6/21The Gateway Pundit<CHILLING: Biden Regime Declares Trump Supporters Domestic Terror Threats in Newly Released Internal Documents, Sought to Set Up DHS Intel Unit to Target Them=ゾッとする話:バイデン政権は新たに公開された内部文書でトランプ支持者を国内テロの脅威と宣言し、彼らを標的とする国土安全保障省諜報部隊の設置を求めている>
情報機関が左傾化しているのでは、大掃除しないと、再生できない。
ジム・ホフトは昨日、アメリカ・ファースト・リーガル(AFL)が、国土安全保障省(DHS)がディープステートの手下ジョン・ブレナンとジェームズ・クラッパーを含む、現在は解散しているDHS諜報グループを組織し、「公衆衛生」を装って政治的反対意見を再分類し、一般の米国人が隣人を密告する権限を与えられていると感じていたことを明らかにする文書を公開したと報じた。
今回、AFL は、トランプ支持者も対象に含まれており、背筋が凍るような、さらに腹立たしい一連の文書を公開した。
AFLが新たに公開した内部文書によると、バイデン政権は「国内の暴力的過激派」攻撃を犯す可能性のある人物として誰かを分類している。しかし、アンティファやハマス支持者のような実際の脅威に焦点を当てる代わりに、彼らはトランプ支持者を国家の敵と宣言した。
左翼は善で、保守は悪という二層の司法システム。
6/21Rasmussen Reports<33% Agree COVID-19 Vaccine ‘Is Killing Large Numbers of People’= 33%はCOVID-19ワクチンが「多数の人を殺している」と同意>
COVID-19ワクチン接種を受けた人の約4分の1が接種を後悔しており、3分の1はワクチンが致命的であるという医療専門家の非難に同意している。
ラスムセン・レポートによる最新の全国電話・オンライン調査によると、COVID-19ワクチンを少なくとも1回接種した米国人成人の24%が、ウイルスに対するワクチン接種を受けたことを後悔している。ワクチン接種を受けた人の69%は、後悔していない。
2023年1月、 心臓専門医のピーター・マッカロー博士は「ワクチンは人々を殺しており、大勢の人を殺している」と述べた。米国人の成人の33%がこの意見に同意し、そのうち16%は強く同意した。57%は反対し、そのうち39%は強く反対した。さらに11%はわからないと回答した。
6/21阿波羅新聞網<川普的态度,突然变了—川普新政:应为美大学外籍毕业生发绿卡=トランプの態度急変―トランプの新政策:米国の大学の外国人卒業生にグリーンカードを発行すべき>共和党大統領候補ドナルド・トランプは19日(水)、シリコンバレーの有名ポッドキャスト番組「オールイン」のインタビューを受けた。エンジェル投資家のジェイソン・カラカニスは、米国はより多くのハイテク人材を合法的に保有する必要があり、これはテクノロジー業界にとって非常に重要だと指摘した。
それを受け、トランプは次のように答えた:「私がやりたいと思って、そうするのは、あなたが大学を卒業したら、自動的に卒業証書の一部としてグリーンカードを取得できるようにして、この国に留まることができるようにすることだ。短大や大学を卒業する人は2年でも4年でも対象となる」。彼はまた、当選したら就任初日にこの問題に取り組むと約束した。
ポッドキャストで「世界中から最も優秀で聡明な人材」を米国に連れてくることに尽力するかとの質問に対し、トランプは、「私はそのことを約束する」と答え、さらに、「一流大学や平均的な大学を卒業した人たちの中には、どうしてもここに残りたいと思っている人がいることは知っている…でも、彼らはそれができない」と付け加えた。
トランプは「会社には才能ある人材のグループが必要だ。そして賢い人材でなければならない…優秀な人材が必要だ」と強調した。
優秀な人材を世界中から集めるのは当然の話。トランプが言っているのは不法移民とスパイはダメと。
https://www.aboluowang.com/2024/0621/2069975.html
6/22阿波羅新聞網<普京撑不住了?克宫向美国发信号—俄罗斯:愿意与美国进行安全会谈,条件是必须涵盖乌克兰=プーチンはもう我慢できない?クレムリンは米国にシグナルを送る – ロシア:米国と安全保障協議を行う用意があるが、その条件にはウクライナも含まれなければならない>クレムリンのドミトリー・ペスコフ報道官は金曜日(6/21)、ロシアは米国との安全保障協議に「準備ができている」と述べたが、いかなる協議でもウクライナ紛争、特に米国の「直接関与」を含む必要があると明言した。
バイデンが大統領の内にという肚積もりでは。
https://www.aboluowang.com/2024/0622/2070290.html
6/22阿波羅新聞網<普京越南行有点惨 几乎两手空空—普京欲炫耀俄罗斯朋友圈,但有的“朋友”不太铁=プーチンのベトナム旅行は少々惨めで、ほとんど手ぶらになった―プーチンはロシアの友人たちの輪を誇示したいが、彼の「友人」の中にはあまり忠実ではない人もいる>プーチンは、アジア訪問を利用して、西側諸国がウクライナ戦争でロシアを孤立させようとしているが、自分にはまだ友人がいることを示そうとした。同氏は訪問の最初の目的地である北朝鮮でも同様の行動をとったが、木曜日のハノイではベトナム指導者の支持ははるかに薄かった。
国際逮捕状が出ている人物とは関わりたくないのが普通。トップが代われば普通に付き合えるでしょうけど。
https://www.aboluowang.com/2024/0622/2070289.html
6/21阿波羅新聞網<神秘!中国边境成立多间特别授权银行 美正致力侦测—中国边境小型银行允俄企业开户维持两国交易规避美方制裁=ミステリー!中国国境に特別に認可された多くの銀行が設立されており、米国はその摘発に懸命に取り組んでいる – 中国国境にある小規模銀行は、中ロ両国間の取引を維持し、米国の制裁を回避するためにロシア企業に口座開設を許可している>米国は先週、ロシアの対外金融取引ルートを遮断する目的で、中国にあるロシア唯一の銀行支店を含む対ロシア制裁の最新リストを発表した。しかし、複数の関係筋は、ロシアのプーチン大統領が先月中国を訪問した後、中国とロシアには依然として他の支払いオプションがあることが確認されたことを明らかにした。
ロイター通信は、プーチン大統領の中国訪問以降、中国北東部国境に特別に認可された多くの銀行が設立され、ロシア企業が中国の銀行に非居住者口座(NRA)を開設できるようになったと報じた。これらの支店はすべて中国の小規模銀行によって運営されており、西側諸国での業務は限られているか、まったく存在していないので、中国への潜在的な影響は減少する。このような小規模な地方銀行を利用して取引を行えば、一時的に米国の制裁を回避できるが、これは米国の摘発を避けるために中国とロシアが取らなければならないより複雑な措置を反映している。
悪の枢軸国、中ロ。
https://www.aboluowang.com/2024/0621/2070069.html
6/21阿波羅新聞網<重大转折点来了!战场推进俄全境?美大松绑乌克兰…=大きな転換期がやってくる!戦場はロシア全土に進む?米国はウクライナに対する規制を緩和…>ロシア・ウクライナ戦争追跡の専門家、ジョン・張は20日、米国が再びウクライナへの規制を緩めたとツイートした。米国には本当にガチョウ🦢を煮込む陰謀があるようだ🤣🤣🤣。
サリバン大統領補佐官(安全保障担当)は火曜日、PBSとのインタビューで、ウクライナは米国の兵器を使ってロシア国内どこでも攻撃することができると述べた。
これは、バイデン大統領とブリンケン国務長官が数週間前に、ウクライナにはハリコフ方向にあるロシアの標的を攻撃する権限があると述べたことからさらに一歩進んだものである。サリバンは、「これは地理の問題ではなく、常識の問題だ。ロシアが自国の領土からウクライナを攻撃する、あるいは攻撃しようとしている場合、ウクライナを(ロシアの)国境から攻撃する(ロシア)軍への反撃をウクライナに許可するのは理にかなっている」と説明した。
——米国とNATO同盟国による兵器の制限緩和はロシア領土を攻撃する可能性があり、プーチンにとっては確かに大きな圧力となっているが、そうでなければプーチンは北朝鮮には行かず、韓国の変化(ウクライナへの武器供与)にこれほど敏感になっていないだろう。ウクライナ頑張れ。
最初からそうすべきなのに・・・。民主党は軍事センスがない。
https://twitter.com/i/status/1803901679852810337
https://www.aboluowang.com/2024/0621/2069970.html
6/22阿波羅新聞網<中国这两个最重要的都不听党指挥了—三年清零后,党的指挥失灵了=中国で最も重要な2部門はもはや党の命令に従わない―3年間のゼロコロナを経て、党の指揮命令は失効した>現在の中国経済が直面する喫緊且つ最大の問題は、かつて隆盛を誇った不動産市場が谷に陥り、経済全体の足を引っ張っていることだ。だいぶ前から中共当局は、不動産市場に対して抑制的な措置を講じてきたが、最近になり不動産市場の活性化、ひいては中国経済の活性化を目指してさまざまな刺激策を講じている。中国が発表した最新データによると、住宅価格は4月よりも5月の方が早く下落した。
住宅市場と経済は党の指示に従わない
人為的に経済を動かそうとしても無理。
https://www.aboluowang.com/2024/0622/2070295.html
6/21阿波羅新聞網<网传多个赴日旅游团集体“跑路”!中国人走线另辟蹊径—中国人走线另辟蹊径 日本驻中共国领馆被迫收紧签证=訪日観光客団体が集団で「逃亡」したとネットで報道!中国人は国外に出る別の方法を見つける – 中国人は国外に出る別の方法を見つける 中国の日本総領事館はビザ要件の厳格化を迫られる>エクアドルは中国国民に対するビザ免除を一時停止し、米国への「亡命」への踏み台を取り除いた。つい最近、中国の日本総領事館も日本へのビザ要件を厳格化し、多くの観光客グループが一斉に失踪し、米国に向かうためにメキシコに迂回したという噂が流れた。 今年6月、個人旅行で日本を訪れた多数の中国人観光客が日本の空港から強制送還されたとインターネット上で報じられ、多くのネットユーザーは中国のネット有名人「鉄頭」が東京にある靖国神社に放尿し落書きしたことが原因だと思っていた。6/13、広州の日本総領事館が中国の旅行代理店11社からの日本への観光ビザを拒否したという別の通知がインターネット上に出回った。これにはもう一つ理由があると言われている。
日本で働いている可能性もあると。日本のビザが外国に渡るのに利用されるのであれば、停止するのは当たり前。永久に停止してほしい。
https://www.aboluowang.com/2024/0621/2070043.html
何清漣が再投稿
桃花島主 (ラッキー) @Mydoglucky2 19h
速報:ミズーリ州司法長官アンドリュー・ベイリーは、2024年の選挙を妨害するために法律を利用したとしてニューヨーク州を相手に全米初の訴訟を起こす。
「我々は大統領候補を選挙運動から排除しようとする悪徳検察官に反撃しなければならない。これはミズーリ州の自由で公正な選挙の権利を損なうものである」
これはすべての共和党州が行う必要がある。我々はあなたの同情的なツイートは必要なく、必要なのはあなたの行動である。
何清漣 @HeQinglian 57m
世論調査が選挙の道具になっているのは事実だ。
台湾では「悲しい世論調査」という言い方がある。ある政党の選挙情勢を意図的に不利なものとして描き、その政党の支持者を投票に行かせるよう動員すること。Political Polls のような世論調査はその逆のようである。
しかし、ミズーリ州民主党が選挙不正の告訴を受け付けない法律を制定できれば、それは完全な解決策となるだろう。世論調査資金さえも単純に節約される。
引用
西行小宝 2.0 @usa912152217 Jun 21
6/20 🔥🔥激戦州6州の世論調査でトランプ大統領がバイデンを破った。これは、Emerson と The Hill が 6 / 13 ~ 18に共同で実施した世論調査である。しかし、民主党、バイデン、DSなどもPolitical Pollsを利用してバイデンがトランプを大きくリードする世論調査を発表している。 x.com/TheCalvinCooli…
もっと見る
何清漣 @HeQinglian 2時間
どの調査を信頼するのか?
イェール大学の気候変動コミュニケーション・ロジェクトは最近、登録有権者の 62% が気候変動対策に取り組むと誓う候補者を支持しているとの報告を発表した;
5 月のギャラップ世論調査: 米国が直面している最も重要な問題が気候変動であると考えているのはわずか 2% で、次いで経済問題が 36%、政府と指導力の不足が 21%、移民問題が 17% である。
左派は米国人が「キッチン問題」に更に注意を払っていることを嘲笑している。
chinese.aljazeera.net より
長野氏の記事では、ジョゼフ・マッカーシー著『共産中国はアメリカがつくった G・マーシャルの背信外交』にあるように、米国の容共派も中共を大きくするのに力を貸したということ。ウッドロー・ウィルソン(国際連盟創設)やFDR(ソ連を承認、アルジャーヒスに国際連合設立準備を指示、ハリー・デクスター・ホワイト(ユダヤ人)にハルノートの原稿を書かせて、日本を大戦に引きずり込む)等民主党人脈は元々親共産主義者が多かった。米ソ合作で中共を作った。それで今でも米国民主党は中共と敵対するふりをして、裏でつながっていると思う。民主党がソ連の後継国ロシア共和国を嫌うのは、ソ連解体後のロシアでうまい汁を吸おうとしたがプーチンに邪魔されたから。
毛沢東は日本を嫌っていなかったのは本記事にある通りですが、遠藤誉著『習近平が狙う「米一極から多極化へ」台湾有事を創り出すのはCIAだ!』P.133にも出てきます。
「毛沢東は日本が好きだった。
拙著『毛沢東 日本軍と共謀した男』にも詳述したように、毛沢東はひたすら日本を尊敬し、日中戦争(1937年7月7日〜1945年8月15日)が始まってからも、その「戦略」あるいは 「賢い狡さ」がもたらしたものではあったが、日本軍と裏で手を握っていた。日本軍が戦っている相手は蔣介石率いる「中華民国」国民党軍なので、その国民党軍をやっつけてくれる日本軍は、毛沢東にはありがたい存在だったからだ。毛沢東の「敵」は日本ではなく、国民党軍である。蒋介石率いる国民党軍を倒して毛沢東率いる共産党軍が勝利を収め、天下を取るという のが毛沢東の最大目標だった。
したがって天下を取った後の毛沢東は日本に対して「侵略」という言葉を使わず「進行」としか言わなかったほどだ。「侵攻」とさえも言っていない。国内的には「抗日戦争に勇猛果敢に戦っているのは国民党軍ではなく、共産党軍だ」と激しいプロパガンダをして多くの一般市民や農民を共産党軍側に引き付けたが、戦後、元日本軍の賓客を北京に:招いては「皇軍に感謝する」をくり返していた」
日本は米中、裏にはソ連のスターリンに利用されて、国家存亡の瀬戸際まで行ってしまった。国際情勢をよく知らないことは国家国民を危殆に陥れる。左翼メデイアの発信を鵜呑みにするのは危険。
記事
天安門広場に掲げられた「毛沢東の肖像画」(写真:ロイター/アフロ)
2023年12月26日は、毛沢東の生誕130年だった。中国各地では記念の催しが開かれ、習近平指導部が功績を称えた。「建国の父」と呼ばれた毛沢東は、いかにして大学の図書館のアルバイトから大国の指導者にまで上り詰めたのか。背後では、いかにロシアが操っていたのか。『毛沢東 革命と独裁の原点』(中央公論新社)を上梓した、現代中国論が専門の、神田外語大学教授 興梠一郎氏に聞いた。(聞き手:長野光、ビデオジャーナリスト)
──本書では、毛沢東の生涯とその実像、毛沢東が今日の中国をいかに形作ったのか、について書かれています。「この本の執筆におよそ30年かかった」とあとがきに書かれています。
興梠一郎氏(以下、興梠):中国では1990年代に、毛沢東の若い頃の手紙や文章、本の書き込みなど様々な資料をまとめた公式文献が相次いで出版されました。
そうした文献によって、毛沢東が実は若い頃は民主化運動をしていたとか、連邦制を支持し「湖南共和国」の樹立を目指していたとか、流血をともなう革命には反対していたなど、後年の毛沢東からは想像もできないような実像が明らかになりました。
その時に、これまで知られていなかった毛沢東を書いてみたいと考えたのです。こうした史料を読み込むと、毛沢東を通して中国共産党がどのようにできて、そこにソ連がいかに関わっていたのかということも見えてきました。
──毛沢東と父親の関係にも触れられています。
興梠:アメリカのジャーナリスト、エドガー・スノーが書いた『中国の赤い星』が毛沢東のイメージとして広く定着していますが、それとは異なる側面もいろいろとあります。毛沢東の出身地の湖南省韶山(しょうざん)では、様々な逸話が語り継がれており、地元の歴史家の描く毛沢東はもっと多彩です。
たとえば、毛沢東がスノーに語った父親像は、子どもに厳しくケチな人といった印象ですが、実際の父親像はもっと複雑です。
毛沢東は農家の長男でしたが、塾だけでなく、学校にも行かせてもらっていました。父は毛沢東に教育の機会を与えていたのです。毛沢東は最終的に師範学校まで行き、小学校の教師になる資格を得ています。
毛沢東は農家の後継ぎでしたが、親戚を動員して父を説得し、都会の学校に通い、実家に戻ることを拒み続けました。毛沢東の父は半ば文句を言いながらも、それを容認していたのです。実家は、弟が切り盛りしていました。
──若かりし日の毛沢東に関する記述を読むと、作文がたいへん上手く、いろんな人を感動させていたという印象を受けます。この能力は後に彼が指導者になっていく上で重要だったのではないですか?
興梠:毛沢東が作文を書くのが上手かったという話は、最高指導者になってから語られている部分もあるのですが、彼が受験で書いた作文が教師に気に入られ、入学を認められたというエピソードがあります。
塾に通っていた時代に古典を教え込まれたことが受験の時に役立ったと言われていますが、本人が一番好きだったのは『水滸伝』のような反逆をテーマにした文学作品でした。こうした読み物は「雑書」と呼ばれ、塾では認められていませんでしたが、彼はこっそり読んでいました。
毛沢東がのちに新聞や雑誌に投稿した文章は、論旨が明快で、ジャーナリステックですが、これは新聞を読むのが好きだったことや、梁啓超(りょう・けいちょう)や陳独秀(ちん・どくしゅう)など、当時、論壇で活躍していた知識人の文章から大きな影響を受けていたからです。
──学生時代の毛沢東は、新聞や本などを、朝から晩までむさぼり読んでいたことが本書からうかがえます。どんな本を読んでいたのでしょうか?
若き毛沢東が日本に抱いていたイメージ
興梠:塾では経書を読まされていましたが、農作業の合間に隠れていろんな本を読んでいました。最初は中国の古典や雑書を読んでいましたが、後に国際情勢に関する本を借りて読み、外の世界に目を開かれます。そういう本を通して、世界における中国の置かれた状況を理解し始め、農村から出て都会の学校で学びたいという気持ちが強まります。
やがて都会の長沙に出た後は、革命思想に触れただけでなく、図書館に通って西欧思想の訳本を読み始めます。アダム・スミス、モンテスキュー、ジョン・スチュアート・ミルなどの著作を読むようになります。
──けっこう自由にいろいろ読める環境だったのですね。
興梠:中国は当時、時代が大きく変わる激動の中にありました。辛亥革命によって、清朝が倒れて中華民国が樹立される頃です。各地で軍閥が台頭し、中国が分裂した状態で、一つの時代が終わり、次の時代が始まるタイミングです。今の中国と異なり、当時は統制がきかず、禁書になるような本もいろんなルートで出回っていました。
また、当時の中国では、欧米の思想や技術を取り入れ、短期間で強国化した日本に学ぼうとする意識が強く、欧米の書籍が翻訳され、出版されていました。欧米の先進的な知識がないと世界で伍していけないという感覚がありました。
日本留学も流行っており、彼の恩師・楊昌済(よう・しょうせい)だけでなく、中国共産党の創設メンバーである陳独秀や李大釗(り・たいしょう)などは、みな日本留学帰りです。
──毛沢東自身は海外の書籍から多くを学んでいたのに、自分が指導者になると、そういったものを国民が手に取る機会を封じていきますよね。
興梠:そうです。これは、この本のテーマでもありますが、若い頃の毛沢東は欧米の民主主義が良いと考えていた。「中国は大きすぎるから連邦制にして、国を分割するべきだ」という思想さえ持っていました。
「湖南省を湖南共和国にしたほうがいい」と主張していましたが、これは、当時の時代の風潮で、毛沢東が憧れていた日本留学帰りの陳独秀らも「連邦制」を提唱していたので、その影響は大きかった。
──毛沢東が日本を「勁敵(けいてき)」と考えていたと書かれています。毛沢東は日本に対して、どのような印象を持っていたのでしょうか?
興梠:毛沢東は当時、単純に日本が嫌いだったというわけではありませんでした。袁世凱(えん・せいがい)政権の時代に、日本は中国に対して「対華21カ条」(※)を突きつけ、中国で反日ブームが巻き起こった。
その結果、毛沢東は「日本は勁敵だ」と主張しますが、同時に日本に留学したいと思っていました。「敵と戦うには、敵のことを知らなければならない」という意識があったと思います。日本はなぜあんなに強くなったのか知りたいと考えたのです。
※対華21カ条:1915年、第一次世界大戦中を機にドイツに宣戦布告し、山東省を占領した日本が同省のドイツ権益の譲渡や南満州などの利権確保を図り、袁世凱政権に突きつけた要求
これは、陳独秀や李大釗など当時の中国の知識人たちの共通の感覚だったと思います。「なぜあんな小さな国が、日清戦争で大国の清を打ち負かしたのか」「強国ロシアに勝ったのか」という問題意識があった。日本は、短期間に欧米の知識を吸収し、富国強兵を成し遂げたので「明治維新」が一つのキーワードになっていたのです。
毛沢東のいた師範学校のある、湖南省の長沙市(ちょうさし)は大都市ですが、そこは一時期「小日本」と言われるほど、日本の影響が色濃く見られました。毛沢東も「日本に行きたい」と思っていました。日本への留学生も湖南省の出身者が多く、彼の恩師の楊昌済もその一人でした。
中国・長沙に作られた毛沢東の巨大像。ちょっとイメージと違う(写真:CFoto/アフロ)
中国の世論が欧米や日本からロシアに傾いた理由
──毛沢東は最初、アメリカや欧州、そして日本から影響を受けていますが、次第にロシアからの影響を強めていきます。なぜ最終的にロシアだったのでしょうか?
興梠:第一次大戦の後に開かれた「パリ講和会議」が原因です。中国は戦勝国であったにもかかわらず、敗戦国のドイツが山東省に有していた権益が日本に譲渡されることになりました。
この時に、欧米に期待していた人々は裏切られたと感じ、欧米に批判的になりました。憧れの対象だった西欧が日本に妥協したことで、陳独秀や毛沢東は欧米を違った目で見るようになったのです。
そこにすかさず、ソビエトロシア(1922年からソ連)が「私たちは、過去に奪った利権を無償でお返しします」とアプローチします。これが「カラハン宣言」です。結局、返還は実現しなかったのですが、この宣言で中国の世論は一挙に親ソに傾きました。
そして、カラハン宣言と同じタイミングで、ソビエトロシアが中国共産党の設立を画策します。まず、世論を親ソにして、そこから共産主義を広めていくのです。このように、中国共産党の形成過程におけるソビエトロシアや日本の影響はたいへん大きなものがあります。
──若き思想家だった毛沢東に、革命運動を起こすようアドバイスした最初の人物に、蔡和森(さい・わしん)というフランスに留学していた毛沢東の友人がいます。毛沢東にとって、蔡和森はどのような存在だったと思われますか?
興梠:蔡和森は、毛沢東が師範学校で学んでいた時の友人です。「新民学会」という学生団体を立ち上げた仲間でもありました。蔡和森は働きながら学ぶプログラムで、フランスに留学しました。
蔡和森は、フランスで共産主義のパンフレットを読みまくっていましたが、その頃の毛沢東は中国で湖南自治運動など共産主義とは関係のないことをやっていました。まだ、平和的なデモで軍閥を説得して政治を変えられると思っていた頃です。
しかし、毛沢東は湖南自治運動が失敗して絶望します。「平和的な民主化運動はダメだ」「結局は力なのだ」「血が流れても革命しかないのだ」と考えた毛沢東は、フランスで共産主義運動に触れていた蔡和森と共鳴していくのです。文通を通して二人は意見を交換していました。
「(革命活動は)秘密にすべきだ」など、蔡和森は毛沢東に様々なアドバイスをしています。蔡和森はフランスで、共産主義の文献などを読んでいたからです。
ちょうどその頃、陳独秀がグリゴリー・ヴォイチンスキーというソビエトロシアの使者と会って、共産党設立の準備をしていました。こうした流れがつながっていくのです。
──中国に共産主義が導入されていく過程で、ヴォイチンスキーという人物が活躍した経緯が本書に書かれています。
ロシア共産党が糸を引いていた暴動
興梠:ロシア共産党(1952年にソ連共産党に改名)の極東局ウラジオストック分局から中国に送り込まれてきたのが、ヴォイチンスキーでした。彼は、通信社設立の名目で中国に入り込みました。そして北京大学に行き、早稲田大学で学んだ李大釗に接触したのです。
李大釗は日本留学時代、京都帝国大学の経済学者・河上肇(かわかみ・はじめ)の影響を受け、マルクス主義に傾倒し、中国でその思想を広めました。
毛沢東は、湖南第一師範の恩師・楊昌済が北京大学に栄転になったので、そのつてで、北京大学の図書館でアルバイトをしていました。その時に北京大学の図書館長だったのが李大釗です。こうして、毛沢東と李大釗の間に接点ができます。
毛沢東は北京大学の学生ではありませんでしたが、聴講を許可され、様々な研究会にも参加するようになりました。そこで学んだ新聞発行のテクニックは、湖南に戻って新聞を発行する時に役立ちました。
李大釗と接触することに成功したヴォイチンスキーは、学生たちにロシア革命の話をしました。皆が欧米に失望し、ソビエトロシアに親しみを覚え始めたタイミングです。ヴォイチンスキーは、ロシア語を読めない中国人が多いことを想定し、わざわざ英語やドイツ語で書かれた共産主義やロシア革命に関する文献を持参していました。
北京大学の学生や当時の知識人に共産主義やロシア革命を伝えたヴォイチンスキー。中国共産党の設立、その後のストライキや労働組合の組織化もロシア共産党が裏で糸を引いていた(写真:http://dic.academic.ru/dic.nsf/ruwiki/481140, Public domain, via Wikimedia Commons)
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李大釗はヴォイチンスキーに陳独秀を紹介しました。陳独秀は当時、北京大学を去り、自分が刊行していた「新青年」という雑誌も上手くいかなくなり、行き詰っていました。
以前は論壇のスターだったのに、投獄されるなどして悶々としており、上海に逃れていた。ちょうど欧米に失望し、ロシアに憧れを抱き始めた時に、ヴォイチンスキーがすっと接近してきたのです。その後、「新青年」もソビエトロシアの資金が提供され、共産党機関誌として発行されるようになりました。
──誰にアプローチすべきか、ソ連はよく調べていたのですね。
興梠:ロシア共産党に入党した華僑が、誰が狙い目かを教えていました。北京大学の李大釗の同僚のロシア語の教師だったセルゲイ・ポレヴォイも、共産党の連絡員だったと言われています。
しかし、そんなことは誰も知りません。李大釗だってヴォイチンスキーが共産党から送り込まれてきたとは知らず、新聞記者と思っていたらしい。まさに地下工作です。そうやってターゲットを取り込み、世論を作り、すっと入っていくんですね。
──中国共産党は、コミンテルン(共産主義インターナショナル。1919年、レーニンらの指導の下、ロシア共産党が中心となって設立した国際共産主義を推進するための組織)から多大な支援を得ています。コミンテルンはどれくらい深く中国共産党に関わっていたのでしょうか?
興梠:中国共産党は当時、「コミンテルン中国支部」であり、モスクワの指示は絶対で、服従しなければなりませんでした。ロシア共産党は活動資金を拠出しただけでなく、人も派遣し、指揮しました。公開された旧ソ連の史料を見れば、コミンテルンがいろいろと細かい指示を出していたことがわかります。
ソビエトロシアの目的は、中国に親ソ政権を樹立し、衛星国にすることでした。暴動やストライキから革命を起こそうとしますが、こうした活動は、コミンテルンが裏で指揮していました。
中国では、ソビエトロシアが指揮した暴動は「起義」と呼ばれていますが、実際は、ロシア革命の手法を踏襲し、政権を奪取するために起こした「暴動」でした。モスクワが後ろで組織していたのです。
毛沢東が中国共産党で大抜擢された背景
──ストライキをたくさん起こしたと書かれていました。
興梠:はい。ストライキや労働組合の組織化も、モスクワが中国共産党に指示したものであり、ノルマでした。
──現場に不満があって、自然とストライキが起きたのではなかったのですね。
興梠:不満を見つけ、それを利用し、組織化するのです。労働運動を利用して党員を増やし、党組織を拡大し、政権を奪取するのが最終目的です。
たとえば、中国に夜学という学校を作り、学びたい労働者を集めます。当時、字を書けない人が多かったので、字の書き方などを教えましたが、これは、党組織を拡大するための第一歩でした。
それは共産党の学校で、そこで「階級意識」を植え付け、ストライキに動員し、めぼしい人間をリクルートして入党させていく。経済的利益もエサでした。労働者の教育の他にも、労働者が安く買い物ができる場所を提供したりしました。
労働運動は、コミンテルンが中国共産党に課したノルマでした。労働者を取り込む時には、「賃金が安い」などの不満を見つけて、そこに火をつける。いきなり煽動しても立ち上がりませんから、勉強を教える形をとって、思想教育を行い、階級意識を植え付け、革命に動員するわけです。
当時、コミンテルンから指示を受けていたのは、中国共産党トップの陳独秀です。彼がその指示を地方のトップに伝えましたが、ノルマを上手く達成したのが毛沢東でした。湖南省は特に成績が良かったので、コミンテルンと陳独秀から評価され、毛沢東は党中央に大抜擢されます。
コミンテルンが出資し、中国で発行していた共産主義の文献なども毛沢東は売りさばきました。毛沢東は「文化書店」という書店も経営しており、そこでもそうした文献も販売しました。
彼は、ビジネスセンスがあり、売り上げも好調でした。毛沢東は子どもの頃、農家でありながら、手広く商売もしていた父親に帳簿を付けるよう教え込まれています。その後、文化書店は、共産党の拠点となっていきます。
このように、中国共産党設立の背景には、当時のソビエトロシア(後のソ連)の世界戦略があり、中国共産党政権の誕生もソビエトロシアの存在なくしては語れません。
中国革命は、中国共産党が単独で成し遂げたのではなく、当時のソビエトロシアの国策と深く関わっていました。毛沢東の初期のキャリア形成もそうした背景の中で見る必要があります。
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