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7/22産経ニュース 『「一滴の血も流さず。6度の憲法改正で革命を成就」 李登輝氏の講演要旨』について
7/23TV東京の朝のニュース『安倍総理大臣と日本を訪れている台湾の李登輝元総統がけさ、会談しました。現職の総理大臣と台湾の元総統の会談は異例で、中国を刺激しそうです。安倍総理はけさ、李氏が宿泊する都内のホテルに1時間半ほど滞在していました。台湾と深い関係を持つ自民党議員は先ほど、安倍総理と李氏の会談を認めました。また、李氏本人もホテルを出る際、テレビ東京の取材に対し、安倍総理との会談を認めました。現職の日本の総理が台湾の元総統と会談することは異例で、中国の反発も予想されます。』と流されたのをFacebookで見ました。9月の首相訪中もこれで分からなくなりました。中国は会談のための3条件、特に「靖国参拝しないこと」を入れていますから、これで会うとすれば如何に習近平の経済の舵取りがうまく行ってないという事が分かってしまいます。日本は強気で出れば良いです。AIIB参加などもっての他。でも、次はダライ・ラマと会うようにすれば良いし、今チベットが中共から如何にひどい目に遭っているか伝えることにより、集団安保の重要性が日本国民にも「我が身」として感じることができるのでは。
アメリカも蔡英文と国務省高官が会ったくらいだから、中国に気兼ねしなくなったので、安倍首相も会えたのでしょう。中国の暴発を抑えるには多国間での封じ込めが一番良い。李登輝氏が言うように日台で協力して中国対抗策が出来るはずです。日中中間線に軍事基地と思しきものを作っていますが、日本側に妨害電波や潜水艦の進路妨害の基地を造るべきです。何もしないことが一番悪い。中国が文句言ったら「自分の分を先ず撤去せよ」と言う事です。勿論撤去しないでしょうから日本側は粛々と対応すればよい。ただ、中間線を認めて良いかという問題は残りますが。
外省人と雖も、民進党を支持する人もいます。勿論、中国の人権抑圧を見ていたら、中国が台湾を奪えば自分も抑圧される側になるかもしれませんし、台湾内部でも数の上で本省人の方が多いので、普通に考えたら今の世の中国民党が下々を考えず強圧的な政策や人権抑圧国家の中国に接近することは本省人の反発を受けますので国民党も馬総統のように露骨には出来ないと思います。
李登輝氏は日本の改憲に支援を送ったという構図であり、今度の集団安保にも支持表明したのだと思います。国民の理解が進んでいないと日本のメデイアは言いますが、理解を妨げるような報道をしているからでしょう。「中国の侵略にどう対抗するのですか?」と聞けばよいし、「中国に隷従するのですか?内蒙古・チベット・ウイグルのようになりますけどそれで良いのですか?戦わない限りそうなりますよ。一国で戦うより、多くの国を味方につけたほうが有利だし、抑止力となって戦争を防ぎます」と。えっ、「中国はそんなことはしない」ですって。「今の南シナ海、東シナ海でやっていることをどう考えますか?」と聞いてマトモに答えられる人がいますか?理解しようとしてないだけです。
中国人は相手がしたことに感謝し、相応の配慮をすることはありません。中華・小中華ともです。集団安保にについて中国向けとハッキリ言ってやればいいのに。オブラートに包んでもすぐ分かるし、相手は文句言ってナンボの世界の住人だから気にすることはありません。反日でデモ・略奪を国家命令でやるような国です。敵国であることは間違いありません。
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来日中の台湾の李登輝元総統(92)が22日、東京・永田町の衆院第1議員会館で行った講演の要旨は次の通り。
「台湾の国民党政権内部には保守と革新の対立、閉鎖と開放の対立、国家的には台湾と中華人民共和国における政治実態の矛盾があった。民主化を求める国民の声は日増しに大きくなっていた。これらの問題が抱える範囲は非常に広範だったが、その根本的な問題には台湾の現状に即していない中華民国憲法があった」
「これらの問題解決のため、私は憲法改正から始めるしかないと考えた。当時、私は国民党主席を兼務していて、国民党が国会で絶対多数の議席を有していた。ただ、問題は党内部の保守勢力だった。保守勢力は時代遅れの憲法への執着を隠さず、その地位を放棄することにも大反対だった。民主改革には耳を貸さず、ただ政権維持だけに固執していた。さらに国民党を牛耳る有力者たちは、いつの日か中国大陸を取り戻すという時代遅れの野望を捨てきれずにいた」「一連の民主化の過程で、いくたの困難にぶつかったが、終始国民からの支持を受けながら、経済成長の維持、社会の安定を背景に、ついに一滴も血を流すことなく、6度にわたる憲法改正によって静かなる革命を成就させた。常に人々が夜安心して眠れる社会にしたいと夢中で務めた12年間の総統だったが、まがりなりにも台湾に民主社会を打ち立てることができたのは私の生涯の誇りとするところだ」
「中国は『一つの中国、台湾は中国の一部』という主張を繰り返しているが、われわれは決して同意できない。台湾省を凍結して、事実上台湾省を廃止した。台湾は一つの省に過ぎないという虚構と矛盾におかれていた状況を放置していたら、いつまでも台湾と中国は一体であると国際社会に誤解を与えつづけるようなものだ。そこで、台湾と中国は別個の存在というアピールを込めての台湾省凍結を行った」
「半世紀以上も続いた中国と台湾の曖昧な関係をきちんと整理することで、台湾に長期の安定がもたらせるように考えた。台湾は特殊な状態に置かれている。政治の民主化、変革によって、空虚な大中国という伝統的アイデンティーに疑問が投げかけられた結果、主体性を有した台湾アイデンティティーという新しいパラダイムが生まれた」
「台湾には憲法改正を含む第二次の民主改革が必要とされている。改革を求める声は社会とともに若者たちの間から大きく上がっている。現在の中華民国憲法では総統は直接選挙で選ばれることになっているが、憲法上は権力の範囲にはっきりした規定は存在していない。権力の分離や権力の抑制を憲法にてらして、制限すべきだ。現在の台湾の総統の権力が大きくなりすぎている問題点を浮彫りにしたのが昨年の2月に起きた学生運動だ。密室協議で強引に中国とのサービス貿易協定を結ぼうとしていた政府に対して学生たちの怒りが勃発し、立法院の議場占拠という前代未聞の自体となった」
「一方で緊急事態条項も推し進めなくてはならない。日本でも東日本大震災から4年以上がたつが、迅速な救援活動を可能にするため、政府に一元的に権限を集中させる緊急事態条項が憲法上規定されていないという欠陥が指摘されている。中華民国憲法にも同様の問題点がある。大規模な災害発生時に憲法保障の空白が生じる事態を避けるために、このテーマを早急に改善する必要がある」
「今や第一次民主改革の成果は極限に達しており、台湾はまさに第二次民主改革が必要とされている。私は現在92歳。長く見積もっても台湾のために働けるのはあと5年ぐらいだろうと感じている。残りの人生は台湾により一層成熟した民主社会を打ち立てるためささげたい。台湾はこれからも、日本と同じく自由と民主主義という価値観を至上の価値とし、日本と手を携えて国際社会の発展のために貢献していきたい」
月刊正論 西岡力『日韓関係の悪化を喜んでいる者』について
西岡氏は韓国人に思い入れがありますが、大部分の日本人は突き抜けた感じがします。一般国民と政府・マスコミとを分けるのは中国共産党の日本軍と日本国民を分けた論理と一緒です。尊敬する西岡氏ですが、一般韓国人も含め日本人の感情が許さない所まで来てしまっています。世界で日本を貶めることを政府・マスコミ挙げて言い募り、しかも捏造ばかりです。嫌がらせを得意とするヤクザそのもの。ヤクザが好きな日本人が殆どいないのと同様、韓国人が好きな日本人は殆どいないのでは。
北の工作が奏功しているという見方もありますが、保守派も殆ど反日であるなら何をか況や。精神的未熟というか精神障害者ではないかと思います。それが世界の人々の思いで、Korean fatigue と言われる所以です。神社仏閣に油を撒いたのも在日から帰化した人間、NYTの大西哲光や田淵広子もそう言われています。韓国にルーツを持つ人間と韓国民が一体となって反日を世界に広めようとしているとしか思えません。やられっ放しには行きません。キチンと落とし前はつけさせましょう。まず、通名禁止、在日から帰化した人間は日本を貶める行為をした場合、帰化前の名前の公表、韓国との断交も視野に入れ、韓国との交易禁止にするとか、政府はできることを考えるべきです。軍事力では日本の方が圧倒していますので、平和的な制裁で首を絞めた方が良いでしょう。中国の属国と言うか中国の一部の省になった方が良いのでは。でもロシアが東欧に緩衝地帯を置くように朝鮮半島が緩衝地帯になっているので、属国のままかも。
昔の韓国人は日本の教育の名残があったから優れた徳を持った人もいたのです。今は見る影もありませんが。日本も変わりましたが、彼らのように自分ができないからと言って人の足を引っ張る事しか考えないことはありません。哀れな民族としか言いようがありません。でも世界に与える影響があるので反撃しないと。中国・韓国の経済成長で日本の果たした役割は大きかったですが、忘恩の徒です。まあ、両方とも「騙す人が賢く、騙される方が馬鹿」という価値観ですから。こんな連中と付き合うと碌なことはありません。日本の政治・経済のリーダーも中韓を見限るべきです。戦争をしたくないなら、両国に対する支援を止めるべき。
記事
今年6月で日韓国交50年を迎えた。私事で恐縮だが、私は1977年大学3年次に1年間、韓国に留学した。留学準備期間を含めると私は、そのうち約40年間、韓国と日韓関係を研究対象としてきたことになる。40年間、多くの尊敬できる韓国人と出会い、たくさんことを教えていただいた。私の研究はそれ抜きには成り立たなかった。
いま、日韓関係が悪化している。論者の中には最悪だという者さえいる。本稿で詳しく論じるように最悪ではないのだが、悪くなっていることは間違いない。
心配なのは韓国人の反日ではない。それは北朝鮮とそれにつながる左派勢力によって人工的に作られたものだから、声高に聞こえるが実質はそれほど強いものではない。韓国の反日は、ソウルの日本大使館前と国会とテレビ・新聞の中にしかない、少し極端だがそれが私の実感だ。
それに比べて、心配なのは日本人の嫌韓だ。韓国の反日の背後にある政治工作を見ず、その理不尽さをすべて韓国人の民族性・国民性に還元する議論の拡散を私は心配し続けている。事柄を形づくる要素のうち、一番最近に起き、かつ一番影響力が大きい部分を見ないで議論すれば、事柄の全体像を正確に把握することが出来ない。その結果、悪意を持って政治工作を行っている勢力だけが喜ぶことになる。
本稿では日韓両国民の感情的対立、特に最近の日本人の嫌韓感情を作り出した主犯として、北朝鮮と韓国内左派勢力、そしてそれを煽る日本国内の反日日本人らが作り出した「韓国版自虐史観」あるいは「極左的民族主義歴史観」を提示する。そして、その歴史観がいつからどの様な形で日韓関係を壊してきたのかを時系列を追って示していきたい。
70年代の韓国で出合った気高き民族主義
私の処女作『日韓誤解の深淵』(1992年亜紀書房刊)の前書きから話を始めたい。私は、日韓関係を心配して次のように書いた。読み返すと拙劣な文章で赤面するばかりだが、率直に思いを綴ったことだけは確かだ。
《1977年、当時大学3年生だった私は韓国の延世大学に交換留学生として留学した。在日朝鮮人差別問題のサークルの会員だった私は、日本人の一人として韓国の人々に過去を深く謝罪したいという気持ちで金浦空港に降り立った。
留学した当初は韓国語があまり出来なかったので、親しくなった友人とはブロークンの英語で話し合っていた。K君もその友人の一人だった。ところがK君は実は日本語が出来たのだ。私が少ない奨学金を工面して大学での授業以外に家庭教師を雇って韓国語の勉強をしているのを知った後、K君は日本語を使い始め私を驚かせた。それまで三、四回話したときはまったく日本語を分かる素振りすらみせなかったのに、である。私の韓国に対する姿勢をひそかに確かめていたのだろうか。
私はさっそくK君に対し、英語では伝えられなかった私の気持ち、つまり、日本人の一人として植民地支配について謝罪したいと語った。すると彼は「力の強い国が弱い国を植民地にしたのは当時としては当たり前のことだった。我々が弱かったから侵略されたのだ。謝ってもらうべきことではない。国際社会はパワーがすべてだ。ぼくが今、日本語を勉強しているのも、うんと極端なことを言うと、もし将来日本と戦争になった場合、相手の無線を聞いて作戦を立てられるようになるためなんだ。日本語が分かる者がいればその分韓国のパワーを強めることになるからだ》
私は彼の論理の明快さと自信に圧倒された。私が交換留学生としてソウルで暮らした77年から78年にかけて、日本の安易な謝罪を拒否し自民族の弱さを直視してそれを自分たちの努力によって補おうという気高き民族主義に出合うことが多かった。
78年3月1日、3・1独立運動記念日でソウル市内の至る所に韓国の国旗である太極旗が掲揚されていた。私は韓国人の友人P君と大学街を歩いていた。一人の幼稚園生くらいに見える男の子が門柱から垂れ下がっていた太極旗を棒でたたいて遊んでいた。それを見たP君が大きな声で「国旗をないがしろにしたらだめだ」と叱りつけた。
そして、私の方を向いて「お前の家には日の丸があるか。日本ではいつ国旗を飾るのか」と聞いてきた。うちには国旗がない。また、日本では公立小学校や中学校の卒業式に日の丸を掲げることを反対する声が強い等と説明すると、P君は「日本人は愛国心がないな。先日の新聞を見ると日本の若者の過半数が戦争になったら逃げると答えていた。俺はもし自衛隊が竹島を取りに来たら銃をとって戦うぞ。お前も日本人なら愛国心を持って日本のために戦え」とまじめな顔で言われたことを今も鮮明に覚えている。相手国の民族主義をも尊重する健全な民族主義、愛国心を、私は韓国で学んだ。
このような誇り高い民族主義は、1965年日韓国交正常化を推進した朴正煕大統領が持っていたものだ。朴正煕大統領の演説からいくつかの名言を紹介しよう。まず、朴正煕大統領の率直な反日感情とそれにもかかわらず「自由と繁栄のための賢明と勇気」を持って決断を下すと語った1965年5月18日、米国ワシントンDCのナショナル記者クラブでの「自由と平和のための賢明と勇気」演説からだ(『朴正煕選集・主要演説集』鹿島研究所出版会)。
《韓日会談が14年間も遅延してきたことは、みなさんよくご存じのことと思います。それには、それだけの理由があるのでありまして、外交史上いかなる国際関係にも、類例のない幾多の難関が横たわっているのであります。
周知のとおり、いま韓国には、韓日問題について、極端論をふくむありとあらゆる見解が横行しております。もしみなさんがわたくしに『日本について…』と質問されれば、わたくしはためらうことなくわたくしの胸に鬱積している反日感情を烈しく吐露することでありましょう。またみなさんがわたくしに『親日か』、『反日か』ときかれるならば、わたくしの率直な感情から言下に『反日だ』と答えることでありましょう。これはいやしくも韓国人であれば、誰でも同じことであります。四十年にわたる植民統治の収奪、ことに太平洋戦争で数十万の韓国人をいけにえにした日本は、永久に忘れることのできない怨恨を韓国人に抱かしめているのであります。
それにもかかわらず、そしてこの不幸な背景と難関をのりこえて、韓日国交正常化を促進せねばならない韓国の意志にたいして、みなさんの深いご理解を期待するものであります。われわれは、より遠い将来のために、より大きな自由のために、より高い次元の自由陣営の結束のために、過去の感情に執着することなく、大局的見地において賢明な決断をくだしたいと考えるのであります》
次に紹介するのは1965年6月23日、韓日条約に関する韓国国民への特別談話からだ。
《去る数十年間、いや数百年間われわれは日本と深い怨恨のなかに生きてきました。彼等はわれわれの独立を抹殺しましたし、彼等はわれわれの父母兄弟を殺傷しました。そして彼等はわれわれの財産を搾取しました。過去だけに思いをいたらすならば彼等に対するわれわれの骨にしみた感情はどの面より見ても不倶戴天といわねばなりません。しかし、国民の皆さん! それだからといってわれわれはこの酷薄な国際社会の競争の中で過去の感情にのみ執着していることは出来ません。昨日の怨敵とはいえどもわれわれの今日と明日のために必要とあれば彼等とも手をとらねばならないことが国利民福を図る賢明な処置ではないでしょうか。(略)
諸問題がわれわれの希望と主張の通り解決されたものではありません。しかし、私が自信を持っていえますことはわれわれが処しているところの諸般与件と先進諸国の外交慣例から照らしてわれわれの国家利益を確保することにおいて最善を尽くしたという事実であります。外交とは相手のあることであり、また一方的強要を意味することではありません。それは道理と条理を図り相互間に納得がいってはじめて妥結に至るのであります。(略)
天は自ら助ける者を助けるのであります。応当な努力を払わずにただで何かが出来るだろうとか、または何かが生まれるであろうとかという考えは自信力を完全に喪失した卑屈な思考方式であります。
今一部国民の中に韓日国交正常化が実現すればわれわれはまたもや日本の侵略を受けると主張する人々がありますが、このような劣等意識こそ捨てねばならないと同時にこれと反対に国交正常化が行われればすぐわれわれが大きな得をするという浅薄な考えはわれわれに絶対禁物であります。従って一言でいって韓日国交正常化がこれからわれわれによい結果をもたらすか、または不幸な結果をもたらすかということの鍵はわれわれの主体意識がどの程度に正しいか、われわれの覚悟がどの程度固いかということにかかっているのであります》
日韓で真逆だった国交への反対理由
朴正煕大統領が進めた日韓国交正常化交渉に対して、韓国内では激しい反対運動が起きた。私は修士論文のため、韓国の反日の論理を調べたが、その一環として当時の反対論をかなり集めて分析した(拙稿「戦後韓国知識人の日本認識」、川村湊・鄭大均編『韓国という鏡』収録)。
野党と言論はほぼ反対一色、学生らは街頭に出て激しいデモを行った。それに対して64年に戒厳令、65年に衛戍令を布告して軍の力で押さえつけて正常化を決めた。自分は反日だと断言する朴正煕大統領が、そこまでして日本との国交を結んだ背景は、北朝鮮とその背後にあるソ連、中国という共産陣営に対する危機感があったからだ。特にその頃、中国は原爆実験を成功させ、国連で支持国を増やして近い将来、中華民国から国連議席を奪う見通しだった。東アジアの自由陣営にとって大きな脅威になりつつあった。
その点は当時の韓国内の対日国交正常化反対運動も認識を一致させていた。反対の論理は大きく2つだった。第1は、韓国の民族的利益が十分確保されていないという批判、すなわち過去の清算が不十分であり、再び日本の経済的侵略を受けるおそれがあるという議論だった。第2は、日本が反共の立場にきちんと立たず、二股外交、北朝鮮やその手先である朝鮮総連への配慮、優遇を止めていないという批判だった。
一方、日本国内の反対運動は、韓国の反対運動と重なり合う部分が全くなく、真逆の立場からのものだった。韓国の反対理由の第1の点については、逆に日本の利益が侵されているという主張が多かった。すなわち、過去清算で韓国に譲りすぎであり、竹島不法占拠を事実上認めているなどだった。当時、社会党議員が国会で朝鮮からの引き揚げ者がおいてきた莫大な財産について言及して対韓経済協力が大きすぎると批判し、労組の反対デモでは(経済協力資金を)「朴にやるなら僕にくれ」というスローガンがあった。そして、与党自民党もこの点は内心、同じ考えを持っていた。
韓国の反対運動の第2の論点、反共の立場については、日本の反対運動は米国の戦争戦略に巻き込まれるとして、烈しい批判を展開していた。それに対して、自民党政府は「釜山に赤旗が立てば日本の安全保障に重大な危機が来る」として、反共韓国への支援が日本の安全保障に繋がると主張した。
こうしてみると、日韓国交正常化は、両国内の民族的利害を主張する反対論を、両国政府が反共自由陣営の結束という安全保障上の共通認識で押さえ込んだものと言える。
当時の韓国は朝鮮戦争で共産軍からひどい扱いを受けた体験を土台にした反共意識が強く、反共法などで国内の左翼活動を厳しく取り締まっていた。ところが、日本では1960年に日米安保反対運動が国民運動として大きく盛り上がるなど、国内で反米左翼勢力や中立の志向する勢力が一定程度、力を持っていた。だから、共産陣営という共通の敵の存在によって、日韓両国が民族的利害を相互に譲歩して国交正常化を進めたのに対し、日本国内の左派が内部から反対するという構図があった。それについて朴正煕政権が国内の反対運動に答えるために1965年3月に発行した『韓日会談白書』はこう書いた。拙訳で引用する。
《自由陣営の結束
最近のアジアの情勢とベトナム事態の流動的国際情勢の激変をあらためて列挙しなくても、自由陣営の結束はそのどの時期よりも最も至急に要請されているのが事実だ。(略)
日本も変遷する国際情勢と中共の急速な膨張に対処するため自由陣営が結束しなければならず、特に極東において共産勢力の脅威をもっとも近距離で受けている韓日両国が国交正常化を通じて結束しなければならない必要性、ないしは不可避性を認識していることを物語っていた。
韓日両国が国交を正常化することは、ただ韓日両国だけでなく全自由世界の利益に符合している。
これがまさに米国をはじめとする友邦国家が一斉に韓日交渉の早期妥結を強力に希望している理由であり、同時に中共、北傀[北朝鮮の傀儡政権の意味・西岡補]、および日本の左翼勢力がいままで韓日会談の破壊工作を執拗に展開してきたもっとも大きな理由なのだ》
共産陣営に甘かった日本政府
日韓関係はその後も、共通の敵に対する日本側の態度の甘さに韓国が反発し、揺れ続けた。ところが80年代に入ると、韓国国内では、急速に広がった左傾自虐史観によって共通の敵をむしろ擁護する勢力が急成長し、日韓の動揺の幅がいよいよ大きくなっていった。昨今の韓国の執拗な反日外交とそれに対する日本国内の嫌韓感情の増大は、この枠組みで見ないと全体像が理解できない。
まず、70年代までの日韓関係をこの構図から概観する。韓国保守派随一の知日派である洪ヒョン・元駐日大使館公使は、日韓国交50年間を振り返り、関係悪化の根本原因は1965年の国交正常化の際、日本が韓国を半島における唯一の合法政府だと認めなかったことだと指摘する。
中共と国交を結んだとき日本政府は台湾との関係を断絶した。中共側が強力に要求した「1つの中国」という主張に譲歩したのだ。しかし、自由陣営の結束という共通の利害をから行った日韓国交において日本は、最後まで「2つの朝鮮」の存在を認めることに固執した。すなわち、韓国の憲法では韓国の領土を韓半島とその付属島嶼と規定しており、韓国政府は日本に対して基本条約でそのことを認めるように要求していた。その結果、基本条約第3条は「大韓民国政府は、国際連合総会決議第百九十五号に明らかに示されているとおりの朝鮮にある唯一の合法的な政府であることが確認される」とされている。
一見すると韓国の主張が通ったかのようだが、国連総会決議を引用することで日本は韓国の主張を巧妙にかわした。この決議は、韓国政府を、1948年5月に国連の監視の下で行われた選挙によって成立した半島の「唯一合法政府」と定めたものだ。北朝鮮地域を占領していたソ連軍と北朝鮮を事実上支配していた人民委員会(委員長金日成)は国連監視団の入境を拒否したため、選挙は38度線の南に限定して行われた。日本のこの条文解釈は、「北朝鮮地域については何も触れていない」というものだ。従って、日本が北朝鮮と国交を持たないでいることと第3条は関係がない。「第3条の結果としてそうなったり、そうする義務を法律的に負うのではない」(外務省条約局条約課の見解。『時の法令別冊日韓条約と国内法の解説』大蔵省印刷局1966年)
この解釈の結果、事実上、わが国政府は日本を舞台にした韓国政府転覆活動を放置することになった。韓国では憲法の規定にもとづき、政府を僭称する団体などを反国家団体として位置づけ、その構成員や支持勢力を処罰する国家保安法という法律がある。同法第2条は反国家団体を「政府を僭称することや国家を変乱することを目的とする国内外の結社又は集団として指揮統率体制を備えた団体」と規定している。同法に基づき国家情報院(朴正煕政権下では中央情報部と呼ばれていた)が反国家団体などを取り締まっている。朝鮮民主主義人民共和国だけでなく、日本にある朝鮮総連と韓民連(在日韓国民主統一連合、1978年に指定)も反国家団体とされている。反国家団体の首魁は最高死刑と定められていて、韓国の法体系の中で重大な犯罪者だ。ところが、日本政府は国内で活発に韓国政府を転覆することを目的として活動する2つの「反国家団体」を放任してきた。
その結果、70年代に入り、野党大統領候補だった金大中氏が半亡命状態で日本に滞在し、朝鮮総連と背後で繋がりながら民団を分裂させようとしていた在日韓国人活動家らと韓民統(後の韓民連)を結成する動きを見せたときも、日本当局はそれを放置していた。事実上の亡命政権的組織が東京で出来るかもしれないと危機感を持った中央情報部は韓民統結成の直前である1973年8月、金大中氏を東京のホテルで拉致して強制的に韓国に帰国させる事件を起こした。韓民統は金大中氏不在のまま、彼を初代議長にして発足した。
当時、日本外務省は、韓国の実定法に反する反国家活動をしていた金大中氏を保護していた(外務省が身分保障をして赤十字社にパスポートに代わる身分証明書を発給させ、ビザを与えた)。白昼、日本国内のホテルから自国の政治家を暴力で拉致した韓国情報機関の乱暴なやり方は許されないが、その背後には日本外務省が金大中氏の日本での韓国政府転覆活動を裏で支援して自由陣営の結束を乱し、ともに戦うべき相手である北朝鮮を有利にしたことがあった。
金大中拉致事件の翌年1974年8月には、日本を実行拠点とする重大テロ事件が起きた。文世光事件である。在日韓国人文世光は朝鮮総連生野支部政治部長の金浩龍らによって洗脳され、大阪港に入港した万景峰号の船室で北朝鮮工作機関幹部から朴正煕を暗殺せよとの指令を受けた。文は大阪の交番から盗んだ拳銃と偽造した日本旅券を持って訪韓し、独立記念日の行事会場に潜入して朴正煕大統領に向けて拳銃を撃ち、大統領夫人らを射殺したのだ。
韓国政府は朝鮮総連と関連地下組織に対する徹底した取り締まりを日本に求めたが、日本政府は事実上それを拒否した。総連は捜査を受けず、文を洗脳した総連幹部も逮捕されなかった。それどころか、日本マスコミは朝鮮総連の宣伝に乗せられてむしろ韓国政府批判のキャンペーンを行った。朴正煕政権による自作自演説が報じられさえした。国会では外務大臣が「韓国に対する北朝鮮の脅威はない」と答弁した。韓国では反日デモ隊が日本大使館になだれ込むという前代未聞の事件が起きた。朴正煕大統領は一時、国交断絶も検討したという。
横田めぐみさん拉致を国会で最初に取り上げた西村眞悟前議員は、この事件で日本当局が総連を捜査しなかったため、その後次々と日本人が拉致されたのだと以下のように鋭く追及している(「西村眞悟の時事通信」電子版2013年12月20日)。私も全く同感だ。
《問題は、日本のパスポートと日本警察の拳銃を所持して日本から出国し隣国に日本人として入国して大統領を狙撃するというほどの事件であるにもかかわらず、また、金正日が認めるまでもなく、事件当初から朝鮮総連の関与が明白であるにもかかわらず、何故日本政府(田中角栄内閣)は、朝鮮総連の捜査をしなかったのか、ということである。
昭和四十九年の時点で、この捜査を徹底しておれば、その後の拉致は無かった。宇出津事件も横田めぐみさん拉致もなかった。そして、大韓航空機爆破もなかったのではないか。(略)
しかし、朝鮮総連をアンタッチャブルとしようとする政治家の政治的思惑が最も大胆かつ露骨に捜査よりも優先したのは、明らかに文世光事件であった。
以来、内閣が替わってもこの思惑は生き続け、大統領狙撃指令に使われた北朝鮮の万景峰号も何事も無かったように北朝鮮と我が国をいろいろな物資と人物を乗せて往復し続け、朝鮮総連も何事もなかった如く現在に至る。そして、日本人は国内から忽然と拉致され続けたのだ》
文世光事件も日本人拉致事件も日韓の共通の敵である北朝鮮政権によって引き起こされたテロである。ところが、70年代に日本が反共姿勢を曖昧にして利敵行動をとっていたため、文世光事件の結果、日韓関係が悪化し、日韓の当局の協力が弱くなり日本人拉致を防げなかったという、日本の国益に反する事態が生まれた。
この日本の利敵行動は全斗煥政権になっても続いた。北朝鮮の脅威に対する危機感からクーデターで政権を握った全斗煥将軍らは、レーガン政権が進める世界規模での共産勢力に対抗する軍拡路線に参与するため、韓国軍の近代化を行うことを計画し、そのための資金援助を日本に求めた。そのとき、日本外務省は「全斗煥体制は、軍事ファッショ政権」だとして経済協力に反対した。当時の外務省の内部文書(1981年8月10日付外務省文書「対韓経済協力問題」。小倉和夫『秘録・日韓1兆円資金』講談社に収録)は次のように反対理由を挙げた。
《(一)全斗煥体制は、軍事ファッショ政権であり、これに対して日本が財政的てこ入れをすることは、韓国の民主化の流れに逆行するのではないか、とくに、金大中事件が完全に解決していないまま、かつ政治活動の規制がきびしく実施されている現在、韓国に対して経済協力を行うことは、日本の対韓姿勢として納得できない。
(二)韓国への経済協力は、韓国への軍事的協力のいわば肩代わりであり、日・韓・米軍事同盟(強化)の一環として極東における緊張を激化させる。
(三)南北間の緊張が未だ激しく、南北対話の糸口さえ見出しえない現在、その一方の当事者である韓国のみに多額の経済協力を行うことは朝鮮(半島)政策として理解しがたい》
この文書に表れている外務省の認識の決定的欠陥は北朝鮮政権の位置づけがないことだ。朝鮮戦争を起こして300万人を死亡させ、その後も繰り返し韓国へのテロを続けるだけでなく、日本人拉致を行っていたテロ政権の脅威と、それとの対抗のために完全なる民主化を遅らせざるを得ない韓国政治の実態を完全に無視する容共姿勢に驚くばかりだ。
自由陣営の一員として共産主義勢力を共通の敵とする意識は全くない。この時点で外務省は日・韓・米軍事同盟の強化に反対していたのだ。全斗煥政権がファッショならそれを支援する米国レーガン政権の外交をどう評価するのか、いや、北朝鮮政権をどう評価するのかという根本的観点の欠落こそが、日韓関係悪化の第1の要因だ。
韓国の反日外交の始まり
日米韓同盟強化は日本にとって望ましくないという歪んだ容共姿勢は、少しずつ改善されてきた。特に90年代後半、韓国情報機関が人道的観点からある意味超法規的に日本に提供してくれた横田めぐみさん拉致情報により日本は北朝鮮の脅威に目覚めはじめた。そして、中国の急速な軍事的台頭を目の当たりにして現在の日本は、限定的ながら集団的自衛権の行使を可能にする大きな政治決断をしながら日米韓同盟の抑止力を強化する方向に動き出した。
これに逆行して「共通の敵」への姿勢がおかしくなってきたのが韓国である。始まりは80年代に遡る。全斗煥政権は上記の日本の容共姿勢に業を煮やし、中国共産党と日本内の反日左派勢力と手を組んでその圧力で経済的支援を得ようとする歪んだ反日外交を開始した。日本軍慰安婦などの歴史問題で日本を糾弾している現朴槿恵大統領の中国との「共闘」の原点とも言える。
1982年、日本のマスコミの誤報から始まった教科書問題で中国と歩調を合わせて韓国が外交的に日本を非難しはじめたのだ。問題の発端は「(旧文部省が)検定によって政府が華北への侵略を進出と書き直させた」という誤報だったが、いつの間にか韓国では「韓国・中国への侵略を進出と書き直させた」とする2つめの誤報がなされた。それなのに、鈴木善幸内閣は謝罪し検定基準を直して韓国、中国の意見を教科書基準に反映する異例の措置をとった。外務省は文部省の反対を押し切ってそれを推進した。
その後、中曽根政権が40億ドルの経済協力実施を決めた。中国と組んだ韓国の対日歴史糾弾外交は成功して多額の経済協力が決まったのだ。これ以降、韓国政府は日本マスコミが提供する反日事案を外交案件としてとりあげ、テーブルの下で経済支援を求めることをつづけた。
1992年1月、宮沢総理が訪韓した際、盧泰愚政権は朝日新聞などが行って作り上げた「強制連行」説に乗っかって首脳会談で宮沢総理に謝罪を求め、宮沢総理はそれに応じて八回も謝罪した。このときも、駐日大使などが首脳会談で慰安婦問題を取り上げることに反対したが、経済部署が日本からの技術協力などを得る手段として取り上げるべきだと主張したという。
全斗煥大統領は韓国内で演説して、植民地支配を受けた原因である自国の弱さを直視しようと訴えるなど、朴正煕大統領とつながる健全な民族主義の精神を持っていた。日本から学ぶべきことは多いという認識も持っていたという。盧泰愚大統領も慰安婦問題の実態を実は理解しており、日本のマスコミが韓国国民感情に火をつけたと、正鵠を射る指摘をしていることは関係者がよく知っている事実だ。
韓国政治研究の泰斗である田中明先生は韓国の反日が「拒否する」反日ではなく「引き寄せる」反日だと次のように述べている(田中明『遠ざかる韓国』晩聲社)。
《誰それがけしからぬというとき、われわれはそういう手合いとはつき合わぬ(拒否する)選択をするが、韓国の場合は違う。「汝はわれわれの言い分をよく聞いて反省し、われわれの意に副う・正しい・関係を作るよう努力せよ」というおのれへの「引き寄せ」が流儀である。それは一見・主体的・な態度に見えるかもしれないが、詰まるところは、けしからぬ相手の翻意に期待する他者頼みの思考である》
他人のせいにせず自己の弱さを直視する朴正煕大統領や私の留学時代の友人K君の「反日」とは全く違う甘えをそこに感じざるを得ない。それが積み重なって韓国は日本人から尊敬心を得られにくくなっている。
その後、金泳三大統領時代から歴史糾弾外交の目的が変化した。それまでは経済支援が目的だったが、1995年、金泳三大統領が江沢民総書記と会った後に猛烈に展開した反日外交は、国内での自身の支持率を上げることを目的としていた。金泳三大統領はそのとき、日本人指導者のポリチャンモリ(生意気な頭の中)を直すと語り、竹島近海で軍事演習を行った。その年の夏村山談話が出た直後の出来事だから、日本が謝罪をしないからでなく、韓国の内政上の目的があればいつでも反日が利用されることが明らかになった。
李明博大統領の竹島上陸強行や朴槿恵大統領の反日告げ口外交も同じ文脈から理解できる。その意味で、日韓関係を悪化されている2つめの要素は全斗煥政権以降始まった「引き寄せる反日」外交、すなわち日本からの支援や内政上の人気回復のためのパフォーマンス外交を挙げざるを得ない。
反日パフォーマンスを支える従北自虐史観
しかし、国交正常化50年を迎えても、反日パフォーマンスが支持率上昇につながるという韓国社会の状況は、自然にできあがったものではない。70年代末以降、北朝鮮とそれにつながる韓国内左翼勢力が作り出した反日自虐史観が韓国社会を強く束縛していることが、その根本に存在する。これが私の考える3つめの日韓関係悪化要因である。そして、この呪縛から韓国社会が抜け出せなければ、今後の日韓関係はより一層悪化し、韓国が自由主義陣営から抜けて、具体的には韓米同盟を破棄し、中国共産党の影響下に入るか、北朝鮮テロ政権主導の統一が実現するという悪夢の可能性さえ存在すると私は危機感を持っている。
韓国社会をここまで反日に縛り付けた契機は、1979年に出版された『解放前後史の認識1』という1冊の本だった。それまで韓国の学生運動や反体制運動には容共反米は存在しなかった。反日の半分は、日本の容共的姿勢を糾弾するものだった。ところが、朴正煕大統領が暗殺された年に出たこの本は、その枠組みを大きく揺り動かす歴史認識を若者らに植え付けた。
巻頭論文を書いたのが宋建鎬だ。彼は長く新聞記者として朴正煕政権を激しく批判してきた反政府活動家で、1980年全斗煥政権下、金大中氏らとともに逮捕された。彼は反日を入り口にして、大韓民国は生まれたときから汚れた国で、北朝鮮こそ民族史の正当性の継承者だという当時の学生らに歴史観のコペルニクス的転換を求める「解放の民族史的認識」と題する論文を書いた。その結論部分を訳しておく。
《この論文は、8・15が与えられた他律的産物だったという点から、我が民族の運命が強大国によってどれくらい一方的に料理され、酷使され、侮辱され、そのような隙を利用して親日派事大主義者らが権勢を得て愛国者を踏みつけて、一身の栄達のため分断の永久化を画策し、民族の悲劇を加重させたかを糾明しようとするものだ。過去もまた今も自主的であり得ない民族は必ず、事大主義者らの権勢がもたらされ民族倫理と民族良心を堕落させ、民族の内紛を激化させ、貧富の格差を拡大させて腐敗と独裁をほしいままにし、民衆を苦難の淵に追い込むことになる。民族の真の自主性は広範な民衆が主体として歴史に参与するときだけに実現し、まさにこのような与件下でだけ民主主義は花開くのだ。
このような観点からすでに半世紀が過ぎた8・15が一体どのように民族の正道から逸脱して行って、それによって民衆がどの様な受難を受けるようになったのかを冷静に糾明しなければならない必要性が生まれるのだ。このような糾明はけっして過ぎた歴史の糾明でなく明日のための生きた教訓になるのだ。8・15の再照明はこのような点で今日のための研究だといわなければならない》
論文の中で宋は、韓国の建国の父である李承晩を徹底的に攻撃している。李承晩は手段方法を選ばない権力主義者で、米国をバックに日本の植民地統治に協力した親日派を取り込んで分断の固定化に繋がる韓国単独政府を樹立し、親日派処分を妨害し、土地改革を遅延させ、日本統治時代に利益を得ていた地主勢力と結託した--。
宋らが提唱した自虐史観の中心にあるのが、実は「親日派」問題だ。ここでいう親日派とは、単純に日本に親近感を持っているという意味ではなく、日本の統治に協力して民族の独立を阻害した勢力という意味だ。「解放前後史の認識」は80年代に韓国学生街で大ベストセラーになった。79年から10年がかりで刊行された6巻のシリーズで合計100万部売れたという。盧武鉉大統領も弁護士時代に同書を手にして雷に打たれたような衝撃を受けたという。その歴史観を李榮薫ソウル大教授は以下のように要約している。
「日本の植民地時代に民族の解放のために犠牲になった独立運動家たちが建国の主体になることができず、あろうことか、日本と結託して私腹を肥やした親日勢力がアメリカと結託し国をたてたせいで、民族の正気がかすんだのだ。民族の分断も親日勢力のせいだ。解放後、行き場のない親日勢力がアメリカにすり寄り、民族の分断を煽った」(『大韓民国の物語』文藝春秋)
この歴史観に立つから、金日成が民族の英雄となり朴槿恵大統領の父親、朴正煕大統領は日本軍人出身だとして「親日勢力」の代表として非難されるのだ。そしてこの歴史観は、日本国内の左翼反日自虐観と呼応していることは言うまでもない。
そして恐ろしいことに、この歴史観は北朝鮮が一貫して維持してきた対南革命戦略と見事に一致している。北朝鮮は韓国を植民地半封建社会と規定し、まず米国帝国主義とそれに寄生する親日派勢力を打倒し、地主を追い出して農民を解放し、その後、社会主義革命を行うという2段階革命論をとってきた。宋らが6巻のシリーズで主張した韓国社会認識はまさにこの土台の上に立っている。北朝鮮の工作がそこに入っていないとみるのはあまりにナイーブな考え方だろう。
この歴史観は90年代以降、各界各層に浸透し、現在使われている韓国の小、中、高校で使われている歴史教科書もこの歴史観にもとづき書かれている。2005年以降、一部の実証主義学者らが教科書改善運動を開始したが、彼らが執筆した歴史教科書は今も、採択率ゼロだ。
朴槿恵大統領はまさに親日派の娘という批判を一番恐れている。その政治的資産は選挙に強いことだった。父親に対する絶対的支持層が彼女の基礎票となり、その上に若者らの票をいかに積み上げるかがこれまでの政治活動の根底にあった。だから、朴槿恵大統領は反日自虐史観に正面から対決せず、それと迎合し続けている。慰安婦問題は自虐史観派にとって格好の材料となっている。朴槿恵大統領が慰安婦問題に取り組まないと、慰安婦問題を抜きに日韓国交を正常化させた親日派の朴正煕の悪業を隠蔽しているという理屈が成り立つからだ。もちろん、当時を生きていた誰もが慰安婦の強制連行などなかったことを知っており、だから韓国は日韓国交交渉で一度も慰安婦問題を持ち出さなかったのだ。
自虐史観派から激しく非難されている李承晩大統領は「悪質的な独立運動妨害者以外に親日派はありえない」「倭政の時にいくら警察官だった人でも建国事業に参加して大きい功績をたてればその人はすでに親日派ではない。著しい親日経歴がない人でも日本語をしばしば口にして日本食が好きで日本にしばしば行き来し、日本が再進出してくることを待つ人ならば彼らこそ清算される親日派だ」と繰り返し明言しつつ、日本時代に教育を受け実務経験を積んだ官僚、軍人、警察官らを建国過程で使い続けた。それが大韓民国建国に役立つと信じたからだ。この李承晩の信念を李栄薫教授は「建国のための未来指向的な精神革命としての親日清算」と呼んだ。
朴槿恵大統領がその立場に立てば、北朝鮮の世襲テロ政権を共通の敵として歴史観や領土問題等をお互いに譲歩し合う、50年前朴正煕大統領が築いた日韓友好関係に戻ることは十分可能だ。すでに韓国内の自由統一を目標としている趙甲済氏ら健全な保守勢力はそのような立場から日韓関係の改善を提起している。
50年前もそして今も、釜山に赤旗が立つことは日本の安全保障にとって最悪のシナリオだ。韓国が反日自虐史観を清算して自由統一を迎えるのか、あるいは、自虐史観に飲み込まれ北朝鮮の思うつぼにはまっていくのか、まだ勝負はついていない。
(東京基督教大教授 西岡力)
※この記事は月刊正論7月号より転載しました。
7/22日経ビジネスオンライン 福島香織『習近平は尖閣諸島を奪うつもりだった 対日強硬路線変化の背景』について
「自民感じ悪いよね」と民主にプラカードで揶揄されるような人間は自民党総裁にはなれないでしょう。これだからリベラルと言われる石破はダメなのです。利敵行為でしょう。彼は一度自民党を出ていますので、古くからいる自民党議員からは信用されていません。2012年総裁選で党員込の選挙では安倍さんに勝ちましたが、議員選挙で負けたのは信用してない議員が多くいるという事です。彼が総理になったら、中韓には譲歩に次ぐ譲歩をするでしょう。根性なしです。後ろから鉄砲を打ってでも、自分を良く見せたい人間なので。
この文書が真実のもの(田中上奏文の偽書よりは本物に見えます)であるなら、軍事的に尖閣を奪い取ろうとしていたことが分かります。米国と協調して日本を孤立化する作戦だったのでしょうが、それがうまく行かなかったため、日本に擦り寄るように方針転換したのでしょう。台湾の馬英九は流石に中国人だけあって、共産党とも手を組むつもりだったのでしょう。でも来年1月の総統選で国民党の洪秀柱は民進党の蔡英文には勝てません。2期8年の国民党の馬の舵取りがひどすぎたので、国民党が勝てるとは思えません。洪を勝たせたら、ひまわり学運が無意味になりますので。
安倍首相の9月訪中はよくよくアメリカと内容を擦り合わせてから会談に臨まないと。アメリカも金を貰って来たオピニオン・リーダー達が中国離れを起こしてきているので、日本を中国の味方に付けようと思っているのでしょう。それができなくとも米国を日本に対し疑心暗鬼にさせれば、ゲームは中国の勝ちと思っていることでしょう。「騙される方が賢く、騙される方が馬鹿」という国柄ですから、注意に注意をしないと。善意は彼らには通用しません。小中華の韓国の世界遺産のようなことが起きないようにしませんと。
記事
香港で昨年秋に出版されたゴシップ本の一つに『習近平内講話』(広度書局)がある。習近平が党中央内部で行った2009年9月から2014年9月までのいくつかの講話原稿をまとめたもの、という。八・一九講話(習近平のイデオロギー政策に関する通達、これを外国メディアに漏らしたとしてジャーナリスト・高瑜は逮捕された)など、いくつか本物らしい裏のとれる原稿が含まれており、とりあえず細切れの時間に、暇つぶしに読むくらいの価値はありそうである。
習近平の新南巡講話とか20世紀に共産党が行った戦争の回顧と反省など、なかなか面白い。その中で、興味を引くのが2012年9月13日付の「第18回党大会前の時局においての個人的見解」と題した、胡錦濤、温家宝および江沢民、李鵬、朱鎔基、喬石ら同志・長老宛てに送った手紙の中にある「対日対米に関する見方」である。
これはちょうど習近平が「謎の失踪」(2012年9月1日~14日)によって、ヒラリー・クリントンら要人との面会をドタキャンして、様々な憶測を呼んだころの日付となっている。多くのメディアでは水泳中、プールサイドでめまいをおこし、転んで背中をけがしたと報じられている。だが、実際はこのとき、習近平はけがを理由に2週間の休暇をとり、ブレーンの一人の王滬寧と二人で、この手紙を書いていたそうだ。一応、手紙を本物と仮定して、対米、対日観についてどう描いているか要約してみよう。
2012年秋の習近平は親米路線
まず、対米観についてこう書いてある。
「将棋の上手同士の対局においては、一手一地に重きをなすのではなく、最終的に勝つのが目標です。この世界の対局において、それは平和安定と発展の維持です。米国は現在の国際国内において基本的に安定しています。そこをはっきり認識する必要があります。中米の過去および将来には少なからずの矛盾はあるでしょうが、第二次大戦以来、特に改革開放以来、中米の共同利益と協力路線が主流を占めています。中米に摩擦、矛盾、ときに闘争があるのは常態であり、避けることはできません。しかし、世界の歴史のプロセスにおいて、違う国情、違う理念信仰によってお互いを誤読することには、人為的、有意無意の妖魔化成分が含まれます。
認めなければいけないのは、両大陣営が対立していた冷戦期間において、我々の宣伝攻勢が民衆を誤って(米中は対立していると)導いてしまったことです。これは米国よりもひどい状況です。我々党と政府は宣伝機関としてメディアをコントロールしていますが、米国は全民の思想・言論をコントロールできません。今年の米国総統選の両党候補に関しても、お互いを攻撃しあい、これに対する民衆の反応もさまざまです。
我々は米国を誤解誤読し誤った判断をしてはならない。もちろん米国の主流民意および政治家が民衆を誤解誤読しないように当然望んでいます。(双方が誤解すれば)中国にとっても米国とってもやっかいなことです。中米は交流を保ち、協力的であること、これは世界の趨勢であり両国人民の根本利益のあるところだと、我々だけでなく、両国民衆にも認識させることです。
近年来の台湾海峡の平和的安定関係の発展は米国の理解と支持を得ています。これは胡錦濤同志が主導的に推進されてきたことです。台湾と米国、両者は分けて考えられません。
米国、欧州の近年の経済危機は、我が国が影響を受けるだけではありません。我が国の積極的な協力と自身の発展が、米国欧州の基本的な社会の安定に寄与するのです。このことは、米国の有識者もわかっているでしょう」
2012年9月の段階で習近平は、親米路線を推し進める方針だったようだ。逆にその時の対日観はなかなかきびしい。
「現在の最大の変化の要素は日本の騒動でしょう。日本は長期の経済低迷に、天災人災が相次ぎ、社会存亡の危機に見舞われています。右翼勢力の台頭、戦後の国際秩序への挑戦をしています。日本政府が釣魚島を『国有化』するなど、これは愚かな行動の一例でしょう。我々は、アジア太平洋と世界の平和環境、秩序維持、国内の発展のために、かなり我慢して譲歩してきましたが、最近の事態はがまんの限界です。釣魚島は東海の中国大陸棚の資源に関係するだけでなく、国家の長期的戦略的経済利益に関係します。また、中華民族の近代から現代にいたる屈辱的な歴史と民族の痛みにも関係します。我が国民衆の民族の自尊、国家の尊厳、国家領土主権の防衛という正当な要求のほか、社会の各種矛盾、積怨、不満の爆発のはけ口も見つけることができます。我々がもし、(人民の不満蓄積に対する)正確な処理を導き果断に政策を決定することができなければ、その結果おきることは、想像に耐えられません。五四運動爆発の歴史は我々だけでなく、日本人、米国人もはっきり覚えているでしょう。ですから、我々は一定の民意に従い、同時に正確に誘導し、日本が運んできたこの重い石を、自分の足の上に落とさせるようにしましょう。我々が提案するのは以下、七つの方針、策略です。
日本に重い石を落とさせる七つの策略
【1】国内の反日デモは抑えつけない。しかし秩序と文明理性を堅持するよう導く。日貨の打ちこわし、その他騒動も恐れることはありません。なぜなら、我々が愚かにも自分でその胸を突き出さないかぎり、民衆は公に矛先を我々に向けることはありません。
【2】米国との協調を徹底し、お互いが戦後国際秩序を守る立場で、日本の軍国主義と拡張主義復活に対する警戒を喚起する。
【3】台湾と密接に接触し、共同で釣魚島は中国の主権にあると宣言する。具体的には両岸で共同保護、両岸三地(中国、台湾、香港)民衆、漁民による非暴力形式の中国主権の主張。民間の自発形式をもちいて、千万の漁船を派遣して釣魚島付近で作業させてもいい。必要であれば日本の艦艇を何隻か包囲する。もし、両岸三地の人員が日本側に拘束されたり、生命や財産に損害を受けた場合、両岸政府が協調して、両岸三地公民の保護、救出のために一切の管轄権利を行使する。
【4】国連に正式なプロセスにのっとって、釣魚島の主権を訴える。必要なときには、国連および関係国際機構に、この問題に対する討論表決を行うよう働きかける。同時に外交攻勢をしかける。米国があえて釣魚島帰属問題に対して日本に肩入れするような明確な表明をしないという前提のもと、本当に公の立場で日本の味方になる国家は暁の星ほど少ないでしょう。
【5】日本に対する強硬な外交姿勢を強め、経済貿易制裁など有形無形で発動する。中国経済が一時的に悪影響を受けるかもしれませんが、わが党の執政と安定性には大きな圧力とはなりません。むしろ抗戦の歴史および民族的情緒から、わが党の指導に対して説得力をもたらし、わが党の力量と体制の擁護と支持に結びつくでしょう。
【6】軍事的な釣魚島防衛の準備をする。日本が「国有化」を進めるならば、台湾方面と強調し漁民漁船作業の保護の名義で軍艦を釣魚島付近に派遣します。米国の態度があいまいなままであれば、日本は孤立するので、その海域で軍事演習を行います。
【7】宣伝部に大胆に世論を開放させ、釣魚島問題に関する民衆の言論を開放させ、公式メディア上で討論をさせる。これは我が国の公民言論思想の自由開放に向けた段階的実験となり、米国や日本の民主の規範にも符号しており、同時に米国、日本に我々の最終的狙いが何かを知らせずにすむでしょう」
このほか、党の歴史観や党員の信仰問題などについて「個人的意見」をまとめて、目下は政治局にこの文書を送らないで、みなさんと討議したい、と手紙は結ばれている。
さて、仮に2012年9月の第18回党大会前に、習近平が、米国とともに戦後国際秩序の守り手として、軍国主義復活を企てる日本を追い詰めていく戦略を頭に描いて、こんな手紙を書いていたとしたなら、やはり彼はたいそう国際社会の現実を知らない外交音痴の人であったかと思う。結果から言えば、中国は「戦後国際秩序の守り手として米国と協調する路線」から、「米国に対抗する中華秩序圏のアジアにおける樹立」に方針変更したし、日米の離反を狙った外交・宣伝工作は失敗し、米国のアジア・リバランス政策を引き起こし、尖閣諸島(釣魚島)で作戦を仕掛ける前に南シナ海問題で米中の対立を先鋭化させた。”両岸三地共同の釣魚島防衛”など、ひまわり、雨傘運動で消し飛んでしまった。
「安倍は中国の政治を変えさせた」
そして2014年秋からは180度方針を転換し、むしろ日本に積極的にアプローチしてきている。春節には日本での「爆買ブーム」を比較的肯定的に報道し、フェニックステレビでは6月、安倍晋三の単独インタビューを比較的好意的な編集で流し、「安倍は中国に好意的」といったシグナルを発信した。最近では、安倍の密使として訪中した谷内正太郎には、首相の李克強が35分の時間を割いて会談すると言う厚遇ぶりを見せた。9月初旬には安倍が再度訪中するかもしれない。
2012年秋から2015年の今に至る変化の最大の背景は、習近平の見立ての悪さ、あるいは外交的失敗、あるいはクリミア問題など国際情勢の変化であると思う。だが、その次くらいの要因は安倍外交の成果ではないかと思っている。習近平が当初、日米を離反させ日本の孤立化を進められると判断したのは民主党政権のありさまを見たからである。その日米関係を立て直し、少なくとも中国に、安倍政権は長期化する可能性ありと判断させたことが、中国の対日強硬路線を変化させたといえる。しかも、その変化は、安倍政権が(少なくとも表向きは)中国に擦り寄った結果ではなく、むしろ中国の態度軟化に見える形となった。
今年5月から6月にかけて中国を訪れたとき、偶然にも複数の中国人記者や知識人から、安倍晋三に対するかなりポジティブな評価を聞いた。「リアリストである」「中国側の官僚からは、手ごわい相手だと思われている」「中国が日本の政治家の態度を変えさせることは多かったが、中国の態度を変えさせた日本の政治家はほとんどいない。安倍は中国の政治を変えさせた珍しい例」といった感想だ。
私が日本人だから、リップサービスを半分以上含んでいるとしても、かなり高評価ではないかと思う。
外交音痴同士なら尖閣有事の危機
さて、安倍政権は、多くの国民の反対を押し切って安保法案を成立させた。採決のとき、野党は「自民感じ悪いよね」「安倍政治を許すな」とプラカードを掲げて抵抗した。
だが、この習近平の手紙に、中国最高指導者の本音が含まれているのだとしたら、日本が米国の庇護から離れれば、中国はすぐさま実力行使にでて、釣魚島を奪いに来るつもりでいる、ということでもある。習近平は外交音痴ではないかと先ほどいったが、当時の民主党政権も相当の外交音痴に見えたので、あのまま民主党政権が続いていたら、ひょっとすると習近平政権が当初描いていた日本孤立化作戦は成功し、尖閣有事が起きていたかもしれない。
世論調査の民意にも憲法学者の意見にも耳を貸さずに、強引に安保法案を成立させた安倍政権は確かに感じが悪いし、また「戦後レジームからの脱却」を期待していた人からみても、米国追従型の政治は不満の残るものかもしれない。が、政治の現場での現実的な判断というのは、だいたい多くの人の理想どおりにはいかないものだろう。支持率が下がるのも仕方あるまい。ただ私個人としては、この不安定な国際情勢下で日本の舵とりを任せるなら、感じのいいポピュリスト政治家よりも、感じの悪いリアリスト政治家の方でよかったかと思っている。(=文中敬称略)
7/19産経ニュース 渡邉 哲也『広告から見る朝日新聞の経営状況』について
昨日に続き、朝日新聞です。百田尚樹が「沖縄の2紙は潰した方が良い」と言って問題になりましたが、もっと問題なのは朝日新聞でしょう。全国的に影響を与えられるという点で。権力を使って、強制的に潰すのは営業の自由に抵触します。勿論、表現・言論・出版の自由にも抵触しますので、不買と広告中止でしか対抗できません。小生の感覚で言えば朝日新聞なんて猥褻図画と同じレベルで、精神的な自虐という情欲を催させるだけのyellow paperです。Quality paperなんてチャンチャラおかしいです。左翼にありがちな、知的誠実さにかけます。嘘を言っても頬かむりして、知らん振り。こんな新聞が売れていることが信じられません。まあ、読むのは個人の自由ですが。でも「天動説」を信じるようなものでしょう。
朝日新聞に対し企業の広告も減っているようで悦ばしいことです。企業に取ってみれば他社と比べ高い広告費を取っていたので(20年以上前の記憶ですので今がそうかどうか分かりません。済みません)、これ幸いで朝日に広告出さなくなったのではと思います。まあ、各新聞社押し紙が2割もあるのでは馬鹿らしくて、新聞広告は減らそうと思うでしょうけど。
「歴史を鑑」とするのであれば朝日新聞の戦争責任について自己批判しなければならないでしょう。すぐに他人の責任にするのは欧米・中韓と一緒です。この場合は帝国軍人の責任ですが。煽ったのは自分たちと言うのをコロっと忘れています。「恥を知れ」と言いたい。戦前は部数を伸ばすため戦争を煽り、戦後はGHQの給紙に従うため反戦を唱える不節操なメデイアです。良く調べた方が良いです。
記事
穴埋め広告が急増
私は経済評論家なので経済的側面から朝日新聞を考えてみたい。
朝日新聞とは「株式会社朝日新聞社」が発行する日刊の商業紙である。朝日新聞社は株式会社形態を取る「営利を目的とした私企業」にすぎない。
その収益は、読者の払う新聞の購読料と「広告収入」により成り立っている。新聞社の最も大きな収益源は販売店に手数料が入るチラシではなく、本紙に印刷されている「本紙広告」ということになる。
基本的に、新聞の広告代金は時価であり、明確な定価が存在するものではない。しかし、一応の目安は存在し、朝日新聞の場合、全面(15段)で4000万前後というのが朝日新聞社側が提示している参考価格ということになる。
この価格は年間の出稿回数や曜日、何面に掲載するか、期日の指定があるのかなどにより、いかようにも変動する。要は需要と供給の市場原理で決まっているわけである。 簡単に言ってしまえば、朝日新聞に広告を出したいと思う広告主が多ければ高くなり、少なくなれば安くなるわけである。
また、突然広告主が降りてしまったり、広告が集まらなくなった場合、これが「タダ同然」で販売されるケースも存在するのである。いわゆる穴埋め広告である。その意味では新聞広告というのは、新聞社の経営の健全性を測る一種の目安になるといってよいのだろう。
では、どんな広告が高いのかということになる。基本的に期日の決まったカラー広告は高い。例えば、何かのイベントに合わせた企業のイメージ広告や新発売に合わせた新商品の広告などがそれにあたる。
このような広告は単価も高いため、上場企業など有名企業でなければなかなか出せない。このような広告が多ければ新聞社の経営がうまくいっていると見て良いのだろう。
逆にどのような広告が安いのかといえば、
1.健康食品などの通販広告
2.旅行会社などの広告
3.書籍などの出版物の広告
ということになる。新聞の紙面がこのような広告であふれていたら、経営的には黄色信号と見て良いのだろう。一番危険なのは、系列会社や自社イベントの広告や社会啓蒙などの公共広告である。これは広告主が集まらず、穴埋めのために仕方なく入れた広告である可能性が高いからである。
実は、新聞に掲載することが出来る広告スペースは法律や規定で決まっている。新聞は郵便料金が安くなる第三種郵便の承認を受けており、この規定により全紙面の50%までとなっているわけである。
公職選挙法により、選挙報道を行うにはこの第三種郵便の承認を受けている必要があるため、事実上、紙面の50%に制限されているのである。
どこの新聞社も最大限の利益の確保のため、このギリギリのラインを広告スペースにしているわけだ。朝日新聞の場合、平均で40ページ程度なので20ページ分が広告スペースとして確保されているわけである。
新聞社の営業はこのスペースを埋めるために必死に営業を行うわけであるが、どうしても埋まらない場合、先ほどの穴埋め広告で誤魔化すしかなくなるわけである。単純に考えれば、広告が集まらないならば、記事を増やすことで対応すればよいのであるが、政治部や社会部など部別にある程度枠が決まっており、これを変えるのは簡単ではない。
また、年間の使用量に合わせ紙やインクを確保している為、紙面を減らすのも容易では無いのである。
朝日新聞には紙面を減らせない別の理由も存在する。なぜなら、全国紙の他紙よりも高いからである。競合する読売と毎日新聞が一部130円 産経新聞が110円であり、朝日は150円である。他紙よりも高い以上、ある程度のボリュームがなければ今以上の割高感が出てしまうからなのである。そのため、広告主がいなくなると穴埋め広告が増えるわけである。
昨年、朝日新聞問題が起きた時、穴埋めと思われる子会社の広告が急増した。これは広告主が企業イメージの悪化を恐れ、広告出稿を取りやめたことに起因するものと思われる。
また、このような子会社の広告にはもうひとつの問題も存在する。いくら子会社とはいえ、別法人である以上、広告費を払っているはずであり、これが朝日新聞の売り上げとして計上されているものと思われる。
これを悪用すれば、一種の売り上げの粉飾も可能なのである。100%の連結対象であれば、最終的に親会社子会社の間で利益と経費が相殺されるため、最終的には調整されるが、見た目の売り上げをよく見せることが出来るわけである。
6月25日に公表された朝日新聞決算書(2014年4月から2015年3月)によると新聞事業4033億2500万円(前年比-7.9%)、セグメント利益29億8300万円(前年比-54.7%)と大幅な業績悪化が生じていた。
また、この数字は問題が発生する前の数字を含んだものであり、問題発生後だけで見ればもっと厳しかったのだと想像できる。
朝日新聞は新聞事業の売上の明細を公表していないため、具体的な実態をつかむことは出来ないが、この業績悪化の大部分が広告収入の減少によるものであると思われるのである。
■渡邉哲也(作家・経済評論家)
1969年生まれ。日本大学法学部経営法学科卒業。貿易会社に勤務した後、独立。複数の企業運営などに携わる。大手掲示板での欧米経済、韓国経済などの評論が話題となり、2009年『本当にヤバイ!欧州経済』(彩図社)を出版、欧州危機を警告しベストセラーになる。内外の経済・政治情勢のリサーチや分析に定評があり、さまざまな政策立案の支援から、雑誌の企画・監修まで幅広く活動を行っている。
池田信夫『戦後リベラルの終焉』を読んで
本書を読みますと日本をダメにしたのは過剰なサクセシズム(立身出世主義)ではないかという気がします。公益よりも私益、東芝の不適切会計にも見られるように、自分だけ良ければ良いという発想にリーダーがなっているというか、そういう人でないとトップになれない所が大きな問題でしょう。東芝はすぐに見つかり、責任を取らされますが、朝日新聞は責任を取っていません。誤報をして世界を誤導し、国益を大いに損ねた訳ですから、国際的にキチンと数か国語で「慰安婦報道は事実でなかった」と謝罪記事を掲載すべきです。
左翼が日本を蝕んでいます。沖縄でも、今度の集団安保法制の国会周辺デモでも、左翼くずれの老人と2万円貰ったアルバイトで、警察発表6千人のところメデイアは10万人とか発表する訳ですから、捏造以外の何物でもありません。中国共産党のやり方と一緒です。ひどいのは保守派のデモの方が数が多い場合があるのに一切報道しません。腐っています。こんなメデイアを信じるから誤判断する訳です。やはり、不買をしなくては経営陣には分からないでしょう。といっても小生は当然朝日新聞を取っていませんので、取っている人が不買しないと効果はありません。
今は、反日メデイアは反戦を貫いていますが、日本人が中韓に怒っていることを感じていません。中国が尖閣に侵略を開始しても何も言わなければ部数を今以上減らすでしょう。朝日・毎日はどういう報道をするのでしょうか?部数が減っても今と同じ主張(反戦)を貫くのでしょうか、それとも打って変わって戦争をアジるのでしょうか?興味のあるところです。間違いなく中国は尖閣を取りに来ます。いつとか言えないだけです。裏でアメリカと握る可能性もありますけど。アメリカは正義の警察官ではありませんから全面的に信用するのは危険ですが、今の所日米で中国に対抗するしか方法はありません。
内容
P.29~43
大誤報の主役は植村記者ではない
一九九ニ年の大誤報を書いたのは、報告書にも書かれたように、東京社会部の辰濃哲郎記者(のちに別件で懲戒解雇)だった。彼は当時、厚生省クラブだったのに、なぜか吉見義明(中央大学教授)からの売り込みで陸軍省の副官通達を記事にしたと書いている。
しかも売り込まれたのが九一年十二月二十四日ごろで、記事にしたのが正月休みをはさんだ一月十一日だという。その記事と一緒に出た「メモ」に「挺身隊の名で強制連行」と」 書かれていたことが、問題の発端だった。辰濃はこう書いている。
この「メモ」は私が書いたものではないのだが、一面の記事の執筆者として誤リ気づかなかったことを問われれば、全責任は私にある。おそらく「メモ」を書いた記者はデスクに指示されて、過去のスクラップを参考にして書いたに違いない。【中略〕
この点については謝罪させていただきたい。少なくとも、両者の混同が明らかになった時点で、それを修正すべきだった。(『朝日新閒日本型組織の崩壊』P.158)
この説明は不自然だ。一面トップで政府の方針をゆるがすような記事が、正味一週間で書けるものではない。しかも書いたのは、歴史には素人の医療担当記者。それをチエックしたデスクが複数いるはずだ。その記事が宮沢訪韓の直前に出たのも、偶然とは考えられない。 ただ辰濃もいうように、本質的な責任は「两者の混同が明らかになった時点で修正」しなかった編集体制にある。少なくとも九ニ年四月には「強制連行」は嘘だという事が判明していたのに、いまだにそれを認めない。
これを検証した第三者委員会にも問題がある。「朝日新聞の国際的な責住は重くない」と主張した林香里委員は、「吉見義明教授の裁判闘争を支持し、『慰安婦』問題の根本的解決を求める研究者の声明」の賛同者であり、第三者とはいえない。
吉田清治に関する一九八二年の記事についても、朝日の論説委員だった長岡昇が二〇一四年十二月二十三日のブログ記事でこう指摘している。
今年八月の慰安婦特集で、この記事を執筆したのは「大阪社会部の記者(66)」とされ、それが清田治史記者とみられることを、このブログの丸月六日付の文章で明らかにしました。清田もその後、週刊誌の取材に対して事実上それを認める発言をしています。
ところが、朝日新聞は九月二十九日の朝刊で「大阪社会部の記者(六六)は当時国内にいなかったことが判明しました」と報じ、問題の吉田講演を書いたのは別の大阪社会部の.記者で「自分が書いた記事かも知れない、と名乗り出ています」と伝えました。しかも、今回の報告書ではそれも撤回し、「執筆者は判明せず」と記しています。
彼もいうように「第二社会面のトップになるような記事を書いて記憶していないなどということは考えられません」。誰かが嘘をついているが、清田も記者会見に出てこない。元役員だったのだから、責任は重大である。
この問題の主役は植村ではない。彼はデスクに命じられてニ本の署名記事を書いたにすぎない。このキヤンぺーンの責任者は、当時の大阪社会部デスクの鈴木規雄である。この点は、植村も『現代ヒジネス』で、青木理のインタピユーにこう答えている。
ところで、韓国への出張取材は、どうして植村さんが行くことになったんですか。
植村「僕は慰安婦問題の取材はしたことがなくて、在日韓国人政治犯の問題をずっとやっていたんですけど、韓国語もできるし、規さん〔鈴木規雄〕は広い目で(部下を) いろいろ見ててくれたから、そういうのがあって派遣されることになったんだと思います」
これは重要である。というのは、報告書にも鈴木が登場するからだ。
辰濃は上記朝刊1面記事を中心となって執筆したものの、従軍慰安婦の用語説明メモの部分については自分が書いたものではなく、記事の前文もデスクなど上司による手が入ったことによリ、宮沢首相訪韓を念頭に置いた記載となったと言う。用語説明メモは、デスクの鈴木規雄の指示のもと、社内の過去の記事のスクラップ等からの情報をそのまま利用したと考えられる。
なんと一九九一年八月に植村に韓国出張を命じた大阪社会部の鈴木デスクが、翌年一月には東京社会部に転勤して、宮沢訪韓の直前の記事の執筆を指揮したのだ。これは書いた記者も別であり、偶然とは考えられない。大阪から東京に拠点を移し、社を挙げて慰安婦キャンぺーンを張った責任者は、明らかに鈴木である。
それだけではない。鈴木は一九九七年の慰安婦特集のときは、大阪社会部長としてその原稿をチエックする立場にあった。若宮啓文政治部長は「吉田清治の証言は虚偽だ」という訂正を出すべきだと主張したが、清田外報部長と鈴木部長が握りつぶして「真偽は確認できない」といった曖昧な記事になった。
その後、鈴木は東京社会部長になり、大阪本社の編集局長になった。つまり慰安婦問題は、植村個人の誤報ではなく、朝日新聞の幹部が企画し、社を挙げて実行したキャンべーンであり、これは朝日の構造問題なのだ。それがこの問題が嘘とわかってから、二十年以上も隠蔽された原因である。
左翼的な出世主義
鈴木規雄は一九四七年生まれの団塊の世代である。早稲田大学を卒業して朝日新聞社に入社し、大阪社会部の記者として活躍し、社内では「規さん」と呼ばれて親しまれた。蜷川京都府知事や黒田大阪府知事などの革新自治体が誕生したー九七〇年代には、朝日新聞として彼らを支援するキヤンペーンも張った。
新聞社にはデスクから編集幹部などになる行政職コースと、編集委員や論説委員になる専門職コースがあるが、行政職が本流である。鈴木の歩んだキャリアは本流中の本流だった。 彼が二〇〇六年に死去したとき、ある記者は彼が大阪本社の編集局長だったときの思い出をこう書いている。
個人情報保護法をめぐる論議がふっとうしていたころ、規さんが大阪朝日の勉強会に呼んで下さったことがあった。そのうちあわせのため夜十一時半に編集局に電話した。 「こんな遅い時間に編集幹部がいらっしゃるんですか」
「何言ってるんだ。毎日ですよ。十二時前に局をはなれたことはないよ。一字一句川柳にいたるまで全部目を通すんだから」
それが彼の憤然とするような答えだった。
勉強会の帰路にたつとき、はにかんだような表情で一冊の本を下さった。赤報隊を名乗る集団の凶弾にたおれた小尻.記者のお母さんの句集だった。
鈴木が取り組んだのは、一九八七年に阪神支局の小尻記者がテロリストに殺された事件をきっかけに朝日が始めた、市民の「もの言う自由」の現状を検証する長期連載企面「『みる・き<・はなす』はいま」だった。彼は記者、デスク、部長として十五年間、このキャンペーンを続けた。
彼とともに慰安婦キャンぺーンを張った大阪本社論説委員が、北畠清泰だった。彼は一九九ニ年一月二十三日のコラム「窓」では、吉田清治の「国家権力が警察を使い、植民地の女性を絶対に逃げられない状態で誘拐し、戦場に運び、一年ニ年と監禁し、集団強姦し、そして日本軍が退却する時には載場に放置した」という話を紹介し、「知りたくない、信じたくないことがある。だが、その思いと格闘しないことには、歴史は残せない」という名言を残 した。
元同僚によると、北畠は一九八八年ごろから吉田清治と電話で連絡し、自分の嘘がばれることを恐れる吉田を説得していたという。さらに一九九六年の社説では「国費を支出するという枠組みを、解決への一歩とすることが、現実的な道だと思う」と主張している。 慰安婦報道の中心になった鈴木規雄(大阪社会部長→東京社会部長→大阪編集局長)、北為清泰(大阪企画報道室長→大阪論説副主幹)、清田治史 (外報部長→東京編集局次長→西部本社代表) などのポストは社会部の本流で、社論を決める立場である。彼らが方針を決めると、それが編集の基準になり、記者の書く原稿もそれにもとづいて採択される。
記者にとって自分の原稿が記事になることは生命線であり、なるべく大きな扱いにしてもらうことが出世の条件である。つまり新聞記事は言論であると同時に、記者にとっては業績評価の基準なのだ。メディアでは普通の企業とは違って、人間関係の調整しかできない人が出世することはない。ジャーナリストの仕事は言論なので、その内容が社の方針にふさわしくない人は、幹部になることはできない。
特に新聞社の地方支局は多く、記者の半分以上は支局勤務なので、社の方針に沿わない記事を書く記者は地方支局に飛ばされ、表現の場を奪われてしまう。鈴木のような左翼的な幹部が社論を決めているときは、リベラルな正義感に沿った記事を書く記者が出世し、彼らの記事が社内の雰囲気を決めるのだ。
「角度をつける」報道
朝日新聞の第三者委員会の報告書は、事務局である朝日新聞の意向が強く反映され、全体としてはあまり目新しい指摘はないが、おもしろいのは最後につけられた「個別意見」だ。
岡本行夫は次のように考えている。
当委員会のヒアリングを含め、何人もの朝日社員から「角度をつける」という言葉を聞いた。「事実を伝えるだけでは報道にならない、朝日新閒としての方向性をつけて、初めて見出しがつく」と。事実だけでは記事にならないという認識に驚いた。だから出来事には朝日新聞の方向性に沿うように「角度」がつけられて報道される。慰安婦だけではない。原発、防衛、日米安保、集団的自衛権、秘密保護、増税、等々。
これは朝日の特異な社風である(NHKで「角度をつける」という言葉は一度も聞’いた事とがない)。記事を書くときに何らかの仮説を立てること自体は悪くないが、朝日の場合はそれが事実と違っていても訂正せず、一つの社論に向けて事実を集め、角度をつける。このような「キヤンぺーン体質」は、北岡も指摘している。
この原因は単純な商業主義というより、官僚的な前例主義が出世主義とあいまったもので、それが問題の是正を遅らせたのではないか。報告書は、検証記事ができるまでの経緯でも経営陣がこう心配していたと書いている。
おわびをするとこの問題を放置してきた歴代の人達についても責任を問うことになってしまうのではないか、あるいは今朝日新聞にいる人違が責任をとらなければならないのか、謝罪することで朝日新閒の記事について「ねつ造」と批判している勢力を「やはリ慰安婦報道全体がねつ造だった」とエス力レートさせてしまう恐れがある。
このように彼らが意識していたのは、自分や先輩の責任問題であり、「朝日を批判している勢力」である。検証記事のあと木村が社内に出したといわれるメールでも、彼は「偏狭なナショナリズムを鼓舞して韓国や中国への敵意をあおる彼らと、歴史の負の部分を直視したうえで互いを尊重し、アジアの近隣諸国との信頼関係を築こうとする私たちと、どちらが国益にかなうアプローチなのか」という。
彼は「偏狭なナショナリズム」を批判しているが、これは偏狭ではないナショナリズムがあるという意味ではなく、ナショナリズム=偏狭という意味だろう。彼はもと政治部の自民党担当記者だから保守派だが、社内向けには「進歩的」な思想を表明しないと出世できな い。今回の慰安婦報道でも、安倍政権と取引する一方で「偏狭なナショナリズム」を排撃する狡猾さがないと、社長にはなれないのだろう。
「社内野党」が政権を乗っ取った
社員の多くが指摘するのは、朝日新聞の官僚主義である。官僚的というのは必ずしも悪いことではなく、大きな組織は官僚が合理的に運営する必要がある。しかし朝日新聞の場合は、それが特殊な形をとっている。営業的に新聞を売るときに役に立つのは、社会面の事件•事故のおもしろい記事だが、大事な問題ではない。これに対して政治部や経済部の記事は大事だが、地味でおもしろくない。
これは日本の新聞に特有の現象で、たとえば高級紙として知られるニユーヨーク・タイムズの発行部数はニ〇〇万部ぐらいで、ウォール•ストリートジャーナルなども同じぐらいだ。これに対して朝日新聞は七〇〇万部、読売新聞は九〇〇万部だが、人口比でるとニユーヨーク・タイムズが1パーセント未満なのに対して、朝日新聞は七パーセントと世界的に見ても圧倒的に高い。このため高級紙と大衆紙の棲み分けができず、1つの紙面に報道と娯楽が同居しているのだ。
記者の動機も、社会部と政治部•経済部では違う。社会部はとにかく早く派手に大きな記事を書くことが出世の条件だが、政治部•経済部では政府や企業から重要な情報を得ることが大事で、ときには情報を抑えることが出世の条件になる。NHKの海老沢勝ニ元会長も「抑える記者」だった。
つまり「反権力」の社会部と「権力の番犬」である政治部•経済部が一つの組織に同居し、紙面でそれを使い分けている。たとえば政治家の政治活動は政治部が報道するが、汚職で逮捕されると社会部が報道する。企業の業績は経済部が報道するが、不良品などのスキャンダルは社会部が報道する。
このような使い分けは朝日だけではないが、朝日は両者の落差が最大である。朝日新聞社の経営者は権力者だから、反権力の社会部出身者がなることはなじまない。朝日新聞の社長は、政治部と経済部が交代で社長になってきた。今度の渡辺社長は、朝日の歴史上二人目の社会部出身である。
逆にいうと、社会部は決して権力を取らない(責任をもたない)という前提で、理想論をいうことが仕事になる。彼らはサツ回りから労働問題まで担当する「何でも屋」で、専門分野がないが、どの分野でもスキャンダルとして「角度をつける」習性がある。
今回の経緯を見て感じるのは、このようなニ極化が先鋭化し、「社内野党」である社会部が経営を乘っ取ったという印象だ。慰安婦報道の「主犯」だった清田治史が役員になり、国家賠償を求める社論を主張し続けたことはその一例である。
このように貴任をもつ「与党」と文句をいう「野党」が二極化する現象は、政治だけでなく日本社会に遍在する。問題は野党が存在することではなく、それが一度も責任を取らない「万年野党」になっていることだ。他方で与党的な立場の政治部は、政策に興味がなく、政局の記事ばかり書いている。
碩直化した人事システム
慰安婦報道も吉田調書も、反日とか左翼とかいうイデオロギーの問題ではなく、朝日新聞の組織としての体質に原因がある。その背景にあるのは、抜きがたいエリート意識だ。序列意識が社内でも強く、本流と傍流の差が大きい。「キャリア」の本社採用と「ノンキャリ」の地方採用はまったく別で、地方採用の記者が本社に上がることはまずない。今度の渡辺雅隆社長は初の地方採用出身だが、もとは木村社長が「院政」を敷こうとして引き上げた人だ。
政治部•経済部•社会部の三部が本流で、学芸部や科学部などは傍流、政治部の自民党宏池会担当は本流で野党担当は傍流——といった序列が、あらゆる階層ではっきりしている。今でも東京本社と大阪本社の人事交流がほとんどないため、西日本が初任地の記者は東京本社に「上がる」可能性がほとんどない。
このような硬直した人事システムのために、社員の人事への執着が強い。「読売の記者が三人寄ると事件の話、毎日の記者は給料の話、朝日の記者は人事の話」という業界ジョークがあるそうだ。この点は、霞が関の官僚と似ている。どの部署に配属されるかで、仕事の中身がほとんど決まってしまうからだ。
こういうサラリーマン根性は朝日に特有のものではなく、多かれ少なかれ日本の会社にはあるが、それが報道に反映されると多くの国民(場合によっては世界)に影響を及ぼす。普通のメディアでは、良くも悪くもそういうバイアスが出ないようにチエックするシステムができているが、朝日では昔は本多勝一のようなスター記者は別格の扱いを受け、極左的な記事を書いても通る傾向があったという。
このような状態を是正しようという意識は九〇年代から出てきたようだが、「リベラル」な社風が邪魔して、読売のように上司が現場の記者に指示できない。特に大阪社会部は「モンロー主義」で慰安婦問題に執着が強く、東京本社が軌道修正しようとしてもできないという。こういう意思決定の混乱が大誤報の原因だ。
P.85~91
戦争は新聞の「キラーコンテンツ」
海軍だけでなく陸軍も、日米戦争に勝てないことは知っていた。それなのに満州事変などで既成事実を積み上げて「空気」を作り出した主犯は陸軍だが、近衛文麿などの政治家はそれに抵抗できず、日中戦争以降はむしろ軍より強硬になった。そういう「空気」を増殖させた共犯は新聞である。朝日新聞は、
〔満州事変の始まった〕昭和六年以前と以後の朝日新聞には木に竹をついだような矛盾を感じるであろうが、柳条溝の爆発で一挙に準戰畤状態に入るとともに、新聞社はすべて沈黙を余儀なくされた。(『朝日新閒70年小史)
と書いているが、これは嘘である。陸軍が記事差止事項を新聞社に配布して本格的な検閲を開始したのは一九三七(昭和十二)年で、それまでは新聞紙法はあったが、その運用は警察の裁量に任されており、発禁処分はほとんどなかった。なぜなら、ほとんどの新聞が自発的に軍国主義に走ったからだ。
その理由は検閲ではなく、商売だった。日露戦争のとき、戦争をあおって日比谷焼打事件を起こした大阪朝日と東京朝日の部数は合計一八•五万部から五〇万部に、大阪毎日は九• ニ万部からニ七万部に激増した。他方、非戦論を唱えた『万朝報』は一〇万部から八万部に落ち、片山潜や幸德秋水などを追放して軍国主義に転向してから二五万部に増えた。
これが「戦争をあおればあおるほど売れる」という成功体験になり、満州事変のあと新聞は従軍記者の勇ましい記事で埋め尽くされた。最後まで抵抗した大阪朝日も、在郷軍人会の不買運動に屈して軍国主義に転向した。このあと軍部を批判する新聞記者は信濃毎日新聞の桐生悠々ひとりになったが、ここでも不買運動が起きて桐生は1九三三年に辞職し、非戦論をとなえる記者はゼ口になった。
しかし軍部もアメリカに勝てないことは知っていたのに、新聞記者が何も知らなかったはずはない。朝日新聞でも、むのたけじ記者は戦争責任を取って終戦直後に辞職した。しかし (ドイツと違って)日本の新聞社はGHQに解体されず、かつて戦争の旗を振った朝日新聞が、 最近は「原発ゼロ」や「解雇特区」つぶしの旗を振っている。これも商売のためと考えれば、それなりに一貫してはいる。
メディアにとって、戦争は最高のキラーコンテンツである。次ぺージの図1は昭和戦前の各新聞の部数の推移だが、満州事変や日華事変(日中戦争)など、戦争のとき大きく伸びた(太平洋戦争のときは紙が配給制になったので落ちた)。
「リベラル」が戦争を主導した
今は朝日も毎日も「平和主義」なので過ちは繰り返さない、と思っている人が多いだろうが、大きな間違いである。一九二〇年代にも新聞は反軍だったのだ。一九三〇年のロンドン軍縮条約で日本の若概全権大使が軍縮案を受諾して帰国したとき、新聞はそろって「全権帰朝に際し今回の如く盛に歓迎せられる事蓋し稀有なるベし」と軍縮を歓迎した。
しかしその批准の過程では、論調がわかれ始めた。大阪朝日や読売は軍縮派だったが、東京日日(毎日の前身)は徐々に海軍寄りに立場を変えた。翌年、満州事変が起こると、各が は多くの特派員を派遣して号外を出し、戦争報道を競った。東京朝日も主筆の緒方竹虎の指導のもと「事変容認•満蒙独立」に舵を切り、最後まで残った大阪朝日も反軍派が処分されて容認派に転向した。
このとき東京朝日の主導権を握ったのは、緒方や笠信太郎などの「リベラル」な革新派だった。これは岸信介などの革新官僚と連携して日本を国家社会主義にしようとする人々で、彼らが満州国や日中戦争の中心だった。軍のなかでも、東條英機を始めとする統制派は計画経済を志向しており、緒方はのちに閣僚にもなって戦待体制に協力した。
だから平時に新聞が反軍的なのは普通である。反政府的な論調のほうが人気があるからだ。そして戦争が始まるとナショナリズム一色になるのも普通だ。あのニユーヨーク・夕イムズでさえ、「イラクは大量破壊兵器をもっている」という「スクープ」を飛ばして、開戦に賛成の論陣を張った(のちに誤報と判明)。
朝日新聞は敗戦の翌日から「平和主義」に転向したが、それは戦争に賛成したとき何の信念もなかったからだ。今の反原発も反秘密保護法も、彼らの「平時モード」としては普通だが何の論理的根拠もないので、「有事」になったらコロッと変わるだろう。特に緒方や笠のような「リペラル」が危ない。それは(国家)社会主義の別名だからである。
今後、尖閣で軍事衝突が起こったとき、もっとも懸念されるのは、マスコミが大きな声で報復を叫ぶことだ。それを煽動するおそれがもっとも強いのは、朝日新聞である。ニ〇一〇年十一月六日の朝日社説は、尖閣諸島の衝突事^のビデオが流出した事件についてこう書いている。
流出したビデオを単なる操作資料と考えるのは誤リだ。その取リ扱いは、日中外交や内政の行方を左右しかねない高度に政治的な案件である。それが政府の意に反し、誰でも容易に視聴できる形でネットに流れたことには、驚くほかない。[中略〕仮に非公開の方針に批判的な捜査機関の何者かが流出させたのだとしたら、政府や国会の意思に反する行為であリ、許されない。
この映像は「特定管理秘密」に指定されていなかったにもかかわらず、朝日新聞は機密を漏洩した者(当時は不明)の処罰を求めている。それは当時の菅政権がこれを激しく非難したからだ。このビデオは彼らの政治決着の誤りを暴露し、民主党政権の(すでに落ちていた)支持率はさらに落ちた。民主党を支持する朝日新聞は、ビデオを隠蔽したかったのだろう。 要するに、朝日新聞には一貫した原則も論理もないのだ。一貫しているのは、感情的世論に迎合しようという商業主義である。このように部数を増やすために戦争をあおった新聞が、日本を戦争に導いたのだ。

