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1/17日経『日本の対中直接投資、14年は38.8%減 最大の落ち込み』、産経『2013年度末の家計資産は2686兆円 株価上昇で2年連続増加』の記事について

中国の末期症状が進んでいます。いい傾向です。共産党の指導の下に反日デモ(あの国にはデモをする自由はないのですから)をやられ、略奪・放火何でもありのことまでやられてまだ投資する企業がある事自体不思議ですが。やがて自業自得の場面が出てくるでしょう。記事にあるように英韓以外は中国の投資を増やしていません。また中国の独禁法を使って用済みの外資or賄賂を取った企業のライバルの外資を追い出そうとしています。ルトワックが言っていますように、「韜光養晦」を止め、「有所作為」になって驕り高ぶれば、弱者連合が出来、中国の封じ込めに行くだろうと。でも、尖閣を取るために中国は着々と準備を進めています。浙江省の南キ列島に基地を造り、レーザー兵器を配備する可能性もあるとのこと。http://news.livedoor.com/article/detail/9663058/ このような国を富ませるために、投資・技術の提供をするのは愚かです。

産経の記事の基になりました内閣府の発表では「13年末の国民総資産は7.2%増(前年比)の9294.6兆円、負債は9.9%増の6245.9兆円、国民総資産―負債=国富2.1%増の3048.7兆円。国富は企業の純資産に相当する。(日経)」とのこと。財務省が国・地方の債務が1000兆円を超えたと騒ぎ、消費税増税しようとしていましたが、ストックで3000兆円もあるというのですから何をかいわんやです。産経の記事は株価上昇効果が家計に及んだことを強調しようとしたもので、マクロで見るときには日経の記事の方が分かり易いです。でも1/18日経に伊奈久喜が「(風見鶏)日経平均が選挙を決める」記事を書いていました。庶民にはマクロより自分の手元が増えるかどうかが景気がよくなっているかどうか実感できます。株価が上がればトリクルダウン効果はやがて現れます。(下のグラフは日経より)

japan national asset

『日本の対中直接投資、14年は38.8%減 最大の落ち込み』記事

【北京=阿部哲也】日本企業の中国離れが加速している。中国商務省によると、日本の対中直接投資額(実行ベース)は2014年に前年比38.8%減の43億3千万ドル(約5040億円)となり、統計が比較可能な1985年以降で最大の落ち込みを記録した。日中関係の悪化に人件費の高騰などが重なり、製造業を中心に投資を絞り込む動きが広がった。

 日本の対中投資が前年実績を下回るのは4.3%減った13年に続いて、2年連続だ。日中経済協会によると、下落率は天安門事件の影響で投資が急減した89年(35%減)を上回り「過去最大級」という。中国に進出する日本企業の間で、3つの悪材料が重なったためだ。

 第1が日中関係の悪化だ。12年秋に沖縄県尖閣諸島の領有権を巡る対立が激しくなると、中国全土で大規模な反日デモや日本製品の不買運動が広がった。昨年11月に日中首脳会談が実現するまで「中国リスク」への警戒感は強く、現地での事業拡大や新規進出を見送る日本企業が急増した。

 一般的に実行ベースの直接投資額は、企業が取締役会などで投資の可否を決めてから6カ月~1年かかって統計数字に表れる。12年秋以降に対中投資の縮小を決めた日本企業は多く、14年になって日中間の対立の悪影響が投資額の急減という形で表れた。

 第2が中国事業を取り巻く環境の激変だ。「世界の工場」として世界中の製造業の進出が相次いだ中国では、北京や上海など主要都市だけでも最低賃金が10年比で1.5倍以上に上昇した。土地の使用料など工場新設にかかるコストも上昇傾向にある。

 安価な労働力に引かれて進出した日本企業の間でも戦略の見直しが相次ぐ。すでに東芝が遼寧省大連市で手がけていた薄型テレビ生産から撤退し、機能をインドネシアに集約した。製造業を中心に中国の拠点を東南アジアなどに振り向ける「チャイナ・プラス・ワン」の動きが広がる。

 第3が中国政府の産業政策の変化だ。経済成長を優先した胡錦濤前政権時代までは、国内総生産(GDP)の押し上げ効果が大きい製造業の進出が歓迎され、地方政府などの外資優遇策も充実していた。

 しかし習近平指導部は「産業の高度化」を旗印に掲げ、優遇分野を先端技術業種に絞り始めている。「単純なモノ作りだけでは対中投資を増やしづらくなった」(電機大手)との声は多い。

 逆風は欧米やアジアの企業も同様だ。14年は全世界からの対中投資も1.7%増にとどまった。韓国や英国は2ケタ増となったが、米国からは20.6%減り、東南アジア諸国連合(ASEAN)からも23.8%減少した。

 外資を対象に独占禁止法違反を相次いで摘発する動きなどもあり「公正な競争環境を整備してほしい」(欧州連合の在中国商工会議所)との懸念は強い。

 日本企業による対中投資は契約件数ベースでも減少傾向にあり、投資実行額は15年も低迷するとの見方は多い。ただ足元では対中事業の強化に動く企業も増えつつある。

 日東電工は15日、山東省青島で中国初となる研究開発センターを開所した。環境や農業など中国が産業振興に力を入れる最先端分野を開拓するためだ。「中国は売上高の3割を占める最重要市場だ。経済の構造変化で商機は広がる」(高崎秀雄社長)という。イオンが昨年12月、湖北省武漢に内陸初の大型店を開くなど、消費関連企業の進出も活発になっている。

decrease of investment for china

『2013年度末の家計資産は2686兆円 株価上昇で2年連続増加』記事

内閣府が16日発表した2013年度の国民経済計算によると、13年末時点の家計資産残高は前年比4・0%増の2686兆9千億円となり、2年連続で増加した。資産から負債を差し引いた正味資産も4・4%増の2328兆3千億円と、2年連続の増加だった。

 株価上昇により、金融資産が6・5%増の高い伸びとなったことを反映した。土地などの非金融資産は、ほぼ横ばいの0・2%増だった。

 国全体の資産から負債を差し引いた国富は2・1%増の3048兆7千億円となり、6年ぶりに増加した。円安で海外資産の保有価値が上昇したことも後押しした。

 対外純資産の残高は9・7%増の325兆円と、比較可能な1980年以降で最高だった。3年連続の増加となった。

 国や地方自治体などを合わせた一般政府は、正味資産が4千億円のプラスとなり、3年ぶりに債務超過から脱した。

 

 

 

 

 

スマホ投稿テストです。

昨日はセカンドライフファクトリーのスマホサークルの集まりがありました。
ガラケーの電話帳をスマホに移管する事もできました。
スマホから小生のブログにデータを飛ばすこともやっとの事でできました。画像が難しかったです。
下の写真は1/11に開催しました林成蔚先生の講演会の写真です。

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1/15産経ニュース【阿比留瑠比の極言御免】『「韓国はなぜ日本だけを標的にする?」歴史問題で欧米から疑いの目を向けられるようになった韓国妄執“自業自得” 』について

「韓国はなぜ日本だけを標的にする?」とありますが、何も反論しないで来たからです。いじめられっ子でずっと来たからです。戦後GHQに擦り寄り、その後中華・小中華の賄賂工作・ハニートラップにかかっている政治家・官僚・経済人は多いと思います。そうでなければ、日本人の名誉が傷つけられていて平気でいられるはずがありません。そんな人間はリーダーの名に値しません。今年は戦後70年、中華・小中華は日本を貶める宣伝戦をしてくるでしょう。アメリカは外形上は中立を保つはずです。日本と中華・小中華の問題ですから。でもペンタゴンは韓国に相当イラついていると思います。

今“マッサン”が人気です。竹鶴政孝が「いいものを作れば売れる」と言うのは一つの見識ですが、それは必要条件で「いいものを手に取って戴くための説明」が必要になります。国際政治でも同じで「正しいことをやってきたのだから分かって貰える」と言うのではダメで、国際世論に対し日本の正しさを主張しなければなりません。敵は改竄・捏造が得意な連中ですから。今や武力行使の戦争の形態ではなく、如何に外交的に相手のイメージを下げ、国力を弱めようかという戦争の時代に入っていることを国民一人ひとりが自覚することが大切です。

1/14産経ニュースは「自民党は14日、国際情報検討委員会(原田義昭委員長)などの合同会議を党本部で開き、慰安婦問題や南京事件などで史実と異なる情報が海外で広まっている現状を踏まえ、日本の立場を正確に発信する新型「国際放送」の創設を検討する方針を確認した。中国や韓国などの情報戦略を分析、在外公館による情報発信の拡充についても議論し、今年の通常国会会期内に結論を出すことにしている。 会議で原田氏は「どういう形で相手国に情報が伝わるかにも目配りしながら、正しいことをきちんと発信していくことが大事だ」と述べ、「攻めの情報発信」の意義を訴えた。 英語による海外への国際放送は現在、「NHKワールドTV」がある。しかし、検討委は「従来の枠内では報道の自由など基本的な制約が多いため、今日の事態に十分対応できない」として、新型「国際放送」の創設を挙げた。 昨年11月に北京で開かれた日中首脳会談直前の日中両政府の合意文書に関し、中国側が「意訳」した英訳文を日本側より早く公表し、外国メディアに引用されたケースもあった。検討委は、外交文書や論文を外国語で迅速に発信するよう政府に求める方針だ」と報道しました。左翼に乗っ取られたNHKを当てにするのは馬鹿馬鹿しく、方向的には正しいと思います。

英・独・仏・露・中・スペイン・ポルトガル・アラビア語で報道するようにした方が良いと思います。しかし、宮崎正弘氏は「敵国に通じる第五列(=内通者)や代理人がまだいます。実現にはおおいなる距離があるのではと思います。」とのこと。こんな政治家を選んでいるのは国民です。多分旧田中派(野中に通じる)と古賀の子分や二階のことを言っているのでしょう。選ぶ責任或は選ばない(棄権)責任を感じなければ、民主主義は衆愚政治になります。

記事

韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領は12日の年頭記者会見で、日韓首脳会談について「日本側の姿勢の変化が重要だ」と曖昧な注文をつけ、慰安婦問題を早期に解決しなければ「韓日関係だけでなく、日本の歴史にも重荷になる」と言い募った。一方的でかたくなな態度には、ため息が出るばかりだ。

冷めた日本政府

 「ムービング(動く)・ゴールポストだ」

 韓国について政府関係者らと話すとき、何度この言葉を聞いたことか。慰安婦問題などで着地点を求めてそこを目指すと、いつの間にか韓国側がゴールをさらに先の方に動かしているという意味だ。

 それでいて韓国側は日本に対し、具体案を示さずに「誠意を見せろ」と要求し続けているのである。

 日本政府は現在、こうした韓国側の十年一日のようなあり方に冷めた視線を向けている。小紙の加藤達也前ソウル支局長の出国禁止のような現在進行形の人権侵害を除き、韓国に対しては「放置でいい」(政府高官)との基本姿勢だ。

何ともやるせない現状だが、予期せぬ効果もあった。韓国が日本だけを標的に歴史問題にこだわればこだわるほど、欧米で「なぜなのか」という疑問が高まり、客観的な事実関係を知ろうという新しい動きが出てきているのだ。

 今年に入り、韓国メディアは相次いで次のような米国の元政府高官の「妄言」を伝えている。

 「日本は過去、恐ろしいことをしたが、韓国もベトナム戦争の際は非常に冷酷だった。ベトナムではそれが非難を浴びている」(デニス・ブレア元国家情報長官・太平洋軍司令官)

 「日本は韓国人戦争犠牲者に8億ドルを支払ったが、当時の朴正煕政権が慰安婦と呼ばれる被害者たちに伝えていなかった。古傷が治癒しない理由がここにある。韓国は、ベトナムで韓国軍が民間人に犯した行為を脇へ置いて、韓国と国交を結んだことを考えるべきだ」(ロバート・シャピロ元商務省次官)

欧米も疑問視

 欧米メディアも昨年来、韓国側の負の歴史に注目するようになり、日本を執(しつ)拗(よう)に非難する韓国の外交姿勢に疑問の目を向け始めた。次のような報道がだんだん目立つようになってきた。

 「慰安婦問題は、政争の具として利用されるべきではない。結局、日本から支払われた何億ドルもの賠償金を、犠牲者のためにではなく、莫大(ばくだい)な公共事業のために使ったのは朴大統領の父親だ」(米フォックス・ニュース)

 「ライダイハンはベトナム戦争中、ベトナム人の母親と韓国人の父親の間にもうけられた子供を指す。多くは韓国人兵士によるベトナム人慰安婦への虐待から生まれた」(米CNN)

 「韓国には、米軍基地周辺に基地村と呼ばれる売春街が存在した。ここで働いていた元米軍慰安婦120人以上が、『韓国政府が米軍のために組織した』として、1人1千万ウォンの賠償を求めて韓国政府を提訴した」(英BBCニュース)

 元米軍慰安婦の訴訟に関しては昨年末、米軍準機関紙「星条旗新聞」も取り上げている。朴大統領が慰安婦問題を提起し続けた結果、韓国が触れてほしくない問題もまた、白日の下にさらされることになった。

日本は過去の経験から、韓国にいくら譲っても結局、ゴールポストを動かされるだけだと見切った。韓国側も、そろそろ歴史カードの乱用は控えないと「重荷」になるばかりではないか。(政治部編集委員)

岡倉天心『日本の覚醒』を読む-2

昨日は上橋柏市会議員と一緒に靖国に行き、初めて昇殿参拝しました。荘厳な中にも心が洗われるような静謐な時の流れを感じることができました。また梨本宮隆夫殿下と会い挨拶させて戴きました。3/8の上橋議員の新春パーテイで講演して戴くためです。

さて、本日は岡倉天心の『日本の覚醒』第二弾です。天心は書物だけで漢民族を判断していたのではと思えます。時代の制約です。それでも当時の西洋の阿漕さには比べようもないですが。また当時中国は満州族に統治されていました。アジアの民が団結して欧米列強に対抗するのは無理でした。天心の「アジアは一つ」式の考えが昭和の軍人に伝承されたとしたら、天心は大きな間違いを犯したことになります。中国人の本質を理解していなかったということです。

内容

In Japan the race of those fiery patriots who fifty years ago shouted, “Away with the Western barbarians!” with all the lusty enthusiasm of the Chinese Boxers, is entirely gone. The tremendous change which has since come over our political life, and the material advantages we have gained by foreign contact, have so completely revolutionized national sentiment in regard to the West that it has become almost impossible for us to conceive what it was that so aroused the antagonism of our grandfathers. On the contrary, we have become so eager to identify ourselves with European civilization instead of Asiatic that our continental neighbors regard us as renegades–nay, even as an embodiment of the White Disaster itself. But our mental standpoint of a few generations back was that of the conservative Chinese patriot of to-day, and we saw in Western advance but the probable encompassing of our ruin. To the down-trodden Oriental the glory of Europe is but the humiliation of Asia.

If we place ourselves in the position of a Chinese patriot shall be able to understand how the march of events appeared to our grandfathers. Their fears were not altogether without reason, for to the wounded of Orientals history will tell of the gradual advance of the White Disaster which was descending on Asia. The Italian Renaissance marks the time when, freed from its chains, the roving spirit of Western enterprise first began to seize upon any corner of the globe where was aught to be gained. When Marco Polo returned from the Chinese court, fee bore tidings of the untold treasures of the extreme Orient. America was merely an accidental discovery on the part of Spain in her attempt to reach the coveted wealth of India. We can recall those days of Portuguese cruelty and Dutch treachery, when the cow’s hide gained a colony and the concession for a factory resulted in the establishment of an empire.

The beginning of the seventeenth century shows the rise of the East India companies of the French, Dutch, Danish, and English, the gratification of whose political ambitions, however, remained as yet unsatisfied owing to the struggles of mutual rivalry, the solidity of the Mussulman power of Delhi, and their awe of that great Turkish empire which still bravely bore the brunt of Western advance and often hurled it back to the walls of Vienna. But the brightness of the Crescent was fast waning before the combined persistence of the West, and soon the disastrous treaty of Kutchuk-Kai- narji inaugurated the imposition of Russian interference in the affairs of the Porte. In 1803 the last of the Grand Moguls became a British pensioner. In 1839, Abdul Medjid ascended the throne of Osmanli under the “protection” of European powers.

With the increase in credit and capital during the latter half of the eighteenth century, the inventive energy of European industrialism is set in motion. Coal takes the place of wood in smelting, and the flying shuttle, the spinning-jenny, the mule, the power-loom, and the steam-engine all spring up in formidable array. Commercialism makes the very life of the finding markets for her goods. Her role is now to sell, and that of the East to buy. War is her factories, and the protests of her more humane statesman are drowned in the noise of thundering mills. What chance has individualized Eastern trade against the sweeping batteries of organized commerce? Cheapness and competition, like the mitrailleuse, under whose cover they advance, now sweep away the crafts. The economic life of the Orient, founded on land and labor and deprived of a protective tariff through high-handed diplomatic action, succumbs to the army of the machine and capital.

What has become of India? It is to-day a country where die names of Asoka and Vikramaditya are even forgotten. It is a country of rajas whose breasts are starry with dishonor, and of national congresses that dare not protest. Burma was in existence but yesterday: in the rubies of Thebaw cries the innocent blood of Mandalay. The Kohinoor is even as a teardrop of Golconda. What need to mention the painful comedies enacted in Persia and Siam or to call attention to the “protectorate” established by France over Tonkin? Protectorate! Against whom?

In 1842 a Christian nation forces opium on China at the mouth of the cannon and extorts Hongkong. In 1860, on a slight pretext, the joint armies of France and England invade Pekin and sack the Summer Palace, whose treasures are now the pride of European museums, while the Russians always maintain a steady encroachment upon the hereditary domains of the Celestial Empire along the borders of the Amur and Ili. The kindly intervention of the Triple Coalition after the Japanese war was but a farce,for thereby Russia gained Port Arthur, Germany Kiauchau, and France a tighter grasp on Yunnan. It is true that the defilement of their sacred shrines goaded the Boxers to a passionate outburst of fury; but what could their old-fashioned arms avail against the combined armies of the allied powers? Their ill-judged efforts only resulted in the heaping of indignities upon China and the payment by her of exorbitant indemnities. In spite of repeated promises of evacuation, Russia has endeavored to establish herself permanently in Manchuria, and the persecuted inhabitants of that province behold the graveyards of their beloved forefathers turned into railway stations,while Cossack horses find stabling in the sacred Temple of Heaven. If Asia was old-fashioned, was Europe just? If China tried to lift her head, if the worm turned in its agony, did not Europe at once raise the cry of the Yellow Peril? Verily, the glory of the West is the humiliation of Asia.

日本では、熱烈な愛国者たちが中国の義和団のように熱狂的に「攘夷」を叫んだのは、五十年前のことであったが、今はそのかげさえない。以来わが国の政治生活におこった大変革 と、外国との接触によってえた物質的利益のために、西洋にたいするわが国民感情はまったく一変し、祖父たちが何であのように西洋人に敵意をいだいたのか、理解にくるしむほどになってしまった。それどころか、アジア文明のかわりにヨーロッバ文明と提携しようとするわれわれの熱心のあまり、大陸の隣人たちは、われわれを裏切者、いや、時には白禍そのものとさえ見るにいたった。

しかしながら、数代前の日本人の見地は、今日の中国の保守的愛国者のそれとおなじであり、西洋の進出のうちに日本の破滅の危険しか見ていなかった。ふみにじられた東洋にとって、ヨーロッパの栄光はアジアの屈辱にほかならない。

われわれが今日の中国の愛国者の立場に身をおいてみるならばわれわれの祖父たちにその時代の動きがどのように映じたかを、理解できるであろう。祖父たちの憂慮は、けっして理由のないものではなかった。なぜなら、東洋人の傷ついた想像にたいして歴史は、せまりくる白禍の東漸を告げていたからである。

イタリアのルネサンス以来、西洋の進取の気性は、その束縛から解放され利益をもとめて、地球上ののこされた一片の土地でもうばいとろうとしはじめた。中国の宮廷からもどったマルコ・ポーロは、極東の無限の富について語った。アメリカは、インドの富に到達しようとしたスペインが、たまたま発見したものであった。歴史は、牛の皮で植民地を獲得し、海外の一商館から帝国をきずきあげた、ポルトガルの残忍、オランダの狡滑を物語っている。

十七世紀のはじめには、フランス、オランダ、デンマーク、イギリスの東インド会社が出現する。 しかし、彼らの政治的野心は、相互の勢力争いと、デリーを都とする回教国の強固さ、そして大トルコ帝国の威力によって、一挙には達成されなかった。偉大なトルコは、西洋の進出を勇敢にくいとめ、しばしばこれをウイ-ンの城壁までおしかえした。しかしながら、新月旗の光輝は、西洋の結束した力のまえに急速にその光をうしなっていった。やがてロシアは、屈辱的なクチユク・カイナルジ条約をおしつけ、トルコにたいする内政干渉を開始した。一八〇三年には、ムガール帝国の最後の皇帝がイギリスの年金をうける身になった。 一八三九年には、アブドゥル・メジッドが、ヨーロッパ列強の「保護」のもとに、オスマン=トルコの王位にのぼった。

十八世紀後半になると、信用と資本の増加とともに、ヨーロッパ産業主義の発明エネルギ—が活動をはじめた。製錬業では、石炭が木炭にとってかわり、飛梭、紡機、ミユ一ル精紡機、動力織機、蒸気機関などが、つぎつぎにすさまじい勢いでとび出してきた。商業主義は、西洋の生活そのものを、商品販売市場の開発に依存させる。今や、西洋の役割は売ることであり、東洋の役割は買うことである。戦いは工場から宣言され、多少とも人道的な政治豕たちの抗議は、とどろきわたる工場の騒音のなかにかき消されてしまう。組織的な商業のはげしい攻勢のまえに、東洋の小さな手工業はひとたまりもない。安値と競争という機関銃の援護のもとに、彼らは同業組合を一掃する。土地と労力に基礎をおき、高圧的な外交によって保護関税をうばわれている東洋の経済生活は、機械と資本の軍隊のまえに屈服した。

インドはどうなったか?今やインドは、アソカ王やヴィクラマーディティヤ王の名前さえ忘れてしまった国である。胸に不名誉の勲章をかざった貴族の国、抗議する勇気もない国民会議派の国である。ビルマはすでに亡びた。テイボーの紅玉には、マンダレーの罪なき民の血の叫びがこもっている。コイヌールの金剛石はまさに、ゴルコンダの涙の一滴である。 ペルシアやシャムで演ぜられた、痛ましい喜劇や、フランスがトンキンを「保護国」とした一幕はあえていう必要もあるまい。「保護国」という。だがいったい、だれから保護するというのか?

一八四ニ年には、一キリスト教国が、中国に大砲をむけて阿片をおしつけ、香港を強奪した。一八六○年には、ささいな口実を設けて、英仏連合軍が北京に侵入し、「夏の宮殿」〔頤和園。西太后の避暑にもちいられた〕を略奪し、宮殿の財宝は今ではヨーロッパの博物館の誇りになっている。いっぽう、ロシアは、アムール、イリの辺境一帯の清国の領土をたえず侵食していた。日清戰争後の好意的な「三国干渉」は、まったくの茶番にすぎず、これによって、ロシアは旅順港、ドイツは膠州湾を得、フランスは雲南を確保したのであった。神聖な祖国が汚されたことをいきどおって、義和団の運動が勃発したが、彼らの旧式な武器では、列強の連合軍のまえにはひとたまりもなかった。思慮に欠けた彼らの行動は、中国にたいする侮蔑を倍加させ、法外な賠償金を支払わされる結果におわった。ロシアは、再三撤兵を約束しながら、永久に満州に腰をすえようとかかり、虐げられた満州の民は、先祖代々の墳墓が鉄道の停車場にかわり、神聖な天壇〔天子が天帝を祀った祭壇。瀋陽に遺跡がある〕 がコサックの馬小屋になるのを眺めていた。

アジアが旧式だったとしても、ヨーロッパは公明正大だったろうか?中国がその頭をもたげようとしたとき、ふみつけられた虫が苦しさのあまりのたうちまわったとき、ヨーロッパはただちに黄禍の叫びをあげたではないか。まことに、東洋の栄光はアジアの屈辱にほかならなかった。

1/12産経ニュース【阿比留瑠比の視線】 「米国の傲慢な歴史修正 戦勝国は全てを正当化、敗戦国は我慢…もつわけがない」記事について

日本人が戦後アメリカから刷り込まれた侵略主義について、如何にいい加減だか分かる記事です。文芸春秋の堤堯だったと思いますが、「アメリカの3大原罪としてインデイアンの虐殺、黒人奴隷、原爆投下(1/12にローマ法王は「1945年8月6日、われわれは人類史上、最も恐ろしい惨事の一つを目撃した」と言っております)」と言っていた気がします。スペインとポルトガルによる世界2分割を目指した「トルデシャリス条約」、イギリス等による重商主義、ヨーロッパ諸国による殖民地争奪となった帝国主義等、日本を侵略者として非難するのであればまず「自らを顧みよ」と言いたい。サキ報道官が「河野談話や村山談話を引き継ぐように」なんて話すのは内政干渉も甚だしい。後で訂正しても遅すぎです。結局アメリカは過去自分たちがやってきたことを事実に基づき冷静に見られないということでしょう。歴史の見直しをしようとするとすぐ「歴史修正主義者」の烙印を押し、言論を封殺しようとします。国益が絡むからと思っているのかも知れませんが、アメリカの弁護士と同じく「勝てば官軍、正義の実現よりはどんな手段を使ってでも」という発想に近い。野心に忠実なのがアメリカ人なので。岡倉天心の『日本の覚醒』の中の『白禍』を取り上げていますのは、彼らの欺瞞を暴こうと思っているからです。しかし、日本はルメイに航空自衛隊創設のお礼として勲章まで与えるのですから何をか況やですが。戦後日本人が如何に誇りを失ったかの典型です。

記事

戦後70周年を迎える平成27年は、歴史認識をめぐる「歴史戦」の年になる。米紙ニューヨーク・タイムズなどは早速、日本の保守勢力に「歴史修正主義」のレッテルを貼ってきたが、戦勝国の立場にあぐらをかき、歴史を修正してきたのはどちらか-。

 そんなことをぼんやり思いながら昨年末の休暇中、高校書道部を舞台にした漫画「とめはねっ!」(河合克敏著)を読んでいて、思わず息をのんだ。

 作中、見開きで大きく紹介されていた昭和20年3月10日の東京大空襲を題材にした元教師の書家、井上有一氏の書「噫(ああ)横川国民学校」(群馬県立近代美術館所蔵)があまりに衝撃的だったからだ。

 「アメリカB29夜間東京空襲 闇黒東都忽化火海 江東一帯焦熱地獄」「親は愛児を庇(かば)い子は親に縋(すが)る」「全員一千折り重なり 教室校庭に焼き殺さる」「噫呼何の故あってか無辜(むこ)を殺戮(さつりく)するのか」「倉庫内にて聞きし親子断末魔の声 終生忘るなし」

 書幅いっぱいに埋め尽くすように書かれた文字は、積み重なり、苦しみながら焼き殺された人々に見える。自身は一命を取り留めたものの教え子を失った井上氏が、血涙で書いたかのような印象を受けた。

約10万人が死亡した東京大空襲は、非戦闘員の殺傷を目的としており、もとより国際法違反である。米田建三・元内閣府副大臣の調査によると、東京大空襲の「作戦任務」(同年3月9日付)の目標は、軍事施設ではなく「東京市街地」と明記されている。最初から一般住民を標的にしていたことは明らかなのだ。

 また、東京大空襲・戦災資料センターが東京都から寄贈された被害者の名簿3万人分のうち、年齢が分かる人について調べた結果がこの空襲の性質を表している。

 それによると、被害者の年齢層で最も多いのは0~9歳の20%で、次いで10~19歳の18%だった。実に4割近くが未成年だったのである。これは通常の戦争遂行行為ではなく、米軍による子供の大量虐殺(ジェノサイド)にほかならない。

 しかも米国は戦後、こうした自らの罪を日本人の目から隠そうとした。明星大戦後教育史研究センターの勝岡寛次氏の著書「抹殺された大東亜戦争 米軍占領下の検閲が歪(ゆが)めたもの」(明成社)によると、連合国軍総司令部(GHQ)は検閲で、例えば米軍の東京大空襲での国際法違反行為を指摘したこんな文章を削除した。

 「無辜の一般市民に対して行へる無差別的爆撃、都市村邑(そんゆう)の病院、学校、その他文化的保護建物の無斟酌(しんしゃく)の破壊、病院船に対する砲爆撃等、計(かぞ)へ来らば例を挙ぐるの煩に堪へぬほど多々あつた」(信夫淳平氏「我国に於(お)ける国際法の前途」)

「米国は原子爆弾と中小都市焼爆で日本全土を荒廃し数百万人の非戦闘員を殺傷せしめた」(石原莞爾氏・宋徳和氏対談「満州事変の真相」)

 米国は、自分に都合の悪い歴史は堂々と修正し、歴史から抹殺しようとしてきたのである。当時、日本に対する空襲について「史上最も冷酷、野蛮な非戦闘員殺戮の一つ」(ボナー・フェラーズ准将)と自覚していたのは間違いない。

 焼夷(しょうい)弾を使用した夜間無差別爆撃に踏み切ったカーチス・ルメイ少将の下で、作戦計画作成に当たったロバート・マクナマラ元国防長官は記録映画「フォッグ・オブ・ウォー」(2003年公開)の中でこう赤裸々に証言している。

 「ルメイも私も戦争犯罪を行ったのだ。もし、負けていればだ」

 だが、戦勝国は全部を正当化し、敗戦国はすべてを我慢するなどという状態が70年以上ももつわけがない。米国は傲慢になりすぎない方がいい。(政治部編集委員・あびる るい)