8/3ZAKZAK 矢板明夫『中国共産党にカモならぬ“北京ダック”にされた日本 「100年で3度も美味しく味わった…」そのココロは?』について

いつも言ってますように中国では「騙す人が賢く、騙される方が馬鹿」と言うのが基本的価値観です。8年の中国駐在を終えて2005年に帰国し、会社の中でこの話をしたら、「国粋主義者」「人種差別主義者」と言われました。10年後の今でしたら、「そのとおりだ」と頷かれる方が多いのではと思います。人間はやはり自分で体験しないと分からないのでしょう。日本人の持つ善良さが世界の悪を視る眼を曇らせている部分があります。敵はそれを利用してくるという事です。

小生が良く言っていますのは「日本人同士で話したり、アクションするときには謙譲の美徳を発揮し、日本人と外国人の場合には主張すべきは主張する。主張するスイッチをオンにしたりオフにするようにする」。そうしないと世界に食い物にされてしまうという事です。「南京事件」「従軍慰安婦」について外務省の無能と売国政治家or利権政治家(選んだのは国民です)、売国メデイアにより、「なかった」ことを「あった」ことにされてしまいました。キチンと反撃してこなかったからです。グローバルな人材と言うのは語学ができることではなく、キチンと主張すべきことを主張できる人材を言います。相手に阿たり、媚びたりすることではありません。

朝日新聞の富永格特別編集委員のようにでっち上げするのは左翼の十八番です。「不注意」とか言っているようですが、「慰安婦」と同じく言ったもの勝ちです。ジャーナリストとは記事捏造者の訳かと富永氏に聞いてみたい。語学ができると言っても所詮こんなレベルの人間がジャーナリストを気取っているのでは朝日のレベルが知れようというもの。白人か会社の経営者に阿る愚かな日本人の典型です。

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記事

名物料理、北京ダックにはいろいろな楽しみ方がある。専門店に行けば、「アヒルの三つの食べ方」という意味の「鴨三吃」というコース料理を注文できる。一匹のアヒルを分解して、その皮、肉、骨をそれぞれ三つの調理法で料理にしてくれる。

 第一の食べ方は北京ダックの定番、焼き上がった皮を削ぎ切りにし、小麦粉を焼いてつくった「薄餅」(バオビン)で包んで食べる。第二の食べ方は肉の部分をモヤシなどと炒めて肉料理にする。第3の食べ方は、骨のガラを使って白濁したスープをつくる。アヒルのすべての部位を無駄なく使い、同じアヒルから三つの違う味わいを引出すのがこのコース料理の売りだ。

 先日、数人の中国の改革派知識人と北京市内のレストランで「鴨三吃」を注文した。杯を重ねているうちに、日中関係の話となった。執拗に日本批判を繰り返す習近平政権の本音はどこにあるかについて、いろいろな意見が出たが、「権力基盤が弱く、国内をまとめられないから、日本を叩くことに通じて政権の求心力を高めようとしている」という結論で一致した。

 ある知識人は「最近百年、日本は実に中国共産党に都合よく利用されてきた。まるでこのテーブルにあるアヒルのように、“鴨三吃”にされている」と指摘した。アルコール度数の強い白酒一杯を飲み干してからこの知識人は、共産党がいかに日本を「三吃」してきたのかを説明しはじめた。

まず、日中戦争を利用して共産党軍の勢力を拡大させ、中華人民共和国の建国につながったことだ。1930年代までの共産党軍は弱く、国民党軍との内戦で圧倒的不利な立場にあった。しかし、日中戦争が勃発すると、共産党軍は口で「抗日」といいながらも、ほとんど戦争に参加せず、後方の延安にこもって英気を養い、軍勢を拡大させた。最後に、日本軍との戦いで困窮した国民党軍の背中を刺すようにして、中国全土を占領した。このことを中国建国の父、毛沢東本人も認めている。1964年に訪中した当時の日本社会党の佐々木更三委員長が毛沢東に対し戦争の謝罪をしたが、毛は「何も申し訳なく思うことはないよ、日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらした。中国国民に権利を奪取させてくれたではないか、皆さん、皇軍の力なしには我々が権利を奪うことは不可能だったろう」と話した。毛沢東のこの発言は中国側の資料にも残っている。

 そして、日本を二度目に利用したのは、鄧小平だった。1970年末に最高実力者となった鄧小平は、自らが推進した改革開放路線を支えるための資金と技術を手に入れるために日本を訪問した。松下電器の創業者、松下幸之助を訪ねたときは実に低姿勢だった。鄧小平は「これから私たちは近代化しなければならない。外国の技術や資金を導入することにしている。電子工業がなければ、近代化は実現できないので、あなた方の電子工業を私たちの方に持っていきたいと思っている。協力していただけないか」と頭をさげた。

その率直さに感動した松下幸之助は即座に「何であれ、全力で支援するつもりです」と答えた。鄧小平は満面笑みを浮かべ、松下電器の記念冊子に「中日友好前程似錦(中日友好の前途は洋々たり)」と揮毫した。

 その後、松下電器は中国進出の先兵となり、中国各地で工場を次々とつくった。松下幸之助は自身の財界への影響力を行使し、ほかの企業に対しも中国進出を積極的に勧めた。1980から90年代までの約20年、日本から投資と技術協力が中国の高度経済成長に大きく貢献をしたことは言うまでもない。

 しかし、中国が世界貿易機構WTOに加盟した 2001年ごろ、経済面で日本を必要とする部分が減少した。中国共産党は歴史問題で日本を執拗に批判するようになり、政権固めのため道具として、日本を三度目に利用した。その傾向は2012年秋に発足した習近平政権以降、さらに顕著となった。各国の指導者を招いて9月に北京に行われる“抗日戦争勝利70周年を祝う軍事パレードは、その典型の一例といえる。

 因みに、中国当局が黙認された各地の反日デモなどで、日本企業が狙われ、山東省と江蘇省のパナソニックの工場も襲撃対象となり、焼き討ちされた。北京ダックを口にしながら、「日本が中国共産党に“鴨”になっていることを、どれだけの日本人は知っているのか」と考えた。