7/15日経ビジネスオンライン 奥山真司『日本が関わる戦争は将来100%起こる 日本の外交政策:地政学が示す3つの選択肢』について

何ともショッキングな題でしょう。日本が望まなくとも戦争が起きるということです。勿論、第2のオプションである中国の属国になれば別と思うかも知れませんが、米国は裏切ったと感じ、米国が攻めてこないとも限りません。昨日のブログのテーマで明らかなように中国は世界で最大の人権抑圧国家です。というか人権何ていう概念はハナから持ち合わせていない国です。米国を取るか中国を取るか究極の選択を迫られれば、どちらを取るか言わずもがなでしょう。

理想は第3のオプションですが、言うは易く行うは難しです。というか、米国一国ですら安全保障について防備できない(中国潜水艦が米国西岸に潜む可能性もある)時代に来ています。多国間で防衛する時代です。国益の合う国同士が手を結んで戦争を防ぐという事です。国益の判断の要素として「自由、民主主義、基本的人権、法治」といった価値観を共有できる国々と手を結ぶという事です。中国はこの4つ全部ありませんし、韓国も法治国家でないので手を結ぶのは難しいです。

集団的自衛権の話は、お互いに防衛できるところは協力しようというものです。自分だけは守ってもらいたいけど、相手を守るのは嫌というのは臆病者のやることです。集団的自衛権は国連憲章で定められている権利でそもそも「保持しているが行使できない」という論理がおかしいです。

そもそも憲法九条二項は米国が日本無力化を狙って強制的に(これこそforcedではないですか)入れたもので、憲法を議論するのであればその出自も議論しないと。「戦争ができる国」にするというのはおかしな議論で、世界で戦争をしないと明言している国はありません。正当防衛の一種でしょう。戦わねば隷従しか方法がなくなります。それこそ日本を形造ってきました先祖に申し訳ないと思わないのですかね。歴史を鑑にしたら良く分かると思うのですが。

記事

いよいよ本連載も今回で最後になる。日本を取り巻く安全保障環境を地理的な面から地政学的に考えてみたい。

 日本は地政学的に見てどのような位置づけにあるのか――いま一つ分かりづらいと感じている方がいるかもしれない。

 その理由は大きくわけて2つある。一つは地政学、とりわけ古典地政学で使われる「シーパワー」や「ランドパワー」の概念が、現代のわれわれにとって縁遠いものになってしまっているからだ。戦後の特殊な安全保障環境の中で、日本のメディアや教育界が軍事や戦略に関する議論そのものを忌避してきたことが背景にある。

 もう一つは、地政学的なものの見方に、われわれ日本人がいまひとつ慣れていない点にある。地政学的なものの見方は極めて特殊なものだ。とりわけ、帝国主義を源流とする「上から目線」の、スケールの大きいとらえ方に違和感を覚える方がいるだろう。

 ところが、現代のようにグローバル化が進むと、日本は以前よりも大きな視点から対外政策を決定する必要に迫られる。この際の一つのツールになるのが、本連載で紹介してきた地政学なのだ。

 では地政学的な見方をした場合、日本はどのような状況に置かれており、今後どのような対外政策をとっていくべきなのだろうか?

日本は「シーパワー国家」か?

 日本について書かれている地政学本を読むと、「日本はシーパワーを基礎とした海洋国家であり…」という決まり文句で紹介されている。たいていの場合、全く疑いのない前提としてこう書かれる。

 ところが、シーパワー論の聖書である『海上権力史論』の序章でマハンは、ある国が海洋国家・シーパワー国家であるかどうかを判断する基準として、(1)地理的位置、(2)海岸線の形態、(3)領土範囲、(4)人口、(5)国民性、(6)政府の性格という6つの要素を挙げている。

 実際にこの基準を日本に当てはめると、(1)から(4)までの純粋に地理的な部分は確かに「シーパワー」として該当する。しかし、(5)国民性と(6)政府の性格については、日本が「海洋国家」に当てはまるか、疑問符がつく。

 日本のシーパワーの伝統を研究した代表的な論文に、「日本のシーパワー:海洋国家のアイデンティティの悩み」がある。立川京一氏と佐島直子氏が書いたもので、オーストラリア海軍のウェブサイトに掲載されている。ここでは、日本のシーパワーの伝統が、歴史上何度か断絶したことが正確に指摘されている。これを読むと日本が「伝統的な海洋・シーパワー国家」とは言い切れないことが分かる。

 日本の歴史を振り返ると、「シーパワー的な勢力」が確かに存在していた。倭寇や村上水軍はその代表だ。明治から昭和にかけての帝国海軍は、世界トップクラスの海軍力を誇っていた。

 けれどもマハンが示した基準の(5)国民性と(6)政府の性格を考える時、「国家・国民が海軍力を積極的に活用してきた」とは言い切れないのではないか。

 これは戦後になってからも同様だ。確かに戦艦大和の伝統を生かして巨大なタンカーをつくった造船業の強さは「シーパワー神話」になっている。だが、たとえばシーパワー国家の代表格である英国のように、海軍力と海運を「積極的かつ主体的に活用してきた」かと言うと、やはり怪しい。

「シーパワーシステムの一員としての国家」

 ここで重要なことが一つある。それは、現在の国際貿易の世界が、シーパワーをベースとした「システム」から出来上がっている事実だ。

 その分かりやすい例が「グローバル海洋パートナーシップ」というコンセプトだ。米軍の制服トップのマイケル・マレン元統合参謀本部議長が2006年頃から提唱し始めたものだ。簡単に言えば、「世界の海洋システムは、それを使う国々によって維持・管理されるべきだ」ということになる。その究極の前提としてあるのは「そのシステムの土台を支えているのは米海軍だ」という考え方だ。

 実はこれと同じことをマハンも言っていた。もちろん当時の(そして今でも)シーパワーというコンセプトは純粋な「海軍力」を示す。だが、マハンは他の場所で、シーパワーを「一国の海軍力をベースにした、貿易・商業活動を含めた海洋国家としてのグローバルなシステムである」とほのめかしている。

 要するに「シーパワー」は単なる「海軍力」だけでなく、それを積極的に活用したり、さらには巨大な貿易体制を構築したりする「海洋国家」としての性格を指すと言える。この意味で考えると、日本は伝統的な「シーパワー国家」ではないかもしれない。

 ただし(特に戦後の)日本は、米国が敷いた「システム」にうまく乗ることによって発展してきた「シーパワーシステムを構成する一つの国家である」とは言えるだろう。米国のシーパワーのシステムに乗っている」という留保付きではあるが、やはり日本は「シーパワー」国家なのだ。

日本の地理から考える地政学

 ではその日本の「シーパワー」の「シー」の部分はどのような状況になっているのだろうか?

 日本は太平洋の西端、そしてユーラシア大陸の東端(極東)の海に浮かぶ島国だ。人口は減少傾向ではあるが、現在1億2000万人で世界第10位。国土は38万平方キロ。世界で第61位と比較的小さいが、排他的経済水域(EEZ)を含めると447万平方キロとなる。南北は沖ノ鳥島から稚内まで、東西は南鳥島から与那国島まで、なんと世界で第6位の広さを誇る。

 この日本を含むアジアに、世界経済の中心が移りつつある。欧州から米国、そして米国からアジアへと西進してきている。

 この動きについては、マハンがすでに1900年頃から説いていた。興味深いのは、このことが経済データによって本格的に裏付けされたのが、ここ最近であることだ。米国は「政治的なアジアシフト」を長年標榜しながらも、欧州諸国との貿易額の方がアジア諸国との貿易額よりも20世紀を通じて高かった。ところが2003年を境にそれが逆転し、対アジアが対欧州を上回った。それ以降もこの傾向はまったく変わっておらず、現在はその差がますます広がっている。

アジアの端でランドパワーの脅威を阻止

 このアジアにおいて日本は少なくとも戦後70年の間、世界のシーパワーシステムに脅威を及ぼしそうなランドパワー国家の海洋進出を阻止できる位置にあった。

 冷戦時にはソ連と対峙した。ソ連は世界最大の国土面積を誇っていたにもかかわらず、年間を通じて使用できる不凍港は日本海に面したウラジオストック港のみだった。ソ連がここに配備していた太平洋艦隊は、日本の周辺にある「チョークポイント」、つまり宗谷、対馬、津軽の「3海峡」のいずれかを通過しないと外洋に出ることができない。つまり、日本がこれらの海峡を監視していれば、彼らの動きを把握できたのだ。

 冷戦後も、「シーパワーシステムの維持に貢献できる」という日本の地理的状況は変わらない。中国の人民解放軍がここ数十年、驚異的なスピードで軍拡を続けている。この海軍が外洋に出るためには、中国の海岸線の3分の2にわたって覆いかぶさっている日本の周辺のチョークポイント(たとえば宮古海峡)や、その近く(フィリピンと台湾の間のバシー海峡など)を通過せざるを得ない。

つまり日本の地理そのものは変わらないのだが、その意味合いは変わってきている。とくに冷戦中から冷戦後にかけて、その重点が北海道周辺の海から沖縄周辺の南西諸島近海にシフトしている。

 もちろん「北極海航路の開拓が起こす、世界規模の地殻変動」の回で書いたように、北極海ルートが本格的に始動すれば、その重点はまた変わるかもしれない。しかしシーパワーシステムの維持に貢献できる日本の地理的な位置は、今のところそのまま変わらずに残っている。

日本の外交政策:地政学が示す3つの選択肢

 これらの地政学的状況から考えられる、日本の対外政策の選択肢はどのようなものになるだろうか? 筆者は日本には以下の3つの選択肢しかないと確信している。

 第1の選択肢は、米国が主導するシーパワーシステムを支える「シーパワー国家」であり続けることだ。これまで70年間、日本が歩んできた道である。これは現在の日本にとって非常に楽な選択肢だと言える。戦後の日本の民主制や資本主義体制は、基本的に米国のリーダーシップに追従する形でできている。

 民主党政権時代に、一時的に中国側にすりよった時期があった。しかし、筆者は野田政権が環太平洋経済連携協定(TPP)の協議への参加を公式に表明したことで、日本はシーパワー体制の下で生きていく選択を再確認したとのだと評価している。

 現在の安倍政権はこの傾向をますます強めている。たとえば安倍首相が政権に就く直前に発表した英語の論文、「安全保障ダイアモンド」構想は、日米豪印で中国の海洋進出を牽制する考えを述べている。日本の新たなシーパワー宣言であると言える。

中国の“冊封体制”に入る

 第2の選択肢は、日本がランドパワーとなる道を選択し、米国を日本から追い出し、中国の冊封体制に入るというものだ。キツい言い方をすれば、中国の属国になる選択と言っていい。

 これは、日本にとっては選びづらい選択肢だ。日本は民主主義体制をまがりなりにも成功させている。感情的にも壁があるだろう。ただし、米国の力が相対的に落ちることで世界が多極化した。この中で中国の国力が増大すると、日本は経済的にも安全保障的にも中国との関係をさらに強化しなければならないかもしれない。

 韓国の学者や日本の実務家の一部には、次の見方をする人がいる――「中国が東アジアで覇権を確立すれば、冊封体制が復活する。それに組み込まれてもそれほど恐れることはない」。非現実的かもしれないが、こうした選択肢が存在する事実を我々は念頭におくべきであろう。

独立独歩の道

 第3の選択肢は、日本が「大国」の地位を復活させて、どこにも属さずに非同盟の状態を目指すものだ。

 これを実行するためには核武装を視野に入れる必要がある。ただし、これは現在の日本にとって現実的な選択肢とはなりえない。まず、戦前の「大東亜共栄圏」で失敗したトラウマがある。NPT(核不拡散条約)体制から脱退し、日本から米軍を撤退させる必要も出てくる。このため、一時的にせよ日本を巡って国際関係が大混乱に陥る可能性が大きい。

 この3番目の選択肢が究極的な理想かもしれない。ただし、シーパワーシステムによってここまで世界経済がグローバル化した現状において、この選択肢を選ぶ合理性が果たしてあるのかを問う必要がある。

 日本が第3の選択肢を選んだ結果として、たとえば北朝鮮のように「核武装をしたが餓死者が大量に出るような状態」になってしまえば、合理的な理由は存在しない。

日本の将来

 さて、最後のまとめとして、日本が将来直面する可能性のある地政学的な状況を考えてみたい。これには悲観的な見通しと楽観的な見通しがある。

 まずは悲観的な見通し。本稿をお読みの方々にぜひ覚えておいていただきたいことは、日本が関与する戦争が将来100%の確率で起こるということだ。

 戦後70年の微妙な今の時期に、このようなことを明言するのは実に心苦しい。だが、それでも現在までの人類の歴史を見てみると、日本が将来どこかの時点で戦争に巻き込まれるのは明らかだ。我々は戦争を防ぐ術をまだ確立していないからである。

 国際政治学(正式には国際関係論)が学問として始まったそもそものきっかけは、第一次世界大戦後に起こった「そもそも戦争の原因は何なのか」「悲惨な戦争をどう防ぐべきか」という問いかけにあったことは、この分野を知る人々の間では常識である。ところが現在に至っても満足のいく学問的な答えは出ていない。

 私見であるが、この分野で最も深い考察をしたのは、おそらくヒデミ・スガナミという日本出身の英国の学者であろう。スガナミは1996年に書いた『戦争原因論』(On the Causes of War)の中で、「科学的に見て、戦争の原因に関する統一見解は存在しない」と結論づけている。戦争の専門家にもその原因は不明なのだ。つまり「人類は戦争の勃発を防ぐ方法をまだ発明していない」のである。

 また、ここで強調しておきたいのは、「平和が戦争の原因になる」ことだ。なんとも矛盾した考えに聞こえるかもしれないが、平和な状態は経済発展を促すため、それが国力のバランスを崩し、戦争につながると見ることができる。

 たとえばロバート・カプランという米国の世界的なジャーナリストが「資本主義による経済発展は軍備増強につながる…厳しい話だが、これは現実だ」と書いていることは特筆に値する。現在の中国の軍備増強を考えても、平和な国際環境が軍備増強を促しているように見える。なんとも皮肉な話だ。

 さらに言えば、戦争は平和を実現するために行われる。戦略的な観点から考えれば、国家が戦争をするのは、相手の国家を打倒し、その後にやってくる(自分に都合のよい条件の)平和を実現するためである。

 古典地政学を理解する際、戦争と平和の間にあるこのような相互作用を知見としてもっておくことが極めて重要になる。平和は、戦争を想定しなければ守れないからだ。

制海・制空権さえ維持すれば日本の安全は続く

 次に、楽観的な見通しを述べる。

 日本は海に囲まれている。このことは世界的にみて国土を安全に保ちやすい状態にあることを意味する。日本のような島国にとって最大の脅威は、もちろん他国から上陸侵攻されることだ。だが、歴史的に見て上陸作戦は成功させるのが非常に難しい。

 近代に入ってからのいくつかの例を見ると、成功したのは上陸する側が空を自由に使える状態、つまり「制空権」を圧倒的に確保していた場合のみである。制空権を日本が手放さない限り、上陸による侵攻は比較的防ぎやすいと言える。

 結果として、海(と空)の安全、そしてそれを活用したシーパワーシステムによる海上貿易体制が日本に不利にならない限り、一時的な問題は出るにせよ、日本の将来は基本的に明るいと言えるだろう。

 そういう意味で、やはり日本は「シーパワー国家」なのだ。