『怒りが生んだ英EU離脱 自由主義再構築へ結束を』(7/5日経 The Economist)について

世界が分断されてしまったように見えるのは、自由主義の行き過ぎが齎した結果なのでは。自由は大切な理念ではありますが、徳を持たない人達が勝手に自由を主張すれば放縦になります。「営業の自由」で言えば、弱肉強食・強欲そのものとなります。それでは健全な競争環境ができなくなります。「格差」も契約自由の原則から派生します。経営者が利益の極大化を目指し、自己の能力の過大評価があれば「格差」は広がっていきます。『代表的日本人』(内村鑑三著)の中で、上杉鷹山について次のように書いています。米沢藩主になった時に、守護神である春日神社に誓約文を送りました。「1.学問と武術の修練を怠らないこと。2.民の父母となることを第一とすること。3.日夜、次の言葉を忘れないこと。贅沢なければ危険なし。施して浪費する勿れ。4.言行不一致、不正、不実、不作法をしないように注意すること。」。関ケ原後の移封により、領地を減らされ、行財政改革待ったなしとなりました。まず自分の俸給を減らし、藩財政を倹約して借金返済に充て、適材適所の人事や、平時に侍も農民として働かせ、漆植林、養蚕、鰻の養殖、灌漑設備構築、社会改革としての伍什組合設立等、単なるリストラだけでなく、新規産業を興隆させたところに素晴らしさがあると思います。封建時代は悪い時代と左翼は見ますが、歴史の発展段階の一つです。でも封建時代があったのは欧州と日本だけとも言われていますが。上杉鷹山はケネデイの就任演説に影響を与えたほどの名君です。日本の新自由主義者と言われる竹中平蔵との違いは歴然です。

歴史は離合集散の繰り返しでは。今までは統合に向かっていましたが、これからは分散の方向にいくのではないのでしょうか。英国のEU離脱がその嚆矢となるような気がします。大きく捉えればナショナリズムとグローバリズム(国際金融資本の目標とする考え)の争いと見ることもできます。国民国家が出来たのはナポレオン戦争後と言われていますが、国家に対する愛着はそれぞれの国民が持っています。台湾人は、昔は中国人と考える人も多かったですが、今や外省人も2世、3世の時代となり、「台湾就是台湾」と考える人が多くなりました。分散の方向という観点で言えば、チベット、ウイグル、内蒙古は独立させるべきでしょう。

英国のEU離脱はグレイトブリテンの崩壊、EU崩壊の始まりとなるのでは。これが左翼に乗っ取られている国連にどう影響していくのか。それと安全保障の面でどう影響するかです。安全保障は統合・結束する形となるような気がします。NATOは米国主導なので結束は変わらないと思いますが、トランプが大統領になれば負担金アップを他国に要求するだけでしょう。アジアでも各国の独立は保証しながら、米国を中心に中国包囲網を形成し、準同盟国の形になると思います。

本記事にあります、移民については反対です。情報・金・物の移動は利便性向上の観点から言って賛成しますが、人には感情があります。育った環境・文化・伝統の違いがあります。自国で平和的・豊かに暮らす道を考えさせることを優先すべきです。多文化共生と言う言葉も胡散臭く如何わしいと感じます。在日の問題も、日本人に同化しないのであれば祖国に帰るべきと思っています。

記事

英国の欧州連合(EU)からの離脱を唱えた人々は楽観論に基づいた運動を展開し、EUの外に出て世界へ自由に門戸を開こうと訴えた。だが、離脱派に勝利をもたらしたのは人々の怒りだった。

 怒りは衰退が進む英国の街で離脱派を勝利に導いた。世論調査によれば、移民、グローバル化、社会自由主義、さらには男女同権論に対する怒りまでもが、EUを拒絶する投票行動につながった。あたかも勝利で憎悪を広めてもいいというお墨付きが与えられたかのように、英国ではその後、外国人への差別的暴言など憎悪犯罪が増えている。

■ソ連崩壊開始が危機の始まり

Soviet & West German

ゴルバチョフ氏(中央)がまだソ連を率いていた1989年に自由主義の危機が始まった=ロイター

 米国では大統領選の共和党候補のトランプ氏が、フランスでは極右政党「国民戦線」のルペン党首がそれぞれ支持を集めるなど、西側諸国では至るところで多くの人々の激しい怒りが渦巻いている。怒れる市民は主流派の中に代弁者がいなければ、新興勢力を通じ自分たちの声を届けようとする。彼らが世界秩序は自分たちのためになると考えない限り、英国のEU離脱はグローバル化とそれがもたらした繁栄が崩壊する第一歩となるかもしれない。

 自由主義、特に市場経済を重視する英国人が意味する自由主義の危機は、ソ連が崩壊に向かい出した1989年に始まった。当時、米政治学者のフランシス・フクヤマ氏は、もはや社会を組織する手段としての民主主義や市場経済、グローバルな協力関係に対抗するイデオロギーがなくなったという意味で「歴史の終わり」を宣言した。これは自由主義が大勝利を収めた瞬間だった。だが、同時にエリートが支配する官僚政治を生み出した。それから四半世紀、大半の人は豊かになったが、その波に乗れず取り残されたと感じる有権者も多い。

 彼らの怒りはもっともだ。本誌エコノミストを含むグローバル化の支持者らは、官僚が間違いを犯し、市民がそのツケを払ったことを認めなければならない。欠陥を抱えた欧州単一通貨の導入は、典型的なエリート官僚によるプロジェクトで、経済の停滞と失業、EU加盟国間の分裂を招いた。複雑に作られた金融商品は規制の抜け穴を突き、世界金融危機の引き金を引いた。それは経済を混乱させ、税金による銀行救済とその後の緊縮財政につながった。

 グローバル化が極めて有益だったときでさえ、政策立案者は敗者を助けるために十分な手を打ってこなかった。中国との貿易は何億人もの人々を貧困から救い出し、西側諸国の消費者に莫大な利益をもたらした。しかし中国の台頭で仕事を失った先進国の工場労働者の多くは、適正な報酬を得られる再就職先を見つけられていない。

 政治家はグローバル化の恩恵を広く配分する代わりに、他のことに関心を向けてしまった。左派は人種や環境、人権、性を巡る様々な権利の確立といった問題に力を入れた。右派は実力主義に基づき自ら道を切り開くよう説いたが、その機会を全員には与えられなかった。そのため、産業城下町を支えてきた家族や国への帰属意識が強かった人々は次第に疎外感を味わい、町の衰退に苦しんだ。政治家の根拠のない主張をあおるだけのメディアを見て、人々は裏切られたという思いを一層強めた。

これほど顕著ではないが、自由主義の知的基盤もないがしろにされている。トランプ氏は6月28日、「国の支配権を取り戻そう」と英離脱派の言葉をそのまま使い、米国民に保護主義への同調を呼びかけた。貿易自由化とは代償や譲歩を求めることではなく、豊かさを後押しするものだと声を大にして主張する政治家がほとんどいないことが、同氏の主張に勢いを与えている。

■社会の流動性高め、賃金上昇につなげよ

 自由主義は進歩を信じることで成り立つが、多くの有権者は自分は進歩とは無縁だと思っている。米国の1人当たり国内総生産(GDP)は2001~15年に14%増えたが、賃金の中央値は2%しか上昇していない。自由主義者たちは公共の利益のために主権を共有することは良いことだと信じている。だが、英国の離脱決定が示すように、人々は自分の人生を自分で決められないとか、グローバル化の果実にあずかっていないと感じたとき、思わぬ攻勢に出る。EUは彼らには遠い存在で、高圧的に様々な規制を押し付けてくると映り、格好の標的になった。

 歴史の復讐(ふくしゅう)が始まった今、自由主義はまた一から基礎を築いていかなければならない。まず、信念に基づき見識ある議論を展開し、ルペン氏やトランプ氏のような人物に挑む必要がある。モノや考え方、資本、人の流れは繁栄にとって欠かせない。威圧的で弱者に厳しく、差別的な政策をとる国では、国民は幸せになれない。人々が可能性を十分に発揮するには寛容と協調が必要だ。

 同様に、豊かさを確実に広める政策も求められる。貧困層に手を差し伸べるべきだという議論は力を持つ。だが、それだけでは彼らは自分の生活に誇りを持てない。社会の流動性を再び高め、経済成長が賃金上昇に必ず結び付くようにしていくことが求められる。そのためには既得権益集団と戦い、大企業を競争にさらし、競争を阻むような規制を打ち破る必要がある。そして何より、生い立ちや年齢を問わず、すべての人に有益な教育を提供できる制度の構築が欠かせない。

■移民流入抑制より、学校や住宅に投資を

 自由主義が直面する最も困難な戦いは移民問題だ。大半の国では政府が自国で働き暮らす人を管理しており、人の移動が完全に自由なEU域内は異例といえる。国際貿易の規則で、国がモノの流入急増に対抗措置をとれるのと同じように、人の流入急増に対処する規則を設けるべきだという議論もある。しかし、移民を我慢して受け入れるというのは、自由主義の考え方にも自国の利益にも反する。

 移民の流入を抑えるより、各国はまず学校や病院、住宅に投資すべきだ。英国ではEU諸国からの移住者は、国から支援を受ける以上に税金を払い、国家財政に大きな貢献をしている。彼らがいなければ介護や建設などの産業では労働力が不足する。彼らの発想と活力がなければ、英国はずっと貧しくなるだろう。

 自由主義は過去にも挑戦を受けてきた。19世紀の末期には、自由主義者は人間の基本的欲求を満たせないのであれば、政治的、経済的な自由が減ることに気付き、国家がより大きな役割を担うことを受け入れた。1970年代には国家の規制が行き過ぎると経済成長を阻むと見て、関心が再び市場へ向かった。

 ソ連崩壊のただ中、英国では当時のサッチャー首相の側近が、歴史に関するフクヤマ氏の論文を首相の書類に紛れ込ませた。翌朝、彼女は全く感銘を受けなかったと言った。そして、民主主義が勝ったと思い込んではいけないし、だからもう何もしなくてもいいと考えてはならないと続けた。自由主義者たちは今、一致団結して戦いに挑まなければならない。

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