中国は漢民族の強欲主義と賄賂の世界で汚れきっています。もっと言えば、共産主義という人類を不幸にするシステムを採っているのですから猶更です。欧米は植民地として亜・非州をずっと収奪してきましたが、第二次大戦の日本の奮闘により、植民地を手放さざるを得なくなりました。ですから恨み骨髄で、日本に所謂慰安婦やら南京虐殺とかありもしない嘘を本当のように報道する訳です。騙されてはいけないと思います。中国や韓国・北朝鮮だけが悪い訳ではありません。
でも中国は、習近平が自分の権力確立のため、「韜光養晦・有所作為」を止めて、世界制覇の野心をあからさまにしてきました。流石に白人もこのままではマズイと思い出したのでしょう。フランスも南太平洋を中国に奪われかねないという事で、日仏米英共同軍事訓練をすることに相成りました。白人が絶対的に正しいなんてことはありませんが、少なくとも今現実に中国が他国を侵略するのを見てて、何もしないのは正義に反すると思います。暴力団を野放しにするのと同じです。その意味で白人と共闘するのは正しいでしょう。
本記事は、漢人の差別意識の凄さが書かれています。小生が中国勤務時代にも、黒人に対する差別意識は凄かったです。日本人については、反日であっても凄い民族という敬意を持って見ていました。それはそうでしょう。何かあっても、“没問題=問題があっても問題なしと言い切る”とか“巧妙地支吾几句=巧妙に誤魔化す”ことが中国人にとっては、当り前ですので、キチンと物事を処理できる日本人については素直に認めざるを得なかったのだと思います。本記事を読めば、日本人と中国人は「一衣帯水」とかであるはずがないと分かるでしょう。日本人は不正や賄賂を忌み嫌いますので。
記事
2003年3月に広東省“広州市”で、就職のために故郷の湖北省から広州市に到着したばかりの26歳の青年“孫志剛”が、身分証を持たずに外出して“流浪人(ホームレス)”と間違われて収容所へ送られ、取り調べ中に暴行を受けて死亡した事件(通称:孫志剛事件)が発生した。この事件を通じて、収容所におけるホームレスや物乞いに対する非人道的な扱いが明るみに出たのを契機として、都市のホームレスや物乞いを収容して故郷の農村へ送り返すことを目的とした法律『“城市流浪乞討人員収容遣送辦法(都市ホームレス・物乞い収容弁法)”』が廃止された。
孫志剛事件からすでに14年の月日が経過したが、同じ広東省の“韶関(しょうかん)市”にあるホームレスを一時的に収容する“托養中心(養護センター)”で、今年1月1日から2月18日までのわずか49日間に20人もの収容者が死亡していた事実が明らかになった。3月21日に中国メディアがこの事件を一斉に報じると、中国国民は大きな衝撃を受け、真相究明を求める声が全国から沸き上がった。この事件が発覚する端緒となったのは、自閉症で知的障害を持つ15歳の少年の失踪だった。事件の概要は以下の通り。
きっかけは、15歳少年の失踪
【1】2016年8月8日、朝6時に目覚めた“雷洪建”は、隣のベッドに寝ているはずの息子、“雷文鋒”の姿がないことに気付いた。部屋の扉は施錠されていたから、雷文鋒が部屋を出る時に外から施錠したものと思われたが、熟睡していた雷洪建は雷文鋒がいつ部屋から出て行ったのか知らなかったし、息子が外から扉に施錠する音も聞いていなかった。3年前に息子の雷文鋒を連れて、故郷の湖南省から広東省“深圳市”へ出稼ぎに来た雷洪建は、ある電子製品工場で働くようになり、同工場の従業員宿舎の1室に息子と一緒に住んでいた。
【2】従業員宿舎の1階に設置された監視カメラの映像には、早朝の4時6分に宿舎の門を出て、“観瀾大富工業区”のゲートの方向へ歩いて行く雷文鋒の姿が映っていた。雷文鋒はえんじ色の半袖シャツを着て、黒色の半ズボンをはいていた。雷文鋒は自閉症で知的障害があり、すでに15歳であるにもかかわらず、簡単な足し算・引き算すらもできない。彼が記憶しているのは自分と母親の名前だけで、電話番号も記憶できないし、“普通話(標準語)”も話せず、表現できる単語は限られていた。彼ら父子は宿舎の1室に同居しているが、雷文鋒が1人で外出することはなく、週末に雷洪建と一緒に遊びに行くとしても、それは深圳市内に限られていた。
【3】雷文鋒はどこへ行ったのか。雷洪建は工業区のゲート周辺を探し回ったが、すでに数時間が経過していたし、早朝4時では目撃者もおらず、雷文鋒の行方を捜す手掛りは全く見付からなかった。雷洪建は専門業者に依頼して雷文鋒の顔写真入りの“尋人啓事(尋ね人広告)”を超特急で作成し、工業区内や周辺地域の柱や壁に貼って回った。当該尋ね人広告の内容は以下の通り。
“尋人啓事(尋ね人広告)”
雷文鋒、男、15歳。知的障害あり、自閉症、発音不明瞭、“普通話(標準語)”話せず。 2016年8月8日、深圳市内“観瀾大富工業区”で失踪。上半身はえんじ色の半袖シャツを着て、下半身に黒色の半ズボンをはいていた。身分証明書もカネも持たず、家族は非常に気をもみ、ずっと探しているが何の手掛りもない。どうか、心ある人はこの広告を心に留め、情報がありましたら電話18926045291へ連絡ください。 感謝、“好人(善人)”が一生平安であることを祈ります。
【4】雷洪建は尋ね人広告を周辺地域に貼って回ると同時に、携帯電話でSNS“微信(Wechat)”の“朋友圏(モーメンツ)”に尋ね人広告を投稿して情報提供を呼び掛け、その日のうちに地元の“観瀾派出所”へ雷文鋒の行方不明を通報した。1日目は何の収穫もなかったが、2日目(8月9日)の午後3時頃に、M338路線バスの運転手から雷洪建に電話が入り、バスに搭載されている監視カメラに終点の“清湖地鉄公交接駁站(清湖地下鉄・公共バス乗換駅)”(以下「乗換駅」)で下車する雷文鋒の姿が映っていたと連絡があった。乗換駅は彼らが住んでいる場所から約12kmの距離にある。
地下鉄1駅ごとに尋ねたが…
【5】電話を終えた雷洪建はすぐに乗換駅へ出向き、駅の保安係に尋ね人広告を示して雷文鋒を見なかったか聞いて回ると、ある保安係が見かけたと言った。そこで乗換駅を管轄する“清湖派出所”の監視カメラをチェックしようとしたが、あいにく壊れていたので、付近にある別の監視カメラを見せてもらうと、幾つ目かの監視カメラに息子の雷文鋒の姿が映っていた。映像の中の雷文鋒は地下鉄4号線に乗って香港との境界にある“福田口港(福田検問所)”の方向へ向かっていた。雷洪建は地下鉄4号線に乗り、1駅毎に下車して駅員に雷文鋒を見かけなかったか聞いて回ったが、雷文鋒を見かけた駅員は誰もいなかった。しかし、終点の“福田口港站(福田国境検問所駅)”に来て駅員に尋ねると、1人の保安係が1時間位前に雷文鋒を見かけたという。彼によれば、雷文鋒は他人のすぐ後に付いて改札口を切符なしで出ようとして失敗し、身を翻して駅の構内へ走り去ったという。ここで捜索の手掛りは途絶えた。
【6】雷洪建の妻は湖南省“衡陽市”の実家で雷文鋒の2人の妹を育てていた。下の妹は1歳になったばかりだった。このため、雷洪建は自閉症で知的障害を持つ雷文鋒だけを連れて深圳市へ出稼ぎに来ていたのだ。雷洪建の同僚たちの雷文鋒に対する印象は、気が小さくて静かな子供で、1人で外出することも、見知らぬ人と話をすることもできないというものだった。そんな雷文鋒が8月8日の早朝に父親に何も言わずに外出し、忽然と姿を消したのだった。
【7】雷文鋒が次に姿を現したのは失踪から7日後の8月15日で、その場所は深圳市に隣接する“東莞市”であった。8月15日の午前8時15分頃、雷文鋒は東莞市の中枢に位置する“万江路”の“汽車客運総站(旅客バスターミナル)”内にあるケンタッキーフライドチキン(KFC)の店先に倒れていて、それを見つけた通行人が公安局へ通報したのだった。深圳市の福田国境検問所駅から東莞市の万江路までは83kmの距離があり、不眠不休で歩いても23時間かかる。雷文鋒がどうやってそれだけの距離を移動したのか。
【8】通報を受けて現場へ急行したのは、“東莞市公安局万江分局”に属する“車站派出所(旅客バスターミナル派出所)”の警官“単福華”だった。単福華によれば、当日は小雨が降っていたが、雷文鋒はKFCの店先に横たわり、その衣服は非常に汚れ、彼の腕にはいくつかの擦過傷があり、顔色が悪く、何を聞いても無反応だったという。単福華が雷文鋒を“東莞市人民医院”の救急科へ搬送したところ、雷文鋒は医師から1週間の入院治療を命じられた。この期間中に医師は入院患者から「雷文鋒」という名前を聞き出し、それを単福華へ電話で連絡してきた。単福華はこの「雷文鋒」という名前を上部組織である万江分局へ報告したが、万江分局はこれを放置し、雷文鋒の戸籍を調べることも、家族に連絡を取ることもしなかった。後にこの点について弁明した万江分局の副分局長は、全国には同姓同名が無数にあり、名前だけから雷文鋒の戸籍を調べることは不可能だったと述べている。
尋ね人広告は救助施設近くに配布されたが…
【9】8月24日、雷文鋒の身柄は旅客バスターミナル派出所から東莞市の“救助站(救助ステーション)”へ移されたが、身柄引渡書の名前の欄には「“無名氏(氏名不詳)”」と書かれていた。救助ステーションに収容された雷文鋒は、その翌日に東莞市内の“東城医院”で診察を受けたが、足裏に3カ所の潰瘍が見つかり、その傷口が化膿し、皮膚の一部が壊死してることが判明した。このため、雷文鋒は8日間の入院治療を命じられて、9日目に再診を条件に退院したが、その後に雷文鋒が東城医院を再診のために訪れることはなかった。
【10】退院して救助ステーションに戻った雷文鋒は、1か月半を同ステーションで過ごした。この間に雷文鋒を探す尋ね人広告が同ステーションに配布されたが、雷文鋒が収容される際に記入された『救助申請書』には「1991年生まれ」と実際よりも9年も早く書かれていたので、100kgを超える肥満体で身長168cmの雷文鋒は24歳と思われ、広告に記載された16歳の少年とは別人と考えられた。また、雷文鋒は日焼けと激やせで顔つき変わっていたから、誰も写真の男と雷文鋒が同一人物とは考えなかった。こうして、尋ね人広告が身近に配布されたにもかかわらず、雷文鋒が発見されることはなかった。
【11】2016年10月19日、24歳の成人と見なされた雷文鋒は、東莞市の救助ステーションから178km離れた広東省北部の“韶関市”に属する“新豊県”にある“練渓托養中心(練渓養護センター)”へ送られた。練渓養護センターは東莞市の委託を受けてホームレスを収容する施設である。東莞市がホームレスの収容を委託する先は公開入札で決定されるが、入札条件には東莞市が委託先に支払う費用は収容者1人当たり毎月1066元(約1万7600円)を超えない範囲と規定されている。これは1か月を31日で考えれば、1人当たり1日34.4元(約570円)になるが、委託先がこれから利益を出そうと考えるなら、収容者の食事や待遇は家畜並みとならざるを得ない。
【12】練渓養護センターの職員によれば、雷文鋒が到着した時には、身体が弱っているように見えたが、収容時に行う身体検査では何の異常も見付からなかった。同職員の印象では、雷文鋒は物静かで、知的障害はあるものの、いつも騒ぐことはなく、粗暴な振る舞いもなかった。収容から1か月が過ぎた11月24日、雷文鋒は食事を取らなくなったとして、“新豊県人民医院”へ送られて入院した。同医院の担当医師によれば、入院時に雷文鋒は激しい下痢の症状を示し、非常にやつれていたので、点滴を行ったという。入院2日目に血液検査を行った結果、雷文鋒は腸チフスに感染していることが判明した。医師はこの腸チフス感染は雷文鋒が不衛生な物を食べたことに起因すると言明した。
半数近くのホームレスが死亡
【13】入院9日目の12月3日、雷文鋒は医師によって死亡宣告を受けた。8日後に雷文鋒は16歳の誕生日を迎えるはずだった。医院の死亡記録によれば、雷文鋒の死因は消化管がんとサルモネラ菌感染による腸チフスの併発によるショックあった。その後、新豊県の“殯儀館(葬儀場)”へ運ばれた雷文鋒の遺体が間もなく火葬されようとしている時、父親の雷洪建が葬儀場に現れた。雷洪建は練渓養護センターから運ばれた3体の遺体の中から雷文鋒の遺体を見つけ出し、悲しい対面を行った。雷洪建は東莞市バスターミナル派出所の警官である単福華から「雷文鋒」という名前の少年に関する情報を聴取し、東莞市救助ステーションを経て練渓養護センターにたどり着いたが、時すでに遅く息子の雷文鋒は死亡していたのだった。
【14】葬儀場で雷文鋒が火葬されようとした時、葬儀場の職員が雷洪建を慰めようと、「練渓養護センターから1年間に運ばれて来る遺体の数は非常に多いが、家族が見付かる遺体は2~3体しかないから、あんたは子供に顔向けができるさ」と述べた。この言葉を聞いて奇異に感じた雷洪建がメディアの記者に事態を告げたことから、今回の事件が明るみに出ることになった。新豊県の練渓養護センターで多数の死者が発生していることの真偽はネット上でも議論を呼び、大きな話題に発展したが、新豊県政府は公式に多数の死者の存在を否定した。
【15】しかし、3月10日に北京紙「新京報」の記者が新豊県葬儀場を取材して、葬儀場の遺体受入記録を調査した結果は、2017年1月から2月18日までの49日間に、練渓養護センターから受け入れた遺体は20体に上っており、その内訳は、“広州市”:15人、東莞市:3人、韶関市:1人、“連州市”:1人となっていた。一方、同記者が広東省の某救助ステーション関係者から聴取した話では、当該救助ステーションが練渓養護センターへ送り込んだホームレスの数は、2011年から今日までに200人以上だが、今年3月までの6年間で100人近い人数が死亡しているという。同人は、「救助ステーションから送り出す時点では基本的に健康だったのに、半数近い人数が死亡するとは、練渓養護センターの衛生環境がいかに劣悪か」と語り、彼の統計では数十人の死因は肺炎だったと述べた。
【16】資料によれば、練渓養護センターは2010年の営業開始から6年を経ている広東省認定の“民辦非企業単位(民営非企業組織)”<注>で、元“新豊県社会福利院(新豊県老人ホーム)”の職員だった、現在39歳の“羅麗芳(女)が法定代表として運営している。当初は新豊県政府と羅麗芳間の請負契約に基づき、他地域の老人ホームから新豊県老人ホームが引き受けた老人を収容して養護を行っていたが、現在では業務範囲を拡大して広州市、深圳市、東莞市などで行われる入札に参加し、落札した各地の救助ステーションが収容しているホームレスの一時預かり業務を行っている。
<注>中国政府の各行政部門が独自の裁量で許可した民間が運営するサービス組織、1996年に“民辦非企業単位”という名称が規定された。
背景に利益第一主義と賄賂強要
【17】2015年7月、練渓養護センターは東莞市救助ステーションからホームレス一時預かり業務を2年契約で受注していた。雷文鋒が練渓養護センターに収容されたのは、この契約に基づくものだった。練渓養護センターの収容人数は、設立当初は数十人だったが、2016年には600人前後に増え、2017年3月時点では733人になっていた。広東省の民政部門や救助管理機構は、定期的に練渓養護センターの運営状況を確認するために立ち入り検査を行っていたが、検査日を事前に通知していたため、練渓養護センターは収容者に対する劣悪な待遇を隠蔽し、常に検査結果は「食事もサービスも良好」で何の問題なかった。
【18】羅麗芳の親類が記者に語ったところでは、練渓養護センターは2015年から利益が急増し、1年に200万元(約3300万円)の利益を上げるようになったという。これが事実とすれば、利益第一主義で、収容者に対するサービスを低下させ、食費も切り詰めていたものと思われ、雷文鋒のように不衛生な食事を取ったことにより病を得て死亡した収容者が増加したことが容易に想像できる。
【19】事件が明るみに出ると、広東省政府は検察、公安、民政、衛生などの各部門から成る特別調査チームを編成し、練渓養護センターの立ち入り検査を行い、投資者の“劉秀玉”、法人代表の羅麗芳、職員2人の計4人を刑事拘留した。また、練渓養護センターから管理費と称して賄賂を受け取っていた新豊県の前民政局長で現県党委員会常務委員の“李翠瓊”(女)と中小企業局長が反党行為の審査処分、現職の民政局長と副局長並びに前新豊県の民政担当副県長が停職となった。
以上が事件の全貌だが、孫志剛事件から14年が経過した現在もなお、ホームレスや物乞いを収容する施設が、収容者に対して家畜同様の扱いをしている事例は中国国内に多数存在し、練渓養護センターはその一例に過ぎないと識者は述べている。練渓養護センターでは、わずか15m2の部屋に十数人の収容者が押し込められ、トイレの臭気がふんぷんと漂う中での生活を余儀なくされていた。あるメディアは練渓養護センターでは過去3年間に400人以上の収容者が死亡していると報じ、その悲惨さはナチスドイツのユダヤ人収容所に匹敵すると述べている。その背景にあるのは、収容施設の利益第一主義であり、施設を管理監督する立場の役人による賄賂の強要である。
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