中国は歴史的に権力闘争が凄まじく、和をモットーとする日本とは国柄が違うという認識を持つ必要があります。高校時代の漢文や諺の起源等で中国に親近感を持つ日本人は多かったと思います。(今は流石に中国の実態が分かってきて中国人を信じなくなってきたと思います)。孔子の論語の影響もあったと思いますが紀元前500年代に中国ではああいう状況ができていなかったから希少価値があって古典として残っただけで、実際孔子は仕官できていません。不遇だったわけです。孔子の言ったことをキチンと守ったのは日本で儒教国家と言われる韓国ではありません。彼らは孔子の本質を受け入れず、形だけです。だから国民の1/3が移民を求めてクリスチャンになったりするわけです。日本は仏教や儒教を神道と共に共存させてきました。中西輝政の言う換骨奪胎の超システムです。
共産党は内部の権力闘争が凄まじく、ソ連のスターリンは政敵を粛清しましたし、毛沢東もそうです。鄧小平も毛のせいで何度も自己批判させられました。生き延びるためには恥を晒しても忍の一字だったのです。毛の死ぬのを待って政権を取りました。だから習近平を指名した江沢民を習が裏切っても中国では当たり前です。岡田英弘によれば一番寝首をかきやすいのは妻であるので、姓も別にしていると読んだ記憶があります。凄まじいの一言です。
院政を敷こうとする江沢民一派掃討に団派も協力しているのかも知れません。団派の令計画は周永康に息子の事故の件で近づき、隠れ江派だったので胡錦濤も逮捕を認めたのかも知れません。周永康の賄賂額が1兆9000億円で驚いていたら郭伯雄の4兆1000億円とスケールが大き過ぎます。郭は江に取り立てられた軍人で銭権交易(quan2qian2jiao1yi4銭と権の発音が似ている)がこの辺りから始まったのでしょう。人民解放軍のポストは金で買われるので全然強くないというのは本当と思われます。ただ、習が軍を強くするため戦争を考えてもおかしくはありません。日本は強すぎて、負けたら、習の延命はなくなるので弱い所とやるのではと思いますが。
記事
日刊紙「人民日報」は“中国共産党中央委員会”の機関紙である。8月10日付の「人民日報」は第7面の「“思想縦横”」欄に『“人走茶凉”の待遇を弁証する』と題する“顧伯冲”という人物の署名入りの評論を掲載した。中国メディアによれば、作者の顧伯冲は“中国作家協会”の会員であると同時に、“人民解放軍総政治部”の現役将校であるという。
標題にあった“人走茶凉(人が去れば茶は冷める)”という言葉は、革命現代京劇「沙家浜」から生まれたもので、「客が来たので熱いお茶を供したが、客が去った後に手付かずのまま残されたお茶は自然に冷めてしまう」が本来の意味だが、そこから転じて“世態炎凉(人情は移ろいやすい)”とか“人情淡漠(人情は冷淡)”を意味していた。ところが、現在では、「権力を握っていた人物がその地位を離れた後は、利用価値もないことから、人々は彼を軽視するようになる」ことを意味する言葉として使われている。当該評論の標題にある“人走茶凉”は「引退した党長老」を指す代名詞として使っていると考えて良いだろう。
不在其位、不謀其政
さて、人民日報に掲載された顧伯冲の評論は、「引退した党長老は現職の党指導部に干渉するな」という趣旨の内容であったことから、国内外で注目されると同時に中国共産党内に大きな波紋を巻き起こした。その概要は以下の通りである。
【1】“人走茶凉”は「人情は移ろいやすい」のイメージ表現だが、職場を離れた後に境遇の変化を嘆く人が非常に多い。但し、“人走茶凉”についてもその待遇を弁証する必要があり、「“不在其位, 不謀其政(職務を担当していないのなら、その職務に関する事柄に関与すべきでない)”」<注1>を引退した人達の常態にしなければならない。
<注1>『論語』の「泰伯編」に有る言葉。原文の意味は「権限と責任のある地位にいないのであれば、政治のことを議論しても始まらない」。
【2】長きにわたって、我が党の指導幹部は第一線から退いた後、身分の変化に対応して、新たな指導部の仕事に介入せず、干渉せず、広い度量と高尚な情操を示すことができた老党員や老幹部は人々の尊敬を勝ち得た。しかし、一部の幹部は在職時に自分の腹心の部下を配置して引退後も影響力を発揮できる条件を作り、引退後も長期にわたって元の職場の重要問題に口を出す。少しでも思い通りに行かないと、“人走茶凉(人情は移ろいやすい)”と嘆き、人を“勢利眼(地位や財力に媚びる奴)”だとなじる。こうした現象は新指導部の動きを難しいものにするばかりか、自由で大胆な政策を行うのに支障を来たす。さらに、一部の組織に低俗な気風を蔓延させ、派閥を生み、組織を弛緩させ、正常な業務の展開を困難なものとし、党組織の団結力や戦闘力を低下させる。
【3】ロシアの文学者トルストイは「友情はポットのお湯のようなもので、一旦ストーブから離れたら、徐々に冷めてしまう」と述べているが、「人がいる時に茶は熱いが、人が去れば茶は冷める」というのは極めて正常なことである。“人走茶凉(人情は移ろいやすい)”は一種の人間の規律である。人には自分の仕事や生活、交際の範囲があるが、引退すれば以前の同僚、組織、知人との連絡は徐々に疎遠となり、関係が薄れるのが正常である。
【4】“不在其位, 不謀其政”は常にそうあるべき姿である。指導幹部について言えば、引退したら、担当していた業務に責任を負わなくなり、自然と権力も責任もなくなるので、それを素直に受け容れ、人生の転機に対応しなければならない。組織について言えば、規則を明確にして、感情の尊重と職責を明確に区分し、情に捉われる習慣を断ち切り、口出しを排し、風紀が正しく、正常な組織を作らねばならない。
上述の評論は婉曲な表現で引退した指導幹部、すなわち党長老による現職の党指導部に対する干渉は害悪であるという趣旨のことを述べている。現役の党指導部とは“習近平”総書記を筆頭とする党政治局の局員(25人)であり、そのうちの政治局常務委員(7人)である。これに干渉すると想定される党長老は誰かと言えば、元総書記の“江沢民”しか思い浮かばない。当該評論を読んだ中国国民の誰もが真っ先に思い浮かべたのは江沢民だった。1926年8月17日生まれで89歳の江沢民は、従来から何回も病気で入退院を繰り返し、今までに幾度も死亡のニュースが流されていることから、すでに棺桶に片足を突っ込んでいると言われている。その江沢民が依然として中国国内に隠然たる勢力を誇り、現政権の習近平と真っ向から対立していることは、周知の事実である。
習近平は2012年11月に総書記に就任した直後にトラ退治とハエ駆除を同時に行うとして“反腐敗(腐敗撲滅)”運動を開始したが、その矛先は主として「上海閥」と呼ばれる江沢民グループに向けられている。2012年3月に“薄煕来”が重慶市党委員会書記の職務を解除されて失脚したのを足掛かりとして、習近平は江沢民の重臣である“周永康”(前政治局常務委員)、“徐才厚”(前中央軍事委員会副主席)、“郭伯雄”(前中央軍事委員会副主席)などを次々と腐敗を名目に血祭りに上げて失脚させて来ている。
江沢民の誤算
本来、江沢民は“胡錦涛”に続く総書記の後継者として薄煕来を考えていた節がある。しかし、薄煕来が重慶市党委員会書記として失点を重ねたことにより後継者競争から脱落したことで、江沢民が新たな後継者候補として選んだのが、太子党で血筋は良いが過去の任地(福建省、浙江省)で大した実績もなく、凡庸で人畜無害と考えられた習近平だった。
そうした人物を胡錦涛の後継者に据えれば、自分の言いなりになるから院政が可能となり、自分の死後も2人の息子(“江綿恒”と“江綿康”)や一族郎党は安泰でいられる。それが江沢民の思い描いた筋書きだったし、彼はそうなることを確信して疑うことを知らなかった。
2002年11月15日に総書記に就任した胡錦涛は、2012年11月15日に退任するまでの10年間を前任者である江沢民から陰に陽に監視され、圧力を受け、飾り物にされて実権を奪われ、気弱なことも災いして何一つ自分の思い通りの政治を行うことが出来なかった。胡錦涛の写真を見れば分かると思うが、頭脳極めて明晰で誠実そうな胡錦涛は、厚かましくて腹黒く、処世術に長けていることだけが取り柄の江沢民とは人間の質に大きな差がある。仮定の話だが、江沢民の干渉が無い形で、胡錦涛に思い通りの政治を行わせることが出来たならば、中国はもう少しまともな国家になっていたはずだと筆者は思っている。
2012年11月14日に閉幕した第18回党大会<注2>で胡錦涛の総書記退任が決定され、翌15日の午前中に開催された「中国共産党第18期中央委員会第一回会議(略称:一中全会)」で、胡錦涛は総書記を正式に退任した。一中全会の日程は順調に進み、党内の要職を決める“同額選挙(候補者数と当選者数が同じ選挙)”が行われ、それに続いて新たに選出された7人の政治局常務委員が壇上から247人からなる“大会主席団”に顔見世を行う“主席団会議”を経て、一中全会の閉幕が宣言されようとした。その時、すでに前総書記となった胡錦涛が突然立ち上り、「主席団の同志諸君」と呼びかけて発言の機会を要請した。胡錦涛の発言は一中全会の日程にはなく、一中全会参加者にとって寝耳に水のものであったから誰もが顔を見合わせたし、司会者もどうして良いか分からず、言葉に詰まったのだった。
<注2>正式名称:中国共産党第18回全国代表大会 (開催期間:2012年11月8日~14日)
胡錦涛、最後の演説
胡錦涛は静寂に包まれた会場を見渡すと、司会者の言葉を待つことなく、やおら服のポケットから2枚の原稿を取り出すと次のような発言を行った。
同志諸君、第18回党大会が順調に開催され、党の新旧指導部の交代も順調に終了しました。今後、私が皆さんと会う機会は少なくなると思いますので、この貴重な機会を借りて同志諸君に対していくつかの話をしたいと思います。それは以下の3点です。
(1)私は総書記を10年間務めました。この間、“鄧小平”同志の教えを胸に刻み、7000万党員と13億国民の信任に背かぬようにすることを念頭に、発展を最優先に事に当たり、中国の総合国力を高め、国民の生活水準を改善すべく最大限の努力を行いました。現在の状況を見るに、それはまだ不十分であり、皆さんは満足されていないかもしれません。しかし、私が全力を尽くしたということを皆さんにはご理解願いたいと思います。引退した私は、今後絶対に次期指導部に対して干渉もしませんし、書面で指示を与えることもしません。
(2)18回党大会で、私は党の総書記と“中央軍事委員会”主席の職務を返上しましたし、来年3月の“全国人民代表大会”で国家主席と“国家軍事委員会”主席の職務を返上します。その後、私は直ちに“中南海”<注3>から転居し、私の名義の事務室も撤去し、軍事委員会に設置した事務所にも行きません。私から始める形で、すでに引退した指導者は新たな指導部の仕事には一切干渉しないことを希望します。
<注3>中国共産党中央委員会と“国務院”の所在地であると同時に、国家指導部の居住地
(3)習近平同志は党派性が強く、能力が高く、気迫が有り、原則が有り、仲間との団結が上手く、自己に対する要求が厳格で、国民に対する情が深い。どの方面から見ても、彼は党総書記として合格であり、党と国家の軍事委員会主席としても合格です。全ての引退した同志は彼の仕事を支持せねばなりません。彼を支持し、信頼し、彼の仕事に干渉せず、彼に自由に全党、全軍、全国民を統率させることが最も良いことなのです。私の話は以上です。
胡錦涛の話が終わると、人々は驚愕して、会場は水を打ったように静まり返った。話を終えた胡錦涛は、誰を見ることも、誰に声をかけることもなく、目に涙を浮かべて憤然と身を翻して会場を後にしたのだった。胡錦涛の話に感激した習近平は涙を流していたし、引退してなお権力の維持に貪欲な江沢民は怒り心頭に発してわなわなと震えていたという。胡錦涛が会場から姿を消すと、静寂は喧噪に変わり、引退した老幹部たちは口々に不満を訴え、「我々引退者は党を脱退したわけではないぞ」などと叫んで、習近平に胡錦涛の話をどう考えるのかと意見を求めた。しかし、習近平は老幹部たちを一顧だにせず、傍らにいた随員に何事か耳打ちすると、随員は急いで出口に向かい、胡錦涛を追いかけたが、すでに胡錦涛は車中の人となり、会場を離れていた。
一方、騒然としていた会場では、習近平が立ち上がると大声で「皆さん、静粛に」と述べて、胡錦涛が述べた話の内容は党の内部にも伝えず、外部にも漏らさず、記録も取らないことを宣言して、閉会としたのだった。
この胡錦涛の発言により会場が混乱したために、18期一中全会の閉幕は当初予定の10時から大幅に遅れ、習近平を筆頭とする新たな政治局常務委員7人が、恒例となっている御披露目の記者会見場に姿を現したのは11時54分であった。
習近平への置き土産
在任中の10年間を江沢民による院政を受け、総書記として自立することが出来なかった胡錦涛にとって、上記の発言は江沢民に対する積年の恨みを晴らすものであり、「最後の置き土産」と言うべきものであった。胡錦涛の話は18期一中全会の参加者限りで党内はもとより外部にも漏らさないとされたが、前総書記の胡錦涛自らが提起したものである以上はそれなりの影響力を持ち、習近平に胡錦涛の「轍(てつ)を踏むまい」と心に密かに決意させるものとなったのだった。
江沢民の引き立てを受けて総書記への道を順調に歩んできた習近平だったが、いくら凡庸でも馬鹿ではないから、その結果がどうなるかは十分予想できた。それはすなわち、江沢民から恩を受けた以上、江沢民には逆らえず、院政を敷かれて、何事も江沢民の事前承認を必要とする操り人形となるというものだった。ところが、胡錦涛はそうした習近平の苦悩を知ってか知らずか、自ら範を垂れる形で完全引退を表明して、悪しき習慣となっている引退者による現役者への干渉を撤廃するよう求めたのである。これは正に習近平にとって神の啓示と言ってよいものであり、彼に「自分は江沢民のあやつり人形ではないし、江沢民の院政を甘んじて受けることはしない」と決意させるのに十分なものだった。
江沢民へ最後の警告
冒頭に述べた『“人走茶凉”の待遇を弁証する』と題する評論は、上述した胡錦涛発言を根拠として“老人干政(老人が政治に干渉する)”を排することを目的に書かれたものと思える。上述したように習近平による腐敗撲滅運動は江沢民グループに属する人々を次々と狙い撃ちして失脚させている。これに対する江沢民はすでに外堀も内堀も埋められ、残すは本丸のみという状況にあるが、依然として病んだ老骨に鞭打って劣勢の挽回に精力を傾けているのが実情である。
だからこそ、評論『“人走茶凉”の待遇を弁証する』は、江沢民に対する最後の警告として打ち込んだ楔(くさび)だったのではないだろうか。それは、もしこれ以上反抗を続けるならば、いよいよ本丸に攻め入り、江沢民自身を身動き取れぬ状況に追い込むぞという警告のように思えるのだ。それが実現すれば、胡錦涛が仕掛けた「最後の置き土産」が効力を発揮したことになり、江沢民に対する積年の恨みを晴らすことになるが、その結果は見てのお楽しみである。