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12/24宮崎正弘氏メルマガ 『中国・パキスタン経済回廊にインドは不信感拡大 陸のシルクロードもカザフスタンは賛意を表明したが。。。』記事について

中国のGDPの発表数字はまやかしがあると言われています。2013年で9.5兆$(ジェトロ発表数字)と言っても、下記の記事のように、ケインズの「穴を掘ってまた埋め戻す」ような失対事業ばかりでは、政府債務が山のように膨れ上がるだけです。3/5のブルームバーグの記事では政府、企業、家計の債務合計が21兆$とありました。これではAがBから借金してビジネスし、BはCから借金、CはAから借金するようなもので、信用創造と言えば聞こえは良いですが、花見酒経済で、何の裏付けもなく通貨発行しているような気がします。2014年3月で日本の政府債務は1158兆円ありますが、個人金融資産が1630兆円あります。政府債務が毎年増えていってますが、個人の金融資産もそれに連れて伸びていっています。一説によれば「政府の国債発行を民間が引き受け、家計の預金として持つだけでは生産性向上に役立つ事業に金が回らないことを意味し、これはこれで問題である」という意見もあります。でも少なくとも政府の借金は民間の支払い能力に裏付けられています。産経の田村秀男記者によれば「中国は4兆$に上る外貨準備を担保に人民元資金を発行し、金融機関に資金を流す。あるいは、緊急事態には党指令で、問題金融機関にドルを資本注入できる。日本のバブル崩壊期の「飛ばし」が国家的規模で行われる可能性が高い。これまでにも、飛ばされた巨額の不良債権は経済膨張のプロセスの中で、もみ消されてきた。」とのこと。「飛ばし」とは「決算対策のために、企業が保有する評価損(含み損)を抱えた有価証券(株式・債券等)を一時的に第三者(他社)に転売することをいう。これは、企業が保有している株式や債券などが値下がりして、含み損がバランスシートに載ることを避けるために、含み損の出ているものについて買い戻し条件付きで時価とかけ離れた価格で第三者に転売することである。そのスキームとしては、証券会社に間に入ってもらい、決算期の異なる企業を相手に、後日の金利付き引き取りを条件として、時価より高い価格で売却するなどして損失を決算書上において見えなくする(隠す)。一般に飛ばしは、1980年代までは証券会社の損失補填の手段として利用されていたが、その後(1990年代)の証券不祥事で社会問題化し、現在では粉飾決算の一つとして金融商品取引法で禁じられている(その背景には、バブル時代の財テクの失敗などがあった)。なお、飛ばしで転売を繰り返しても、時価が回復しない場合は含み損がさらに膨らんでいくことになる。」とあります。中国の不動産の実需は、一般個人の所得が多くない現在、出て来るとは思えません。バブルが破裂した時にどうなるか。中国国内だけで治まれば良いですが、戦争で解決しようとする可能性もあり、心配です。

記事

 中国はパキスタンの南北を縦断する「経済回廊」の建築に全面協力すると打ち上げた。イランとパキスタンの国境グァイダールの浚渫、港湾整備、波止場建設は中国企業が請け負い、一本のバースは完成した。これは将来の原潜寄港地でもあり、グァイダールからカラチ、ラホール、イスラマバードからさらに北上して中国カシュガルへと至る全長4000キロの「経済回廊」に総計450億ドル(5兆3000億円)を投下するという。その内の350億ドルは沿線部のインフラ建設、鉄道改良、光ファイバー併設。付近に発電所も建設する。グァイダール港には貯炭、原油備蓄基地ならびに精油所を建設し、原油を中国まで輸送するという複合的計画で、パキスタンのインフラ整備に寄与してくれるうえ、パイプラインの通過料でうるおう。シャリフ首相は2014年11月に北京を訪問し、北京との間に20の合意文書にサインした。ともかく大風呂敷を広げるのが大好きな中国。天津の北、唐山に建設した大工業区は胡錦涛政権が鳴り物入りで熱中したプロジェクトだった。十兆円を投下してハイウェイ、港湾、発電所、複合ビル、高層住宅に貯炭場、政庁ビルなどを建設し、世界最大のエコシティだと胸を張った。90%ほど仕上がった時点で突如このプロジェクトは失速した。人工島の地盤が沈下し始め、ビルの一階は満潮時に海水に沈み、蟹が捕れる。十兆円で廃墟を造った。南水北調という大プロジェクトは水量の多い長江の水を運河を三本も造成し、北京、天津に水を運ぶという世紀の試みだった。すでに沿岸部ルート、中央ルートは完成したが、せっかく運ばれる水は病原菌だらけで飲み水には使えないことが分かった。西ルートは峻険な山岳地帯を通過するため、まだ着工されてもおらず、実際に工事のメドは立っていない。中国全土に225の飛行場を作った。週に一便しか飛んでこないへんぴな場所や冬の間はまったく使えない極寒地の飛行場が出現し、つぎの廃墟候補となる。風力発電は40万基。その三割が送電線に繋がっていない。同様に遠くトルクメニスタンから新彊ウィグル自治区を経由した上海までの6500キロのパイプラインは完成したが、キャパを満たせず、同様にミャンマーを南北に縦断し、雲南省から広西チワン自治区南寧に運ぶ4000キロ弱のパイプラインはミャンマーから昆明までの790キロが繋がったが、輸送量は計画の二割前後しかない。大風呂敷がすきな中国、世界で廃墟を量産するらしい。

12/25日経 『中国、地方債務抑制に動く 隠れ借金の膨張防ぐ』

【上海=土居倫之】中国が地方債務問題の改善に動き出した。江蘇省と新疆ウイグル自治区の地方政府は、傘下のインフラ投資会社の新規発行の債券を「保証しない」と明確にした。中国ではこうした投資会社が地方政府からの支援を前提に安易に資金を集め、野放図にインフラを開発してきた。新方針でこうした債券を発行しにくくすることで、地方政府の過剰債務・投資を解消する。

 地方政府が出資して設立するインフラ投資会社は中国で「融資平台」と呼ばれる。地方政府はこれまで多くの場合、明示的に保証しないまま傘下の投資会社に資金を調達させ、道路や公共住宅の建設を代行させてきた。 「投資家の利益を保護するため、債券発行を中止する」。17日、新疆ウイグル自治区ウルムチ市政府が100%出資する投資会社、ウルムチ国有資産投資は10億元(約190億円)の債券の新規発行中止を宣言した。

 中止に追い込まれたのは、ウルムチ市政府が15日「政府債務に組み入れる」との通知を「撤回する」と発表したためだ。集めた10億元で経済開発区の道路を建設するはずだったが、道路を建設しても収益は見込めず、政府の支援がなければ債務の返済はおぼつかない。既に買い手が決まり、発行手続きも終わっていたが、急きょ中止した。

 12日には、江蘇省常州市政府傘下の投資会社、常州天寧建設発展も、政府の「償還責任を負わない」との発表を受けて債券発行の延期を決めた。

 中国では、地方政府による地方債の発行が原則禁止されてきたため、こうした投資会社がインフラ開発の抜け穴となってきた。中央政府も全貌を把握しきれないまま、こうした隠れ借金が膨張。国際的に中国の地方財政に対する不信感が高まる要因となってきた。

 地方政府の不透明な財政慣行にメスを入れるため、財政省は地方政府に対し2015年1月5日までに「14年末時点の返済すべき債務を分別し、その金額を報告する」よう求めている。両市の決定はこれに沿った措置だ。両市が「保証しない」ことを明確にしたことで、地方債務としてカウントする必要がなくなる。

 焦点は既存債務の取り扱いだ。地方政府が財政省に報告する金額を圧縮するため、既存債務についても「保証しない」と明確にした場合、金融機関の反発は必至で市場が動揺する可能性が高い。金融機関は政府の支援を前提に、こうした投資会社に資金を提供しているからだ。24日時点で既存債務について対応を明確にした地方政府はない。

 国務院(政府)は、16年をめどに地方政府傘下の投資会社による資金調達を禁止する方針だ。代わりに地方債の発行を条件付きで解禁し、今後は地方政府が直接、地方債発行で財源をまかなう。

 市場規律の導入により、資金面の制約から地方のインフラ投資会社は従来のような採算を度外視した大規模な投資は難しくなりそうだ。民間住宅投資と並ぶ成長のけん引役だった地方のインフラ投資は来年以降、一段の減速が必至で、中国の成長率の下押し圧力となる。

china debt 20141225

12/24 ダイヤモンドオンライン 北野幸伯『2015年、「世界の孤児」プーチンはどうやって米国に「逆襲」するのか?』記事について

原油価格の下落は①米とサウジが組んでロシア経済をガタガタにしようとする陰謀説②ロシアがアメリカのシエールオイル掘削を止めさせようという説③サウジがアメリカのシエールオイル掘削を止めさせ、イランの核開発をする力を削ぎ、引いてはシーア派に牛耳られるイラクの力を削ぐ説、と3つほど考えられていますが、③が一番近いのでは。11月に石油化学メーカーでサウジ駐在の友人が帰国した時にもそう言っていました。オバマのアメリカは同盟国であるサウジを怒らせ、イスラエルを怒らせ、日本をも怒らせています。プーチンと比べオバマの言動の軽いこと。役者が違います。リベラルとか左翼と言われる人種に共通な特徴です。何の覚悟もなく、建前だけで簡単に「正義」を主張します。民主主義ですから選んでる方が悪いのですが。トルコもEU加盟をイスラム教と言うことでずっと拒否され、エルドアンも堪忍袋の緒が切れ、クリミア戦争で戦った相手国とも手を結ぼうとしています。欧米諸国の判断の誤りです。ルトワックが言ってますように中国はロシアと手を組ませないようにしないといけないのに、ロシアをそちらに追いやっています。インドのモデイだって首相に当選して慌ててオバマは会うようにしました。BJPのモデイはグジャラート州の州長のときにモスリムの虐殺に加担したという噂があったためです。北朝鮮の元首を暗殺する映画を世界に配信することが「表現の自由」ですか?自由の概念をはき違えているのでは。慈愛に満ちた天皇と独裁者を比べるのは不遜以外の何物でもありませんが、天皇を侮辱した発言をした李明博のような非常識な国家元首もいます。何でも許される訳ではありません。アメリカは強欲、横柄の度が過ぎて来ています。同盟国の信頼を失いつつありますが、台頭する中国の封じ込めにはアメリカの力がどうしても必要なのが痛し痒しです。北野氏は「米ロは今、「戦争中」といっても過言ではない状態にある。日本政府は、このことをはっきり自覚し、軽薄な「プチ独自外交」に走らないことが大切である。」と言っていますが、意味するところは優先順位でいけば①日米同盟の深化②ロシア、インド、豪等中国封じ込めの準軍事同盟関係、そのため①靖国参拝は控える②領土問題、拉致問題で安易に妥協しないことかと思われます。近藤氏も北野氏と同じく、米ロで新冷戦が始まっているとの見方です。オバマの大統領が終わる2017年に新しく生まれる大統領に「ロシアを取り込み、中国を封じ込める」ように政策転換することを期待したい。ジェブ・ブッシュが大統領になることを望んでいます。

記事

3月のロシアによるクリミア併合以来、米国とロシアの対立は、実質的に戦争状態と言っていい状態になっている。欧州と日本からも経済制裁を加えられた上、原油価格下落によってルーブルの価値が半分以下になってしまい、「世界の孤児」とまで呼ばれるようになったプーチンだが、実は中国やインド、トルコなどと原油や天然ガスを手みやげに独自外交を繰り広げている。2015年、米ロの対立によって世界の分裂がさらに進むことは必至だ。「2015年に何が起こりますか?」――。答えは、誰にもわからない。しかし、「2つの視点」から見ることで、「世界がどっちに向かっているか?」を、ある程度知ることはできる。「2つの視点」の1つ目は「世界的に見る」ことだ。日本国内の政局だけではなく、視野を「全世界」まで広げて考える。もう1つの視点は、「歴史的に見る」こと。「過去」に原因があり、その結果「現在」がある。そして、「現在」が原因となり、「未来」が形作られる。歴史を追ってみると、「ある流れ」が存在していることが明らかになる。今回は、この「2つの視点」を使って、15年の米ロ関係を予測してみよう。

戦争と平和の繰り返しで頂点に立った米国  世界情勢の「主人公」たちの栄枯盛衰

世界の歴史を見ると、「平和」と「戦争」が繰り返されている。そして、「戦争」には、「主人公」といえる国々が必ず存在している。たとえば、第1次大戦の主人公は、大英帝国とドイツ帝国だった。英国は、大国ロシア帝国と米国の支援を受け戦い、ドイツ帝国に勝利した。第2次大戦時、欧州戦線の主人公は、またもや大英帝国と(ナチス)ドイツだった。英国は、大国米国とソ連を味方につけ戦い、強敵ドイツに勝利した。戦後の主人公は、いうまでもなく米国と共産ソ連である。次に世界は「冷戦時代」、別の言葉で「米ソ二極時代」に突入した。その後も世界では多くの紛争、戦争が起こっている。中国内戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争、アフガン戦争(1978~89年)などなど。これらは、いずれも米ソによる「代理戦争」だった。「米ソ二極時代」は、91年末のソ連崩壊によって終結。そして、世界に超大国が一国しかいない、「米国一極時代」が到来した。ライバルだったソ連は崩壊。経済のライバル日本は、バブル崩壊により「暗黒の20年」に突入。欧州は、冷戦終結により、豊かな西欧が、貧しい東欧を抱え込むことになり苦しい。中国はまだまだ弱く、米国の地位を脅かす存在ではなかった。ただ一国、米国だけが、「ITバブル」による「空前絶後」と呼ばれる経済的繁栄を謳歌していたのである。

「主人公」が米国とロシアに移り 世界各地で繰り広げられた”代理戦争”

ところが、米国の一極世界は長くつづかなかった。反逆の狼煙をあげたのは、意外にも「欧州」、特にドイツとフランスだった。冷戦時代、ドイツ(当時は西ドイツ)、フランスはソ連を恐れ、米国の言いなりになるしかなかった。しかし、ソ連崩壊によって、「東の脅威」が消えた。それで、「もはや米国の保護は必要ない」と考えたのだ。ドイツ、フランスは、「EUを東に拡大すること」「ユーロをドルにかわる世界通貨にすること」によって、「欧州に再び覇権を取り戻そう」と画策した。米欧対立の犠牲者になったのが、イラクのサダム・フセインである。フランスにそそのかされたフセインは2000年9月、「原油の決済通貨をドルからユーロにかえる!」と宣言し、米国の指導者たちを卒倒させた。2003年、米国はイラクを攻撃し、フセイン政権を打倒。イラク原油の決済通貨をユーロからドルに戻すことに成功した。さて、03年頃から、世界情勢の主人公は米国とロシアに移っている(もちろん、米中という見方もあるだろうが)。有能な独裁者プーチンによって急速に復活してきたロシアは、米国と対立するようになっていく。米ロは、「イラク戦争」「ユコス問題」「グルジア・バラ革命」(いずれも03年)、「ウクライナ・オレンジ革命」(04年)、「キルギス・チューリップ革命」(05年)などで、米ソ時代と同様に代理戦争を繰り広げた。米ロの対立は08年8月に起こった「ロシア-グルジア戦争」で一つのピークを迎える。当時グルジアの大統領は、03年の革命で政権についた超親米男・サアカシビリ。つまり、この戦争は、ざっくりいえば「米国傀儡政権」グルジア対ロシアの戦争だったのだ。しかし、この戦争後、米ロ関係は改善されていく。理由は、グルジア戦争の翌月(08年9月)、「リーマンショック」から「世界的経済危機」が起こったこと。米国にもロシアにも、戦いを継続する余裕はなく、いわゆる「米ロ再起動」(平たく言えば仲直り)の時代に突入する。仲直りは長くは続かなかった… プーチン復帰で、再開された米ロ「新冷戦」

2000~08年まで、4年2期大統領をつとめたプーチンは、その座をメドベージェフに譲った。理由は、憲法の規定で、「大統領は連続2期まで」と決められているからだ。米国大好き男・メドベージェフが大統領だった4年間、(グルジア戦争を除けば)米ロ関係は比較的良好だった。しかし、12年5月、プーチンは大統領に復帰し、米国との新たな戦いを開始する。13年8月、オバマはシリア軍が反体制派に「化学兵器を使ったこと」を理由に、「シリアを攻撃する」と発表した。しかし翌9月には、戦争開始の決定を「ドタキャン」して、世界を驚愕させた。これはいったいなんだったのか?実をいうと、オバマのいう、「シリア軍が化学兵器を使った」という大義名分は「ウソ」だったのだ。こちらを見てほしい(太字筆者)。

<シリア反体制派がサリン使用か、国連調査官  AFP=時事5月5日(月)配信

[AFP=時事]シリア問題に関する国連(UN)調査委員会のカーラ・デルポンテ調査官は5日夜、シリアの反体制派が致死性の神経ガス「サリン」を使った可能性があると述べた。スイスのラジオ番組のインタビューでデルポンテ氏は、「われわれが収集した証言によると、反体制派が化学兵器を、サリンガスを使用した」とし、「新たな目撃証言を通じて調査をさらに掘り下げ、検証し、確証をえる必要があるが、これまでに確立されたところによれば、サリンガスを使っているのは反体制派だ」と述べた。>

要するに、米国は、イラク戦争に続き、「ウソの理由」でシリアを攻撃しようとしていた。それを積極的に暴露したのが、プーチン・ロシアだったのだ。13年6月、北アイルランド・エニスキレンでG8サミットが開かれた。オバマは、このサミットで「シリア攻撃のお墨つき」を得ようとした。しかし、プーチンが「戦争計画」に反対し、オバマは困ってしまう。しかも、プーチンの挙げた根拠は、誰にも否定できないものだった。

<プーチン大統領はまた、反体制派が化学兵器を使ったことを指し示す証拠があるとし、「われわれは化学兵器を持った反体制派がトルコ領内で拘束されていることを知っている」と述べた。 さらに、「反体制派が化学兵器を製造している施設がイラクで発見されたという同国からの情報もえている。これら全ての証拠は最大限真剣に調査される必要がある」と強調した。>(ウォール・ストリート・ジャーナル2013年6月19日、太字筆者)

要するにプーチンは、オバマに面とむかって、「おまえはウソをいっている!」といったのだ。さらにロシアは、「反体制派(=反アサド派)に、『9.11』を起こしたアルカイダが含まれている」ことも暴露し、米国を追いつめていった。結局、オバマは、(ウソを後に暴露された)「イラク戦争」の失敗を繰り返さないために、戦争を中止せざるを得なくなった。一人で戦争を阻止したプーチンの名声は高まり、オバマ・米国の権威は地に落ちた。ウクライナで、(親ロシア)ヤヌコビッチ大統領を非難する大規模デモが起こったのは、そのわずか2ヵ月後のことである。これは、偶然だろうか?そうかもしれないし、そうではないのかもしれない。

引くに引けないオバマとプーチン 2015年、米ロの和解は期待薄

14年、米ロの対立は、誰の目にも明らかになった。時系列で見てみよう。2月、ウクライナで革命が起こり、親ロシア・ヤヌコビッチ政権が崩壊した。3月、ロシアは、ウクライナ領「クリミア共和国」と「セヴァストポリ市」を併合。4月、ロシア系住民が多いウクライナ東部ルガンスク州、ドネツク州が「独立宣言」。親欧米ウクライナ新政府は、もちろんこれを容認せず、軍隊を派遣、内戦が勃発した。現在も米国は、欧州および日本と共に、「対ロシア制裁」を強化しつづけている。モスクワ在住の筆者にはよくわかるが、ロシア制裁の効果は、かなりあがっている。ルーブルは、年初の1ドル32ルーブルから、12月半ばにはなんと79ルーブルまで大暴落。ルーブルの価値は、この1年で約2.5分の1になってしまった。ルーブル下落で輸入品の価格は上がり、インフレが庶民を苦しめている。さらに、原油価格の暴落(WTIは6月のバレル107ドルから、12月には53ドルまで下げた)が、輸出の3分の2を石油、ガスに頼るロシア経済を直撃している。ロシア国内でも、「来年は、09年以来のマイナス成長。しかも相当なマイナス成長になりそうだ」と予想されている(09年、ロシアのGDPは、マイナス7.8%だった)。 しかし、プーチンが「クリミアを返す」ことは「あり得ない」と断言できる。プーチンの高い支持率は、「クリミア併合」によって維持されているのだから(支持率は、年初60%だったが、併合後は80%台を保っている)。なぜ、ロシア国民は、「クリミア併合」を支持するのか?クリミアは、1783年から1954年までロシアに属していた。要するに、ロシア人は、「クリミアはロシアのもの」と確信しているのだ。プーチンは、これを「無血」でウクライナから取り戻した。いってみれば、日本が無血で、ロシアから北方領土を、韓国から竹島を取り戻した感覚である。だから、プーチンは、クリミア併合によって「ロシアの歴史的英雄」になった。それをいまさら、「やっぱりウクライナに返す」といえば、国民は激怒し、いくらプーチンでも政権を維持できなくなるだろう。要するにロシアは、変わらない(変われない)。一方、米国オバマ政権も、「対ロシア制裁」を解除し、ロシアと和解することはできそうもない。オバマは、「シリア攻撃をやめたこと」「クリミア併合を阻止できなかったこと」などで、「決断力のない」「弱腰の」大統領と非難されている。こういう批判をかわすために対ロ制裁を強化しているのだから、これを途中でやめるわけにはいかないのだ。ロシアと和解するどころか、米国は、ウクライナ政府の軍備増強を積極的に支援している。

<米議会が13日に可決した法案は、ロシアの防衛・エネルギー産業や金融企業などを対象に追加制裁を行うよう大統領に求めている。また、対戦車兵器など致死的兵器を含む3億5000万ドル(約409億円)の軍事支援をウクライナに供与することを2015会計年度に認めている。>(毎日新聞12月17日、太字筆者)

一方で、ロシアは「親ロシア派」への支援を増やしている。ウクライナ政府軍と親ロシア派の内戦は、9月から「休戦状態」にあるが、米ロ共「内戦再開」にむけた準備を急いでいる。つまり15年、「ウクライナ内戦」が再び始まる可能性は高い。そうなると、米国は、ますますロシアへの制裁を強化せざるを得なくなるだろう。

中国、インド、トルコはロシアの味方!? 「世界二分化」を目指すプーチン

日本から見ると「やられっぱなし」で、「世界の孤児」ともいわれるプーチン。実際、かなり苦しい立場にあることは間違いない。しかし、「世界の孤児」というのは少々大げさだろう。世界2位の経済大国中国は、「ロシア支持」を明確にしている。また、プーチンは12月1日、ロシア-欧州を結ぶ「サウスストリーム」(=ガスパイプライン)の建設中止を発表。かわりのガスパイプラインを、トルコまで建設することを明らかにした。ここで重要なのは、トルコが欧州を裏切ってロシアについたこと。さらに、プーチンは12月11日、インドを訪問し、モディ首相と会談。「ロシアはインドに、毎年1000万トンの原油を供給する」「ロシアは、インドに20基の原発を新設する」ことなどで合意した。インドも、米国のいうことを聞かず、ロシアとの友好を深めている大国である。15年、プーチンは、経済制裁に苦しみながらも、「反米の同志づくり」に精を出すことだろう。「同志」「同志候補」は、中国、「上海協力機構」(中ロ+中央アジア4カ国)、「BRICS」(中ロ+ブラジル、インド、南アフリカ)、南米諸国などである。ロシアに制裁を課している、米国、EU、日本を合わせると、世界GDPの約半分になる。それでロシアは苦しいのだが、プーチンは来年、残り半分の大国を自陣営に引きずり込むために奮闘するだろう。いずれにしても、米ロは今、「戦争中」といっても過言ではない状態にある。日本政府は、このことをはっきり自覚し、軽薄な「プチ独自外交」に走らないことが大切である。

近藤大介氏「米中はすでに、何らかの『密約』を交わしている!? 2015年、北朝鮮を巡る外交が大きく展開していく予感」(現代ビジネス12/12)記事

北朝鮮を久方ぶりに訪れたというある実業家は、私に次のように述べた。「華やかなのは市中心部の蒼光通りや栄光通りだけで、東平壌には巨大な貧民窟が広がっていた。真冬だというのに、通りには腐臭が立ちこめている。そして、地区の役場の職員たちが総出で、のたれ死にした遺体の処理をしていた。朝晩氷点下20度にもなる極寒の中、暖房もなく、食糧もなく、ついに首都・平壌まで、廃墟が広がり始めた。そもそも金正恩が指導した2009年末の通貨改革の失敗で平壌市民への配給が不可能になり、平壌市の面積を4割削減して、人口を220万から180万に減らした。それでも配給できなくなったため、今年4月に、さらに市の面積を縮小し、人口を150万に減らした。今回さらにピンチになって、つい

に100万まで減らそうとしているという噂が立っていた。12月12日に、ナンバー2だった叔父の張成沢・党行政部長を処刑して丸1年が経ったが、金正恩はいまだに、張成沢に関係のあった幹部の粛清を続けている。その数は2000人とも3000人とも聞いた。張成沢の姉の夫である全英鎮・駐キューバ大使一家、兄の息子である張勇哲・駐マレーシア大使一家も、このほど処刑されたそうだ。朝鮮人民軍の幹部に対しても、相変わらず粛清が続いていると聞いた」。このように、いよいよ窮乏してきた北朝鮮は、来る1月8日の金正恩32歳の誕生日にも、国民への「特別配給」ができない有り様だという。このまま経済困窮が続けば、朝鮮人民軍の「離反」も考えられる。(北とロシアは接近していくが)ここへ来て、ロシア経済に黄信号が灯り始めた。それによって、にわかに「ロシアが北朝鮮経済を救う」というシナリオも崩れてきた。「(露北間の)3500kmの鉄道建設はいいが、一体誰が資金を出すのか?」というわけだ。

では、結局どの国が北朝鮮を救うのか?

私は、2015年にアメリカが名乗りを上げるのではないかと見ている。北朝鮮を巡って米中はすでに、何らかの「密約」を交わしているのではないか。11月11日~12日、北京APEC(アジア太平洋経済協力会議)終了後に、オバマ大統領が2日間の中国国賓訪問をおこなった。オバマ大統領と習近平主席は、計8時間にわたる首脳会談の中で、北朝鮮問題についても時間をかけて話し合っている。この時、オバマは、北朝鮮外交を進めることを習近平に告げたのではなかったか。なぜなら、アメリカにとって北朝鮮が再び「ロシアの植民地化」するのは困るからだ。もし羅先がロシア軍の「軍港」と化せば、北東アジア情勢は大きく様変わりすることになる。それは中国とて望まない。中国は、「2018年から30年間、計40兆円の天然ガスをロシアから輸入する」という過去最大規模の契約を5月に結んだばかりだ。これはロシアからすれば、長期的なエネルギー輸出による安定した財政収入を確保したことになる。一方の中国からすれば、中ロ関係が悪化した場合、いつでも契約を打ち切るという選択肢を持ったことで、ロシアの生殺与奪を握ったに等しい。その後、ロシアが北朝鮮に急接近したのは、中国の背後に回ることで、中国が身動きを取れないようにする意図があったのだろう。そのような状況下で、北朝鮮に冷たかったアメリカと中国が、北朝鮮戦略の転換を始めたのである。12月17日にオバマが緊急会見して発表した、アメリカとキューバとの電撃的な国交正常化である。なぜ半世紀も敵対視していた両国の関係が急展開したかと言えば、二つの理由が考えられる。

一つは、オバマが「任期中の外交的成果」が欲しかったからだ。もう一つは、「ロシアの味方」を減らしたかったからだろう。つまり「新冷戦」が始まっているのである。こうした一連のできごとの延長線上に、2015年の米朝接近がある。すでに中国も手を打ち始めた。12月17日、北京の北朝鮮大使館で開かれた金正日総書記死去3周年の追悼行事に、劉雲山・中国共産党中央政治局常務委員(序列5位)が参列したのである。いまからちょうど1年前に、金正恩第一書記が張成沢を粛清して以降、中朝関係は冷え込み、両国の高官の往来はストップしていた。今回の劉雲山常務委員の参列は、その雪解けを示す中国政府の「シグナル」だった可能性がある。ともあれ2015年、北朝鮮を巡る外交が大きく展開していく予感がする。日本はこれを好機と捉え、拉致問題解決に活かしていくべきである。

12/23日経『朝日新聞の慰安婦報道 第三者委「危機管理に失敗」』等の記事について

朝日新聞の本件第三者委員会はメンバーが身内に近い人たちなのでアリバイ作りで大した報告は出ないだろうと思っていましたが、意外にも厳しい内容が出たと思っています。まあ、それなりに頭は回る人たちなので、甘い報告を出せば「身びいき」とのバッシングを受けるのが分かっていますため、どの程度の内容を出せば許されるか見極めて出してきたのがこの報告だと思います。

良かった点

  1. 「吉田証言への疑問点を示す記事が他紙に掲載されたのに、裏付け調査を怠った」と指摘したこと。秦郁彦の調査を指すものと思われます。
  2. 「木村伊量社長(当時)ら経営幹部が反対し、謝罪はしないという方針が決まった」と明らかにしたこと。まあ、これは社長を断罪することで「朝日新聞」という組織を守ったと見えなくもないですが。

悪い点

  1. 「同社記事が国際社会に与えた影響は限定的だったと認定した」こと。この記事が基で、左翼の跳梁跋扈もありましたがクマラスワミ報告が出され、アメリカの政治上層部に影響を与えたこと。民主党のオバマも相当影響されている様子。これは多分岡本行夫(外務省出身)がメンバーにいるため、事実を確認することなく「ずっと謝罪してきている」と外国に向けて主張してきた外務省に累が及ばないようにしたのでは。秦郁彦が調査結果を発表しましたのは1992年3月で、当時の外務次官を調べましたところ、やはりというか「小和田恒」です。駐米大使は前外務次官の「栗山尚一」で両者とも「日本はハンデイキャップ国家で良い」という論者です。官房長官は加藤紘一(外務省出身)でグルになって国を売った連中です。ハニーか賄賂工作という外国の謀略に引っかかった可能性もあります。
  2. 今後の対応、少なくとも英独仏露中、スペイン、ポルトガルの言語で謝罪・訂正記事を発信すること。「広義の強制性」なんて論理は事後法で裁くのと同じなのだから、主張を止めるべき。

記事

朝日新聞が従軍慰安婦をめぐる証言報道を取り消した問題で、報道内容を検証していた第三者委員会(中込秀樹委員長)は22日、報告書をまとめた。日本軍が朝鮮人女性を強制連行したとする証言など慰安婦報道の一部は裏付けが不十分だったうえ、記事取り消しや謝罪も遅きに失したことを挙げ「読者の信頼を裏切り、ジャーナリズムのあり方として非難されるべきだ」と総括した。軍が朝鮮人女性を強制連行したとする元山口県労務報国会下関支部動員部長、吉田清治氏(故人)の証言を1980年代から90年代に複数回取りあげたが、「吉田証言への疑問点を示す記事が他紙に掲載されたのに、裏付け調査を怠った」と指摘。97年の慰安婦問題に関する特集記事で吉田証言に関する記事を訂正・取り消し、謝罪をすべきだったのにこれを怠ったと批判した。今年8月の検証記事で一部記事を取り消したが、経営幹部が経営上の危機管理を優先し「記事の取り消しはするが謝罪はしない」との方針が決まったと指摘。これについて「『社を守る』という大義によって、編集現場の決定が翻された。そのため慰安婦問題の伝え方が読者や社会が納得する内容にならず、危機管理そのものに失敗した」と厳しく非難した。今後の提言として、記者が先入観や思い込みをただして取材にあたることや、経営が編集に介入することは最小限にし、経営と編集の分離をいっそう進める必要があるとしている。

『朝日新聞の慰安婦報道 第三者委「読者の信頼裏切った」』記事

朝日新聞の従軍慰安婦報道を検証する第三者委員会は22日、報告書をまとめた。日本軍が朝鮮人女性を強制連行したとする証言など慰安婦報道の一部は裏付けが不十分で、記事の取り消しや謝罪も遅きに失したとして「読者の信頼を裏切り、ジャーナリズムのあり方として非難されるべきだ」とした。同日、記者会見した第三者委委員長の中込秀樹弁護士は「新聞記事が社会にいかに大きな影響を与えるかを自覚すべきだ」と述べた。朝日新聞は、元山口県労務報国会下関支部動員部長、吉田清治氏(故人)が「済州島(現・韓国)で朝鮮人女性を強制連行した」などとした証言を1980年代から90年代に複数回取り上げた。報告書は「吉田証言について十分な裏付けがされた事実がうかがえない」と指摘。他紙に同証言への疑問が掲載された後も「証言の取り扱いを減らすなど消極的対応に終始し、読者の信頼を裏切った」と批判した。同社は97年と2014年の2回、慰安婦問題の検証記事を掲載した。97年は吉田証言について「真偽は確認できない」と説明するにとどまった。報告書は吉田証言に基づく軍による強制連行を前提とした記事は、この段階で訂正か取り消して謝罪すべきだったと指摘した。14年8月の検証記事では16本の記事を取り消したが謝罪はしなかった。編集幹部を含む検証チームは訂正とおわびを載せる紙面案を作成したが、木村伊量社長(当時)ら経営幹部が反対し、謝罪はしないという方針が決まったと明らかにした。この点について「経営による危機管理が先行しすぎた。『社を守る』という大義によって、編集現場の決定が翻された。このため読者や社会の納得のいく内容にならず、危機管理そのものも失敗した」と総括した。一方、同社記事が国際社会に与えた影響は限定的だったと認定した。検証記事を批判的に取り上げようとしたジャーナリスト、池上彰氏のコラム掲載見送りも「木村社長が掲載に難色を示し、編集部門が抗しきれなかった」とした。朝日新聞への提言として、記者が先入観や思い込みをただして取材にあたることや、誤報への対応策を明確にすること、経営と編集の分離をいっそう進める必要があることなどを挙げた。

12/21日経 『地球回覧 日系米国人の苦難に光』記事について

日系人の強制収容所について書いたのは山崎豊子の小説『二つの祖国』が有名です。主人公は日本人らしく戦争中の二つの国にあってどちらの立場を取るかを悩みに悩んだ末、アメリカ側に立つことにしました。極東軍事裁判の通訳モニターを務めた後に自殺しますが、心の葛藤があったのでは。しかし、中華、小中華の民族は国を平気で捨てるにも拘わらず、国籍変更した国で捨てた国のための工作活動をします。日本人の心の潔さ、真面目さがないから、迷わずに捨ててきた国のために動くのでは。所詮は金のために動く人達でしょう。そうでなければスパイです。日本の政治家にもたくさんいますが。中華、小中華の人達には『二つの祖国』の主人公についての心情は理解できないでしょう。今クリスマスに公開されるアンジェリーナー・ジョリー初監督の映画「アンブレイカブル」で、戦争中に日本軍人は「食人」した民族というふうに描かれているそうです。日本の歴史を余りに知らなさすぎです。日本人は明治維新後になって、明治天皇が初めて牛肉を食し、庶民も動物の肉を食べるようになった歴史があります。仏教の「無益な殺生はしない」教えが長い間守られて来たのだと思います。況や人間をや。中国が裏で動いている気がします。また、アメリカは人口の多い中国にこの映画を持込み、儲けるつもりでしょう。第二次大戦前、新聞王ハーストは何の根拠もない日本脅威論を書き立てました。彼は「新聞の売上げを増やすためなら、国を戦争に追い込むことも辞さない」と言われた人物で、総人口の〇・一%しかいない日本人があたかもアメリカを征服するかのように書き、世論をあおりました。また、ヘンリー・ルースは雑誌「タイム」や「ライフ」で親中・反日報道をしてアメリカ国民世論を誤った方向に導きました。プロパガンダです。放置していては世界の日本への見る目が変わっていくでしょう。本当に食人の習慣がある(現在も胎児を食うそうです)のは中国人です。黄文雄、林健良が言っています。自分たちがやってきたことを他人に転嫁するのは得意な民族ですから。慰安婦、南京虐殺と同じ構図です。外務省は何をしているのかと言いたい。頭でっかちの公家集団では何もできません。解体して、新組織を作るべきと思います。

記事

米西部ワイオミング州。日本人旅行者にも人気が高いイエローストン国立公園から東へ約100キロの場所に、窓が割れ、外壁はがれ落ちた一群の廃虚がある。「ハートマウンテン転住センター」。第 2次世界大戦中に1万人以上の日系米国人が送り込まれた強制収容所の跡地だ。

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12月上旬、現地を訪ねると、 かつて500棟近いバラック が立ち並んでいた平原には雪が舞っていた。近くにそびえるハートマウンテン(標高2476メートル)から吹き下ろす風が冷たく肌を突き刺す。

72年前、行き先も告げられずに列車に乗せられ、3日以上かけて連れてこられた日系人の多くは温暖なカリフォルニア州の住民だった。「持てるだけ」しか携行を許されなかった手荷物の中に、氷点下20度まで下がる冬の寒さをしのぐコートはなかった。「安全保障の脅威になる」 とい口実のもと、太平洋沿岸部からハートマウンテンを含む全米11カ所の強制収容所に連行された日系人は12万人 あまり。大半は米国で生まれ、市民権を持ちながらも、戦争によって「敵」と色分けされた二世たちだった。「何人も正当な法の手続きによらないで、生命、自由または財産を奪われることはない」。跡地にオープンした資料館の入り口には、合衆国憲法修正5条が大きく刻まれている。88年8月、レー ガン大統領は日系人強制収容の過ちを認め、米政府として初めて公式に謝罪。生存者に補償するとともに、強制収容の歴史を学校で教えるための基金も設立した。だが、現実には強制収容の歴史を知る米国人は「驚くほど少ない」と、資料館を運営するハートマウンテン•ワイオミング財団のシャーリー• ヒグチ理事長は嘆く。多くの学校は米国史の暗部にあえて触れず、ヒグチ氏の両親を含む収容者自身も、つらい過去を封印し、多くを語ってこなかったためだという。01年9月11日の米同時テロでは、国際テロ組織アルカイダ対する憎悪が米国内のイスラム系住民に向けられ、最近もミズーリ州で丸腰の黒人 青年が白人警官に射殺された。人種間の不信に根ざした悲劇は後を絶たない。そんな中、「日系人」と言うだけで住み慣れた土地を追われ、自由を奪われた強制収容の歴史に光を当て、そこから学ぼうという草の根の取り組みが広がっている。

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11月22日、カリフォルニア州サンノゼ市で、ドキュメンタリー映画「ハートマウンテンの遺産」の上映会が開かれた。「テレビ界のア力デミ— 賞」と呼ばれエミ—賞を今年受賞した同作品は、収容者とその親族の証言などを基に、収容所での生活や終戦後に待ち受けていた人種差別の実態を記録。厳しい環境の中でも尊厳を失わず、ひた向きに生きた人々の様子を鮮やかに描写している。「人種に基づいて人を判断し、差別するのは正しいことだという考え方は今も根強い。残念だが、それがこの国の現実だ」。プロデューザーの一人で、自らも日系人のデイビッド・オノ氏はいう。「だからこそ、この史実をもっと 広めなければならない」。戦後70年の節目となる来年 2月19日には、首都ワシントンで上映会を開く。2月19日 は日系人強制収容への道を開いた大統領令に、ルーズベルト大統領が署名した日でもある。「米国人はもちろん、日本の人々にも強制収容の歴史を知ってほしい。日本にとっても縁のない話ではないのだから」。ヒグチ氏の言葉が、ドスンと腹に響いた。 (シリコンパレー=小川義也)

12/21日経文化欄 芳賀徹氏『渡辺崋山を想う』について

芳賀氏は本記事で言いたかったのは『今の日本は「平和ボケ」しているが真のエリートが出て、日本海・東支那海波高しの状況を変えてほしい。明治維新の達成の源流が徳川の教育にあったように、平成以後の危機も昭和の教育(戦後民主主義教育のことではない)こそが解決できるのでは』と言うことでは。「戦争反対」と念仏を唱えていても、遅れてきた帝国主義者・中国の欲望は果てしなく、日本を韓国同様属国にするまで侵略し続けるでしょう。真のエリートが出てほしいと願っています。目先の金儲けしか考えない財界人はいくら財界・会社で地位が高くても、エリートとは言いません。老後のことを考え、天下り先を増やすことしか考えないような東大卒に代表される官僚も真のエリートとは言いません。崋山のように、国のために命を賭けて戦う人こそ真のエリートです。松陰の言った「草莽崛起」こそ、我々が目指す道です。

記事

はが•とおる 比較文学研究者。1931年山形県生まれ。東大教養卒。著書に「渡辺崋山」 「平資源内」「絵画の領分」「詩歌の森へ」など。静岡県立美術館長。

徳川家康(一五四三〜一六一六)が没して再来年は四百年。それを記念してさまざまな行事がすでに動き始めている。私 たちの美術館でも、ニ○一六年秋には「徳川文明展」を催すべく準備を始めたところだ。家康一人の顕賞ではなく、徳川体制の下に工夫され、築かれ、維持されて享受された「徳川の平和(パクス•トクガワーナ)」二百五十年(一六○三~一八五三)の意味を問い直そうという試みである。

□ □ □その文明展に入れられるかどうかはまだ不明だが、いま私が思い浮かべるのは、むしろ「徳川の平和」の終焉を予感して苦悩した一人の武士知識人、渡辺崋山(一七九三 〜一八四一)のなつかしい姿である。崋山が三宅藩の年寄役に任じられ、海防事務掛をも兼ねることになって、久しぶりに三河の田原に帰った天保四年(一八三三)のことだった。 四月半ば、彼は領内検分の小旅行に出て、渥美半島の突端の伊良湖岬に立った。沖合一里ほどに神島が見える。まるで外洋に向かう巡洋艦のように颯爽たる姿の、いまも美しい小島である。三島由紀夫が小説『潮騒』の舞台に選んだことでも有名になった。領外ではあっても、崋山は海防掛としてこの島に渡ってみた。強い潮流に難儀しやっとの思いで島に上ると、そこはまるで別天地だった。彼は部下二人とともに網元の家の世話になったが、珍客到来というので村の漁民男女が次々に集まってくるのだ。崋山はこの時の旅日記『参海雑志』に「かの桃源に入りし漁夫もかくやと思い出しなり」と書いた。そして翌日早朝、海岸散策に出たときの記録—-「およそ此の島の人、男は素朴にて偽な<、女はいとこころやさしくて ……なかなかめで度ぞ見えし。やがてたばこくゆらしつつ海の朝日の出るを見んと、東の磯に立ち出づ。とく起きて磯草乾せる女に案内させて、しろき巌の家よりも大きやかなるが波打際に從えでたるによぢのぼりてながむる。はてしなき海原の大空につらなりて、横雲の赤く紫にたなびきたるさま、波のみどり深く黒みたる、四人の称る大東洋にして、かの亜墨利加とかいへるわたりもこの海原よりつらなれりと思ふに、まことに世の外の思ひを生じ……」

十九世紀日本のもっともすぐれた武士知識人にして武人画家であった人、渡辺崋山の面目躍如たる一節ではないか。こ の人のなかに宿されていた感受性のゆたかさ、心の優しさ、そして思想のひろがりが、おのずからここにあらわれている。崋山ほど、名もなき民衆の健気な日々の営みとその表情にこまやかな親愛の情を寄せていた武人は、他にめったにいなかった(彼の若き日の素描集『一掃百態』は『北斎漫画』にも立ちまさる)。 その一方で崋山はまた、たばこをくゆらしながらでも、太平洋を眺めればその遠いかなたのアメリ力に思いを馳せずにはいられない人だったのである。

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彼はこの藩領巡察の前の年から、小関一英、高野長英の二人を相手にして本格的に西洋研究を始めていた。二人とも長崎でシーボルトに学んだ当時最優秀の洋学者であった。江戸の三宅藩邸内でつづけたこの研究会は、尚歯会と呼ばれ、やがて幕臣の川路聖謨や江川英龍(太郎左衛門)ら開明派の俊秀たちもこれに加わってくる。尚歯会で蘭書を読み内外の情報を集めて研究すればするほど、西洋列強の露骨なアジア進出の形跡は明らかになり、日本国の内憂外患の現状への彼らの焦慮はつのっていた。崋山はその点でことのほか鋭敏だった。彼が神島のみならず江戸で日々に接する民衆は、みな今なお「徳川の平和」の永続を信じて、つつましくも懸命に立ち働いている。「四海波静か」の世界が「波高し」に急変しつつあることを彼らはまだよく知らずにいる。それならば彼ら名もなき民の平穏と小さな幸福を守りつづけてやることこそ、エリートとして武士知識人の現今最大の責務ではないか。「徳川の平和」はついに終章に入りつつあることを崋山はすでに明らかに自覚 していた。

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彼が「慎機論」を書き「西洋事情御答書」を書いて、激越な言葉で徳川幕政下の為政者たちの平和ボケ批判を敢行するのは、あの神島渡海からわずか五、六年後のことだ った。その言動が蛮社の獄に直結して、死刑は免れたが田原蟄居に処せられるのが天保十一年(一八四〇)の正月。その翌年十月十一日の夜、崋山は満四十八歳で自刃する。 太平洋の波音の遠く聞こえるなかで、愛弟子の画人椿椿山にあてて書かれた遺書は、あまりにも悲痛である。「数年の後一変も仕り候はば、悲しむ人もこれあるべきや。極秘永訣此の如くに候。」—– 中国大陸にアへン戦争はすでに始まっていた。ぺリーの黒船来航の十二年前のことだった。しかし考えてみれば、この崋山らのような卓越した武士知識人、藩をこ えて新しい公への責務を強く自覚する武士エリ—卜たちを生み、教育し、 活躍させたのも、徳川の日本にほかならなかった。そのことを私たちは 忘れるわけにいかない。徳川日本の文明は、みずから蓄えた智恵と勇気をもって、新しい国際関係の圧力に対抗し、開国し、自己変革のための近代化策を次々に講じて、明治維新のなかに摂取されていった。その御一新の当の実行者たちも、実はみな「徳川の平和」の充溢のなかで学び、能えられて、崋山の遺託した「数年の後(の)一変」に身を艇しようとしたエリー卜たちだったのである。