『「良心的知識人」の相次ぐ自殺が示す中国の混沌 もはや「うつ病による自殺」では覆い隠せない』(7/13 日経ビジネスオンライン 福島香織)について

習近平による第二次文化大革命orその前に起きた百花斉放・百家争鳴後の反右派闘争が行われているということでしょうか?文革時に入水自殺した老舎を思い出させます。毛沢東時代より悪くなっているのは、権銭交易で格差が極端に開いたことです。少なくとも毛時代は平等に貧しかった時代です。造反有理の紅衛兵の狂気の時代ではありましたが。

「双規」で追い込まれるというのは、人民解放軍と同じく党の機関が上という事です。中国大陸は中国共産党に乗っ取られたという事です。共産主義は人類を不幸にするシステムです。基本的人権である自由が認められません。知識人が自由に発言することが許されません。権力者に阿ることが要請されます。日本のリベラル知識人はどこまで分かっているのでしょう。以前柏で池内紀の講演を聞きましたが、開口一番「自分は反体制派」と言って一発で興ざめになりました。東大の教授は権力者に阿るのではなく、時流に阿ているのではと感じました。我が身を常に安全地帯に置いて、政府を批判するだけ。こういうタイプは戦前戦中に生きれば軍部に対して何も発言しなかったでしょう。自由を守るための戦いなんてしないと思います。所詮は処世術のうまい輩でしょう。他国を侵略する中国非難の声を上げているなんていうことは聞きません。

http://kinbricksnow.com/archives/51862787.html

今回の参院選で共産党の議席が伸びたのも深く考えずに投票しているのではという気がします。「人殺し予算」発言で当初予測された議席ほどには伸びませんでしたが。先進国で暴力革命を容認している共産党が議席を持つことはありません。容共GHQの洗脳の呪縛がまだ続いているという事でしょう。

記事

 顔見知りの人の不審な死というのは、心をざわつかせる。それも立て続けとなると、気になってしかたない。

 共産党理論誌「求是」の朱鉄志・副編集長が6月25日に自殺した。求是編集部の地下にある駐車場で首をつったという。会合の場でお会いしたことがある。私が新聞社をやめた翌年の春節、フリーランスになった旨を知らせる言葉をそえて春節カードを送ったら、「どこでお会いしましたか。覚えていないのだが」と、返事を添えたカードが返ってきた。律儀な人であった。うつ病の気があったと言われていた。

 その前の6月18日、元外交官の呉建民氏が湖北省武漢で午前4時、交通事故で死亡したのも衝撃を受けた。武漢大学での講義のための移動中、中央分離帯に衝突、同乗の教授も死亡し、運転手は負傷した。原因は運転手の睡眠不足、疲労による運転ミスだといわれている。

 お二方とも特に親しいわけではないが、北京駐在記者時代には一度となくお会いし、名刺を交わした。比較的、外国人記者に受けのよい、開明派の知識人である。そういう改革派、開明派の知識人の死というのが、結構最近多いような気がする。そう思いはじめると、本当に自殺なのか事故死なのか、気になってくる。

開明派の渾身のヨイショ原稿

 朱鉄志について、簡単に紹介したい。

 1960年吉林省通化生まれ。北京大学哲学科を卒業し、随筆家・雑文家として、また「紅旗」や「求是」など共産党中央誌で編集者として、活躍した。その筆致はユーモアと思索に富み、魯迅文学賞も受賞したことがある。もちろん優秀な党員である。

 思想的には開明派、改革派であるが、習近平政権になってからは2014年8月12日に「習近平総書記に文風(文学スタイル)を学ぶ」と題した、渾身の習近平ヨイショ原稿なども寄稿している。私が記者として駐在していた当時の原稿と比べると“らしくない”ものが多かった気がする。彼は、「紅旗」記者時代、左傾思想、毛沢東主義を批判してきた雑文の大家、牧恵の薫陶を受け、少なくとも習近平政権前は、党の封建主義的な部分を批判していたし、改革開放と自由を重視していた。

 自殺の約10日前の6月16日、北京市雑文学会と検察日報が北京で主催したネット時代の雑文創作についてのシンポジウムの席で、朱鉄志は「雑文にいかに“党性”を表現させるか」というテーマについて、次のように語っていたそうだ。

 「党刊(党の刊行物)に身を置くからと言って真理の化身を代表するわけではない。…やはり民衆の中に深く入っていき、民衆の視点からの観点で、党性と人民性を有機的に統一させねばならない」

「注意しなければ転げ落ちてしまう」

 この言葉の真意についてはいろいろ考えられるが、党の世論に対するコントロールの厳格化に対しての不満を漏らした発言ともとられる。今の党は人民性を持っておらず、人民を上から押さえつける存在でしかない、と。このとき「雑文を書くのは高層ビルの建築現場で作業するようなもの。安全に注意しなければ、足場から転げ落ちてしまう」といった意味深な発言をしていた、と一部メディアは伝える。またいくつかの会合で「知識分子として最も恐ろしいことは独立した人格、独立した見解、独立した表現の欠如だ」といった発言も繰り返していたそうだ。

 自殺した日時は錯綜しているが、25日らしい。「求是」編集部のあるビルの地下駐車場で首つり自殺をした。日中、彼は編集部に姿を見せず夜9時ぐらいにやってきた。日付を超えてから、地下の駐車場で首をつっているのが発見された。

 この件を最初に報じたのは、友人で作家の劉緒義によるSNS(微博)上での発信だが、すぐにこの発言は削除された。つぎに財経ネットが「朱鉄志が自殺」と報じ原因を「うつ病」「理念と現実のギャップ」などとする友人の証言を紹介したが、すぐに削除された。

 人民日報ネットは26日、「6月25日未明、不幸にもこの世を去った」と報じた。自殺とは書いてなかったが、「全国各界の雑文学会、雑文家たちが次々と驚きと沈痛を表明している」と書き、不正常なものであることをほのめかしていた。

 朱鉄志の死の原因についてはさまざまな憶測も呼んだ。

 一般にはうつ病による自殺説が主流だが、その背景として朱鉄志に精神的抑圧を与えた政治事件が疑われている。根拠は先にあげた生前の彼の発言や、習近平政権以降に増えた習近平におもねる文章の多さ。書きたいことを書けず、自分の心に染まぬものを書かねばならないことに苦しんでいたのではないか。4年前に人民日報副刊の編集長である徐懐謙がうつ病で自殺したとき、朱鉄志は自分もうつ病であり、最近、すこし症状が改善した、と語っていたといった知人の証言も報じられている。習近平政権になって、個人の理念と、現実の乖離が彼を苦しめたのだ、という説が有力である。

 また、最近、無期懲役の一審判決を受けた胡錦濤の側近の官僚政治家、元中央統一戦線部長の令計画の事件と関係あるのではないか、という説もある。

 令計画は2014年、汚職容疑で失脚して取り調べを受けていたが、その直前、「求是」誌上に令計画の寄稿文が掲載されていた。「党の喉舌」とされる中央誌で失脚寸前の令計画の寄稿が掲載された背景がいろいろと疑われ、2015年に「求是」は中央規律検査委巡視隊の立ち入り検査を受けている。

 このとき、「個別の文章の掲載が政治的にコントロールできておらず、漏れがある。同時に原稿の掲載において“人間関係問題”がある」と指摘されていた。当時の求是総編集長の李宝善は令計画と同郷の山西省出身者であり、朱鉄志と李宝善の関係も深かったので、令計画の原稿掲載に朱鉄志もかかわっていると疑われていた。党の意向ではなく、人間関係からくる義理人情を優先して、令計画の寄稿を掲載したことで、中央規律検査委から責められ心理的圧力を受けていたことが、“うつ病”を悪化させたのではないか、とも言われている。

いずれも「うつ病による自殺」

 ただ、こうした事件を、うつ病による自殺の一言で片づけてよいのだろうか。

 というのも、近年、知識人の不正常な死はあまりに多いのだ。朱鉄志の死とも関係あるのでは、と噂されている2012年8月22日の徐懐謙の自殺。彼は人民日報副刊「大地」の編集長で、北京大学卒、社会科学研究院文学修士をおさめ、文人エリート街道を順調に進んできた。44歳の彼が午後2時、自宅から飛び降り、死亡した。これも当時、原因はうつ病と報じられた。2014年8月28日、ジョージ・オーウェルの「1984」やサリンジャーの「ライ麦畑で捕まえて」などの訳書がある広州の翻訳家の孫仲旭は41歳の若さで自殺した。中国翻訳界の大損失と嘆かれたが、彼の死因も「うつ病」の一言で片づけられた。

 今年2月19日、上海華東師範大学政治学部講師の江緒林が首つり自殺した。彼は天安門事件のとき、北京大学研究生(哲学)であり、天安門事件を紀念したことで逮捕された過去もある。死ぬ前に手書きの遺書の写真を微博にアップしていた。内容は財産を姉に譲渡することなど自分の死後の処理に対する願いと、キリスト教徒である自分が自殺することの後悔、そして「(死ぬのが)怖いので白酒を飲もう」という一文で締めくくられていた。思想的に現在の政治環境に耐えられず、また過去の逮捕歴などがあり、学内の仕事においても抑圧を受けていたのではないか、と噂されていた。

「史学の奇才」の呼び名も高かった天才高校生・林嘉文は今年2月23日に自殺した。1998年生まれ、陝西省西安高校の現役高校生でありながら、数十万字の学術著作の執筆を続け、「当道家統治中国」「憂楽為天下」といった漢時代や北宋時代の政治思想に関する著書を立て続けに出版し、学会からは新中国建国以来、最年少学者の登場、と期待を寄せられていた。だが彼は18歳の若さで飛び降り自殺した。うつ病が原因とされている。

悲しみと絶望から抜け出せない

 開明派知識人の論文寄稿ネットメディア・共識網では、朱氏の友人でもある梁河東がこんな文章を寄稿している。

 「…年初、上海華東師範大学の江緒林が亡くなった。林嘉文も逝った。他にも学界文化界のエリートが自殺している。…このように多くの中国の知識分子が不帰路の選択をしていることを私は深く認識している。朱鉄志が死んだことは、彼の職務と役割を考えれば、驚くべきことだろう。彼には才能と名誉があり、まったく惜しまれる。しかし、あまたの文化人の自殺の中で、彼もその一人に過ぎない。

 現在、我々は朱鉄志がなぜ自死したのかを問わねばならない。うつ病だったというのが最も都合のよい解釈だろうが、しかし理由は別にある。

 我々の伝統文化のDNAには一種の悲しみと絶望があるのだ。この種の悲しみと絶望に知識人たちは体も魂も浸りきり、自力で抜け出すことができない。

 最も有名な(知識人の)自殺者は戦国末期のロマン主義詩人・屈原だろう。愛国においても、自殺においても彼はリーダーであった。屈原は楚国が秦国に滅ぼされることを予測し、その結果を受け入れがたく、汨羅江に身を投げた。彼は王朝のために死に、究極の理想とともに心中したのだ」

 サウスチャイナモーニングポストなど香港メディアが報じたところによると、習近平政権時代に自殺など不審死を遂げた官僚が120人以上という。官僚とは、大学を出て、体制内で公務員として働く体制内知識人の総称とすれば、これも知識人の自殺増加の根拠といえるだろう。

 官僚の“不正常死”は2003年から2012年の胡錦濤政権時代は68件あったが、これと比べると実に倍近くということになる。

 理由は習近平政権の反腐敗キャンペーンとみられている。苛烈な取り調べを受けている過程で、精神的に追い詰められため、あるいは同僚や家族を守るために“自殺”を選択せざるを得ない場合があるのだという。ちなみに中国の官僚システムにおいて、まったく汚職をせずに済む官僚、党員はいないといって過言ではない。そして、彼らの汚職が暴かれ、追及されるのは、公平な法の裁きによるものではなく、習近平政権にどのくらい疎まれているか否か、という物差しで行われる。

 2015年8月に中国人民最高検察院名義で「八項目の禁令」(贅沢禁止など、共産党員の綱紀粛正命令)を発布した。このあと官僚、党員の自殺者が急増している。だが、綱紀粛正と官僚・党員の自殺者の急増には因果関係は証明されていない。なぜなら、公式には原因は「うつ病」だからだ。

 「ボイスオブアメリカ(VOA)」が、この件について、米国に拠点をおく華字メディア・米明鏡集団総裁の何蘋の興味深いコメントをとっている。

 「法医調査も何もないので、彼らが一体どのように亡くなったかは、我々にはわからない。一般に中国の官僚の死はみな、うつ病と処理される。うつ病で死ねば、死後に調査されず、メンツも失わないで済む。家に汚職で築いた財産があっても、うつ病では追及されない。…真相を隠蔽するのは中国共産党の一貫したやり方で、彼らの本当の死因を知る方法はない。いろいろな噂が流れるだけだ」

 多くの自殺者、あるいは交通事故など不審な死の中には、自殺もあるだろうし、ひょっとすれば謀殺もあるかもしれない。だが、その原因は「うつ病」「不幸な事故」の一言で済ませていいものではない。

知識人の死は、中国の死だ

 過去、知識人や官僚の間で大量自殺があったのは、文化大革命の迫害時代であった。習近平政権下では、文化大革命時代ほどあからさまではないにしろ、同じような“迫害”がひたひたと彼らに押し寄せているということではないだろうか。

 一党独裁体制の中国共産党が体制外の知識分子を国家扇動罪、国家分裂分罪のレッテルを張って迫害することは今に始まったことではないが、体制内の良心的知識人への迫害がここにきて急加速していると、私は感じている。これはゆゆしきことだ。体制外にも体制内にも、今の中国の行方を真剣に考え、道を過たぬよう世論を喚起する良心も知性も失われてしまうということだ。

 迫害に抵抗するものは失脚させられ、あるいは謀殺され、命を惜しむものは良心を失い惨状を見ないふりをして、物言わず、サボタージュを決め込む。抵抗するほど強くもなく、サボタージュするには責任感の強すぎる、善良な知性をもつ官僚や党員が死に追いやられる。

 肉体の死にしても、口と目を閉ざす魂の死にしても、知識人の死は、中国の死だ。彼らが死の急増に、中国は再び混乱と停滞の時代に突入するという予感がしてならない。

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