エドワード・ルトワック(Edward Nicolae Luttwak、1942年11月4日-)は、ウイキによると「アメリカ合衆国の歴史学者。専門は、軍事史、軍事戦略研究、安全保障論。ルーマニアで生まれ、イタリア、イギリスで育つ。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで学び、1975年にジョンズ・ホプキンス大学で博士号取得。現在、戦略国際問題研究所シニアアドバイザー。」とあります。
この本は400ページもあり、固い文章なので読みやすいとはとても言えませんが、小生の感想をコンパクトに述べます。経営戦略論ではない戦争の戦略論です。あくまでも小生の解釈が入りますのでお含みおきください。
- 戦略の逆説的論理・・・攻撃でも防御でも、大勝するのはダメ。成功の復讐を受ける。成功は失敗の母。戦線が拡大すれば、兵站線が伸びきって、脆弱となる。攻撃ではヒットラーのポーランド、フランス、ソ連への電撃的侵攻、日本の真珠湾攻撃。防御の例では第一次大戦のフランス軍のドイツ軍に対するヴェルダン要塞の戦い。ベトナム戦での仏軍のデイエンビエンフーの戦い。逆説の論理で言えば古代ローマの諺に有名な「汝、平和を欲するなら、戦争に備えよ」というのがある。「すべてを守ろうとする者は、何も守れない。或いは、勝利は過剰となりうる」と言うこと。
- 技術の成功・・・武道で免許皆伝は口伝にするのと同じ。新しい技術が開発されるとそれに対抗する技術が開発される。第二次大戦で、英国のレーダー開発の成功に対してドイツは準備不足。ドイツの警戒レーダーが英の対抗措置「ウインドウ」で無能力化。「ウインドウ」とは航空機編隊を偽装して気流に束で放出される反射金属片のこと。これに対しドイツ空軍は効果的な対抗措置として、ジャミング(敵対的信号妨害)に殆ど影響されない夜間戦闘向けの高周波レーダー、昼間戦闘機の搭乗員による地上の炎の環境光を利用した新戦術、改良された警戒追跡レーダー、大幅に改善した地上からの「実況的な」迎撃機の完成などを採って対抗した。
- 人道支援が紛争を長引かせる・・・国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)が典型例。最大・最長で今も継続している人道介入。難民キャンプでは自活の道を閉ざされ、年長者の管理下で復讐と再征服の義務を教え込まれるだけ。「難民状態を恒久化させ、人工的に怒りを温存させて終わりなき紛争の火に油を注ぐことは、十分に悪い、しかし、物質的援助を戦闘状況に投入することはもっと悪い。高潔さを漂わせて活動する多くのNGOは、日常的に戦争の兵站を供給する。無防備な彼らは、配給所、クリニック、シェルターから現役兵士を排除することはできない。難民はおそらく敗者であり、その中には退却した兵士もいるだろう。彼らを助けることによって、NGOは戦争を終わらせることができる決定的な勝利への敵の前進を体系的に妨げている。また極端な不偏的立場から、NGOは時に敵味方双方を助け、相互に消耗することで戦争が平和に転換するのを妨害することもある。」
- 人口動態の影響・・・「犠牲を恐れて(これこそ例外的であるが)戦争を思いとどまらせる社会的変化は、繁栄が齎す副次的効果であり、繁栄自体が平和の副次効果である」(人命重視の時代)。欧州一の少子化のイタリアのマンミズモ(母親の息子への溺愛の意味)の例。小生はその意味では中国の小皇帝もその例と思いますが、極端な男女比で男子が多すぎるので損耗を恐れないかも。兵士の損耗を考えればロボット化、無人化へ行くでしょう。
- 消耗と機動・・・「消耗は産業的手段によって行われる戦争であり、敵は目標の集合体以上のものとしては扱われず、その目的は優れた火力と全般的な物量の力による累積的な破壊を通じて勝利すること。機動は、その目標として敵の物理的存在そのものを破壊することではなく、システムに対する様々な形態の妨害を通じて相手を無力化すること。消耗を指向する側は目標を探すため敵の能力に着目するので相手の能力を過大評価するのに対し、機動を指向する側は敵の弱点に着目するので相手の実力を過小評価しやすい。機動は①物量で劣る側にも勝利の可能性②誤った情報によって予期せぬ力に遭遇する状況では完全に失敗する可能性がある。」
- 弾力的防衛・・・「敵の主攻撃を回避し、自在に機動して最大の力を結集した結果として得られる行動の自由によって防御側も攻撃側が持つあらゆる利点を得る。そのうえ、防御側は土地勘があり、友好的と考えられる環境で戦うという本来の優位を保持したままである。純粋に軍事的観点からは理想的に見えることがあるが、統治者の観点からは富・繁栄・支配面から好ましくない。」小生思いますに蒋介石、毛沢東の採った作戦ですが、単に命惜しさに逃げ回っただけと思います。
- 弾力的防衛<浅めの縦深防衛<排除的防衛<積極防衛(まったく防衛せず、直ちに反撃。例は第四次中東戦争のイスラエル)
- 過剰な兵器・・・「過剰な破壊力によって引き起こされた軍事的有用性の低下は、核兵器も完全に戦略の逆説的論理に左右されていることを、あからさまに示している。多数の大型核融合弾頭によって戦われる紛争は、確実にこれまでのあらゆる戦争と異なる特殊な状況となったであろう。結果として起こる破壊においては、戦時体制、戦争文学、戦時プロパガンダ、戦時法制など、あらゆる戦争に関するものが存在する余地はなかっただろう。しかし、そこで適用される独特な論理はない。これまで、技術、戦術、作戦、戦域レベルを通じて分析してきたのと同じ戦略の論理によって核戦争の自己否定が説明される。この点については大戦略のレベルに到達した際にも論じることになろう。」相互確証破壊の論理で、核保有国同士は核戦争によって得られる国益はないため戦争にはならない。
- 真珠湾攻撃の評価・・・そもそも米国との開戦を決意した時点で日本に勝ち目はなく、むしろ真珠湾攻撃で大敗していた方が米国の余計な怒りを招かず、戦後の寛大な条件を引き出せたかもしれないとのこと。これは、戦争が大戦略のレベル(同盟、国力等で)で決することを強調し、戦術や作戦レベルで勝てたとしても持続できないことを理解する必要がある。
- 結論・・・勝ちは負けに繋がり、負けは勝ちに繋がる。糾える縄の如し。