2/23日経ビジネスオンライン 鈴置高史『「通貨危機のデジャヴ」にうなされる韓国 新たな火種は「北朝鮮リスク」』について

中国がP5と一緒になって北への制裁を強化しようとしていますが、南シナ海への目くらましでしょう。ハリス米太平洋軍司令長官が、「中国がADIZ(防空識別圏)を南シナ海に設定することに懸念」と言っていますが、中国がそんなことで譲るとは思えません。相手はハリスではなくてオバマですから。アメリカは勇気のない国になり下がりました。日本を第二次大戦に誘導してまでアジアを機会均等の名のもとに自分のものにしようとした歴史を忘れているようです。

中国国内の瀋陽軍(北朝鮮の支援者)と北京軍の習派との争いがあると予想されますので、習はこれ幸いに瀋陽軍を叩き潰す良い機会と思っている可能性はあります。兎に角利用できるものは何でも利用するのが彼らの特質ですので、今回の米が国連安保理に北の制裁を提案したのは渡りに舟かも。

それより、韓国の変わり身の早いこと。やはり信用ならない民族です。都合が悪くなれば平気で裏切る国です。こんな国を信じて外交すれば亡国となります。明治の英傑たちは皆皮膚感覚で分かっていたはずです。昔と比べて情報の入手が簡単になったのに、今は判断力が鈍らになっています。それも金の為せる業かも。昔はハニーなんて気にしていなかったのに、今やアカ新聞が騒ぎ立て国政と関係ないレベルの所で騒ぎ立て、内閣支持率を下げようとし、国政に影響を与えようとしています。下種の極みであります。でも騙される方が悪い。国民主権を標榜するなら情報強者にならないと。いろんなメデイアから情報を取り、いわゆる権威者の発言ではなく自分の頭で考えないと。小生は8年に及ぶ中国勤務で日本のメデイア、権威のいい加減さについて実感しましたし、中国との訴訟等も4回経験して彼らの阿漕なことは良く身に沁みました。けど、勝てなかったわけではありません。やはり、ロジックと熱意の差でしょう。金で解決するのは最悪です。

韓国の通貨スワップで、中国がTHHADの件で人民元を融通するかどうか分かりませんし、そもそも人民元何て$と違い信用がありませんから、元の支払いでは嫌がる国や企業が多いと思います。日本は「非韓3原則」を貫き、関わらないことです。与党+その他で衆参同日選挙をして2/3を確保しようと考えているのであれば①中韓に妥協せず②消費税凍結は必須です。

記事

前回から読む)

 韓国が通貨危機の再来に怯える。北朝鮮の核実験の後、資本がどんどん海外に流れ出しているからだ。

「欧州危機」以来のウォン安

鈴置:韓国の通貨当局が慌てています。ウォンが売られ、2010年の欧州債務危機当時の水準まで安くなったからです。

won VS $

 ウォン安に転じたのは2015年10月でした。まず、米国の利上げ観測により、資本流出が始まったのです。

 今年に入り中国経済への懸念や原油安がそれに追いうちをかけ、2月以降は「北朝鮮リスク」も加わってウォンは一気に下げ足を速めました。

 2月下旬には、欧州債務危機当時の最安値である1ドル=1258.95ウォン(2010年5月26日)の水準に迫りました。年初と比べても、対ドルで6%ほどの下げです。

 通貨当局は急激なウォン売りを牽制するため、口先介入に乗り出しました。2月10日には韓国銀行の李柱烈(イ・ジュヨル)総裁が「市場の変動性が過度に拡大した場合、政府と協力して安定化措置を積極的にとる」と述べました。

 いざという時は市場介入するよ、と宣言したのです。韓国は米国から通貨を低めに誘導し、輸出を伸ばす為替操作国と疑われてきました。それだけに、疑惑を増す「口先介入」は自制してきたのですが、堪えきれなくなって解禁したのです。

外貨準備は十分か

 同総裁は2月16日にも「マクロ経済リスク以外に、金融安定リスクも考慮しなければならない時期だ」と語り、ウォン相場に配慮する姿勢を見せました。政策金利を年率1.5%に据え置くことを決めた金融通貨委員会の後の記者懇談会での発言です。

 そして「対外条件の不確実性が高い状況では政策金利の調整を慎重にする必要がある」と述べました。景気てこ入れのために利下げはしたい。だが、それはウォン売り――資本逃避を引き起こす可能性があるので軽々しくすべきではない、と主張したのです。

 2月18日には柳一鎬(ユ・イルホ)経済副首相兼企画財政部長官が「外国為替市場の状況を注視している。非常に急激な変動があればスムージング・オペレーション(微調整)を行うのが原則だ」と述べました。この発言も市場介入を示唆したものです。

 聯合ニュースの「当局、為替下落に4年5カ月ぶりの『口先介入』……歯止めをかけられるか」(2月19日、韓国語版)が、こうした当局の必死の防戦ぶりを伝えています。

 柳一鎬・経済副首相は2月19日には国会で「現在の外貨準備高は予測可能な国際金融市場の不安に備えられる」と答弁しました。聯合ニュース「韓国経済副首相、外貨準備高は『不足していない』」(2月19日、日本語版)が伝えています。

 通貨危機を引き起こす資本逃避を防げるのか。それをカバーする外貨準備が十分にあるのか――との趣旨の質問が、ついに国会でも出たのです。

株式市場も外国人売り

—韓国は1997年に通貨危機に陥りましたね。

鈴置:そのトラウマが深く韓国人の心に残っています。あの危機で多くの人が職と希望を失いました。その後、2008年と2011年にも資本逃避が起きて韓国人は肝を冷やしました。外貨準備に神経質になるのは当然なのです。

—前回の「『THAADは核攻撃の対象』と韓国を脅す中国」の最後のくだりによると、株式市場でも外国人の売りが続いているとのことですが。

鈴置:2015年12月初めから外国人が売って機関投資家が買う、という展開が続いています。外国人の売りは決まって1日に2000億ウォン前後――ざっくり言って2億ドル弱。相場を崩さないよう、少しずつ売り抜けている感じです。

KOSPI

 外国人売りは東京市場でも見られる現象です。ただ「安全への逃避」を目指す投資家は、日本株を売っても円は買います。

 一方、韓国の場合は株もウォンも売ります。世界経済が不安定になると、ウォンは危険な資産に区分されるからです。だから外国人の韓国株売りは、資本逃避の先行指標として注目すべきなのです。

地政学リスクが決定打

—現在のウォン売りの主因は「北朝鮮」なのですか?

鈴置:先ほど引用した「当局、為替下落に4年5カ月ぶりの『口先介入』……歯止めをかけられるか」(2月19日、韓国語版)も「北朝鮮リスクが決定打」と書いています。以下です。

  • 北朝鮮の長距離ミサイル発射と開城工業団地閉鎖などによる地政学リスクの高まりは、不安定なソウル外為市場を一層揺らす決定打となったのだ。

 2015年10月からのウォン売りの主因は米金利上げでした。しかし年明け以降、市場は米連邦準備理事会(FRB)の心を読んで「利上げは当分の間、見送られる」と見なしました。

 原油価格も底入れの気配が出てきました。中国経済への懸念は続くでしょうが、人民元の対ドルレートを見る限り小康状態にあります。結局、2月以降のウォン売りの主犯は「北朝鮮」なのです。

北に年間1億ドル渡してきた

—4回目の核実験は1月6日のことでした。なぜ、今ごろになって市場に影響するのでしょうか。

鈴置:4回目の核実験や2月7日の長距離弾道ミサイル実験そのものは、さほど市場を揺らしませんでした。北朝鮮の挑発に韓国市場は慣れっこになっているからです。

 市場心理を大きく悪化させたのは開城工業団地の稼働中断でした。韓国政府が2月10日に宣言したものです。

 この工業団地は2004年に開設されました。南北を分かつ軍事境界線の北側にあって、韓国企業124社が進出し、約5万4000人の北の労働者が働いています。

 中断の理由は「労賃として支払われる年間約1億ドルが北朝鮮の核開発の資金になっているから」です。韓国政府がこう発表した以上、工業団地の再開はまず無理と見なされました。

顔色変えた韓国記者

—それがなぜ、ウォン売りにつながるのでしょうか。

鈴置:「外貨と対話の窓口を断たれた北朝鮮が暴れ出す」と市場が考えたからです。実は2013年4月から5カ月にわたって、北朝鮮側がこの工業団地の稼働を止めたことがあります。

 私がこのニュースを聞いたのは韓国紙の記者と昼食をとっていた時でした。ニュースに接した瞬間、韓国の記者の顔が異様にこわばったのを、今でもありありと覚えています。

 「下手すると戦争になる」とこの人は考えたのです(「韓国株まで揺さぶり始めた金正恩の核恫喝」参照)。

—ではなぜ、朴槿恵(パク・クンヘ)政権は返り血を浴びる稼働中断に踏み切ったのでしょうか。

鈴置:韓国は全世界に向かって、北朝鮮の核・ミサイル実験に対する徹底的な制裁を求めています。そんな中、肝心の韓国が北にドルを渡していた、では誰からも相手にされません。

 多くの韓国紙が、米国と日本が韓国に中断を求めたと報じています。厳しい対北制裁を避けようとする中国だって、韓国から批判されれば「開城工業団地経由で北にドルを送っている国に文句を言われる筋合いはない」と言い返すに決まっています。たぶん、そう言っていたでしょう。

3年ぶりの「韓国売り」

—2013年にこの団地が一時閉鎖された時、韓国市場はどうなったのですか?

鈴置:株も為替も大きく下げました(「韓国株まで揺さぶり始めた金正恩の核恫喝」参照)。

 北朝鮮が韓国を威嚇し始めた2013年3月14日以降の3週間で、株式市場での外国人の売り越しは4兆ウォンを超しました。政府の意向を受けたと見られる機関投資家が防戦買いに入りましたが、同年4月5日には年初来安値を付けました。

 為替もウォンレートのグラフを見れば一目瞭然です。2013年3月中旬からウォンは下げに転じています。4月5日は1ドル=1131.80ウォンと7カ月ぶりのウォン安・ドル高で引けました。

 当時、韓国メディアは「韓国売り」を恐れる政府が、世界の格付け会社に代表団を送り「正確な事実」を伝える計画だ、とも報じました。

 核実験などで緊張が高まって市場が荒れても、それは一過性で終わることが多い。ただ、軍事的な緊張が長引くと、さすがにボディーブローのように効く――ことがこの時に判明しました。

 今、市場参加者たちはデジャヴ――既視感に苛まれています。「2013年春」を思い出して「韓国売り」に走っているのです。

左派系紙が叫ぶ「コリアリスク」

—北朝鮮も「敵の市場を荒らす」作戦が有効だと知っているのでしょうね。

鈴置:もちろん分かっています。2013年当時の韓国紙は「市場攻撃」に悲鳴をあげ、なかでも左派系紙は「北との対話」を訴えたのです。

 今回も2月17日、金正恩(キム・ジョンウン)第1書記がミサイルに関し「もっと多く、もっと速く、もっと痛快に撃ち上げろ」と命じたと2月19日、朝鮮中央通信が報じています。

 一義的には北朝鮮の国民の士気を上げるために「もっと多く」と煽ったと思います。が、少なくとも結果的には「韓国売り」要因になります。軍事的な緊張が長引く中、ウォンや韓国株を買おうという人は、あまりいないからです。

 2月19日、韓国の国家情報院が「北が金正恩第1書記の指示で韓国に対するテロを計画中」と発表しました。

 左派系紙のハンギョレは2月20日の社説「コリアリスクの為替影響を警戒すべし」(日本語版)で、この発表も為替相場に悪影響を与えたと韓国政府に警告を発しました。

 「北朝鮮リスク」ではなく「コリアリスク」と呼んで、南北双方に責任があるかのように書いたのが左派系紙らしいのですが。

「体制崩壊」に言及した大統領

—3年前と同じように、韓国の市場は当分荒れるということでしょうか?

鈴置:市場予測は難しいし、安易にすべきでもないと思います。でも、2013年当時以上に「荒れる」要因がそろっているのは事実です。まず、南北の対決が異次元の厳しさを見せていることです。

 朴槿恵大統領は2月16日の国会演説で「工業団地閉鎖」に触れた際、以下のように述べました。聯合ニュースの「朴大統領、対北政策大転換……『北政権変化』体制崩壊まで言及」(2月16日、韓国語版)に添付された動画で発言を視聴できます。

北の政権が核では生存できず、むしろ体制崩壊を早めるだけだということを痛切に悟り、自ら変化するしかない環境を作るために、より強力で実効的な措置をとっていきます。

 北に関し「体制崩壊」という言葉を朴槿恵大統領が使ったのは初めてです。北朝鮮との対決姿勢を明快に打ち出したのです。

 だから、対話と安定の象徴である開城工業団地の再開の可能性も極めて低い。北の体制打倒を目指す一環ですから、北朝鮮が核を放棄しない限り、韓国は再開には踏み切らないでしょう。

 一方、3年前の「工業団地閉鎖」は北朝鮮側によるものでした。発足間もない朴槿恵政権を揺さぶるのが目的です。しかし韓国側が放っておいたので、ドルが欲しい北側が結局は折れて再開しました。

 金正恩第1書記も、朴槿恵大統領に「体制崩壊」とまで言われれば黙ってはいられないでしょう。最低限、次なるミサイル発射や韓国に対するテロ、局地攻撃をするフリでもしなければ格好がつきません。それだけでも十分に韓国市場を揺さぶれますしね。

日本とのスワップは消滅

—ハンギョレ風に言えば、韓国市場を揺らすのには南の政権も協力してくれている、ということになりますね。

鈴置:韓国政府としては国民にテロへの警戒を呼び掛けないわけにもいかない。痛し痒しです。ハンギョレは、政府がテロ説を流すのも陰謀だ、と言いたそうですが。

 2013年当時よりも韓国市場が荒れるであろう理由が、もう1つあります。冒頭で説明したように「北朝鮮リスク」が発生する前から世界経済には「リスク」が山積し、韓国からの資本流出が起き始めていたのです。これが韓国政府にとってつらいところです。

—2013年当時は、韓国は日本との通貨スワップも維持していましたが、今回はありません。

鈴置:その差も大きい。日本とのスワップは2013年春の段階で2本、残っていました。ただ、いずれの期限が来ても韓国は更新しようとしませんでした。結局、2015年2月をもって日韓の2国間スワップは完全に消滅しています。

韓国の通貨スワップ(2016年2月22日現在)

   
相手国 規模 締結・延長日 満期日
中国 3600億元/64兆ウォン(約560億ドル) 2014年 10月11日 2017年 10月10日
UAE 200億ディルハム/5.8兆ウォン(約54億ドル) 2013年 10月13日 2016年 10月12日
マレーシア 150億リンギット/5兆ウォン(約47億ドル) 2013年 10月20日 2016年 10月19日
豪州 50億豪ドル/5兆ウォン(約45億ドル) 2014年 2月23日 2017年 2月22日
インドネシア 115兆ルピア/10.7兆ウォン(約100億ドル) 2014年 3月6日 2017年 3月5日
CMI<注> 384億ドル 2014年 7月17日  

 

<注>CMI(チェンマイ・イニシアティブ)は多国間スワップ。IMF融資とリンクしない場合は30%まで。

資料:ソウル新聞「韓国の経済体力は十分」(2015年2月17日)

 金融面でも中国を頼めるようになったから日本とのスワップは不要、との判断でした。2013年6月に訪中した朴槿恵大統領は中国とのスワップを3年間、延長することで合意しています。

 なお、日本とのスワップ終了により、韓国はドルを借りられる2国間スワップは全て失いました。相手先の通貨で借りるスワップだけが残っています。

 中国から借りられるのは人民元です。韓国の債券はドル建てがほとんどですから、いざという時にこのスワップで直ちに対応できるかは分かりません。

中国とも喧嘩、市場は底なし沼?

—地上配備型ミサイル迎撃システム(THAAD)配備の問題で、韓国は中国を怒らせてしまった。前回の「『THAADは核攻撃の対象』と韓国を脅す中国」によれば、人民元建てスワップでさえ、中国が発動してくれるか分からない、とのことでしたね。

鈴置:そこがポイントです。市場も「中韓スワップは機能しないのではないか」と見なし始めました。投資家はそれを織り込んで動きますから、韓国の株も為替も底なし沼に陥る可能性が出てきたのです。

(次回に続く)

奄美2日目

image

一昨日空港で借りたレンタカー。

image

高知山展望台の東屋

image

ホノホシ海岸の車海老養殖。

image

ホノホシ海岸

image

せとうち海の駅の海鮮丼。

奄美に昨日着きました。

image

バニラエアー(成田空港)

image

中国東方航空が入って来ていました。

image

奄美「喜多八」。オリオンビールがありました。

image

奄美サンプラザホテル。

2/19日経ビジネスオンライン 長尾賢『100隻の艦艇集め国際観艦式をしたモディの意図』について

日米豪印で中国の軍事膨張を封じ込めなければなりません。中国は西沙諸島に地対空ミサイルを配備しました。米軍の南沙・西沙諸島での「航行の自由」作戦は、国際法上の「無害通航」に当たり、領海12海里内でも軍事や経済活動などをしない場合には通航が認められる権利を行使したものです。腰が引けている話です。公海であれば軍事演習も可能でしょうに、それをせず、領海とかの説明では恰も人工島が中国の領土と認めているようなもの。オバマの宥和政策が中国を増長させ、好き勝手にさせています。来年1月20日の新大統領就任までに、中国は取れるものは取って置こうと思っています。豪印には「そうりゅう」型潜水艦をブラックボックス化して、供与して中国潜水艦に対抗できるようにした方が良いです。また台・比・越にも軍事協力していくべきです。

中国は直接武力に訴えるのではなく、三戦(心理戦・世論戦・法律戦)で勝利することを考えています。敵国の国民に中国の武力の凄さをアピール(空母遼寧を見ればどの程度かは想像できますが、一般国民は朝日新聞に代表されるアカ新聞のプロパガンダに騙されます)したり、国際的に日本の非道徳性(慰安婦・南京虐殺・今「正定事件」をバチカンに訴えている、総て捏造したもの)を訴えたり、中国の国内法で勝手に領土・領海にしたり、国家安全法や反スパイ法を制定して、外国人・外国企業にも適用したりしています。日本もやられ放しでなく、国際司法裁判所に提訴するようなことも考えて対抗していかないと。

記事

 インドが2月4~8日、インド海軍だけでなく50カ国の艦艇や代表が参加する国際観艦式を実施した。2隻の空母を含む約100隻の艦艇と45機の航空機が参加する大パレードだ(公式サイトには写真やビデオがある)。もちろん、日本も招待され、海上幕僚長と護衛艦の両方が参加した。

international fleet review in India

インドが15年ぶりに国際観艦式を主催した(写真:AP/アフロ)

 100隻を集める国際観艦式の挙行は多額の予算と労力を要する。世界最大の海軍である米海軍でも、約300隻の艦艇しか保有していない。比較的大きい海上自衛隊やインド海軍でも約140隻程度だ。そこから100隻を集める。このため、インドが国際観艦式を行うのは2001年以来15年ぶりのことである。

 なぜ今年、再び行ったのか。それは日本の安全保障にどのような影響を与えるのか、本稿で分析する。

海軍の活動を活発化

 昨今、インドは海洋を目指している。それは海軍に対する予算配分の変化を見れば明らかだ。インドの国防費における海軍予算のシェアは、1990年の12%から2015年の16%へと増加している。それも、インドの国防費全体を増やしている上でのことだから、大きな変化だ(図1)。

expenditure of defense in India

図1:インドの国防費推移 出所:Ministry of Defence, Government of India, Annual Reportより作成

海洋に対するインドの考え方の変化は、ナレンドラ・モディ政権下でさらに加速している。モディ首相の下で、インド海軍は世界の40カ国以上を訪問しているのだ(注1)。以前にはない活発な動きだ。訪問先は西から順に欧州、アフリカ、中東、インド洋の島嶼諸国、東南アジア、オーストラリア、日本そして米国と、インドから遠く離れた地域にまで及ぶ(図2)。

 

 

the countries India navy visitted図2:モディ政権になってからインド海軍艦艇が訪問した国々(橙色)

 さらに、2016年に入ってから、インドは空母を外国に派遣するようになった。インドの新しい空母ヴィクラマディティアは、1月にスリランカを、2月にはモルディブを訪問している(関連記事:インドの新しい空母が持つ戦略的意味)。

 インド洋沿岸各国に対して、哨戒艦艇、航空機、レーダーを供与するとともに、要員の訓練も行っている。

 そして、昨年12月にインドの国防相が訪米した際には、中国が飛行場建設を進める南シナ海において、米印両海軍が共同パトロールを行うことについて話し合ったようだ(注2)。実施される可能性は現時点では低い。だが、検討している以上、選択肢の一つになっている。

 インドの国際観艦式は、このような情勢の中で開かれた。海洋の大国であることを世界に示そうという、インドの強い意志が込められているとみてよい。

(注1)長尾賢「活動範囲を拡大するインド海軍:日本にとっての意味」『勃興するインド-日印協力のアジェンダ-』(東京財団)2015年10月7日

(注2)Sanjeev Miglani , “Exclusive: U.S. and India consider joint patrols in South China Sea – U.S. official” (Reutor, 10 Feb 2016)

中国の影に危機感を募らせるインド

 インドがこうした動きを進める背景には何があるのか。やはり中国のインド洋進出が関係しているとみられる。インド海軍の艦艇が訪問した40カ国以上の国々を詳細に見てみると、日本、米国、オーストラリア、東南アジア諸国の大半を訪問しているにもかかわらず、中国を訪問していない。

 実は、モディ政権より前の政権は、インド海軍の艦艇に日本を訪問させる時には中国も訪問させていた。しかし、昨年10月に訪日したインド海軍の艦艇は日本、韓国、フィリピン、ベトナムは訪問したが、それだけでインドに帰ってしまった。

 今回の国際観艦式には中国も招待しているから、ある程度の配慮はしている。だが、前の政権に比べれば、モディ政権は明らかに中国を警戒しており、それがインド海軍の動きに反映されているとみられる。

中国がインド洋で進める3つの展開策

 実際、中国海軍によるインド洋進出は非常に活発化している。中国の活動は大きく3つに分けられる。第1は、インド周辺の国々で進める港湾建設だ。これらの港湾を地図上に描いて結ぶと、インド亜大陸に真珠の首飾りをかけているように見えることから「真珠の首飾り戦略」と呼ばれる。インドは、これらの民生用の港が中国海軍の拠点として使用されることを懸念している。

 2つ目は中国海軍そのもののインド洋展開だ。中国はインドが懸念している通り、インドの周辺国に艦艇を寄港させ始めている。2014年にはスリランカに2度、中国の潜水艦が寄港。2015年にはパキスタンにも中国の潜水艦が寄港した。今年1月末には中国の3隻の軍艦がスリランカを訪問し、そのままバングラデシュも訪問した。中国艦隊がバングラデシュを訪問するのは初めてのことだ。

 こうした動きは、インドの周辺だけでなく、インド洋全域でみられるようになっている。特にソマリア沖の海賊対策に派遣された中国艦隊には、海賊対策のほかに別の目的があるようだ。2014年、中国は海賊対策のために潜水艦を派遣した。潜水艦は海賊対策には不向きだ。海賊対策を口実にして、インド洋に海軍力を展開し、情報収集や訓練にあたっているものとみられる。

 海賊対策に従事する中国の艦隊は当初、補給のためにセイシェルに寄港していた。それが今度は、ジブチに基地を設置する。中国にとって、インド洋沿岸で初めての海軍拠点になりそうだ。

中国がバングラデシュやスリランカにも武器を輸出

 3つ目は武器輸出である。中国はインド周辺国に向けた武器輸出を熱心に進めている。パキスタンに4隻のフリゲート艦を輸出し、さらに8隻の潜水艦を輸出することを決めた。バングラデシュにも、2隻のフリゲート艦を輸出済み。さらに2隻の潜水艦を輸出しようと積極的に動いている。中国とパキスタンが共同開発した戦闘機をスリランカに売却することも決めた。

 インドは、バングラデシュとスリランカに圧力をかけ、これらの計画を撤回させようと試みている。実際スリランカは、中パが共同開発した戦闘機の購入計画を撤回し、代わりに、インドの国産戦闘機の購入を検討中だ(図3)。

China's activity in Indian ocean

図3:インド洋における中国の海洋関連活動

 このようにインド洋における中国の海洋進出は、かなり活発になっている。インドが何もしなければ、その存在感は弱まっていくだろう。インドは、海洋においても大国であるとの強い意志を示し、中国の影響力を抑えたい。そのために国際観艦式を行い、空母を派遣して力を示すと同時に、武器や訓練を供与し、寛容なリーダーとして認められるよう努力している。そして、特に南シナ海における活動は、中国のインド洋進出に対するインド式の「返礼」、駆け引きのための重要なカードとなっているのだ。

インドは海洋国家になれるか

 だが、問題はインドの実力だ。インドは本当に強力な海洋国家になることができるだろうか。この疑問を解くカギは、シーパワーの研究者であるアルフレッド・テイアー・マハンの研究の中にあるかもしれない。マハンは、シーパワーに影響を与える要素として、地政学的位置、海岸線の長さと港湾、それを守る海軍力、海で働く人の人口、国民性、政府の政策などを挙げている(注3)。これらの要素をみると、インドにはシーパワーとしての高い潜在性が認められる。

(注3)アルフレッド・T・マハン著、北村謙一訳『マハン 海上権力史』(原書房、2008年)47~126ページ。

 まず地政学的位置だ。インドはそもそも大陸国家なのかというと、若干の違和感を覚える。高い山脈によってユーラシア大陸から切り離された地域だからだ。それを示すのは、かつてインドを治めた王朝の影響圏の範囲である。

 現在のインドとその周辺を統一した王朝はマウリヤ朝、ムガル帝国、英領インドの3つだけだ。この3つが影響を及ぼした範囲は似通っていて、南アジアからほとんど出ていない。

 原因の一つは地理である。インドは、ヒマラヤ山脈をはじめとする高い山脈に周囲を囲まれている。標高の低い地域から高い地域へと攻め上がっていくのは、戦闘面でも補給面でも難しいため、南アジアを超えた遠方に領土を広げることは困難だった。つまり、インドはユーラシア大陸とほぼ切り離された「島国」なのである(図4)。

Indian dynasty図4:インドの王朝の影響範囲 出所:長尾賢「インドは脅威か?」『政治学論集』第25号、2012年(学習院大学大学院政治学研究科)1~15ページ

 ただし、インドには別の歴史がある。チョーラ朝だ。欧州諸国が十字軍を派遣していた中世のころ、インド南部のチョーラ朝は強力な海軍力を保有し、インド洋沿岸から東南アジアまでを影響下に収めていた。チョーラ朝の歴史は、インドに海洋国家としての素地があることを示している。インド洋を通じて、東南アジア、中東、アフリカへと遠征することが可能だ。

海岸線は7500km、船員は5万5000人

 ほかの要素も、インドが海洋国家となる素地があることを裏付けている。その海岸線は7500kmに及び、多くの港湾を有している。インド洋の沿岸国の中で圧倒的に巨大な海軍も保有している。

 船員の数も多い。世界に散らばって働いているインド人船員を集めれば5万5000人規模となり、これは世界6位の人数である。しかも、インドでは、エネルギー需要が増大するのに伴って、海洋の重要性について理解を深めつつある。インド政府が海軍重視に政策の舵を切っているのは、前述の通りだ。つまり、インドは、マハンの言うシーパワーとしての潜在性があり、その能力を徐々に開花させ始めているのだ。

 公文書『インド海洋軍事戦略』には次のような文言がある。「インドは発展を続けている国だ。つまり『明日』は『今日』よりも良いだろう」(注4)。インドの海洋国家としての潜在性を見る限り、大きく外れた言葉ではない。

(注4)この翻訳は、長尾賢『検証インドの軍事戦略-緊張する周辺国とのパワーバランス―』(ミネルヴァ書房、2015年)312ページによる。

日米印連携は日本の国益になる

 インドが海軍力を強化すべく積極的に動いている現状は、日本にとってどのような意味を持つのだろうか。中国が海洋進出を進めるインド洋には、日本のシーレーンが通っている。中東から日本へ石油を運び、また、貿易するルートだ。中国との安全保障上の懸念を抱える日本にとって、インド洋におけるシーレーン防衛は気になるところだ。だから、2001年以来14年以上、海上自衛隊の艦艇や航空機を派遣し続けてきたのである。

 しかし、日本がインド洋でできることには限界がある。米海軍に期待するところもあるが、この25年の間に艦艇数を半減させており、あまり余裕がない。

 だから、毎年海軍予算を増やし続けているインド海軍との協力に期待が集まる。インド洋で日米が果たすべき役割を、少しでも多くインドが肩代わりしてくれれば、日米はそれだけ東シナ海、南シナ海に戦力を集中できるからだ。

 このような事情を背景に、米国はインドに最新型の対潜水艦用哨戒機を輸出。さらに、インドが進める原子力空母ヴィシャルの建造も支援し始めた。米国は、インドが進める原子力潜水艦の建造計画に対する支援も検討し始めている。日本もUS-2救難飛行艇の輸出交渉を進めるとともに、インドが求めているそうりゅう型潜水艦などの輸出についても真剣に検討するべき時期が近付いているといえよう。

2/18日経ビジネスオンライン 山田泰司『家政婦は見た! 中国経済の異変 不景気で減る仕事 帰省できず爆竹禁止でたまる鬱憤』について

「举报有奖」と写真にありますが、これは密告の勧めです。違反者を当局に通知すれば、報奨金を出すとの意味です。ネットの「五毛党」以外の世界にも、共産党は監視強化の政策を採り入れたのでしょう。文革の時にも密告を奨励し、林彪の亡命用の飛行機が落ちたのは(撃墜されたのでは?)、自分の娘の林立衡から密告され、亡命が発覚したからだという話もあります。中国は監視社会です。日本の人権派弁護士は中国や朝鮮半島が好きなようですが、日本をこんな社会にしたいと思っているのでしょうか?何が人権派かと言いたい。

春節の爆竹・花火の禁止は習がクーデターの勃発を恐れたからでしょう。音が凄いので、銃や爆発物の音と紛らわしくなるからです。習はそれだけ、軍を押えきれていないという事です。

農民工の出稼ぎが無いなんてことは過去の8年間の駐在時代(1997~2005)には聞いたことがなかったです。中産階級が増えて、保姆(=家政婦)を頼む人が増え、中国の不景気がトリクルダウンの逆バージョンで農民工にも来ている構図では。中国経済の崩壊はこれからが本番と言う予兆のようなものでしょう。中国の発表する数字は信用できません。都合の悪いときには10倍~100倍くらいに数字を水増ししますので。

中国に投資している人は回収すべきです。

記事

ban of firecrackers & fireworks

爆竹・花火禁止を呼びかける横断幕やポスターが年の瀬の町の至る所に掲げられた(上海市内)

 「爆買いはもう終了」、との声もありつつ、この春節(旧正月)も大勢の観光客が日本各地を訪れ旺盛な消費力を見せつけた。一方、中国国内、それも私の生活する上海市内に目を転じてみると、今年の春節は気になる2つの変化が見られた。1つは春節の風物詩とも言える花火と爆竹の禁止。もう1つは春節にも帰省せず上海にとどまる家政婦など出稼ぎ労働者が増えたことである。中でも帰省しない家政婦の一件は、中国経済の変調をうかがわせる、気になる現象である。

 中国に来たことのない人でもニュース映像などで一度は見たことがあるのではないかと思うが、中国の春節を象徴するものの一つに、人々が爆竹を鳴らし花火を打ち上げることがある。春節の休暇期間を通じて、昼夜問わずに町のそこかしこから爆竹や花火の音が聞こえるのだが、ピークは3回ある。除夕(大晦日)から初一(春節初日)に日付が切り替わる前後の1時間、お金の神様である財神が天から地上に降臨するのをお迎えする日とされる初五(春節5日目)の未明、そして春節休暇が終わりを告げる春節15日目の元宵の夜がそれで、上海中の市民が同時多発的に一斉に鳴らすため、家の中で目の前にいる相手の声が聞き取りにくいほどの爆音と、朦々たる煙に町が包まれる。

 ところが今年は、大気汚染のこれ以上の悪化を食い止めることを目的に、大都市を中心にこれを禁止する土地が続出した。上海でも中心部を取り巻く環状線の内側での打ち上げが禁止された。

日本人の想像を絶する中国人の爆竹好き

 中国人は、春節に帰省すること、そして家族で爆竹を鳴らすことを人生の楽しみに、そして励みにして暮らしているようなところがある。

 私はこれまで、何度も中国で春節を過ごしたが、帰省はともかく、大人になってまで爆竹を鳴らすことの何がそんなに楽しいのか、残念ながら今に至るまで、実感としては皆目分からないでいる。ただ、私が初めて中国に暮らし始めた1988年、新卒で大学の教師になった人の初任給が70元(現在のレートで約1260円)だった時代に、春節の花火と爆竹に費やす金額が1家族あたり200元(3600円)にもなるという話を聞いて、驚き呆れると同時に、爆竹を鳴らすのは中国人にとって、よく分からないけれども、とにかく特別なことなのだなということは感じた。現在でも、500~1000元(9000~1万8000円)程度は使うようである。

 私は昨年、河南省の辺境にある農村地帯から上海に出てきて廃品回収をしている友人が帰省するのに合わせて彼の自宅にお邪魔し春節を過ごしたのだが、やはり大量に買い込んだ爆竹と花火を納屋にしまい込んでいた。そこで、何がそんなに楽しいのかと単刀直入に聞いてみると、40代の友人はきょとんとした顔で、「因為、開心嘛」(だって、楽しいじゃん)と答えた。理屈抜きで楽しい、という意味である。中国人にとって、爆竹や花火は体の深いところに訴えかける何かがあって、ストレスも何もかもを吹き飛ばす効果があるのだろう。

「自首」「通報」町に溢れる寒々しい言葉

 その爆竹が大都市の多くで禁止された。上海では年の瀬から至る所に禁止を告げるポスターや横断幕が掲げられ、「違反を通報すれば報償」「違法行為を発見したらすぐ119番に通報せよ」「隠している者は自首を奨励する」といった寒々しい言葉が師走の町に溢れかえった。爆竹・花火打ち上げの3つのピークの中でも特に激しい年越しの夜に上海当局は、監視のために警察やボランティアを動員したのだが、その数なんと30万人と言うから驚く。私の住むアパートの入り口にも、年越しの夜は数人の警官が張り付いていた。その甲斐あってか見事に爆竹や花火の音は聞こえなかった。

 ところで、過去数年にわたり反腐敗による幹部の摘発が相次ぐ中、春節の爆竹に対する厳しい締め付けが行われたことで、「まるで文化大革命の時代が戻ってきたようだ」、といった批評を、日本のネットや報道で見かけることがある。「通報」「自主」などという言葉の羅列を町中で目の当たりにすると、確かにいい気持ちはしない。ただ、文革のまっただ中に生きた中国人に話を聞くと、「文革時代に似てるというのはさすがに大げさ」という反応があることを伝えておきたいと思う。

 北京で新聞記者の家庭に生まれたという60代のある女性は、文革のさなか両親の勤めていた新聞社の社宅のアパートに住んでいたが、「『今日は何号棟から同僚が飛び降りた』『昨日は何号棟から飛び降りた』というような話が毎日のようにあった。地獄だった」と当時を振り返る。

農村に溢れる習近平夫妻のポスターの意味

 やはり文革当時、天津で幼少年時代を過ごした50代のある男性は、遊び場にしていた近所の雑木林で時々、死んだ人間が転がっていたのを鮮明に覚えているという。「子供のころ、死体を見るのは特別なことでもなかった」。この男性が生まれたのは日本で東京オリンピックが開かれた1964年。私は彼の1つ年下だが、これまで目にした死体は、亡くなった自分の祖父だけである。

 中国の国や人の行動や言動を見て「どうして中国はこうなのかな」と理解に苦しむことも少なくない。ただ、同時代に生まれながら、幼少期に見たもの聞いたもの触れたものがまるで違うということを知ると、思考や価値観が違うこと自体は当然だということには得心がいく。

 この春節、私が訪れた安徽省の農村部にある石畳が美しいある古村落では、自宅の目立つところに習近平国家主席のポスターを貼っている家が目立った。どこで買うのと尋ねると、村の書店で売っているとのこと。この様子を見て私も、「農村では習近平に対する個人崇拝が進んでいるのかな」ということがチラリと頭をかすめた。ただ、その村に住む20代の友人は、「お正月に指導者のポスターを買って飾るのは特に珍しいことではない」と言う。そうなのか、でも、日本に安倍晋三と夫人のポスターなんて、書店はおろかどこにも売ってないよと話したら、彼女は「へえ、そうなの」と、とても意外だという顔をしていた。

poster of xijinping & his wife

春節の農村部で多数見かけた習近平夫妻のポスター

 中国人の自宅に国家主席とファーストレディーのポスターなどがペタペタと貼ってあるのを見ると思わずギョッとしてしまうが、話を聞いて実態を知ると、特に意味があることではなかったりもする。何をもって中国を理解するかというのは、なかなかに難しい話である。

去年の11月から急減した仕事

 さて、春節を目前に控えた1月末のある日。「明日帰省しちゃうからその前にウチにゴハンを食べに来て」と同世代の友人夫婦が誘ってくれた。安徽省の農村から上海に出稼ぎに来ているハンさん夫妻である。夫は再開発に伴う建物の取り壊しの現場で肉体労働、妻は富裕層から上位中間層の家で家政婦をしている。

 彼らに会うのは3カ月ぶり。昨年10月に結婚した次男夫妻に子供ができたと嬉しいニュースを聞かせてくれたのだが、どことなく浮かない顔をしている。次男の嫁を「ちょっとかんしゃく持ちね」と評していたので、嫁姑問題でも勃発しているのかと尋ねると、「そんなことじゃないよ!」と笑いながら手を振り、しかしすぐに笑顔を引っ込めて、「仕事が減っているのよ」と言う。

 ハンさんは、息子が結婚するのでその準備に1カ月ほど仕事を休んで帰省した。働きぶりが真面目で料理も上手なハンさんは売れっ子で、多いときには固定客だけで8軒を掛け持ちし、1カ月に過去最高で1万元(約18万円)、平均でも8000元(15万円)と、大卒サラリーマン顔負けの月収を稼ぎ出している。

「だから、1カ月ぐらい休んでも、お客さんはすぐに取り戻せると高をくくっていたの。ところが11月に上海に戻ってみると、完全に状況が変わっていた。家事を頼むお金持ちが、減っていたのよ」と言うのだ。

 仕事が減っているのはやはり景気が悪くなっているから? と尋ねると、「家政婦仲間ではそういう認識。掃除だけ頼まれていた家から仕事を打ち切られたとか、掃除と食事の準備を頼まれていた家から『食事だけでいいわ』と言われたとか。そんな話がこの2カ月で急に増えた」。ハンさん自身も、最高で8軒あった固定客は2軒に減った。「いくら1カ月休んでいたからといって、2軒から増やせないとは思いもしなかった。次男が結婚して初めての春節だから、両親として帰省してくるお嫁さんを実家で迎えないわけにはいかない。でも、上海に残って少しでも稼ぎたいというのが本音よ」。

 ハンさんの夫も、上海の都心部に取り壊すべき物件がほとんど無くなり仕事が減ったため、この数カ月はつてを頼って、富裕層を中心に広がり始めた床暖房の敷設工事をやり始めた。だが、解体の仕事が毎日あったころの月収には届かない状況が続いているという。

「仕事奪われるの怖い」 帰省できない出稼ぎ層

 仕事が減っていると証言する家政婦はハンさんだけではない。やはり安徽省の農村出身で、シングルマザーとして4歳の一人娘を育てているチョウさんもその1人だ。チョウさんは、過去2年、スマートフォンやパソコンが日本でも人気の台湾メーカーの上海工場で夜勤の仕事をしていたが、夜中に12時間働いても月収が4000元(7万2000円)に満たないため、週末に家政婦をして家計の足しにしていた。ところが、過去2年は2軒あった得意先が、昨年の11月から1軒に減ったのだという。「切る理由は言われなかったけど、景気が悪くなったことが関係しているのは間違いないと思う」。危機感を覚えたチョウさんは、今年の春節は子供だけを帰省させ、自分は上海に残って家政婦の口を探すことにした。ただ、結果は、「1軒も見つからなかった」とチョウさんは不安そうな顔で唇をかんだ。

 上海のメディア『東方網』は2月4日付で、今年の春節は家政婦の時給が50元(900円)と通常の25元(450円)の倍になったと報じている。これだけを見ると家政婦は売り手市場のように思えるが、チョウさんは、「ひとくちに家政婦といっても、料理、洗濯、掃除など家事の需要と、老人や身障者の介護、乳児や子供の世話の需要に分かれる。今年、春節の相場が倍になったのは、家政婦がいなければ家族が本当に困ってしまう介護の家政婦の方。家事だけなら同じ25元のままでしたよ」と実情を語る。

 先に紹介した習近平夫妻のポスターを自宅に貼る家々がある安徽省の古村落から上海に出稼ぎに来て家政婦をして10年目になるというオウさんも、「春節は、去年までなら上海に戻るのは、早くても法定休日最終日の初六(春節6日目)。長いときには元宵節(春節15日目)まで田舎の自宅にいた。でも今年は初四(春節4日目)には上海に戻る」と言う。例年より前倒しで仕事を再開する訳を尋ねると、「景気が悪くなって仕事が減り始めていることを心配して、今年は春節に帰省しない家政婦が多いと聞いたから。他人に仕事を取られると困る。私は今のお得意さんとは長い付き合いだが、安心はできない。仕事が減れば、音楽大学に通う子供に仕送りをするのも苦しくなる」。

 田舎の自宅に残って米を作り、農閑期には荷役をして現金を稼いでいるワンさんの夫が、妻や子供と顔を合わすのはこの10年間、春節に家族が帰省した時だけ。ワンさん夫妻にとって今年は、たった4日間の夫婦水入らずの時間となった。

 さらに身近なところでは、上海にある私の団地のご近所さんも、今年の春節は外地に出稼ぎに行っているご主人が帰省してこなかった。隣人夫婦は江蘇省の出身だが、既に身寄りがいないため故郷には帰省せず、夫婦の自宅があり妻が働く上海で春節を過ごすのを常としていた。ところが今年はご主人が戻らない。今年はご主人が帰ってこないんですね? とも聞けずにいたが、「わが団地の情報通」と自他共に認める16号棟のオバハンが私を目ざとく見つけてすり寄ってきて、「ご近所さんと麻雀して聞いたんだけどね、アンタのお隣さんのダンナ、稼ぎが悪くて今年は春節に戻ってこられないらしいよ」と耳打ちした。私は陰でなんと言われているのだろう。ヤレヤレ、である。

強引な政策は危機感の表れ

 ともあれ、不景気の影響で、出稼ぎの人々の仕事が減り始めているのは間違いないことのようである。これが春節前後だけのことであれば、日本をはじめとする海外に爆買いツアーに出かけるからその間、家政婦は不要、ということも考えられるし、実際、そういう理由も一部にはあるのだろう。ただ、家政婦たちは「11月ごろから仕事が減り始めた」と口を揃える。日本での買いっぷりを見ていると気付き難いが、景気の悪化は爆買い客の主体である富裕層、上位中間層よりも、彼らにサービスを提供する出稼ぎ層に一足先に忍び寄り始めたようだ。

 さらなる景気悪化の懸念が叫ばれる中、気になる現象ではある。ただ救いは、春節の爆竹禁止が都市部だけにとどまり、出稼ぎ層の帰省先である地方の小都市や村落には適用されなかったことだろうか。私が訪れた安徽省の農村でも、早朝5時ごろから深夜2時ごろまで、村人たちが連日、盛大に花火や爆竹を鳴らしていた。それでも、現地の夜空は、星に手が届きそうなほど澄み渡っていた。

 高度成長を享受するという点において、出稼ぎ層は、都市出身者に比べ確実に見劣りする。家政婦をしている人で日本に爆買いツアーに出かけたことがあるという人に、少なくとも私はまだ、お目にかかったことはない。その彼らが、何よりも楽しみにしている帰省先での春節の爆竹と花火を禁止されとしたなら、鬱憤は確実にたまることだろう。

 いや、今年は上海に居残りせざるを得ず、爆竹もできずに鬱憤をためた出稼ぎの人々が、昨年よりも確実に増えたはずだ。爆竹・花火の禁止を聞いたときには、大気汚染解消にはそれよりも先にやることがいくらでもあるだろうと突っ込みを入れたくなったものだ。ただ、市民の鬱憤が確実にたまるだろうことを承知で禁止に踏み切ったのは、景気と汚染の状態が、それだけ抜き差しならないところに来ていることを認識した当局の危機感の表れなのだろう。

iRonna 呉善花『呉善花「反日」という「バカの壁」からの脱出』について(『別冊正論』)

北のテロの噂で韓国も慌てふためいています。開城(ケソン)からの撤退もそのためのようです。まあ、火病持ちの同じ民族同士で勝手にやってほしい。日本に向くことのないように。韓国もあれだけ日本を貶め続けてきて、困ったときだけ日本に擦り寄らないように。儒教国家とか言われますが、信義に悖る行為しかしてこなかったでしょう。

国連人権理事会で外務省高官が、慰安婦の説明をした道筋をつけたのは杉田水脈女史(次世代の党・前衆院議員)です。メデイアでは報道されませんが。杉田氏も国連人権理事会に行っていました。状況を2/17杉田水脈女史のFacebookより紹介します。左翼が組織の金を使ってわざわざ日本を貶めるための工作をしに行くのですから。共産党から金が出ているのでは。中国共産党からかもしれません。世界に訴えるのに日本人が言った方が信用が得やすいと考えているかも。

「【日本国の恥晒し】 委員会から一夜明け、これから帰国します。いつも仕事は自分との戦いだと思ってやってきましたが、今回は違いました。目の前に敵がいる!大量の左翼軍団です。 大型連休でもない、また観光シーズンでもないこの時期にスイス・ジュネーブに100人を超す日本人が訪れるのはやはり異様です。彼らは街でも、レストランでも、ホテルでも、国連の中でも一目でわかります。

ハッキリ言って“小汚い” なんでこんなにきたない人ばっかりで集団を作れるのか不思議です。 曲がりなりにも国際会議です。近所のスーパーに買い物に行くのとはわけが違います。(私は近所のスーパーに行く時でもあんな格好はしませんが)「場をわきまえる」という日本人なら誰でもできることができていないのです。 我々はみんな各自でフライトやホテルを予約して、現地集合です。(あっちはツアーで来ているのか、胸にバッチを付けています。そういうツアーを専門的に請け合うところがあると優美子さんに聞きました。そこからして規模が違う。)今回も一人でお気に入りのホテルに泊まっていたのですが、朝食のレストランに行くと、それらしい集団が居て、ジロッと一斉に睨まれる。私は左翼活動家の名前も顔も一切知りませんが、向こうは知っているかもしれません。さすがにゾッとしました。 レストランでも我々が食事をしていると近くのテーブルにそれらしい団体が座ります。その途端、話を中断しなければいけません。 国連の会議室では小汚い格好に加え、チマチョゴリやアイヌの民族衣装のコスプレおばさんまで登場。完全に品格に問題があります。そんな中、唯一見たことがある方を発見しました。糸数慶子参議院議員です。確か今は国会会期中のはず。不思議に思って名刺交換をして少しお話しを伺いました。そのことは今度詳しく書くとして、国会議員が在特会なんかと写真に写ると大問題になるのに(在特会のことは全く支持しませんが)、左翼活動家と写真に写っても何の問題にもならないなんて、おかしな世の中です。左翼活動家の方が暴力的で危険ですし、共産党員は公安の監視対象です。 委員会終了後、彼らが記者会見をするというので聞きに行こうとしました。日本政府の発言を受け、どんな反応かを知りたかったのです。 でも、近寄ろうとすると大勢の人間に囲まれました。辺野古の時と同じです。 「あなた、杉田さんですよね。(やっぱり知っている!)こっちに来ないでください。」 「どうしてですか?皆さん、多くの人に知って欲しくて記者会見するんですよね?私は一般市民です。聞かせてください。広く広報したいのに一般市民に聞かせないなんて矛盾していませんか?」とお願いしてみました。 「駄目です!あなた、杉田水脈でしょ!来ないでください。」と、人間の壁を作られてしまいました。 とにかく、同じ空気を吸っているだけでも気分が悪くなるくらい気持ち悪く、国連を出る頃には身体に変調をきたすほどでした。 とにかく、左翼の気持ち悪さ、恐ろしさを再確認した今回のジュネーブでした。 ハッキリ言います。彼らは、存在だけで日本国の恥晒しです。」

次は外務省の杉山審議官の国連人権理事会でのスピーチです。2/18藤岡信勝氏のFacebookから。国連は英文の質疑を公表しないと言っているとのこと。これを英訳して送ることも考えれば良いと思います。流石鼠男潘基文が事務局トップの組織だけあります。日本も分担金削減、通貨スワップはしないことも明言して脅さないと。いい子でいたら舐められるだけ。

「【国連女子差別撤廃委員会 2016年2月16日午前】 アイテム9 慰安婦関連質疑応答 マイスター委員(Australia)  次に慰安婦問題です。私の専門家としての立場を言う時間はありませんけども、人権の違反であります。これは被害者が納得のいく結果にならなければなりません。  1993年から人権、これは人権の会、国連の会議がウィーンで開催されました1990年以来、常にこれは国際的政治的議題になっていました。オーストリア政府、北京の代表として1995年にまいりました。2014年に日本のオーストリアの大使館からブリーフィングを頂きました。  そこで質問です。法的なステータス、2国間の合意が日本と韓国の間でみられました。それに関してどうやって実施されていくのか、コメントをお願い致します。  日本の義務は国際人権法の中でどうなっているのでしょうか。他の国の被害者、例えば中国の被害者等に関して、フィリピンの被害者等に関して如何なのでしょうか。また、どうやって勧告、いくつか最終形態の本委員会のものをどうやって行っていかれるのでしょうか。  その他の国連の勧告に致してもそうです。特に本委員会が2009年に行った勧告ですけれども、そこでは補償、それから加害者の警察の訴追、それから日本の軍当局などに関してこれらが必要だと申しました。  また、歴史の教科書の改訂も含めてどうなっているのか。あと、被害者中心のアプローチ、それから完全な形で賠償も行って、そしてお詫びも行う、完全なリハビリテーションを行うということ、どうなっているのか、これをお聞かせ頂きたいと思います。   杉山晋輔外務審議官(日本政府団・団長)  有り難う御座います。マイスター委員、慰安婦問題に関して言及いただきまして有り難う御座います。   まず、私としましては、冒頭ステートメントに加えまして、書面での回答を頂いたLOI(List of Issues) に対して行っております。そこに添付致しましたのが、先ほどゾウ主査から言及がありました日韓合意に対しての文章です。   これは昨年の12月の文章となります。回答に先立ちまして、重要な点について、私のほうから説明をさせて頂きたいと思います。日本語で申し上げます。  えー、これまで、えー、申し上げたことに加えて、次の通り、主要な点、重要ですので、えー、口頭で申し上げます。  まず、書面でも回答した通り、日本政府は、日韓間で慰安婦問題が政治外交問題化した1990年代初頭以降、えー、慰安婦問題に関する本格的な事実調査を行いました。しかしながら、日本政府が発見した資料の中には、軍や官憲による、いわゆる強制連行と言うものを確認するものは、確認は、出来るものはありませんでした。  慰安婦が強制連行されたという見方が広く流布された原因は、1983年、故人になりました吉田清治氏が、『私の戦争犯罪』という本、刊行物の中で吉田清治氏自らが日本軍の命令で韓国の済州島において大勢の女性狩りをしたという虚偽の事実を捏造して発表したためであります。  この書物の内容は、当時大手の新聞社の一つである朝日新聞社により事実であるかのように大きく報道され、日本、韓国の世論のみならず、国際社会にも大きな影響を与えました。  しかしながら、この書物の内容は後に複数の研究者により、完全に想像の産物であったことが既に証明されています。それが証拠にこの朝日新聞自身も、2014年8月5日及び6日を含め、そのあと9月にも、えー、累次にわたり記事を掲載し、事実関係の誤りを認め、正式にこの点につき読者に謝罪をしています。  また、20万人という数字も具体的な裏付けがない数字であります。 朝日新聞は2014年8月5日付けの記事で、女子挺身隊とは戦時下の日本内地や旧植民地の朝鮮、台湾で女性を労働力として動員するために組織された『女子勤労挺身隊』を指す。目的は、労働力の利用であり、将兵の性の相手をさせられた慰安婦とは別だ。としたうえで、「20万人との数字の基になったのは、通常の戦時労働に動員された女子挺身隊と、ここで言う慰安婦を誤って混同したことにある」と自ら認めているのであります。  尚、性奴隷といった表現は、事実に反します。日韓両政府間では、慰安婦問題の早期妥結に向けて真剣に協議を行っていたところでえ~、ありますが、先ほど申し上げたように昨年12月28日にソウルにて日韓外相会談が開催され、日韓外相間で本件につき妥結に至り、慰安婦問題が最終的かつ不可逆的に解決されることが確認をされました。  同日午後、日韓首脳電話会談が行われ、両首脳はこの合意に至ったことを確認し、評価をした次第であります。冒頭申し上げましたように、この時の日韓合意を表す資料は、書面の回答に添付されておりますので、ここでその内容の詳細を繰り返してご説明する事はしません。  日本政府はこれまでも、アジア女性基金などを通じて、本問題に真剣に取り組んでまいりました。今後、したがって韓国政府が、えー、元慰安婦の方々の支援を目的とした財団を設立し、これに日本政府の予算、えー、10億円程度でありますが、資金を一括で拠出し、日韓両政府が協力し、全ての元慰安婦の方々の名誉と尊厳の回復、心の傷の癒しのための事業を行う事となっております。  現在、日韓両国政府は、それぞれ合意内容を誠実に実行に移すべく取り組んでいるところであり、この点は現時点でも全く変わりはありません。このような日韓両国政府の努力につき、国際社会のご理解を頂けると大変有り難く思います。ちなみに潘基文国連事務総長を含め国際社会は、日韓両国が合意に達したことに歓迎の意を表明していると承知をしています。  もう一点だけ、最後に付け加えます。  えー、今、ご質問を頂いた、えー、ホフ・マイスター判事は、他の国の例もお上げになりました。先の大戦にかかる賠償並び財産及び請求権の問題について、ご指摘になられた点も含め、日本政府は、米英仏等45カ国との間で締結したサンフランシスコ平和条約、それだけではなくて、その他の2国間の条約など、えー、これは、えー、日韓請求権経済協力協定も含みますし、日中の処理の仕方も含みます。  えー、こういった、あー、あー、あー、ものによって、ここでこれらをいちいち説明することはしませんが、誠実に対応してきており、これらの条約等の当事者との間では、個人の請求権の問題を含めて、法的に解決済みだというのが日本政府の一貫した立場であります。  最後に一言。えー、にも拘わらず日本政府は、えー、アジア女性基金をえ~、構築し、えー、我が国の予算からの拠出と一般からの募金によって、一定の活動をしたという事も、えー、説明すると、きちんと説明をすると長くなりますので、ここでアジア女性基金の詳細については説明しませんが、おそらく、ここにおられる各委員の皆様はその内容をよくご存じだと思いますので、その点だけ付言をして、私の答えにさせて頂きたいと思います。どうも有り難う御座います。  フォローアップ質問 ゾウ委員(主査) (※実際には、この様な口調では無くかなり無礼なしゃべり方でした。)    私は、日本の団長の発言に対して非常に不満を覚えます。一切許容出来ない発言でございました。歴史は歴史です。誰も歴史を変えることはできません。歴史的な事実については、70年前であってもそれを変更することはできません。  いただいた発言の中では、日本政府の立場として、矛盾をしているということが分かりました。慰安婦の問題を否定なさいました。一方で、日韓の合意が成立したことに関しては、これを歓迎していると仰っていました。もし、慰安婦の問題が無いのであれば、なぜ韓国との間に合意を形成する必要があったのでしょうか。  そして、93年の河野証言に於いて、93年に於いて、官憲そして軍が何万人という韓国の慰安婦の採用に携わったと、動員に携わったという事が、なぜ表現されたのでしょうか。  もし、日本政府が慰安婦問題に関しては、既に完全に解決されているとお考えなのであれば、そして安倍首相がまた、謝罪の意を表されたということであれば、時の政府が誠実な対応をとるのであれば、全ての慰安婦の女性に対して日本が首相の書面での手紙を送付するべきではありませんでしょうか。 70年間にわたって苦しまれた女性に対しての謝罪の手紙を、全て、生存されている慰安婦の女性に対して送付すると共に、加害者の訴追が必要となるのではないでしょうか。これは人権規約そして国際社会に於いて求められているものです。   もし、こういった事を否定されるのであれば、なぜそのUPIの勧告に基づいて教科書に慰安婦の問題を含めるということに関しても、対応されないのでしょうか。ぜひ日本政府の立場を伺いたいと思います。  <杉山晋輔外務審議官(日本政府団・団長)   明確にお話しするために日本語でお話しさせて頂きます。ゾウ委員からご指摘いただいた点についていくつかお答えをします。   えー、まず第一に、先ほど内容については、あのー、既にお配りしてあるので、えー、詳しくは説明しませんと申し上げましたが、12月、昨年の12月28日に岸田大臣と尹長官の間で、最終的かつ不可逆的に解決されている事は、えー、文書の回答の添付の文書を見て頂ければ、明確だと思います。   従って日本政府が、あー、あー、この問題について、えー、えー、例えば歴史の否定をしているとか、この問題について、えー、えー、何の措置も執っていないというご批判は事実に反すると言わざるを得ません。   ちなみに、えー、先程、えー、いわゆる、うー、強制、えー、えー、ということは、あー、我々が調査した中では、あー、えー、裏付けられなかったと申し上げましたが、この岸田大臣の合意の中には、えー、「慰安婦問題は当時の軍の関与の基に多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、日本政府は責任を痛感して」えー、ちょっと飛ばしますが、えー、「これらすべての方々に心からお詫びと反省の気持ちを表明する。」そして、まっ、額は、10億円程度ということですが、日本の予算の措置により財団を設立すると、えー、まー、あのー、それから更に色んな説明をしなければいけないのですが、えー、中味について時間がないのでそれ以上は言いません。  で、ここで言う当時の軍の関与というのは、えー、慰安所が、あー、軍当局の要請により設立されたものであるとか、慰安所の設置・管理および慰安婦の移送について、えー、日本軍の関与があったとか、あるいは慰安婦の募集について軍の要請を受けた業者が主にこれに当たったとかいうことであるとかは、従来から認めていることであって、私がさっき申し上げた事は、そのことと共に、えー、例えば20万人という数字は、完全に間違いだと、本人、ていうか、出した新聞社が認めているとか、そういうことを明確にするために申し上げた訳だし、それから「性奴隷」という表現も事実に反するということを、もう一度ここで繰り返しておきたい。  えー、ちなみに、えー、書面で、えー、回答に添付した、えー、両外相の共同発表の文章の中にも、「性奴隷」という言葉は1カ所も、おーおー、見つからないのも事実であります。  従って、今、おー、ゾウ委員から、あーあー、ご指摘を、おー、受けましたが、えー、非常に残念なことにゾウ委員のご指摘は、いずれに点においても、えー、日本政府として受け入れられるものではないだけではなくて、事実に反する事を、おー、発言されたという風に、申し上げざるを、残念ながら申し上げざるを得ないということを明確に発言しておきたいと思います。  ほんの数十秒、先程一つ大事なことを言うのを忘れたので、言います。  あのー、えー、既に先程申し上げたように、えー、委員のお手元に届けてある日韓の合意、えー、これは、日韓間の合意であって、えー、これを現在、日韓両国政府は、えー、それぞれ、誠実に実行に移すべく取り組んでいるところであり、この点は、全く変わっていません。 えー、この様な日韓間の合意について、是非、理解をしていただきたい。こう言う重要な事を言い忘れたので、もう一回繰り返します。」

遅きに失した感はありますが、better late than never です。反撃の第一歩としたい。

本記事を読みますと、如何に反日教育が罪深いかという事です。朴正煕大統領が16年間、反日教育を徹底したと呉善花教授は言っております。民族的特質と相俟って日本に対するコンプレックスからジャパンデスカウントを世界的に、金とハニーでやって来ました。台湾は外省人は中国人ですから、馬英九も台湾に慰安婦記念館を作り、中共と一緒になって日本への貶め工作と金を強請る積りです。日本にとって最大の敵は中国、北や南、民主党・社民党・共産党、朝日新聞等左翼メデイアは中国の手先です。日本国民も良く見て、彼らの発言に惑わされないようにしないと。

記事

呉善花(評論家・拓殖大学教授)

Wu Shang Hua

 

 

 

 

 

 

 

 

反日への入り口

 私の幼い頃、母は戦前に父と共に日本で働いた時分の思い出をなつかしみながら、日本人への親しみを込めてしばしば語ってくれた。1960年前後のことである。私が育ったのは済州島の海村だったが、村の人で日本をことさらに悪くいう人はいなかった。村の祭りになると、私はしばしば、ムーダン(巫女)のおばさんの勧めで、母に教わったいくつかの日本語の単語を大人の前で披露してみせた。いつも拍手喝采で、ムーダンのおばさんからきまって、「よく知っているね、偉い子だね」と頭を撫でられたものである。

 それが小学校に入り、学年を重ねていくにつれて、「日本人はいかに韓国人にひどいことをしたか」と教えられていくことになる。教室の黒板の上には、真ん中に大統領の写真が掲げられ、その両脇に「反共」「反日」と大きく書かれたポスターが貼ってある。反共の「共」はそのまま北朝鮮を指し、いかに北朝鮮が邪悪で恐ろしい国なのかを教わり、その一方で日本人がいかに韓国人に対して悪いことをしたかを教わる。

 ずっと後、日本に来て知り合いになった台湾人留学生に、「こんな教育を受ければ、どんな人でも必ず反日感情をもつ」というと、「そんなことはないでしょう」という。「なぜか」と聞くと、「学校ではすさまじい反日教育を受けた一方、家庭や地域で聞くのは大部分がその反対のことばかりだったからだ」という。  私の場合はそうではなかった。家へ帰って学校で教わったそのままに「日本人てひどい人たちなのだ」といったことを語ると、父も母も無言で応じたり、適当にあいづちを打つばかりだった。村の大人たちにしても、大方はそんなふうであった。私はそれが不満で、「お父さん、お母さんや村の大人たちは、学歴の低い田舎者だから、何もわかっていないんだ」と思うようになっていった。

meeting to show respect for the aged in Korea

日本統治下で行われた「敬老会」。朝鮮の子供が遊戯を披露し、日本女性が朝鮮の老人たち(写っているのは男性ばかり)に給仕している(朝鮮総督府『朝鮮事情』昭和15)

  田舎のおばさん、おじさんたちほど、反日意識が弱いのは、彼らには学がなく無知であるからだ、といういい方は一般的にもよくされていた。高い教育を受けた者ほど反日意識が高いというのが常識だった。私も、勉強をすればするほど次第に反日意識を強くもたねば、という気持ちにもなっていく。

  私は、小学校高学年あたりから、そのことで大きく迷った。

South Korean texbook

 

 

 

 

 

 

日本について事実と異なる記述が羅列された韓国の中学国史の国定教科書  

母から聞いた日本は、叔父さんたちが住んでいて、ミカンがたわわに実り、泥棒する人もいない、しかもお風呂が普段に入れて、人は親切だという日本だった。その国の言葉をいってみせると、大人たちは「いい子だ」と拍手さえしてくれた。なぜそうなのか。「大人たちはみんな無学な田舎者なんだ。ほんとうの日本がどういう国かということを教わってこなかったんだ。だから、何もわかっていないんだ」と、きっばり意識チェンジをしていった。

私は学校教育を通して、それまで知らなかった新しい世界の見方を知ったと思った。旧世代の韓国人、旧時代の韓国との別れだった。私たち立派な知識を身に付けた新世代韓国人が、これからの新しい韓国を建設するんだ。しだいにそういう意識が芽生え、私のなかから急速に日本への親しい感情が消え去っていった。

情緒教育としての反日教育

 授業を通して、父母たちの世代は土地を収奪された、日本語教育を強制された、独立を主張して殺害された、拷問を受けた、強制徴用されたと知らされていく毎に心にやってくるのは、自分自身の身を汚されたかのような、いいようのない屈辱感であり、そこから湧き起こる「決して許せない」「この恨みは決して忘れてはならない」という、ほとんど生理的な反応といえる怒りであった。

 当時の教科書の内容は詳しく覚えていないが、基本は現在のものと大差はない。現在の国定教科書では、「[侵略戦争を遂行するために]日帝はわれわれの物的・人的資源を略奪する一方、わが民族と民族文化を抹殺する政策を実施した」として、それを「日帝の民族抹殺計画」と名付けている(「中学校国史教科書」1997年初版)。「民族抹殺」という言葉が情緒を強く刺激する。

texbook of Korean language

 

 

 

 

 

日本が開設した普通学校(小学校)の朝鮮語、授業で使われた『朝鮮語読本』  

「日帝の民族抹殺計画」として挙げられているのは、内鮮一体・皇国臣民化の名の下に、韓国人を日本人にして韓民族をなくそうとした、韓国語を禁じ日本語の使用を強要した、韓国の歴史の教育を禁じた、日本式の姓と名の使用を強要した、各地に神社を建てさせ参拝させた、子供にまで「皇国臣民の誓詞」を覚えさせた、というものだ。しかし、そう列挙されているだけで具体的な内容は一切書かれていない。「高等学校国史教科書」も同じことである。そのため、強く刺激された情緒が知識の媒介をほとんど受けることなく、身体にストレートに浸透するのである。  小学校でも同様に、日本によって民族が蹂躙された、奴隷のように扱われた、人間の尊厳に大きな傷を受けたといった形で反日教育が教室のなかで行なわれている。幼い時期はより多感なものだから、「ひどすぎる」「絶対に許せない」という思いで心がいっぱいになる。

 もちろんそれは人ごとではないからだ。同じ血を分けた韓国人であり、お父さん、お母さん、お祖父さん、お祖母さんたちのことだから、自分がやられたのと同じ気持ちになってくる。我が身を切り裂かれるような辛く苦しい気持ちになり、激しい怒りがこみあげてくる。そうか、日本人はそんなに「侵略的で野蛮な民族的資質」をもつ者たちかと、心から軽蔑していくことになる。

 これは歴史教育ではなく明らかな情緒教育である。歴史認識以前に、反日情緒・反日心情をしっかり持つことが目指されているのである。

侮日教育としての反日教育

 一九六〇年代のことだが、小学校では「反共ボスター」をよく描かされた。私たちが描く「反共ボスター」の絵柄の多くは、「鬼のような形相をした金日成が韓国を蹂躙する姿」だった。いかに北朝鮮が怖い国かを描くことに力を入れたと思う。

poster of blaming Japan

仁川の地下鉄駅に貼り出された竹島をめぐる日本非難ポスター。子供が描いたとは思えないほどむごく、汚れた絵柄だ

 私は全斗煥政権時代の1983年に来日するまで、金日成の写真も映像も見たことがなかった。客観的な情報もいっさい知らされていなかった。自分が受けた教育からイメージした北朝鮮は、「悪の権化の金日成を頂点に諸悪を凝り固めてつくった国家」であり、人間らしい気持ちをもって生きる者が一人として存在しない世界であった。金日成の姿は絵でしか知らされることがなく、その絵たるやいかにも凶暴な悪魔のように描かれていた。私が日本で金日成の写真を初めて見て、「なんてハンサムで穏和な顔をしているのだろうか」と思ったものである。

 「反日ポスター」も描かされたが、そのモチーフは北朝鮮のように「恐怖」ではなく、いかに日本は侮蔑すべき国かという「侮日」にあったと思う。日本はどれほど卑しく野蛮な国か、韓国はどれほど尊く文化的な国かといったところに力を入れていたように思う。それでも、当時の私たちが描いた「反日ポスター」は、現在のものほど下劣ではなかった。子供もなりに「愛国者」として持つべき品位が心されていたと思う。

 2005年6月、仁川市の地下鉄キュルヒョン駅構内で、地元の小中学生による「獨島(竹島)問題」をテーマにしたポスター展があった。子供たちのポスターは百枚以上貼られていたと思うが、それらを見て私は心から驚いた。獨島問題がテーマなのに、大部分がテーマを大きくはみだしている。悲しくなるほどの下品な絵や言葉で日本を貶め、日本人を侮蔑するものばかりだった。

 たとえば、ウサギが日本に糞をしている絵柄があった。韓国は国土の形からウサギになぞらえられているのだが、そのポスターでは中国・韓国・日本をカバーする地図が描いてあって、韓国の上に立ったウサギが中国の方に顔を向け、お尻を日本に向け、お尻から日本列島の形をした糞を出している。

 そのほか、子供たちが日の丸を取り囲んで踏みにじっている絵、日の丸が描かれたトイレットペーパーを燃やしている絵、日本列島を火あぶりの刑に処している絵、「嘘つき民族日本人」を犬小屋で飼っている絵、核ミサイルを韓国から日本へ撃ち込んでいる絵など、まるで日本は交戦国であるかのようだ。絵に付された言葉も、「日本の奴らは皆殺す」「日本列島を火の海にしたいのか」「日本というゴミ、捨てられる日はいつなのか」など、「なんでもあり」なのだ。

 これら「反日ポスター」からわかることは、昔も今も韓国の小中学校では反日というより侮日教育をしているまぎれもない事実である。

 韓国の教育界は、小学生のときからこうした教育を受けさせることで、伝統的な侮日観をしっかり身につけさせていこうとしている。これによって、相手が日本人であれば、その言動は「倫理・道徳にもとろうとも構わない」という意識が植え付けられていく。

 韓国の著名な小説家・翻訳家の李(イ)潤(ユン)基(ギ)氏も新聞コラムで、韓国では「相手が日本人ならば、ちょっとやそっとは無礼であっても構わない」が通念になっていると書いている(「日本人に対する礼儀」東亜日報2006年1月4日付)。いや、「ちょっとやそっと」どころではない。実際には「どんなに」無礼であっても構わないのである。

唯一の観点からの歴史教育

 歴史にはさまざまな観点があり得る―ことは、長い間私の意識のなかにはなかった。歴史には一つの見方しかないと思っていた。こういうと、お前はいったい何を勉強してきたのかといわれそうだが、日本に来るまでは正直にいってそうだった。

registers of Korean land

 

 

 

 

 

 

土地調査事業で詳細に作成された新土地台帳と旧来のおおざっぱな台帳(朝鮮総督府臨時土地調査局編『朝鮮土地調査事業報告書追録』大正8)

 そういう私は、韓国人のなかで例外的な存在だったのではない。一般の韓国人ならばほとんどがそう思っているのと同じように、私もまた歴史には一つの見方しかないと思っていたのである。なぜかと思い返してみるほどに、韓国の学校歴史教育を受けてきたから、というほかにどんな理由もないと思える。

Copy of the registration in Korea

 韓国の歴史教科書は、日本の歴史教科書とはその記述方法がまったく異なっている。反日教育といっても多様な面があるのだが、日本統治下での土地問題がどんなふうに教えられているかを例に挙げてみたい。  韓国の生徒たちが学んでいくのは、朝鮮総督府が統治にあたって行なった土地制度の近代化を目的とする、土地の面積、所有関係、使用状況などに関する土地調査事業についての史実なのではない。

公有地管理がずさんで農民などが長年無断占拠した「駅屯土」も土地調査で所有権が明確化し、改めて小作申請を求めた。手続きが理解できず小作できない農民が続出した(同)

 私が学んだ教科書でもそうだったが、最近の教科書でも「日帝は土地を奪うために…」という文言から書き始められている。日本統治下での土地問題を学ぶにあたって、生徒たちが最初に頭に入れなくてはいけないのは、「土地調査事業は日帝が土地を奪うために行なったものである」と意味づけられた一つの観点である。その上で、次から「現実の諸関係はどうだったか」を見ていく、という流れになる。

 生徒たちが学ぶのは何よりもそうした一つの観点なのである。つまり、歴史についての「唯一の正しい観点」を学ぶことが、韓国では歴史を学ぶことである。そして、その観点から歴史的なさまざまな物事を理解していこうということになる。ようするに、生徒たちはその唯一の観点に立って、そこから足を踏み外すことなく、歴史的な物事のあり方、性格、推移などを位置づけていく力を養いなさい,ということになる。

 そういうわけだから、その唯一の観点とは別の観点で歴史を見ていくことは、歴史に対する見方の踏み外しだということになる。個々の歴史事象については、その学び取った観点から光を当てることによってだけ意味をもつものとなる。したがって、「土地所有を近代的に整理する」という朝鮮総督府の政策は、「土地を奪うための口実」として意味づけられることになる。

 「日帝は土地を奪うため」が土地調査事業の真意なら、その「収奪」はとてつもなく過酷なものでなくては意味をなさなくなってくる。そうであれば、朝鮮総督府の資料に基づいて知られる「朝鮮総督府が接収した農地は全耕作地の3%」という数字は余りにも少なすぎるため、とうてい採用することはできない。採用すれば観点そのものが崩れてしまう。

 そこで教科書では「40%の土地を奪った」とするのである。この数字の根拠は不明で,「日帝は土地を奪うため」という観点との整合性をもたせるための数字だというしかない。数字の出所や計算方法は、教科書ではまったく示されていない。

民族主義教育としての反日教育

 反日教育は反日民族主義教育として本格化される。その第一の前提におかれるのが、「生来の野蛮で侵略的な資質をもった日本民族」である。この日本民族の性格は、日韓関係の歴史を次のようにとらえる歴史観から導き出されるものだ。

 韓国は文化も何もなかった時代の日本に、儒教・仏教・技術をはじめとする高度な文化を伝えてあげた。にもかかわらず日本はその恩を忘れ、古代には「神功皇后による三韓征伐」や「任那日本府(日本による朝鮮の植民地)」があったなどの捏造記事を国史に記載し、中世には豊臣秀吉による朝鮮侵略が行なわれ、近世末には国学者らにより韓国征伐論が唱導され、明治初期には政府内に征韓論が火を噴き、韓国の江華島に砲撃を加えて戦争を仕かけ、明治末に韓国を併合して36年にわたる暴力的な支配を行なった―。

 このように歴史を連続させ、この流れを一連のものとみなして、その根本的な原因を「日本民族の野蛮で侵略的な資質」に求めるのが、韓国の反日民族主義史観である。これが反日教育の柱となる。

 日本民族というのは、そもそもからして野蛮な侵略者だったという考えが、なぜ出てくるかというと、古くからの朝鮮半島諸国には、日本を蔑視していた歴史があるからである。なぜ日本を軽蔑したかというと、朝鮮半島諸国が奉じた中華世界では、華夷秩序(かいちつじょ)が正しく善なる世界システムだからにほかならない。

 世界の秩序は「文明の中心=中華」と「その周辺の感化・訓育すべき対象としての侵略的で野蛮な夷族」で構成される、というのが華夷秩序の基本的な世界観である。中華世界の中心にあった中国とその忠実な臣下だった歴史的な朝鮮半島諸国は、日本という国を千数百年にわたって、「その周辺の感化・訓育すべき対象としての侵略的で野蛮な夷族」とみなし続けてきた。韓国の日本観の根本にあるのは、こうした歴史的・伝統的な意識体験に由来する侮日観なのである。

ying wen men

シナ皇帝の使者を属国朝鮮として迎えた「迎恩門」。日清戦争後の日本が清から独立させると取り壊され、代わって「独立門」が建立された

 道徳的に優れた上の者が、道徳的に劣った下の者を、常に訓育・感化していかなくてはならないという儒教の考えが侮日観を形づくっていて、これが韓国の対日民族優越意識の根本にある。さらに韓国には、自らこそ中華の正統なる継承者であるという小中華主義の誇りから、潜在的なエスノセントリズム(自民族優越主義)がある。

 そのため、対日民族優越意識がいっそう強固になっているといってよい。竹島問題にしても、靖國神社をめぐる問題にしても、慰安婦問題にしても、我々が文化を与えてきた、本来は我々の下に立つべき日本人が、我々を下に見て、我々をばかにしていると、そういう感覚からの反発が第一となっている。

 そもそも民族主義とは、戦後に独立したアジアやアフリカ諸国の民族主義をみても、まずはエスノセントリズムから出発したといえるかと思う。かつての西洋にも、これを拡大した白人優越主義があった。我が民族は他民族に優越する優秀な民族だというエスノセントリズムは、民族国家の出発に際しては多かれ少なかれどこにもあったものだ。それを秘かに思っていようと、常に公言していようと、初期の民族主義成立にはそういう自民族優越主義の要素が不可欠だったと思う。

 しかし韓国の民族主義はそこから一歩も進まない。なぜかというと、民族主義の内容が反日と結びついた反日民族主義だからである。反日なくしては韓国の民族主義が成り立たない。反日の理念を核に国民国家の意識を形成してしまったのが韓国である。こんな国は他に例がない。

 結局のところ、韓国の反日民族主義の根は日本を蔑視してきた歴史にある。日本統治時代への恨みが反日の根拠となっているのではない。日本が韓国を統治したというのは、そういう蔑視すべき民族がもたらした結果であって、日本統治を原因として日本蔑視の反日民族主義が興ったのではないのである。

来日2、3年目にぶつかる壁

 学校教育で身に付いた、反日感情に裏打ちされた反日意識は、成長するに従い、社会的・国民的なコンセンサスとしてあること、韓国人ならば誰もがもつ常識であることを自覚する。異議・異論と一切出会うことがない社会環境で、疑問の余地なく韓国人としての自分のアイデンティティとなっていく。こうして私は、「反日心情・侮日観」と「唯一の正しい歴史認識・反日民族主義」の混合体を強固に抱えもつ、「新世代の韓国人」へと成長していった。

 私は小さい頃から、島から半島へ、半島から世界(欧米)へという志向が人一倍強かった。男尊女卑の強い韓国社会を脱して世界に羽ばたきたかった。そこでアメリカへ留学したいと思ったが、当時の韓国ではアメリカのビザ取得はきわめて困難だった。そのため、まず何人かの親戚も生活する日本へ留学し、日本を足場にアメリカへ渡ろうと思った。三十数年ほど前のことである。

 日本へ留学する数カ月前、たまたま機会があって、韓国のキリスト教教会の関係で、日本の老人ホーム慰問団の一員として初来日を果たした。1982年12月から翌年の1月にかけての短い期間だったが、そのときに私が体験した日本は、韓国にいるときにイメージしていた日本とはまるで違っていた。

 日帝時代を頑迷に反省しない日本人―決して許してはならないと強く思っていた私は、どこへ行っても優しく親切な日本人に触れて、大きく肩透かしをくった感じがした。わずかに触れた日本の生活風習も、私にはとても好感のもてるものだった。

 駆け足での体験とはいえ、滞在した一カ月の間、悪い印象はまったくなかったことは大きなショックだった。きわめて驚くべきことであった。

father of victim

イスラム過激派に拉致・殺害された邦人男性の父親は取材を受け「皆さまにご迷惑をおかけしました」とまず詫びた。この冷静な態度を称賛したり、理解しがたいとしたりする声が韓国で上がった

  私がはじめて知った日本は、そのようにとても印象のよいものだった。反日意識に変わりはないが、「これなら、それほど緊張することなくやっていけそうだ」という感じをもてた。いや、表面だけではわからないぞ、とも思うのだが、帰国した私は気を昂らせながら日本へ渡る留学手続きに奔走した。留学生ビザを手に日本にやって来たのは1983年7月のことだった。

 留学生として、また仕事関係で日本に長期滞在する場合、ほとんどの外国人、とくに韓国人や中国人は、来日1年目はとてもよい印象をもつものである。韓国人には多かれ少なかれ、日本人=未開人、野蛮な人たちというイメージがある。しかし、実際に日本人と付き合ってみると、誰もが親切で、優しくて、思いやりがあって、未開人的な、野蛮人的な日本人はどこにもいないではないか、日本はなんて素晴らしいのか、ということを誰もが感じる。なんといっても、日本は自然が美しい。そして、空気がきれい。しかも、治安がすこぶるよい。

 とくに反日意識が刺激されることもなく、こうした日本の良さを感じながら、最初の一年は楽しく過ごすことができるのが普通だ。

 しかし1年が過ぎて、もう一歩踏み込んだ付き合いをすることになる2年目、3年目になると、多くの韓国人は日本人がさっぱりわからなくなる。価値観が違うし、善悪の考え方も違う、日本人の精神性、メンタリティーがどうにも理解できないことになってしまう。人によって、程度の差はあるけれども、だいたい2年目、3年目で落ち込んでしまう。

 もはや日本人は人間ではないとまで思う人たちもいる。私もそう感じて深刻に落ち込んでしまった。同じ人間なのに、日本人はなぜこうなのか、日本は人間が住む社会ではないとまで私は落ち込んでしまった。日本人は我が国を貶めてきただけに、やはりおかしな人たちだったのだと思うようになっていく。

 実際には、本格的な異文化体験がはじまったということなのだが、異文化ゆえの異質性が、根にある反日意識と結びつき「人間としておかしい」といった感覚的な判断を生じさせてしまうのである。

 その典型を、日本に2年半滞在して韓国に戻った韓国人の女性ジャーナリストに見ることができる。彼女は、帰国して書いた本で「日本に学ぼうという声が高いけれども、日本のような国には絶対学んではいけない」、なぜかといえば、日本人は異常な人たちだからだ、というように書いている(田麗玉「日本はない」、日本語版「悲しい日本人」)。

 どんなことから、彼女は日本人は異常だというのか。たとえば彼女は、「日本人の割り勘は、その場限りで人間関係を清算しようとする冷たい心の現れだ」と書いている。

 ことごとくが、2年目、3年目でぶつかった、異文化ゆえの習慣の違いや価値観の違いに関わることなのである。それが反日意識と結びつくため、すべて日本人の「悪意の現れ」としてしまうのだ。私も2、3年で韓国へ戻っていたら、彼女と同じ考えのままだったと思う。

 そこには、自民族の文化を価値規準にして、他民族の文化、生活習慣、思考様式、行動形態などを、みっともない、不合理だ、間違っている、劣っているなどと否定する傲慢な態度がある。自文化の価値体系こそがどこよりも正当なものであり立派ものだと頭から信じられている。

 その弊害は、自分に都合のよい空想をもって現実を見ようとはしないさまざまな面に現れてくる。

「反日」という「バカの壁」

 韓国の「反日」は「反日心情・侮日観」と「唯一の正しい歴史認識・反日民族主義」の混合体である。そのように完成された一つの固定した考え、揺るぎのない考えである。

 一つの固定した考え、完成された考えにはその先がない、未来がない、そこが終局の地点となっている。だから相手の考えを耳に入れる余地がない。多角的な視点から物事を見て判断することができない。自分のいやな事、知りたくない事、興味のない事を無視しようとする。そういう相手には、いくら誠意をつくして話しても、わかってもらえることがない。なんとしても「話せばわかる」ことにはならないのである。

 ようするに「反日」は一つの硬直した固定観念であり、それが養老孟司氏がいうところの、自分の思考を限界づける「バカの壁」となっているのだ。そのため話が通じないのである。来日2年目、3年目にぶつかる壁が「バカの壁」だとは、誰も容易に気づくことができない。そこで私のように落ち込んだり、「日本人は人間ではない」とまで思うことになってしまうのだ。

bereaved family

大邱地下鉄放火事件で政府高官に食って掛かろうとして取り押さえられる遺族。韓国では事故や事件などで激しく取り乱す遺族が少なくない

 「反日」を脱するとは、この「バカの壁」を超えることにほかならない。簡単にいえば、柔軟に、多角的に、相対的に物事を見て判断する、といったことになるだろうが、これが韓国人には実に苦手なのである。

 たとえば、人は現実社会のなかで、家族関係、友人関係、先輩・後輩関係、集団関係など、さまざまの実際的な人間関係の体験を通して、自分なりの物事への対処の仕方を身につけていく、という考えがある。

 それに対して、人には本来的な人間のあるべき姿があって、これを目標に社会のなかでさまざまな物事を体験することによって、正しい物事への対処の仕方が自分のものになっていく、という考えがある。

 日本人の多くは前者のように考え、韓国人の多くは後者のように考えている。仮に前者を実際主義、後者を理念主義と呼べば、実際主義では「現実的な人間関係」が先にあり、理念主義では「理想的な人間像」が先にある。この「理想的な人間像」が「バカの壁」となっているのが韓国人である。

 また、多くの日本人は、善悪・正邪は相対的なものだという。しかし多くの韓国人にはどんな場合も変わることのない絶対的なものである。だから、善悪・正邪は時々で異なるものだといった日本人は「人間ではない」とまで思えてしまうのだ。

 倫理・道徳も韓国人にとっては相対的なものではない。人間ならば絶対に守らなくてはならない真理である。しかし多くの日本人は、倫理・道徳は大切ではあるけれど、それは「時・場所・場合」によるもので、普遍的にあてはめて説くべきものではない、倫理・道徳を説く理念は立派なものだが、それは第一に優先されるべきものではない、と考えている。韓国人の場合は、「倫理・道徳」は完璧で揺るぎのない「バカの壁」となり、自分自身の心を縛ってしまうのである。

 多数の韓国人が、来日2、3年でぶつかる壁を越えられない。だが、そこをなんとか乗り越えて、5年ぐらい居座っていると、異文化としての日本が見えてくる。だいたいは日本のよさが理解でき、日本が好きになっていく。私もそうだが、そういう韓国人が多いのは確かである。

 それでも「反日」だけは抱え続ける人もいる。そこでは反日意識と親日感が同居する。「公的(理念的・外面的)には反日、私的(実際的・内面的)には親日」というようになっていく。現在のように情報が自由に飛び交い、日韓交流が盛んな時代では、韓国に居ながらにして「公的には反日、私的には親日」という人が大部分といってよい。

 「反日」をひとたび棚上げにしさえすれば、韓国人の誰でも日本人と親密に付き合える。国交という面でいっても、かつての日韓関係でも日中関係でも、できる限りそう処して付き合おうとしていた時代があった。しかし、そのままではやがては限界がくる。現在の最悪ともいえる日韓関係が如実に物語っている。

物事への相対的な視線の大切さ

 知識人であればあるほど、「反日」から抜け出ることが難しいようだが、人それぞれの脱し方があると思う。私の場合を振り返ると、そこには大きく三つの契機があった。

 一つには、来日3年目で最も落ち込んでいた頃、「郷に入れば郷に従え」を徹底的に実践してみようと思い立ったことである。たとえば、日本人好みの渋みある茶碗。「あんなもののどこがそんなにいいのか」と蔑む気持ちがあった。そこで「韓国人好み」をひとまずカッコに入れて、そうした茶碗を次々に買い求めていくことにした。

 そのうち収集が趣味ともなって、大きな楽しみになっていった。習慣・価値観・美意識などを含めて、そうしたことをやっていった。直接「反日」とは関係ないが、先に述べた「日本人は人間としておかしい」という感じ方が崩れていく大きなきっかけとなった。

 二つには、日本人ビジネスマンに韓国語を教え、韓国人ホステスやビジネスマンに日本語を教える語学教師を数年間やったことである。そこでは、否(いや)が応でも日本人からは韓国人との行き違いの悩み、韓国人からは日本人との行き違いの悩みを、さんざんに聞かされるのである。

  韓国人ホステスたちの悩みは、日本人の彼氏との悩みが多く、また結婚している人もいて、彼女たちは日本人家庭での嫁姑の問題で悩んでいる。日本人ビジネスマンの悩みは、会社を背負って韓国に仕事に行ったが、どうにも勝手が違うので交渉事がはかどらない、仕事の手順が合わない、といったものが中心だった。

  聞けば聞くほど、私が悩んでいたことそのままである。嫁姑の問題やビジネスの問題を超えて、そこには共通の日韓の「行き違い問題」が伏在していることを知った。

  韓国人は、自分の行動や思考をよしとする一方で、日本人をおかしな人たちと見ている。それにまったく匹敵する程度で、日本人も同じように韓国人をおかしな人たちと見ている。日本人と韓国人は、実に合わせ鏡のような相互関係にある。いや、あるというよりは、そこへと無意識のうちに落ち込むのである。

  私が美しいと思えないものを、なぜ日本人は美しいと思うのか―。それは私のテーマであり、また私の語学教室の韓国人生徒たちの切実なテーマでもあった。

 韓国人ホステスたちと日本人ビジネスマンたちの時間の都合から、私は主に、昼は韓国人に日本語を、夕方からは日本人に韓国語を教えた。この行ったり来たりが、おそらくは日韓をめぐる物事への相対的な視線を養わせたのではないかと思う。

「反日」からの脱出

  三つには、日韓ビジネスコンサルタント会社でアルバイトをしていた関係で、仕事で韓国とつながりをもつ人たちが行なっていた勉強会に参加したことだった。メンバーは、大企業の幹部社員、弁護士、弁理士など、そうそうたる第一線のビジネスマンたちだった。

  勉強会では、まずはみなでそれぞれ自分の韓国での体験を話す。最初は一様に韓国のよさをほめている。しばらくすると、しだいに韓国の悪口が出はじめ、会のなかごろからはいっせいに韓国と韓国人への猛烈な批判が展開されるようになる。彼らの舌鋒は私の存在にまったく頓着することのない、実に厳しいものだった。もちろん歴史認識の問題についても、領土問題についても、靖國問題についてもである。

  私はしだいに腹が立ってくる。しかし「感情むき出し」といわれる韓国人の弱点はみせまいと、必死にがまんをして、できるだけ冷静に反論するようにしていた。それでも時折、大声を張り上げて反撃することは少なくなかったと思う。

 現在からすればとても信じられないかも知れないが、私が日本にやって来た1980年代当時は、韓国に厳しいことをいう日本人はきわめて少なく、総督府の朝鮮統治についても、韓国の主張と真っ向からぶつかるような議論はそうそう見られなかった。日本の有力紙が、北朝鮮へのシンパシーを記事の中で示すのも珍しいことではなかった。朝鮮半島をめぐる言論環境は、当時と今とでは大きく違っていたのである。

  そうした状況で、知韓派日本人から遠慮会釈もない徹底的な「韓国批判」を突きつけられることなど、あり得ない希有な体験だったと思う。よくあるように、彼らが「日本人は韓国人にひどいことをしたね」とばかりいう人たちだったなら、間違いなく今の私はなかったと思う。

 勉強会を通して、韓国では日本の朝鮮統治を、自民族に固有にふりかかった災難という観点だけでとらえ、人類史的なテーマとして植民地化の問題を追究する姿勢がまったく欠落していることを思い知らされた。欧米の研究者でも、日本の統治をおおむね「善政」とみなしている論者が大部分であることを知った。

Houbun Yamashita

マレー作戦成功でシンガポールの英軍に降伏を促す山下奉文中将(左から3人目)ら。大東亜戦争で多くのアジア諸国が欧米の植民地支配を脱した

 欧米人のなかにすら、日本の戦争を、アジア諸国の植民地からの解放と独立に一定の役割を果たしたと評価する考えがあることを知った。韓国にいた時分の私は、世界にこれほど多様な観点があることなど、思っても見なかったのである。

 この勉強会で私は、「これは真剣勝負なんだ」と自分自身にいい聞かせ、彼らと正面から向き合っていったと思う。その体験を通して、それまでの自分の歴史認識を見直していく方向への道が、しだいに開かれていったのは確かなことだった。

 私の体験はかなり特異かもしれない。しかも三十年を遡る時代のなかでの体験である。それでも「来日2、3年でぶつかる壁」は現在のものでもあり、この壁との激突の内に、反日からの脱出可能性が秘められていることは、示すことができたのではないかと思う。現在の日韓関係がぶつかっているのも、まさしくこれと同じ性質の壁なのである。  お・そんふぁ 1956年韓国済州島生れ。志願して4年間の軍隊生活を送る。昭和58年大東文化大学に留学。平成6年東京外国語大学大学院で修士課程修了。同年から執筆活動を始め、日本で働く韓国人ホステスを取材した『スカートの風』がベストセラーに。新潟産業大学非常勤講師、拓殖大学客員教授を経て同大国際学部教授。『攘夷の韓国 開国の日本』で8年に第5回山本七平賞。日韓関係や韓国の民族性などについて客観的な論評を続ける。現在は日本国籍。客観的な論評が「反韓的だ」と19年以降、韓国から度々入国を拒否されている。『韓国併合への道 完全版』『「見かけ」がすべての韓流』『日本浪漫紀行 風景、歴史、人情に魅せられて』『漢字廃止で韓国に何が起きたか』など著書多数。近著に『「反日韓国」の自壊が始まった』(悟空出版)。  ※別冊正論23号「総復習『日韓併合』」 (日工ムック) より転載

2/17日経ビジネスオンライン 福島香織『「貨幣戦争」中国の本当の敵は誰か 欧米の投機筋? 日本のマイナス金利? それよりも…』について

2/16国連欧州本部(ジュネーブ)で杉山外務審議官が慰安婦問題を説明したことに対し、火病持ちの韓国の反応としては、おとなしかったです。朝日新聞と吉田清治だけを責めたというのがあったのかもしれませんが(米国の圧力があるのかも)。彼らだって馬鹿でないから、事実は何かというのはとっくに知っているはずです。でなければ、韓国の男性は皆、臆病者の烙印を押されます。目の前で家族が銃で脅され拉致されたなら、黙って見ているだけのことはありません。奪回するため抵抗するでしょう。こんな見え透いた嘘を信じるのは阿呆だけです。中韓が事実と違っても、声高に主張するのは日本が簡単に謝り、簡単に金を払うからです。日本人の名誉を置き去りにした戦後の日本人とはいかなる存在か。日教組、左翼メデイアがやってきたことは悪すぎますが、もういくら何でも気が付かないと。

本記事にある「日本の経済の衰退のツケを我が国(中国)の庶民に支払わせる」と言うのは、余りに経済を知らない言葉です。日本がマイナス金利にしたのは、銀行に国債を買わせず融資を促す(投資・消費増)日本国内のインフレ助長策の意味だけです。中国とは関係ありません。また実体経済は良いので、安全資産として円が買われています。中国としては日本へキャピタルフライトされては困るとの思いでしょうが、何でもすぐ人のせいにしたがる民族です。もし、日本のマイナス金利が困ると言うなら、中国もすれば良い。通貨安戦争に入れば良いでしょう。元が暴落し、25兆$もある国全体の債務が益々重くなるだけです。逆に今中国は元の暴落前に、海外企業の買収を進めています。ただ、デフォルトを起こせばその資産もハゲタカに買い叩かれるのでは。

本記事を読みますと、中国は岩井克人教授の話(1/3日経)にあったように、基軸通貨(key currency)と強い通貨(hard currency)の違いが分かっていないようです。岩井教授は「国際通貨の議論が混乱しているのは、基軸通貨と強い通貨とが混同されてきたからだ。円も人民元もユーロも強い通貨である。強い通貨とは、一国の経済力を背景として、その国との貿易や資本取引で使われる通貨のことだ」 「全くカテゴリーが異なるのが基軸通貨だ。ドルが基軸通貨であるとは、韓国がチリと貿易するときにドルを使い、チリがインドと資本取引をするときにドルを使うように、米国以外の国同士の決済にドルが使われるということだ」「2008年のリーマン・ショックの時、中国はドルの覇権に異議を唱え、人民元の基軸通貨化を目指してきた。だが、強い通貨と基軸通貨とを混同している。いくら一国の経済規模が大きくなっても、その通貨がそのまま基軸通貨になるわけではない」「基軸通貨は何らかのビッグバンがなければ生まれない。米経済は19世紀後半から最強だったが、基軸通貨国は長らく英国だった。第2次大戦という大きなショックが、ようやくドルを基軸通貨に押し上げたのだ。その後、米経済のシェアは落ち、ベトナム戦争のとき、米政府は基軸通貨の座から降りようとしたこともある。ところが貨幣の自己循環論法が働き、米以外の国はドルを基軸通貨として使い続けた。ドル危機が繰り返し叫ばれても、いまだに基軸通貨のままだ」と言っています。

中国人は「白髪三千丈」の世界に住み、大言壮語、スローガンを打ち立てるのは得意ですが、儒教の影響かどうか、実務には疎いです。人民元による「一帯一路」政策が世界を救うことはなく、中国の過剰在庫、過剰労働力解消のためだけでしょう。よくもまあ、恥を知らずこんなことが言えるものだと。面の皮が厚すぎます。そうでなければ中国社会では殺されかねないのでしょうが。

米国の利上げも人民元の暴落の誘因になるため嫌がっているのが見え見えです。オバマが軍事力行使忌避の姿勢であるのなら、経済で中国を崩壊させるようイエレンは整斉と利上げをすべきです。

記事

 中国で最近の経済系ホットワードは「貨幣戦争」ではないだろうか。中国人民銀行総裁の周小川が外貨準備高を“弾薬”にして、人民元の空売り攻勢を仕掛けようとする外国投機筋を迎え撃つ姿勢を示したため、2月15日には人民元はここ10年余りで最大の上昇幅を記録したとか。2月以降の中国メディアの記事も「貨幣戦争」というワードが散見され、金融政策の“軍事化”というか、妙に勇ましい論調が多い。確かに軍事と金融こそが、国家の具体的“力”であり、その力を外国と争うという意味で、これは戦いだ。では、中国の敵は誰なのか、勝者は誰になるのだろうか。

欧米主要金融勢力集団の陰謀?

 中国で「貨幣戦争」と言えば、2006年からベストセラーになった宋鴻浜の著書シリーズを思い出す。日本でも翻訳されているので、ご存知の方も多いだろう。彼は、米国のリーマンショックなどの予想を的中させ、米ビジネスウィーク誌が選ぶ中国で最も影響力のある40人(2009年)の一人にも選ばれた。

 彼の描く「貨幣戦争」とは、有り体に言ってしまえば、欧米国際金融陰謀論だ。中国にとっての敵は欧米主要金融勢力集団となる。彼の著書『ロスチャイルド、通貨強奪の歴史とそのシナリオ 影の支配者たちがアジアを狙う』(武田ランダムハウスジャパン)では、彼らが将来的に中国に攻撃を仕掛ける手法についても予測していた。

 国家の辺境は陸の境、海の境、空(宇宙)の境のほかに金融の境があり、いずれの境の防衛も大事だが、中でも金融の境を攻撃され崩されれば、政権は必ず倒れる。清の滅亡は、英国金融資本の攻撃によって、中国の銀本位制が崩されたからだ、という。領土領空を守るように、金融の国境を守れなければ、いかに富国強兵をやろうとも工業が盛んになろうとも、国家は亡びるのだ。

 そして、宋鴻浜の予言通り、いよいよ今年、通貨戦争の狼煙が上がった、ということになる。

 中国メディアの報道ぶりをみれば、その先陣を切ったのが、安倍政権による「マイナス金利」ということになる。財経誌は「日本のマイナス金利ブラックスワンが中国を狙い撃ち 北京はきらめく剣でもって貨幣戦を迎え撃つ」という見出しの記事で、次のように報じている。

日銀「マイナス金利」政策が先陣?

 「日銀のマイナス金利政策はFBRの利上げを受けた国内経済刺激策である。…欧州中央銀行もおそらく、刺激策を強化してくるだろう。米国の金利政策と日本、欧州の本道に外れた行動は、報酬率が比較的高い米国資産に投資家を殺到させ、ドルのさらなる利上げ圧となっている。

 このため、米国のインフレを抑えようとする圧力がさらに進み2012年以来、米インフレ率はFRBの目標の2%に到達していない。

 我が国は実業資本の豊富な国家である。世紀の金融大決戦はすでに幕が切って落とされた。金融投機資金はすでに飢餓に耐えがたく、必ずや最後の賭けに出て、我が国に対して最大の努力をもって攻撃を発動するだろう。そして我が国を貨幣投機の天国、実業資本の地獄にするつもりなのだ」

 「(マイナス金利によって)日本経済が良くなれば、グローバル経済にとっても、中国経済にとっても当然、促進作用がある。しかし、中国商品が日本商品と競争するとき、その競争力は下降する。円のマイナス金利は短期的には我が国の株式市場を刺激するかもしれないが、長期的には我が国の経済にとって不利な一面があり、日本の経済の衰退のツケを我が国の庶民に支払わせることと同じである。

 我が国としては、日本の貨幣政策の過剰な緩和がもたらす影響を無視できない。これは“近隣窮乏化政策”であり、日銀のこの“大放水”政策の最大の影響を受けるのは隣国である。…

 華林証券策略アナリストの胡宇は、円のマイナス金利時代は、貨幣戦争の開始を意味する、という。…グローバル経済とっては、通貨切り下げ競争という負のスパイラルが激化し、株式市場にとって表面上よいニュースであっても、実際上の意味は経済の展望に対する不安を一層深めるものであり、短期的に反発があっても今後さらに下がっていくだろう、と分析する。

 我が国はどうすればよいのか。もし金融緩和政策と人民元切り下げによって、グローバル実業資本争奪戦に参戦していけば、米国資本の乗っ取り計画は無に帰し、金融投機資本は十分な栄養を見いだせず、再度金融危機が起きるだろう。現在のグローバル金融の反応はこのような心配を反映している。

 我が国はあえて“きらめく剣”をもって、“手段を選ばずに潰しにくる攻撃者”を迎え打つと同時に、伝統産業の併合を加速して生産過剰が金融リスクをもたらす原因を解消せねばならないのである。将来、我が国の為替政策は国内経済の需要に応じてスタートするべきで、人民元が順調にSDR貨幣バスケットに加入することはもとより重要だが、もし、本当に最後の手段が必要になれば、放棄すべきは放棄し、先延ばしすべきことは先延ばしすべきだろう」。

日本のマイナス金利の中国経済に対する影響はそんなに大きくない、という見立てもあるのだが、最近の中国はどうも安倍政権のやることなすこと中国に敵意があるとみなしがちである。だが、中国としては、外国投機筋から人民元を守るべく為替介入していくつもりであり、そのために、SDR加入の延期も辞さない覚悟も見せている。

ソロスの空売り攻勢か?

 チャイナデイリー(2月1日付)の「貨幣戦争?人民元が勝つ!」というタイトルの商務部国際貿易経済合作研究院研究員・梅新育の論文も話題を呼んだ。

 「2016年、ソロスは“貨幣戦争”発動を宣言し、人民元を含むアジア貨幣に空売りを仕掛けた。…ソロスの人民元に対する挑戦は成功不可能だ。2015年から人民元は対米ドル貨幣価値が下落し、中国経済の成長率は減速、株式市場は不安定だ。だが、グローバル経済総体があまりよくない状況で、中国は依然良好なファンダメンタルズを維持している。…確かに2015年中から、人民元の小幅な下落は続いているが、20年来、米ドル為替率は安定を維持し、むしろ上昇の趨勢にあった。

 大幅な人民元上昇の後、(現状のように)適度に切り下がるのは自然なことだ。中国は世界第二の経済体であり、人民元は永遠にドルにペッグされることは不可能でもある。

 国際社会での資本の流動性は非常に高く、この状況下で、中国が貨幣政策の独立性を維持したいと考えれば、人民元は正常な変動が望まれる。投資家たちは早晩、状況の趨勢が分かるようになり、この数か月前からの人民元の不安定さを再演することはないだろう。これは投資家たちの過剰な反応なのだ。…

 長期的に見れば、ドルは新興国通貨に対する強硬姿勢を維持していくだろうが、人民元は別である。目下、中国の貿易黒字は続いており、これからも継続していく。米国経済はすでに深みにはまっている。経済成長と異なる産業の盛衰には因果関係があり、同時に実体経済の基礎計画の一部である再工業化戦略を地固めするのは、かなり難しい。

 米国経済が回復したとしても、その貨物貿易状況は悪化しているだろう。…60年代以来、何度かドル危機は起きたが、悪化し続ける貿易状況と経常収支状況と財政赤字がドルの自信を打ち砕いてきた。最近のドルの人民元に対する強気の姿勢は、最終的には“トリフィンのジレンマ”に陥るだろう。

 ソロスのアジア貨幣戦争勃発を別の角度から見れば、中国にとっては一つのチャンスだ。つまり、中国とその他アジア各国の金融・財政領域および、中国が発起した“一帯一路”戦略の協力を進化させる契機となる。…中国とその他アジア新興経済体との金融領域の協力、協調はさらに強化されることだろう」

 「トリフィンのジレンマ」とはエール大学のロバート・トリフィン教授が1961年に唱えた説で、「米ドルが国際的な準備通貨であるためには、諸外国がドルの外貨準備を保有できるよう、米国は余剰流動性を供給しなければならない。このため、米国は経常赤字を容認しなければならないが、これは米ドルの信認を揺らがせかねない。だが、米国が米ドルの信認を保つために経常収支を均衡させてしまうと、国際市場へのドルの流動性供給が滞り、結果的に米ドルが準備通貨の役割を果たせなくなってしまう」というブレトンウッズ体制の抱える矛盾を指摘している。

 梅新育の論はドルの国際通貨時代の終焉に代わり、人民元が「一帯一路」戦略を通じて国際通貨にのし上がるという、中国の野望を表現したものだといえる。

最後に新浪財経の「人民元が最後に世界を救う責任を担う!」という記事。

人民元には「世界を救う重責」?

 「中国人民銀行金融研究所長の姚余棟は、米ドル利上げ後、グローバル経済の流動性が緊縮し人民元が世界を救う重責を担う情勢となった、と指摘する。…

 歴史上、我が国の北宋時代は経済が繁栄していた。それは白銀と銅の交換率が上昇するとの予測があったからだ。このため多くの白銀を備蓄したが、結果、流動性が不足し、デフレとなった。同じことが、白銀が米ドルとなって現在起こっている。姚余棟はこの例をひいて、ドルの利上げはドル不足をもたらし、グローバル経済の流動性不足を激化させる、と警告。

 ドル利上げによる資本流出は中国において非常に巨大で、12月の外貨準備は3.33兆ドル、前月比1079億ドルも減少する。これは史上最大の単月下げ幅を記録。2015年通年で、中国は累計5126.6億ドルも外貨準備を減らした。さらに3000億ドルの貿易黒字を考慮すると、2015年の中国の資本流出は8000億ドルを超える。これは全体的に言って憂慮すべき数字だ。

 マクロ的データの表層での情緒はすでに一般の個人投資家に伝播し、上海、深圳の銀行では大勢の人が群がり、かつての中国版ミセスワタナベたちはドルへの兌換に詰めかける新勢力となって、人民元為替レートの将来を不安がる人心は、すでに一種のパニック的ムードを形成している。…

 姚余棟によれば、中国が単なる製造業国家であり、貨幣が国際通貨でなければ、人民元は長期的に下げ圧力にさらされる。しかし、去年、人民元はすでにSDR入りを認められ、局面はすでに変化している。もはや中国は単なる製造業国家ではない。グローバル経済の流動性を強化するため、人民元は世界を救う重責を担わねばならないのだ。人民元が流動性を補えば、来るべき冬はさほど寒くはないだろう。…

 人民元が世界を救うには二つの前提がある。一つは、実際に人民元が国際化すること。二つに、人民元が兌換できる通貨バスケット通貨の相対的な安定だ。中央銀行はすでに同様の思考を明らかにしている。中央銀行研究局首席エコノミストの家馬駿は、『人民元レートの形成メカニズムはすでにドルにペッグされていない。完全な自由変動制ではないが、バスケット通貨の影響力は増しており、バスケットレートの安定を保持するようになっている。これが、将来的な人民元レート形成メカニズムの基調となる。この種のメカニズムを実施すれば、人民元のバスケット通貨レートに対する安定性が増し、人民元の米ドルに対する双方向の変動は一層大きくなるだろう』。…

 李稲葵(清華大学世界経済研究センター主任)によれば、ドルが回流し、人民元が国際通貨となれば、長期的にはむしろ人民元価値は上昇するという。いわく、人民元の下落は長期的には続かない。国外のマーケットは中国への空売りを唱え、また中国政府が通貨切り下げの方法で経済を救済しようとしているとも言うが、これはマーケットが煽る人民元下落予測に過ぎない。国内マーケットの場合、これは大衆のパニックが元の下落を引き起こしているのであって、目下の経済調整に非常に有害である。

 だが、フリーのエコノミスト、呉裕彬は李稲葵らに反対の観点から次のように語る。『目下の外貨準備資産の流出は5500億ドル。おそらく今年の8月ごろ、外貨準備資産は底をつく。この時、為替市場の伏兵が四方から立ち上がり、中央銀行は“兵”を調達することができず、人民元レートはただ自由落下運動の状態になるだろう』。…」

このほか、論評はいろいろあるのだが、総体的にまとめれば、中国政府の目下の貨幣戦争における戦術は、とりあえず3.3兆もの“弾薬”を使って、宋鴻浜の言うところの欧米国際金融勢力を撃退することから始まるようだ。然る後に中国経済の都合に合わせて事実上の対ドルペッグから変動為替制に移行していく。中国の国際収支状況は良好で、国際競争力も依然強いのだから、長期的に見ればむしろ上昇するはず、そうしたらドルに代わって世界金融の救世主になるのは人民元だ、という極めて希望的シナリオを描いている。

改革を断行する勇気は?

 しかしながら呉裕彬の予測のように“弾薬”が8月に尽きるという予測もある。そもそも、外貨準備を使っての人民元防衛は戦術的に誤りだという指摘もある、と仄聞している。人民元が国際通貨入りを目指すならば、早々に変動為替制に移行すべきで、それによって習近平政権が強引に2割も上げた人民元が2、3割下がるのは必要な洗礼だろう。それよりも遅々として進まぬ国有企業改革や生産調整の大ナタを振るう方が先ではないか、と。どうも、戦術的に戦略的にも、中国内部で方針が絞り切れていないような話もある。

 「通貨戦争」の狼煙は確かに上がっているようだが、中国の真の敵は、外国投機筋でも、日本のマイナス金利でもなく、痛みに耐え抜いて改革を断行する自らの勇気のなさの中にあるのかもしれない。