仰問題などについて「個人的意見」をまとめて、目下は政治局にこの文書を送らないで、みなさんと討議したい、と手紙は結ばれている。

さて、仮に2012年9月の第18回党大会前に、習近平が、米国とともに戦後国際秩序の守り手として、軍国主義復活を企てる日本を追い詰めていく戦略を頭に描いて、こんな手紙を書いていたとしたなら、やはり彼はたいそう国際社会の現実を知らない外交音痴の人であったかと思う。結果から言えば、中国は「戦後国際秩序の守り手として米国と協調する路線」から、「米国に対抗する中華秩序圏のアジアにおける樹立」に方針変更したし、日米の離反を狙った外交・宣伝工作は失敗し、米国のアジア・リバランス政策を引き起こし、尖閣諸島(釣魚島)で作戦を仕掛ける前に南シナ海問題で米中の対立を先鋭化させた。”両岸三地共同の釣魚島防衛”など、ひまわり、雨傘運動で消し飛んでしまった。

「安倍は中国の政治を変えさせた」

 そして2014年秋からは180度方針を転換し、むしろ日本に積極的にアプローチしてきている。春節には日本での「爆買ブーム」を比較的肯定的に報道し、フェニックステレビでは6月、安倍晋三の単独インタビューを比較的好意的な編集で流し、「安倍は中国に好意的」といったシグナルを発信した。最近では、安倍の密使として訪中した谷内正太郎には、首相の李克強が35分の時間を割いて会談すると言う厚遇ぶりを見せた。9月初旬には安倍が再度訪中するかもしれない。

 2012年秋から2015年の今に至る変化の最大の背景は、習近平の見立ての悪さ、あるいは外交的失敗、あるいはクリミア問題など国際情勢の変化であると思う。だが、その次くらいの要因は安倍外交の成果ではないかと思っている。習近平が当初、日米を離反させ日本の孤立化を進められると判断したのは民主党政権のありさまを見たからである。その日米関係を立て直し、少なくとも中国に、安倍政権は長期化する可能性ありと判断させたことが、中国の対日強硬路線を変化させたといえる。しかも、その変化は、安倍政権が(少なくとも表向きは)中国に擦り寄った結果ではなく、むしろ中国の態度軟化に見える形となった。

今年5月から6月にかけて中国を訪れたとき、偶然にも複数の中国人記者や知識人から、安倍晋三に対するかなりポジティブな評価を聞いた。「リアリストである」「中国側の官僚からは、手ごわい相手だと思われている」「中国が日本の政治家の態度を変えさせることは多かったが、中国の態度を変えさせた日本の政治家はほとんどいない。安倍は中国の政治を変えさせた珍しい例」といった感想だ。

 私が日本人だから、リップサービスを半分以上含んでいるとしても、かなり高評価ではないかと思う。

外交音痴同士なら尖閣有事の危機

 さて、安倍政権は、多くの国民の反対を押し切って安保法案を成立させた。採決のとき、野党は「自民感じ悪いよね」「安倍政治を許すな」とプラカードを掲げて抵抗した。

 だが、この習近平の手紙に、中国最高指導者の本音が含まれているのだとしたら、日本が米国の庇護から離れれば、中国はすぐさま実力行使にでて、釣魚島を奪いに来るつもりでいる、ということでもある。習近平は外交音痴ではないかと先ほどいったが、当時の民主党政権も相当の外交音痴に見えたので、あのまま民主党政権が続いていたら、ひょっとすると習近平政権が当初描いていた日本孤立化作戦は成功し、尖閣有事が起きていたかもしれない。

 世論調査の民意にも憲法学者の意見にも耳を貸さずに、強引に安保法案を成立させた安倍政権は確かに感じが悪いし、また「戦後レジームからの脱却」を期待していた人からみても、米国追従型の政治は不満の残るものかもしれない。が、政治の現場での現実的な判断というのは、だいたい多くの人の理想どおりにはいかないものだろう。支持率が下がるのも仕方あるまい。ただ私個人としては、この不安定な国際情勢下で日本の舵とりを任せるなら、感じのいいポピュリスト政治家よりも、感じの悪いリアリスト政治家の方でよかったかと思っている。(=文中敬称略)

7/19産経ニュース 渡邉 哲也『広告から見る朝日新聞の経営状況』について

昨日に続き、朝日新聞です。百田尚樹が「沖縄の2紙は潰した方が良い」と言って問題になりましたが、もっと問題なのは朝日新聞でしょう。全国的に影響を与えられるという点で。権力を使って、強制的に潰すのは営業の自由に抵触します。勿論、表現・言論・出版の自由にも抵触しますので、不買と広告中止でしか対抗できません。小生の感覚で言えば朝日新聞なんて猥褻図画と同じレベルで、精神的な自虐という情欲を催させるだけのyellow paperです。Quality paperなんてチャンチャラおかしいです。左翼にありがちな、知的誠実さにかけます。嘘を言っても頬かむりして、知らん振り。こんな新聞が売れていることが信じられません。まあ、読むのは個人の自由ですが。でも「天動説」を信じるようなものでしょう。

朝日新聞に対し企業の広告も減っているようで悦ばしいことです。企業に取ってみれば他社と比べ高い広告費を取っていたので(20年以上前の記憶ですので今がそうかどうか分かりません。済みません)、これ幸いで朝日に広告出さなくなったのではと思います。まあ、各新聞社押し紙が2割もあるのでは馬鹿らしくて、新聞広告は減らそうと思うでしょうけど。

「歴史を鑑」とするのであれば朝日新聞の戦争責任について自己批判しなければならないでしょう。すぐに他人の責任にするのは欧米・中韓と一緒です。この場合は帝国軍人の責任ですが。煽ったのは自分たちと言うのをコロっと忘れています。「恥を知れ」と言いたい。戦前は部数を伸ばすため戦争を煽り、戦後はGHQの給紙に従うため反戦を唱える不節操なメデイアです。良く調べた方が良いです。

記事

穴埋め広告が急増

私は経済評論家なので経済的側面から朝日新聞を考えてみたい。

朝日新聞とは「株式会社朝日新聞社」が発行する日刊の商業紙である。朝日新聞社は株式会社形態を取る「営利を目的とした私企業」にすぎない。

その収益は、読者の払う新聞の購読料と「広告収入」により成り立っている。新聞社の最も大きな収益源は販売店に手数料が入るチラシではなく、本紙に印刷されている「本紙広告」ということになる。

基本的に、新聞の広告代金は時価であり、明確な定価が存在するものではない。しかし、一応の目安は存在し、朝日新聞の場合、全面(15段)で4000万前後というのが朝日新聞社側が提示している参考価格ということになる。

この価格は年間の出稿回数や曜日、何面に掲載するか、期日の指定があるのかなどにより、いかようにも変動する。要は需要と供給の市場原理で決まっているわけである。 簡単に言ってしまえば、朝日新聞に広告を出したいと思う広告主が多ければ高くなり、少なくなれば安くなるわけである。

また、突然広告主が降りてしまったり、広告が集まらなくなった場合、これが「タダ同然」で販売されるケースも存在するのである。いわゆる穴埋め広告である。その意味では新聞広告というのは、新聞社の経営の健全性を測る一種の目安になるといってよいのだろう。

では、どんな広告が高いのかということになる。基本的に期日の決まったカラー広告は高い。例えば、何かのイベントに合わせた企業のイメージ広告や新発売に合わせた新商品の広告などがそれにあたる。

このような広告は単価も高いため、上場企業など有名企業でなければなかなか出せない。このような広告が多ければ新聞社の経営がうまくいっていると見て良いのだろう。

逆にどのような広告が安いのかといえば、

1.健康食品などの通販広告

2.旅行会社などの広告

3.書籍などの出版物の広告

ということになる。新聞の紙面がこのような広告であふれていたら、経営的には黄色信号と見て良いのだろう。一番危険なのは、系列会社や自社イベントの広告や社会啓蒙などの公共広告である。これは広告主が集まらず、穴埋めのために仕方なく入れた広告である可能性が高いからである。

実は、新聞に掲載することが出来る広告スペースは法律や規定で決まっている。新聞は郵便料金が安くなる第三種郵便の承認を受けており、この規定により全紙面の50%までとなっているわけである。

公職選挙法により、選挙報道を行うにはこの第三種郵便の承認を受けている必要があるため、事実上、紙面の50%に制限されているのである。

どこの新聞社も最大限の利益の確保のため、このギリギリのラインを広告スペースにしているわけだ。朝日新聞の場合、平均で40ページ程度なので20ページ分が広告スペースとして確保されているわけである。

新聞社の営業はこのスペースを埋めるために必死に営業を行うわけであるが、どうしても埋まらない場合、先ほどの穴埋め広告で誤魔化すしかなくなるわけである。単純に考えれば、広告が集まらないならば、記事を増やすことで対応すればよいのであるが、政治部や社会部など部別にある程度枠が決まっており、これを変えるのは簡単ではない。

また、年間の使用量に合わせ紙やインクを確保している為、紙面を減らすのも容易では無いのである。

朝日新聞には紙面を減らせない別の理由も存在する。なぜなら、全国紙の他紙よりも高いからである。競合する読売と毎日新聞が一部130円 産経新聞が110円であり、朝日は150円である。他紙よりも高い以上、ある程度のボリュームがなければ今以上の割高感が出てしまうからなのである。そのため、広告主がいなくなると穴埋め広告が増えるわけである。

昨年、朝日新聞問題が起きた時、穴埋めと思われる子会社の広告が急増した。これは広告主が企業イメージの悪化を恐れ、広告出稿を取りやめたことに起因するものと思われる。

また、このような子会社の広告にはもうひとつの問題も存在する。いくら子会社とはいえ、別法人である以上、広告費を払っているはずであり、これが朝日新聞の売り上げとして計上されているものと思われる。

これを悪用すれば、一種の売り上げの粉飾も可能なのである。100%の連結対象であれば、最終的に親会社子会社の間で利益と経費が相殺されるため、最終的には調整されるが、見た目の売り上げをよく見せることが出来るわけである。

6月25日に公表された朝日新聞決算書(2014年4月から2015年3月)によると新聞事業4033億2500万円(前年比-7.9%)、セグメント利益29億8300万円(前年比-54.7%)と大幅な業績悪化が生じていた。

また、この数字は問題が発生する前の数字を含んだものであり、問題発生後だけで見ればもっと厳しかったのだと想像できる。

朝日新聞は新聞事業の売上の明細を公表していないため、具体的な実態をつかむことは出来ないが、この業績悪化の大部分が広告収入の減少によるものであると思われるのである。

■渡邉哲也(作家・経済評論家) 

1969年生まれ。日本大学法学部経営法学科卒業。貿易会社に勤務した後、独立。複数の企業運営などに携わる。大手掲示板での欧米経済、韓国経済などの評論が話題となり、2009年『本当にヤバイ!欧州経済』(彩図社)を出版、欧州危機を警告しベストセラーになる。内外の経済・政治情勢のリサーチや分析に定評があり、さまざまな政策立案の支援から、雑誌の企画・監修まで幅広く活動を行っている。