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8/16JBプレス 古森義久『あの有名俳優が米国で中国のチベット弾圧を批判 熱を込めて語った不当逮捕や拷問、虐待の実態』について
「チベット本土からインドへ亡命した子供たちの絵」という絵本があります。
穢れなき子どもの願いとして「いつかは中国人と仲良くしたい」とありますが、朴大統領ではありませんが、1000年経っても無理でしょう。拝金教の中国と人生を深く考え、慈悲の心を大事にする仏教のチベットでは合う訳がありません。
リチャード・ギアは敬虔な仏教徒と聞いています。同じ仏教徒として何かを言わなければならないという強い責務が感じられます。翻って日本の仏教界でこのような動きはありません。国会周辺でドンツクやっている憲法9条派の僧侶がいますが。日蓮も政治に首を突っ込みましたが、宗教とは現世利益でなく、魂の救済がその使命ではないかと思います。政治とは離れた世界が正しいのでは。酒を飲む、女を囲う生臭坊主よりタチが悪い。だから葬式仏教とか揶揄されるのです。本業から離れたことをしているので。
中国はチベット族だけではなく、ウイグル族、モンゴル族も人権蹂躙、抑圧しています。彼らの土地を奪うため、子供を産めない体にしたり、強制移住させたりしています。18~19世紀のアメリカみたいなものです。さらに、漢民族でも法輪功信者を生きたまま臓器摘出して売買したり、貧しい人々は虫けら同然の扱いを受けます。
日本は毅然として中国の人権弾圧について批判しなければなりません。70年以上前のことを中国が何と言おうとも「今起きている人権蹂躙の問題解決の方が大事である」と突っぱねれば良い。過去には欧米とて臑に傷を持つ身。日本の方が論理的に勝てるでしょう。
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中国・迪慶(デチェン)チベット族自治州香格里拉(シャングリラ)で、草原を眺めるチベット人女性(資料写真)。(c)AFP/Dale de la Rey〔AFPBB News〕
「チベットで多くの人々から尊敬されていた高僧、テレジン・デレク・リンポチェ師が中国政府に13年間も投獄された末、この7月12日に獄中で亡くなりました。彼はチベット社会で市民を救い、教育を広め、信仰を深めた高潔な宗教指導者でした。中国共産党政府はそんな人物を残酷にも終身刑に処していたのです」
映画スターとして国際的な人気を誇る米国人俳優のリチャード・ギア氏が熱をこめて語った。7月14日に開かれた米国議会の公聴会での出来事である。
公聴会の課題は「チベットと中国=新しい前進の道の模索」とされていた。米国の連邦議員たちが、中国政府によるチベットの民族や宗教に対する弾圧の実態を、専門家や当事者たちから聴取して、政府や議会へ政策勧告する際の指針にするのだという。
米国でのこうした動きは、日本が対中外交の政略を立てるうえでもぜひとも知っておくべきだろう。
ラントス氏のホロコースト体験とチベット弾圧
公聴会を主催したのは下院の「トム・ラントス人権委員会」という超党派の常設機関だった。現在の米国の国政では、オバマ政権が中国の人権弾圧を正面から非難することはそれほど多くない。だが議会では、民主、共和の両党が連帯して、中国の人権状況に厳しい視線を向け、辛辣な批判を表明することが頻繁に行われている。
この委員会は、下院外交委員長として長年、人権問題などで活躍した故トム・ラントス議員の名をとった人権専門の機関である。ラントス氏はハンガリー生まれのユダヤ人で、少年時代にナチスの強制収容所に入れられ、脱出したという異色の経歴で知られる。
一方、今回、チベットでの人権弾圧についての証人となったリチャード・ギア氏は仏教を信仰し、特にチベット仏教の弾圧に抗議して、これまで長きにわたって「チベット国際キャンペーン」という国際人権擁護組織の会長を務めてきた。
そのギア氏が証言の冒頭で、個人的にも親交の深かったラントス氏の思い出を語った。
「私のよき友人でもあったラントス氏は、ホロコーストの生き残りとして、自らの体験を語ってくれました。彼が最も強く覚えているのは、母親とともに強制収容所へ向かう特別の列車に乗せられるとき、駅でその光景をじっと見ていた一般の人たちの表情だったといいます。何が起きているかを知りながら、何もしない。本当はそのことを恥(shame)と感じている意識が、その人たちの表情には明白だったそうです。私は、そのような恥を、今のアメリカ人たちが感じることがあってはならないと思います。チベットの良心的で優しい同胞たちが弾圧されていることを座視してはならないのです」
ギア氏はチベット仏教最高指導者のダライ・ラマ14世についても語った。
「ダライ・ラマはこの7月6日に80歳の誕生日を迎えました。チベット人の誰もがその誕生日を心から祝いたいと願いました。しかし中国当局はその種の活動のすべてを禁止しました。中国政府はダライ・ラマを邪悪な存在とみなし、抑圧を続けています。しかし、ダライ・ラマを祝賀するチベット人たちの広範な動きを抑えることはできませんでした」
ギア氏は用意した文書にもほとんど視線を向けず、声量の豊かな、よどみない口調で証言を進めた。中国政府によるチベット弾圧の全体状況についても報告していく。
「中国共産党はチベット人の宗教、言論、結社の自由を奪い、少しでも服従しない人間を根拠のない刑法違反の口実で逮捕し、長期、拘束しています。拷問や虐待も頻繁に行われます。体力を失った人間は早期に解放されますが、中国当局が獄中での死を少なくすることを計算しているからです」
「チベットでは、中国の弾圧に抗議して2009年以来少なくとも合計140人の僧侶らが焼身自殺をしました。中国共産党の弾圧にはなんの正当性もありません。チベット人のすべての宗教的、文化的アイデンティティーの表明を『ダライ一派の国家分裂活動』だとして弾圧するのです。この行為は、中国政府が調印した世界人権宣言や中華人民共和国の憲法にも違反しています」
ギア氏はこうした証言を踏まえて、米国の政府と議会に中国側への抗議や制裁措置をとることを求めた。
最も迫力を感じさせたリチャード・ギア氏の証言
この「トム・ラントス人権委員会」は、ジェームズ・マクガバン議員(民主党)とジョセフ・ピッツ議員(共和党)を共同委員長とし、超党派の下院議員40人で構成される。だが、この委員会の前身を仕切っていたトム・ラントス氏が民主党だったためか、いまも民主党議員が多い。14日の公聴会には、委員である議員10数人のほか下院民主党院内総務のナンシー・ペロシ議員も顔を出していた。
証人としては、オバマ政権の国務省のチベット問題担当特使や、民間人権団体の「人権ウォッチ」代表も登場した。しかしその中でも、「チベット国際キャンペーン」会長である俳優のリチャード・ギア氏の証言が最も強い迫力を感じさせたことを、最後に報告しておきたい。
8/17 日経ビジネスオンライン 高濱賛『戦後70年談話を米国はどう受け止めているか 米政府は歓迎、米メディアはネガティブ』について
大局的に見て中国はアメリカの敵というのがやっとアメリカでも気づいてきたという所でしょう。ハドソン研究所中国戦略センターのピルズベリー所長が書いた『百年マラソン』“The Hundred-Year Marathon – China’s Secret Strategy to Replace America as the Global Superpower”にありますようにやっと騙されていたのに気付くという愚かしさです。FDR、ニクソン、キッシンジャー共に中国に騙されたアメリカ人ということで歴史に名を残すことになります。
アメリカは日本が勝手に中国と戦争されては困るので、自国のメデイアを使って、ブレーキをかけているのでしょう。でも日本人で戦争したいと思っている人はいませんよ。そこが米中とは違います。日清・日露、大東亜戦争だって見方によっては止むにやまれずという構図です。NYTやWPのアメリカメデイアは経営難で中国から金を貰っている可能性もあります。政府要人に金を渡したのがバレると長い間関係がおかしくなるし、警戒感はハンパでなくなりますので、民間で世論形成に役立つメデイアを自分の思うように扱おうと思っても不思議ではありません。何せ中国共産党宣伝部は「党の喉と舌」と言われていますので。
アメリカ政府は日本を「世界中あらゆる国にとってのモデルである」と最大限の賛辞を送りました。中韓にいい加減歴史問題で日本を叩くのは止めろという事です。韓国は桂・タフト協定、アチソン声明に続いて第三のアメリカからの切り捨てを受けるかもしれません。THHADを受けず、9/3抗日70周年記念に参加したら、戦時作戦統帥権はすぐにでも韓国に返すことになるかもしれません。これは期限がついてませんので。見方によっては解約自由という事です。
アメリカ国務省OBも見方が甘い。日本がいくら謝罪したとしても中韓が許す訳がない。大切な金づるですから。また中国の世界制覇の野望のためには日本の存在は地政学上も、文化面、経済面においても邪魔になるので、事実を改竄してでも、日本を道徳的に劣った民族としておきたいのです。それに気付かないというのは国務省も日本の外務省と同じくらいリアリズムが欠けているという事でしょう。
記事
安倍晋三首相が8月14日、「戦後70年談話」を発表した。これに対して米国の政府とメディアは異なった反応を見せている。
談話が発表されてから数時間後、米国家安全保障会議(NSC)のネッド・プライス報道官は次の声明を発表した。最大限の「歓迎」を表わした声明だ。
「我々は、安倍首相が次の2つを表明したことを歓迎する。1つは、歴代首相が出した歴史認識に関する談話を継承するとのコミットメント。もう1つは、第二次大戦中に日本が(近隣諸国に)与えた苦しみに対する痛切な反省だ。また我々は、国際社会の平和と繁栄に対する貢献を日本が今後いっそう拡大していく意志を確認したことを評価する。戦後70年間、日本は平和、民主主義,法の秩序への変わらぬコミットメントを具現化させてきた。これは世界中あらゆる国とってのモデルである」
(”Statement by NSC Spokesperson Ned Price on Japanese Prime Minister Abe’s Statement on the 70th Anniversary of the End of World War II,” Office of Press Secretary, The White House, 8/14/2015)
一方、米メディアはまずAP通信の東京特派員が「Stop short of WWII apology 」(謝罪は思いとどまる)と速報。これを追ってニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストなど主要紙は「歴代首相の謝罪に共鳴したが、新たな、自らのパーソナルな謝罪(a new, personal apology of his own)はせず」など異口同音のネガティブな報道に終始した。
(”Shinzo Abe Echoes Japan’s Past WWII Apologies but Adds None of His Own,” Jonathan Soble, New York Times, 8/15/2015)
米メディアは、安倍談話に対する米政府や議会の反応についてはいっさい触れていない。その一方で、中国と韓国の政府がどう出るか、「安倍談話の内容を両政府ともに慎重に精査するだろう」と予測している。
米政府と米メディアの間にある落差
米政府と米メディアの「落差」はなぜ生じたのか。その理由は3つある。
その一つは、一般論だが、米政府はよほどのことがない限り、同盟国の言動について公の場では批判はしないことだ。批判したり、異議を申し立てたりしたい時には「ノーコメント」としてコメントを避ける。
2つ目は、安倍首相の歴史認識についての米政府の立場がはっきりしていることだ。日米政府間において歴史認識については、今年4月29日に安倍首相が米議会で行った演説で決着済みとの認識だ。
首相が明言した「痛烈な反省」と「戦没米兵への鎮魂」は米議会だけでなく、一般米市民の琴線にも触れた(「安倍首相の議会演説で米国の『歴史認識問題』は決着」参照)。このため米政府は、戦後70年談話が「この米議会演説のトーンをそのまま反映するのであれば、歓迎する基本姿勢を固めていた」――米主要シンクタンクの上級研究員の一人はこう見ている。
直前の安倍・ケネディ会談の中身
米政府関係者によると、バラク・オバマ米大統領は安倍談話発表前、キャサリン・ケネディ駐日米大使に安倍首相に会うよう訓令を出した。同大使は8月10日午後5時59分から約30分間、首相官邸で安倍首相と会っている。
話し合われた議題は2つ。1つは8月15日に首相が靖国参拝をするかどうか、いま1つは14日に発表される予定の「戦後70年談話」だったと言われる。安倍首相は前者については「ノー」、後者については談話の内容を示したという。
安倍首相は靖国参拝には苦い経験がある。第二次政権発足直後の2013年12月、ジョー・バイデン米副大統領らの説得を振り切って靖国神社に参拝した。米政府は まず駐日米大使館名で「失望」を表明。その後、これを国務省声明に格上げした。米政府が「失望感」を表明したのは、A級戦犯を祀る靖国神社に対する中韓の反発が米国の極東戦略を混乱させる要因を孕んでいるからだ。さらに、安倍首相やその周辺にある「極東裁判史観」に対する反発があった。米国にとってこれは譲歩できない一線だった。
米政府は、今年の終戦記念日に安倍首相が靖国参拝しないことがはっきりすれば、安倍談話については出来うる限りのポジティブな反応を示す――安倍首相の議会演説を受けて米政府の腹は決まっていた。村山談話や小泉談話を継承する姿勢を示せば、「謝罪」とか「植民地主義」とか「侵略」といった個々のキーワードについてとやかく言う必要もない。
「村山富市首相、河野洋平官房長官が(談話で)示した謝罪は、日本が近隣諸国との関係を改善しようと努力する中で重要な第一章を刻んだというのが我々の見解だ」(2015年1月5日、サキ米国務省報道官)
「我々は、日本が戦後、平和のために行ってきた貢献とともに、安倍首相が過去1年間に行なった、歴史認識に関するポジティブなコメントを歓迎している。我々は、『過去に関して歴代首相が表明した見解を堅持する』とした安倍首相のワシントンでの発言に留意している。また、我々は、東アジア地域の諸国間の強固で建設的な関係は同地域の平和と安定を促進すると信じている。このことは米国の国益のみならず諸国間の利益に資するものと考えている」(2015年8月6日、トーナー米国務省副報道官)
安保法制、普天間問題で汗を流す安倍首相へのエール
米政府が安倍談話について最大限の「歓迎」を表明した3つ目の背景は、オバマ政権が直面する対日外交上の懸案がある。
安倍首相は、野党や一部世論の反対を押し切って安保法案の成立を目指している。同法案は日米新ガイドラインに直結する法案だ。普天間飛行場の移設問題をめぐって、日本政府と沖縄県の確執が続いている。米国は安倍首相に恩義を感じている。
まだある。ウイキリークスが暴露した、米政府による安倍政権への盗聴問題だ。沖縄県で起きた米軍ヘリコプターの墜落事故もある。オバマ政権にとっては安倍首相に負い目を感じる話ばかりだ。安倍談話について重箱の隅をつつくような反応は示せない。「歓迎」にはこうした直近の政治問題も絡んでいる。
米メディア報道に投影する「米国のホンネ」
中国、韓国は案の定、安倍談話に物言いをつけている。米政府は「想定内の展開」と見ている。
ある米国務省OBの一人が筆者にこう指摘した。「中国も韓国も、自分たちが望む文言や表現を安倍首相がしないことぐらい最初から分かっていたはずだ。何をどう言おうとも反発するだろう。だから安倍談話を受けて直ちに日中首脳会談や日韓首脳会が行われるような状況ではない」。
「正直言って、米政府は安倍談話によって日本と中国・韓国との間にある歴史認識問題をすべて決着し、前に進むことを願っている。歴史認識をめぐる日中、日韓の確執は、東アジアにおける米国の国益に少なからず悪影響を与える。また日米同盟にとっても好ましくない。なによりも、東アジア太平洋地域でより大きな政治的軍事的役割を演じようとしている日本にとっては喉に刺さった骨だ」
米メディアが、ネガティブな報道している背景には、前出の国務省OBのホンネ――今回の安倍談話で、中韓を満足させるストレートで踏み込んだ謝罪をすることで歴史認識を一気に決着させてほしかった――が投影されていると見るべきか。
安倍談話を受けて、日韓、日中関係は今後どうなるのか。米国の東アジア研究者による突っ込んだディスカッションが18日、米シンクタンク「ヘリテージ財団」で行われる。マイケル・グリーン米戦略国際問題研究所(CSIS)副理事長、シーラ・スミス外交問題評議会級研究員、ブルース・クリンガー ヘリテージ財団上級研究員らが出席する。
8/14ZAKZAK 田村秀男『人民元の勢力拡大は日本にとって軍事的脅威そのもの』について
ラガルドやキャメロンは中国人の本質を分かっていません。AIIBに英仏とも参加するのは、世界に中国の軍事拡張を認めることになります。米国が世界の警察官を止めようとしている時に、こんなことをすれば軍事バランスが崩れ戦争になる可能性もあります。他国から集めた金で軍拡、人民解放軍が潤うことは間違いありません。英仏とも遠い世界のように思っていると痛い目に遭います。アメリカの覇権が良いとは思いませんが、少なくとも中国やロシアが世界を牛耳ることになるより良いでしょう。もし中露の世界になれば我々の生活は人権の保障されない専制時代になってしまいます。今は良きにつけ悪しきにつけアメリカが世界を牛耳っているので平和で暮らしやすい生活が送れています。それを変える必要性は全くありません。「戦争法案反対」を唱えている左翼に中国の脅威についてどう考えているのか聞いてみたいです。「徴兵制になる」とか言っていますが、世界最強の軍隊と言われるアメリカ軍であっても志願制です。その方が強い軍隊ができるという事です。
汪兆銘は孫文の秘書をしていたので軍事力を持っていませんでした。孫文が辛亥革命で中華民国の臨時大統領になりましたが、軍事力を持たなかったためすぐに袁世凱に譲位せざるをえませんでした。日本軍も汪兆銘の力量を見極められなかったという事です。傀儡にしようと思ったのかも知れませんがそんな下心ではうまく行くはずもありません。
8/13で北戴河会議は終わったとのこと。最終日の前日夜遅くに天津で大爆発があったのは習に対する他派の嫌がらせかもしれません。日本のように人命第一の国ではありませんから。被支配階級は虫けら同様の扱いです。習は団派の李源潮の右腕の元江蘇省党常任委員会秘書長だった越少麟を除名しました。令計画に次いで2人目です。団派とも事を構えるようです。江と胡がやられ放しにするかどうか。
朴槿恵が70年談話を評価したとの記事を見ました。何かがおかしい。普通であれば口汚く罵るのが常なのに。裏で日本政府と「慰安婦」で取引してないか心配です。アメリカの圧力で変わったのでしたら良いのですが。
記事
戦後70年。戦争とは何か、何も兵器を使うばかりが戦争ではない。相手国に自国通貨を浸透させると、軍事面で優位に立つ。
写真は中国内陸部、標高1200メートル、山西省の黄土高原の一コマである。何万年もの間、風雨は黄土の大峡谷を溶かし、崩し、高原の大半を平野と崖の混在した複雑な地形にしてしまう。そんな山あいの村々には今でも「窰洞(ヤオトン)」と呼ばれる横穴式洞窟の住居が点在する。
1942年5月6日、この黄土高原の一角の窰洞で日中戦争の帰趨(きすう)を左右しかけた会談が開かれた。
特命を帯びて対中和平工作に奔走した陸軍中野学校出身の井崎喜代太氏の回顧録によると、日本軍の第一軍司令官、若松義雄中将と、中国山西軍の閻錫山(えん・しゃくざん)将軍が会談。若松中将は山西軍にラッパで迎えられ、閻将軍とにこやかに握手、和平協定が成立寸前だった。
当時、閻将軍は重慶の蒋介石国民党政府に協力していたが、旧知の若松中将の誘いに乗って、日本軍の影響下にあった南京の汪兆銘政府と合作し、反蒋介石で連合することを約束していた。歴史に「もしも」はないが、実現すれば日本軍・汪兆銘政権連合は中国の黄河以北(華北)を取り込んで、戦況を一挙に有利に導き、蒋介石との和睦交渉の道を開いたかもしれない。対米戦争の局面も大きく変わっただろう。
山西軍との和平条件は、資金援助である。村の入り口では、国民党政府の通貨「法幣」4000万元の札束を積んだ駄馬隊が待機。「会談成功」という合図を確認した駄馬隊の隊長が「ホウヘイ前へ」と大きな声で号令。駄馬隊が一斉に動き出し、洞窟めざして前進する。
これをみて、閻将軍は血相を変えて裏口から逃げ出した。閻錫山の通訳が「法幣(中国語の発音ではファピー)」を「砲兵(同パオピン)」と取り違え、「砲兵(パオピン)がくるぞ」と大声で叫んだからだ。日本軍がだまし討ちしてきたと、誤解したのだ。
「ホウヘイ前へ」事件で閻錫山取り込み工作は失敗し、日本軍は中国大陸でいよいよ泥沼にはまった。
抱き込み工作失敗の遠因は、日本軍の軍票の信用がないために使えず、敵の法幣に頼らざるをえなかった点にある。法幣こそは英国が蒋介石政権に全面協力して発行させ、米国が印刷面で協調した。
今、英国は中国主導で年内設立へ準備が進んでいるアジアインフラ投資銀行(AIIB)に率先して参加し、国際通貨基金(IMF)の特別引き出し権(SDR)構成通貨への人民元の組み込みに賛同している。
SDR通貨への認定は元をドル、ユーロ、円、ポンドと同列の国際通貨の座に押し上げる。すると、AIIB融資に元を使える。ロシアなどからの兵器購入も元で済む。
元の勢力拡大は日本にとっての軍事的脅威そのものだ。日中は戦後70年を経て第2次「通貨戦争」の局面にあるだろう。歴史は繰り返すのだろうか。
8/15日経『4つのキーワード、英語版でも「踏襲」 70年談話』、『「おわび当然」中国が声明 70年談話の論評避ける』、『毒ガス被害者支援へ基金設立 旧日本軍、中国で遺棄 』について
英語版で8/14総理の戦後70年談話を検証してみます。外務省は信じられませんので。一読して非常によくできています。事実に裏打ちされていますので、欧米、中韓とも文句のつけようがないはずです。でも中韓にとって日本は金づるなので何かは言ってくるでしょうけど。これで村山、小泉の為した談話は意味をなさなくなりました。騙し討ちでなされた出自がいかがわしい村山談話の中味を相当変えて上書きしたものです。4つのキーワードの「植民地支配」「侵略」「痛切な反省」「心からのおわび」は引用と言う形で紹介されました。首相は「両談話を全体として引き継ぐ」と言ってきたこともあり、歴史の事実としての両談話を否定はできない(中韓だったら簡単に否定できるでしょうけど)ので盛り込みましたが、そこにウエイトがある訳でないのは明瞭です。
西洋のアジアの植民地化、アジア初の立憲政治、日露戦の勝利でアジア、アフリカの人々を勇気づけた事が正しく盛り込まれています。また、原爆投下・東京大空襲・沖縄戦を情け容赦なく・無慈悲にもと言うニュアンスに英語ではなっています。大東亜戦争は大恐慌後の経済ブロック化が原因と言うのも触れられています。憲法9条を逆手にとって「我々は国際紛争の解決手段として力の行使を決してしない」とか植民地統治は放棄するとかの主語の「我々」と言うのは世界の人々を指し、中国を牽制したと読めなくもありません。迷惑をかけたアジアの近隣諸国民としてインドネシア~中国まで(順序効果あり)の中に台湾が明記されています。国として扱ったわけです。中華民国と言う表記でもありません。
人口の8割を戦後世代が占め、彼らに戦争の責任を負わせることはできないと明言、また和解に努力してくれた国々に感謝して中韓を牽制したのも良くできた内容です。
日経の記事にあるように毒ガスの医療支援について、また左翼弁護士が利権を求めて中国人に焚き付けたのではと思われます。そもそも戦後すぐ武装解除されたので日本に毒ガスの管理責任はありません。親中派の代議士や商社がキックバックを狙って始めたことです。今度は医療問題という事で、関係ない中国人が偽の証明書を持って雲霞の如く現れるでしょう。弁護士を儲けさすだけです。日本の税金が詐取されるという事です。日本国民はもっと怒って良い。
『4つのキーワード、英語版でも「踏襲」 70年談話』記事
政府が公表した戦後70年談話の英語版は、歴史認識に関わる4つのキーワードで過去の村山談話、小泉談話と同じ表現を使った。英語版でも歴史認識について歴代内閣の立場を踏襲する姿勢を鮮明にし、国際社会に訴えた形だ。
キーワードの「植民地支配」「侵略」「痛切な反省」「心からのおわび」は英語版で、それぞれ「colonial rule」「aggression」「deep remorse」「heartfelt apology」と表現された。いずれも村山談話、小泉談話での英語訳と同じだ。
今回の談話では新たに先の大戦への「深い悔悟」を盛り込んだ。これは英語訳で「deep repentance」と訳した。立命館大の東照二教授(政治言語学)によると、「repentance」は宗教的な意味合いが強く、ざんげで悔い改めるといった場面などで使われる。
首相が掲げる「積極的平和主義」は「”Proactive Contribution to Peace”」と英訳した。引用符を用い、構成する3つの主要な単語を大文字から書き始めることで、安倍政権がスローガンとして掲げる言葉だとの位置づけを明確にした形だ。
『「おわび当然」中国が声明 70年談話の論評避ける』記事
【北京=永井央紀、ソウル=峯岸博】中国外務省の華春瑩副報道局長は14日、安倍晋三首相の戦後70年談話に関して「日本は侵略戦争の性質と戦争責任について明確に説明し、被害国人民に真摯におわびし、軍国主義の歴史と決別すべきだ。重要な問題をごまかすべきでない」との声明を発表した。談話の具体的な表現への論評は避けた。張業遂外務次官は同日、木寺昌人駐中国大使を呼んで同じ趣旨を伝えた。
韓国の尹炳世(ユン・ビョンセ)外相は同日夜の岸田文雄外相との電話で「日本の誠意ある行動が何よりも重要だ」と強調した。談話内容を綿密に検討し、韓国政府の立場を近く明らかにすることも伝えた。
『毒ガス被害者支援へ基金設立 旧日本軍、中国で遺棄 』記事
旧日本軍が中国に遺棄した毒ガス兵器による被害者らの医療支援などを継続的に行う初の民間基金が14日設立され、日本での損害賠償訴訟に取り組んできた弁護士グループ「遺棄毒ガス被害事件弁護団連絡会議」と中国の民間団体「中国人権発展基金会」の代表が東京都内で合意文書に調印した。
調印した人権発展基金会の慈愛民秘書長は「戦後70年を経ても被害は終わらない。若い人たちに新たな被害者も出ている」と現状を訴え、基金設立の意義を強調した。
新基金は「化学兵器および細菌兵器被害者支援 日中未来平和基金」。日本側を代表して調印した弁護士連絡会議の南典男弁護士は「日中共同で被害者検診を支援する活動をしてきたが、治療支援を進めるため基金設立となった」と語った。〔共同〕
(朝日新聞デジタルより英語版)
On the 70th anniversary of the end of the war, we must calmly reflect upon the road to war, the path we have taken since it ended, and the era of the 20th century. We must learn from the lessons of history the wisdom for our future.
More than one hundred years ago, vast colonies possessed mainly by the Western powers stretched out across the world. With their overwhelming supremacy in technology, waves of colonial rule surged toward Asia in the 19th century. There is no doubt that the resultant sense of crisis drove Japan forward to achieve modernization. Japan built a constitutional government earlier than any other nation in Asia. The country preserved its independence throughout. The Japan-Russia War gave encouragement to many people under colonial rule from Asia to Africa.
After World War I, which embroiled the world, the movement for self-determination gained momentum and put brakes on colonization that had been underway. It was a horrible war that claimed as many as ten million lives. With a strong desire for peace stirred in them, people founded the League of Nations and brought forth the General Treaty for Renunciation of War. There emerged in the international community a new tide of outlawing war itself.
At the beginning, Japan, too, kept steps with other nations. However, with the Great Depression setting in and the Western countries launching economic blocs by involving colonial economies, Japan’s economy suffered a major blow. In such circumstances, Japan’s sense of isolation deepened and it attempted to overcome its diplomatic and economic deadlock through the use of force. Its domestic political system could not serve as a brake to stop such attempts. In this way, Japan lost sight of the overall trends in the world.
With the Manchurian Incident, followed by the withdrawal from the League of Nations, Japan gradually transformed itself into a challenger to the new international order that the international community sought to establish after tremendous sacrifices. Japan took the wrong course and advanced along the road to war.
And, seventy years ago, Japan was defeated.
On the 70th anniversary of the end of the war, I bow my head deeply before the souls of all those who perished both at home and abroad. I express my feelings of profound grief and my eternal, sincere condolences.
More than three million of our compatriots lost their lives during the war: on the battlefields worrying about the future of their homeland and wishing for the happiness of their families; in remote foreign countries after the war, in extreme cold or heat, suffering from starvation and disease. The atomic bombings of Hiroshima and Nagasaki, the air raids on Tokyo and other cities, and the ground battles in Okinawa, among others, took a heavy toll among ordinary citizens without mercy.
Also in countries that fought against Japan, countless lives were lost among young people with promising futures. In China, Southeast Asia, the Pacific islands and elsewhere that became the battlefields, numerous innocent citizens suffered and fell victim to battles as well as hardships such as severe deprivation of food. We must never forget that there were women behind the battlefields whose honour and dignity were severely injured.
Upon the innocent people did our country inflict immeasurable damage and suffering. History is harsh. What is done cannot be undone. Each and every one of them had his or her life, dream, and beloved family. When I squarely contemplate this obvious fact, even now, I find myself speechless and my heart is rent with the utmost grief.
The peace we enjoy today exists only upon such precious sacrifices. And therein lies the origin of postwar Japan.
We must never again repeat the devastation of war.
Incident, aggression, war — we shall never again resort to any form of the threat or use of force as a means of settling international disputes. We shall abandon colonial rule forever and respect the right of self-determination of all peoples throughout the world.
With deep repentance for the war, Japan made that pledge. Upon it, we have created a free and democratic country, abided by the rule of law, and consistently upheld that pledge never to wage a war again. While taking silent pride in the path we have walked as a peace-loving nation for as long as seventy years, we remain determined never to deviate from this steadfast course.
Japan has repeatedly expressed the feelings of deep remorse and heartfelt apology for its actions during the war. In order to manifest such feelings through concrete actions, we have engraved in our hearts the histories of suffering of the people in Asia as our neighbours: those in Southeast Asian countries such as Indonesia and the Philippines, and Taiwan, the Republic of Korea and China, among others; and we have consistently devoted ourselves to the peace and prosperity of the region since the end of the war.
Such position articulated by the previous cabinets will remain unshakable into the future.
However, no matter what kind of efforts we may make, the sorrows of those who lost their family members and the painful memories of those who underwent immense sufferings by the destruction of war will never be healed.
Thus, we must take to heart the following.
The fact that more than six million Japanese repatriates managed to come home safely after the war from various parts of the Asia-Pacific and became the driving force behind Japan’s postwar reconstruction; the fact that nearly three thousand Japanese children left behind in China were able to grow up there and set foot on the soil of their homeland again; and the fact that former POWs of the United States, the United Kingdom, the Netherlands, Australia and other nations have visited Japan for many years to continue praying for the souls of the war dead on both sides.
How much emotional struggle must have existed and what great efforts must have been necessary for the Chinese people who underwent all the sufferings of the war and for the former POWs who experienced unbearable sufferings caused by the Japanese military in order for them to be so tolerant nevertheless?
That is what we must turn our thoughts to reflect upon.
Thanks to such manifestation of tolerance, Japan was able to return to the international community in the postwar era. Taking this opportunity of the 70th anniversary of the end of the war, Japan would like to express its heartfelt gratitude to all the nations and all the people who made every effort for reconciliation.
In Japan, the postwar generations now exceed eighty per cent of its population. We must not let our children, grandchildren, and even further generations to come, who have nothing to do with that war, be predestined to apologize. Still, even so, we Japanese, across generations, must squarely face the history of the past. We have the responsibility to inherit the past, in all humbleness, and pass it on to the future.
Our parents’ and grandparents’ generations were able to survive in a devastated land in sheer poverty after the war. The future they brought about is the one our current generation inherited and the one we will hand down to the next generation. Together with the tireless efforts of our predecessors, this has only been possible through the goodwill and assistance extended to us that transcended hatred by a truly large number of countries, such as the United States, Australia, and European nations, which Japan had fiercely fought against as enemies.
We must pass this down from generation to generation into the future. We have the great responsibility to take the lessons of history deeply into our hearts, to carve out a better future, and to make all possible efforts for the peace and prosperity of Asia and the world.
We will engrave in our hearts the past, when Japan attempted to break its deadlock with force. Upon this reflection, Japan will continue to firmly uphold the principle that any disputes must be settled peacefully and diplomatically based on the respect for the rule of law and not through the use of force, and to reach out to other countries in the world to do the same.
As the only country to have ever suffered the devastation of atomic bombings during war, Japan will fulfil its responsibility in the international community, aiming at the non-proliferation and ultimate abolition of nuclear weapons.
We will engrave in our hearts the past, when the dignity and honour of many women were severely injured during wars in the 20th century. Upon this reflection, Japan wishes to be a country always at the side of such women’s injured hearts. Japan will lead the world in making the 21st century an era in which women’s human rights are not infringed upon.
We will engrave in our hearts the past, when forming economic blocs made the seeds of conflict thrive. Upon this reflection, Japan will continue to develop a free, fair and open international economic system that will not be influenced by the arbitrary intentions of any nation. We will strengthen assistance for developing countries, and lead the world toward further prosperity. Prosperity is the very foundation for peace. Japan will make even greater efforts to fight against poverty, which also serves as a hotbed of violence, and to provide opportunities for medical services, education, and self-reliance to all the people in the world.
We will engrave in our hearts the past, when Japan ended up becoming a challenger to the international order. Upon this reflection, Japan will firmly uphold basic values such as freedom, democracy, and human rights as unyielding values and, by working hand in hand with countries that share such values, hoist the flag of “Proactive Contribution to Peace,” and contribute to the peace and prosperity of the world more than ever before.
Heading toward the 80th, the 90th and the centennial anniversary of the end of the war, we are determined to create such a Japan together with the Japanese people.
August 14, 2015
Shinzo Abe
Prime Minister of Japan
注・英訳は日本政府の発表による
8/14日経 『戦後70年総理談話全文』について
何となく違和感を覚えますのは、日本は主導的に「力の行使」をしようとしたのかどうかです。そんなに当時の日本人が決断力があったかどうかです。今の日本人を見ていれば分かるでしょう。大事な場面で決断できる日本人は少ないと思います。東京裁判で共同謀議を立証しようとしても、何も考えてない日本人が訴えられるはずがありません。ただ、知恵が足りなかっただけです。
原爆投下について記述したのも良かったです。投下したアメリカが悪いに決まっています。でも名前を出さない所がミソでしょう。全般に言えることですが、名前を出さず、前向きな話に繋げていますので、中韓は文句が言いにくいでしょう。まあ、彼らは自分を棚に上げて何でも言ってくる輩ですから何を言ってくるのか期待していますが。
まあ、保守派としては合格点を与えられるのではと思います。米国の圧力、敵国の中韓の圧力をこれで躱せたとしたら立派なものです。他国・国内左派が何を言おうとブレずに日本を守るために努力して行きましょう。
記事
終戦七十年を迎えるにあたり、先の大戦への道のり、戦後の歩み、二十世紀という時代を、私たちは、心静かに振り返り、その歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならないと考えます。
百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。
世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、一千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。
当初は、日本も足並みを揃えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。
満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。
そして七十年前。日本は、敗戦しました。
戦後七十年にあたり、国内外に斃れたすべての人々の命の前に、深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧げます。
先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼熱の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。
戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。
何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。
これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります。
二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。
事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。
先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。七十年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。
我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。
こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。
ただ、私たちがいかなる努力を尽くそうとも、家族を失った方々の悲しみ、戦禍によって塗炭の苦しみを味わった人々の辛い記憶は、これからも、決して癒えることはないでしょう。
ですから、私たちは、心に留めなければなりません。
戦後、六百万人を超える引揚者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、日本再建の原動力となった事実を。中国に置き去りにされた三千人近い日本人の子どもたちが、無事成長し、再び祖国の土を踏むことができた事実を。米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜の皆さんが、長年にわたり、日本を訪れ、互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている事実を。
戦争の苦痛を嘗め尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか。
そのことに、私たちは、思いを致さなければなりません。
寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦後七十年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。
日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。
私たちの親、そのまた親の世代が、戦後の焼け野原、貧しさのどん底の中で、命をつなぐことができた。そして、現在の私たちの世代、さらに次の世代へと、未来をつないでいくことができる。それは、先人たちのたゆまぬ努力と共に、敵として熾烈に戦った、米国、豪州、欧州諸国をはじめ、本当にたくさんの国々から、恩讐を越えて、善意と支援の手が差しのべられたおかげであります。
そのことを、私たちは、未来へと語り継いでいかなければならない。歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく、アジア、そして世界の平和と繁栄に力を尽くす。その大きな責任があります。
私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります。唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、国際社会でその責任を果たしてまいります。
私たちは、二十世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。二十一世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります。
私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界の更なる繁栄を牽引してまいります。繁栄こそ、平和の礎です。暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に、医療と教育、自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります。
私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。
終戦八十年、九十年、さらには百年に向けて、そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく。その決意であります。


