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『安倍首相の真珠湾慰霊がアメリカで歓迎される理由 これで真珠湾攻撃と原爆攻撃が同列に、願ったり叶ったりのアメリカ』(12/15JBプレス 北村淳)について

12/15産経ニュースには<衆院解散 1月見送り 安倍晋三首相決断、来秋以降

安倍晋三首相(自民党総裁)は、来年1月の衆院解散を見送る方針を固めた。各種情勢調査の結果を分析した結果、現状で衆院選を実施すれば、自民、公明両党で3分の2超を有する現有議席を割り込む公算が大きく、衆院任期2年弱を残して勝負を打つメリットはないと判断した。来夏は東京都議選が予定されているため、次期衆院選は来秋以降にずれ込む見通し。

首相は、年末か来年1月の衆院解散を選択肢の一つとして、自民党の古屋圭司選対委員長に所属議員の集票力などを調査・分析するよう内々に指示していた。若手議員の一部差し替えも検討したが、民進、共産両党などが共闘して各選挙区の候補者を一本化した場合、自民党の現有議席(292議席)を割り込み、与党の議席数が3分の2を下回る可能性が大きいことが分かった。

加えて、衆院任期を2年近く残して厳冬期に衆院選に踏み切れば「党利党略で国民を振り回すな」という批判が強まりかねない。首相はこのような情勢を総合的に勘案し、1月解散を見送った。首相は周囲に「1月の解散はない。メリットはない」と語った。

来年の通常国会では、平成29年度予算案などに加え、天皇陛下の譲位に関する法整備など重要案件を抱えている。米英伊比など各国で首脳交代が相次いでいることもあり、首相は今後、外交・安全保障や内政などの政治課題に全力を傾注する構え。

首相の悲願である憲法改正に関する審議は来秋の臨時国会以降に持ち越されることになる。このため、憲法改正の本格審議を前に、首相が来秋に衆院解散するかどうかが政局の焦点となる。合わせて日本維新の会など第三極勢力の動きが活発化する可能性がある。

ただ、民進党の支持率は低迷を続けている上、蓮舫代表が「二重国籍」問題を抱えていることもあり、与党内では早期解散を望む声は少なくない。来年の通常国会冒頭で28年度第3次補正予算案を成立させ、速やかに解散すべきだという意見もくすぶっている。>(以上)

12/13時事通信社<民進、解散恐れ腰砕け=共産「理解不能」

国会最終盤で焦点となった年金制度改革法案とカジノ解禁を柱とする統合型リゾート(IR)推進法案をめぐり、「廃案に追い込む」と意気込んでいた民進党が突然、柔軟姿勢に転じた。年金法案の採決に応じるとともに、カジノ法案では、修正した上で採決するとの自民党提案を容認。与党側が野党の出方次第で今国会会期の再延長をちらつかせたことで、衆院解散を恐れた民進党の腰が引けた格好だ。  「現段階でも政府の説明不足に納得していない。ただ、ようやく政府が(年金支給額の)試算を公表することを明言した」。民進党の蓮舫代表は13日の常任幹事会で、年金法案採決を受け入れた方針転換に理解を求めた。  年金法案をめぐり、民進党は衆院審議の段階から「年金カット法案」と厳しく批判。共産党などとともに廃案を目指す方針を確認していた。これに対し、自民党からは年金・カジノ両法案の成立のためには「小幅の再延長も仕方ない」との声も出ていた。  会期末を翌日に控えた13日になって突如、民進党が自民党と採決日程で合意した背景には、選挙準備不足から衆院解散を回避したいとの「本音」をのぞかせたとの見方もある。実際、12日の執行役員会で幹部の1人が「再延長は解散の呼び水となる」と、徹底抗戦路線に慎重論を唱えた。

カジノ法案をめぐっても、自民、民進の参院幹部が協議を重ね、ギャンブル依存症対策の明示などを盛り込んだ修正案を採決することで合意。蓮舫氏が8日の記者会見で、廃案にして再提出を要求した攻めの姿勢は消えうせていた。  民進党の「変節」に他の野党は不満を募らせている。共産党の井上哲士参院幹事長は記者団に「修正案の相談もなかった。採決に応じるのではなく、徹底審議を求めていくべきだ」と主張。別の同党幹部も「(民進党の対応は)理解できない」と納得がいかない様子だった。>(以上)

とあり、民共連携の態勢が整わない内に、解散総選挙した方が良いのでは。自民党は前回参院選での民共単純合計で票数を計算しているだけと思われます。共産党とくっつけば、民進支持だった人も逃げる人は必ず出てきます。連合も自主投票にする可能性もあります。

本記事は、米国人の考えを知るうえで良いと思います。大国の傲慢さが感じられるところです。別に米国だけでなく、中国、ロシアもそうでしょう。日本人にとって、真珠湾と広島・長崎がツーペイとはどうしても思えません。真珠湾は不意打ちではありましたが攻撃対象は軍であり、広島・長崎は非戦闘員の大量死と放射能の悪影響を齎したことを考えますと、余りにバランスを欠く見方と思います。彼らにしてみれば、自国を正当化しようと思う気持ちは理解できますが。歴史を知れば、日本は英米によって戦争に追い込まれたとしか思えません。宣戦布告しないのが当時の常態であったとしても、敵にそれを使われた訳ですから、非常にマズイ展開となった訳です。米国は暗号傍受で日本の攻撃を知っていたと思いますが、まさか布告が攻撃より55分も遅れるとはまさに「棚から牡丹餅」でしょう。天皇陛下も宣戦布告をキチンとするよう念を押していたのに、外務省の大きなチョンボです。今でもまともな外交はしていませんが。

まあ、謝罪ではなく、未来志向で同盟の強固さを確認して、対中包囲網について協議出来れば良いと考えます。

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ハワイ・真珠湾のアリゾナ記念館(出所:米海軍)

安倍首相が年末にハワイ真珠湾(アリゾナ記念館)を訪問する。日本のメディアの多くは、「訪問決定に対して、アメリカ側では歓迎の声が上がっている」といった報道をしている。

それらの報道では、「安倍首相には、今日(12月7日)訪問してほしかった」「もっと早く来るべきだった」「安倍首相は真珠湾攻撃について謝罪するべきだと思う」といった少数の真珠湾攻撃経験者たちの声も紹介されている。しかし基本的な報じ方としては、そうした謝罪云々を口にする人々すら「現在、そして将来にわたって日米が平和な関係を保つことが大切」などと未来志向を語っている状況を紹介し、安倍首相のアリゾナ記念館への慰霊訪問がアメリカで極めて好意的に受け止められている状況を強調している。

日本海軍による真珠湾攻撃についてさしたる知識を持たない多くのアメリカ国民にとって、安倍首相がアリゾナ記念館を慰霊しようがしまいが、何ら関心事ではない。しかし、多くの軍人や退役軍人、それに教養人など真珠湾攻撃を知る(どの程度の真相を知っているのかは問わず)人々にとっては、確かに日本の首相による真珠湾アリゾナ記念館の慰霊訪問は大きな関心事であり、日本のメディアが伝えているように歓迎の声が上がっている。

ただし、日本側としては、なぜ歓迎の声が上がっているのかを認識しておく必要がある。

真珠湾と広島・長崎はワンセット

アメリカ側から歓迎の声が届くのは当然である。なぜならば、安倍首相の慰霊ツアーは、オバマ大統領の慰霊ツアーと一対のものとみなされているからだ。実際、この点を日本政府は警戒して、管官房長官も「オバマ大統領の広島訪問と関係するものではない」とあえて明言している。

しかしながら、いくら日本側が「安倍首相の真珠湾(アリゾナ記念館)訪問はオバマ大統領の広島(平和記念資料館、原爆死没者慰霊碑、原爆ドーム)訪問への返礼あるいは対をなすものではない」と予防線を張っても無駄である。ほとんどのアメリカ国民にとって真珠湾攻撃と広島長崎に対する原爆攻撃は一対の出来事として刷り込まれているからだ。

対日戦争終結直後から開始された「真珠湾攻撃調査統合委員会」による真珠湾攻撃に関する調査検討の詳細な報告書(*)の前文にも、アメリカ海軍が大損害を受けた真珠湾攻撃と広島長崎に対する原爆攻撃を一対の出来事として結びつけた因果的説明がなされている(もちろん強引に結び付けているのだが)。

(*)”Investigation of the Pearl Harbor Attack: Report of the Joint Committee on the Investigation of the Pearl Harbor Attack Congress of the United States”,1946年7月20日

それ以降も、この種の説明はアメリカ社会において繰り返されてきた。その結果、多くのアメリカ国民の意識には、「真珠湾攻撃(による大損害)と原爆攻撃(による日本軍閥への復讐)」が対をなして刷り込まれているのだ。

プロパガンダに過ぎない「だまし討ち」の主張

周知のように、真珠湾攻撃開始時刻の30分前に、駐米日本大使が「対米開戦に関する覚え書き」を米国国務長官に手渡すことになっていた。だが、駐米日本大使館のミスにより、手渡されたのが攻撃開始(実際にはハワイ時間12月7日午前7時55分)の55分後になってしまった。その日本側の手違いをルーズベルト政権が「だまし討ち」と騒ぎ立てた。

確かに、1907年に締結(日本では1912年に公布)された「開戦に関する条約」第1条には、締約国は「最後通牒などの形で事前に開戦を通告する」ことが明記されている。しかしながら、条約締結以降、真珠湾攻撃が開始されるまでの期間に世界各地で勃発した戦争や軍事衝突において、戦闘行為が開始される以前に正式な開戦の通告がなされた事例は見当たらない。そのため「開戦に関する条約」は、実務上厳密に解釈されていたとはみなされない。

実際に、第2次世界大戦初頭のドイツ軍による数々の侵攻作戦では事前の開戦通告などなされていない。また、真珠湾攻撃よりも先に開始されたマレー半島における日本軍とイギリス軍の戦闘に関しても、事前の開戦通告はなされていない。にもかかわらずそれらの戦闘開始に関して「だまし討ち」との声は全く上がっていない。

また、日本の敗北後に、アメリカが中心となって進められた極東軍事裁判においても、真珠湾攻撃に際しての「開戦に関する条約」違反、すなわちアメリカの言うところの「だまし討ち」は取り上げられていない。ということは、アメリカ自身も国際法的には真珠湾攻撃を「だまし討ち」として訴追するには無理があることを認めているのだ。

ルーズベルト政権がつくり上げた「だまし討ち」のレトリックは、アメリカ国民をドイツと日本に対する戦争に駆り立てるためのプロパガンダにすぎなかったことは、誰の目にも明らかである。

にもかかわらず、自らの先人たちが選んだ大統領の非を直視することを避けるため、真珠湾攻撃から75年も経た現在でも、「だまし討ち」のプロパガンダがアメリカ社会に定着している。そのため、安倍首相のアリゾナ記念館訪問に際して、「だまし討ち」を謝罪せよという声が上がるのである。

「真珠湾攻撃」と「原爆攻撃」を同列に

その反面、広島と長崎に対する原爆攻撃が「陸戦の法規慣例に関する条約:付属規則第2款第1章」に明白に違反していた重大な戦争犯罪であり、アメリカ側が日本側に対して謝罪する“確固たる理由”があることを(認識してはいても)口にする者は極めて稀である。

このように、自らの原爆攻撃に関しては何ら謝罪理由など存在しないと考えており、真珠湾攻撃に関しては「だまし討ち」という謝罪理由が存在すると考えているのがアメリカ社会(少なくとも公的立場の人々)なのである。

したがって、オバマ大統領が広島を訪問した際に「“そもそも謝罪する理由のない”謝罪の言葉などは一切述べず、あくまでも慰霊訪問である」ということで押し通したのは、アメリカ側にとっては理の当然ということになる。

反対に、安倍首相がアリゾナ記念館を訪れるにあたって謝罪の意を表さないことに関しては、「日本側は謝罪すべきだが、良好な同盟関係の維持が大切な現在、なにも謝罪を云々する必要性はない」として寛容な態度を見せればよい、ということになるのだ。

そして、真珠湾攻撃ならびに原爆攻撃に関する詳細な背景事情をある程度理解している人々にとっては、戦時国際法を踏みにじった原爆攻撃と、国際法的に非難されるいわれがない真珠湾攻撃を一対のイベントにすることで、晴れて同列に位置づけることが達成される。まさにアメリカにとっては「願ったり叶ったり」の歓迎すべきアリゾナ記念館訪問ということになるのである。

真珠湾慰霊を「開戦の地での慰霊」に変える方法

安倍首相は、12月26、27日に予定されているハワイ訪問について、「オバマ大統領との総括的な最後の会談を実施するとともに、『二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない』という未来へ向けての決意を示すために、真珠湾への慰霊訪問を行いたい」と述べている。

以上のような真珠湾攻撃と原爆攻撃に対する複雑な意識の存在を鑑みると、真珠湾攻撃による犠牲者のみを慰霊・顕彰するアリゾナ記念館だけを慰霊訪問するのは得策ではない。

つまり、日米開戦の地であるオアフ島の、日米両軍双方に直接的あるいは間接的に関係するいくつかの慰霊施設を包括的に訪問することにより、アメリカ側に存在する一般的感情である“真珠湾攻撃に対する謝罪”という意味合いが薄まるものと考えられる。

2年ほど前になるが、当時「次世代の党」の党首であった平沼赳夫衆議院議員が同党の国会議員4名を率いて太平洋海兵隊司令官との意見交換に訪れた。その際、平沼議員は「日米開戦という土地柄、日米双方の慰霊を行いたい」という意向であったため、海兵隊関係者たちと筆者が話し合い、慰霊訪問ツアーを行ってもらった。訪れたのは、「パンチボール国立記念墓地」「マキキ日本海軍墓地」「カネオヘ海兵隊ハワイ基地内、飯田大尉記念碑」そして「えひめ丸慰霊碑」(注)であった。

安倍首相もこれらの慰霊施設を訪問すれば、まさに日米開戦の地における慰霊訪問という大義名分が立ち、“真珠湾謝罪訪問”という誤解や曲解が薄められ、「二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない」という決意を内外に示すことになるであろう。

(注) 「ホノルル、パンチボール国立記念墓地」 第1次世界大戦からベトナム戦争に参戦した米軍将兵を中心に軍関係者その家族が葬られている。

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パンチボール国立記念墓地で献花する平沼議員一行

「ホノルル、マキキ日本海軍墓地」 明治9年から明治32年の間にハワイ方面海域で病没した日本海軍水兵たちの墓とハワイ周辺海域に眠る日本海軍将兵の英霊を祀る鎮魂碑がある。

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マキキ海軍墓地で献花する平沼議員一行

「カネオヘ、米海兵隊ハワイ基地内、飯田大尉記念碑」 真珠湾攻撃の際、カネオヘ海軍航空基地(現在、海兵隊ハワイ基地)を攻撃した零戦部隊の指揮官であった飯田房太海軍大尉(戦死により中佐)は、自らの零戦が被弾したため米軍格納庫に向かって突入を図った。海兵隊はその勇猛果敢な戦闘精神に感服し、同所で戦死した海兵隊員たちと共に飯田大尉を丁重に葬った。戦後、海兵隊は飯田大尉が戦死した場所に記念碑を建て、現在に至るまで敬意を表している。

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飯田大尉記念碑に献花する山田宏議員(現自民党参議院議員)一行

「ホノルル、えひめ丸慰霊碑」 2001年2月10日に、オアフ島沖で実習中だった愛媛県立宇和島水産高校の練習船「えひめ丸」は、急浮上してきたアメリカ海軍原子力潜水艦「グリーンビル」に衝突され沈没し、9名の生徒教員が死亡、12名が負傷した。えひめ丸の犠牲者たちを追悼する記念碑が、多くの日本人観光客で賑わうアラモアナショッピングセンター付近の海岸公園に立っている。

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『5歳の娘の白血病を利用した“蓄財事件”の顛末 娘の回復を祈る父親の姿に人々は涙したが…』(12/16日経ビジネスオンライン 北村豊)について

本記事を読んですぐ思い出したのは2006年に起きた事件で、NHKの管理職が娘(さくらちゃん)の外国での手術費用を、当初全額カンパで賄うつもりでいたケースです。自分で財産を処分することもなく、他人の善意を当てにして、まるで焼け太りになろうとした感じにも思えます。娘の病気が無ければ、完全に詐欺です。地震の募金とかいろんな形の募金も胡散臭く感じるのもあり(特にアグネスチャンの日本ユニセフ協会)、きちんと調べて募金協力しないと何に使われるか分かりません。ネットで調べると、その後も『○○ちゃんを救う会』というのが立上っています。本記事の中国のケースもこれに相当するでしょう。人を騙すのが得意な中国人ですから、日本人のケースに触発されて実行した可能性もあります。

https://www18.atwiki.jp/sinusinu/22.html

日本人にもモンスター〇〇〇〇とか言われる人が沢山出てきました。さくらちゃんの父親はモンスターペアレントの一種でしょう。救急車をタクシー代わりに使い、本当に必要な人の為に出動できなくなる可能性があるにも拘らず、平気でそうする人がいます。戦後民主主義教育の欠陥です。権利のみ主張して、義務を果たすことをキチンと教えて来なかったためです。諸悪の根源はアメリカですが、戦後70年も経っていても良くなるどころか、益々悪くなるだけ。特に刷込みの呪縛から抜け出せない戦中・戦後すぐ生まれた老人にその程度が甚だしいのでは。その姿を見て子は育ちますので。

記事

11月25日、中国版メッセンジャーアプリ“微信”の“公衆平台(公式アカウント)”に『“羅一笑, 你給我站住(羅一笑、君は私のために立ち止まって)”』と題する文章が掲載された。この文章は広東省“深圳市”に住む“羅爾(らじ)”という名の父親が白血病を患って“深圳市児童医院”に入院している娘の“羅一笑”(5歳)に対する思いをつづったものだった。その訳文は以下の通り。なお、文中にある“笑笑”は羅一笑の愛称。中国の家庭では子供に同じ漢字を重ねた愛称を付け、愛称で呼ぶのが一般的である。

白血病の娘に対する思いを

『羅一笑、君は私のために立ち止まって』

11月23日午後6時、“笑笑”は再び危篤になり、集中治療室(ICU)に入った。ベッドが集中治療室へ運ばれて行く時、私は笑笑の耳元で「きっと良くなるよ」とささやいた。私はこぼれ落ちる涙をこらえることができなかった。

妻の“文芳”は私の肩に顔を埋めて泣いた。集中治療室の費用は毎日1万元(約16万5000円)を上回るだろう。彼女は私たちがその費用を支払えないことを悲しみ、たとえその費用を支払えたとしても、笑笑の命は助からないことを悲しんだ。私はもう泣かない。何としてでも文芳を悲しみの中から引っ張り出さねばならない。

集中治療室の扉の外にある長椅子の上で1人の父親が眠っていた。笑笑が21日の早朝に集中治療室に入った時も、その父親は長椅子の上で眠っていた。私と彼は親しくなった。意外にも、彼は湖南省“泪羅(べきら)市”出身の私と同郷人だったのだ。彼は深圳市“宝安区”でゴミ拾いをして暮らしているが、10歳で小学4年生の息子が数日前にタクシーにはねられて意識不明になり、集中治療室で治療を受けていた。彼はずっと集中治療室の外で息子の意識が回復するのを待ち続け、疲れると長椅子の上で眠り、空腹になるインスタントラーメンを食べていた。私は彼にどうして家に帰らずにここで待っているのかと尋ね、「あんたは息子に会うこともできないし、かといって何もしてやれることはないじゃないか」と言ったが、彼は息子のいない家に帰っても眠れないのだと答えた。

笑笑の集中治療室への入院手続きを終えて、私と文芳は家に帰ったが、その時ようやく同郷人であるあの父親がどうして集中治療室の外で眠らなければならなかったのかを理解した。娘のいない家はひっそりして寒々しかった。友人が酒でも飲もうと声をかけてくれたが、私は応じなかった。家に文芳を1人残して外出することなどできなかったし、1人で読書することもはばかられた。文芳は昨夜も医院で過ごして一睡もしていなかったので、私は彼女に早く休んで欲しかったが、彼女は何度も寝返りを打って眠ることができず、私たちはため息をつくばかりであった。

私のために立ち止まってほしい

木曜日(24日)は面会日ではなかったが、私と妻は早めに医院へ向かった。それは医師の口から笑笑の良い知らせを聞きたかったためだったが、医師は非常に忙しく、病状を二言三言話してくれただけで、私たちの心配を何ら解消するものではなかった。丁度良い具合に文芳の親友2人が医院へ見舞いに来てくれたので、私は彼らに文芳を任せて走り回った。私は各種各様の証明や印鑑を取って回り、笑笑の重病診察予約を取り、“小天使基金”<注1>に対して救援を申請した。

<注1>“中国紅十字基金会(中国赤十字基金会)が提唱して設立された白血病の児童を救援することを目的とする基金。

以前、私は政府からこの種の援助をびた一文たりとも受けたいと思ったことはなかった。今でもそう思っているが、こういう方法でしか私は笑笑にパパも全力で頑張っているということを告げられないのだ。君は絶対にパパを待っていて欲しい。それらの手続きが完了するのには少なくとも2か月が必要だが、笑笑は2か月を待ってくれるだろうか。待ってくれさえすれば、どんな問題でも解決することができる。

笑笑が歩くようになってから、私たちはずっと1つのゲームで遊んでいた。彼女が歩きたくないと駄々をこねると、私は前の方に走ってからしゃがんで両手を広げる。笑笑はこれを見ると、満面の笑顔で走って来て私の懐に飛び込んでくる。愛しの娘よ、今、パパは家の中で君に向かって両手を広げている。今すぐに家へ戻ってパパの胸に飛び込んで欲しい。昨日は“感恩節(感謝祭)”だったが、私はこの2か月間にわたって私たちを励まし、支援してくれた身内や友人に対する感謝の気持ちを文字で記そうとしたが、心乱れて一文字も書くことができず、結局、書かないことにした。

羅一笑、お爺ちゃんとおばあちゃん、おじさんとおばさん、兄さんと姉さんが君に与えた恩情は非常に重く深いものであり、私はそれを君のために書き記しておくけど、君はしらばくれることなく、自分から彼らが与えてくれた恩に感謝しなければならないよ。

羅一笑、幼稚園の先生や友達は君のために“献愛心的活動(愛の手を差し伸べる活動)”を展開してくれているよ。先生や友達は皆が君を心配し、早く幼稚園へ戻って来るのを待ち望んでいるよ。君は彼らを失望させてはだめだよ。

羅一笑、むやみに走り回らず(=勝手に天国へ行こうとせず)、私のために立ち止まって欲しい。もしも君がおとなしく家へ帰らないというなら、たとえ君が天使になり、天国へ行ったとして、いつか私たちが天国で会っても、パパは君に知らない振りをするよ。

上記の文章が11月25日に微信上で発表されると、多くのネットユーザーの共感と関心を呼び、次々と転載されて広範囲に知れ渡ることになった。この文章の作者である羅爾は2016年1月に発行を停止した女性誌「女報・故事」に勤めていた人物だが、9月8日に娘の羅一笑が検査で白血病にかかっていることが判明し、彼女はすぐさま深圳市児童医院へ入院したのだった。その後、羅爾は微信の個人アカウントで白血病にかかった娘の闘病記録を有償で発表していたのだ。有償とは、文章を読んで「良かった」と感じた読者が文章の下部に置かれている「“賛賞(称賛)”」のボタンをクリックすると、自動的に課金されて作者にカネが支払われることを指す。要するに、羅爾は“売文救女(文を売って娘を救う)”<注2>を行っていたのだった。

<注2>“売文救女”の“女”は娘を意味する。

美談が内情暴露で一転

12月1日付の北京紙「北京青年報」はこの“売文救女”について次のように報じた。

【1】11月30日の朝8時前に“宋先生(宋さん)”はいつもの習慣で微信の“朋友圏(モーメンツ)”をチェックしたが、そこにあった新着記事の『“羅一笑, 你給我站住”』という題名の文章に注意を引かれた。多数の友人たちが同じ記事を転載しており、ある人は記事を転載するのと同時に「この白血病の娘を持つ父親は“売文救女”である」と注釈を付けていた。興味を持った宋さんは当該記事が引用していたリンク先をクリックしてその文章を読んでみたが、文末の段落を読む頃には思わず涙ぐんでしまった。文章に感激した宋さんが「称賛」のボタンをクリックしようと文章の下部を見ると、そこにあった“閲読(読んだ)”欄の読者数と称賛欄の称賛者数は共に10万人を超えていた。そこで、宋さんも称賛のボタンをクリックしたところ、画面上に「当該作者が本日受領した称賛金額はすでに上限に達しました」との表示が出たのだった。

【2】宋さんは、“小銅人”という名の会社が持つ微信の公式アカウント「P2P観察」も同様に『“羅一笑, 你給我站住”』の記事を掲載していることに気付いた。羅爾の個人アカウントと違うのは、公式アカウント「P2P観察」の方には文章に注記があり、「あなたが本文章を転載すると、我が社は献金を行います。あなたが転載する毎に、我が社は1元(約16.7円)を献金します」と書かれていた。当該文章を自分の友人グループであるモーメンツ内に転載するだけで、小銅人という会社が文章の作者である羅爾に献金をするというのは奇妙な話だが、これも羅爾と羅一笑の親子を支援する方式なのかと理解した。ところが、それから4時間も経たないうちに、事態は思いもしない方向に逆転を始めたのだった。

その逆転とは何か。各種各層の内部事情を知る人たちが次々と、微信上に作者の羅爾に関する内情を暴露したのだった。それは次のような内容だった。

(1)羅爾は以前、自分の微信アカウントに掲載した文章の中で、自分は住宅3戸、自動車2台、広告会社1社を保有していると述べていた。それが本当なら、白血病の娘を救うために自分が持つ住宅を売れば治療費は負担できるはずだが、何故に微信上で“売文救女”を標榜し、娘の治療費を捻出するための献金を求めるのか。

(2)小児白血病患者の治療を専門とする医師に確認したところでは、目下のところ、羅爾の娘の医療費は医療保険の公費負担比率が高く、患者の負担額はわずか数万元に過ぎないはずである。従い、羅爾の家庭が“入不敷出(収入が支出に追い付かない)”状況になっていることなど有り得ない

(3)問題の矛先を作者の羅爾と小銅人との関係に向け、彼らが採用した「転載したら献金」方式は、一般大衆の善意を利用して商業活動を行っているに等しいと批判すると同時に、本当に羅一笑は白血病にかかっているのかと疑問を呈した。

献金額を公表後、基金設立へ

これら内情を知る人々によって提起された指摘や疑問点は、微信の中だけに止まらず、メディアによって大きく取り上げられたことから、深圳市の“民政局”が介入して羅爾と小銅人および深圳市児童医院に対する聞き取り調査が行われた。11月30日、深圳市民生局は調査結果を発表したが、その要点は以下の通り。

【1】羅爾の月給は4000元(約6万7000円)で、他に収入源はないし、妻の文芳にも収入はない。住宅3戸(深圳市内に1戸、広東省“東莞市”に2戸)および自動車1台を所有している。深圳市にある80m2の住宅はローンを完済したが、東莞市にある住宅は昨年投資のために2戸合わせて100万元(約1670万円)で購入したもので、融資を受けたので借金がまだ40万元(約668万円)残っている。医院の費用を支払うために家を売ればよいという人がいるが、深圳市内の家は今住んでいる家であるから売るわけには行かない。東莞市にある2戸の住宅は借金があるため不動産権利書がなく、売りたくても売れない。自動車は2007年に買った米国製のビュイック(Buick)で、すでに廃車同様である。

【2】娘の羅一笑の医療費は、9月分と10月分の総額から公費負担額を差し引いた自己負担額は確かに数万元であった。但し、娘が集中治療室に入院した後の医療費は、多くの器具や治療が公費負担の範囲外になるため、自己負担額がどの位になるかは分からない。また、小銅人の「転載1回毎に1元献金」については、羅爾は決して商業活動には該当しないとの意見を堅持した。

【3】深圳市児童医院が出した声明によれば、羅一笑の医療費明細は次の通りだった。すなわち、羅一笑が3回入院した費用の合計は20万4244元(約341万円)であったが、このうち医療保険による公費負担分が16万8051元(約281万円)で、自己負担分は3万6193元(約60万円)であった。入院毎の医療費に占める自己負担比率の平均は17.7%だった。

こうして羅爾の経済状況と羅一笑の医療費の詳細が白日の下に晒されたが、そこで人々が注目したのは、羅爾が微信に『“羅一笑, 你給我站住”』を掲載したことにより一体いくらの献金を受領したのかという点だった。

12月1日、羅爾と彼の友人で小銅人の経営者である“劉侠風”は共同声明を発表して、次のように述べた。

(1)11月30日24時までに、小銅人の公式アカウント「P2P観察」で掲載した文章の転載回数は54万8432回であり、2016年11月27日の約束に基づき、小銅人は50万元(約835万円)を羅爾に献金した。また、読者が「称賛」ボタンをクリックしたことによる課金の合計は10万1111元(約169万円)であった。一方、羅爾個人の公式アカウントで掲載した文書に対し読者が「称賛」ボタンをクリックしたことによる課金の合計額は207万元(約3457万円)であった。この両者の合計額は267万1111元(約4461万円)であった。

(2)2人で協議した結果、上記の金額は読者の同意を得ているものと見なして、全額を拠出して小児白血病患者の救済を目的とする基金を設立する。羅一笑の医療費については、合法的なルートで当該基金に救援を申請することで対処する。今回の件を通じて、社会に悪い影響を与えたことに対して深く謝罪する。

表面上の決着は見たが…

こうして通称「羅一笑事件」と呼ばれた事件は表面上の決着を見たが、内情を知る人々が問題を提起しなければ、羅爾は白血病の娘を利用して267万元余の大金を得ていた可能性が高い。彼が娘の医療費の支払いに困難を来す程に困窮しているならともかく、3戸の住宅を保有していたことを考えると、白血病を名目とした詐欺を画策したというのが実態であろう。

中国では白血病の発病率が小児がんの首位にあり、10歳以下の小児白血病の発病率は10万分の7である。この数字だけを見るとそれほど高いようには思えないが、小児白血病の発病率は成人に比べて遥かに高い。中国赤十字基金会の研究報告によれば、中国で毎年新たに発病する白血病患者の数は4万人だが、その半数は児童で、2歳~7歳が最多を占める。児童と青少年の白血病は90%が急性白血病であり、年間の発病率は10万分の3~10万分の6だが、発病が急であることから、直ちに適切な治療を行わないと、寿命は平均して半年も持たない。なお、中国の白血病による死亡率は50%に上っている。

こうした状況下において、娘の白血病を利用して金儲けを企んだ羅爾とその友人の劉侠風は許し難く、人の道理を踏み外した存在と言える。事件は小児白血病患者救済基金の設立で決着したが、真に救済を求める貧しい小児白血病患者に対して人々が猜疑の目を向ける悪しき前例を作ったのだった。羅爾が娘の回復を心から望んでいることに偽りはないはずだが。

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『揭秘:三十年前中共極力掩蓋南京大屠殺的原因(30年前、中共は南京大虐殺について極力蓋をしようとした原因を明らかにする)』(12/15中国観察)について

Henry Scott Stokesの“Fallacies in the Allied Nations’ Historical Perception As Observed by a British Journalist”を読み始めました。日本語版は3年前に読んでいますから、大体の言わんとしている所は分かると思っています。やはり、日本語で出版するより、英語で世界に発信して貰う方が、インパクトが大きいです。ヘンリー・ストークスは三島由紀夫の友人であったことが、彼の英国での刷り込み教育を変えさせた大きな原因とのこと、死せる三島、生けるストークスを走らすと言ったところでしょうか。ストークスにしてみれば、三島との「果たし得ていない約束」のつもりで出版したのかもしれません。ストークスは「南京」にしろ「従軍慰安婦」にしろ、プロパガンダと言っています。序に、

“The Tokyo Trials were a total sham, serving only as a theater for unlawful retribution. And as for the “Nanking Massacre,” there is not one shred of evidence attesting to It. However, the Chinese are hell-bent on using foreign journalist and corporations to spread their propaganda throughout the world. I find it very disappointing that so few Japanese attempt to discredit the false accusations and set the record straight. In today’s international community those who maintain that there was no massacre in Nanking are shunned.”

「東京裁判は全部インチキだった。違法な報復のための芝居としてしか役割を果たしていない。そして「南京大虐殺」に関しては、それを証明する証拠のひとかけらもない。しかし、中国人は外国人ジャーナリストや企業を使って、世界中で彼らのプロパガンダを広めるために躍起になっている。私は、数少ない日本人が冤罪で日本を貶めようとし、記録を直そうというのを見て、大変ガッカリしている。今日の国際社会で、南京で虐殺がなかったことを主張する人は敬遠される。」と。

「新唐人」は法輪功系列です。江沢民に弾圧された気功の宗教団体です。でも本記事を読む限り、やはり中国人の限界が垣間見えます。プロパガンダが得意な共産党が、虐殺があれば30年も黙っている筈がありません。日本人を貶める勢力に手を貸しているのと同じです。やはり、歴史は自分の都合の良いように解釈するのでなく、実証的であらねば。中国の出してきている写真は南京とは関係ない写真が多いとのこと。朝鮮戦争も南が仕掛けたと捏造する国ですから。中国共産党も中国国民党も同じ中国人で構成されているため、嘘で塗り固められた歴史を主張します。

記事

so-called-nanking-massacre

對中華民族而言,12月13日是個極其慘烈的日子。79年前的這一天,侵華日軍攻佔當時的中華民國臨時首都南京後,在南京及附近地區進行長達四十多天慘絕人寰的大屠殺。至少有20萬至30萬的中國平民和戰俘被日軍殺害,約2萬中國婦女遭日軍姦淫,南京城三分之一的建築被日軍縱火燒毀。

 然而,在中共建政後的30多年裡,中共官方為學生們編寫的歷史課本中,對這場令世界震驚的日軍暴行卻隻字不提,好像這場暴行從未發生過。直到上世紀80年代以後,中國大陸的媒體中才漸漸出現有關南京大屠殺的文字記載。

中共為何要長期替日本人掩蓋這樣的歷史罪惡呢?《揭秘:三十年前的中國為何極力掩蓋南京大屠殺》一文揭開了這個歷史謎題。

文章介紹,過去中共當局給國人灌輸的歷史知識中,有關中國〝八年抗戰〞是這樣描寫的:當年日本鬼子打進中國,蔣介石不抵抗,躲進了四川峨嵋山。抗戰八年,全是中共領導八路軍、新四軍、還有敵後武工隊,靠着地雷戰、地道戰、游擊戰——打下來的。直到日本鬼子被中共領導的軍隊打敗了,投降並滾回日本後。〝蔣該死〞才從峨嵋山下來!開始伸手——摘桃子。(毛澤東原話)。對於南京大屠殺這場慘絕人寰的日軍暴行,中共官方的歷史資料則隻字不提。

在毛澤東時代,南京並無〝南京大屠殺紀念碑〞和〝侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館〞。1979年以前大陸歷史課本中,也無關於〝南京大屠殺〞的任何記載。

比如1958年版《中學歷史教師手冊》〝中外歷史大事年表〞中,1937年內容只有〝日軍侵佔上海,國民政府遷都重慶〞簡單記述,全然不提〝南京大屠殺〞。而該書在1927年大事中,倒有蔣介石〝四一二大屠殺〞記述。1975年版《新編中國史》〝歷史年表〞中,1937年也只有〝國民政府遷都重慶,南京防禦失敗〞記載,〝南京大屠殺〞仍是隻字不提。

直到1979年版中學歷史書中,〝南京大屠殺〞一詞才首次列出。1985年8月15日,日本投降40周年後,中共南京政府才建成了〝侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館〞。

直到上世紀八十年代初,中國大陸的媒體才開始〝呑呑吐吐、半遮半掩〞地告訴國人——原來,國民黨軍隊才是真正的抗日主力,而且他們打的還是〝正面戰場〞,還打了許多大仗。這些大仗都比中共軍隊打下的〝平型關戰役〞要大的多。也正因為如此,日本軍隊在攻下南京後,才瘋狂屠殺了中國的平民百姓和被俘軍人30萬人!

所以,當上面這幅全新的慘烈的雄壯的真實的抗日畫卷,慢慢地展現在國人面前的時,許多中國人甚至不能馬上就接受,許多人懷疑南京大屠殺是否真實存在過。

三十多年來南京市只修建了雨花台來紀念那些為國捐軀的烈士,中共官方卻從不提南京大屠殺。

為什麼毛時代要對中國百姓——隱瞞〝南京大屠殺〞,難道是毛澤東有天生親近日本人的情愫?

文章寫道,〝我想,毛澤東建國後多年不提〝南京大屠殺〞,倒也不是毛天生就有親日情懷,而是因為以毛為首的中共政權,要從根本上否定蔣介石政權當年全面抗戰的正確歷史觀,要編織一個〝蔣該死〞從不抗日,只有毛澤東才是〝抗日領袖〞、中國共產黨才是抗日主體的歷史謊言。〞

文章質問:〝毛時代的歷史教科書,有謝晉元指揮下的〝八百壯士〞嗎?有歷時四個月之久的〝武漢會戰〞嗎?有中國軍隊前後投入兵力達五十萬人以上的三次〝長沙會戰〞嗎?沒有!只有中共領導的八路軍、新四軍,用地雷戰和地道戰,爆了八年地雷,鑽了八年地道,硬是把日本鬼子——給打敗了!〞

可想而知,在中共這種完全歪曲歷史的宣傳語境中,如果向中國的學生們提起〝南京大屠殺〞,就無法迴避國民黨軍隊在抗戰中對日軍的全面抵抗和犧牲。但是在中共過去的字典里,〝犧牲〞二字只屬共產黨。因此,〝南京大屠殺〞的歷史數十年不提〝亦屬必然〞!

文章最後寫道,〝‘南京大屠殺’多年被抹去的事實說明,人們為了圓一個謊言往往就不得不另外再追加十個謊言,以此才能維繫和支撐!因此,這一至十再至百的成串歷史謊言,多年來充斥着中國(中共)歷史教科書。〞

(阿竺整編,有刪節)【新唐人2016年12月15日訊】

(訳)

「中国にとって、 12 月 13 日は極めて悲惨な日である。 79 年前のこの日、日本の侵略軍が当時の中華民国の臨時首都・南京を攻め落とした後、南京とその周辺地域で 40 日以上に亘り大虐殺が行われた。 少なくとも 20万から30万の 中国の民間人と捕虜が日本軍によって殺された。また、2万人の女性は日本軍によって強姦され、日本軍により南京市の3 分の 1 の建物が放火・焼失した。

しかるに、中共が統治してからの30 数年間は、学生のために書かれた歴史の本に、世界を驚かせた日本軍による残虐行為について一言も触れられておらず、このような暴行が起こったことがないかのように思わせている。 1980年代以降になって、やっと中国大陸で南京大虐殺について書くメディアが現われ始めた。

中共は何故長期に亘り歴史の悪行を日本に替わって覆い隠してきたのか。「30年前、中共は南京大虐殺について極力蓋をしようとしたのか」という一文はこの歴史の謎を明らかにする。 文章は、過去中共当局が国民に歴史知識を吹き込む中で、「8 年抗戦」について次のように描かれている。その年、日本が進軍してきたときに蒋介石軍は抵抗せず、四川省の峨眉山に逃げて行った。8年の抗戦中に戦ったのは中共の指導する八路軍や新四軍、銃後の武工隊だけだった。地雷戦やトンネル戦、遊撃戦で打ち負かした。日本軍が中共の指導する軍隊に負けて、投降し、日本に帰ってから蒋介石はやっと峨嵋山から下りて来て、漁夫の利を得ようとした。(毛沢東の話)。南京大虐殺がこのような凄惨な日本軍による暴行なのに、中共の歴史資料には一言も触れられていない。

毛沢東の時代には「南京虐殺記念館」や「日本侵略軍による南京で殺された同胞の虐殺記念館」はなく、1979 年以前の中国の歴史教科書の中には、「南京大虐殺」の記載はなかった。1958年版の中学校の歴史教師の歴史年表の手帳の中に、「1937 年には日本は上海を占領し、国民政府は重慶に遷都した」とあるだけで、「南京大虐殺」への言及が全くない。その本の中には、 1927 年に、蒋介石が「 412 」大虐殺したとの記述のみ。 1975 版「新編中国史」の歴史年表では「1937 年に国民政府は重慶に遷都し、南京の防衛に失敗した」とあるだけで、南京の大虐殺については触れられていない。

1979 年版の中学歴史の教科書になってやっと「南京大虐殺」の文字が最初に現れた。 1985 年 8 月 15 日、日本降伏 40 周年になって、やっと中共政府は「日本侵略軍による南京で殺された同胞の虐殺記念館」を造った。

80年代初めになって、やっと大陸のメディアが出しては引っ込め、様子を見ながら、国民に教え始めた。元々国民党軍が真の抗日の主力であり、かつ正面戦で大きな戦いに勝利した。これらの大規模な戦いは、中共の軍隊が勝った「平型関」 の戦いをはるかに凌ぐ。まさにこれが為に、日本軍は南京を占領した後、狂った様に中国の一般市民と捕虜兵士30万人を虐殺した。それ故、この新しい凄惨かつ勇壮な真実の抗日絵巻の上部を見せ、国民にゆっくりと知らしめて行くと、多くの中国人は受け入れることができないし、南京大虐殺の存在そのものを疑った。

30 数年以上たって南京市は雨花台に国に殉じた烈士の記念するものを造ったが南京虐殺についてはまだ触れていなかった。

何故、毛時代には中国人に対し「南京大虐殺」を隠したのか。まさか毛沢東は生まれながらの日本人情緒を持っていたのではあるまい? その文章には「思うに、毛沢東が建国後、ずっと南京大虐殺について言わなかったのは、毛が生まれながらに親日感情を持っていたからではなく、毛がリーダーである中共政権にとって、蒋介石政権が全面的に戦ったという正確な歴史観を否定し、蒋介石の抗日は無かった、毛が抗日のリーダーであって、中共こそが抗日の主体であるという歴史上の嘘を言うためである」と。

文章の質問には「毛時代の歴史教科書には謝晋元指揮下の800 人壮士が載っているか?4か月の長きに亘った武漢会戦は?中国軍が前後で50万以上の兵力を投入した3 回の長沙の戦いについては?ないではないか。ただあるのは中共が指導した八路軍や新四軍、8年の地雷戦や8年のトンネル戦だけ、確実なのは日本を打ち負かしたことだけである」と。

考えれば分かるが、中共のこのような完全に歴史を歪曲したプロパガンダの中で、中国の学生に南京虐殺について提起すれば、国民党軍が日本軍に徹底抗戦し多大な犠牲を払ったことを回避することはできない。 但し、中共の過去の辞書の中に「犠牲の2字は共産党に属するのみ」とあった。このため、「南京大虐殺」の歴史が数十年触れられないでいたのは、必然であった。

文章の最後に、「南京大虐殺」が長年に亘り、拭い去られて来た事実の説明として、人間は1回嘘をつけば、更に10回嘘をつかざるを得なくなる。これにより、やっと人心をつなぎ留め、1~10、或は100回まで歴史の嘘をつき、長年に亘り中共の歴史教科書が蔓延っている。」と。

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『「確信犯」のトランプ、蔡英文との会談で中国挑発 「一つの中国」を揺るがすトランプ次期大統領』(12/14JBプレス 古森義久)、『トランプ対中外交の成否 発言は“素人”南シナ海は米中の代理対決』(12/14ZAKZAK 富坂聰)について

富坂氏の論調はいつも中国の肩を持つように感じます。中国から情報を取っているので、中国の言い分を日本人に広めないと、次から情報を貰えないからかも。彼の学歴は北京大学中文系留学(卒業したかは不明)ですから、中国要人とのコネがあるのかも知れません。彼らの見方を代弁しているような気がします。やはり、米国発の情報の方が信頼に足るのでは。

米・国務長官としてエクソンモービルのCEO、ティラーソン氏が指名されましたが、上院の承認(上下院とも共和党多数にも拘らず)を得るのが難しいとの報道です。ミット・ロムニーは大恥をかかされたことになり、益々議会工作が難しくなって、国務長官人事が宙に浮く形となるのでは。国務副長官候補のボルトンも議会承認が必要ですが、マケインとの関係が良いので承認されるのではないかと思っています。ランド・ポール上院議員は反対のようですが。ボルトンが国務副長官になれば、米国の対中・対台・対日政策も変わる可能性があります。そうなってほしいと願っています。

https://japanese.japan.usembassy.gov/j/info/tinfoj-bio-blinken.html

やはり、軍関係者は、中国問題について、オバマの無能が中国を増長させ、好き勝手やらせてきたという風に思っているのでしょう。「これからは、好き勝手はさせない」、オバマ外交の全否定をして行くのでは。ただロシアとの関係がどこまで深く入っていくのかが分かりません。日本の対ロも米国の対ロも中国包囲網の一環と言う範囲であれば問題ないと思うのですが。

古森記事

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台湾・台北で行われた就任宣誓式の際に手を振る蔡英文新総統(2016年5月20日撮影)。(c)AFP/SAM YEH 〔AFPBB News

「一つの中国」に懐疑を唱える米国のドナルド・トランプ次期大統領の言動が米中関係に激震を招きそうな気配となってきた。

台湾の蔡英文総統との電話会談に始まったトランプ氏の米中間のタブーを破る動きは、当初は単なる思いつきともみられていた。だが、その後の展開によって、トランプ新政権が対中政策を根本的に変化させて強固な対決姿勢を打ち出そうとしていることが次第に明らかになってきた。

トランプ氏が12月2日に台湾の蔡英文総統と電話で語り合ったことは、ワシントンの政府関係者、外交関係者に大きな衝撃を与えた。1979年の米中国交樹立以来、両国関係の間では「一つの中国」の原則が保持されてきたからだ。

中国側の「台湾は中国の一部であり、中国を代表する唯一の合法政権は中華人民共和国である」という主張を米国も認識していた。だから、まだ大統領就任前とはいえ、米国の首脳が台湾の総統と直接言葉を交わしたことは前例がない。しかもトランプ氏はツイッターで蔡氏を「台湾の総統」と呼んだ。当然、中国側は「一つの中国」原則に違反すると解釈し、激しく反発した。中国政府はすぐに公式に抗議した。

米国でもオバマ政権は即座にトランプ氏のこの言動を批判し、「米国政府は『一つの中国』の大原則を尊重している」と言明した。トランプ陣営でもマイク・ペンス次期副大統領が「従来の外交政策からの逸脱ではない」と沈静化を図る説明をした。

ところがトランプ氏自身は、すぐにツイッターで「中国に命令されるいわれはない」と反発した。そのうえで「中国は、米国製品の輸入に高関税をかけたり、南シナ海で軍事基地をつくるとき、米国側の了解を得ただろうか」という疑問を提起した。中国が台湾総統との電話会談に抗議してくることが不当であると反撃したのである。

「なぜ『一つの中国』に縛られなければならないのか」

トランプ氏と台湾総統との電話会談について、当初、米国では、外交経験のないトランプ氏が米中関係の複雑な経緯や現実をよく知らないまま行動を起こしたのだろうという見方が一般的だった。

ところがトランプ氏は12月11日に、「米国はなぜ『一つの中国』策に縛られなければならないのか」という疑問を正面から表明した。

その結果、さらに大きな波紋が広がった。同氏は米国FOXテレビのインタビューで中国問題に触れ、「私は『一つの中国』政策を完全に理解している」と強調したうえで、「中国との間で貿易関係などでの合意が得られないならば、米国はなぜ『一つの中国』に縛られなければならないのか」と語った。

中国は貿易その他の摩擦懸案で米国の意向に反する行動を取り続ける。それならば、米国側も「一つの中国」政策を越えた対中対応があってもよいではないか、という指摘である。

中国政府は再度すぐに抗議の意を表明した。中国官営新聞の「環球時報」は「米中関係の基本を壊しうる危険な発言だ」として、トランプ発言を「子供っぽく、衝動的だ」と断じ、「トランプ氏は外交経験がないために対中強硬派の影響を受けやすい」と論評した。

トランプ陣営が明らかにするトランプ氏の本気度

だが、トランプ陣営の要人たちによるその後の説明によって、トランプ氏の一連の言動は、実は意外と深い計算や戦略に基づいている事実が明らかになってきた。

トランプ新政権は中国に対して、オバマ政権とはまったく異なる強固な姿勢をとり、米中関係の聖域とさえされてきた「一つの中国」の原則さえも打破しようとしている気配がうかがわれる。

トランプ陣営の枢要メンバーや同陣営に近い専門家たちは、ここ1週間ほどの間に、対中関係や台湾との関係、そして「一つの中国」策について、次のように発言した。

「トランプ氏は、民主的な選挙で選ばれた台湾の最高指導者からの儀礼的な電話に応えたに過ぎない。トランプ氏は大統領として全世界との関与を進めていく。その関与の仕方はあくまで米国が自主的に決める」(マイク・ペンス、次期副大統領)

「オバマ大統領は、多数の国民を殺したキューバの独裁者に接触してきた。一方、トランプ次期大統領は台湾の民主的指導者と接触しただけだ。新政権になって、中国に対する経済政策などは大幅に変わるだろう」(同)

「トランプ氏の台湾総統との電話会談は、トランプ新政権が新しい国際戦略を採用することを意味する。新政権が中国との関係を改善して、米国の労働者を守るようになることは明らかだ」(レインス・プリーバス、次期大統領首席補佐官)

「オバマ政権の台湾に対する扱いはあまりにひどかった。アジアの民主主義の灯台といえる台湾は米国からの武器供与を拒まれ、米国の同盟国やパートナーの間で軍事的に最も弱い存在となってしまった。トランプ新政権はこの状況を変えるだろう」(アレックス・グレイ、トランプ陣営防衛問題上級顧問)

「トランプ氏は中国側に『予測不可能』という認識を抱かせ始めた。台湾総統との電話会談はそうした対応の始まりであり、同時に実際の新対中政策の始まりだろう」(マイケル・ピルズベリー、ハドソン研究所中国研究部長)

「米国の歴代政権の『一つの中国』に基づく対中政策は、結果的に失敗だった。米国の国益は、経済面、政治面、安保面で中国に大きく傷つけられてきた。トランプ新政権が台湾との関係の復活をも含めて、まったく新しい対中政策をとろうとしていることは歓迎すべきだ」(ジョン・タシック、元国務省中国担当官)

以上のような発言から、トランプ新政権が中国に対して、年来の「一つの中国」原則を変えることまでを含めて大胆な新政策を打ち立てようとしている構図がかなり明確となってきたと言えるだろう。そうなると、日本への影響も重大となることは必至である。

富坂記事

トランプ次期米大統領は先ごろ、中国の経済・軍事政策をツイッターで批判した。  「中国が(米企業の競争が厳しくなる)通貨切り下げや、中国に入る米国製品への重い課税(米国は中国に課税していない)、南シナ海の真ん中での大規模な軍事複合施設の建設を、われわれに了解を求めてきただろうか。そうは思わない」  大統領選の期間中にもトランプ氏は中国をターゲットに過激な発言をしていたが、この時期の発信となれば中国が敏感に応じるのではないかと、関係悪化を懸念する声が世界に広がった。  中国の頭をアメリカが押さえつけてくれることを期待する日本だが、この発言にはさすがにもろ手を挙げて喜ぶ声は聞こえてこない。  それはアメリカがたとえ中国と衝突することになったにせよ、結果は必ずしも日本の国益とは結び付かないということを日本人はトランプ氏のこれまでの発言から学習しているからなのだろう。  トランプ外交の船出前の功罪を言うならば、これは「功」だ。日米の利害は、ことアジアにおいても必ずしも一致するわけではないことを、国際社会の非情さを忘れた日本人に痛感させる良い機会であったと思われるからだ。  例えば、「中国製品に45%の関税をかける」としたトランプ氏の発言だが、これは単純な米中摩擦ではないことは、中国がいま「世界の工場」と呼ばれている現実を見れば明らかである。  少し前の日中の貿易構造にこれを当てはめればどうなるだろうか。  日本は対中貿易の絶対的な勝者で、そこには中国がEUやアメリカに製品を輸出して黒字を積み上げれば積み上げるほど日本から部品を調達して対日赤字を積み上げる構造であった。  同じことは中国に工場を大量に移した国のすべてにも当てはめることができる。それは日本の輸出品の競争力が対ドルの円レートよりもウォンやバーツとの比較の方が重要になっていった変化にも重なるものだ。

話を経済から外交に戻せば、トランプ氏は当初から米国と諸外国との関係に「予測不能性」を持ち込む必要性を公言していたので、対米外交に変化が持ち込まれるとの警戒感は各国にあった。  だが、現状を見る限りトランプ外交の中身は、発言が具体的になればなるほど「素人外交」としての色彩が強まっているといわざるを得ない。  それがよく分かるのが冒頭の発言である。なかでも南シナ海に関するものがそうだ。  私は新著『トランプvs習近平』(角川書店)のなかで、南シナ海は単純にフィリピンやベトナムと中国の争いではなく、米中の代理対決が背後にあると指摘してきた。それに対し批判も多かったのだが、今回トランプ氏は自らそれを堂々と言ってしまっているのだ。  オバマ政権が巧みに隠していた実態をこうも簡単にさらしてしまうのは、素人であるからに違いない。だが、だからといってアメリカが中国にとって御しやすい相手になるかといえば、そうではない。むしろ逆になる可能性が出てきたといわざるを得ないだろう。

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『中国の若者は「君の名は。」のどこに共感するか 「金メダル」と「BL」と「村上春樹」と「孤独」と』(12/14日経ビジネスオンライン 福島香織)について

中国人社会は何時も言っていますように「騙す方が賢く、騙される方が馬鹿」と言うものです。福島氏がいみじくも言っていますように、中国は「人は騙し騙されるものだという前提の社会で、安易に共感しては身ぐるみをはがされてしまう。文化大革命時代などは、家族や夫婦の間ですら裏切りが普通にあった。人はまず疑え、というのが中国人が生きていく上で必要な感覚である。」というのが中国人を理解するうえで大事なポイントです。

岡田英弘氏の『妻も敵なり:中国人の本能と情念 』の中の「中国人・・・妻すら敵と考える民族。なぜ彼らは自分以外の人間を信用しないのか」という部分には<数千年もの間、あの広大な大陸に存在していたのはばらばらの 「個人」 のみ。住民にとって頼りになるのは自分だけ、自分を守ってくれるような国家も民族もなかったから、というのである。 「他人はすべて敵、油断をすればいつ寝首を掻かれるか分からないという考えが、中国人のメンタリティの中に牢固として根ざしている>とあり、一番自分の弱みを知っているのが妻だから、最大の敵は妻という発想です。不信社会もここに極まれりと言ったところでしょう。

文化大革命時には、親を密告・売った子供が沢山いました。紅衛兵を動員した毛沢東のせいです。判断力の劣る子供たちを使って権力闘争するのですから、毛のあくどさが分かろうというもの。二本松少年隊の健気さとは対極にあります。

経済格差が激しいものの、90年代辺りから中国は経済発展し、今や公称GDP世界第二位(米国:18037、中国:11182、日本:4124、ロシア:1320(世界12位、韓国の下)、中国のGDPの数字は信用できませんが)となりました。経済的に豊かになれば中国は民主化するとアホな米国人は思ってきたみたいですが、余りに中国人のことを知らなさ過ぎです。

中国人は自分達の政府が如何に嘘を吹きまくって来たか考えれば分かるでしょう。SARSや新幹線事故の時も隠蔽しようとして、人命を疎かにしようとしました。そんな政府の主張する「南京」や「従軍慰安婦」について、もっと真剣に調べれば良いでしょう。日本人も騙されてばかりいないように。

ただ、豊かになり、ある程度ネットで情報が取れるようになると、若者の考え方も変わっていく可能性はあります。

記事

北京にいく飛行機の中で、この秋の話題の映画「シン・ゴジラ」と「君の名は。」を遅ればせながら見た。「シン・ゴジラ」については、ノンフィクション作家の関岡英之さんから「すばらしい」と強く勧められていたので期待していたのだが、「君の名は。」については使い古されたテーマの焼き直しと軽くみていた。

結果からいうと「シン・ゴジラ」も面白かったが、「君の名は。」の方が印象深かった。陳腐な言い方だが癒しを感じた。アニメという絵の世界であることもあって、普段私たちが見ている東京の街並みや山村の日常がこれでもかというほど美しく、このささやかながら美しく愛おしい日常が突然奪われる喪失の深さに自然と思いをはせた。

実写では人や車で混雑した東京がここまで美しく描けるかわからない。「シン・ゴジラ」も「君の名は。」も東日本大震災が原点にあり、その喪失感を取り戻そうとする人の希望を描こうとした映画だとしたら、日本のこまった政治状況を揶揄することに前半重点をおいた「シン・ゴジラ」よりも、かけがえのない日常を美しく描くことに力を入れた「君の名は。」の方が「共感」力はあるだろう。

ところで、この日本人的「共感」というのは中国人に通じるのだろうか、とふと思った。おりしも、12月2日から中国で「君の名は。」が異例のスピードで公開され、歴代アニメ映画の中ではウォルトディズニーアニメーションスタジオが制作した3Dアニメ「ズートピア」や香港カンフー映画をモチーフにした米国の3DCGアニメ「カンフー・パンダ」あるいは日本の国民的アニメ「STAND BY MEドラえもん」に迫る勢いで興行収入を伸ばしているとニュースになっていた。

「99%あり得ない」格差の壁

そう思ったのは、中国人と日本人の共感ポイントは、実はかなりずれている、と常々感じていたからだ。「君の名は。」は大都会・東京のど真ん中で暮らす男子高校生と現代の秘境と呼ばれる飛騨の山村の女子高生の恋物語であるが、普通に考えて、中国の上海や北京戸籍の重点高校に通うような都会の少年と、四川や雲南の寒村に生まれ育った少女が偶然出会ったとして、恋に落ちる可能性があるだろうか。そもそも、言葉は通じるのか。リアルな視点でいえば、おそらく99%の中国人があり得ない、というだろう。中国人の社会階層における差別感は日本人が想像するより厳然としており、それを乗り越えるラブロマンスがなかなか成立しがたいほどに根深い。

思い出すのは中国の著名映画監督、張芸謀がかつて無名だったころの章子怡(チャン・ツィイー)を主演に撮った「初恋のきた道」という映画(1999年)。これは国際的には高く評価されベルリン国際映画祭で銀熊賞も獲得したのだが、中国では上映されても全く人気がでなかった。実際、中国の映画館で中国人と一緒にこの映画を見た人に聞くと、日本人には理解不能な場面で大爆笑するのだという。

例えば、田舎娘を演じる章子怡があこがれの都会から来た青年教師に会いたくて必死に走るも、道の真ん中ですてん、とこけるシーンとかで爆笑がおきるのだという。なぜ笑うのか、と聞くと、単純に必死で走る女の子のこける姿が面白いから、笑う。あるいは美人女優が小汚い田舎娘の扮装をしているのが面白いから笑うのだという。好きな人を思って必死に走る少女に感情移入する、ということは99年当時の映画館の大衆にはなかったようである。

感情移入できる人物が少ない

私のあまり多くはない中国小説読書体験からしても、中国の小説には日本人読者に共感を訴えるものは少ない。例えばノーベル賞文学賞を獲った莫言やフランツ・カフカ賞を獲った閻連科、彼らと並ぶ小説の名手・余華の作品は物語の壮大な構成力と実験的な文体筆致で読者を圧倒するが、登場人物の一人ひとりに素直に感情移入することは難しい。

登場人物はどこか尋常ではなく、こうした小説を読んで理解するのは中国社会の無情さや残酷さや不条理、奇怪さ、複雑さであり、あまり救いがなく、希望もなく、その中で生きてゆく中国人の強さというものに感慨を覚えても、それは共感とはちょっと違う。彼らの小説の読後は、カタルシスよりも、むしろ何とも言えぬ後味の悪さにとらわれることの方が多い。もちろん、彼らの作品にも情感の漂うものも多々あるのだが、中国人読者自身がそうした作品を小品と評価しがちである。

大衆小説にしても、素直に感情移入できる人物というのはなかなか少なくて、例えばテレビドラマにもなった六六のベストセラー小説『上海、かたつむりの家』(邦訳、プレジデント社)の登場人物にしても、中国の庶民小説の名手といわれる劉震雲の『盗みは人のためならず』(邦訳、彩流社)にしても、なるほどこれが中国人か、という描写にうならされるも、やはり感情移入はできないのである。

こういった話を、中国で発行されている日本テーマ雑誌「知日」の編集者に話してみると、彼女も同じ感想をもっていたようで「中国人はもともと他人に共感しにくいから」という。人は騙し騙されるものだという前提の社会で、安易に共感しては身ぐるみをはがされてしまう。文化大革命時代などは、家族や夫婦の間ですら裏切りが普通にあった。人はまず疑え、というのが中国人が生きていく上で必要な感覚である。

とりあえず「金メダル」

そのような社会で生きている若者たちが「君の名は。」のような物語に果たして、素直に共感できるのだろうか。この問いに編集者は「中国人は“金メダル”が好きなんだよ。日本で、記録的ヒットを飛ばしている映画だという前評判を聞いて、とりあえず見てみよう、という人が多いのではないか」ということだった。

確かに無意識の差別や偏見を戒める子供向け3D映画「ズートピア」が、差別や偏見がシステムとして存在し、多くの市民に肯定されている中国社会でアニメ映画として一番のヒット作品となるのは、話題作だから見てみよう、という「金メダル」志向の中国人の性格のせいだ、といわれるのが一番納得できる。

中国では、改めて説明するまでもなく、農村戸籍と都市戸籍の差別がシステムとして存在している。最近では納税額や投資額、犯罪や規則違反による加点減点によって、個人の社会信用度をスコア化して差別化するシステムも導入されはじめている。この新たな社会信用システムは2020年に完成される予定で、ブラックリスト入りした市民の名前をネットサイトで公開するといったことが既に一部都市で行われており、それを多くの市民は、中国人のモラルの低さはこのくらいしないと直らないと受け入れている。

中国人が「君の名は。」をどう見ているのか、確かめるために12月半ば、北京の西単にある映画館で中国語吹き替えバージョンを実際見て、中国人観客の反応を観察してみることにした。

公開からすでに一週間過ぎていたこともあり、また平日の昼間ということもあって館内は意外にガラガラだった。その少ない観客からは時折、笑い声が上がったが、クライマックスで私のように涙にくれているような人は見かけなかった。上映が終わってエンドロールが流れ始めると、みな余韻に浸ることもなくさっさと席を立って帰っていった。

足早に返ろうとする20歳代ぐらいのカップルに「面白かったですか?」と尋ねると、「面白かった! 日本に行きたくなりました!」と明快に答えてくれたが、泣けたか、というと泣くほどではなかった、という。この映画の感想などをSNSなどで拾ってみると、純粋に男女入れ替わりのドタバタが面白い、という喜劇的要素に反応する声が多かったように思う。次に、日本の風景が美しい、旅行にいってみたい、という反応が目についた。もちろん、時空も身分も超えた初恋という部分がいい、後半30分は泣いた、という声もあるのだが、私と同世代の友人などからは「これ、中国では成立しない物語だよね。都会の男子と地方の農村娘との恋愛なんてありえない」と冷静な意見もあった。

存在感示すライトノベルや「BL」

ただ、もう少しいろいろな世代の人に聞いていくと、80年代生まれ以降の若い世代とそれ以前の世代の間には、日本人と中国人以上に大きな感覚の差異がある、という意見もある。

「80后以降の若者は小さいころから、日本のアニメ、漫画、ドラマに慣れ親しんでいる。90后以降になるとインターネットでほぼリアルタイムで日本のアニメなどを視聴しているので、老世代にはなかった日本人とあまり変わらない恋愛観などは養われている」という人もいる。

そういう傾向が見えてきたのは、日本映画の「Love Letter」(1995年)の異例のヒットあたりからで、この映画以降、中国でも純愛をテーマにした映画や小説などの創作物は確かに増えていた。もっとも中国における純愛創作物モデルは、長い間途絶えていたので、90年代後半から今に至るまで、映画からネット小説にいたる若者の純愛もの創作物の多くは日本の小説や映画や漫画、アニメの影響を感じる。

典型的なのは中国ネット小説界で存在感を示すライトノベルやBL(ボーイズラブ)と呼ばれる青少年同士の恋愛もので、これは明らかに日本のライトノベルや同人誌の創作作法を踏襲している。BLに関していえば、中国の伝統的家族観や共産党的価値観によって虐げられている同性愛を障害を乗り越えて成立する純愛もの、あるいは成立しない悲恋ものとして、むしろ日本よりも感動的な作品が多いくらいだ。中国人にとっては、戸籍や生活レベルの差異を乗り越えた都会っ子と農村少女の恋愛よりも、同じ大学で同室になった同性の学友との恋愛の方が条件的に成立しやすく、共感を呼びやすいのかもしれない。

話を「君の名は。」に戻すと、村上春樹的である、という意見もあった(監督の新海誠自身が村上春樹が好きだとインタビューに答えているようだ)。

百度百家というサイトに寄稿されていたあるコラムは村上春樹の短編小説『四月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて』や『ノルウェイの森』『ダンス・ダンス・ダンス』に通じる共感点について深く考察している。

新人類たちの「孤独」を癒す

いうまでもなく村上春樹は中国の外国翻訳小説の中で異例のロングセラーを誇る日本人作家である。彼の小説が中国で受ける理由の解釈は、天安門事件後の喪失感、傷心に対する癒しを求める若者層に受けた、高度経済成長で形成されたおしゃれな都市生活へのあこがれを体現している、といったものが主流だが、それに加えて最近は、小説に流れる孤独感が、80后以降の孤独感と共通する、と言われている。

このコラムでも次のような指摘がある。

「(「君の名は。」の)細かい描写、情景は実に観客を知らず知らずに現実から超現実に催眠術のように引き入れる寓意的物語である。作品の現実性というのはリアリズムと同じではない。しばしば相反し、細部がリアルであるほど、観衆は寓話的超現実を信じ込める。そうして物欲世界を異化した背後にあるのが、いわくいいがたい現代人の孤独感である」「村上春樹のファンである新海誠監督もまた、繁栄した都会の中の孤独の情緒を描くのに優れている」

「孤独」は、今、中国の若者がもっとも反応する情緒的キーワードの一つだ、と言われる。かつて一人で食事をすることなど考えられなかった中国人の生活だが、今は一人用の食事を提供する中華料理店やチャイニーズファストフードが増え、若者が一人で食事をする風景が普通にある。一人っ子政策時代の若者には兄弟姉妹がなく、厳しい受験競争の学生時代では恋愛どころか友情を築くのもままならない。そんな若者が社会に出れば、コミュニケーションの仕方すらわからない。農村から都市に出稼ぎにきた若者は、誰にも心を開けずに単調な労働にあけくれ、疲弊する。そういう寂しい中国の若者にとって、どこか遠いところに、時空を越えて運命的につながっている名も知らぬ異性がいるのだ、という物語には癒しを感じるのは当然かもしれない。

そう考えると、この広い中国には、中国人同士で信じあえず、疑いあう一方で、日本の創作物のほうにむしろ共感を覚える若者は、少数ながらも徐々に増えているともいえるかもしれない。中国社会はますます、人を信用しないことを前提とした密告システム、ブラックリストシステム、差別化システムを導入し、まるで『1984年』(ジョージ・オーウェル著)のビッグブラザーに監視された社会を彷彿とさせる。そうした中国の厳しい社会になじめない若者たちは、今後どうなっていくのか。淘汰されるのか、それとも中国を少しずつでも変えていく力になっていくのか。

私の考えをいえば、より多くの日本の創作物がそうした中国の”新人類“たちに届けば、多少なりとも彼らを力づけるエールになるのではないかと思っている。

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